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2004.05.05

子供の日雑感

 子供の日だからどうという思いもないが、吉例で、総務省が15歳未満の子供の推計人口を発表するので見る。といって、それにはどうという意味もない。昨年までの22年連続の減少が今年もということで、23年連続の減少になるだけのことだ。そのうち、こうしたカウントも意味がなくなるだろう。
 今年の統計値では、昨年より20万人少ない1781万人。総人口に占める子供の割合も同0.2ポイント減の13.9%。年齢別でみると、統計上限の12-14歳が367万人と最多。年齢が低いほど少なくなり、0-2歳は344万人。じり貧、尻つぼみということだ。
 男女比は男子は913万人で、女子は868万人、と、一般的な人口統計の男女比に近いのだが、私はちょっとこの数値に違和感がある。統計値には見えてこないのだが、比較的所得の安定した地域の小学校低学年では女子のほうが多いように思えるからだ。たぶん、これは、地域差なのだろうと思うが、気にはなる。
 昨年の統計値だが、都道府県別で見ると、子どもの人口比が最も高いのは沖縄の19.0%。これに滋賀15.7%、佐賀15.5%と続く。低い順から見ると、東京12.0%、秋田12.7%、高知13.1%。だが、東京や神奈川は前年と変わらない。都市部への人口シフトが関係しているのだろう。滋賀県についてもベッドタウン化による同様の現象だろうと思うがどうだろう。なお、国際的な比率で見ると、アメリカが21.0%、フランスやイギリス18%台ということで日本より子供が多いが、この三国は先進国では特例なのかもしれない。
 国内の地域別の統計を見ると、沖縄は子だくさんであるかのような印象を受ける。たしかに、沖縄の19%と東京の12%では社会的にも違いが見えてくる。つまり、ああ、沖縄って子供が多いなという感じである。が、実際に沖縄で暮らした印象でいえば、子供が目につくのは、基本的に南国のせいか、子供が家にいつかないということがあるようだ。沖縄県民用語でいうところの深夜徘徊も多い。また、沖縄は自然が多いかのようだが、子供の居住している地域は、伝統社会的な地域ではない。適当に都市化された地域になっている。なにが言いたいかというと、こうした子供の人口統計を見て、沖縄っていいなと安易に思わないように、ということ。
 それでも、子供の多い社会として沖縄でいいなと思うことは、主観もあるが少女たちがやさしいことだ。古くさいフェミニズムの人は怒るだろうが、少女たちは日常小さい子供の面倒を見せられているせいか、子供の扱いに手慣れている。特に、コンビニや食堂などの店員に顕著だ。もちろん、そうでない子もいる。なにも少女と限らないのだが、子供のいる社会は、それだけで、伝統社会的な人間らしさは生まれてくる。
 逆に東京では子供やティーンエージャーのもつ印象がだいぶ違う。東京に暮らしている人間にはわかりづらいかもしれないが、沖縄などからたまに来てみると、けっこう違和感がある。単純に言うと、子供が子供らしくない。私の実感からいうと、叱られ慣れていない。私はあちこちで、子供を叱る。基本は子供の安全と、子供が引き起こす他の安全、それからごく基本的なマナーが気になるからだ。しかし、東京暮らしが長くなるにつれ、私もこうしたことに無関心になってくる。子供の少ない社会については、いろいろ騒がれるが、どうなるものでもない。どうにもならない。
 今の日本の子供は6ポケッツと言われるように、一人の子が親と祖父母の6人から援助してもらえる。これは市場的にはおいしい、というわけで、子供のために金を使わせる社会になってくる。当然ながら、この体制はさらに子供の経済環境の差を拡大するのだから、子供にしてみると、やってらんねーなというくらい階級的な世界に見えることだろう。子供の感性はそういう社会を息苦しく感じるのではないか。
 人質事件のせいか、海外ボランティアにメディアの関心が向いたようだが、なんとか子供を直接世界に開かせ、息をつかせるということはできないものかと思う。三十半ばの独身女性が自分が出向いて外国のストリートチルドレンを援助するのもいいのかもしれない。が、むしろ、そういう子供たちと日本の子供たちをどう交流させるかということのほうが、重要なようにも思える。端的に言えば、移民の子供たちを日本の社会にどう開かせるかということが、むしろ当面の課題のように私は思う。

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コメント

極東ブログさんの子供の日雑感には大いに同感なのですが、
朝日のこどものひ社説は明らかに
考証的に間違っていると思うのですが…。http://www.asahi.com/paper/editorial.html
グリム童話が示唆しているのは、
子供と大人の境目がはっきりしていないということであって
(アリエスの子供の誕生、
フーコーの性の歴史などが詳しいですね)、
それを逆に解釈するとは、
筆者の意図的な悪意ある嘘なのか、
それとも筆者が本当の馬鹿なのか、
どちらなのか私には分からなくて…。
finalventさんはどちらだとお思いになりますか?

私は子供が構造的に作られたものであっても、
それは些かも子供の価値を減ずるものではないし、
朝日のような虚偽を聾して構造から目を背け
子供を抑圧しようとする
試みこそが最悪の子供差別だと思いますね…。

投稿: kagami | 2004.05.05 12:10

kagamiさん、こんにちは。
朝日の社説は阿呆かというくらいでしたが、もう少し考えてみる必要はありますね。

元の話は「子ども達が屠殺ごっこをした話」ですよね。
http://densyo.hp.infoseek.co.jp/tosatu.htm

この機に原典を探したのですが、見つかりませんでした。で、この話をどう解釈したものか、ですね。少なくとも朝日新聞社説のような呑気な話ではないわけです。

執筆者がこの話のいきさつや全体を知らないで書いたのか? ただの馬鹿? なんか微妙なところをついてきますが、ま、フーコーとか読んでいそうもないので、DQNに賭けましょう。

さて、
>私は子供が構造的に作られたもの

という点。kagamiさんの言われるところはわかります。一時期「風景論」なんかと一緒に流行だったように記憶しています。

現時点で自分が子供というのをどう捕らえるか? ちょっと変な話なのですが、想像以上に子供というのは性的な被害者という印象を持っています。それが前近代的な空間ではある程度保全のシステムもあった。近代は子供を構造化した。ところが、超近代化のなかで、今の子供の虐待(多分に性的)が無秩序に露出したかな、と。それに対して、朝日的な近代のイデオロギーで戻せるか? とか考えています。

ちょっと話がそれてしまいましたが。

投稿: finalvent | 2004.05.05 13:20

なんといいますか、朝日新聞という公器に、徹底的に阿呆な文章が
載ってしまうというのは、メディア的にどうなんでしょう…
真っ正直に信じこむ人が大勢いる訳で、危機感を感じます…。

また、仰られる通り、朝日も含んで(嫌な感じですが…)
最近の日本のメディアは全体一致で伝統的価値観の復権、
家族の復権の回復を図っていますね。
つい先日も若い文系オニピオン層に絶大な影響力を
持つゲームメーカーが家族愛・郷土愛・労働の尊さ
をモティーフにした読売新聞あたりが
絶賛しそうな作品でメガヒット
(発売後、5日で販売本数がPCのみで20万本、
コンシューマゲーム機移植が確実により、いずれのミリオン確定)
を飛ばしたり、父性的側面を強く出した
石原都知事への支持が根強いこと等、
ポストモダンの無秩序さに耐えられなくなった
人々が伝統的価値(家族愛)の中へ回帰している
ことを感じます。私は結構保守的で、
家族愛や共同体愛には素晴らしいものが多々ある
と思うので、そういった一顧として子供への愛が
江戸時代のように再び生み出されることは希みです。
(虐待の問題の解決の鍵でもあると思います)
ただ、それが構造であることを忘れてはいけないと思いますね。
忘れると、それこそ、江戸時代の悪い部分(隠された虐待)
も一緒に戻ってきてしまいますから…。

投稿: kagami | 2004.05.05 14:11

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