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2004.06.30

スーダン虐殺は人道優先で。石油利権の話はやめとけ

 スーダン西部ダルフール地方の民族浄化問題は、ようやく日本でも報道されるようになった。26日の朝日新聞社説「スーダン危機――見過ごしは許されない」が可笑しい。


 イラクに世界の目が奪われている間に、アフリカ大陸でとんでもないことが起きていた。

 違うよ。目を奪われていたのは、朝日新聞を含め、日本の報道メディアだよ。インターネットをかすめ見ている私ですら、イラク日本人人質事件の最中にこの問題を知っていた。こういう朝日新聞の修辞は国民がインターネットが使えないと思っている、ということかもしれない。そんな程度でこの社説は笑い飛ばしていたのだが、ふと気になって読み返すと、非常に奇っ怪なシロモノだということがわかった。というのも、中国にも米国にもまるで言及していないのである。なんだ、これ? というか、ずばりと書くにはためらうが、朝日新聞のハラがなんとなく読めてきた。

 アフリカには国際社会の目が向きにくい。50万人以上が虐殺された94年のルワンダ紛争では、国際的な対処の遅れが大問題となった。スーダンの人道危機を食い止めるために、先進国やアフリカ諸国は一刻も早く動き出す必要がある。
 政治や社会の混迷はテロリストの温床ともなる。スーダンがビンラディン一派をはじめとするイスラム過激派組織の拠点となってきたことを思い起こそう。

 人道危機を食い止めうるアフリカ諸国っていうのはただの修辞だろうが、じゃ、先進国ってどこを指しているのか? 米国が抜けるわけもない。じゃ、米国が動けってことかというと、朝日新聞はそう言いたくないのだろう。

 バシル現政権は、反テロの姿勢を打ち出すとともに、豊かな石油資源を生かして外国から投資を呼び込み、国づくりを進めようとしてきた。そのためにも、国内の融和は欠かせないはずだ。肌の色の違う人たちに暴力を振るう民兵らへの支援をやめさせ、秩序の回復に全力をあげるべきだ。

 これも奇っ怪な文章だ。バシル現政権を北朝鮮の金正日のようについ援護したくなる朝日新聞の心情はさておき、「豊かな石油資源を生かして外国から投資を呼び込み」っていう外国はどこ? これは、どう考えても、外務省の資料を見ても、筆頭は中国でしょ。極東ブログで薦めている「世界を動かす石油戦略」の4章「大きな攪乱要因、中国」にもこう記されている。

 これらのケース以外にも、最近における国有中国石油会社の海外進出はものすごく、カスピ海地域や中東地域などで石油権益を次々に獲得している。それらの国で石油の採掘権を獲得して、自ら投資、生産操業をおこなって、生産された石油をごく一部を除いて国際市場で販売することなく、せっせと中国国内に搬入している。
 中でも、米国が「テロ支援国家」として神経を尖らせているイラク・イラン・スーダンとも油田開発を締結しており、すでに進出を果たしている。
 特に、内戦が続き、欧米企業が忌避しているスーダンでの石油生産はかなり大規模なものであり、海外事業収入の柱となっている。中国国有石油会社による油田権益獲得の特徴は、その背景として中国政府首脳の「資源外交」が活発に行われていることである。

 こうした、誰でもわかる事実があるのに、朝日新聞は、なぜ、中国って書かないのか?
 米国と中国という言葉に事実上墨を塗った言論を振りまく朝日新聞なんと奇っ怪なのだろう、と、取り合えず言っておく。というのも、その心情がまるでわからないわけでもないからだ。
 少し、泥沼に入る。例えば、こういう話がある。weekly business SAPIO 2000/9/21号に掲載されたクライン孝子「中国『オイル戦略』の背景にある アフリカ諸国との緊密な関係」(参照)が面白い。サピオだしな、2000年の話だしな、ではあるが、こうある。

  目下、中国はスーダンにおける石油利権で、アメリカを制し、一人勝ちといわれている。
 そもそもスーダンに豊富な油田があると想定し、最初にその発掘に乗り出したのは1973年のことである。その後1983年に、スーダンにはイランとサウジアラビアを足した分よりも大きな油田が横たわっていることが確認された。以後この国では油田利権を巡って、熾烈な利権獲得紛争が繰り返され、海外からもアメリカやフランスの石油メジャーが触手をのばしていた。
 ところが、その後アメリカはスーダンをテロ国家として名指しし、国交を断絶してしまった。中国はそのスキを狙ってスーダン政府に食い込み、まんまと石油利権獲得に成功したのである。
 一方、“してやられた”アメリカはどうしているかというと、あの誇り高いアメリカが積極的に中国にとり入り、スーダンの石油利権獲得にありつこうと懸命になっているのだ。

 この話はそれほど飛んでいるわけでもないのだが、そこから、米国がスーダンに関与するのは、こういう真意があるのだ、ってな話にすると、今回の虐殺問題も実に書き飛ばしやすくなる。日本人人質事件で注目されたJANJANの6/25に「アフリカのスーダン 米国が制裁!?」(参照)という面白い記事がある。

 スーダンは98年、ビン・ラディン氏との関与を疑われ、巡航ミサイルを撃ちこまれた経験がある。当時のクリントン大統領よりもはるかに好戦的なブッシュ政権の発言だけに、効き目のある脅しだ。石油が出るスーダンを米国が手をこまねいて見過ごすはずはない。「イスラム教徒による民族浄化」は介入のりっぱな口実となる。

 この記事も中国についてまったく伏せてあり(無知なだけかも)、なんだかな的トーンが漂うのだが、いずれにせよ、スーダン民族浄化に米国が介入する真意は石油だ論があるわけだ。が、さすがに朝日新聞ですら、それをまともに受け止めるわけにもいかないという「苦汁」があの社説だったのかもしれない。
 先のサピオの話はこう続く。

 なぜかといえば、2010年には既存の中東油田における埋蔵量は枯渇の運命にあるからで、この状況下では、アメリカもこのスーダン油田には無関心ではいられないのだ。
 最近では、中国のスーダン石油利権に食い込むために、民間サイド、例えば石油会社AmocoやBankof Americaなど有数の米国系企業が、次々にスーダン油田の窓口である「国営中国石油公社」へ投資競争を行なっている。

 ちょっと溜息が出てしまう。が、問題は、石油に対する国家戦略なんてものではなく、問題があるとすれば、「中国さん、世界市場のルールを守ってよ」というだけのことだ。この点については、衆知のようにウォーレン・バフェットが中国石油天然気(ペトロチャイナ)の株をがばっと買い占めたが、株主がきちんと国際ルールで経営に口を出していけばいいことだ。別に中国が採掘権を持とうがどうっていうことでもない(こっそり言えば、東シナ海の天然ガスも同様)。
 とすれば、こうした前時代な議論をしているより、さっさと目先の問題の解決をすべきだし、実際ところ、それを担えるのは国連からも要請されているように、米国しかないじゃないか。嘘くさい自叙伝で一儲けをこいているエロ・オヤジ・クリントンはルワンダの虐殺を見殺しにしたのである。それを繰り返すのは愚かしい。ワシントンポスト"As Genocide Unfolds"(参照)も指摘しているが、そのとおりだ。

The administration's foreign-policy plate is piled high already. But Darfur's crisis appears worse than anything the world has seen since the genocide in Rwanda. During that tragedy 10 years ago, the Clinton administration declined to act, refusing even to recognize that genocide was occurring lest such recognition compel action. The Bush administration must not let its own record be disfigured the same way.

 もちろん、そうするためには中国の協調があってしかるべきだろうと思う。が、事実は違う。むしろ、米国は弱腰だし、中国・フランスにいたっては虐殺側の政府に事実上ついている。

It is outrageous that other members of the Security Council are dragging their feet on a resolution that could relieve the crisis. China and France both have oil investments in Sudan and do not wish to alienate the government; Russia and some non-permanent members of the Security Council such as Pakistan view a resolution as an infringement of sovereignty. In ordinary times, the United States might be able to prod these countries in the right direction. But the Bush administration is devoting its very limited diplomatic capital to Iraq, and there is little left for Darfur. That is why the U.N. resolution may take weeks.

 というわけで、スーダン虐殺について、国際世界の動きは、すでに遅きに失しているのだから、とにかく人道優先で、うさんくさい石油利権の話はやめとけと思う。

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2004.06.29

宣戦布告なき石油戦争の当事者は日本と中国

 28日のワシントンポストにちょっと気になるコラム"The Undeclared Oil War"(参照)があった。標題は「宣戦布告なき石油戦争」とでも訳せるだろうか。出だしがふるっている。


While some debate whether the war in Iraq was or was not "about oil," another war, this one involving little but oil, has broken out between two of the world's most powerful nations.

For months China and Japan have been locked in a diplomatic battle over access to the big oil fields in Siberia.


 イラク戦争が石油のためだったか議論が割れるとしても、今、現代世界では宣戦布告なき石油戦争を始めた2つの大国があるというのだ。どこか、そう、日本と中国だというのだ。争われる石油は…東シナ海か、いや、あれは天然ガス。そうじゃないのだ、問題はロシア。シベリアの石油だ。
 そう言われて、日本人はどう思うだろうか? あまりピンと来ない、大げさな、というのが本音ではないだろうか。しかし、私もそう思った。しかし、コラムを読み進めてぎょっとしたのは、日本の対露ロビー活動なのだ。

Japan, which depends entirely on imported oil, is desperately lobbying Moscow for a 2,300-mile pipeline from Siberia to coastal Japan. But fast-growing China, now the world's second-largest oil user, after the United States, sees Russian oil as vital for its own "energy security" and is pushing for a 1,400-mile pipeline south to Daqing.

 確かにエネルギー政策における日本の石油依存度は高いし、石油消費を拡大している中国にしてみればシベリア石油がエネルギー政策上重要な課題ではあるのだろう。が、そんなことより、日本の対露ロビー活動のほうが気になる。全く隠蔽されているわけではないが、日本としてはけっこう熾烈にロビー活動をやっているようなのだ。この実弾(金銭)をドンパチと飛ばすあたりが、「戦争」という皮肉なのだろう。この結果が何をもたらすかといえば、さらなる日中の関係悪化というのは頷くしかない。

The petro-rivalry has become so intense that Japan has offered to finance the $5 billion pipeline, invest $7 billion in development of Siberian oil fields and throw in an additional $2 billion for Russian "social projects" -- this despite the certainty that if Japan does win Russia's oil, relations between Tokyo and Beijing may sink to their lowest, potentially most dangerous, levels since World War II.

 大げさといえば大げさだが、その可能性は否定できないと思う。というか、左翼マスコミがこんなところに首を突っ込む前に、国としては予防線だのをばしばし張っているに違いない。
 まいったなと私は思う。この記事では触れていないが、先日、プーチンは親中的なユコスの頭をふん縛ったものの、ユコスは潰さないと堂々と宣言した。これまでのユコスの姿勢がそのまま維持されはしないだろうが、この問題は一重にプーチンの意向にかかっていることが明らかになっている。
 そこで、プーチンがどう世界経済を見るかだが、彼は馬鹿ではないから日本の潜在力は理解できるだろう。しかし、これから縮退化する日本に永続的に上昇するエネルギー需要があるわけもないとも思うだろう。理性的に考えて、プーチンが石油の流し先を中国に選んでもおかしいことはなにもない。私もそちらに賭けるほうが勝ちそうだ。
 それにしても、中国側もけっこう露骨なロビーを展開しているのだが、サウジの件にまで深く首を突っ込んでいたのには、まったく知らないわけではないが、呆れた。

In recent years, Beijing has been lobbying Riyadh for access to Saudi reserves, the largest in the world. In return, the Chinese have offered the Saudis a foothold in what will be the world's biggest energy market -- and, as a bonus, have thrown in offers of sophisticated Chinese weaponry, including ballistic missiles and other hardware, that the United States and Europe have refused to sell to the Saudis.

 すごいぜ、中国人。サウジの石油欲しさに、ミサイルだの兵器の献納をやっていやがるのだ。これは端的に「死の商人」ってやつだ。しかも、イランやイラクにもちょっかい出しているらしい。

In the run-up to the Iraq war, Russia and France clashed noisily with the United States over whose companies would have access to the oil in post-Saddam Hussein Iraq. Less well known is the way China has sought to build up its own oil alliances in the Middle East -- often over Washington's objections. In 2000 Chinese oil officials visited Iran, a country U.S. companies are forbidden to deal with; China also has a major interest in Iraqi oil.

 記事には触れていないが、日本のとち狂ったアザデガン油田開発なんかにもからんできているのではないだろうか。中国の愚かしさに泣けてきそうだが、日本の同じ程度に愚かなのだろう。
 石油は国際ルールさえ維持されれば、もっとも当たり前の商品として流通可能だ。日本のエネルギー政策が石油に偏り過ぎているのは問題ではあるが、これが是正されないのも、こうした流通の良さに高をくくっているからに他ならない。
 しかし、イラク戦争を見ていると、こうしたまともな世界市場が機能するにはあまりに大きな代償が必要な時代になってきたとも思える。

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2004.06.28

FOMAはまだまだ高いなとかブログの話とか

 ネット関連の散漫な話になるが、そういえばFOMAのパケ代が固定になったというので、そろそろN505iからFOMAに変えようかと思って近所のDOCOMO店に行って話を聞いた。機種変更に3万円くらいかかり、しかも固定パケ代で月額7千円くらいになるらしい。それはちょっと高いなと思ってひとまずやめにした。10年前に月額基本料金1万5千円で携帯電話を使っていたときに比べれば安いもんじゃん、とも思うが、あのころは小型の携帯電話を持っていることはまだ珍しい時代で、それだけでビジネスのハッタリ効果もあった(のかもしれない)。今だとそういう金を払おうという気持ちも全然起きない。すぐに高いなぁとか思ってしまう。
 FOMAもいいかなと思ったのは、コンテンツへの魅力とかではなく、このところ別件でモブログのチェックをしていて、iモードのデータ転送があまりに遅くて、死ぬかと思った、みたいな感じになったからだ。また、ちょっとした画像データの受信もこの速度だとまともにできない。画像を使うなら、もうちょっと速くないとね、というのがFOMAかもの理由だった。
 というわけで、N505iでこそっとモブログをやっているのだが、それなりにできる。モブログはブログとは違って、なかなかこれはこれで面白い。というか可能性が別にありそうだ。現状、モブログについて、携帯からの画像を含めて投稿を受け付けるシステムは、ココログを含めていろいろとあるが、携帯での読み出しに対応しているのはlivedoorだけのようだ。これから増えるのだろうか。現状のlivedoorのモブログサービスは、これはこれで悪くはないのだが、一般的に面白いかと、いうと、そうでもないかもしれない。
 普通のブログのほうも、同じような行き詰まり感はある。ブログサービスがあちこち出てきて、しかも大半は無料なのでいいのだが、その分システムやネットのインフラ部分に金が使えないせいか、夜になるとまともに動かない。どうやらココログもそれ臭いのだが、イラクの主権委譲に併せて、プロ版も本格有料化になるので、少しシステム負荷が減るかもしれない。
 ブログが面白いというのは、今後、一般的には、多分に、コミュニティ的な機能というか、出会い的な機能というか、ソーシャルネットワーキングですか、みたいな要素をシステム側で上手に提供するかにかかっているだろう。
 今のところ、キラーアプリみたいなサービスはなさそうだが、兆候はある。こうさぎが突然流行っているのもそんな動向に関係しているのだろうし、Harbotみたいのがもうちょっとお子様から脱してもいいのかもしれない。「はてな」はなんとなくそうしたコミュニティ機能を満たしているようだが、正面からWikiライクに構想されたグループ機能は、あまり表だって利用されているふうもない。
 ブログが今後どこに行くのか、よくわからないなとは思うし、モブログを含めてもうちょっと楽しくてもいいのだろうとは思う。なんとなくだが、こうさぎのようなペットでなくてもいいから、RSSを自動的に読み込み、人工知能的にお節介にトラバを付けるといったシステムも出てくるかもしれない。ってなところで、れいのオントロジー的な技術も必要になるのだろう。
 モブログといえば、このところ、N505iを使って、意図的に青空文庫(携帯文庫)とかも読んでみるのだが、意外に悪くない。極東ブログも携帯対応にしたいなと少し思うし、それなら、RSSかATOMに全文をフィードしてやれば、あとは別システム(CGI)で対応できそうに思う。が、ちょっと自分でそのサービスまで作るのはちょっとめんどくさい。すでに、どっかにそういうサービスはあるのかもしれないが。
 ブログ自体の内容面での動向はどうか。自分のブログのレベルを棚に上げてお粗末とか言いたくなりそうでもある。例えば、極東ブログも含まれているが、エキサイトのブログニュースなども人気記事は、けっこうトホホっぽい。他にもこの手のリストを作っても似たような傾向が出る。が、トホホとか言うのではなく、それはそれで、そーゆーものだというしかないのだろう。
 ふとメールマガジンの動向も気になる。なんとなく落ち目なのではないかとも思うが、よくわからない。日垣隆のガッキーファイターは有料化で成功している珍しいケースかもしれないし、彼に言わせれば、コンテンツ次第でできるはずだ、となるのかもしれない。が、なんとなくとしか言えないのだが、それは違うようにも思うし、まして、有料ブログというのも想定しづらい。収益のモデルはアフィリエイトというわけでもないのだろう。さーて。
 ある程度クオリティの高いブログがもっと現れるようなれば、半分娯楽的な読み物としての雑誌のニーズはなくなるだろう。単純に、新聞がなくなる日といったものではないだろうが、新聞も実際には広告メディアなので(紙面の大半は広告)、同じように広告メディアとしてのブログが優勢になる可能性もある。
 それでも、ブログを巡る動向はよくわからないなとは思う。当面はこうしたわけのわからない状況のできるだけ前線に出ていたいのだが。

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2004.06.27

[書評]「築地市場のさかなかな?」平野文

 梅雨だというが暑くてもう本格的に夏だなと思う。ああ夏だ。夏だからアレが喰いたいと思う。アレ? そのアレがどうも無意識にひっかかっていたのだが、ふとわかった。イサキである。イサキの刺身が喰いたいのである。

cover
築地市場のさかなかな
 イサキは塩焼きがいいと言う人も多いようだが、それもわからないではない。スズキほどではないにせよ、大振りならね、と思う。いや、大振りなら刺身がいいと言うのがツウなのかもしれない。平野文がさかなについて書いたエッセー「築地市場のさかなかな?」では、イサキについてこう書いてある。

 塩焼きばかり称賛してしまったが、大振り(二五センチ以上)のものは、刺身も素晴らしい。やはりそれも、気品のある脂ののりが、うまさを上げているからにほかならない。
 ほんのり紅をさしたような気品のある身の色。脂が、縦にきれいなすじ状に入っている。血合いも色鮮やかだ。
 身の方にわさびをのせてから、醤油をつける。たいより、滋味豊かだと思った。

 そうかな。そうかもしれないなとも思う。でも、それならイナダのほうがいいなと私は思う。ま、自分のさかなの趣向にはそれほど自信はない。それでも、私は、背に黄色いスジがきれいに残る小降りめのイサキの刺身がうまいな、ああ喰いたいな、と思う。
 イナダにこだわるのは三十代の半ばに住んだ近所にいい魚屋があって、そこでイナダが好きになったからだ。その魚屋は毎日築地から仕入れるので、2時ごろ店が開く。当たり前といえば当たり前。店のようすもいかにも魚屋という魚屋。だが、ああいう魚屋はもう少ないようにも思う。
 その魚屋に通うようになって顔を覚えられるようになると、この魚を食べな、と薦めてもらうようになる。そしてわかったのだが、この魚屋はけっこういいものを仕入れているということだ。値段は割高に思えるので、その値で売れるのかとも思ったが、金を出しそうな客にいい魚を食わせて中毒にする、いや教育するというわけだ。いやそういうものでもあるまい。東京の街は奇妙に戦禍を免れた地域があり、戦前からの生活の志向が残っている地域があるが、そういう地域の人と料亭がその魚屋を支えているようだった。
 平野文とはイナダの趣向が違うかのように書いたが、いやいや、すごく共感している。

 河岸に嫁いでから、生まれて初めて食べた魚がいくつかある。
 いさきも、そのひとつだった。
 塩焼き、あるいは刺身。かなり、うまい。通年食べられるさかなだが、食べ頃は五月から七月。初夏を感じる魚である。


 いさきのうまさを知ってから思った。あくまでも個人的な感覚だが、いさきは、あじやいわしなどのような庶民的な惣菜魚に比べると、通寄りのさかなであると思う。ちょいとばかりさかなの味を知っていれば、目ざとく反応する。そういった類のさかなであると思った。
 同時に、いままで知らなかったとは、なにやらすいぶん損をしていたような気にもなった。が、一方で、三十路になってから出会えたからこそ、この味を分別できるようになったのかもしれない。

 そうそう。こういうところは、うんうんと頷いて読む。そして、ラムちゃんの声優平野文がそう言うんだよなというところに、さらに、うんうんと頷く。熱烈ファンだったしな。
 この本では、日本のめだった魚について、河岸での出会いというのもあるのだろうが、けっこういいところをついて書いているなと思う。いわゆる魚ツウの説明より、とても納得することが多い。
 きんめだいについて、彼女はこう書いている。

 名前の由来は、大きなその、目の色からきている。
 真上からのぞくと、黄みがかった、まさに黄金色。見事である。深く、暗い海のなかでは、発光しているかのようだという。


 きんめは、きんきとは相反する。関東以南で漁れる。南のさかなである。沖縄あたりでも揚がるのだ。きんきより、魚体も大きい。

 そうそう。私は沖縄で、しかも、漁場近くで暮らしていたから、水揚げされたキンメをなんども見た。目の黄金色は、たしかに見事なものだったが、ある日、ある漁師がほら見てごらんとキンメを陽射しに置いた。沖縄の強い陽射しのなかで、キンメの目は神聖なほど黄金に輝きだした。それは本当に美しかった。
 なんだか、さかなのうんちく話みたいになってきたので切り上げよう。でも、魚が食えるのは日本人の幸せである。もちろん、そういう幸せを知るのは日本人には限らないが、国際線の昼食で、「フィッシュ? チキン?」と訊かれて違和感を感じない国民もある。もちろん、そういう国民にも別の幸せがあるのだろうなとは思うけど。

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2004.06.26

青色一号

 最近流行もあってか、食品添加物の合成着色料である青色一号を多めに摂っている人が増えているようだ。この合成着色料は、通常は人間の消化器官から吸収されにくいため、大半は排出される。ってことは、便が着色されることになる。概ね黄銅色の便であれば、絵の具の三原色の加色混合により、緑便となる。ふふふ。
 青色一号は、その名称が鉄人28号に似ていることもからも推測されるように、戦後間もない昭和23年に食品添加物に指定された。といって、命名は英語の"Blue No. 1"のベタな訳語に過ぎない。英語では、長野県知事が好みそうな"Brilliant Blue FCF"という名称で呼ばれることも多い。そのスジでは、コード名E133で済ませている。
 青色一号は合成着色料だというと、健康に悪いんじゃないかなと気になる人もいるだろう。どうだろうか?
 「と」かと誤解もされかねないジャーナリスト渡辺雄二だが、その著作は概ね正確で、「食卓の化学毒物事典―安全な食生活のために(三一新書)」の同項目を見るとこうある。


お菓子や清涼飲料水などに使われている。青色一号は発がん性の疑いがもたている恐いタール色素である。そのため、ヨーロッパ諸国では使用が認められていない。飲料水やお菓子など子どもが好む食品に使われてことが多いだけに、その悪影響が心配される。

 とある。「恐いタール色素」といっても、近づいても噛みつかれる心配はない。毒性(ADI)も低い。1969年のFAO/WHOの正式報告"FAO Nutrition Meetings Report Series No. 46A WHO/FOOD ADD/70.36"(参照)を見ると、こうだ。

Estimate of acceptable daily intake for man
                     mg/kg body weight/day
  Unconditional acceptance -----------------------
                       0-12.5

 つまり、70kgの体重の人なら毎日0.875g摂り続けていても健康で緑便が観賞できることになる。この手のお粉1gって、けっこう多く感じられるものだが、その位は大丈夫なのだ。
 なーんだ、たいしたことないじゃん、というわけで、青色一号のお仲間赤色一号も摂ってみようかと酔狂な人もいるかもしれないので、ご注告するのだが、赤色一号はすでに添加物としては日本でも禁止されている。発がん性が高いからだ。じゃ、赤色二号はというと、米国では禁止されているが、嬉しいことに日本ではOKだ。狙い目ってやつか。
 話を青色一号に戻す。「食卓の化学毒物事典」によると、青色一号はヨーロッパ諸国では使用禁止、とあるが、これはちょっと曖昧で、現状EUでは禁止されていない。禁止されているのは、ベルギー、フランス、ドイツ、スイス、スェーデン、オーストリア、ノルウェー(参照)である。イギリスやイタリアなら大丈夫。だが、EU統一を考えると、多分、禁止の方向になるのだろう。
 アメリカには、青色一号を気にしない人と、とっても気になる人がいる。後者が医学関係者だろう。というのも、権威ある医学雑誌「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン」(New England Journal of Medicine October 5, 2000; 343; 1047-1048.)に、ちょっと気になる記事"Systemic Absorption of Food Dye in Patients with Sepsis"(参照)が掲載されたからだ。標題を試訳すると「敗血症患者における食物着色料のシステマティックな吸収」となるだろうか。つまり、健康体ならいざ知らず、疾患のある人の場合は、合成着色料も吸収される…身体も青くなるということだ。
 身体が青くなるっておもしれーじゃんとか思う人もいるかもしれないが、まあ、冒頭を読め。

To the Editor: Critically ill patients who are receiving enteral feeding are susceptible to pulmonary aspiration of gastric contents. Measures to enhance the early detection of aspiration include the tinting of feedings with the food dye FD&C blue no. 1. During sepsis, gastrointestinal permeability increases because of enterocyte death and loss of barrier function at intercellular gaps. Thus, substances that are otherwise nonabsorbable may be absorbed during sepsis. We report two deaths associated with the systemic absorption of blue dye no. 1 from enteral feedings; in both cases, the absorption was heralded by the appearance of blue or green skin and serum.

 難しいこと言ってじゃんと読み過ごす人もいるかもしれないのだが、ポイントは、青色一号の摂取で死者が二人出たということ。死んじゃったわけだ。シャレじゃないんだよ。一人は54歳の女性。もう一人は12か月の赤ちゃん。「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン」にはこの赤ちゃんの写真が掲載されている。
 もちろん、健康な人は青色一号で死ぬわけはないので、誤解なきよう。あくまで敗血症などの患者に限定される。

We encourage judicious use of this food dye in patients with sepsis or other illnesses associated with increased gastrointestinal permeability.

 ただ、ちょっくら医学・薬学に関心持つ人は次の話も覚えておいてもいいかもしれない。よくサプリメントなんかで、飲めば疲労が取れるというのがあるが、青色一号はその逆っぽい印象がある。

Artificial food dyes can inhibit mitochondrial oxidative phosphorylation in vitro by acting as uncouplers (as does 2,4-dinitrophenol), by blocking electron transport (as does cyanide), or by inhibiting energy transformation by blocking the generation of ATP. Blue dye no. 1, a triphenylmethane dye, is a potent inhibitor of mitochondrial respiration in vitro4 and reduces oxygen consumption by a factor of eight in mitochondrial preparations in vitro.5 It appears to inhibit energy transformation by blocking the adenine nucleotide translocator (as is the case with atractyloside).5

 それでも、死者は出た。米国の厚労省にあたる食品医薬品局でも、人が死んだたぁ黙っているわけにもいかねーかってことで、公式なアナウンス"FDA/CFSAN - FDA Public Health Advisory: Subject: REPORTS OF BLUE DISCOLORATION AND DEATH IN PATIENTS RECEIVING ENTERAL FEEDINGS TINTED WITH THE DYE, FD&C BLUE NO. 1"(参照)を出した。もちろん、出来レースっぽいので、結論は安全ということになる。

While we are not able at this time to establish a cause-and-effect relationship between the reported serious and life-threatening patient outcomes and the use of the dye, nonetheless, given the seriousness of the potential complications, we believe health care professionals should be notified of these reports.

 とはいうものの、ヘルスケアの専門家は注意せーよと言っている。が、日本にヘルスケアの専門家なんているのか? いたら、なんかこの件で発言してましたか?

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2004.06.25

欧州では子どもの3人に1人が環境汚染などにより死亡している?

 ニュース自体としては専門者の間ではけして最新とも言えないのだが、現在ブダペストで開催中のWHO閣僚級会議(Europe's ministers of health and environment gathering )に併せて、「欧州児童・青少年における、環境要因が特定される疾病と怪我」(Burden of disease attributable to selected environmental factors and injuries among Europe's children and adolescents)が検討課題となった。詳細は、欧州WHOサイト"Burden of disease attributable to selected environmental factors and injuries among Europe's children and adolescents"(参照)及び、"One in three child deaths in Europe due to environment. New WHO study details devastating effects"(参照)にあたるといいだろう。日本語で読める情報としては、日経エコロジー"WHO、欧州では子どもの3人に1人が環境汚染などにより死亡と報告"(参照)がある。元になった調査は、Lancetに掲載された"Burden of disease attributable to selected environmental factors and injury among children and adolescents in Europe "(参照)もので、これも公共性が高いことから無料で閲覧できる。
 日経エコロジーの標題については、やや不正確に思えるが、欧州の児童・青少年の死去の1/3が環境要因によるというのは、先進的と見られる欧州においてそうなのかという点で、ショッキングな問題提起ではある。欧州に限定しなければ、すでに2002年南アフリカのヨハネスブルグで開催された「持続可能な開発に関する世界サミット(WSSD)」でも扱われていた。当然ながら、こちらでは、途上国的な問題に焦点が当てられていたが、今回のWHO欧州の発表では、日経エコロジーが煽るような標題として、環境汚染に着目したのも頷ける。環境要因としては、屋外の大気の汚染、屋内空気の汚染、水の衛生状態の悪さ、鉛中毒、事故が特定されているからだ。もっとも、原報告を見るとわかるが、怪我の要因がもっとも大きい。
 WHOでは、次のように問題の要点を打ち出している。なお、DALYはDisability-adjusted life yearsの略で、定訳語はわからないが、とりあえず疾病と理解していいだろう。


According to this study, approximately 100 000 children deaths and 6 million DALYs in Europe are attributable to four main environmental risk factors and to injuries. Among children 0 to 4 years of age, the five factors contributed between 22 and 26.5% of all deaths and to 20% of all DALYs. Among those 5 to 14 years of age, the risk factors contributed to 42% of all deaths and to 31% of all DALYs. In the 15 to 19 year age group, they were responsible for 60% of all deaths and for 27% of all DALYs.

 つまり、欧州では毎年、環境要因によって19歳以下の未成年10万人が死亡、6億人が疾病している。0-4歳児に限定すると死亡の22-26.5%、疾病の20%。5-14歳では死亡42%、疾病31%。15-19歳では死亡60%、疾病27%になる。
 また、もう一方のWHO欧州報告ではこうある。

Injury is the leading cause of death among children and adolescents from birth to 19 years across the WHO European Region, with the highest proportion of deaths among teenagers (15-19 years). Up to 13 000 children aged 0-4 years die from particulate matter outdoor air pollution and 10 000 as a result of solid fuel use at home. In the same age group, lead poisoning is responsible for over 150 000 DALYs. In children aged 0-14 years, 13 000 deaths are due to poor water and sanitation. The table below shows the share of health impact from deaths and years of healthy life lost for each environmental risk factor, among children aged 0-4 years and 0-14 years.

 数字の上では、大気汚染と鉛害が注目される。欧州においてこれほど問題なのかというと、実はLancetの原論文にあたるをわかるが、この欧州にはトルコやカスピ海沿岸国も含まれている。もっとも、それによって統計が操作されているという意味ではない。あくまで事態は深刻だ。日本は少子化もあって子どもの問題に関心が向いているかのようだが、こうした問題はあまり取り上げられていないように思う。また、環境問題も特定の住民被害や温暖化など、企業ターゲットであったり、庶民生活の束縛など、政治的に偏向しているようにも思われる。
 私自身が今回の報告で特に気になったのは、一般的な大気汚染の問題ではなく、子どもの鉛害についてだ。この問題は米国では非常に大きな課題となっているのだが、米国民一般としては、漫画のシンプソンズでも皮肉っていたが赤ペンキやクレヨンなど画材色素の問題として見られがちで、ガソリン内の鉛についてはあまり言及されていないようだ。しかし、今回のWHO欧州では、ガソリン側に注目している。
 米国での他調査を見る限り、子どもの脳はかなり鉛に汚染されているようだが、私は日本でこの問題を重視しているケースを知らない。2ちゃんねるでも馬鹿にされるようなパソコンの弊害といったしょーもない話題が注目されているように見える。
 余談だが、そして、批判を含めている意図はないのだが、「通販生活」が最近、シーガルフォーを前面に出さなくなった。なぜなのだろうか? 代わりに出てきた浄水器の売り文句では有害ミネラルの除去が上げられているが、これに関係するのだろうか。私が簡単に調べた範囲では、シーガルフォーでは有害重金属を十分に除去していない。私の了解間違いであるかもしれない。また、シーガルではマシなのかもしれないが、簡易浄水器では銀が使用されている。銀の安全性については、異論や電波も多いのだが、このあたりの安全基準も気にはなる。

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2004.06.24

電子書籍が読書を変える?

 昨日のクローズアップ現代「電子書籍が読書を変える」(参照)は標題からも連想されるように、電子書籍と出版の状況について扱っていた。番組として面白かったかというと、よくわからない。つまらないわけでもない。コメンテイターとして出ていた佐野眞一も何が言いたいのかよくわからなかった。骸骨みたいな森村誠一が、携帯電話を使った読書を、ゲリラ的、とか言っていた。お笑い?
 番組を見てからいろいろ考えたのだが、考えがまとまらない。が、気にはなる。だから、今の自分の気持ちみたいなものを、たらっと書いておこうかと思う。
 クローズアップ現代では、話は電子書籍の技術革新というだけではなかった。それに絞ったほうがよかったのかもしれないとも思うが、それだと一般聴衆者の関心はひかないだろう。SONY愛好家の私としては、LIBRIe〈リブリエ〉(参照)が気になるが、最近は出不精なのでまだ現物を見ていない。自分の目で見ると、どんなものだろうか。松下のΣBook(シグマブック)(参照)にはあまり関心はないが、イカ・ディスプレイ(参考:「IBM ThinkPadの液晶に食べ物の 'イカ' を使用しているか」)も見てみたい気はする。
 リブリエはけっこう解像度も高く紙に近いんじゃないかと期待していたが、番組で見ていて、ふと思ったのだが、ちと持ちづらそうだ。Palm(参照)のようにはいかないのか。iPod(参照)でもそうだが、落としそうだなというのも、気になる。
 電子媒体のディスプレイについては、私はこれまでもいろいろ試してきた。Palmにも縦書きのソフトなどをインストールしたりした。で? なのだが、率直にいうと表示が汚くてあまり使う気にならない。だめなんじゃないか、この手の流用は、というのが私の印象だった。のだが、あれ?である。そうでもないか。
 番組で、携帯電話で読書というのをやっていた。冗談じゃねーよと思っていたのだが、試しに自分のN505iでやってみると、そう悪くない。それが、あれ?という感じだ。このしょうもないディスプレイで夏目漱石とか読むのだが、それはそれなりに夏目漱石だ。ちょっと退屈なおりには、こんなので暇つぶしというのはゲームなんぞするよりいい。使ったのは、「携帯書房」(参照)だ。テキストだけなら、FOMAでなくてもなんとかなる。試してミソ。
 ついでに、最新のT-TIMEでも買うかと該当ページ(参照)に行くと、T-TIMEはバージョン変わらずで、新しくazureというのがあるので試用したが、T-TIMEとの違いがわからん。青空文庫だけを読むには便利かもしれない。
  というあたりで青空文庫を見ていて、ふと新美南吉とか読んでしんみりしてしまった。クローズアップ現代でも言っていたが、電子書籍では、夏目漱石だのといった古典のニーズが高いそうだ。なるほどねとも思う。
 たらっとした電子読書の話のついでなのだが、私はSmartVoice 4 XP(参照)をよく使う。声質はNHKの水谷アナっぽい。朗読としては実用レベルになっている。MP3化もできる。
 クローズアップ現代では、電子書籍は出版の危機の対処というストーリーにしていた。たしかに、今の出版はすごいよなと思う。


『世界の中心で愛を叫ぶ』306万部、『バカの壁』350万部。歴史に残るベストセラーが相次いで生まれる一方で、出版界は未曾有の不況に見舞われている。売れ行きの悪い新刊は3ヶ月で店頭から消え、『収容所群島』や『出発は遂に訪れず』といった古典も次々と絶版となっている。

 「世界の中心で愛を叫ぶ」や「バカの壁」なんてどうでもいいけど、「収容所群島」「出発は遂に訪れず」はなかなかいいところ突きますな。このあたりの本は絶版といっても、古本でまだ買える。どっちも読んでおいたほうがいいぜと思う。「収容所群島」は長くてだめというなら、せめて「イワン・デニーソヴィチの一日」は読めよ。と、こういう本の価値っていうのをきちんと伝える人がいねーのが問題かもしれない。え?松岡正剛? そいつは、島尾敏雄とソルジェニーツィンを読んでいるのか? 
 出版は危機だとは思う。「世界の中心で愛を叫ぶ」や「バカの壁」が売れるっていうこと自体が危機だ。出版界が、本のマーケットをやめて音楽のマーケットを真似したのだ。が、そう嘆くこともないと思う。本に魂を奪われた畜生たちは意外にしぶとく地獄で生きるのだ。まずは貧乏地獄か。しかし我らが牧師、古本屋を信じよう。もっと古ければ青空文庫でなんとかする社会にしよう。「新潮」に連載されていた「本居宣長」だっても図書館に行けば、なんとか読める…はずだ。

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2004.06.23

「慰霊の日」に思う雑感

 今日は「慰霊の日」である。慰霊の日のことは書くのをやめようと思っていたが、なんとなく書く。
 小泉首相は、今日、国立沖縄戦没者墓苑で献花し「私たちはこの歴史を後世に語り伝えるとともに、2度と悲惨な戦争を起こしてはならない責務を負っています」とあいさつしたそうだ。カート・ヴォネガットふうに言えば、他に何を言えばいい?
 慰霊の日は、日本軍の組織的戦闘が終結した日だと言われている。嘘である。組織的な戦闘はその後も続いた。沖縄戦が終結したのは本土より遅れて9月に入ってからだ。琉球列島守備軍が嘉手納米第10軍司令部で正式に降伏文書に調印したのは、9月7日。沖縄の慰霊の日はこの日に移すべきだと思う。
 じゃ、この23日って何よ?であるが、日本軍第32軍司令官・牛島満中将と同参謀・長勇中将が糸満の摩文仁で自決した日だと言われている。嘘くさい。22日じゃないのか? 私は沖縄でいくつか資料を読んだ。23日であるかは疑わしいと思った。こうした儀礼的な史実はかなり疑わしいものが多いのではないか。広島原爆投下が8時15分というのも本当なのか? (「原爆は本当に8時15分に落ちたのか」
 22日説が強いのに、なんで23日が「慰霊の日」となったのか? 答えは、ちょうど6月23日が本土の安保デーだったからだ。本土左翼の運動デーを沖縄に持ち込んでいたので、それに近い日付をかぶせたのだ。それ以前の沖縄では本土から分断された4月28日を沖縄デーとして社会運動をしていた。
 いったい、慰霊の日というが、23日以降も沖縄の民間人は殺され続けた。なのになぜ本土の軍人への慰霊が先行するのか、私はまるで理解できない。節目? それは間違った節目じゃないのか。
 沖縄戦では二十数万人が戦死したと言われている。どうやって推定したのか知って私は唖然とした。戦前の人口引くことの戦後の人口である。私が間違っているのかもしれない。しかし、私は、どの戦闘で何人死んだというのが積み上げられて、つまり、加算によってこの数値に至っていたのだと思っていた。そうではなかった。どこでどのようなかたちで沖縄の人間が殺されていったのか、いまだにきちんと調べられいないのだと思った。そう知ったとき、なんか、泣けた。おかしいじゃないか。二十数万人が死んだというなら、万単位の人が死ぬ戦闘、千人単位の人が死ぬ戦闘などが、具体的どの地区の戦闘で、どこの聚落の人であったかなどが推定されるべきではないか。もちろん、私が無知なのかもしれないとも思う。だが、沖縄で8年暮らし、折に触れて調べたがわからなかった。それどころか、未だ遺骨が収集されていないガマの存在を知って驚いた。
 先日(3/16)、NHKの「その時歴史が動いた」の「さとうきび畑の村の戦争~新史料が明かす沖縄戦の悲劇~」(参照)では、23日以降の沖縄戦を描いていた。


●その時を、「昭和20(1945)年9月7日 沖縄戦が公式に終結(沖縄戦降伏調印日)」としたのは?
「沖縄戦終結の日」は、牛島満司令官が自決し、日本軍の組織的戦闘が終了した6月23日、アメリカ軍の沖縄戦終了宣言がなされた7月2日、そして日米両軍の司令官が調印をおこなった9月7日、の3通りが考えられます。
国際法上は、両軍の調印をもって戦争の公式な終結としますが、6月23日は「沖縄慰霊の日」ともなっており、この日が「沖縄戦終結の日」という印象が強いかもしれません。
今回の番組では、以下の理由から9月7日を「沖縄戦終結の日」とし、「その時」としました。
①沖縄県が、9月7日の降伏文書調印を、「沖縄戦の公式終結」としていること。
②同様に、沖縄県の施設である「平和の礎(いしじ)」では、沖縄戦の期間を「昭和20(1945)年3月23日から、9月7日」としていること。
③取材した中に、8月の末まで戦闘を続行していた方がいらっしゃいました。牛島司令官は自決する前に、最後まで戦うよう訓令していたため、「組織的戦闘」は終了しても、部隊ごとに抵抗を続けていたのです。
この方の所属していた部隊などが武装解除に応じた結果、9月7日の降伏文書調印となったので、この方のご体験を描く意味でも、9月7日をその時としました。

 基本的には正しい。そして、新資料をもとに23日以降の沖縄戦を描いてたのだが…。

●新たに発見された日本軍の作戦文書とは?
アメリカ国立公文書館(新館)に所蔵されています。一般閲覧も可能です。
請求番号は、RG407/ENTRY427/BOX5352です。
アメリカ軍が戦場で入手し、翻訳した物です。発見したのは、関東学院大学の林博史教授です。
史料名・内容は以下の通りです。

① 「日本軍の防衛召集計画」(中部地区、昭和20年3月6日)
日本陸軍第62師団が、管轄している村ごとの割当数を示した召集計画表。
待機者6940名に対して、5489名を召集する「根こそぎ動員」だったことが判明した。
② 「西原地区における戦闘実施要領」
奇襲攻撃の際の注意事項が記されていた。
例として「服装においても話し方においても現地住民のように見せかけることが必要である」(放送)、
「住民の服を借りてあらかじめ確保せよ」(放送)、「一案として方言を流暢に話す若い兵を各隊に一人割り当てよ」(放送せず)、「攻撃の案内として現地住民を連れて行け」(放送せず)など。


 沖縄戦というが、この番組で描いたのは「西原地区における戦闘実施要領」のみであり、史実としては、そこに限定されていた。

●西原村の犠牲率47%
人口10881人の内、5106人が犠牲になりました(「西原町史第3巻 西原の戦時記録」より)。

 約五千人についてはわかった。でも、他はわからない。他も積み上げていかなくてはいけないのだと思う。
 なお、番組を見ながら思ったのだが、NHKの取材班は西原町の資料だけを当たっていて、他の南部住民の動きを総合的には理解していない。私は現地の人から実際に聞いて、この番組とは違う住民の動きなども知っている。
 話を少し戻す。先にNHKではこう触れていた。

沖縄県の施設である「平和の礎(いしじ)」では、沖縄戦の期間を「昭和20(1945)年3月23日から、9月7日」としていること。

 では、そこに刻まれている戦死者はこの期間の戦死者だろうか? 違うのだ。また、戦死者名は地域分類と役職分類があり、オーバーラップはどのように排除されているだろうか?
 私はたぶん、その真相を知っているが、ここには書かない。「平和の礎」に行って調べれば誰でもわかる。
 沖縄戦は知れば知るほどわからなくなる。
 話は少しそれるが、先日の、6月7日、宮城悦二郎元琉球大学教授が肺癌で亡くなった。米留組で、米軍「星条旗」の記者となり、73年に大田昌秀現参院議員に誘われて琉球大に来た。90年に法文学部教授に就任。英語の授業は新聞英語が主体だったという。学問的には沖縄の米軍占領史を専門とした。なんどかお会いしたことがあるが、私は、うかつにも彼が名護の生まれであることを、訃報で初めて知った。名護んちゅうだったのか。だったら、訊きたいことがあったに…、いや、まだ生きていて欲しかったと悔やまれた。

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2004.06.22

米国会議員が統一教会文鮮明の戴冠式に参加していた

 事件と言っていいのかよくわからない。話は、統一教会(正式名世界基督教統一神霊協会、国内団体呼称は統一協会)創始者文鮮明(Sun Myung Moon)とその妻韓鶴子(Hak Ja Han)が、3月23日に米国ダークセン下院オフィスビルで、米国下院議員を集めて戴冠式を行っていた、というのだ。
 なんだそれ?という感じがしてもしかたがない。なにより、戴冠式ってなんなんだ? ということなのだが、写真を見れば、まず感覚として、その異様さはわかるかと思う。

Moon_Crowned_by_US_Congressmen
文鮮明戴冠式
 話のネタ元はsalon.comの記事"Hail to the Moon king"(参照)だが、これを書いたジャーナリストJohn Gorenfeldはこの問題を自身の課題としているらしく、そのサイトに特設ブログ"Where in Washington, D.C. is Sun Myung Moon?"(参照)を設けている。Wiki"Sun Myung Moon"の項目(参照)にこの写真を提供したのも彼で、また今回の件を追記したのも彼のようだ。ことの詳細を知りたい人は以上のリンクを当たってもらいたい。
 Salon.comの記事"Hail to the Moon king"だが、このタイトルがふるっているので、私がわかる限り少し補足しておきたい。"Hail to"は古い英語の言い回しならHail to you.(ようこそ)とかHeil a waiter(ウエイターを呼べ)みたいなのもあるが、現代的に連想されるのは、"Heil Hitler"(ハイル・ヒットラー)だろう。つまり、the Moon kingに忠誠を誓うということだ。で、the Moon kingだが、直訳すれば「月の王」だが、これは文鮮明の文(Moon)を月に見立てた洒落だ。月のラテン系の語彙lunaticには「精神異常」の意味があるがMoonにも多少その含みは反映しているだろう。まとめると、タイトル"Hail to the Moon king"には、文鮮明を王として忠誠を誓う下院議員(衆議院議員相当)のおぞましさのトーンが秘められている。
 余談めくが、私が大学生のころ、同級生の米人は米国の統一教会員のことをMoonieと呼んでいた。今でもそう呼んでいるだろうか? この語もmoonyの洒落で、moonyには、夢見がちな、酔っぱらった、という意味合いがある。蔑称だと言ってもいいだろう。
 前フリが長くなったが、記事はこう始まる。

Hail to the Moon king
The deeply weird coronation of Rev. Sun Myung Moon in a Senate office building -- crown, robes, the works -- is no longer one of Washington's best-kept secrets.

By John Gorenfeld

June 21, 2004 | You probably imagine your congressman hard at work in the Capitol debating legislation, making laws -- you know, governing. But your newspaper probably didn't tell you that one night in March, members of Congress hosted a crowning ritual for an ex-convict and multibillionaire who dressed up in maroon robes and declared himself the Second Coming.


 リードでは、奇っ怪極まる文鮮明の戴冠式について、ワシントン(日本で言ったら永田町)は、もう隠しておくことはできないだろうとしている。米国の立法を担う下院議員が、カルト宗教とも見られる統一教会の総裁に忠誠を誓うという、そんな奇っ怪な儀礼に参加したということ事体、スキャンダルじゃないのか、というのだ。
 しかし、馬鹿はどこにでもいるし、日本の衆議院議員にもいる。そういう話なら、たいしたことでもない。1992年当時自民党副総裁だった金丸信も北朝鮮問題がらみなのか文鮮明と懇意にしていた。おぞましいやつはどこにも一人や二人はいる。私の当初の印象としては、今回の戴冠式というのも変な話だな、まるでインドの天才少年が癌の治療薬を発明したというようなビザールだな、というものだった。ビザールという線でいうなら、この記事にも引用されているが、文鮮明のこんな説教が最適だろう。

In a 1994 speech, he asked: "Do you like the smell of your husband's semen? Answer to Father. Does it smell good or bad? You may not like the smell of your wife's stool, but do you smell your own? Why don't you smell your own but you smell your wife's? Because you are not totally one."

 極東ブログはgooキッズでもフィルターアウトされていないという名誉もあって、この説教は、ちょいと訳せたもんじゃないが、これが真実の夫婦愛なのかスカトロなのかよくわからん。
 と、まるで笑い話のようだが、話を読み進めて驚いた。

What, exactly, drew at least a dozen members of Congress to Moon's coronation? (By the Unification Church's estimate, 81 congressmen attended, although that number is probably high.)

 下院議員が10人以上も参加していたようだ。ちょっとした一大勢力であり、また、この戴冠式が表のメディアでは隠蔽されていたことを考えに入れると、そりゃおぞましいという印象もあるだろう。
 このおぞましさは、もしかすると日本では、合同結婚式や霊感商法とかの問題に結びつくのだろうと思う。確かにこれも問題だ。メディアでは忘れ去れたようになっているが、いまだに社会問題ではある。「全国統一協会被害者家族の会」を元信者の家族らが設立したのは、昨年の11月のことだった。詳細は、「統一協会(統一教会)被害者家族の会Homepage」(参照)を参照してほしい。
 米国のジャーナリズムで今回の件がおぞましく受け取られるとすれば、その根にあるのはUPIの買収だろう。2000年5月15日UPI通信社は、その社名、ロゴ使用権、財産の一部を統一教会配下のメディア「ニューズ・ワールド・コミュニケーションズ」に売却された。UPIは独立性を持つ報道機関として維持されることにはなったが、名物記者ヘレン・トーマスは義憤と共にUPIを辞職した。この他、メディアと統一教会の関連は興味深いことがいろいろあるのだが、いずれせよ米ジャーナリストたちの統一教会への警戒感は強い。
 さて、冒頭、私はこれは事件なのかよくわからないと書いた。実際、事件だとは言い難いように思う。統一教会というものの最近の動向を日本社会にも喚起しておきたいという思いもあるが、率直に言うと、今ひとつわからないなという印象はある。
 私としては、統一教会という問題もだが、文鮮明の強力な支援者である下院議員Danny K. Davis, D-Illが関わる"Ambassadors for Peace"によるエルサレム・ツアーに関心を持った。まだ十分に調べていないのでハズシかもしれないが、先日NHK特集「エルサレム」で見た、米国エバンジェリック(福音派)のエルサレム・ツアーはこれではないのか? だとすれば、こいつらが、パレスチナ問題を一層複雑にしているように思えるのだが。

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2004.06.21

米軍はドイツからも撤退する

 どうも世界情勢がきな臭い。なにが起きているのか、なにが起きつつあるのか。うまくとっかかりが見えないのだが、まず、イラク状勢から。
 日本ではイラク状勢を「泥沼化」と見る向きが多い。が、泥沼化議論者は、サドル派がイラク国民の反米感情に乗っていっそう過激化するというようなスジだったのじゃないか。はずれ。
 イラクの主権委譲を前にして、パイプラインへの破壊が烈しくなった。もちろん、これも泥沼化と見ることもできるが、とりあず冗談としておこう。事態について、産経系「アラウィ首相 石油施設の防衛宣言 パイプライン相次ぐ破壊 部族に監視を要請」(参照)をひく。


【バグダッド=加納洋人】イラク暫定政権のアラウィ首相は十九日、北部や南部の油田地帯で、石油パイプラインへの破壊活動が頻発していることに関し、「これまでに十億ドル(約千百億円)の被害が出ている」と述べ、「石油施設攻撃はイラク人に対する攻撃に等しい」として、石油施設の防衛を宣言した。全国の部族にパイプラインの監視を要請するほか、二万人以上のイラク人治安部隊を動員して警備にあたる。

 記者はパイプライン攻撃の背景は不明としながらも、石油産業に攻撃し、暫定政権への復興資金の流入を阻止することがテロ組織の狙いと見ている。妥当な見解だろう。日本人としては脊髄反射的に世界市場の石油はどうなるかと不安になるかもしれないが、地政学リスクが投機に拍車をかけるとしても、現状のイラクの石油産出量では世界市場に大きな影響力を持たない。
 また、テロ組織というと、日本人には、例のズッコケ三人組に顕著だがイラク国民のレジスタンスだとか戯けた意見もある。暫定政権は傀儡だとしても、石油は国富なのだからそれを潰すことがレジスタンスになるわけもない。むしろ、イラクの地に民主国家ができることは近隣中東諸国にとって脅威であり、その意味で、イラクの混乱を起こすテロ組織と各国政府は意外にグルっぽい。例えば、salon.comで読んだAP系"Al-Qaida site says Saudi police helped in abduction"(参照)では、最近のサウジの米国民ターゲットのテロの裏をほのめかしている。

June 20, 2004 | RIYADH, Saudi Arabia (AP) -- Al-Qaida militants disguised in police uniforms and cars provided by sympathizers in the Saudi security forces set up a fake checkpoint to snare the American engineer they later beheaded, according to an account of the operation posted on an Islamic extremist Web site Sunday.

 これがサウジ政府の遠隔部分での問題なのか中枢に関わるのかまではわからないが、胡散臭さにはたまらないものがある。こうした問題を機に、米国はサウジ在留の米人の帰還を勧告し、サウジ政府側はそれはやめてくれ、とすったもんだしているようだが、このあたりも胡散臭い。米国はサウジに対して、そっちがテロを下っ端で使うなら、それ相応の圧力を上からかけてやろうということではないか。
 話を少し戻して、アラウィのスラップスティックも奇妙だ。ここに来て、急にパイプラインがやられるというのは、単純な話、米軍がさっと手を抜いた結果ではないか。とすれば、この事態は米軍の思惑通りのはずだ。陰謀論臭い展開になってしまうが、そういうことなんじゃないか。ついでにもう一つ言うと、イラクの石油は北部と南部に分かれるのだが、ここに来て北部攻撃があるのは、反クルド勢力であり、アラウィとしてもクルドはこの機に少し潰しておきたいということではないのか。というのもクルドは事実上独立の軍事力を持ちつつある。
 たるい話をひっぱったみたいだが、こうした背景にある米軍は何を志向しているのだろうか。
 話をイラクや中東から少し外し、NATOをめぐる先日のブッシュ・シラクの会談に移す。この会談はなんとも後味の悪いものだった。10日のロイター系「イラクへの介入、NATOの任務だとは思わない=仏大統領」(参照)をひく。

 [シーアイランド(米ジョージア州) 9日 ロイター] フランスのシラク大統領は9日、イラクに介入することが北大西洋条約機構(NATO)の任務だとは思わないと語った。

 シラクは米国の先手を打ったつもりだろうが、これはスカをくらうことになった。ニューヨークタイムズ"THE REACH OF WAR: SUMMIT POLITICS; BUSH DOESN'T SEE NATO SENDING IN TROOPS FOR IRAQ"(参照)をひく。

AVANNAH, Ga., June 10 - President Bush said Thursday that after two days of consultations with the leaders of France and other nations, he did not expect NATO to provide troops to bolster or replace American forces in Iraq. But he continued to press for a more limited NATO role in training Iraqis to take on the burden of security in their own country, if the new Iraqi government requested the help.

 ブッシュは逆にシラクのツラをひっぱたいて見せたわけだ。が、この米軍の強気の意味はなんなのだろう、と気になっていた。日本と限らず、米国でもそうだが、イラク戦争はついに米国の手に余るようになったので国際世界の援助を求める、というストーリーがマンセー状態になっていたからだ。だとすれば、日本自衛隊のような微々たる投入かつ戦力にもならんものよりもNATOの協力を仰ぎたいと見るべきではないか。ブッシュはただの馬鹿な強気か?
 このあたりの問題はロサンゼルスタイムズの記事"Bush: NATO Should Help Train Iraqis"(参照)の記事のように、ブッシュの本音はNATOを出してほしかったはずだ。

SAVANNAH, Ga. President Bush said today that any NATO role in Iraq's security would involve training rather than a deployment of troops to carry out operations there, and that the Iraqi government would have to request the training mission.

 だが、ここに来てこの裏の動きが見えてきたように思える。まず、切り口はガーディアン"3,000 more UK troops for Iraq"(参照)が示唆深い。

・Nato force to be deployed to bolster new government
・ Bloody career of al-Qaida's leader in Gulf

Richard Norton-Taylor and Ewen MacAskill
Saturday June 19, 2004
The Guardian

A Nato force including up to 3,000 British troops will be deployed to Iraq to support the vulnerable new government as it takes over the running of the country, under a plan being drawn up in London and Washington.

The force would consist of Nato's Allied Rapid Reaction Corps, based in Germany under the command of a British general, Sir Richard Dannatt, reinforced by a British battle group.


 ここでは話の主人公は英国ではあるのだが、NATOの看板を掲げないものの、英軍を中核とする三千人の部隊を主権移譲後のイラクへ派遣する計画を立てているというのだ。しかも、この部隊は、ドイツに駐留するNATO緊急展開部隊だ。
 事実上、米英だけでNATOを動かすというのもなんだが、まずドイツからNATO軍を引っこ抜くのだ。ピクミンじゃないがNATOは引っこ抜かれても、「あなたのもとについていくわ」ということだ。
 話が前後するが、14日のニューヨークタイムズ"Military Bases in Germany"(参照)の話が、一連の動きにとどめを刺している。

The Pentagon is proposing sharp cuts in U.S. forces in Germany, which for more than half a century has been America's biggest military outpost in Europe. It's a bad idea, particularly at a time when the United States is struggling to rebuild its relations with its NATO allies.

Washington is hoping to cut its military presence in Germany - a little more than 70,000 soldiers - roughly in half. Two heavy divisions now based there, and the soldiers' families, would return to the United States. They would be replaced by a much smaller light combat brigade, while other units would be rotated in and out, at considerable cost, for short-term exercises. The Air Force is also thinking of moving some of its F-16 fighter jets from Germany to Turkey, where they would be closer to Middle East trouble spots but subject to restrictions by the host government.


 ドイツから米軍を大量に引っこ抜くというのだ。もちろん、冷戦後という理屈は大筋ではあるが、これは、ようするにドイツへの報復だ。

Many Germans, remembering Defense Secretary Donald Rumsfeld's scornful "old Europe" put-downs of their country last year, will see these withdrawals, and the accompanying German job losses, as payback for Berlin's diplomatic opposition to the invasion of Iraq. Washington denies that. But the Pentagon does seem to have a growing preference for stationing troops either at home or on the territories of allies ready to embrace President Bush's notions of unilateral preventive war.

 やるよな、ラムズフェルド。ちょっと暴言のようだが、フランスがいくらEU帝国の冠たらんとしても、ドイツの協力がなくてはやっていけない。シラクがNATOを仕切るようなそぶりを見せるなら、誰が主人か教えてやろうというのが、ラムズフェルドの思惑なのだ。
 まいったな、である。もちろん、以上のような話はそれほど陰謀論でもないし、日本の外交筋はさっさと読んでいるのだろう。これじゃ、純ちゃんブッシュの尻舐めてください外交になるよな。韓国も米軍撤退でキンタマ縮んだし、というか、現状の人質事件でその縮み具合がわかる。
 このストーリーというのは、イラク戦争前のネオコンのビジョンと何か変わりがあるのだろうか。ないんじゃないか? ネオコンっていうのは、ある種の思想集団であり、その思想はつまりは、黒幕がどうたらというと言う問題ではなく、まさに米国の思想なのだろう。
 私は、糞!と言いたい。八つ当たりである。

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2004.06.20

日本ではハイジャックされた飛行機は撃墜されるか

 もう少し考えてから書くといいのだが、取りあえず気になるので書いておきたい。9.11テロを検証する独立調査委員会が開催した公聴会報告書に関連した話だ。
 この報告書について、日本での報道を見ていると、イラクとアルカイダは無関係で、いかにブッシュが極悪なやつか、みたいなことに論点が置かれていたように思う。しかし、いくら阿呆なブッシュでも、また直接的なつながりがあると確信しつつも、その事実認識の部分まで誤ったものではない。彼の弁解はそう嘘でもない。なにより、イラク攻撃はあくまで米国の国策であり、この国策の是非は大統領に任されていると考えるのがまず大筋だろう。
 と書くと、私がブッシュを弁護しているかのごとく誤解されるが、そういう左翼的な空気にはうんざりする。ついでなので言うが、NHKと朝日新聞は一貫して国連疑惑にはほとんど触れていない。おかしいんじゃないか。イラク戦争がなければ、仏露はいかがわしくイラクを搾取し続けたのであり、しかも国連ですらグルだった。名目上であれ、石油歳入権がイラク国民に戻ったことは、米国には皮肉な、また課題の残る結末だっただろうが、自由世界にとっては意義のあることだったと私は思う…と書いても、陰謀論か米国支持にしか聞こえないのだろうか。なお、まったくこの問題に触れていないわけでもないのは、朝日新聞系「国連のイラク支援不正疑惑でエクソンモービルを調査」(参照)でわかる。しかし、とりあえずその問題はどうでもいいとしよう。まだ本丸である仏露を締め上げているわけでもない。
 今回の報告書のニュースを読みながら、あれ?と思ったのは、乗っ取られた飛行機を撃墜できたか云々のくだりに関連した部分だ。18日のロイター系「米同時多発テロの独立調査委、防空態勢の不備を指摘」(参照)では、こう伝えている。


 報告書によると、チェイニー副大統領は一時、自身が下したハイジャック機撃墜命令により、数機を撃墜したものと勘違いしていたという。
 ハイジャック機が最初に世界貿易センターに激突した7分後に、戦闘機が飛び立ったものの、軍幹部らは他のハイジャック機を阻止するための十分な通告を受けていなかったという。
 特に非難を受けているのは、連邦航空局(FAA)で、北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)司令官は、FAAが知りえた情報全てを即座に軍司令部に報告していれば、戦闘機はハイジャック機を撃墜できた可能性があるとしている。

 このニュースは日本でもよく報道されたので記憶に残っている人も多いと思うが、私が、あれ?と思ったのは、「それって、じゃ、撃墜すればよかったのか?」ということだ。
 日本の状況に即して考えると、このあれ?感がわかってもらいやすいだろう。つまり、日本で飛行機が乗っ取られ、国会などにつっこみそうだ、というとき、日本の首相は撃墜命令を出すのか?
 ものごとのスジで考えていえば、そうするしかないだろう。しかし、日本の首相にそれができるのだろうか。また、安全とは、そうすることなのだろうか?
 あれこれ考えてみるのだが、というか、自分がそういう立場にあったとき、日本人的な心情でどういう行動を取るかとすれば、南国から鉄人28号を乗せたロケットのときと同じように(冗談)、つっこみそうな所の人を待避させ、あとは、乗っ取り飛行機とひたすら「対話」を試みる…フリをするだろう。撃墜しても乗客は死ぬのだし、万一で説得できれば、乗客は救えるという賭けと見れば、こっちのほうがリターンの確率が高い。で、いいのか?
 報告書と自分の感覚のズレは、朝日新聞系「同時多発テロ、4機目墜落後に撃墜命令 調査委報告書」(参照)にも感じられる。

 報告書は、連邦航空局や北米航空宇宙防衛司令部が、かつてない事態に有効な対応ができなかったと指摘。また、4機目は、テロリストが占拠した操縦席に乗客が突入していなければ、ホワイトハウスか米連邦議事堂に突っ込んでいた可能性があり、「米国は彼らに助けられた。彼らの行動が大勢の人命を救った」と称賛した。

 すらっと読むと、自分の命を犠牲にしてまで行った英雄的行為のようだし、また、スジを通して考えればそうだ。しかし、日本人大衆としての自分の感性からすると、そこまでの正義感はない。以前、少年がバスジャックした事件などはこのまったく逆だった。男が三名も意を決すれば少年など叩き潰せるだろう、というか、米人ならそうするだろう。が、日本では、いい大人がこっそり抜け出したりということすらする。
 VOAニュース"9/11 Commission Says US Air Defense was Overwhelmed on Day of Attacks"(参照)では、こうした事態に米国は対処できるとした発言を掲載している。

Air Force General Richard Myers is chairman of the military Joint Chiefs of Staff and had this to say.

"And as you know, our posture today is quite a bit different as we look at this threat and other potential threats," he noted. "So we have improved our communications and we have refined our procedures, both with the White House and with the FAA and those procedures are in effect and are exercised."

And the commander of the North American Aerospace Defense Command, General Ralph Eberhart, said the changes made in communications, preparation and training would mean a different outcome if the same attacks were attempted again. "Because of the fixes, the remedies put in place, we would be able to shoot down all three aircraft, all four aircraft," he said.


 つまり、今度は、乗客一蓮托生で撃墜できますよ、と。だから安心してくださいということなのだ。で、私はなにに逡巡しているのかと自分を疑問に思う。このあたりの答えがうまく出てこない。ばっくれて言えば、所詮、他人ごとである。
 話が少しずれる。こうした撃墜命令以前に、日本ではこうした事態を察知できるのだろうかと疑問に思う。話がうざったいので、端的に言えば、こうした事態の際、「横田空域」はどのような意味を持つのだろうか?
 現状の横田空域はどの程度なのか調べ損ねているが、10年前は、横田空域は、「羽田空港の空域の西側に接する形で、北は新潟県内から南は伊豆半島、西は長野県・松本まで広がる高度二万三千フィート(約六千九百メートル)以下の広大な空間で在日米軍第五空軍司令部が管轄」(読売1992.3.3)だったが、これが1割程度削減された。ということはあまり削減されていない。その後、削減された話も聞かない。
 常識的に考えれば、在日米軍第五空軍司令部がまず初動するはずだ。そして、それは基地攻撃の可能性を含むから、米国流に撃墜するしかないだろう。ということは、官邸ではすでに撃墜是認のストリーができているはずだ。
 なお、同じ話は嘉手納ラプコンにも関係するがこちらは北朝鮮も絡んでいてさらに難しい。なにかの機会に書きたいのだが、というか、嘉手納ラプコンを知らず観光沖縄に浮かれている日本人は恥ずかしいと思う。

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2004.06.19

女の子の喧嘩には科学的に見て特徴がある

 当然とも言えるのだが、佐世保小六女児殺害事件に対するメディアのヒステリックな反応は終わりつつある。精神鑑定に持ち込むことでメディアから遮断し、人の噂も75日ということだ。イラク日本人人質事件も「新潮45」6月号で奇妙なルポが掲載されたが、もはや終わった話題となった。かくして本質的な考察は忘れ去れられ、類似の、あるいは、より悪質な問題が継続する、と偉そうに言ったものの、よくわからない。社会的な忘却は、社会精神の自浄作用なのかもしれない。
 佐世保小六女児殺害事件について、私は文書報道を除いて、NHKの報道番組以外は見ていない。が、気になるのは専門家からのコメントがなかったように思えることだ。あるいはあったのだろうか。あまりに馬鹿馬鹿しいコメントで私の脳がスルーしているかもしれない。少なくとも、私の意識にはなにも残っていない。精神医学関連の専門家はなぜ沈黙しているのだろう。メディアがあえて出さないようにしているのだろうか。私は、奇妙だと思う。
 少年・少女の行動は米国ではきちんと医学の類縁で扱われている。そして、そうした医学成果は、大衆向けには健康情報の一貫として扱われる。
 日本では、健康情報というと馬鹿げたテレビ番組の話題か、栄養士や医者の医学ぶった、戦前の医学かよと思われる旧態依然としたコメントくらいなものだが、健康というのは、養生法だの子どもの知能面の速成に限らない。
 ぼやきはさておき、この分野の専門誌" Archives of Pediatrics & Adolescent Medicine"の最新号(6月号)に気になる研究発表があった。例によってアブストラクトしか見ていないのだが、日本のこの分野の専門家は当然読んでいるだろうから、なにかしら社会的なコメントを出してしかるべきではないかと思う。
 発表標題は"Characterization of Interpersonal Violence Events Involving Young Adolescent Girls vs Events Involving Young Adolescent Boys"(参照)と簡素なもので、試訳すると「青少年期の対人暴力の男女差の特徴」となるだろうか。一般的な言葉でいえば、子どもの喧嘩に男女差がある、ということだ。
 このテーマが研究される背景はこうだ。


Background
Multiple studies have demonstrated that girls are engaging in interpersonal violence. However, little is known about the potentially unique aspects of violent events involving girls.

 当たり前と言えば当たり前だが、まず、女の子といえども喧嘩はする。しかし、女の子の喧嘩というものがどういうものかは、医学・心理学的にまだよくわかっていない、というのだ。
 馬鹿馬鹿しいこと言うよな、そんなの世間を生きる経験や文学でわかりそうなもんじゃないか、とも思うのだが、米国科学の良いところは、こういうゼロから考えるところだ。余談だが、大学の教科書などでも、ほんとゼロから書いてあるものが多い。ちゃんと読んで演習すれば実力が付くようになっている(演習がポイントなんだけどね)。
 研究目的も単純だ。

Objectives
To describe characteristics of interpersonal violence events in preadolescents and young adolescents and to determine if events involving any girl are different than those involving only boys.

 というわけで、女の子同士と男の子同士の喧嘩の差異を調査しようというわけだ。
 実験のデザインと結果も、アブストラクトには掲載されているが、率直に言って、たいしたものではない。エンロールも190名と少なく、これではちょっとした学部の卒論といった感じもある。しかし、だからといってこの調査が無意味というわけでもない。
 結果もあたりまえと言えばそうなのだが、きちんとこう言われると興味深い。

Conclusion
Violent events involving preadolescent and early adolescent girls are more likely to be in response to a previous event and to involve the home environment and family member intervention. Health care professionals should screen violently injured girls for safety concerns and retaliation plans and consider engaging the family in efforts to prevent future events.

 ここは意訳しておくほうがいいだろう。率直に言って、想定されている事態はかなり、現実的な暴力を含んでいる印象はある。

結果
前青年期および初期青年期の少女間で起きる暴力行為は、男子に比べて、単独で発生するというより、前回の暴力行為の続きとして起きる傾向がある。また、この暴力行為は家庭環境や家族による介入(その場の仲裁)を巻き込む傾向が強い。青少年の健全育成に関わる専門家は、安全を重視し報復を避けるために、暴力によって負傷したことのある少女を保護すべきである。また、暴力再発を避けるために家族を含めての対処をする必要がある。

 訳が拙いので、想定されている事態はかなり実際的な暴力だとして、日本の状況とは違うのではないか、という印象を得るかもしれない。が、そうではない。Violent eventsを単純に暴力行為とすると、原義が損なわれやすい。端的には実際の暴力だが、心理面に関わる面もある。
 問題は、表層に現れる暴力行為ではなく、女子の場合の対人暴力は報復性が強いという心理的な特徴なのである。
 さて、こうしたことは、私の世間感覚からすると、日本では素では言えないかなという印象を持つ。言うとすれば、偽悪的に、「命の大切さ」みたいなどろっとした空気がよどんでいるよね、という感じだ。
 しかし、そんなことはどうでもいいのであり、問題はきちんと医学、心理学、つまり科学的なレベルで対応が可能だという点が重要だ。偉そうなことを言うとかえって無意味なのはわかるが、このこと、つまり、科学的な社会への対処というものが、日本の社会に決定的に欠けているように思う。
 くどいが言う。道徳のような訓戒ではだめなのは、日本の敗戦と同じだ。戦時、「日本は負けるでしょう」と言えない空気があり、そう言う人間を道徳的に罰して沈黙させた。そして、道徳「絶対勝つぞぉ」みたいなもので進めていく。それを「命の大切さを知らせる」と言い換えても、構造的にはなにも変わらない。
 今回の事件で、誰もが、「なぜ女の子が」と思ったはずだ。そして、この事件にはまさに、そこが問われてもいいはずだったが、戦中と同じような空気で日本社会はそこを封じている。
 個人的な印象だが、こうした女児の行動特性は、私は多分に文化環境によるものではないかと思う。つまり、生物学的な傾向ではないだろうと考えている。このアブストラクトの出だしにもあるが、我々の社会は、女児の暴力性を女児だからとして過度に抑圧するようにできているため、その自発的な制御が効きづらいのだろう。
cover
「ソロモンの指環」
 このあたり、ふと、コンラート・ローレンツの愉快なエッセイ(愉快すぎて今読むと恐怖でもあるが)「ソロモンの指環―動物行動学入門(ハヤカワ文庫 NF222)」のウサギの話を思い出した。たしか、狼とウサギとどちらが残酷に争うかという話だ。もちろん、動物だと本能的な行動特性ということになるが、人間の男女ではそうでもなかろう。
 え、その学生、「ソロモンの指環」を読んでない? ダメだなぁ、って、これを読ませない先生がダメっていうこと、さ。

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2004.06.18

Takeru "The Tsunami" Kobayashi(小林尊)こそ、国際的なセレブ

 サロン・コムに掲載されているAPニュースを読んでいて、一瞬、え?と思った。記事の標題は、"Wiry Japanese man ready for eating contest"(参照)。訳すと、「ひょろっとした日本人が大食い大会に備えている」でいいだろうか。なぜ、そんなものがAPニュースなのか? もってまわった言い回しのパラグラフを読み進めて、目が釘付けになった。


June 17, 2004 | Tokyo -- He's taken on sumo wrestlers. No contest. Former NFL star William "The Refrigerator" Perry, three times his size, took up the gauntlet. Not even close. Nobody, but nobody, can eat hot dogs like Japan's Takeru "The Tsunami" Kobayashi. And, once again, he's in training to devour the field at one of competitive eating's most venerable battles -- the annual Fourth of July hot dog wolfing contest on Coney Island.

 そ、それって、小林尊プリンスじゃん。
 数年前、アメリカのホットドック食い大会を制して世界をあっと言わせた、というのはなんとなく知っている。ちょっとぐぐると、「まろの杜」というサイトの「アメリカのPatriotismを刺激する日本人たち」(参照)というページが出てきた。そうそうこれだよ。
 で、この話は、2001年のこと。まだ、ナンシー関が生きていたころだ。彼女の絶妙なエッセイのおかげで、私もときたま、この手の大食い番組を見たことがある。彼女は死んだ。それから、この話題を私は忘れた。あれから毎年吉例でテレビで大会とかやっているのか? 知らん。
 が、だ、日本のテレビ向け大食い大会なんかどうでもいい。アメリカでは、やっていたのだ。どころじゃない、APのニュースを読み進めて、驚いた。小林尊プリンス、いや、アメリカでそう呼ばれているように「ツナミ」と呼ぶべきだろう、すごいよ、ってしみじみ思った。小林・ツナミ・尊、そう、Power Macintosh 9500/9600シリーズで採用されたロジックボードがツナミと呼ばれたのは、当時としては、そりゃ、ものすごい、からだ。
 今や、小林尊プリンスがツナミなのだ。まさに、日本を誇る日本人、だね。APニュースは、だから、正しく、セレブと呼んでいる。彼こそ、本物のセレブなのだ。

The best eaters, like Kobayashi, are celebrities. Hailed by his fans as "the prince of gluttony," the 25-year-old earned an estimated $150,000 in prize money last year.

 この日本の若者が、この三年間、アメリカ独立記念日を祝う愛国イベントの話題をさらっているのだ。
 大会を主催するIFOCEのサイト(参照)を見ると、小林尊プリンスはまさに殿堂入りの扱い。すげぇ。その勇者の一覧もすごいけど(参照)。
 同サイトに掲載されている歴史の話もよい(参照

In the United States, competitive eaters were dominant figures early in the 20th Century, when names like Charles Sylvester Carter and Stan Libnitz tripped off the tongue of any self-respecting sporting man. During the past decade the discipline has again risen in popularity in America, appealing to fans seeking a pure and fundamental sport.

 大食いっていうのはスポーツというわけだ。冗談ではない、きちんと安全も意識されている。

According to archives, the Fourth of July Hot Dog Eating Contest was first held in 1916, the year Nathan's opened on Surf Avenue. The contest has been held each year since then, except in 1941, when it was canceled as a protest to the war in Europe, and in 1971, when it was canceled as a protest to civil unrest and the reign of free love.

 まさに平和を祝うイベントでもある。今年の日本での予選については、ネイサンズのサイト(参照)に話題が掲載されている。
 と、話はここでずっこける。Takeru Kobayashiで英語のサイトをぐぐっていたら、"WHO2 Find Famous People Fast(有名人が即座にわかる)"の日本人ページ(参照)を見つけた(正確には日本生まれの有名人)。小林尊プリンスも当然含まれている。が、ちょっと呆れた。こ、こ、これが、有名な日本人なのか。
 リストしてみる。さて、何人わかりますか?

  • Asahara, Shoko (Kyushu)
  • De Havilland, Olivia (Tokyo)
  • Godzilla (Tokyo)
  • Hello Kitty (Tokyo)
  • Inoue, Harumi (Kumamoto)
  • Kobayashi, Takeru
  • Kurosawa, Akira (Tokyo)
  • Masako, Princess (Tokyo)
  • Noguchi, Thomas
  • Nomo, Hideo (Osaka)
  • Oh, Sadaharu (Tokyo)
  • Ono, Yoko (Tokyo)
  • Sailor Moon
  • Snowlets (Nagano)
  • Suzuki, Ichiro (Kasugai)
  • Tojo, Hideki (Tokyo)
  • Tomita, Tamlyn (Okinawa)
  • Yamamoto, Isoroku (Nagaoka)
  • Yukio, Mishima (Tokyo

 19人なので、famousなのかinfamousなのかわかんないがJunichiro, Koizumiでも下駄にして分母を20人として、さて何人わかります? っていうので、現代の国際感覚がわかるかもしれない。(オリヴィア・デ・ハヴィランドって大正5年の東京生まれだったのかぁ。山本夏彦翁の言う震災前の東京だな。)

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2004.06.17

参議院についてのたるい話

 参議院についてたるい話を書く。もともと私は参議院にお笑い集団以上の関心はない。普通に考えても無意味な存在だしな。だが、先日年金法案が参院に回ったときは、もしやという期待を抱いた。誰が考えても、っていうか公明党とかは除くが、あんな法案ダメに決まっている。厚労省はあとから出生率を出して国民の失笑を買ったが、国政をジョークにしてくれるよ、官僚。しかし、参院もまたジョークだった。むなしい。
 あたりまえことだが、参議院の「参議」という言葉は、広辞苑を見るに、字義は「朝議に参与する意」である。朝議は、これもあたりまえだが、「朝廷の儀式」である。参議の歴史的な意味は、その役職だった。


奈良時代に設けられた令外官。太政官に置かれ、大中納言に次ぐ重職で、四位以上の者から任ぜられ、公卿の一員。八人が普通。おおいまつりごとびと。宰相。

それが、表層を古代に模し、内容を欧米に模した明治時代にはこう変わる。

1869年(明治2)太政官に設け、大政に参与した官職。71年以降は太政大臣・左右大臣の次で、正三位相当。85年廃止。

 この役職が廃止になったのは、1889年(明治22)、憲法によって帝国議会として貴族院と衆議院ができたからと言ってもいいだろう。英国の真似っこである。夏彦翁風に言えば、サルがモーニングを着てみたようなものか。
 貴族院を構成していたのは、皇族と「公・侯・伯・子・男」の貴族。天皇を中心とする朝廷の儀式に参加するのは当然貴族である。戦前は字義通りの貴族院だったわけだ。が、これに、多額納税者、帝国学士院会員からの互選者、勅選議員がおまけになる。お恵みである。そんなところだ。こんな呑気な社会でやっていけるのは平時に限る。戦時にはちと変わり、役職としての参議がなぜか復活する。

1937年日中戦争下、重要国務を諮問するために近衛内閣が設置した官職。内閣参議。43年廃止。

 そんな貴族院の歴史はどうでもよかろうと思う人も多いかもしれないが、昭和32年生まれの私が子どもの頃はまだ「貴族様」という言葉にはかすかに意味の面影があった。貴族院を継いだ参議院も近年まで貴族院時代と同じ「公衆傍聴券」を使っていた。
 戦後、当然貴族院は廃止。GHQは、廃止は廃止だから、衆議院だけでいい、と当初想定したのだが、それが覆ったのは、歴史学者によっては、日本側が二院制を主張したからだとしている。
 私はちょっと疑問だな。日本国憲法の英文原点を読むと、nationとstateは使い分けられ、この用法は、どうやら日本国憲法が連邦憲法を想定したように思われるからだ。もう一つは、GHQは当初から天皇の残存を決めているので、英国のようにするのがいいと思っていたのではないか。
 いずれにせよ、GHQは考えを変え、「じゃ、二院でもいいかぁ」として、それなら、英国式に両院不一致の立法については、下院(衆院)で三回可決し、一年ほど経過したら、上院(貴族院・参議院)の決議にかかわらず成立としたらいいんちゃう、と思っていたようでもある。が、それも変わって、どういうわけか今のようになる。わけわからん。
 現行では、近代国家らしく、当然、下院(衆院)の優位がある。立法も下院=衆議院だけでできる。が、その場合でも衆院議員三分の二の多数を必要とするから、現実的には単独で立法はできない。週刊こどもニュースが以前子どもに嘘教えて謝っていたが、しかたない面はある。それと、余談みたいな付け足しだが、参議院にはなぜか首相の指名権がある。よくわからん。なにがよくわからないか? 憲法はどういう思想で参議院を規定しているのか、ということだ。
 先に日本国憲法はもともと連邦法ではないかと書いたが、基本的に二院制を取るのは地方の法の独立性が高いためでもある。連邦制国家である米国、ドイツ、ロシア、カナダなどは、下院が個々の国民を代表し、上院は各州を代表するようになっている。フランス上院はちょっと変わっていて、というかよくわからないのだが、下院議員と地方議員からなる選挙人団などによる間接選挙らしい。イタリアは、日本に似ているが両院は対等になっている。これもよくわからない。イタリアを理解しようとするのは無駄だが。
 とはいえ、こういうのは法理論上の問題ではなく、歴史の問題なのだろう。現在の世界の国の約六割は一院制と、むしろ二院制が少ないのだが、サミットなど自由主義側の主要国はみな二院制を取っている。残念なことは、日本のこの半世紀はその歴史になっていない、ということだろう。やめようぜ、と言ってもいいのかもしれない。
 たるい話はこれで終わりにしようと思ったのだが、ふと気になって、英辞郎で「参議院」の英語をひいてみる。やっぱり、"House of Councillors"、"Upper House"である(theが付くが)。で、"House of Councillors"の英語を日本語にすると、ちゃんと「参議院」に戻る。ふーん。ついでに「衆議院」は"House of Representatives"となり、逆引きすると、「衆議院、下院」になる。ちなみに、英語の上院は、"senate"である。対応しているのかどうか、これもよくわからない。制度が違うってことか。
 制度と言えば、米国の両院の上には大統領がいて、こいつがvetoつまり、拒否権を持つ。由来はラテン語の「私は禁じる」らしい。ローマ帝国の名残りというかパロディだ。vetoは元来ローマ部族時代の護民官が持つ権限だったが、帝国になり皇帝の特権となったものだ。まぁ、そんな歴史の話はどうでもいいが、英文を読んでいるとなにかと、vetoが出てくる。
 なんか、こーゆーvetoみてーなものは、日本人にはわかんねーよな、と思っていたが、今回の年金法案のような愚法を拒絶するためのものだろう。それが日本にはない。
 っていうか、こういうとき、近代市民はvetoの代わりに暴徒になってもいいんじゃないのか、って危険思想かね? 

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2004.06.16

米国「忠誠の誓い」はいかがわしくまだ続く

 米国の多くの公立学校では、星条旗を掲げて「忠誠の誓い」というのをするのだが、この文言に含まれる「神のもと(Under God)」という表現が、米国憲法の政教分離原則に違反しないかということが話題になっていた。もちろん、選挙がらみもある。これの関連で、14日(米国時間)、米連邦最高裁はひとつの判決を出した。が、話題の中心には触れず、原告の提訴の資格の有無という問題に絞り、原告にその資格がないとした。もともと「俺の娘にこんな誓いをさせるわけにはいかねー」というオヤジの戯言で、親権を分けるオッカサンは「これでいいのよ」という痴話に近い。いずれにせよ、結局、今回は「忠誠の誓い」はそのままということになった。学校行事も変わらない。もちろん問題がこれで解決したわけでもない。
 「忠誠の誓い」というのは、社会現象として見れば、馬鹿馬鹿しさも昨今の日本の日章旗にセットした「君が代」と似たようなものだが、似て非なる点は多い。どちらもしょーもねー愛国心教育のようだが、日本場合はもろに国家に結びつく。が、米国は愛国心には結びつくのは確かだとして、本当に国家に結びつくかよくわからないところがある。というのも、この問題は、以前サンフランシスコ連邦高裁で違憲判決が出ており、今回はそれを覆した形なのだが、米国憲法の原則から考えれば、サンフランシスコ連邦高裁に理があるだろうと、私なども思う。
 問題の「忠誠の誓い」だが、こんなものだ。


I pledge Allegiance to the flag
of the United States of America
and to the Republic for which it stands,
one nation under God, indivisible,
with Liberty and Justice for all.

試訳
私はアメリカ合衆国の旗と、それが表す共和国に忠誠を誓います。このひとつの共和国は神のもとにあり、分断されず、全ての者に自由と正義を伴わせます。


 阿呆臭いのがいかにもお子ちゃま向けというわけで(しかし、それをいうなら君が代はもっと阿呆臭いが)、小学校とかでは毎朝やらされるようだ。このあたりのようすは、たまたまぐぐったら、日本技術者がシリコンバレーで働くのを支援するためのNPO JTPAのサイトの「アメリカの小学校」というページで面白い話があった。

私のいた小学校では、毎朝Pledge of Allegianceをクラス全員で唱和していました。私は当初”indivisible(不可分の、一体の)”というのを”invisible(透明)”だと思い込んでおり、「神様だから目に見えないのかな」と妙に納得してそのまましばらく間違えつづけていたのですが、その後毎朝復唱し、しかもクラス全員を前にして各節をリードする、という月代わりの当番まで担当したため、すっかり記憶に焼き付けられてしまいました。

当時の私にとっては、毎朝繰り返される挨拶代わりのもの、という以上の実感はありませんでしたが、後になって考えてみると、幼い私は、毎朝星条旗に向かい、直立不動の姿勢で胸に手を当ててこれを唱える事により、「連邦」「(キリスト教の)神」「共和制」といった、「人造国家」アメリカをまとめるもろもろの原理への忠誠を誓わされ、同時に「自由と平等を実現した偉大な国家」であるアメリカという国、そしてその象徴たる星条旗に対する誇りを持て、と教え込まれていたことになります。加えて、週に一回(このへん記憶があいまいですが)は「星条旗よ永遠なれ」も歌っていました。


 米国ではそういう風景なわけだ。私自身はこの経験はないが類似の経験があり、ばつのわるい思いをしたことがある。
 「忠誠の誓い」の文言を私は阿呆臭いとけなしたわけだが、よく読むと含蓄はある。というか、この文言は変だ。愛国心だからとして読み過ごしがちだが、なぜこんな唱和を必要とするのかと考えてみると、必要だった時期がある。つまり、愛国心の危機から生まれているに違いないと考えればいい。
 すぐに思いつくのは、米国というのは今でも北部と南部に分かれた国家だということだ。先日「博士と狂人―世界最高の辞書OEDの誕生秘話」を読んで、しみじみ南北戦争の陰惨さに呆れたが、この歴史の傷跡は未だに消し去れるわけでもない。滑稽なのだが、大統領はなんとしても南部から出すぞ、という意気込みがこの季節になると感じられる。実際、歴代米国大統領は牛とかが似合う南部人ばっかり。というわけで、勝った北部が「おれたちゃ一つの国家だよ」というのだろう。"The Pledge of Allegiance"(参照)にはその変遷が書いてある。

I pledge allegiance to my Flag,
and to the Republic for which it stands:
one Nation indivisible,
With Liberty and Justice for all.
(October 11, 1892)

I pledge allegiance to the Flag
of the United States of America,
and to the Republic for which it stands:
one Nation indivisible,
With Liberty and Justice for all.
(June 14, 1924)


 この変遷を見てもわかるが昔は騒ぎのもとにある「under God」はなかった。ワシントンポストは、昨日の記事"Justices Keep 'Under God' in Pledge"(参照)でこの件にこう触れている。

Only three members of the court -- Chief Justice William H. Rehnquist and Justices Sandra Day O'Connor and Clarence Thomas -- commented on the constitutional issue that had made this one of the most intensely watched church-state cases in recent memory.

Each supported some version of the broader claim advanced by the White House and Capitol Hill in friend-of-the-court briefs: that "under God," which was added to the pledge by a federal law adopted 50 years ago yesterday, does not amount to a prohibited religious affirmation.


 いきさつはニューヨークタイムズの記事"8 Justices Block Effort to Pull Phrase in Pledge"(参照)がわかりやすい。

But in voting to overturn that decision, only three of the justices expressed a view on the merits of the case. With each providing a somewhat different analysis, Chief Justice William H. Rehnquist, Justice Sandra Day O'Connor and Justice Clarence Thomas all said the pledge as revised by Congress exactly 50 years ago was constitutional.

The law adding "under God" as an effort to distinguish the United States from "godless Communism" during the height of the cold war took effect on Flag Day - June 14 - 1954.


 要するに、このしょーもない文言は冷戦のために出来たわけで、もとから米国の理念でもなければ、連邦国家に関わることでもない。あえて言うなら、ごく私的な習慣ではないのか。
 あまり触れたくもないが、こいつを作り出したのはJames B. Upham and Francis Bellamyという変なやつらで、これがどのくらい変かというのは、"The Socialist Pledge of Allegiance"(参照)を見ればわかる。これって、ハイ○ヒッ○ラー、まんまじゃん。歴史的にも実は、一つの社会主義的なイメージから来ているのだろう。ナチズムというのも国家社会主義なのだ。
 関連のネタはまだあるのだが、話が長くなったのでやめたい。一つだけ余談だが、朝日新聞系「ソウルの小中高『気を付け』『礼』廃止へ」(参照)がおかしかった。韓国の話である。

学校の授業の始まりと終わりに「チャリョッ!(気を付け)」「キョンネ!(敬礼)」と学級委員や班長の号令に合わせて教壇に黙礼する小中高校伝統のあいさつを来月から廃止する、とソウル市教育庁が9日、明らかにした。

 そんなものさっさと廃止しとけよと思うが、そう言う資格は現代日本人にはない。もっとも、韓国でも、これを廃止すると三歩一礼みたいな前近代が吹き出すのかもしれないのだが。

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2004.06.15

日本の野球を変えてくれ

 今日の新聞各紙社説では、大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併の話が多い。といっても読売新聞にはこの話題はない。ナベツネの顔色をうかがう現状ではなにも書けっこない。朝日新聞は、それをいいことに、標題からもわかるが「球団合併――巨人を分割したら」というように、読売新聞へのおちょくりを書いている。社説でふざけるのもいいかんげんにせーよ。
 私は野球にはまるで関心がない。が、ちょっと気になることがあるので、書いておきたい。きっかけに毎日新聞社説「パ2球団合併 ファン不在許されない」をひく。


 プロ野球パシフィックリーグの大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併話が日本列島を駆け巡った。セ・パ12球団体制が定着して約半世紀。慣れ親しんだ2リーグ制は維持できるのか、これからも球団の合併や身売りはあるのか。国民の関心が高いプロ野球だけに、今後の協議を注意深く見守りたい。

 私のように野球に関心のない人間でも、この出だしは毒にも薬にもならないと思う。毎日新聞社説の話として意味があるのは次の点かな。

 この10年余の間、庶民が低成長やリストラにあえいでいる中、プロ野球の世界は、世間の常識からかけ離れた別天地の「金持ちゲーム」に狂奔した。


 プロ野球は、今回の合併を契機に、抜本的な改革に取り組むべきだが、一連の動きを見ていて痛感するのは「ファン不在」ということだ。プロ野球はファンがあってこそのビジネスだ。球団所有者の「経営判断」だけで物事を進め、ファンから見放されては、興行として成り立つはずがない。

 金持ちゲームと言われれば、なるほどそんな気もする。でも、それでもいいのではないか。というか、何が悪いんだか。気になるのは、「ファン不在」という点だ。「プロ野球はファンがあってこそのビジネスだ。」というのだが、日本の野球、というか、野球は日本にしかないのかもしれないが、ファンに何をしてきただろうか? 毎日新社説は「ファン不在」ということで何が言いたいのだろうか? ファンに見放されないように、プロ野球に何を求めているというのだろう? なんも書いてないけど。
 話を回りくどくする必要はないので、私が思うことを書く。プロ野球選手や球団は福祉サービスをせよ、である。球場があるからその地元なんじゃなくて、地元の病院回りとかきちんとせーよ、と思う。もちろん、今でもある程度やっていて私が知らないだけかもしれない。それにしても、アメリカと違い過ぎるじゃんと思う。
 例えば、River Catsというマイナーリーグのサイトには"River Cats Announce Dates For Sutter Health Summer Caravan"(参照)というページがあり、この球団の病院巡りキャラバンの情報が掲載されている。

WEST SACRAMENTO, Calif. -- The Sacramento River Cats announced today that they will begin their Sutter Health Summer Caravan through the Sacramento region on Tuesday at Sutter Memorial Hospital in Sacramento. The Caravan will include a total of six stops at different Sutter Health facilities in the months of May, June and July.

River Cats manager Tony DeFrancesco, catcher Mike Rose and outfielders Nick Swisher and Steve Stanley will join Dinger (mascot) at the Sutter Health Summer Caravan stop on Tuesday. They will sign autographs and visit hospitalized patients at Sutter Memorial Hospital from 10:30 a.m. to 12:30 p.m.


 病院巡りが吉例になっているのだ。Sutter Healthについてちょっと補足しておくと、これは、カリフォルニア州サクラメントの有名な医療組織ネットワークだ。もうちょっと引用したい。

The Sutter Health Summer Caravan is a great way for our players to meet their fans and put smiles on the faces of hospital patients,"River Cats President & Chief Operating Officer Alan Ledford said. During each of the last three years, we conducted a similar Caravan with Sutter Health during the winter months. This year, we decided to hold the Caravan during the summer so our players can see more people and visit more hospitals over a three-month span."

 私は政治的な発言では反米に見られたり親米に見られたりするが、こういうアメリカが大好きだ。"a great way for our players to meet their fans and put smiles on the faces of hospital patients"なんか、泣かせるじゃないか。こうした病院巡りのキャラバンは、球団選手が病院でファンに出会って笑顔を交わすのによいことだ、というのだ。そう、これがファン不在じゃない、ってことだと思う。
 病院巡りの他に、子どもとふれあう活動も活発にしている。それも大切なことだ。子どもが社会問題だというなら、地域のなかで球団が率先して関わってこいよ。
 このRiver Catsが気になって、もうちょっとついてぐぐっていたら、「車イス 世界のレジャー観戦情報」というサイトに「3A サクラメント リバーキャッツ」(参照)という楽しい記事を見つけた。

米国でスポーツの仕事に関わる友人が、メジャーリーグより、マイナーリーグのほうが
面白い。観客サービスがいいと強調していた。
日本では、マイナーリーグの情報なんてないので、半信半疑で訪れた。

 どんなふうに面白いかまで引用できないが、この感想は本当だと思う。

また、観客が早くに帰宅するのもマイナーリーグの特徴。
小さい子どもが多く見に来ることや、試合の勝敗にメジャーほどこだわらないのが理由。
野球に興味がない人でも、楽しみやすいのがマイナーリーグ。
娯楽としてのスポーツ観戦が、米国では都市から田舎まで、非常に充実しております。

とにかく、野球場にきて、こんなに笑い転げたのは初めて。
キャラクター・ショーかよと思ってしまうほど、ファンサービスが充実。
メジャー8球場、マイナー6球場を観戦したことがあるけど、
サクラメントがダントツで一番面白い野球場でした! 皆さんも体験あれ!


 私は、こういうのが野球じゃないかと思う。「フィールド・オブ・ドリームス」また原作「シューレス・ジョー」でも、「それを作れば彼はやってくる」というが「それ」っていうのは、こんな野球じゃないかと思うのだ。
 アメリカ独立リーグ所属、今関勝プロ野球投手のホームページでも興味深い指摘(参照)があった。

 当然、利益を上げることは大切なことですが、それだけでなく社会福祉、社会貢献、次の世代への野球の底辺拡大、理念があってリーグを運営しているように感じました。このあたりが日本野球界と、アメリカ野球界の最大の違いでは・・・・・?

 今後、日本の野球界が、このようなことを考えていけば、自然と良い方向に向かっていくのではないかと考えます。


 なるほどなと思う。
 私は野球に関心がないと書いた。そのとおり、今ではね。でも、私は物心付いたときから、野球を見ていた。「一番柴田」から「一番高田」になったアナウンスは心に焼き付いている。小学校5年生くらいか。金田が突然アンダスローを投げたシーンも覚えている。夏の夜は父親と延々とナイターを見ていた。
 そして、昼間は近所の高校の野球を見ていた。草野球と言ってもいいだろう。草原に座る観客はたくさんいた。あれが野球だと思う。懐古がよいと言いたいわけではない。でも、ああいう野球が野球だなと思う。
 最後に毒を吐く。全国高校野球選手権大会、そう甲子園なんて止めろよ。教育に百害あって一利なしだよ。それが無理なら、せめて、朝日新聞社は優勝校地元駅前の群衆に日本軍みたいな旗を配るのは止めてくれよと思う。醜悪過ぎ。

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2004.06.14

東京は今年も世界で一番生活コストの高い都市

 毎年吉例マーサー・ヒューマン・リソーシズ社による世界の都市の生活コスト・ランキング"Global Cost-of-Living Survey - 2004"(参照)が発表された。言うまでもなく東京は第一位である。生活していくのに一番金のかかる都市というわけだ。そして今回新しく二位に躍り出たのはロンドンだ。フィナンシャルタイムズ"Tokyo tops list of expensive expat postings"(参照)は、東京をdubious honourだと、おちょくっている。


Tokyo has retained its dubious honour as the most expensive city in the world for expatriates, with London leaping five places to clinch the number two spot.

 昔の大阪人なら、いらんこと言わんでもよろし、とか言うだろうか。かくいう大阪は昨年の三位から四位に落ちたが、大阪人の努力または脱力によるわけでもない。ようは、イギリスが変わったことだ。ポンド高なのだ。ロンドンが東京を笑う資格があるわけだ。ちなみに、50位までは次のようになる。けっこう含蓄深い。

04
03
city
04
03
1
1
Tokyo, Japan
130.7
126.1
2
7
London, UK
119
101.3
3
2
Moscow, Russia
117.4
114.5
4
3
Osaka, Japan
116.1
112.2
5
4
Hong Kong
109.5
111.6
6
6
Geneva, Switzerland
106.2
101.8
7
8
Seoul, South Korea
104.1
101
8
15
Copenhagen, Denmark
102.2
89.4
9
9
Zurich, Switzerland
101.6
100.3
10
12
St. Petersburg, Russia
101.4
97.3
11
5
Beijing, China
101.1
105.1
12
10
New York City, USA
100
100
13
17
Milan, Italy
98.7
87.2
14
21
Dublin, Ireland
96.9
86
15
13
Oslo, Norway
96.2
92.7
16
11
Shanghai, China
95.3
98.4
17
23
Paris, France
94.8
84.3
18
42
Istanbul, Turkey
93.5
78.8
19
34
Vienna, Austria
92.5
82.4
20
67
Sydney, Australia
91.8
73.7
21
41
Rome, Italy
90.5
79
22
48
Stockholm, Sweden
89.5
78.2
23
36
Helsinki, Finland
88.8
80.9
24
35
Abidjan, Ivory Coast
88.7
81.3
25
31
Douala, Cameroon
88.3
82.9
04
03
city
2004
2003
26
52
Amsterdam, Netherlands
88.1
76.8
27
22
Los Angeles, USA
86.6
85.6
28
58
Berlin, Germany
85.7
75.3
29
14
Hanoi, Vietnam
85.6
89.5
30
18
Shenzhen, China
85.6
86.7
31
29
Taipei, Taiwan
85.3
83.5
32
18
Guangzhou, China
84.9
86.7
33
40
Tel Aviv, Israel
84.8
79.1
34
37
Budapest, Hungary
84.5
80.2
35
25
Chicago, USA
84.5
83.9
36
16
Ho Chi Minh City, Vietnam
84.5
88.5
37
25
Beirut, Lebanon
84.3
83.9
38
30
San Francisco, USA
84.3
83
39
66
Luxembourg
84.3
74
40
63
Dusseldorf, Germany
84.3
74.2
41
74
Glasgow, UK
84.1
72.3
42
65
Frankfurt, Germany
84
74.1
43
62
Munich, Germany
84
74.4
44
56
Bratislava, Slovak Republic
83.9
75.7
45
38
Jakarta, Indonesia
83.9
80
46
32
Singapore
83.6
82.8
47
56
Dakar, Senegal
83.4
75.7
48
27
Riga, Latvia
83.3
83.7
49
49
Prague, Czech Republic
83.3
78.1
50
71
Athens, Greece
82.9
72.9

 今年の調査の特徴はマーサー・ヒューマン・リソーシズ社"Tokyo and London are world’s most expensive cities; Asuncion in Paraguay is cheapest"(参照)によれば次のようになる。


  • Tokyo and London are world’s most expensive cities; Asuncion in Paraguay is cheapest
  • Three of the five cheapest European cities are in countries that recently gained EU accession
  • Australian and New Zealand cities rise steeply in rankings due to appreciation of currencies against US dollar

 オーストラリアとニュージーランドが対ドルの関係で注目されているということは、皮肉に言うなら、こうした都市間の比較は、ある一定以上の水準を持つ都市なら、経済圏と通貨に依存しているだけのことなのだろう。先のフィナンシャルタイムズは、さらにもってまわった皮肉を言っているのかもしれないが、東京の暮らしだって給与が現地通貨ならさして問題ないと指摘している。

But foreigners living in Tokyo need not despair. Marie-Laurence Sepede of Mercer said that by custom executives posted overseas tended to be given full compensation by their employers for higher living costs.

She pointed out that they could take advantage of expat pay systems by buying local goods in places such as Tokyo, where what is produced at home is often considerably cheaper than what is imported.


 案外そうなのかもしれない。特に輸入品の扱いが気になる。というのも、今回の調査で、韓国ソウルは八位なのだが、現地に暮らす人から聞くに、家電品など工業製品は日本のほうが安いようだ。
 かくして東京はますます奇妙な都市になっていくのだろう。余談めくが、東京の特殊出生率は0.9987となり、1.0を割り込んだ(参照)。面白いといえば面白い。いずれ老人の都市になる。
 話を少し戻すと、問題は結局通貨じゃんかという考えを延長するなら、この調査は、調査方法が間違っているとは言わないまでもだ、あまりにフラット過ぎるというか、数値的なごにょごにょだけじゃんといった印象は受ける。
 むしろ、各高度化した都市におけるマルチカルチャラルなインフラというものからクオリティ・オブ・ライフを出してもいいように思える。それができれば、ロンドンなどはかなりカンファタブルな都市ということにもなり、一層手の込んだジョークが出来るかもしれない。ちなみに、現状のクオリティ・オブ・ライフで言うなら、東京は33位でロンドンは35位。ここでも仲間じゃないか。
 世界都市の動向について、アジアの側面も面白いと言えば面白い。先の調査をひく。

Asia
Four of the world’s ten costliest cities are in Asia, with Tokyo being the most expensive city globally. Osaka takes 4th position (116.1) followed by Hong Kong in 5th place (109.5) and Seoul, ranked 7th (104.1). Chinese cities, though still relatively expensive, have dropped in the rankings, as the Chinese currency is pegged to the US dollar and has therefore been affected by its depreciation. Beijing is at position 11 (score 101.1) followed by Shanghai in 16th place (95.3).

 つまり中国が躍り出てこないのは対ドルのせいという面がある。ここでも通貨がポイントのなのだが、常識的に社会インフラのリスクを算定すると、そうかなぁ?という感じもする。もっともそれを言うなら東京には震災リスクがあるが。
 生活コストは貧富にも関係する。この調査はニューヨークを基準としているが、北米の都市は概ね上位にはこない。単純に考えれば、チープに住めると言うことなのだが、多分に貧富差のセイフティネットなのではないかという気もする。EUにもそのような印象を受ける。北米もEUも別の側面で農業国の顔を持っているというのも、こうした国内の庶民生活のバックボーン(農産物が安ければ取りあえず食っていける)として影響があるようにも思われる。

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2004.06.13

異性化糖でデブになる?

 コカコーラC2をあちこちで見かける。"売り"はカロリー1/2というところだろう。ダイコクやコカコーラライトの系統だから、またしてもアスパルテームか、とつい思う。気になるのは、アスパルテームは過熱するとたしか変質するということだが、風邪薬の代わりにコークを過熱して飲む日本人はいないので、それでもいいのかもしれない。それでも、いまさら果糖とアスパルテームを配合する時代でもあるまい。スクラロースあたりだろうか……。
 と察しをつけてコンビニで手にとって仰天した。御三家だよ。アスパルテーム、スクラーロース、アセサルファムKが全部入っている。思わず、なぜ?とつぶやいてしまった。甘味としては他には、異性化糖(果糖ぶどう糖液糖)と蔗糖(砂糖)も加えられている。あまり想像したくもないのだが、これは日本コカコーラ社内にテイスターがいて、これでいいと決めたのだろう。
 そんな時代なのかと唖然とはした。カロリーを1/2にしたければ飲む量を半分にすればいいのだが…。もともとコカコーラ(クラシック)は甘味が強いのだから、少し薄めるくらいでもいい。ライムを入れるとなお良いのだが、このあたりは個人の趣味の問題だろう。米国では恐らく甘さが決め手でペプシに負けてしまったのだから。という話は、昔読んだ「コカ・コーラの英断と誤算」にあった。もっともマーケット的にペプシが勝ったのは1ボトルの量が大きくて米国の大量購入にマッチしていたことらしい。確かに米軍内でバーガーキングに入るとバケツみたいなカップでコーラが出てくるしな。
 ブログの時代なので、しかもこの手のネタはいかにも日本のブログ向きなので、と思ってコカコーラC2の評判をぐぐってみると、好くない。ポイントは味のようだ。しかも、アスパルテームがネックのように見受けられる。ぐぐったついでに日本コカコーラ社の資料を読むと世界に先んじてとあるから、こいつの味のテイスターは米国人なのか?
 カロリー1/2というのがそれほど日本のマーケットに訴求力を持つのだろうか。当然、マーケット調査をして売り出しているのだろうが、よくわからないところだ。
 と、ここで、アルパルテームを嫌う日本人は和菓子の伝統で甘味の感覚に優れているからな、と書きたいところだが、たぶん違うだろう。というのは甘味に敏感になれば、異性化糖のきつい、それでいてうわついた感じがわかるはずだからだ。でいないと和三盆の味なんかわかるわけもあるまい。現実の日本人の大半の甘味の感覚は異性化糖に合ってきているのだろうと思う。
 資料を詳細に当たるのがめんどくさいのだが、たしか日本の砂糖消費量は往時に比べかなり減少しているはずだ。「異性化糖による砂糖需給の変化」(参照・PDF)を見ると下げ止まりでもありそうだが、それでも砂糖の時代は終わったのは、異性化糖によると言っていいだろう。よく阿呆な自然食信仰者が砂糖は身体によくないとかわけのわかんないことを言うが、むしろ砂糖ならましなほうで、現代日本の甘味消費は異性化糖の比重が多いだろう。
 もしかすると、異性化糖って何?と思う人もいるかもしれないので、日本甜菜製糖株式会社HPの「異性化糖って何だろう?」(参照)を参考に簡単にまとめておく。異性化糖は、ブドウ糖(グルコース)と果糖(フルクトース)の混合液で、日本農林規格(JAS)では、果糖含有率50%未満を「ブドウ糖果糖液糖」、それ以上を「果糖ブドウ糖液糖」とする。これらに10%以上の砂糖を加えると「砂糖混合異性化液糖」になる。異性化糖は澱粉をもとに工業的に製造できるので、このおかげでサトウキビ農業が壊滅的となったと言ってもいいだろう。甘味については、砂糖を100とすると、ブドウ糖が65~80、果糖が120~170。蜂蜜は果糖を成分としていることもあり、人類はそれが砂糖より甘いことを知っていた。で、異性化糖の甘味度だが、果糖42%で70~90、果糖55%で100~120となる。つまり砂糖の偽物になる。話が前後するが、砂糖(蔗糖)はブドウ糖と果糖が結合したものだが、異性化糖は混合液である。
 ここで、気になるのは、人間の身体と果糖の消化の関係だ。現代文明がイカンというなら、異性化糖に害があるとでも言いたいところだが、毒性などありようもない。問題は過剰摂取だが、それとても、蔗糖とめだった差異があるというわけにもいかないだろう。ようするに、総量としての果糖消費が現代人を特徴付けているとだけは言えそうだ。
 そこで果糖なのだが、こいつの代謝がどうも現代科学で完全に解けているようでもないようだ。というあたりから、ブログのネタなのだが、先日"The Journal of Clinical Endocrinology & Metabolism"にちょっと面白い研究が発表された。"Dietary Fructose Reduces Circulating Insulin and Leptin, Attenuates Postprandial Suppression of Ghrelin, and Increases Triglycerides in Women"(参照)である。
 例によって本文を検討したわけではないが、標題や概要からでもこの話は面白い。標題を試訳すると「食用果糖は女性の身体において、血中インスリンとレプチンを減らし、食後のグレリンを抑制効果を減じ、中性脂肪を増加させる」というもの。レプチンはすでに現代人の必須用語になったが、食欲抑制効果を持つペプチドホルモン。グレリンは成長ホルモン分泌促進ペプチドである。概要の一部を引こう。まず、発表の前段となる前回の状況。


Previous studies indicate that leptin secretion is regulated by insulin-mediated glucose metabolism. Because fructose, unlike glucose, does not stimulate insulin secretion, we hypothesized that meals high in fructose would result in lower leptin concentrations than meals containing the same amount of glucose.

 つまり果糖がレプチンを弱めるだろうと推測していた。そして、今回の結論はこうだ。文中HFrはhigh fructose(果糖たっぷり)ということ。

Consumption of HFr meals produced a rapid and prolonged elevation of plasma triglycerides compared with the HGl day (P < 0.005). Because insulin and leptin, and possibly ghrelin, function as key signals to the central nervous system in the long-term regulation of energy balance, decreases of circulating insulin and leptin and increased ghrelin concentrations, as demonstrated in this study, could lead to increased caloric intake and ultimately contribute to weight gain and obesity during chronic consumption of diets high in fructose.

 科学的な言葉をやや不正確に下品に言うと、長期に果糖を過剰摂取していると、食欲を制御するレプチンが減り脳が十分に機能できずにデブになるよ、ということだ。
 この先は、ロイター系のニュース"Too much fructose may skew appetite hormones"(参照)をひこう。

After people in the study ate a meal followed by a drink flavored with the same amount of fructose found in two cans of soda, they showed relatively low levels of insulin and leptin, hormones that help people know that they are full.

On the other hand, they showed relatively high levels of ghrelin, a hormone that stimulates eating.

These hormonal changes "we think could promote overeating," and subsequently obesity, study author Dr. Karen L. Teff told Reuters Health.

 というわけで、果糖を過剰摂取すると、食欲抑制物質が減り、促進物質が増えるというわけだ。デブまっしぐらである。糖については、カロリーも問題だが、特に過剰な果糖摂取が現代人の代謝を狂わせている可能性は高い。
 当然、こうした研究を先読みして、清涼飲料水の産業も異性化糖を減らす方向に向かわざるをえないのだろう。

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2004.06.12

謎の超人間ケリーが暗示するもの

 あいもかわらず昭和32年生まれの私は毎週鉄人28号を見てうるうるしているのだが、前回の第10話 「謎の超人間ケリー」では、表面的な回顧のイメージの奥でいろいろ思い出すことがあった。ドラグネット博士の尋常じゃないヘアスタイルはなんとなく覚えているが、この話自体は記憶にはない。なのに、どうにもリアルに感じられるのは、戦争のために改造人間となったというあたりの設定だろう。(だから、たぶん、鉄人28号もあんなに巨大なわけがないのだが…)。
 あの時代、なぜかこういう話が多かったように思う。サイボーグ009でも、空爆機と一体化した敵のサイボーグ(薔薇を愛するキャラだったと記憶しているが)とか、手塚なんかにも特殊自動車のパーツとなるためのロボットだとかあった。日本に限らない。キャプテン・スカーレットも似たようなものだ。これってリバイバルしているのか?って、今やったらサウスパークのケニーかよという笑いを誘うだけか。レンズマン(小説のほう)でも、グレーレンズマンではやはり死体から再生する兵士のイメージがあった。SF版七生報国か思う。
 今回の鉄人28号の不乱拳博士はそうそうに死んでしまったが、モンスター良久は、アニメではぼかしていたが、あれはヒト胚性幹細胞(ES細胞)とハルク(緑だしな)の連想のキャラだろう。ES細胞が出てくるあたり、意外にリメーク鉄人28号は新しいのかなとも思うが、スティーブン・カーツ(Steven Kurtz)のこととか考え込むと、意外に洒落でもないように思えてくる。が、その話は今日は書かない。
 ES細胞といえば、ナンシー夫人による、幹細胞研究の拡大を提唱が気になる。このところ米国ニュースを読んでいてレーガン追悼ものにうんざりするのだが、イラン・コントラ疑惑でもっと叩けないのは、ブッシュの思惑なのだろう。政治の上っ面などどうでもいいことだが、なぜナンシー夫人が幹細胞研究の拡大を提唱しているか。ロイターの「故レーガン元大統領夫人、幹細胞研究提唱者に」(参照)ではこう伝えている。


 夫人は、故大統領が自分の手の届かない場所に行ってしまったとし、「だからこそ、(アルツハイマー病で)苦しむ他の家族を救うために、できることは何でもしようと決意した。私達は、これを無視することは出来ない」と語った。
 支援者はアルツハイマー病治療の突破口となる可能性があるとしている。

 思わず、え?、そんな単純なことでいいのか。ナンシー夫人も●●かよ、と思うが、よくわからない。ご存じのとおり、ブッシュは幹細胞研究に同性愛結婚なみの嫌悪を示しているのだが、そのあたりの背景とか空気がわからない。一応裏としては上院議員有志の動きがある。共同「ES細胞の研究拡大要請 米上院有志が大統領に」(参照)。

 【ワシントン7日共同】ブッシュ米大統領が、人体のどんな細胞にも成長できる胚(はい)性幹細胞(ES細胞)の研究に厳しい姿勢を取っていることについて、上院の過半数に当たる58議員は7日、超党派で大統領に対し研究の拡大を求める書簡を送った。患者団体や研究機関でつくる医学研究振興連合(CAMR)が明らかにした。

 このあたりがよくわからないのだが、実際のところ米国ではES細胞の研究は進んでおり、日本もその尻馬に乗っているというか、実質的に無宗教な国民性をいいことに適当に進んでいる。たとえば、共同「ES細胞から心筋細胞 信州大が国内初」(参照)。

人体のあらゆる臓器や組織に成長できるヒトの胚(はい)性幹細胞(ES細胞)を心臓の心筋細胞に分化させることに、信州大医学部の佐々木克典教授(組織発生学)の研究グループが国内で初めて成功したことが13日、分かった。


 佐々木教授によると研究グループは、米ウィスコンシン大が作ったES細胞を輸入して心筋細胞などに分化させる研究計画を文部科学省で認められ、2003年3月から研究を開始した。

 なんだ、それ?という感じもする。市民社会とジャーナリズムはこんな呑気なことでいいのだろうか。
 とはいえ、森岡正博のHPにある「ヒト組織・クローン規制法・ES細胞」(参照)も、正直なところよくわからない。この問題はどう考えたらいいのか、という議論と、現実の科学の動向の力学の関連がなにかずれているように思う。この問題はすでに超国家として国連も関与しているのだが、そういう問題なのだろうか?
 もっとも、じゃ、おまえはどうなんだと問われれば、受精卵を原料とする技術は悪魔的だと思う。そう思うのは、自分の宗教的な心情だし、その心情は、譲る気にもならない。
 話が横にそれていくが、ぼんやりと夢想しつつ、この研究で世界の尖端を行く韓国のことも気になった。韓国は米国から突き放されようとしているのだが、この時、トランプ(切り札)となるのは、もしかしたらこの技術か?というくだらないことを、鉄人28号の見過ぎだろうが、連想した。ニューズウィーク日本語版2004.3.3「韓国の格安ヒトクローン研究」が興味深い。

 アメリカやイギリス、フランスなどでは、クローン人間づくりに結びつくおそれがあることから政治問題化しており、研究者は身動きが取れないのが現状。そのなかで韓国の研究チームは、着実に研究を重ねてきた。
 もっとも、彼らが資金的に恵まれていたわけではない。年間200万ドルにも満たない予算は寄付金や授業料でまかなったもので、大学側はほとんど援助をしていない。政府にいたっては補助金ゼロだ。
 研究室も100平方メートル程度の狭いもので、研究員はひじをぶつけ合いながら作業している。「外国の研究者は、今回のプロジェクトにカネを使っていないことに驚く」と、黄は言う。「カネや物がありすぎて怠けるより、不足した状態で苦労したほうがいいときもある」

 私の考えは間違っているかもしれないが、ES細胞の研究の基礎は最先端設備ではなく、ロッキーホラーショーのような世界なのかもしれない。とすれば、頭脳さえあれば、どこでも可能なのではないか。
 もっとも、韓国が有利なのはどう記事にあるように、不妊症研究が進んでいるからだ。

 生殖産業が発達しているため、研究で使う卵子にも事欠かない。黄のチームも、16人の女性から計242個の卵子の提供を受けた。
 だが、実験を成功させるうえで最も有利に働いたのは、政府の介入がなかったことかもしれない。

 おぞましい感じもするし、こうした動向をつい韓国の文化的な背景に結びつけたくもなるが、そういうことでもないだろう。
 不死のバイオ戦士の夢想をSFが描いたのは、冷戦下だった。現在冷戦が終わったが、最終兵器としての核は国家を越えて分散された。と、同時に、バイオ戦死の悪夢も分散されてきているような気がする。気がするっていうだけの話なんだけどね。

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2004.06.11

脳は40歳を境に衰えていくようになっている

 オンライン版のNatureに9日"Gene regulation and DNA damage in the ageing human brain"(参照)という記事が掲載された、といって、標題と概要しか見ていないのだが、標題は「人間の脳における遺伝子の規定とDNA損傷」だろうか。脳の老化には遺伝子的な仕組みがあるという話のようだ。概要を追ってみよう。


The ageing of the human brain is a cause of cognitive decline in the elderly and the major risk factor for Alzheimer's disease. The time in life when brain ageing begins is undefined. Here we show that transcriptional profiling of the human frontal cortex from individuals ranging from 26 to 106 years of age defines a set of genes with reduced expression after age 40.

 脳が老化すれば認知能力も低下する。そして老化はアルツハイマー病にも関連するのだろう。そういわけで、各年齢層で脳を調べたところ、40歳を境界として発現が減少する特定遺伝子が存在し、これが脳の老化を示しているのではないのか、というのだ。

These genes play central roles in synaptic plasticity, vesicular transport and mitochondrial function. This is followed by induction of stress response, antioxidant and DNA repair genes. DNA damage is markedly increased in the promoters of genes with reduced expression in the aged cortex. Moreover, these gene promoters are selectively damaged by oxidative stress in cultured human neurons, and show reduced base-excision DNA repair. Thus, DNA damage may reduce the expression of selectively vulnerable genes involved in learning, memory and neuronal survival, initiating a programme of brain ageing that starts early in adult life.

 40歳から脳が老化するというならそれほど科学的な知見とも言えないが、今回の研究のポイントは少し違う。
 人間が学習などを行う場合、脳の構造的な表現としてはシナプス形成としてして見られ(これを可塑性というのだが)、これは、ストレス反応や抗酸化物質やDNA修復遺伝子の援助を受けるらしい。そこで今回特定された遺伝子だが、これが特徴的にDNA損傷を起こすようなのだ。しかも、これらはそもそも酸化ストレスに狙われやすくなっているというのだ。当然、このDNA損傷が結果として脳の学習能力の衰えにつながる…。
 と、書いたものの、私は今ひとつこの特定遺伝子と学習の遺伝子の関係がよくわからない。
 話は別途"The Brain Starts to Change at Age 40"(参照)などで一般向けのニュースとなっている。話の切り出しは、40歳過ぎたら子どもとトランプの神経衰弱やっても勝てないでしょうということだが、そんなことはどうでもいい。気になるのは、この特定遺伝子と可塑性を担う遺伝子の関係だ。

One group of the genes plays a role in what researchers call synaptic plasticity - the ability of the brain to make new connections so critical to learning and memory.


Another group of genes, involved in processes such as responses to stresses and defense against damaging oxidants such as free radicals, are turned on in the aging brain. The researchers found that regions of particular genes are quite vulnerable to DNA damage in the aging brain.

 この解説によれば、可塑性を担う遺伝子と、今回特定された酸化ストレスに弱い遺伝子は別のようだ。この酸化ストレスに弱い遺伝子のために、遺伝子全体がやられ、結果的に可塑性も落ちるということなのだろうか。
 外堀を巡っているようだが、ロイターヘルス"The Brain May Start to Age at 40 Years"(参照)は、簡素にこう書いている。

According to the team, DNA damage begins to accumulate in these genes. This damage could affect vital brain activities, such as learning and memory. Moreover, this may initiate a program of brain aging "that starts early in life."

 概ね、この特定遺伝子自体が可塑性を担っているわけでもなく、むしろ、人間脳を必然的に老化=劣化させる機能を担っている、と言えるだろう。
 私の与太話はここからだ。
 どうやら人間の脳というのは、40歳を境に学習能力などが衰えていくように出来ているわけだ。従来はよく20歳を過ぎれば脳細胞はどんどん死滅していくというようなことが言われていたものだが、最近の知見では、おそらく、40歳くらいまでは知力は伸び続けるようでもある。
 しかし、そこまでか。実感としても、40歳を過ぎると、俺の頭もダメだなぁ、になってくる。若いやつにはかなわねーよ、である。権力のなかにいるなら、知力じゃない部分で、若い者を利用したり貶めたり画策するようになる。醜い。
 科学の知見など時代で変わってくるものだが、今回の発表が概ね正しいなら、人間の脳は、40歳あたりから徐々にぼけ出すといい、というメリットがあるのだろう。どんなに頑張ったって人間は死んでしまうし、どんな屁理屈こいても、死の恐怖などは克服できそうにもないのだから、ぼけるというのは、それだけでメリットだろう。あるいは、生物集団としてのメリットもあるのかもしれない。
 ここでまた実感でいうなら、40歳を過ぎると、過去が、つまり、過去の記憶がつらいなぁになってくる。どの程度の男がそう思うものかわからないが、若いときにつれなくした女に、すまねーなと思えるようにもなる。
 今回の知見では、基本的には脳の老化を、やはり酸化ストレスとしていた。やはりである。デンハム・ハーマンの奇妙な仮説と見られていた学説がやっぱり正しいのか?というより、酸化ストレス自体は生命に必須の出来事なので、むしろ、抗酸化機能をどう遺伝子が担っているかということが問題だろう。
 人間の老化は、機械の摩滅損傷に似ているという人もいるが、人間は鉄人28号のように完成品としてできるものではなく、正太郎のように成長し、そして老いていくというプログラムされた過程を取る。
 それでも、脳の老化の基底にあるのは酸化ストレスだろうとは言えるので、今回の例でいうなら、脳の抗酸化システムを援助できるようにしてやればいいのだろう。現状では、アルツハイマー病を例としても、効果について賛否が分かれるビタミンEだが、弱い効果はあると見てもいいのだろう。
 話はさらにゴマ臭くなる。メラトニンもどうやら脳で働く抗酸化物質のようだ。眠りというのは、ある種の酸化ストレスの修復なのだろうか? ここでゴマ臭い話なのだが、メラトニンを飲むとかなりの人が悪夢を経験するのだが、この悪夢というのは、先に書いた、思い出したくもない記憶の残存ではないのか? これらの選択的に排除された記憶は、それ自体が酸化ストレスではないのだろうか?
 もちろん、そんな話は冗談である。真に受けないで欲しい。
追記(040612)
 CNN"Research: Brain genes start to slow at 40"(参照)によると、40歳以降は、酸化ストレスとみられる損傷を修正するための遺伝子が活発になるとある。

Slightly less than half of the 400 or so genes -- including those involved in learning, memory and communication between brain cells -- were found to be functioning at a lower level, perhaps because of some kind of damage, the researchers found.

The remaining genes were found to be working harder after age 40. They included genes involved in DNA repair, antioxidant defense and stress and inflammatory responses.

Overall, the findings suggest that the first set of genes had sustained damage that hampered their functioning, and the other genes were working harder to try to lessen or repair that damage, said Bruce A. Yankner, a professor of neurology and neuroscience at Harvard Medical School.

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2004.06.10

イラク警察と自衛軍は米軍の指導下に置かれる

 どう理解していいかよくわからないのだが、AP系"U.S. General: Iraq Police Training a Flop"(参照)が気になるので、簡単に触れておきたい。
 話は、これまでのイラク統治のミスは米軍が十分にイラク警察(自衛軍)を訓練・統率してこなかったからだ、というもので、今後はこの点(指導)が改善されるらしい。
 話は同時にファルージャ掃討の失敗についての嘘臭い弁解にもなっている。それにしても、イラク警察(自衛軍)を米軍が訓練という形であれ介入していくというあたりは、やはり気になる。


 ``It hasn't gone well. We've had almost one year of no progress,'' said Army Maj. Gen. Paul D. Eaton, who departs Iraq next week after spending a year assembling and training the country's 200,000 army, police and civil defense troops.
 ``We've had the wrong training focus - on individual cops rather than their leaders,'' Eaton said in an interview with The Associated Press.

 イラク統治の失敗点は米軍が個々の警備員の教育に焦点をおいたためで、もっと指導層を教育すればよかったのだ、と米軍がほざいている。そして、その論理で、ファルージャ掃討の失敗は指揮系が米人だったからだろう、としているのだが、APのこの記事では、一応「そうでもないっしょ」的な指摘も含まれている。いずれにせよ、米軍のミスはミスだ。
 現在の問題は、こうした米軍による、イラク人への軍事指導が必要になるという状況だ。
 朝日新聞社説やNHK「あすを読む」などは、イラクの治安回復にはさっさと米軍駐留を止めるか権限を限定せよと無責任に言い放つのだが、常識的に考えても、そんなわけはない。イラクが一丸となって反米的な態度でいるわけでもないのだ。朝日新聞やNHKなどが好む「イラクの人たち」というのは、クルド、スンニ、シーアと利害が分裂し、しかもそれぞれに民兵という私的な暴力が組織化されているので、これを国家側に統合するにはそれなりの軍事力が当然必要になる。そして、それが暴発しているのは、それを抑えるための、国家側の力が自前では足りないとみていいだろう。
 8日のことだが、イラク暫定政府のアラウィ首相がバグダッド郊外の製油所で従業員ら向けに、石油歳入権が委譲されたと宣言し、石油施設を防御する特別の部隊を創設したと言っているが、そういう高度の軍事力が魔法の杖でほいっと出てくるものでもあるまい。彼がイラク主権移譲後も多国籍軍必要だとしているのは、なにも米国の傀儡政権だからとするのはうがちすぎだ。国連もそのあたりを汲んでいると見ていい。先の記事ではこうある。

As U.S. occupation leaders prepare to hand power to an Iraqi government in less than three weeks, Iraq's own security forces won't be ready to take a large role in protecting the country. A U.N. Security Council resolution approved Tuesday acknowledges Iraq's lack of a developed security force and provides a continued multinational troop presence until 2006.

 多国籍軍の形であれ、国連も2006年までは駐留を認めざるをえないとしている。ここでフランスなどがNATOの盟主気取りでいるなら、結局米軍の任務は重くならざるをえない。
 以上のように書くと、私がさも米国よりの意見に見えるのだろうと思う。しかし、私としては、誰かがイラクの治安をサポートしなければ、むしろ、その間にイラクの国軍は米軍の事実上の指導下におかれるようになるだろうということを懸念しているのだ。
 いずれにせよ、イラクの警察組織や自衛力としての国軍が整備されることで、時事上の膨大な雇用が生まれ、そこに石油歳入を投入することで富みが配分されるという構造になるように思われる。そして、それは、国家が機能しなければ、石油の地域的な偏在を通して、クルドとシーアに対するスンニ側の潜在的な対立を強めることになるのではないか。
 日本の貢献というのがあるとすれば、イラクの非軍事的な事業の拡大を促進するべきものであり、そして、そのためにも自衛隊の関与は欠かせないように思う。
 ただ、イラクに主権が委譲された後も「イラク特措法」なのか、というあたりがよくわからないが。

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2004.06.09

ミステリーショッピング(mystery shopping)

 先日ラジオでミステリーショッピングの話を聞いた。もしかすると、「それってミステリーショッピングじゃん」と私が思っただけで、話にこの用語は出てこなかったかもしれない。
 そういえば、ミステリーショッピングという言葉は日本語になっているのか、と思って、最新用語の多いgooの日本語辞書をひいてみると、あった(参照)。三省堂提供「デイリー 新語辞典」に収録されているようだ。


ミステリーショッピング 【mystery shopping】
客に扮した調査員が,営業中の小売店などで顧客満足度を点検する調査のこと。接客態度・店舗設備・品揃えなどの項目を,顧客と同じ視点で調査する。調査結果は顧客満足の向上に役立てる。

 定義もそれほど悪くない。三省堂提供「EXCEED 英和辞典」ではこうだ。

mystery shopping
【経営】ミステリー・ショッピング (phantom shopping) ((調査員を顧客に仕立ててサービスや施設の清潔度,価格設定等を秘密裏に調査すること)).

 ついでに、ミステリーショッパーも収録されている。

ミステリーショッパー 【mystery shopper】
営業中の小売店などで,客に扮して顧客満足度を点検する覆面調査員のこと。

 この語については、むしろ英辞郎が弱く、"mystery shopping company"でしか掲載されていない。また、"mystery shopper"は「ミステリー・ショッパー、客を装った商品調査員{しょうひん ちょうさいん}」として掲載されているが、"phantom shopper"の「仮想買い物客{かそう かいものきゃく}」は誤訳語だろう。
 いずれにせよ、ミステリーショッパーとは、客に偽装した調査員ということなのだが、米国などだと、実態は、客が請け負いで調査するというのが近いかもしれない。というか、そういうイメージが強そうだ。
 現状の米国のミステリーショッピングのマーケットの統計値を探したのだが、簡単には見つからなかった。だいたいの予想で言えば、日本ではまだそれほどのニーズはなさそうだ。今後、日本でも増えるのだろうか気になる。
 日本だとフリーターとか専業主婦がたるいバイトでできそうだが、実際はそうはいかないだろう。売り手の側でも、きちんと買い手となる層の意識が必要になるからだ。だから、フリーターのお姉さんにきれいな服を着せビトンを持たせてミステリーショッパーに仕立てても、その購買意識やテイストまでは変えられないから、結局、使えねー、ということになる。つまり、ミステリーショッッピングのリソースとは、購買可能な階層に所属している意識そのものだろうからだ。
 米国のミステリーショッピングのサイトを見るとMSPAといった業界団体ができていて(参照)、ミステリーショッパーとなるための倫理規定なども設けているようだ。
 データベースには各種の資料も掲載されていて面白い。ミステリーショッパーについては、例えば"Be A Mystery Shopper"という記事では、こんなイメージで描いている(参照)。

The next time you're making a deposit at the bank, ordering a hamburger from a fast-food joint or checking into a hotel, the person standing behind you in line may not be a regular fellow customer; she may be a mystery shopper. Mystery shoppers work on a contract basis, and their job is to secretly evaluate consumer-service companies by posing as ordinary customers.


Mystery shoppers work their own schedule, typically going on as many assignments as they choose in a day's time. That flexibility combined with the perk that mystery shoppers often get to enjoy the goods and services they're told to purchase for free may make this seem like an ideal occupation. But, like any other field, this line of work has its disadvantages, not the least of which is the time and effort one must invest to excel and earn decent wages.

 この他、ざっと関連の情報を見ていくと、対象として、小売り店のマーケット以外に病院などもある。日本ではたいした根拠もなく雑誌や書籍で病院のランキングが掲載されているが、こうしたものもミステリーショッパーが利用できるとだいぶ違うだろう。
 ミステリーショッパーの組織・運用はインターネットが便利なはずだと思って、ぐぐると日本でもさすがにいろいろと情報はあるようだが、印象としてはかなりゴマ臭い。
 しかし、こうしたミステリーショッパーの管理はいずれインターネットと強く関連してくるように思う。気になるのは、例えば、「ネットは新聞を殺すのか-変貌するマスメディア」だが、次のようにネット社会と消費動向を示唆している。

 IDC社によると、製品やサービスの内容を形容する標準的な仕組みが開発され、2008年までにほとんどの小売業者がその仕組みを採用する確立は80%。消費者の意見を幅広く集め、効率よく表示する仕組みが2006年までに開発される確立も80%。携帯電話などの機器がバーコードを読み取り、商品に関する評判や情報を提示する仕組みが2008年までに普及する確立は40%。質のいい意見を発信する消費者に報酬を与えるための少額電子決済の仕組みが2008年までに普及する確率は60%と予測している。

 直接的にはアフィリエイトが想定されているのだが、ブログなどもGoogleの動向からして、すでにそういう消費行動の仕組みのなかに組み入れられてきている。
 総合して言えば、今後ネット社会は、なんらかのシカケでマーケットの評価を決定するようになるのだろう。
 その先、あれこれと想像してみるが、あまりイメージがわかない。

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2004.06.08

で、イラクの石油歳入権はどうなる?

本文を読まれる前に(040609)

 本文に追記したが、この件(石油歳入権)については、名目上、イラクに委譲されることになった。米国の息のかかる首相に仕立てたこともあるが、どうせ委譲せざるをえないし、また、実質石油施設を守るのは米軍になるのではないかとも思われるので、米国もこれ以上の無理はやめたというわけだろう。

 イラク暫定政権を承認する国連安全保障理事会の新決議案の動向がよくわからない。私の関心がすっかりイラクの石油歳入権に向いているのもいけないのかもしれない。ので、頓馬な話を書くことになるかもしれないが、そのあたりの現状の雑感を書いておきたい。
 日本の報道だけとは限らないがイラクの治安は混迷を窮めベトナム化しているといった話もないわけではない。が、私にはなんだかよくわからない。結局のところイラクの警察機構はサダム統治下に近いものに戻るので、その反発や、この間総崩れになった国境警備をいいことに対外勢力の混入もあるだろうとは思う。一時期懸念されていたサドルのマフディ軍も事実上解体しているようだし、歴史的に見るなら、新しい権力委譲の時期によくあるごたごたのレベルのようにも思われる。
 日本の報道では米軍駐留に関心が向けられ、朝日新聞などは明確には言わないものの、米軍駐留が諸悪の根源風なストーリーに仕立てたいようだが、この件については、現在の暫定政権が米軍駐留を望んでいることから、お話としては浮いてしまう。もともとこの政権は米国の息のかかったものだが、だからといって、他にブラヒミ=国連案がよいというような対案も実際的ではなかった。
 私の関心も多分に陰謀論的な方向にあるのか、米軍駐留は、基本的に石油施設とその歳入の権利のための重石としているだけなのではないかと思う。また、「石油歳入権をほったらかして何が主権委譲かよ、笑わせる」と思っていたのだが、この部分も権限委譲になる方向のようだ。いずれ委譲せざるを得ないのだから、このあたりのごたごたはなんなのか気になるのだが、よくわからない。結局のところ、今回の決議でどの程度石油歳入権がイラクに委譲されるのかが、よくわからない。
 石油歳入権などたいした問題ではない、ということかもしれないが、先日公開された国連案を見ると、いやいやほとんど特記事項と言っていい。
 全文はBBC"Text: Iraq draft resolution"(参照)にあり、石油歳入権は三つの柱の一つになっている。


The revised draft UN resolution on Iraq being circulated by the US and UK at the Security Council:

  • maps out the handover to a sovereign Iraqi government by 30 June
  • provides for a US-led multinational force, with authority to take all necessary measures for security, while setting a date for the end of its mandate
  • grants Iraq full control over its own natural resources while temporarily maintaining international control over its oil revenue fund


 詳細はBBCサイトにあるのと、具体的にどうよ?がよくわからない文章なので、引用は控える。
 叩き台の国連案では、基本的には、石油歳入権はすべてイラクに移るということなのだが、そのあたりが米仏間でどのような扱いになるのだろうか。
 もともと今回の戦争は、石油・食糧交換プログラムを悪用していたフランスやロシア、シリアに対する米国の制裁の意味合いもあり、しかも、このプログラムに関連して、極東ブログ「石油・食糧交換プログラム不正疑惑における仏露」(参照)でも触れたが、国連自体がダーティな存在だった。シラク大統領の名前も堂々と不正疑惑のリストに上がっているくらいだ。なので、陰謀論めくが、今回のブッシュとシラクの会談も実際にはこのあたりのもみ消ししゃんしゃんということなのだろうと思う。
 この問題は基本に返って考えたほうがいい面も多いので、簡素にまとまったForeign Affairs"Iraq Oil"(参照)を見直してみたい。この文書は基本的には明確に書かれているので、私が蛇足を加えるまでもないのだが、気になるところを引用する。

現在、イラクの石油産業に関して実際に意思決定を行っているのは誰か。
 日々の業務に関する決定はイラク人、特にタミル・ガドバン石油相代行とサダム・フセイン政権下で石油輸出を独占管理していたイラク国営石油公社(SOMO)の上層部が下しているだろうと石油産業の専門家は考えている。また、シェル石油の元社長兼CEOだったフィリップ・キャロルがイラクの石油省のアドバイザーを務めている。エネルギー産業に関する情報を提供するエネルギー・インテリジェンス社のシニア・エディターであるカレン・マツシックによれば、アメリカのイラク戦後復興計画では、キャロルはイラクの石油産業を監督する国際委員会の委員長を務めることになっていたが、最近になって連合軍はその構想を捨て、イラク国民自身に石油産業を管理する大きな権限を認めることにしたようだ。

 冗談ではないつもりだが、明確に曖昧な状況が描かれている。問題の石油歳入権だが、こうある。

安保理決議一四八三では、イラクの石油収入の利用に関して、どのように定めているか。
 安保理決議では、すべての石油収入はイラク中央銀行内に新設されたイラク開発基金に預けられ、イラク暫定統治機構との協議を行った上で、米英が管理することになっている。現在のところ、イラク暫定統治機構はイラク統治評議会のメンバー二十五人で構成されている。石油収入は「不透明な形で使用してはいけない」とされており、以下の目的でのみ使うことが認められている。

  • イラク国民の人道的救済
  • 経済復興とインフラの修復
  • イラクの継続的な武装解除
  • イラクの文民による統治機構の費用
  • 「イラク国民の利益となる他の目的」


 これが今回どの程度まで暫定政権に委譲されるのだろうか? そこが知りたいのだが、よくわからない。
 また、結局、イラクという国家は石油歳入の再配分機構としての期待から成り立っているというのが本音なのだから、そのあたりも重要だ。が、Foreign Affairsはどうもばっくれているようだ。

将来、イラクの石油収入の一部がイラク国民に分配される可能性はあるのか。
 イラク暫定占領当局代表のポール・ブレマーは何度も石油からの利益をイラク国民に分配する信託基金を作るよう主張してきた。この方式のモデルとなるのはアラスカで行われているものだ。アラスカでは石油収益の一%を小切手の形で六十三万人の住民に直接配分している。去年、アラスカの住民は一人あたり千五百四十ドル受け取った。しかし、石油専門家の中には、イラク国民が二千四百万人もいることを考えると、少なくとも短期的にはこの方式はイラクでは実行できないだろうと指摘する者もいる。イラクの政治状況は依然として混沌としている上に石油売却からの利益は限定されているのに対し、分配金に対する需要ははるかに大きい。たとえ二〇〇四年に百四十億ドルという連合軍のもっとも楽観的な予測に沿った石油産出が可能になっても、ブレマーが推定した千億ドルというイラク再建費用全体にはほど遠い。

 Foreign Affairsのこの問題設定自体がよく理解できない面がある。どう転んだって歳入を直接イラク国民に配分するわけはないと私は思う。また、近未来的な歳入についてはこう述べるしかないのだが、この説明は潜在性に対する過小評価を誘導しているのではないか?
 むしろ、これから米国が意図するのは、マチ金のように、イラクの石油をがっちり世界経済のかたにはめることで、その点はつい陰謀論的にハリバートン社やチェイニーとの関わりなどについても言及したくはなるだろう。が、私の考えでは、それはただハリバートンがでかいだけというだけに思われる。
 イラクが今後、奇妙な形でのアラブ主義なり国粋主義的な形態を取らないためにも、世界市場にはめ込んでしまえ、というのはしかたがないのだろう。それが新しいかたちでの帝国主義だといえばその通りなのだが、昔の帝国主義の歌で批判できる問題とは様相が違う。
 いずれにせよ、当初ネオコンが想定していたようなある意味で純粋な政治性というものはなく、世界経済の仕組みがこうなってること、つまり、石油の市場の安定性がかなり至上命題に近い現状、米国はその国益といった近視眼ではなく、イラクをかたにはめるしかないのだろう。そう思う。

追記(040609)
 石油歳入権な名目上イラクに委譲されることになった。とりあえずはメデタシ。もっとも、お目付役は付く。詳細はBBC"Key points: UN resolution"(参照)。


Oil profits
 The Security Council notes that, upon dissolution of the Coalition Provisional Authority, the funds in the Development Fund for Iraq [a fund established to hold and administer the use of Iraq's oil profits, which was previously administered by the Coalition Provisional Authority] shall be disbursed solely at the direction of the Government of Iraq.
 The International Advisory and Monitoring Board shall continue to monitor the operation of the fund. An additional full voting member designated by the Government of Iraq shall be added to the board.
 The Security Council decides that these arrangements be reviewed at the request of the Transitional Government of Iraq or twelve months from the date of this resolution, and shall expire upon the completion of the political process outlined above


Oil for food
 The Security Council decides that the Interim Government of Iraq and its successors shall assume the rights, responsibilities and obligations relating to the Oil for Food Program that were transferred to the Coalition Provisional Authority.

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2004.06.07

米の研ぎ方・飯の炊き方

 身近な者が、「米はあまり研いではいけない」といった話をしているので、なんとなく聞いていると、どうにも馬鹿なことばかりいうので、つい「その馬鹿な話はどこから聞いてきたのか」と問うと「あるある大事典」らしい。この番組は私はまれにしか見ない。まだネットにサマリーは出てないので、馬鹿話がその番組どおりかわかからないが、米の研ぎ方・飯の炊き方について、以前ネットで試しに調べて唖然としたことがあったので、実践的な方法を書いておくのもいいのかもしれない。というわけで、書いておこう。
 と、人の方法を馬鹿だのぬかすわりに、以下の方法が正解というものでもない(この手のことはそんなものだ)が、私はこれで通していてなんら問題ない。私が食っている飯よりうまい飯にありつくこともあまりないので、これでいいのではないか。なお、米の話は今日はあえてしない。
 まず研ぎ方。研ぐには木桶がいいようだが、なければしかたない。いわゆるボウルでもいい。ザルは用意する。ザルも竹のがいいのだが、なければしかたがない。ボウルとセットのザルでもいい。
 ボウルに米を量って入れ、これに水をたっぷり入れて、さっとさっと手で米を回し、白濁した水を捨てる。表面的な汚れを落とすわけだ。この作業を素早く行う。20秒くらいか。そして水をしっかり切る。
 次に研ぐのだが、これはそう簡単ではない。が、ようするに、米粒と米粒を適度な力で摺り合わせることを念頭に置けばいい。米粒が刷り合うときに、余分なぬかが落ちるのだ。ある程度力を入れないと研げないが、腰を入れてみたいに押し付けて研ぐことはない。もむ感じでよいと思う。これが1分ほどか。米に水を吸わせないように素早く行う。この時、米粒が割れているなら、失敗。やりすぎ。
 そしてこの状態で水をたっぷり入れ、先ほどのように回して水を切る。先ほどより白濁した水が出る。これを捨てて、もう一度同じことを繰り返す。このとき、水が少し白濁するかなという程度ならよし。水が透けるまで研ぐことはない。そして、ザルで水をしっかり切る。
 そして20~30分置く。ザルがまがいものなら、下にべちゃっと水気が残らないように気を配ること。この間、料理の下ごしらえでもしろ。
 次に炊き方。用意するものとしてはキッチンタイマー。それとできれば、お櫃があるといい。というか、お櫃は是非薦めたい。最近は3合くらいので檜のいいお櫃がある。鍋は蓋ができれば取りあえずなんでもいいが、できれば、肉厚の鍋がいい。蓋も重みのあるほうがいい。
 さらっとした米を適当なサイズの鍋に入れ、水を入れる。米に加える水の量は1.2倍。というか、米と鍋がよければ同量くらいでいい。蓋をして、がーっと強火にかける。ここが勝負だ。難しいのはここだ。米の量や火力にもよるが5分ほどで、ぶほほっと吹き上がる。このぶほほっとくるのがポイントだ。多少吹きこぼれてもいい。米のほうでもやる気満々じゃねーかというのを見て、吹きこぼれない程度の中火にする。中火よりやや弱くてもいい。この中火を5分。タイマーを使え。
 そして、中火5分が経過したら、とろ火5分。これもタイマーを使え。とろ火タイムが終わったら、火を消して、蒸らし10分。なお、5分で二回に分けるのがメンドイなら、ぶほほぉから弱火10分でもなんとかなる。
 10分たったら、お櫃に入れる。終わり。だが、お櫃がなければ、しゃもじで米の天地をかき回す。火が強すぎると、少し焦げることがあるが、そのあたりの調節は、1週間もすれば慣れる。

cover
今さらながらの和食修業
 以上で終わり。言葉にすると難しいし、慣れないとコツが掴めない点もあるのだが、くどいがやっていればわかる。とにかくやること。これで、炊飯器とは一生おさらばである。慣れれば、意識を入れるのは、最初のぶほほっの瞬間だけだ。あとは、ほとんど手間でもない。
 と偉そうに書いたが、このやりかたは、「今さらながらの和食修業」に掲載されている手法をまねたもの。同書は私がお薦めする料理本のなかのベスト5に入る。っていうか、できたら、文庫じゃなくて写真の多い、「今さらながらの和食修業 Maple book」のほうがいい。この本の料理ができる女がいたら、阿川佐和子のように嫁にいく必要はないだろう。

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2004.06.06

天安門事件から15年

 4日夜に香港で行われた天安門事件犠牲者追悼集会は返還後最大規模となった。15周年という区切りを意識してのことか、香港における民主化運動が高まりという意味か。私には後者のように思われるが、それは香港返還記念日の大規模デモで様相がくっきりとしてくるだろう。当然ながら、当の天安門はこの間、戒厳令に近い警備下に置かれ、なにごともなかったようだ。
 日本国内の報道も、香港の追悼集会を報道するに留まった。日本国内ではこの問題の関心は薄い。かく言う私にしても、率直なところ、単純に中国の民主化を支持できるというものでもない。そうでなくても社会インフラがいまにも崩れそうな中国は世界経済の爆弾のようにすら見える。
 天安門事件の解明についても、ほぼ「天安門文書」でケリがついており、また、当時の事件に関わった学生も、この10年間でその存在基盤を失っているかに見える。極端な様相としては、新しい中国の世代が国粋化していくなかで、事件の世代は馬鹿な米国かぶれということにされていく。
 ニューズウィーク日本語版6・9に寄稿された王丹の「天安門事件のたった1つの教訓」も読み応えはなかった。王丹などすでに象徴でしかなく支持している身近な同士はないのかもしれない。それにしても民主化への希求は弱く、むしろ共産党への断罪に執心している。無難すぎる。政治的には奇妙な違和感も感じた。


 89年には多くの人が趙紫陽に望みを託していた。だが天安門事件の直後、彼は共産党総書記の地位を追われた。92年以降は朱鎔基に期待が集まった。そして今、われわれは胡錦涛国家主席と温家宝首相の指導力に期待している。

 ジョークなのだろうか。それとも、これが中国の政治の現実というものだろうか。そうなのかもしれない。胡錦涛はうまく江沢民を出し抜くのかもしれない。
 王丹が当初の期待としていたのは当然ながら趙紫陽だったが、今回の追悼集会関連のニュースでは奇妙なほど、趙紫陽の名前を耳にすることが多かった。香港では未だに趙紫陽への人気が高そうなのだが、率直なところ私には不可解な印象もある。今さら趙紫陽が復権するということはありうるのだろうか。90年代後半あれだけ期待を持たされて、結局つぶれてしまったというのに。
 しかし、ことが中国だけにきな臭い線が捨てきれない。端的に言えば、趙紫陽は実際の権力を裏で掌握している江沢民降ろしのための御旗に過ぎないのではないか、とは思う。それを伺わせるニュースもある。産経系「天安門事件 党内で映像回覧のナゾ 「無関係」江氏アピール?」(参照)をひく。

【北京=野口東秀】中国の民主化運動が武力弾圧された天安門事件(一九八九年)について、中国共産党宣伝部は当時の経緯を映像記録でまとめたCD-ROMを作成した。幹部向けの内部資料として回覧されているが、資料作成の真意をめぐっては、弾圧正当化の公式見解を若手幹部に刷り込むものか、あるいは事件後総書記に抜擢(ばってき)された江沢民中央軍事委主席が事件の再評価に備えて自身の生き残り工作を始めたのかなど、評価が二分されている。

 このニュースはこうコメントを付け加えてもいる。

 事件後、上海市の党委書記から党総書記に抜擢された江沢民氏は、弾圧にはタッチしていないものの、趙紫陽氏の失脚によって政権を委ねられている。事件評価の行方は、江沢民政権の合法性にかかわる問題だけに、弾圧に「無関係」と訴えるだけでは事件再評価への江氏の備えはまだ薄弱とみることができる。

 産経新聞的な勇み足のコメントなのか、あるいはなんらかの裏の感触があるのかわかりづらい。
 この機に天安門事件について新聞のデータベースを当たってみて、当たり前のことのようだが、記事がリアルタイムにDB化しているのに呆れた。歴史がこのように電子化されるものだろうか。ハンガリー騒動が、こうして電子的に検索されたらさも面白いだろうとも、少し思った。
 天安門事件の経緯をDBを通して、今の時点でざっと眺めていくと、すでに天安門文書が出た現在でも、鄧小平という人間はわかりづらいな、という印象を持った。彼が即座の弾圧に及んだのは間違いないのだろうが、趙紫陽を切ったのは、思想の相違というか権力への勘だったのだろうか。あるいは、解放軍との関連でやもうえないという判断だったのか。さらに資料を遡って眺めていくと、天安門事件がなくても趙紫陽は屠られていたようでもある。
 趙紫陽がこの間生き延びてきたのは、中国の歴史を見れば、不思議でもない。口を割らないかぎり、責めることができないというが中国の歴史だ。最初に剣を血で塗った人間がえんがちょ、じゃないが、弱くなる。誰も手出しができない。
 さらにDBを見ていると、鄧小平は最晩年、趙紫陽が復権できるように画策していたという話もある。まったくのガセでもないのだが、そうした脈絡が今でも生きているということがあるのだろうか? 中国という国はわからないものだと思う。

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2004.06.05

[書評]こわれた腕環(ゲド戦記2)アーシュラ・K・ル=グウィン

 この数日鈍く追われるように考えていたことがあった。論理的に考えてもわからない問題は、深く自分の魂の奥の声に耳をすますほうがいい。その声は、ル・グイン「こわれた腕環(ゲド戦記2)」"THE TOMBS OF ATUAN"を再読せよ、とつぶやいていた。

cover
こわれた腕環
 「こわれた腕環」はゲド戦記"Earthsea Books"の二巻目にあたる。ゲド戦記は、ファンタジー文学の古典の一つ。仮想の世界アースシーの魔法使いゲドの人生を描いたもので、一巻目「影との戦い」"A Wizard of Earthsea"では、主人公のゲドが一人前の魔法使いとなり、自分の運命に向き合っていく姿を描いていく。一見すると魂の成長の物語のようにも見えるし、そう読まれてもいるのだが、またゲド戦記の他の巻きにも言えるのだが、物語の比喩は単層ではない。ゲド戦記は、読み返すたびに異なる啓示をもたらす。私が40歳を越え、ある人生の危機をかろうじて超したのか、それとも死をひきづりながら生きていくのかと思ったとき、一巻目を読み返し、ゲドの物語は、まさに死の問題として浮かび上がってきた。
 二巻目「こわれた腕環」はゲドの物語としても読めるが、主人公はゲドではない。二巻目だけを読んでも話がわからないということはない。この物語では、主人公はテナーとよばれる少女だ。テナーは幼くして、恐るべき闇の存在に支配されたアチュアンの墓所の大巫女のアルハとなる。この任命はダライ・ラマに似ている。死者の蘇りのとしての大巫女だからだ。アルハとは、この墓所の悪しき存在である「名なき者」によって魂を食い尽くされた「喰らわれし者」の意味である。
 物語は、アルハ/テナーが女性としての魂の成長と決意を遂げながら、ゲドによって救い出されるという仕立てになっている。が、ここでも物語の比喩はそう単層ではない。根幹にある神話的・哲学的なテーマは、「少女/女」という存在と、世界に向けられたその存在論的な意味だ。
 物語をなぞりたい。少女テナーは根源的な悪意の象徴である墓所に連れてこられ、犠牲となる。

 突然、玉座右手の暗がりから、白い毛織りのガウンをはおり、腰に革帯を巻いた人影があらわれ、大股で石段をおりてきて、子どもに近づいていった。白い覆面の男で、その手には一メートル半はあろうかと見えるよく光る刀が握られていた。男は少女のかたわらに立つと、無言のままいきなり両手でその刀をふりあげた。少女の小さな首がその下にあった。太鼓の音が止んだ。

 物語はここで刀を首に差し込むことはなく、テナーの命は救われたかに見える。違うのだ。ここでテナーは象徴的に殺害され、復活して墓所の大巫女アルハとなった。
 少女アルハは、彼女に向かってくるものに、かつて自分の首に向けられた刃のような殺意を向け続ける。ひたすら死だけを願うような根源的な殺意だ。それを魔法使いゲドに向ける。アルハはゲドを殺そうと決意する。

アルハはのぞき穴の縁に置いていた両手に力をこめると、ないか、ひどい苦痛にでも耐えるように唇をかんで、からだを激しく前後に揺すった。水なんてやるものか。一滴だってやるものか。殺してやるんだ。水のかわりに死をやるんだ。死を、死を、死を……。

 アルハはしかしゲドをそのまま殺すことはできず、物語はある信頼のような関係から展開し、ゲドはアルハに失われた名前である「テナー」を告げる。
 テナーとして存在しうることを意識したアルハは、ここで、墓所の根源的な殺意とともに、無神論的な傲慢な世界からの殺意にも怯えるようになる。
 後者は神話的な悪意を無化するかに見える。だから、テナーは、この世界にただ殺意をもたらすような悪の存在が死に絶えたのではないかと、あたかも現代人のように考える。だが、ゲドはそれを否定する。この世界では、根源的な悪意というものは死んでいないとゲドは語る。

「ほんとに、彼らが死んだと思ったのかい? いや、あんたは心の奥底でちゃんとわかっている。そうだよ。彼らは死ぬことはない。決して滅びることはないんだ。彼らは闇に生きて、光をきらう。限りある命を持った、われわれの明るい束の間の光をきらうんだ。彼らは永遠不滅なものだよ。…


「そうさ。彼らは人間に与えるものなど、何ひとつ持ってはいないんだ。彼らにはものを作る力がないんだもの。彼らにあるのはこの世界を暗くし、破壊する力だけだ。彼らはここを離れることができない。彼らはこの場所そのものなんだからね。ここは彼らに残してやるべきなんだ。彼らの存在は否定されるべきものでもなければ、忘れ去れらるべきものでもない。…

 単純に読めば、ゾロアスター教以来の二元論に聞こえるかもしれない。しかし、ゲドの物語では、そうした悪の存在をアルハとしての少女の世界に結びつけている。なぜか? その理由は語られていない。
 だが、ここで私ははっきりと、その殺意を含んだ根源的な悪について、否定されるべきでも忘れ去られるべきでもないことを神話的に了解する。
 物語に戻ろう。死と合体した魔法使いゲドは、テナーであるべき者に、決定的に呼びかける。その呼びかけなくしては、アルハ(悪としての少女)はテナー(悪から離れた少女)にはなれない。

「決めるんだ。テナー。どちらかに決めなくちゃいけないんだ。わたしを置き去りにして、鍵をかけ、祭壇に行って主たちにわたしを引き渡し、それからコシルのところに行って、彼女とうまくやっていくか--そうなれば、それきり話は終わりだけど--、それとも、鍵を開けて、わたしといっしょにこを逃れ、墓所も、アチュアンもあとにして、広い海原に出て行くか。そうなれば、話はそれからだ。アルハになるか、テナーになるのか。両方同時にはなれないんだ。

 アルハとテナーに、同時になることはできない。
 このファンタジーの神話的な問いかけは、私には現代の少女にも投げかけられうるものだろうと思う。しかし、現代でその問いを投げかけるゲドの存在はいないのかもしれない。むしろ、根源的な悪の世界で大巫女として永遠の生命を得るように、アルハであれと呼びかける声のほうが強いかもしれない。
 テナーはテナーとなる。そして、ゲドの物語では、テナーはゲドとともにアチュアンを抜け出す。
 しかし、この物語は、さらにもう一度ねじれる。アチュアンを離れて、さらに物語の終盤手前でなお、テナーにゲドへの殺意を喚起させる。テナーは、アチュアンでの短剣を使った踊りを思い出しながら、短剣を手にゲドを殺そうともくろむ。

落ちてくる短剣の柄がまちがいなくつかめるようになればよいのだが、そうなるまでの間、彼女は幾度となく指をけがした。短剣はよく切れたから、傷は骨に達することもあり、うっかりすれば、頸動脈さえ切りかねなかった。(わたしはやっぱり、今までどおり、あの主たちにつかえよう)と、テナーは思った。(主たちはわたしを裏切って見捨てたけど、でも、最後にはきっと、私の手をとって導いてくれるに違いない。この生け贄を受け入れてくれるにちがいない。)

 テナーは、この自分の内面にわき上がるこの最後の殺意から逃れたとき、はじめて自由になり、泣き崩れた。自由は、彼女に喜びではなく、苦しみを与えた。

 彼女が今知り始めていたのは、自由の重さだった。自由は、それを担おうとする者にとって、実に重い荷物である。

 「こわれた腕環(ゲド戦記2)」はお子様向けのファンタジーだとも言われている。岩波の訳本には「小学6年、中学以上」とある。そう、この物語を、小学6年にも読んでもいたいとも思う。SFXを駆使した映像としてではなく。

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2004.06.04

不妊治療と産後うつ病

 昨日「皇太子妃報道のうっとうしさ」(参照)を書いてから、出産経験のある女性と話したおり、「不妊治療を受けた女性はホルモンバランスを崩しやすいのではないか」と言われた。
 そうかもしれない。と、思い手持ちの資料やネットで情報を軽くあたってみたが、よくわからない。しかし、この問題は気になるので簡単に書いておきたい。
 不妊治療と産後うつ病について、直接は関係のない情報なのかもしれないが、BBC"Multiple births and fertility treatment"(参照)が興味深かった。話は、不妊治療によって双子が生まれやすくなるというものだが、次のような指摘がある。


 Many doctors are worried that they are being put under increasing pressure to use more of the fertility drugs to produce more eggs and so increase the chance of the woman getting pregnant.
 US research shows people undergoing fertility treatment would prefer to have multiple births than have no children.
 This is despite reports that those who have multiple births are more likely to suffer depression, anxiety and emotional problems and more prone to divorce.

 不妊治療によって双子が生まれやすくなるということと、双子を持つ母親が憂鬱や不安など感情問題を持ちやすいということ、その2つがどうつながるのかわからないが、不妊治療による精神への影響はありそうだ。
 雅子皇太子妃の場合は、すでに不妊治療を受けてからかなりの時間が経つので、そうした問題でもないと考えるのが妥当なようにも思える。が、そのときふと思ったのだが、そして悪い噂になっていけないのだが、現在再度不妊治療をやっているのだろうか。真相はわからないのだが。
 不妊治療の問題についてネットを雑見したところ、奇妙な印象をうけた。どうもきちんとした情報源がないように見えるのだ。
 非難するようだが、こうした場合のガイドであるべきAll About Japanの「不妊治療」(参照)の情報が混乱している印象を受ける。少なくとも私は混乱した。広告の入れ方が悪いのかもしれない。アトピー情報でもよくあるのだが、不妊治療についてのネットのソースは、医学的な情報なのか、迷信なのかわからない情報が混在している。さらに、All About Japanの「不妊治療」には「おすすめ書籍」とあるのだが、これはガイドが選定したとはとうてい思えない書籍がリストされていた。
cover
不妊治療
ここが知りたいA to Z
 気になって、もとになるアマゾンで「不妊治療」関連の書籍を検索して売れ筋に驚いた。All About Japanの「不妊治療」のリストはどうやらアマゾンから自動的にひいているようだ。率直に言って、売れている本ほど、情報の信頼性は低いように私には思われる。といったことを書いてもあまり意味はないので、私の情報は古いのだが、書籍については自分が参照している「不妊治療―ここが知りたいA to Z 健康双書」を薦めたい。ただし、この本には、不妊治療と産後うつ病の関連の記載はない。
 産後うつ病についてもネットで情報を当たったが、あまり適切なものがなかった。三重大学母子精神保健グループの"Postnatal Depression"(参照)のサイトがあまり充実していないのも気になる。社会的な話題としては、読売新聞の医療ルネサンス(参照)で扱われて話題になったようだ。が、その記事はネットからはすでに参照できないようだ。
 ついでに読売新聞の過去のデータベースを当たると、2002.7.2「『出産後うつ病』抗体で予測へ オランダ・ティルブルフ大の研究チームが発表」という興味深い記事がある。

 赤ちゃんを産んだ後、気持ちが不安定になり、一人で落ち込んでしまう「出産後うつ病」は、妊娠中のいわゆる“マタニティー・ブルー”より深刻な症状で、約15%の女性が経験するといわれている。
 オランダ・ティルブルフ大のビクター・ポップ教授らの研究チームはこのほど、このうつ病を妊娠中から予測できる目安となるたんぱく質(抗体)を見つけたと発表した。早期に発見する検査法につながる成果と期待される。
(中略)
 研究チームは「出産後うつ病になる女性は助けを求めず、放置されたままになっていることが多い」と、早期発見の重要性を訴えている。

 産後うつ病は産後数週から数か月以内に現れるうつ病で、この記事にあるように経験者は少なくはない。が、一般的には長期に及ぶものでもない。先日、極東ブログで「幼保一元化は必要だが」(参照)を書いたおり、育児が社会問題になるのは、女性が職場復帰できる産後の1年から幼稚園に子供を預けられる3歳までかとも思ったが、産後うつ病などのケアを含めて、産後1年以内でももっと社会的な対応が必要なのではないかと思う。
 時事的な話題の線で言えば、政府は今日少子化社会対策大綱を閣議決定する。大綱の原文は「少子・高齢化対策ホームページ」(参照)で入手できるのだが、これがなんとも理解しづらい。不妊治療にも言及はあるが、具体的にはわからない。
 以上の話に、とってつけたような結論をつければ、不妊治療と産後うつ病については、ネットが普及しても情報がないように見えることは社会的な問題だろう、ということになるか。
cover
シアーズ博士夫妻の
ベビーブック
 余談みたいだが、産後うつ病について、私が信頼している書籍「ベビーブック」を私なりにまとめておこう。

  • 赤ちゃんケアに専念するときは家事両立など考えない
  • 赤ちゃんケアをやるべき優先順位のトップに置く
  • 毎日数時間は外に出る時間を作る
  • グループカウンセリングを受ける
  • きちんと栄養バランスの食事をする
  • 身だしなみを崩さないこと(出産前にヘアスタイルを変えておくいい)
  • 休息をきちんと取ること

 日本の状況では、グループカウンセリングは難しいかもしれない。また、赤ちゃんケアを優先にしてまともな食事などできないということもあるだろうが、この点については、都心部ならケータリング・サービスを有効活用するといいと思う。

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2004.06.03

皇太子妃報道のうっとうしさ

 週刊新潮(6/10)「『鬱病』の雅子さまは『天皇・皇后に敵意』を持っていると報じた英高級紙」の記事を読み、しばしぼんやりと考え込んだ。考えがまとまるわけでもないが、自分の感じるうっとうしさのような思いを少し書いてみたい。
 まず思ったのは、週刊新潮のこういう手つきはちょっと汚いなということだ。新潮社もジャーナリズムの中にいてオフレコ情報を持っているはずだが、それを出さずに海外メディアを道化回しにして「雅子皇太子妃は鬱病である」と言うあたりの手つきだ。しかし、週刊新潮にそう言っても詮無きことだとは思うし、そうでもしないと、とても言えないよ、というこのうっとうしい現状に少しでも風穴を開けることはできなかっただろう。
 週刊新潮が話題をひいているのはタイムズだが、私は原文にはあたっていない。それでも、新潮の引用や訳にそれほど問題があるわけもないだろうとは思う。気になるのは、結局、そこしか、現状は、彼女が鬱病であるというジャーナリズム上のソースがないことだ。だとすると、例えば、私は、「雅子皇太子妃は鬱病だ」と言えるのだろうか? そのあたりがよくわからない。私が一般的に他人を「あの人は鬱病だ」と言っていいかと言えば、もちろんプライバシーの問題がある。しかし、皇太子妃については、そういう私人のプライバシーとは違うことはあきらかだ。
 ごたごたした話を端折るが、結局のところ、私は彼女の病状について、「何も言うんじゃねぇ」という重苦しい空気を感じる。そしてその空気はたまらなく不愉快だ。
 心の悩みと鬱病は違う。鬱病は医療を必要する病気だという意味で、帯状疱疹と同じだ。それを皇室が秘すとすればその理由がわからない。現状の報道では皇太子妃は病気であるというが、なんの病気かは知らされない。しかし、現代人の常識からすれば鬱病であると考えてもいいように思う。
 次に気になるのは、それが鬱病だとして、報道が精神的な苦痛と安易に結びつけてすぎているように私には見えることだ。鬱病についての、私の認識が間違っているのかもしれないが、鬱病は心の悩みとは違うはずだ。心の悩みが鬱病をトリガーすることはあるのだろうが、原因と結果の関係ではない。そのあたりが、報道では整理されていない。専門家がきちんと言及すべきだと思うのだが、それ以前に、表向きは鬱病ということになっていないので言及できないということなのだろうか。
 彼女の心痛と彼女が置かれている環境の問題についても、ごちゃごちゃに議論されているように見える。それも、私には不快な感じがする。が、この点については、率直に言って、皇室側にも問題があるという印象を持っている。私の記憶で言うので詰めが甘いのだが、昨年雅子皇太子妃が帯状疱疹であるという発表があったのは、彼女が40歳になる直前だった。これは端的に言って、40歳という節目に想定される「お世継ぎ」問題を避けるためだったと推測してもいいだろう。
 私が思うのは、これも問題を切り分けるべきだということだ。私の常識からすれば、「40歳の女性に男の子の出産をもとめるのは非常識」である。だから、彼女の病状如何と切り離して、もう「男子お世継ぎ問題」に政治的な対処を行うべきではないか。そして、それができるのは、内閣であり、小泉首相ではないのか。
 以上の話をもう一度くっきりまとめたい気もするが、やめて、自分も話題を混ぜ返すようだが、彼女の心痛について少し言及したい。
 そう思ったのは、先日、Boston Herald.com"Japan crown wears heavy for princess: Mass. friends recall ‘driven’ schoolgirl"(参照)を読んで、印象深く思えたからだ。
 この記事は、先の週刊新潮の記事でも引用されているのだが、大学生時代の小和田雅子さんについてイギリス人の学友が"She was, in some respects, an all-American girl."と述べているのが、特に気になった。イギリス人から見て、彼女は実にアメリカ人的な少女だったということはどういうことか?
 私はこれは、イギリスの上流階級的な女性ではないという意味だと思う。ハリーポッターのなかでハーマイオニーの家柄の話がうだうだと出てくるが、これは、ハリーポッターが上流の血統の洒落であるのに対して、ハーマイオニーは上流の血統とはいえない、というキャラを反映している、ということだ。こういう人間観を持つイギリスってやな国だなと私は思うが、現実は現実で、おそらく小和田さんは、上流的な雰囲気はなかったのだろう。と同時に、ハーマイオニーのようなフランクさもあったのだろうと思う。
 私は彼女が皇太子の意中の人らしいという時代のテレビ報道を覚えているが、そこに映された私人時代の彼女は、下賤とも言える報道陣を無視して闊歩していた。私は彼女を下品だとは思わないが、地は気丈な人なのだろうとは思った。
 私は個人的にだが、雅子皇太子妃はあの20代の芯の強さを取り戻して欲しいと思う。下衆な報道陣を無視して闊歩するあの姿を好ましいと思う。

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2004.06.02

長崎県佐世保市、小六女児殺害事件に思う

 長崎県佐世保市、大久保小学校で起きた六年生女児殺人事件について、自分なりの思いをメモ書きしておきたい。
 私は最初のニュースを聞いたとき、それは事故ではないかと思った。しかし、事故ではないと知った。次に、それでは喧嘩に刃物を使ったために陰惨な結果になったのだろうか、と考えた。しかし、そのとき疑問が浮かんだ。およそカッターナイフで人が殺せるのだろうか、ということだ。10センチの傷というのがよくわからないが、人というのはそう簡単に殺せるものではない。事後の対処の遅れが致死につながったのではないのか、とも疑問に思った。しかし、その後の報道を聞くに、どうやら頸動脈を切ったようなので、対処は難しかったかもしれない。
 続報で、加害者の女児に明確な殺意があったことが明らかになってきた。読売新聞の報道「書き込みでトラブル?補導女児『殺すつもりだった』」(参照)をひく。ただし、被害者名はSさんと書き換える。被害者実名を記す意味はないと思うからだ。


 長崎県佐世保市の大久保小(出崎睿子校長)で、6年生のSさん(12)がカッターナイフで首を切り付けられ死亡した事件で、県警佐世保署に補導された同級生の女児(11)が動機について、「インターネット上で、自分のことについてSさんが書き込んだ内容が面白くなかった。いすに座らせて切った。殺すつもりだった」と供述していることが、2日わかった。


 女児は同署の調べに対し、「(Sさんの)態度が生意気だったので、呼び出して、首を切りつけた」とも供述している。同署は、最近、Sさんが書き込んだ内容を巡ってトラブルが起き、それが事件の発端になったとみて、Sさんが書き込んだ内容や、その後の2人のやりとりなどを詳しく調べている。

 報道が確かなら、殺意があり、十分に計画的とはいえないまでも、計画的な殺人だったのだろう。一時の感情に駆られたということでもないのは、その後の事情聴取で、後悔はしているようだが、落ち着いていることからも推測される。

 女児は1日午後7時半過ぎまで事情聴取を受け、パンとジュースの簡単な食事をした。同10時半、署内の女性職員休憩室で、職員2人に付き添われて就寝した。2日は午前7時50分に起床し、幕の内弁当のごはんだけを半分食べた。事情聴取が再開されたが、興奮した様子はなく、落ち着いて受け答えしているという。

 ここで私は不謹慎な印象を少し述べる。自分でも不謹慎な話だと思う。が、この自分の印象は自分にとっては、この事件を考える一つの原点になる。それは、忠臣蔵の浅野内匠頭を連想したことだ。彼は失態したので無念が残り、それが続く物語となった。だが、あのとき、浅野内匠頭がなぜそのような蛮行に及んだのかは今もってまったく歴史の謎とはいえ、それでも彼が吉良上野介を一撃で仕留めることができたなら、彼は本望であったにことには間違いない。人間の行動の心理的な理由は他人や後代からは理解できないこともあるが、その本懐に及ぶ行動それ自体を、人の生き様(運命)として了解できないものではない。私たちはかならずしも理性で生きているわけではないし、社会的な倫理に従って生きているわけでもない。感情に押されて気が狂っていると思われても、冷静にただそれを運命と受け止めて遂行することもある。
 もちろん、今回の事件がそうだというのではない。人を殺すことはまったく社会的に是認されない。加害者の女児はこの責任を一生負っていかなくてはならない。被害者とその家族を痛ましく思う。
 ただ、私には加害者を断罪できない心情があるし、また、こうした問題は「命の尊さ」「人を殺すリアリティの欠如」といったことでは解決しないのではないかと思う。
 今回の事件では、おそらく誰にとっても、不可解な殺人事件だという不安から、そこから心理的に逃れ、満足できるストーリーが欲しいのだろう。それが悪いことではないが、そのストーリーは見つからないのかもしれない。
 話を少し戻す。小学校六年生の子供がおよそ殺意を持つものだろうか、ということにも少し触れておきたい。最初に私の思いを言えば、持つ。私自身が、持ったからだ。この話は微妙な側面が多いのだが、私自身小学校低学年とき、いじめられっ子の経験を持っていた。後に客観的に検証してみるに、いじめられっ子だったかどうかはよくわからない。だが、高学年ではいじめられなくなった。一つは学力がなぜか飛躍的に伸びたこともだが、密かに内面で「オレをいじめるヤツについて、オレの我慢が越えれば殺す、断固として殺す、一撃で殺す、ためらわず殺す」と決意した。この決意は、ある種の殺気となって漂うものだ。それが、多分、私を守った。そして、私はその守りで、他のいじめられっ子をまとめた。そうした経験からすれば、私が誰かを一撃で殺していたという人生もあったかもしれない。
 これも難しい話なのだが、そういう決意がこの女児にあったかはわからないが、子供だから殺意がないということはない。そしてそうした子供の殺意は子供の内面を当然ながら荒らす。それは苦しみの一つの形態かもしれない。
 小児的な、こうした殺意という、おそらく苦悩を、どう扱ったらいいのか。言葉で言えばつまらないことになるが、私は、正しく人を嫌悪することを学ぶべきだと思う。
 今回の事件の被害者と加害者は、報道によれば深く関わりのある友だち同士だったようだ。だが、殺意に至る前に、それをきちんと嫌悪に変える心が持てなかっただろうか。「私はこの人が嫌いだ」とはっきりと自覚し、その嫌悪の強さと苦しみから、その嫌悪を無関心にまで引き上げる心の訓練というものはできなかったものか。
 気の利いた皮肉で結語にしたいわけではないが、殺意を緩和するためには、正しく人を嫌悪し、そしてその人に無関心なる心の強さが必要だと思う。

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2004.06.01

IP電話のダウンはコモンキャリアの恥

 「だから言っただろ、IP電話なんか電話じゃねー」とつい怒鳴ってしまった。NTTコミュニケーションズの通信サービスがダウンした結果、IP電話が34万件も不通になったというニュースをたまたまラジオで聞いたときだ。
 電話が通じないという話を聞くと、私は冷静ではいられない。トラウマ(心的外傷)である。私の父親は電電公社で線路監督していたのだ。自分が小さいころ、父は、電話が通じないという連絡があれば、台風や大雨でも深夜でも出かけていったものだ。洒落じゃねーくらい必死だった。それが電電マンの使命だからだ。プロジェクトXは小規模でも普遍的だったのだ。
 と、書きながら、苦笑する。回顧して済むことではない。ラジオのニュースを聞きながら、「きっと今、IP網の復旧で必死の若いオヤジたちがいるのだろうな」と思った。がんばってくれとも思った。
 原因は電源系らしい。障害状況は「大手町電力系故障の影響について」(参照)という、HTMLなのかコレみたいなふざけたホームページにある。つまり、網系ではなかった。網系だと…というあたりで、率直のところ現在の東京のIP網がどうなっているのかよくわからない。パケット交換でも大型規模のIXを使うのだろうが、その保全の仕組みがわからない。というか、パケット網の保全性はITUで規定されているのだろうか。
 この点、回線交換の場合は、わけあって自分もちょっと仕事をしたのだが、かなりしっかりしている。交換機にはメイト系が義務づけられている…というあたりで、どうもIP網というのが私には信じられない。原理的には、ARPA時代の構想のようにIP網というのはタフなものなのだろうが…。実際、今回のようにダウンしてしまうとルーティングもできないものなのか?と疑問に思う。それに、電源系の障害であんなに長時間ダウンするものなのか。と、不可解なのだが、どうも当方の無知を晒しているようでもあるな。
 原則的に言えば、技術は進歩するから、IP網を使って電話ができないわけはないので、技術者さんたち、がんばってくれ、としか言えない面はある。だが、私が見るかぎり、日本のIP電話の実態とそれにまつわるマスメディアの言説については、なんかな、とち狂っていると思う(たとえば日経社説「IP技術が促した通信再編」など、なにがIP技術だよ)。その状況だけを見るなら、冒頭のように、「IP電話なんか電話じゃねー」とつい口をついてしまう。実際、米国FCC(連邦通信委員会)の規定では、回線交換網を経由しないIP電話は、ヴォイス・メールの扱いで、電話ではないはずだ。
 ということもあり、日本のIP電話は、私から見ると、とてもコモンキャリアの商売ではないとも思うのだが、今回のダウンをやったのはNTTを冠するNTTコミュニケーションズなのだから、さらに脱力してしまう。
 しかし、NTTがそうなることは予想外のことでもなかった。2002年4月に出された「NTTグループ3ヵ年経営計画(2002~2004年度)について」(参照)を読みながら、やな感じー、だったのだ。具体的な取り組みにこうある。


(3)VoIP普及を踏まえた固定電話事業の展開
<1>固定電話網投資の停止
 音声からデータへの需要シフトに加えて、益々加速する定額制料金の普及・ブロードバンド化の進展により、固定電話の通話トラヒックそのものがIP通信へ移行していくことが必至であることから、固定電話網及び固定電話系オペレーションシステムへの投資を原則停止し、IP網の充実に投資を集中することにより、通話品質の確保など統合に伴う技術的な諸課題を解決しつつ、IP技術によるネットワークの統合化を進めていきます。
<2>VoIPへの対応
 NTTグループは、当面のIP電話との単純値下げ競争に対しては、固定電話網コストの徹底した削減により対応していきますが、本格的なIP時代に向けた競争力強化のため、ISPサービスへの音声通話機能の付与や法人向けのIP-VPN*16の提供に積極的に取り組んでいきます。

 ようするに固定電話網の投資を止める…廃れるに任せる…ということだ。それにもむっとするが、時代の趨勢であることは否めない。問題は、コモンキャリアの意地というか使命をVoIPに活かすぞ、という意気込みがここに全然ないことだ。算盤弾いてんじゃなねーよ、NTTトップと思う。
 と、うざうざしたボヤキを続けてもなんので、どうしても気になる一点を書いて終わりにしたい。IP電話って緊急時に電話の役をなすのか?である。今回の「大手町電力系故障の影響について」の報告の最後にこうある。

新しい情報がわかり次第、続報を掲載致します。
<本件に関するお問い合わせ先>
お客様お問合せセンタ
TEL:0120-506268

 続報が全然ないのはご愛敬として、さて、IP電話が止まってどうやってここに電話するのか? 答えは、携帯電話、ということなのだろう。で、いいのか? 確かに携帯電話でここにつながるのだが、災害時の電話連絡には使えないだろう。
 ちょっと滑稽なのだが、NTTコミュニケーションズは「災害時の電話連絡について」(参照)で、災害用伝言ダイヤルを説明している。これが、まさに、回線交換のメリットを活かしたものだ。

 この災害用伝言ダイヤルは、被災地の自宅電話番号の末尾3桁をNTTのネットワークが自動判別して、全国約50ヶ所に配置した伝言蓄積装置に接続し伝言をお預かりし、再生時も自動でこの伝言蓄積装置に接続します。

 IP電話はこうした事態にどう対応するのだろうか?
 また、すでにISDNですら問題だったが、停電時はどうなるのだろうか。私は沖縄で長く暮らしていたので、年に4日間くらいは台風で停電の生活をする(それも悪くない。冷蔵庫の中身を全部食うのだ!)。電話網は電灯線側が停電しても電力が供給されるので大丈夫なのだが、ISDNモデムだと問題になる。というわけで、私はその電源バックアップに腐心した。ADSLは通常回線を使うので停電の問題はないのだが、モデム側はどうなのだろうか? 電話会社がコモンキャリアというのは伊達ではない通信のタフネスを保障するからなのだが、IP電話はどうも心許ない。
 技術的には、e911も気になる。e911は米国の緊急電話番号(ダイヤルが911)のことで、日本なら、110番や119番にあたる。現状日本のIP電話ではモデム側でこっそり切り替えてその場しのぎの対応をしているのだが、社会の通信のライフラインを保障するという意味でのコモンキャリアとしての規制をIP電話にかけるべきだろうと思う。
 今回の事態は一部の人が困り、私のように特定のトラウマの人間が騒ぐ程度だが、IP電話の大規模ダウンが再発するようなら、こうした問題をきちんと社会問題に持ち上げなくてはいけないだろう。

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