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2004.05.31

サウジのテロは新しい危機の始まりか?

 サウジアラビア東部アルコバールで、29日、武装集団が外国の石油関連企業の入るビルや外国人居住区などを襲って銃を乱射する事件が起きた。犯行声明ではアルカイダを名乗っているのだが、アルカイダのような洗練されたテロではない。しかし、今回の事件で特徴的なのは、ハリバートン(米国エネルギー企業グループ)傘下企業を明確に狙った点だ。ハリバートンは、石油メジャー系の陰謀論が阿呆臭くなってからなにかと陰謀論の主役に出てくる。しかも、以前から言われていたチェイニー米副大統領との関連も取りざたされている。朝日新聞系「米副大統領がイラク石油事業発注に関与? タイム誌報道」(参照)では、次のようにうきうきと語られている。


 31日発売の米タイム誌(電子版)は、チェイニー米副大統領が最高経営責任者(CEO)を務めていたエネルギー大手ハリバートン社が米国防総省からイラクの石油関連事業の発注を受けた際、チェイニー氏が関与していたことを疑わせる電子メールを入手したと報じた。同社のイラク復興事業受注にからんでは不正疑惑が相次いで浮上しており、副大統領の関与も指摘されてきた。今回の報道が事実とすれば政治問題になりそうだ。

 復興事業を米国だけに閉ざせばハリバートンが出てくるのは当然なので、そのレベルで稚拙な陰謀論を展開してもなんだかなとは思うし、ここで一気にネオコン退治という米国内の政争ということかもしれない。
 話を戻して、今回のサウジの事件だが、同じく朝日新聞系「米企業を名指し非難 サウジのテロで犯行声明」(参照)では、さもテロの裏付け理論があるように、親切にニュースを仕立てている。

 今回の襲撃の直前、アラビア語のインターネットでイスラム過激派の論文集のサイトの最新版に、アルカイダのサウジでの最高指導者とされるアブドルアジズ・ムクリン氏の「作戦実施計画」とする論文が掲載されていた。
 (1)標的を注意深く選定(2)標的についての情報収集(3)殺害方法や作戦実施時期の決定(4)作戦実施のために類似した場所での訓練など7段階の手順が解説されていた。アルカイダ系の武装勢力が外国企業へのテロ活動を準備していた可能性を示している。

 このまとめを鵜呑みにすると、冗談のように稚拙だ。もしかすると、今回の事件もそうした稚拙な暴発なのかもしれない。
 問題はむしろサウジの側にある。あれま、というほど断固にかつ強行に事件をねじ伏せてしまった。それ以外の手もありようもないのだが、日本人にしてみるとその手つきはあまり理解しやすいものではないだろう。サウジの態度の背景だが、これも朝日新聞系「石油産業がテロ標的に、投資リスク増す サウジ襲撃」(参照)が詳しい。

 だがサウジが過激派対策に本腰を入れたのは、イラク戦争で米国が世界2位の石油埋蔵量を持つイラクを押さえ、サウジ離れの姿勢を見せてからだ。米国を頼みとするサウジ王家にとって、米国が求める過激派撲滅を実施できるかどうかが、政権存続にかかわる問題となった。リヤドやメディナなど大都市で、治安部隊による過激派拠点の摘発や、過激派グループと治安部隊の銃撃戦が頻発するようになった。

 このあたりの解説は悪くない。米国の中長期の戦略としては、イラクを安定化させることができれば、サウジを切ることも可能になるからだ。その思想をもつ勢力は米国に根強い。が、現状、サウジのお友だちであるブッシュ家の長男が米国の棟梁をしているうちはそう過激な動きにはでないだろう、というのがサウジの読みだが、サウジとしても内情ややこしい問題を抱えており、今回の事件はそう単純ではないこともありうる。
 もともと、アルカイダはサウド家が育てたようなものだし、であれば、アメリカもグルだというあたりは、「裏切りの同盟 ~アメリカとサウジアラビアの危険な友好関係」またはPBS"Saudi Time Bomb?"(参照)を読んどいてくれ。また、サウド家とワハブ派(ワッハーブ派)については、ちょっと情報が散漫だが、Wikipdiaの「ワッハーブ派」(参照)を参照のこと。
 気になるのは、当然、今後の動向だ。本気でアルカイダが親元のサウジを攻撃し始めるかだ。「裏切りの同盟」のBob Baerは昨年の夏時点でこの懸念を、salonのインタビュー"Terror in the Saudi kingdom"(参照)強く表明していた。The regimeとはサウド家である。サウジ・アラビアとはサウド家の所有物である。

The regime is plenty vulnerable. I think the fact that we've been seeing running gun battles all around Saudi Arabia since May 12 [when suicide bombers struck a residential compound in Riyadh] is indication enough there are deep problems in the kingdom.

 動向がマジかどうかは、同じく、Bob Baer のコメントが示唆深い。

Do you agree that the May 12 suicide bombings in Riyadh had a big impact on the Saudi regime? They've announced a number of al-Qaida arrests in the last two months, but is it real progress or just window dressing?
 I think it is window dressing -- just compare Saudi Arabia to Pakistan. The Pakistanis finally understood they had to arrest these people who were behind 9/11. They've been there on the street with us, some getting killed while trying to make arrests, and they've turned them over to us. It's very clear-cut that Pakistan, or at least Musharraf, is helping to a large degree.
 But you look at Saudi Arabia, and as far as I know, there hasn't been a single arrest inside the Kingdom of anybody implicated in Sept. 11. And the Interior Minister, Prince Nayef, said yesterday they're not going to turn anybody over to the United States. To really do a thorough, complete investigation we need to take these people [like al-Bayoumi] into our custody as material witnesses.

 つまり、これまでは各種事件があっても、サウド家は動いていなかったのだ。
 とすれば、逆に、この事件をサウド家がどう見ているか、つまり、マジかよを計るには、今後の取り締まりの動向を見ていけばいい。
 ただ、どうも皮肉な見方になっていけないのだが、アルカイダっていうのは、かなり賢いのではないか。ちょっくら原油市場を脅したり、サウド家を弱体させるようなことをすれば、中長期的に自分らの首を絞めることを知っているのではないか。

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2004.05.30

アラウィ首相指名の黒いゲームも悪くはない

 イラク統治評議会が、6月30日以降のイラク主権移譲で、その受け皿となる暫定政権の首相に、INA(the Iraqi National Accord:イラク国民合意)事務局長イヤド・アラウィ(Iyad Allawi)を指名した。予想外のことではないので驚きはしなかったのだが、落胆はした。国連ブラヒミはまんまと出し抜かれたのだ。
 朝日新聞系「ブラヒミ氏がアラウィ氏の指名を追認 国連には驚き」(参照)がこのあたりをイヤミったらしく書いている。


 複数の国連筋によると、アラウィ氏はブラヒミ氏が考える首相候補の一人に過ぎなかったという。27日に行われたアナン事務総長らによる組閣に関する内部協議でも名前は出なかった。
 エクハルト氏も「考えていたような形で物事が進まなかった」と、指名がブラヒミ氏の意向を無視して行われたことを示唆した。しかし、「イラクの人々は指名に合意しているようだ」として、その意向を尊重する姿勢を示した。

 ブラヒミ=国連は無力なものだなと思う。そして、国連が無力ということは、主権委譲後も別段、イラクでなにが変わるわけでもないということだ。同記事では、イヤミ路線で八つ当たり的にCIA関与を推測している。

安保理の一部理事国や国連事務局には、今回の突然の指名に米英の暫定占領当局(CPA)の関与を疑う声もある。

 毎日系「<イラク>暫定政権首相はアラウィ氏で決まり 米政府高官」(参照)ではAPニュースからイラク内部からCIA関与へのイヤミを拾って結論にしている。

AP通信によると、ワシントンのチャラビ氏と親しい人物は、アラウィ氏が暫定政権の首相になることを「CIAがイラクを動かすことを意味する」と述べている。

 日本人としてみると、CIA=アメリカの悪の出先、という構図だから、こういう反米図式にすると日本ではニュースの引きもいいのかもしれない。むしろ、アラウィはイギリスの諜報機関との関連が深いのだが…。
 日本の進歩派?は、悪いことはすべて米国、という、日本にありがちなガーベジ・コレクションにしたいだろうが、それで済む話ではない。少なくとも、米内部での対立はある。ニューズウィーク日本語版6.2「戦争の仕掛け人 チャラビの凋落」では基本構図をこう描いている。

 今の米政府は、まさに内戦状態。元亡命イラク人のチャラビを「自由の戦士」として支持してきたネオコン(新保守主義者)と、彼を信用しない情報当局や国務省がいがみ合っている。
 一時はネオコン側が優勢だったが、今は自信も影響力も失いつつある。それは、家宅捜索した米軍の司令官が国防総省トップに知らせなかったことからも明らかだ。国連暫定当局(CPA)のポール・ブレマー代表が捜索を許可し、ホワイトハウスも黙認したらしい。

 こうした流れを見ると、米国は南米をぐちゃぐちゃにしまくった昔懐かしい唄を歌いたいのだろうという感じがする。私は、率直に言えば、この古い唄よりはネオコンのビジョンに期待をかけていた…。
 いずれにせよ、これで、国連フェイクと主権委譲、チャラビ宅ガサ入れ、というストーリーの上に今回の食わせ物野郎アラウィが出てくるのは自然な流れだ。食わせ物野郎? 当然ではないか。こいつが例の疑惑の45分情報の出所なのだから。
 その意味で、イラク状勢は陰惨だが欠伸の出るような展開か?と思っていたら、salon"A man for all intrigues"(参照)を読むと、今回のアラウィ出現にはまだチャラビが噛んでいるのだ。チャラビが親類とはいえ今まで敵役のアラウィを押している。なぜ? というか、それ以前にブレマーはこの流れをどう見ているのか? 是認はしているのだろう。大統領選への日和見ということころなのか。
 この先の私の話は、残念ながら、多分に陰謀論的になる。ご注意を。
 敵役同士が手を組むというのは、国共合作じゃないが、たいていの場合、共通の敵がいるか、呉越同舟でも欲しいメリットがあるかだ。今回のケースでは、それって、イラクの石油収入の権利じゃないのか? 陰謀論めくというのは、これだ。石油収入の権利で見ると、ごたごたがすっきりと黒いキャラクターで整理できる。むしろ、ネオコンなんか純情な白ピクミンみたいなものである。
 この間、イラク主権委譲後のイラク統治について、米国がフランスに打診してごにょごにょしている話があるが、これも、端的に、石油収入の権利を米国が独占するのは許せん、ということだ。というとあまりに陰謀論臭いからVOA"Bush Asks French President to Support UN Resolution on Iraq"(参照)をひく。

French officials have also raised concerns about who will control Iraqi oil revenue after the transfer and how long a proposed multi-national security force will stay in the country.

 VOAだからって、そうむちゃくちゃな話をしているわけではない。こういう基本が日本で報道されているのか?、ま、どうでもいいや。
 話を戻して、アラウィ擁立に関わるチャラビの動きを見ていると、取りあえず米側に擦り寄りながらも、米国から石油収入の利権を取ろうとしているわけだ。このハゲ、まだなんかやりそうだ。
 こうした黒キャラたちを見ていると、勝手にしろと言いたいところだが、マクロ的に見ると、そう悪いものでもないのかもしれない。いずれにせよ、イラクという国家が国家としてまとまるのは、この石油収入の権利を配分するという意味での国民が基礎になるのだからだ。つまり、そういうことなのだ。「多少ひどいことはあるけど、クウェートよりましだものな、イラク国民のほうがいいや」、というわけだ。ただ、イラクの貧乏庶民は国家のそういう面をそれほど理解しているわけでもなく、クウェート型でもそう問題はないのかもしれない。
 なんであれ、いずれ米国はイラクの石油収入の利権から手をひくべきなので、そうしたどたばたは可視になっているほうがいいのだろう。がんばれ黒キャラたちである。政治というのはそういうものだ。
 というあたりで、ふと気が付いたのだが、現在世界の原油高騰だが、一般にはイラクの地政学的な問題をネタにしているが、これは逆ではないのか。というのは、産油国が恐れているのは、原油の暴落だし、その長期的な暴落、というか低水準の最大の要因となるのは、イラクの石油が世界に安定的に供給されることだ。
 どうも私は陰謀論に酔っているのかもしれない。が、世界の原油の市場は、イラクの豊潤な石油への敵視が組み込まれているのであり、むしろ、それは中・長期的にはイラクの安定を想定しているからではないのか。
 とすればそれも悪くはない。政治など、善意からいい結果が出るものではけしてない。黒キャラが活動してもいいリザルトは出てくることもある。
 むしろ、こうした開かれた世界に対して危機を感じているのは、EUというかフランス(とロシア)のほうではないのか。もともとサダム時代に甘い汁を吸い、市場を攪乱してきたが、そうはいかなくなるのだ。

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2004.05.29

年金改革関連法案審議、これは詐欺だ

 国会議員の年金未納問題にも呆れたが、世相は、任意加入時代の未納問題を騒ぐに至って、社会ヒステリーとなった。すでに指摘されていることだが、もともと国会議員の国民年金加入は、1980年3月までは議員互助年金との重複加入を避けるために禁止されていたものだった。同年4月以降、国会議員の国民年金加入は任意となったものの、前時代の機運から、それでも二重取りはまずいでしょうということで、国会議員は国民年加入を控えていた。だから、1980年代からやっている国会議員はほとんどすべてに未加入時代が出てくる。坂口厚生労働相も27日参院厚生労働委員会で、1987年1月から1986年3月は加入していなかったことを明らかにしたが、それ自体は確かにどうという問題でもない。
 むしろ問題は、そもそも重複とされる議員互助年金のほうで、これは、国会法36条「議員は、別に定めるところにより、退職金を受けることができる」という一時金が、議員立法による国会議員互助年金法によって「互助の精神に則り、国会議員の退職により受ける年金等に関して定める」というように年金に化けた。その意味で、このインチキをただして、国会議員が国民年金に徹するというのがスジだと思われるのだが、そうした議論はまるで出てこない。官僚の共済年金と同じで議員互助年金もそもそも聖域になっている。
 いずれにせよ、こうした些末な問題はどけておかないと、年金改革など議論できない。というか、すでに、馬鹿馬鹿しくて匙を投げたというのが極東ブログであったのだが、法案が参院に提出されると、ちょっと奇妙な光景が出てきた。分かり切ったこととはいえ、「おい、これは詐欺じゃないのか」と言いたい。
 何が詐欺か? そもそも今回の公明党法案、もとい、与党案のポイントは、徴収額の上限を固定化し、受給額の下限を固定化することで、国民の年金不安を除くというものだった。ところが、その鉄板が抜けているのである。だから、これは、詐欺じゃないか、と言うのだ。
 事態は参院の場で、共産党小池晃参院議員が明らかにした。共産党は大いに評価されるべきだ。詳細を朝日新聞系「独身男性、現役世代の29%に 受給開始20年後の年金」(参照)からひく。年金額が連動する長期的な物価上昇率を年1%、賃金上昇率2.1とした厚生年金のケースだ。


 共働き世帯の現行制度での給付水準は現役の46.4%だが、23年度以降に受給が始まる場合、65歳の開始時が39.3%、10年後で35.3%、20年後で31.7%となる。最も給付水準が低い独身男性では、受給開始時点ですでに36%で、20年後には29%になる。厚生年金は所得水準が低いほど給付が手厚いため、男性に比べ平均所得の低い独身女性は、開始時44.7%、20年後で36%となる。

 使えねぇ、である。もっとも、これは厚生年金なので、現在の20代が厚生年金をモデルされてもどうよ、の部類ですらある。
 同ニュースでは報じられていないが、こうした危機的な状況(といって想定される普通のケースなのだが)の場合、行政は新措置を取ることができる。つまり、いかようにも変更してくださるというのだ。こんなの法案じゃないよ。
 さらに同ニュースでは報じられていないが、というか、ネットを見渡してもわからないのだが、先の設定で国民年金を見ると、30年後に月額31,610円になる。端数を除いていうと、月額3万円払えよ、オメーラである(ちなみに20年後は20,860円)。
 額にもびっくりだが、三面怪人ダダ、じゃない、坂口厚生労働相は、国民年金の上限は2017年に16,900円で固定とか言っていたのだよ。どうして、これが参院では、3万円になるのか? って端的に詐欺じゃないか。
 参院厚生労働委員会ではさらに爆笑ポイントが出てくる。毎日新聞系「<国民年金>免除者加えた未納率47% 02年度」をひく。

 社会保険庁は27日の参院厚生労働委員会で、02年度の国民年金全加入者に対して実際に保険料を払っている割合は52.2%で、47.8%は保険料を払っていない実態を明らかにした。
(中略)
 実際の納付率は、納付対象者が保険料を支払うべき月数のうち、実際に支払われた月数の割合で算出している。02年度の場合、保険料全額免除者と納付猶予を受けている学生分の月数まで加えると「納付率」は52.2%になる。

 すでに国民年金が制度として機能してないじゃん、っていうか、破綻してんじゃん。しかも、これが今回の法案で是正される見込みもない。
 こんな年金法案はさっさと廃案にする以外、どうしろというのだ?
 それにしても、参院でこういう展開になるとは思わなかった。私は参院なんて要らないと言ってきたが、先日、インドの下院選挙のおり、二院制についてちょっと日本国憲法を読み直して思ったのだが、現行の参院でいいのかわからないのが、日本にも上院はあってしかるべきだと考えなおした。日本の国会議員にはまともな政策スタッフがないのだから、参院にばかばか面白いのを貴族代わりに送ってもいいのかもしれない。
 余談だが、私が子供の頃、小学生くらいだから40年近くも前だが、大人や老人に、参議院って何と訊いたら、「貴族院が戦後民主義で庶民が入った」というようなことを言って、ちんぷんかんぷんだったが、「貴族院」という言葉は記憶した。あの時代まだ貴族院という言葉が生きていたなと思う。貴族なんかは要らないが、ある種の良識が機能する上院が日本には必要だなと思う。

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2004.05.28

幼保一元化は必要だが

 日経新聞社説「縄張り排し幼保一元化目指せ」を読み、しばし考え込んだ。批判があるわけではない、短いスペースながら、基本的な部分はよくまとまっている。だが、私が実社会を見て思うこととはかなりずれがある。
 同社説にはスペースの都合からか、時事的な背景への言及はないが、これは、21日、文部科学省と厚生労働省が共同して開催された、幼稚園と保育所の一元化を目指した新総合施設の検討会議の初会合をうけたものだ。参考として、共同系「幼保一元化で初の合同会議 総合施設検討で文科、厚労」(参照)をひく。


 小泉純一郎首相は「2006年度を待たず実施する」としているが、これまでは幼稚園を所管する文科省と保育所を所管する厚労省が、それぞれの審議会で別々に議論を進めてきた。
 検討会議では、これまでの両部会での議論の概要を報告。今後、月に1回程度会合を開き、7月中に意見を取りまとめる考えだ。両省で意見の隔たりがある保育料の設定などの費用負担の仕組みや、設置主体をどうするかなどが焦点となりそうだ。
 両省は、検討会議で取りまとめた意見を基に、来年の通常国会での「総合施設法案」(仮称)提出を目指す。

 二省がようやく顔を付き合わせ、しかも早急に法案策定に向かうというのだ。問題の背景は、日経社説が詳しい。

 背景にあるのは、三位一体改革の一環で保育所への補助金(運営費)を地方で自由に使える一般財源に振り替える動きだ。すでに今年度は前年度分運営費の4割に当たる1700億円が削減された。縦割り行政による非効率を排し、税源移譲で地域に見合った制度創設を図ることは、深刻化する幼稚園の定員割れや保育所の待機児問題解消のためにも急務といえよう。

 政府側の意識としては、幼保一元化はまず補助金の問題であり、省間の金銭や人事の権限の問題になる。その大義として「幼稚園の定員割れや保育所の待機児問題」がある。表面的な社会問題としては早急の課題ではあるのだが、なにか違うようにも思える。
 私事になるが、私は一昨年秋、8年間の沖縄生活に終止符を打ち、東京に戻った。この間、たまに東京に来ていたとはいえ、生活となると、この激変に慣れるのは1年以上かかった。今でもこの都市には十分に慣れていない。大江戸線には乗ることもできない。様々なものが奇異に見える。その一つが、街中を走る奇妙なデザインの中型バスだ。なんだろうときくと、幼稚園の送り迎えバスである。幼稚園児獲得競争の一環のようだ。呆れたが、呆れる自分がおかしいようだ。あれに乗りたいと児童に思わせることも幼稚園経営なのだ。
 他方、保育所の待機児問題が深刻化していることも知った。就学前児童を抱える親(実際には母親)が職を続けるなり、新規に職を得るには、子供を保育所に預けるしかないのだが、難しい。経済原理として見れば、園児を欲しがっている幼稚園に子供を預ければよさそうだが、そうはいかない。理由は、幼稚園は子供を預けるところではないからだ。下手すれば、自宅におくよりも子供に手がかかる。もっともそんなことでは幼稚園経営もうまくいくわけもないので、延長保育が進められ、実質子供を一日預けられるようにはなってきている。だが、それでも対象は三歳からなので、妊娠・出産を機に職場を離れていた女性にとっては、そこまで待つことは実際にはできない。
 と、いうことはどういうことなのか?これは、もしかすると、勝ち犬の二極化ではないのか。世間では、いまだ負け犬の側に関心が向いているが、負け犬論争などしょせん個人の生き方に捨象される問題に過ぎない。好きな人生を生きればいいでしょう、でケリのつくことだ。これが可能なのはシングルだからであって、子供を持てば人生の選択は単純ではなくなる。
 社会問題はむしろ勝ち犬側にあるのかもしれない。彼女らは、保育所児童の母親か、幼稚園児の母親か、に分かれることになる。これを勝ち負けで言えば、前者が負けで、後者が勝ち、という印象もある。この違いは単純に選択の問題ではなく、その家庭の経済格差が反映しているように見えるからだ。
 幼稚園も経営的に生き延びるためには、この経済的な階層化に対応しなくてはならない。上昇志向の幼稚園にとっては、幼保一元化なんてどこ吹く風になる。むしろ、そこからこぼれた幼稚園が保育所化することが、幼保一元化ということになるのだろう。
 こうした事情をマーケットニーズとして見るなら、まず、富裕階級には幼保一元化は無用だということになる。とすると、政府が、幼保一元化を打ち出すのは、基本的に今後増えつつある貧困層のセイフティネットの意味合いがあるだろう。女性をよりいっそう働かせる基盤の整備とも言えるが、実際に高所得の女性はこうした幼保一元化となった保育所を使うだろうか。
 地方では問題は少し違う側面があるかもしれない。日経の社説では、先行して幼保一元化に取り組んだ構造改革特区37例に言及しているが、この問題は地方においては、低所得層のセイフティネットというより、既存の体制の保護があるように思える。自分が比較的詳しい沖縄の事例で言うなら、沖縄では、基本的に、保育所に対立する幼稚園はなく、保育所を卒業してプレ小学校として同一組織の延長としての幼稚園に入る。組織的には小学校と変わらない。公務員の保護制度というか、行政による雇用創出になっている。これは、あまりに馬鹿馬鹿しいので、「なにか本土人として行政への提言はないか」と問われた機会に、「幼稚園を廃止にして、その運営資金を無認可保育に当てろ」と発言したことがあるが、いきなり危険視された。
 以上は、私の観察に過ぎないが、国政側としては幼保一元化に向かわざるをえないとしても、それでも富裕層側への幼稚園へのニーズは変わるわけもない。繰り返すが、幼保一元化は、低所得層向けの、幼稚園の保育所化を意味するのようになるだろう。それでいいのだろうか。
 もっとも、富裕層など少数なのだから、社会問題としては捨象できるという考えもあるだろうし、幼保一元化は、働きたい女性にとってはメリットになるからいいじゃないかという考えもあるだろう。
 未婚女性が負け犬論争を楽しんでいるうちはいいが、実際に結婚して子供を産むということになれば、幼保一元化の恩恵が、目に見える「負け」を意味するという世界になるのではないか。

追記(同日)
 幼保一元化について、自分の問題感覚と実態がよくわからないので、経験者の女性の意見をきいてみた。そこから得た私の印象なのだが、まず、幼保一元化だが、形態としては、三歳以降では、幼稚園が保育所化するという点ではすでにそうなっているとのこと。やはり、三歳児までの扱いが重要になる。もう一点、待機児童のせいか、保育所が選べないというのも問題のようだ。保育所が現在の幼稚園のように、育児方針などから選択できるといいらしい。なるほど。すると、幼保一元化がどうというより、どういう幼保一元化になるか、ということ(三歳児までの扱いと、選択できるか)が問題なのだろう。

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2004.05.27

インド下院選挙とソニア・ガンジー(Sonia Gandhi)

 インド下院選挙についてなにか書こうと思っているうちに状況が変わり、書きそびれていた。それに、率直のところ、私にたいした話があるわけでもない。むしろ、以前BJP(インド人民党)が台頭してきたとき、当然とはいえ、危機感を抱いていたくらいだ。それが杞憂に終わったのだから、失礼な言い方だが、インド人は想像以上に賢いものだと思った。
 インド下院選挙(定数545)開票が13日に始まったものの、私はそれほど関心はなかった。寄り合い所帯(国民民主連合)とはいえ、経済政策をうまくこなしているBJPの優位に変化はないだろうと思っていたからだ。もっとも、コングレス(国民会議派)が押してくれば、日本の公明党のように小さい政党の動きで大きく政治勢力が変わることになる。が、蓋を開けてみると、意外にコングレスがリードして、むしろ、そうした不安定要因をコングレスが抱え込むことになった。
 ここで私はあれ?と思った。ソニアが首相になるわけはない、と私も思っていたのだ。彼女はイタリア人だし…というわけだ。もちろん、それは間違った言い方で、国籍はインド人である。だが、あの顔を見たら、ヒデとロザンナじゃん、と思っていた。つまり、私は最近のソニアの顔を見ていなかったわけだ。が、この機にネットなどで見るに、おお、ちゃんとインド人らしい体型だし、義母みたいな雰囲気ばっちしじゃん。これならいけるかも、と思い直した。が、やはりダメだったな。だめだよなと思うあたりが、どこかで自分の感性がインド人になっている。
 老婆心ながら、 ソニア・ガンジー(Sonia Gandhi)は、1946年イタリア生まれ。ラジブ・ガンジー首相の夫人。結婚は1968年。その当時、ラジブはパイロットであり、ソニアもインド国籍を取っていない。ラジブは、首相だった母インディラの暗殺を契機に政界に入り、1984年に首相となる。この機に妻ソニアもインド国籍を取得した。ラジブは1991年に暗殺された。夫の意志を継いでソニアが正式に政治活動を始めるのは、1997年にコングレスに入党してからのことだ。すぐに同党総裁となる。渡る世間は鬼ばかりどころではない陰惨な歴史だ。
 ところで、今回の選挙のニュースでは、日本と限らず、「ガンジー王朝」とかいう洒落をよく見かける。反面、日本のニュースなどでは、ガンジー家は、建国の父マハトマ・ガンジー(マハトマという言い方には私はちょっと抵抗があるが)の一族とは関係がないよ、と注釈が付く。この関係は今の若い人たちに理解されているのだろうか。

cover
父が子に語る世界歴史
 ん? それ以前にネールのことを知っているかすら、気になってきたぞ。今の高校生って「父が子に語る世界歴史」とか読んでないかもしれないな。絶版かと思って調べるとまだ大丈夫だ。出だしが泣かせる。

お誕生日がくると、おまえは贈りものをもらったり、お祝いのことばを受けたりするのがならわしだった。けれども、このナイニー刑務所から、わたしはなにを贈りものにしたものだろうか?

 かくして、14歳の一人娘のインディラちゃんは獄中のパパから200通の手紙を貰った。こってり世界史を教えてくれる手紙だった。パパっていうのはこうでなくちゃな。
 ジャワハルラール・ネール(Jawaharlal Nehru,1889-1964)はインド独立運動の指導者の一人で、イギリス支配に抵抗し9回も投獄された。その娘がインディラ・ガンジー(Indira Gandhi,1917-1984)。彼女もインド首相となった。が、先にも触れたように1984年にシーク教徒に暗殺された。
 彼女がガンジー姓なのは、だんなのフェローズ・ガンジー(Feroze Gandhi)によるもの、なのだが、フェローズがガンジー姓を持つのは、インディラとの結婚を機にしたものだ。それまでは、カーン(Khan)姓だった。なぜフェローズがガンジー姓になったかというと、よくわからないのだが、マハトマ・ガンジーの養子となったとも言われている。が、別説もある。細かいことを忘れたのでぐぐってみると、あった。"Nehru-Khan-Gandhi dynasty"(参照)によると、フェローズは"GHANDI"という姓(正確には姓とは言えない)を持っていたが、マハトマが洒落で現在の"GANDHI"としたとも言われている。この説は案外信憑性がありそうで、どうやら、フェローズの母はGHANDI姓のイスラム教徒だったとのこと。"GHANDI"は宗教名だったのかもしれない。なんだかトリビアの泉ネタだが、日本では受けないだろう。
 話を今回のインド下院選挙に少し戻すと、結局、ソニアが首相を辞退し、マンモハン・シン元財務相が指名された。おっと、シンかよ、って、プロレスじゃないのだが、シンとくればシーク教徒である。つまり、ソニアの義母を暗殺したシーク教徒を立てるあたり、お見事。初のシーク教徒の首相だ。というか、そもそもソニアが辞任したのは暗殺を避けるという含みもあったのではないだろうか。
 ここで、唐沢なをきの好きなチャヒルをダシにシーク教徒の話を書きたい気もするがやめとく。が、一言だけ、あのターバンを巻いているインド人はシーク教徒で、ヒンドゥー教徒はターバンを巻かない。ちなみにあのターバンの中身は…おっとこの話はまた。
 インド国民としては、シーク教徒の首相を選んだんじゃないよという感じもあるかもしれないが、むしろこれがうまく行けば、さらにインドは近代化を進める契機にはなるだろう。
 問題は、各種ニュースでも言われているように貧困問題だ。ニュースではあまり報道されていないようだが、厚生行政の課題も多い。コングレスの復権はこうした社会問題への対応を背景としている。こうした取り組みに積極的な共産党も62議席と少なくない。
 シン首相率いるインドはどうなるのだろうか? この問題を扱った20日のフィナンシャル・タイムズ"Incredible India and its reformers"はインドの近代化(世俗化)を評価していた。

If Mr Singh becomes India's first Sikh prime minister, there is no reason why politicians who back the Congress party's secular vision of India would want to weaken the government or allow the return of the Hindu fundamentalist BJP. Nor will they necessarily feel the urge to reverse reforms begun by Congress and built on by the BJP. On the economic front it may be business as usual.

 もっとも、フィナンシャル・タイムズは、大衆はソニアを求めているのだが、というふうな指摘もしていた。
 私はといえば、率直なところよくわからない。BJP台頭のときの懸念も一応杞憂に終わったので、なんとも言えない。だが、感覚的には、シン首相の行政はかなり困難なことになるのではないか。というのは、インドの大衆はどこかでインディラ時代のモデレートな社会主義的な期待を抱いているのではないかと思うのだが、それを許す世界ではないからだ。

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2004.05.26

同性婚の動向

 米国時間で17日の話になるが、マサチューセッツ州で同性同士の結婚が正式に認められるようになった。日本でもニュースとして報道されたが、新聞社説でテーマとして取り上げるといった社会的な関心にはならなかったようだ。もっとも、「同性愛☆関連ニュース」(参照)を見ると同性愛者たちの間ではホットな話題のようではある。
 私自身は、米国の同性婚の動向にはそれほど関心はなかった。この問題が、毎度ながら、中絶問題などと一緒に、大統領選挙に関係することは知っている。むしろ社会問題としてはそちらの意味合いがあるのではとも思っていた。
 この問題に自分が関心が薄いのは、基本的に、同性愛をどう社会的に受け止めるかということで、「差別をしてはいけない」が正しいという単純なソリューションで自分のなかで終わっているからだ。このブログでは私はしばしば保守と言われることがあるし、どう言われてもいいのだが、自分では政治的な面ではウルトラ・リベラルではないかとも思う。そういうリベラルであることに価値を置く自分としては、同性愛の結婚というのも広く認められればいいのではないかと、まず考える。
 が、この数日この問題が、ぼんやりとこの問題を考えては、奇妙なひっかかりがある。うまくまとまらないが、書いておきたい気がする。
 奇妙なひっかかりは、社会が同性愛を差別しないということと、結婚という社会制度を同性婚に直結する関連性が判然としない、というあたりだ。
 北欧などでは、前世紀に世界大戦がないこともあり、近代社会が深化し、結婚というのは基本的にプライベートな領域の問題に移りつつある。あるいは、こう言い換えてもいいかもしれない。結婚や宗教的なり信条の問題なので、国家が関与すべきではない、と。このあたり、日本の別姓論者がどう考えているのかはわからないが、社会原理的にはそう考えていくのが正しいだろう。
 そう考えると、問題の根幹は、社会的な差別「意識」の問題ではなく、法的な問題であり、社会制度の問題なのだということになる。マサチューセッツ州での同性婚に関連して、朝日新聞系ニュース「米マサチューセッツ州が『合法的』同性結婚受付」(参照)では、制度面をこう報道している。


 同州最高裁は昨秋、同性の結婚を禁じるのは州憲法に違反するとの判断を下し、同性婚を認めるよう州当局と議会に命令した。結婚を認められたカップルは、社会保険や税制度、遺産相続、養子縁組などで男女の夫婦と全く同じ権利と利便を与えられる。

 だとすると、私は同性愛結婚に反対するというわけではないが、そうした結婚を契機とした利益・不利益を社会的に存在させなければ、とりわけ結婚という制度を同性愛者が必要するものでもないようには思う。と同時に、それは、異性間の結婚でも同じ問題ではあるのだろう。
 もう一歩踏み込む。問題は、相続と養子がポイントになるではないか。
 同衾者について社会制度がどう扱うかということになるのだろうが、結婚が暗黙のうちに前提としている二人の結びつきということだけではなく、三人以上の同棲者でも同じことが言えるのではないだろうか。もっと単純に言うなら、主に遺産相続についての共同生活者の権利を拡大し、その中に、自然に同性愛者のカップルを含めるということでもいいのではないか。
 今後日本でも、多分に、未婚の男女がそのまま老齢化し、共同生活を送らざるえなくなるだろう。彼らが互助のコミュニティを形成する場合、財産共有の制度は必要になる、と思うのだが、現状の日本の制度でも問題はないだろうか。
 制度面でもうひとつ気がかりなのは、養子だ。これも原理的には三人以上のコミュニティの子供としてもいいのではないかという点もだが、それはさておき、同性愛カップルが養子を持つ場合、親はいいとしても、子供はどうなのだろうか。
 当然こうした問題は心理学者なども議論していると思われるのだが、私は知らない。この問題にどういうアウトラインがひけるのかすら、まるでわからない。社会制度上ジェンダー差別を撤廃するということと、子供の心性における母性・父性の象徴の重要性はまた別だろうと思う。というか、人間の権利以前に、人間の心性というものに政治的な中立性がありうるのか、よくわからない。
 同性婚の制度面については、現在、主に欧米諸国では課題になっているのだが、日本の状況は、さらにわからない。この問題関連でぐぐってみると、「『同性婚』を取り巻く現状」(参照)また「同性婚はいま-世界の動向-」(参照)というページが参考になるが、原則なり原理面がわからない。それでも、北欧では同性婚の場合、養子については認められないという傾向があるようにも見受けられる。やはりなんらか、社会的な抵抗感の根拠性はあるように思える。

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2004.05.25

ロシア正教の現代の動き

 たまたまニュースを見ていたら産経系「海外のロシア正教会、本国総主教と初会談 80年ぶりの和解へ一歩」(参照)が面白かった。海外に分散するロシア正教会がロシア内の正教会組織と和解を始めたというのだ。と、書いてみて面白いと感じる人はもしかすると少ないのかもしれないなとも思った。
 私の感じでは、ロシアとは正教と分けて考えることができないものだ(もう少しいうと米国のロシア文化はユダヤ文化の側面も強いのだが)。ロシアがソ連となっても、世界に散らばったロシア人は正教をもとにロシア人であることを捨てることはなかったし、むしろ、19世紀的な骨格を持つその知識人たちは欧米化する現代文化に戸惑いも隠せなかった、と思う。
 先日、NHKでたしか「ラフマニノフ・メモリーズ」という番組を見て面白かったのだが、ラフマニノフのロシアへの思いが切々と綴られていた。あの感じは、もしかするとわかる人にしかわからないのかもしれないのだが、私は勝手に思い極まってなんども泣いた。どうもパセティックな話になるが、私の魂の根幹にはアリョーシャ・カラマーゾフがいるようだ。私の人生とはゾシマ長老が彼に命じたこの実践でもあった…てな思いがある。私の心は、今でもイワンのようにシニカルになり、ミーチャのように俗世に狂い、スメルジャコフのように悪の衝動に駆られる…が、酒も飲めなくなったのでフョードルや、話は違うがマルメラードフのようにはならないだろう…ま、そんな感じだ。1957年生まれの私がなぜ1950年代の左翼崩れのロシア好きになっていたのか、今となってはよくわからない。サブカル的には、「サイボーグ009」「宇宙戦艦ヤマト」などにもあの雰囲気はある。「アンパンマン」ですらある…なんだかな、というところで、身近に10歳年下の女性がいるので「ステンカラージン、知ってる?」と訊く。「襟の色?」 話になりませんな。
 ロシアには行きたいと思いつつ、行ったことがない。トランジットでモスクワ空港で夕日を見ながら、そんなタイトルの歌があったよなとか思い出したくらいだ。そんな話をアテネのギリシア人に言ったら、是非ロシアに行きなさいと熱弁していた。その熱気がなんか面白かった。ギリシア人の庶民にしてみると、ギリシア正教とロシア正教はあまり違いがないのかもしれない。
 正教について語ることは難しい。「多様性の中の同一性」というギリシア語のイオタ一個に延々たる神学的議論がある…というくらいだ。だが、困ったことにきちんと語ることが、必ずしも正しくない、と言うと、詳しいかたに当然教義的に批判されるだろう。このあたりは、エバンジェリックの人たちと似ていて、通じねーところだ。ちなみに、ぐぐってみると、「東方正教会とアトス」(参照)というページがあり、よくできているのだが、基本的にギリシア正教とロシア正教の関連や歴史が、神学的な教義面で書かれていて、かえって実態がわかりづらいように思う。
 いきなり厳しい話に飛ぶが、コプト教会や、イラクなどにもいるネストリアンたちについて、現在の正教はどう考えるかというと、ほとんど何も考えていない。異端というくらいだろう。ただ、西洋世界のような気違いじみた異端の概念ではなく、むしろ、普通のイスラム教徒が異教徒を見るような感じだろう、と書きながら、日本も結果的に含まれる西洋世界は、イスラムと言えば、アラブ・イスラムばかりでちょっと辟易とする。少し話を戻すと、米国のネストリアンは以前調べたとき、正教に吸収されている面もあるとのことなので、今後は消えてしまうのだろうか。いずれにせよ、キリスト教史という総合のなかで正教をどう位置づけるかという関心が正教側にはない、というか、そういう疑問が彼らにはない。もっとも、カトリックにもプロテスタントにもないので言うにナンセンスなのだが、キリスト教史において正教がもっとも本流なのだから、そういう脱宗教化があるといいとは思う。
 私は正教について語るほどの知識もないのだが、そういうわけで、だから逆に、資料もなくざらっと書いてみたい。まず、冒頭のニュースをひくのがよいのかもしれない。


【モスクワ=佐藤貴生】「無神論に迎合した」として、旧ソ連時代から約八十年にわたり本国組織と関係を断絶してきた海外のロシア正教会が、ロシア国内の正教会組織と初のトップ会談を行い、和解に一歩を踏み出した。具体的な取り組みの第一歩として、内外の両組織はスターリン時代に大粛清の舞台となった処刑場跡地での教会建設に着手したが、社会主義政権が残したしこりを取り去るまでには時間を要するようだ。

 ニュースとしてはそういうことだ。具体的には、こう。

 「海外ロシア正教会」のトップを務めるラブル・ニューヨーク府主教は、ロシア正教会総主教のアレクシー二世と今月十八日にモスクワで初の公式会談を行った。この会談で、アレクシー二世は「政府は現在、教会に介入せず、教会は自由な存在だ」と述べ、信仰の自由がロシア国内で保障されたことを強調した。
 両トップは、スターリン時代に大粛清の現場となったモスクワ南郊のブトボ射撃場の跡地を訪れ、三万人ともいう犠牲者に祈りをささげた。ここに建設される「ロシア受難教会」の起工式で、アレクシー二世は「テロの犠牲者に対するわれわれの義務は、同じことを繰り返さぬよう信仰の下に国民が結集することだ」と話した。

 同記事にもあるように、政治的にはプーチンの思惑といった読みも当然でて来るのだが、まぁ、それほど政治的な話でもないだろう。むしろ、こうしたニュースを西洋社会は、ついカトリック(the Holy See)との比喩で考えがちなのではないか。つまり、ロシア正教が教皇といったふうな理解である。が、これがまったく違う。正教というのは、そういう頂点を持たない。ある意味、原始キリスト教というかヘレニズム結社というかある種の長老制(これがプロテスタントにも組み入れられている面はある)というか、恭順の組織性というか、そういうものだ。
 ついでに言うと、教皇というのは、元来ローマ皇帝のことで、西洋史ではビザンツとして奇妙な扱いをしているが、通称ビザンチン帝国とはローマ帝国のことであり、ギリシア人というのはローマ人のことなのだが、というとほとんど混乱してしまうだろう。というか、それほど西洋史は近代以降錯誤を繰り返している。この点、ロシアの皇帝は、モンゴルの系統を引いているので、話はさらに難しい。
 さらについでが、カトリック(the Holy See)の組織は命令の関係でできているが、正教の組織性は、そうとばかりも言えず、その最たるものは隠者が多いことだ。歴史的見るとこの隠者たちはスーフィズムと関連がありそうなのだが、オカルト系以外では研究を見たことがない。というか、西洋ではオカルトは日本でいうオカルトではないのでそれでいいのかよくわからないが、それでも教義面や神秘学への偏りが多すぎる。さらに余談に暴走するのだが、スーフィーズムが現代イスラムのなかでどのように位置づけられているのかも、よくわからなくなった。
 話が散漫を窮めることになったが、ロシアなら正教かというと、そのあたりはそう簡単でもない面もある。すでにウクライナは独立しているが、ここでは、ウクライナ正教はあるものの、むしろ宗教的にはカトリックが特徴的だ。困ったことかそうでもないのか、ウクライナ正教はモスクワ主教の系列に入るが、ウクライナ独立でキエフ主教ができている。むしろ、今回の和解は、こうした面での影響も出てくるのではないかなと思う。
 フランシス・フクヤマなどはヘーゲルを借りて原理的には現代は歴史が終焉したというし、確かにそういう面はある。さらにそれがITと結合し、すでに日米のマスカルチャーには歴史が見えない。ただの洒落だが、日本の若い娘のファッションを見ていると究極のニヒリズムとしての永劫回帰のようでもある。また、アラブ・イスラムの台頭で文明が衝突するというな洒落もある。だが、実際は、歴史終焉の前で、西洋史の大きなぶり返し時期ということなのではないか。あるいは、ロシアというのは、むしろ19-20世紀の遺物の挑戦かもしれない。あー、古くせーと笑えるならいいのだが。魂を失った我々にはきつい相手かもしれない。

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2004.05.24

最近のネットメディア雑感

 先日実家の書架を見ていたら、1971年9月のGuts(ガッツ)が出てきた。号が間違っているかもしれない。二十代の吉田拓郎がフォークギターを抱きながら座っている表紙のだ。めくるとよく覚えている。若い頃の記憶力はまるで写真のようなもので、けっこうページのディテールとかも覚えていた。あるある大事典に出てくる初老の堺正章がマチャアキとかでひょろっとした三枚目の若者の写真で載っている。レモンちゃんも今の子のメイクで、出直しできそうな笑顔だ。
 他にもこの時代の雑誌が書架にないかと思ったが、自由国民社の岡林信康とかの特集やフォークギター奏法関連ばかりだ。実用的なものだけ残っているということか。ああ、オレに収拾癖というものがあればなと思うが、ない。ないものはない。
 ネットの興隆のおかげで昔の雑誌とか買えるようになって嬉しいのだが、さて、Gutsはと見ると、たまたま「オヨヨ書林」(参照)というのが出てきた。Gutsは一冊2000円くらいだ。表紙を見ていると思い出が湧く。このくらいで思春期の思い出が買えればいいかという気もする。が、取りあえず欲しいのはない。ヤングセンスのほうが欲しいなとかは思う。そういえば、ASCIIの創刊も今はない。GOROや日本版プレーボーイなんかも持っていたのにな(石井めぐみの激写文庫は欲しいが…)。ま、自分で持っていなくてもいいから、こういうのを閲覧できる図書館でもあればいいというか、きっとあるのだろうけど、すでに貴重な歴史資料なのだろう。
 このところネットラジオで70年代のオールディーズをよく聞くようになった。最初、抵抗があった。以前から街中で70年代の曲が流れるといらつくし、リメークとか聞くと気分が悪くなる。のだが、なんか、最近やけくそで聞いていると、しばらくして、意外なのだがアンビュエントよりリラックスできることがわかった。どういう現象なのかわからないが。

cover
Between the Lines
 というわけで、マイベストセレクトCDでも作ろうかという気になるのだが、さて、どうする? 初期キャロルキングは全部CDでリニューしてある。ジョニミッチェルは途中からCDか。ジョーンバエズはまだ。カーペンターズはまばら。いずれも紙ジャケへの思い入れだけが残る。そうだそうだ、カーリー・サイモンとかジャニス・イアンはどうよ…というわけで、こんなとき、ネットから落とせるといいというわけか。

At seventeen by Janis Ian

I learned the truth at seventeen
That love was meant for beauty queens
And high school girls with clear skinned smiles
Who married young and then retired.

世の中のことがわかったのは17歳のとき
恋愛っていうのは、きれいな娘だけのもの
笑顔が似合う女性高校生とかのもの
彼女たちは若いうちに結婚して仕事なんかやめていく


 泣ける。
 音質さえいとわなければ、ちょっとしたコツで合法的に落とせる手法がある(もったいぶるわけではないが詳細はあえて書かない)。そういえばと思って、AOLにアクセスしたのが、最近使ってなかったのでチューンしているうちに、もともと私は米会員なので、ちょっとインストールにバグがあるが、AOL9が設定できた。で、これすごいじゃん。15年くらい前、Macintosh SE/30にカラーボードを付けてAOLをアクセスしていたときの、なんつうか、あの優越感が蘇るじゃないですか、って洒落なので、本気にしないでほしいのだが、ま、スゲと思った。ワーナーとのどたばただのスティーブ・ケースの凋落などニュース面でしか見てないし、今じゃAOLも落ち目とかいうニュースを鵜呑みにしていたのが、うひゃ、メディア後進国日本にいると全然そうではないな。
 オンデマンドってこういうことかと実感でわかったのは、いつでも好きなときに好きなコンテンツがエンジョイできるってこと、っていう理屈じゃなくて、「おい、これを聴け、これを見ろ、これがわかんねーセンスじゃダメピョン」の横にボタンが付いているということなのだ。
 オンディマンドはむしろインフラで、重要なのは、欲望を駆り立てるコンシェルジュなのだ。もちろん、日本でもないわけではないが、そういうコンシェルジュがスタティックなHPとかになっていて、コンテンツはそこに直結していないわけだ。このワンテンポのズレが、欲望を加速させない。
 っていうのと、冒頭の爺臭い話でもないが、歴史の終焉が日米とかは1970年代ごろにきたから、そのあとの時間が、ただ、各時代のセンスとしてDB化しているのだ、と意味不明なことをいうけど、今の若い人のセンスだけが問題じゃなくて、このフラットではあるけど、DB量の多い歴史みたいな世界からコンシェルジュのセンスで見極めてくれないといけない、わけだ。と、話として書くと、割烹屋のオヤジみたいだが、実感としてはちょっと驚いた。
 日本の場合、これが実現できないのは、オンディマンドや感性のDBに対応できる実際のコンテンツがDB化できないというかそういうインフラができないからだろう。で、できないのは料金の問題でもある。というか、それで既得権にしがみついてそこから日本の現代的な意味での著作権が出てくるということか。妥協的にはSONYのコクーンみたいなやりかたもある。iPodもそうか。つまり、ローカル側に小さなDBを作るわけだ。しょぼいが。
 なんとなく思うのだが、米国のメディアを見ていると、ベースのところでパワーが全然違うという気がする。特にダンスシーンとか見ていても、その「生」の欲望の喚起がものすごい。洋物ポルノみたいに、ちょっと脂と臭みが気になるくらいだが、それでもベースの力が全然違うと思う。その力が社会の根底のところで、爺の利権を押しつぶしているのだろう。
 なんだか間違った話を書いているようだが、糞な著作権問題が出てくるのは日本人のメディアのパワーがないからなんじゃないか。

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2004.05.23

北朝鮮拉致被害者の子どもの帰国に思う

 北朝鮮拉致被害者の子ども五人が帰国した。人質に取られていた子どもたちが奪還できたという点ではよかったのだが、私は率直なところ、なぜ小泉が訪朝したのか、よくわからない。また、今回の成果もそれほど評価できない。拉致被害者家族のかたが批判の声を上げていたが、もっともなことだと思う。
 今回の帰還によって、取りあえず可視になっている部分の問題は終了したのであり、しかも、そのために、膨大な貢ぎ物(食糧25万トンと1000万ドルの医薬品支援)を出した。これも困ったことだが、しかたがない面はある。しかし、「制裁法は発動しない」との馬鹿げた約束は将来に禍根を残すことなるだろう。
 拉致被害者にしてみれば、もっとも有効な北朝鮮への圧力の手段がこれで奪われたに等しい。もう少し露骨に、「小泉を打ち倒して、まともな外交圧力ができる政権にすげかえ、相手と同じレベルでバックレてしまえ」と言いたいくらいだ。
 禍根といえば、ベタ扱いのニュースのようだが朝日新聞系「今後の日朝正常化交渉、総連幹部参加へ 北朝鮮が決定」(参照)は呆れた。


北朝鮮が今後の日朝国交正常化交渉の北朝鮮代表団に在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の副議長以上の幹部を参加させることを4月下旬に決め、朝鮮総連側に伝えていたことが分かった。日朝関係筋が明らかにした。

 こんなことでいいのだろうかと思うが、この問題については私が言及することでもないだろう。
 昨日、この件で、ぼんやりと考えていて思ったことがある。
 二家族子ども五人たちは、今回の事態や歴史を理解していないだろう。もちろん、すでにハイティーンから二十代の年頃でもあるので、物事を自分で考えることはできるはずだ。そして、一年くらいかければ、自分たちの置かれた状況も見えるだろう。それはどんなものなのだろうか?
 彼らは北朝鮮ではエリートだったし、エリートとしての未来も約束されていたはずだ。こう言っていいのかわからないが、日本に帰還できた家族も北朝鮮ではエリートだったし、金正日は彼らが当然北朝鮮に戻ると確信していただろう。むしろ、そのアテが外れたことが彼には不思議に思えていたに違いない。拉致問題の可視の部分だけでいうのだが、金正日にすれば、拉致問題はあったかもしれないが、丁重に扱ってきたのだ、と。そして、恐らく子どもたちも、そうした北朝鮮の常識のなかで物事を考えているのだろう。
 その世界をそれなりに私も理解する必要もあるようには思う。余談で、かつくだらない妄想のようだが、私は、ふと彼らの恋愛意識のようなことも思った。日本人ならこの歳なら、いくつか人生に残る恋心みたいなものを抱く。北朝鮮育ちの彼らの場合はどうなのだろうか。
 話はぼけるが、思ったことをもう少しメモ書きしておきたい。今回の日本の騒ぎは対外的にはまるで関心を呼ばなかった。当たり前と言えば当たり前だが、不思議なほどだった。ジェンキンズさん問題も、結局米国は糾弾の構えを変えないのだが、変えれば彼も米人の拉致被害者になり、米国としても扱いに困るからだろう。韓国もこの問題に関心をもっているふうでもない。韓国での北朝鮮拉致被害者問題が噴出しては困るからだろう。
 サヨクは今回を機に正常化を望んでいるようだが、それもよくわからない。北朝鮮の暴走を温存させることに、左翼的になんのメリットがあるのだろうか。まあ、どうでもいいといえばどうもいいことだ。
 北朝鮮の核兵器開発の進展は脅威だが、中国と米国が見過ごすわけもない。日本が北朝鮮の下僕となってもこの問題は金正日の思うままにはならない。ミサイルについても脅威といえば脅威だが、核弾頭にはならないし、精度も上げられない。大陸弾道弾ができても、中国ですら固定式なので、実質の脅威にはならない。
 米軍が韓国から撤退することが示唆するように、今後大きな衝突は半島では起きない。というか、米軍人に被害を出すような戦闘は起きない。仮にソウルが火だるまになっても北朝鮮に勝ち目はないし、米国はその後から日本から出動することになる。ブラックジョークを言っているつもりはない。
 たぶん、来年くらいには、在韓米軍撤退と軍事増強の機運から、韓国は思いがけないほど凋落しているのではないだろうかと思う。けして、そう願うものではないのだが。

追記24日
 nobokさんより、コメント欄でNYT"North Korea and Japan Sign a Deal on Abductions"(参照)が紹介していただいた。極めて面白い。


Although visits by heads of government to North Korea are rarities, Mr. Kim spared only 90 minutes to meet with Mr. Koizumi, and then canceled a planned afternoon session. At the end of the meeting, Mr. Kim, who runs a largely bankrupt state, was filmed by television cameras, waggling a forefinger in a jocular, but condescending fashion, in the nose of the Japanese leader, who stood stoically. Mr. Koizumi, who faces upper house elections in July, had hoped to win a diplomatic success in North Korea to divert attention from a serious scandal in Japan over nonpayment of social security taxes by the prime minister and many governing party politicians.

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2004.05.22

なぜチャラビ宅がガサ入れされたのか

 20日の話になるが、イラク駐留米軍とイラク警察が、イラク統治評議会議員(元議長)アハマド・チャラビ宅と、以前議長を務めていたイラク国民会議(INC)の事務所の家宅捜索を行った。表向きは国家所有の車両を盗んだ容疑というが、もちろん名目に過ぎない。
 CBSは複数の米政府高官の話として、チャラビが米国の機密情報をイランに流しており、このガサ入れは漏洩関係者を割り出すための捜査だとした。この話は、3日売りの米版ニューズウィーク(May 10 issue)の記事"Intelligence: A Double Game"(参照)がとりあえず発端になっている。チャラビの紹介をかねてひく。


May 10 issue - Ahmad Chalabi, the longtime Pentagon favorite to become leader of a free Iraq, has never made a secret of his close ties to Iran. Before the U.S. invasion of Baghdad, Chalabi's Iraqi National Congress maintained a $36,000-a-month branch office in Tehran?funded by U.S. taxpayers. INC representatives, including Chalabi himself, paid regular visits to the Iranian capital. Since the war, Chalabi's contacts with Iran may have intensified: a Chalabi aide says that since December, he has met with most of Iran's top leaders, including supreme religious leader Ayatollah Ali Khamenei and his top national-security aide, Hassan Rowhani. "Iran is Iraq's neighbor, and it is in Iraq's interest to have a good relationship with Iran," Chalabi's aide says.

 チャラビは、米国亡命のイラク人知識人で、反フセイン政権組織のINCの代表を務めており、こうした経緯から、米政府は当初民主化イラクの指導者として送り込む意図もあった。端的に米側傀儡と見られていた。
 イラクと通じていたことがわかったので米国がチャラビを抛擲したと見ることはできるし、実際チャラビとイラクの関連はあったようだ。もともと、チャラビはシーア派でイラクのシーア派との関連があった。
 しかし、問題はそう簡単に解けるものでもない。どういうわけなのかよくわからないのだが、同じく米版ニューズウィーク(May 20)では、"Crime and Politics"(参照)として、今回の事件は政治的な流れによるものではないとしている。

In fact, sources close to the investigation tell NEWSWEEK that Thursday’s raid stems from a long-running probe by the Central Criminal Court of Iraq into financial corruption and criminal charges linked to the INC and its alleged efforts to profit illegally from Iraq’s reconstruction. Among the documents police were searching for relate to charges that INC officials profited from the introduction of a new currency. According to an official with the Coalition Provisional Authority, an INC-affiliated company was placed in charge of destroying the old currency, but “a lot of money was coming out again into circulation instead of being burned. Some of it had signs of partial burning.” The currency handover was supposed to be a one-to-one exchange, he said, “but we got a lot less in old money then we gave out.”

 つまり、新貨幣導入にあたる、金銭的な不正追跡の流れだというのだ。実際のところ、そういう背景も否定できないし、直接的にはそう見るのも妥当かもしれない。
 しかし、その結果を政治の流れで見るなら、明らかにチャラビの追放であり、国連ブラヒミとの対立を避けるためだ。チャラビとブラヒミは対立しており、現状では米国はブラヒミを立てなければ、そもそも国連委譲がおじゃんになりかねない。この関連では、国内ニュースでは17日に朝日新聞系がまるでブログのような記事「暫定政府閣僚選びを報道の米、国連『ブラヒミ案つぶし』」(参照)を出している。

 ニューヨーク・タイムズ紙が4月末、ブラヒミ氏の「意中の暫定政府指導者」を暴露したことで国連内の不信感は高まった。ハーフィズ計画相を首相に、パチャチ氏を大統領にという構想は、米側も合意していた。だが、ブラヒミ氏は「イラク人による自主的な選択」とするため、イラク側から名前が出るよう調整を進める意向だった。
 構想を知るのは国連、米側を合わせ一握りの高官に限られており、国連側では、統治評議会のチャラビ氏らを後押しする国防総省からの意図的なリークという観測が強い。ある国連幹部は「暴露はブラヒミ案つぶしとしか考えられない」と語気を強める。

 しかし、今となっては、チャラビを国防総省が押しているとは考えにくい。
 そうしたなかで、チャラビ側からは、れいの国連疑惑のほのめかしが出てきているし、私も、真相はこれが関係しているかもしれないという印象はある。国連疑惑については、極東ブログ「石油・食糧交換プログラム不正疑惑における仏露」(参照)でも触れたが、日本では事実上、報道規制のような状態になっているように見える。
 ある程度あからさまに国連疑惑との関連を指摘したのは、Forbs "Chalabi Raid Complicates Oil-For-Food Probe "(参照)だ。少しくどいがひいておく。

 The purpose of the raid was not disclosed, but Chalabi himself later told reporters that among the items seized were files related to the oil-for-food program, which he and the council have been probing.
 During the program established by the United Nations Security Council in 1995, the U.N. reportedly oversaw a flow of funds totaling $15 billion a year. Revenues were held in an escrow account run by BNP Paribas for the U.N. The oil-for-food program became a lucrative source of contracts for Russian and French oil companies, including Lukoil and Total (nyse: TOT - news - people ), according to congressional testimony by Nile Gardiner of the Heritage Foundation. The U.N. itself collected a 2.2% commission on every barrel of Iraqi oil sold, generating more than $1 billion in revenue. The U.S. Congress' General Accounting Office estimates that Saddam Hussein's regime siphoned off $10 billion while the U.N oversaw the program.
 The raid on Chalabi's home--characterized by the White House as resulting from an Iraqi-led investigation--may frustrate the ability of private accounting firm KPMG to complete a comprehensive audit into the oil-for-food program, which generated $67 billion in revenues for Iraq between 1997 and 2002, according to the Heritage Foundation. KPMG began investigating in February 2004 on behalf of the Iraqi Ministry of Oil, the Central Bank of Iraq, the Finance and the Trade Ministry and the State Oil Marketing Association.

 併せて同記事では、ヴォルカーが実質的には無力な状態に置かれているともある。が、それ以上に突っ込んではいない。やや陰謀論めくが、チャラビとしては、自分を葬れば国連疑惑の重要情報を暴露するぞ、というデモンストレーションなのかもしれない。
 チャラビについては、日本では、どちらかというと比較的単純な理解で納まっているようにように見える。批判の意図はないが、例えば、軍事アナリスト神浦元彰は次のようなコメントを出している(参照)。

 言うまでもなくチャラビー氏は詐欺師である。昔から米国防省やCIAは、そのような怪しい人物が大好きである。そして最後はババを引いて外交政策に打撃を受ける。やはり米国政府にはそのような本質が代々受け継がれているのでないか。
 もやは米国(ブッシュ政権)のイラク占領統治は完全に失敗した。ブッシュ政権内部の告発ばかりではない。ネオコンの中からも「その失敗」を認める発言がゾロゾロと出てきだした。

 間違いとはいえないのだが、そうシンプルに捕らえられるものだろうか。
 チャラビについては、Financial TimesのコラムニストJohn Dizardがsalonに掲載した記事"How Ahmed Chalabi conned the neocons"(参照)がかなり深く掘り下げている。日本語で読める、産経系「米、資金提供ストップ・家宅捜索… チャラビー氏と『絶縁』確定的に」(参照)は、John Dizardの記事を参照にしている印象を受ける。

 チャラビー氏と米政府との関係は、湾岸戦争(一九九一年)直後にさかのぼる。当初、米中央情報局(CIA)が情報提供を受けていたが、情報の精度に問題があったため、CIAは同氏との関係を停止した。
 その後、フセイン政権打倒の目的で九八年に米議会でイラク自由化法が成立し、クリントン大統領は翌年からチャラビー氏の組織に情報提供などの名目で国務省から資金提供することを決めた。しかし、国務省も情報の精度や提供資金の同氏の私的流用などに疑念を持ち続け、一昨年五月には資金提供を停止した。
 こうした中、緊密な関係を維持し続けてきたのが、湾岸戦争時の国防長官だったチェイニー副大統領をはじめ、ラムズフェルド国防長官、ウォルフォウィッツ国防副長官や国防総省情報当局だった。
 チャラビー氏は、イラクの大量破壊兵器開発計画に関する情報をイラク戦争前に国防総省に提供しており、一方で同省はチャラビー氏への月額三十四万ドルの資金提供を今月まで続けていた。

 ここでは、チャラビ支持者を列挙しているのだが、これはいわゆるネオコンであり、John Dizardの記事ではネオコンとの関連でチャラビを描いている。
 実は、チャラビについて調べながら、ネオコンについて、私は考えなおしていた。ネオコンとは何か? これがネットを軽く探っただけではよくわからない。AllAboutの「アメリカで台頭、ネオコンって?」(参照)やはてなのキーワード「ネオコン」(参照)はわかりやすく書こうとしていのか、曖昧な説明になっているように思える。また、日本にこの言葉を流行らせたと言われる田中宇の「ネオコンの表と裏」(参照)については、私には理解できなかった。
 salonのJohn Dizardの記事"How Ahmed Chalabi conned the neocons"ではむしろ、チャラビからネオコンを説き起こすような説明になっている。端的に言えば、パレスチナ問題を解決するためには、クリントン時代のような和平の模索ということではなく、一気にイラクに親米の民主主義国家を作り、イスラエルと連携させれば、その連動で解決するというのだ。これには、対アラブ世界の実質的な制圧も含まれているようだ。

Why did the neocons put such enormous faith in Ahmed Chalabi, an exile with a shady past and no standing with Iraqis? One word: Israel. They saw the invasion of Iraq as the precondition for a reorganization of the Middle East that would solve Israel's strategic problems, without the need for an accommodation with either the Palestinians or the existing Arab states. Chalabi assured them that the Iraqi democracy he would build would develop diplomatic and trade ties with Israel, and eschew Arab nationalism.

 なお、同記事では、単純に聞くと陰謀論のようだが、イスラエルとイラクを結ぶパイプラインについても深く考察されている。が、ここでは触れない。
 ネオコンについては、もう少し考えてみたい課題に思える。チャラビ復権による親イスラエル国家としてのイラク民主共和国は出現しないだろうが、ブッシュ政権が続くなのなら、国連の陰でネオコン的な模索がそう簡単に途絶えるわけでもないだろうからだ。

追記04.05.23
 チャラビと国連疑惑の関連だが、重要なことを忘れていた。salonの"How Ahmed Chalabi conned the neocons"では、チャラビが1980年代にサダム・フセインの金を扱っていたらしいことを示唆している。石油・食糧交換プログラム不正疑惑について、チャラビの態度はフカシではないのかもしれない。


But Lebanon was not the only venue for the Chalabi family's flexible and innovative approach to international finance. This may come as a surprise to some of Ahmed Chalabi's newer friends, but he helped finance Saddam Hussein's trade with Jordan during the 1980s. Specifically, Chalabi helped organize a special trading account for Iraq at the Jordanian central bank. Due to the problems created by the war with Iran, Saddam Hussein was unable to obtain credit on normal terms. The special account with the Jordanians allowed him to swap oil for necessary imports -- at least Saddam thought they were necessary -- without going through the international credit system.

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2004.05.21

中国の近未来にどう向き合うか

 今朝の新聞各紙は、昨日の陳水扁総統二期目の就任式とその演説に触れていた。が、どうでもいいような内容ばかりに思えた。しいていうと、朝日新聞が随分台湾に軟化したかなという印象があるくらいだ。どれも、社説の執筆者は、「ことなかれ」をよしとする話を書くと、現実もそうなると思っているのだろうか。李登輝のように、忍耐を持ちながらでも積極的に事態を切り開いていく決断力こそ、まさに日本精神のように思うのだが、そんなことを現代の日本で言っても始まらない。この間、李登輝が蒋経国との思い出を綴った「見証台湾-蒋経国と私」が出版されたり、また、国民党関連で政党間の統廃合が進むなど台湾の状況の変化があるのだが、そうした事情もすっぱりと社説からは抜け落ちていた。こうした新しい台湾の動向のなかで二期目の陳水扁総統の方向性を問うことは難しいのだろうか。
 どの社説も似たり寄ったりなのだが、陳総統就任演説については、産経「台湾総統2期目 自制的な姿勢を評価する」がくわしい。


 三月の総統選挙で再選された台湾の陳水扁総統が、二期目の就任式に臨んだ。陳総統は就任演説で、二〇〇八年までの任期中に新憲法を制定する意向を改めて示す一方で、中台間の平和と安定のための新しい関係づくりも提唱した。自らの信念と意欲を示しつつ、全体に抑制のきいた、かつバランスの取れた演説だったといえる。

 ポイントはとりあえず新憲法制定である。

 中国側はここ数日、新憲法制定の動きを非難し、「台湾独立のたくらみは粉砕する」(国務院台湾事務弁公室)などとして、武力行使もちらつかせて台湾側を牽制(けんせい)してきたが、陳総統は演説で、国家主権、領土、統一・独立問題などは、新憲法には含めないとの意向を示した。陳総統がここまで自制を示した以上、中国側も聞く耳を持つべきではないか。

 産経社説の展開が暗に示すように、現状では、新憲法制定の内実よりは、それによる国内事情や大陸との摩擦が問題のように見える。極言すれば、大陸側がいくら猫かぶっても、この問題を突きつけることで真相を炙り出す、というか、現実というものに台湾人を直視させることができる。これは総統の勇気のように見える。ちょうど某国とはまったく逆のように。
 と、大陸側を「猫かぶり」としたが、台湾の視点を除けば、まるで猫かぶりというより、なんだか大国風情も身に付いてきたようにも見える。中国はそのまま行けばいいんじゃないかとも思えてくる。
 これについて、16日読売新聞に掲載されたフランシス・フクヤマのエッセイ「中国 老練の微笑外交」が示唆深かった。

 これに対して中国は急速に拡大する自国の経済力が、アジア諸国と世界全体にとって脅威に映りかねないことを痛感しているように見える。そして、通商の相手やライバルからの反発を未然に防ぐため、非常に手の込んだ外交攻勢を展開してきた。

 そして、政治面でも以前のように、なにかと安保理決議を阻む拒否権の連発をやめるようになり、北朝鮮についても保護者としての役割を果たすようになった…というのである。これがフクヤマの言う老練な微笑外交というわけだ。そして、それらは当然歓迎できるとしているのだが、強い懸念も表明している。

だが、中国の新政策は、自国がまだ成長途上で国力が弱い間だけ、近隣諸国や諸大国を安心させておくための一時的な戦術に過ぎないのかもしれない。そこに真の問題がある。

 国際政治に関心を持つ欧米人なら普通そう思うだろう。だが、実際のところは中国はそういう遠謀を持っているわけでもないだろう。現状の中国には国際的な知識人やテクノクラートの層があり、それらは米国と同じように緩い条件下なら最適に行動するが、基本的な中国の政治要因というものは、結局のところ依然内政、つまり、中国内部の政争に依存していると思われる。悪い言い方をすれば、彼らにとって世界とは中国であって、それ以外はない。
 ただ、そんなことなら、たいした話でもない。フクヤマはこの先、そのような中国への懸念に対して、軍事を退け、政治を強調している。実は、ここが一番難しい問題だ。

 米国と日本は、もっと緊密な共同作業を通じて中国に対処する必要がある。ただし、現在の北京からの朝鮮は主として政治的なものであり、中国を的とする軍事同盟の構築ではなく、考え抜かれた政治的対応が求められる。

 わかりやすいようでわかりにくい主張だ。意味不明じゃん、と投げたくもなる。少し深読みをするなら、現状と大局の違いが重要なのだろう。つまり、現状は政治の連携であり、大局には軍事の問題だと。わかりにくいのは、その大局の部分をあまりあからさまに書くことが、政治的な活動の阻害になるからだ。
 もう一つ問題なのは、遠謀がないのは、中国ばかりではなく、米国も日本もそうだということだ。基本的に米国は軍産共同体という経済に南部キリスト教的な倫理観の頭脳がのっかているような、そら恐ろしい慣性が働くし、日本は先の社説もそうだが、言霊主義というか「ことなかれ」のマントラを唱えながら、依然経済は重商主義から脱する気配もない。
 それが現実というものだ。が、政治の動向というのは、しかし、フクヤマが暗黙に想定しているような国家の次元ではないのかもしれない。この先言うと失笑を買うようだが、ブログが国家間の政治に機能し始める時代が来るのだろうと思う。
 余談めくが、韓国が今後、国際世界でどのような位置を占めるような国家になっていくのか、やや悲観的な状況になってきたが、それでも日韓の政治言論的な摩擦は、日本語と韓国語が構造面や用語の面で似ていることから、かなりの部分がテクノロジー的に交流が進むのではないかと思う。ブログを読み合うようにもなるだろう。
 これに対して中国がどうなるかだ。20日付のNorth Korea Zone "Getting around internet blocks"に、中国でタイプパッドがブロックされて読めない人は、ここから打開の手がかりを見つけてくれという話が掲載されていた。あれ?と思ったのは、中国は、まだタイプパッド、つまり、ブログを遮断しているのか。昨年その話は話題になったが、今でもそうなのだろうか。
 実態がわからないし、笑い話のようだが、ブログは、中国の政治の保守化(専制化)への抵抗力とはなるのだろう。問題は、それが日本語と中国語の間でどうなるか、なのだが、理論的にはかなり進むのだろう。それが現実にいつ政治的な意味を持つのかはわからないが。

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2004.05.20

在韓米軍縮小が意味すること

 どうも無粋な話が連日続くことになるが、政局だの年金だのは特に言及することもない。私が気になるのは、在韓米軍の問題だ。そして、その根は日本の問題でもある。
 今回の在韓米軍縮小の件で韓国が泡を食ったようすは、東亜日報「在韓米軍イラク派遣、韓米同盟の『緩み』に懸念の声」(参照)がわかりやすい。


 米国が、韓国との十分な事前協議もなく、在韓米軍の第2歩兵師団兵力のイラク派遣を電撃的に決定したことで、韓米間に意見調整や協議のための外交チャンネルが十分に稼動していないのではないかという懸念が高まっている。
 米国は、在韓米軍兵力の派遣を14日に一方的に通告してきたが、政府は何の対案も示さないまま4日後の17日、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領とブッシュ米大統領の電話会談で事実上これを受け入れた。
 また、イラク派遣の兵力が韓国に戻るかどうかについても、両国の立場が明確に整理されていないなど、意見調整に異常な兆候が見て取れる。

 「意見調整に異常な兆候が見て取れる」という表現が面白いが、実際はこの兵力はもう韓国には戻らない。なので、これを機に、在韓米軍は従来にない規模の削減になる。つまり、第二歩兵師団第二旅団の4000人弱が今後一年間イラクに駐留し米国に帰る。現状では、この削減が在韓米軍の一割だが、これが五割くらいまで削減されるだろうとみられている。朝鮮日報「米、最近在韓米軍の完全撤退を検討」(参照)などによれば、全面撤退という話もある。
 当然、韓国での米軍の力は落ちるのだが、とりあえず米軍側はそんなことはないと説明しているのだが、これが笑えるお話だ。

 潘基文(バン・ギムン)外交通商部長官は18日、内外信記者会見で「米国はGPRを通じて、迅速に対応できる統合軍の配置構想を講じてきた」とし、「このため、作戦上の追加負担なく在韓米軍派兵が可能になったと、韓国側に説明した」と話した。
 潘長官はさらに、「米国は、今後3年間に渡って(韓半島に)110億ドルを軍事戦力強化費用として出費することをすでに決めた」とし、「米軍は、パトリオット・ミサイルの配置や、海・空軍力の強化、近隣地域の戦略爆撃機の増強配置など、必要なすべての補完措置を取る」と説明した。

 後半部分から言えば、これは、例の日本が荷担するミサイル防衛システムである。この実現に向けてこの秋からイージス艦が日本海に常駐する。のだが、以前にも触れたようにミサイル防衛システムなんか実用にならない。ただ、日本のカネをじゃぶじゃぶ米国企業に垂れ流すだけ。そんなもので韓国が守れるわけもない。
 というか、ちょっと失言めくが米国はどうやら韓国を守る気がないようだ。そんなことでは北朝鮮から国境は破られるはミサイルぶち込まれるぞとちと不安にもなる人もいるだろうが、多分北朝鮮はそんな自滅をする気はないだろう。実質的には北朝鮮の軍はすでに解体しているのかもしれない。
 その意味で、実際的には北朝鮮には軍事的な危機はなく、むしろ北朝鮮の現体制の存続は、韓国と米国にも利益になる。韓国はこんなものを背負い込みたくはないし、米国にとっても実質リスクはないのに軍産業に日本のカネを投入できる。では、日本にとっては利益になるのか? それがよくわからないが、半世紀くらい後に統一朝鮮ができることをリスクと考えれば利益なのか(皮肉です)。
 冗談はさておき、従来の軍事の観点から考えれば、韓国が従来米軍がしていたことを肩替わりすることになる。当然、それには計画が必要になる。中央日報「『安心しろ』ではなく対策を」(参照)では簡単にその計画について言及している。

もっと大きな問題は、米軍撤収が本格的に始まった場合、どう対処するかだ。特に、北朝鮮の長距離放射砲を無力化するための対砲兵作戦など、米第2師団が担当してきた「特定任務」をすでに引き継いだのなら、これに必要な多連装ロケットなどを購入するのに途方もない予算が必要となる。北朝鮮の事前徴候を探るための情報体系を構築する金額は計算できない。

 実際旧来の枠組みのまま、この計画を実施するかどうかはわからない。が、いずれ、韓国に軍の負担はのしかかるだろう。これも言い方が悪いが、詰まるところ、この問題は韓国の国民が決めればいいことだ。
 日本に関わる問題は、海外駐留米軍再配置(GPR)のほうだ。今回の在韓米軍の縮小はGPRの一環だからだ。これがどうなるのか。中央日報「在韓米軍が在日米軍の支持受ける」(参照)に興味深い指摘がある。

米国が地上軍中心の駐韓米軍と海・空軍主軸の在日米軍の水平的分業関係を終え、日本側に戦力と指揮部を集めようという動きを見せているからだ。

 単純に読むと在日米軍が強化されるようにも読める。しかし、そう単純に考えて済む問題でもない。

 在韓米軍と在日米軍の変化は、米国が日米同盟を太平洋版米英同盟に位置づけようという点とかみ合っている、という分析だ。ここには、米軍が推進する軍の機動化にも日本の方が有利だという判断があるとみられる。
 米陸軍第1軍団司令部の日本移動計画も注目される。第1軍団は配下に米第2師団を置いている。在韓米軍の主力部隊を在日米軍が指揮する可能性が高まったというのは、象徴的な意味を持つ。これに伴い、米国は韓半島防衛については、有事の際の迅速配置軍投入や、危機高調時の戦闘爆撃機、母艦などの隣接配置を主軸と考える可能性が高い。

 まずわかるのは、ようやく冷戦が終わるということだ。それで「北」にフロントする在韓米軍が整理されるわけだ。また、日本も、冷戦用の基地ではなくなる。ここでも、では何向けの基地なのかと考えやすい。端的には中国ではあるのだろう。が、その問題はここでは扱わない。
 いずれにせよ、GPRは日本を基軸に推進されるのだが、ここで重要なのは、このアイディアの主人公はとりあえずラムズフェルドであることだ。彼は、現代戦のIT要素を強化し、地上兵力を削減し、手の汚れない航空戦力を重視していこうとしている。余談だが、米国でも日本でも現代において徴兵の復活があるぞと馬鹿なことを言うやつがいるが、現代の戦争にトーシロは要らない。毛沢東率いる人民の力とか人海戦術の時代ではないのだ。
 だが、このラムズフェルドのアイディアは、イラクで役に立たないことがほぼ証明されてしまった。しかも、この戦争ではクロートの傭兵をがばがば入れることになった。当然、構想の見直しは出てくるだろう。どうなるのかわからない。
 もう一面、GPRで重要なのは、米国の4軍の体制をなんとしたいというのがある。この問題は、米国の内政問題なのであまり見えてこないのだが、日本の場合は、もろに米軍の不利益を受けている地域、沖縄があるので、そこから透けて見えてくる部分が多い。例えば、普天間飛行場返還のすたったもんだは、米国4軍の利権が根にある。米国家側に強い指導力があれば、あんな小さな居住区内の海兵隊の飛行場など、基本的には空軍である嘉手納基地に統合できる。というか、沖縄を来訪したラムズフェルドもなぜこんな問題が解決できないのかいぶかしがってすらいる。万一、住民被害が起きれば、在沖米軍全体が崩壊する危険性もあるからだ。
 現状は、米国連邦議会では、海外駐留米軍再編計画を大統領に提言する「海外基地見直し委員会」の設置を計画し、その公聴会に稲嶺恵一沖縄知事の出席を求めている。沖縄タイムス「米議会海外基地見直し委」(参照)によれば、この計画が、うまくいっていない。

 八人で構成する「海外基地見直し委」の人選は遅れ、議会が指名を公表しているのは、空軍系シンクタンク「ランド研究所」のトンプソン所長、いずれも退役軍人のコーネラ(海軍)、カーティス(空軍)、テイラー(陸軍)の四氏。軍の既得権益が主張されるのがほぼ間違いない顔ぶれだ。

 繰り返すが、GPRで重要なのは、こうした4軍の体制を近代化したいという思いが米国の中枢にあるのだ。
 こうした状況に対して私はどう考えているのか? かなりの部分が、イラクの今後とラムズフェルドの去就にかかっているとは言える。それでも、はっきりしていることは、どのような体制であれ、日本は重視されるだろうということだ。日本は、いわば、米軍のための最大のスペシャリストとなるのだろう。これだけのIT技術とその製造能力を持っていること自体、米軍にとって最大のメリットになるのだ。
 これから米軍の世界展開に日本の国全体が組み込まれていくのだろうと思う。これは、従来のように自衛隊が米軍の末端や兵站として機能するというのはわけが違う。鬱になってきそうだ。
 もちろん、そんなこと妄想かもしれない。そうだといいなと思う。

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2004.05.19

北朝鮮竜川駅爆破とシリアの関連

 ガセかもしれないので、どう扱ったらいいのかわからないのだが、気になることは気になるので、簡単に触れておきたい。北朝鮮の竜川(Ryongchon)駅爆破に関連した話だ。
 少しまどこっしいが、私がなぜこの問題が気になったかというあたりから書きたい。きっかけは、18日付のNorth Korea Zone "Web report claims to confirm Syrian-NK explosion connection"(参照)の記事だ。North Korea Zoneは、この問題について以前にも"Japanese newspaper: Syrian technicians killed in Ryongchon explosion"(参照)で取り上げている。が、あらためて取り上げたのは、18日付のWorldTribune.com "N. Korean rail explosion foiled missile shipment to Syria"(参照)で取り上げられていたことだ。少し長いが話をひく。


 A North Korean missile shipment to Syria was halted when a train collision in that Asian country destroyed the missile cargo and killed about a dozen Syrian technicians.
 U.S. officials confirmed a report in a Japanese daily newspaper that a train explosion on April 22 killed about a dozen Syrian technicians near the Ryongchon province in North Korea. The officials said the technicians were accompanying a train car full of missile components and other equipment from a facility near the Chinese border to a North Korea port.
 A U.S. official said North Korean train cargo was also believed to have contained tools for the production of ballistic missiles. North Korea has sold Syria the extended-range Scud C and Scud D missiles, according to reports by Middle East Newsline.
 "The way it was supposed work was that the train car full of missiles and components would have arrived at the port and some would have been shipped to Syria while others would have been transported by air," an official said.

 この話によれば、北朝鮮の竜川駅爆破は、北朝鮮からシリアに送るミサイル関連の物資が爆破したもので、このため、同行していたシリア人技術者が十数名も爆死したそうだ。
 しかし、この話自体は、日本人には、それほど驚くべきことでもない。というのは、ここで触れられている"a Japanese daily newspaper"は産経新聞であり、この話自体は日本国内ではすでに報道済みだからだ。該当記事は、産経のサイトからはすでに削除になっている。気になるのは、なぜかその北朝鮮特集のページからも削除されていることだ。しばらくはGoogleのキャッシュで「北の列車爆発 シリア人技術者乗車 直後に残存物防護服で回収軍事物資を輸送中?」(参照)は読める。

 先月二十二日に北朝鮮の北西部、竜川(リヨンチヨン)で起きた列車爆発事故で、シリア人技術者らが死傷し、大きな機器とともに乗り込んでいた一画の被害が特に大きかったことがわかった。朝鮮半島情勢に詳しい軍事筋が六日、明らかにした。同筋はこの機器の中身は不明としながらも、事故直後には防護服を着た北朝鮮の軍関係者が現場に到着、一団の乗っていた車両の残存物だけを回収したとしている。このため、北朝鮮とシリアの間で極秘裏に軍事物資の輸送途中の事故だった可能性が高いとの見方を強めている。
 同筋によると、列車に乗り込んでいたのは、シリアの科学調査研究センター(CERS)という機関から派遣された技術者ら。CERSは科学技術振興のために設置されたが、シリアの大量破壊兵器開発計画のなかで重要な役割を果たしているとの疑いも持たれている。

 15日付けのNorth Korea Zoneでは、この産経系のニュースを一週間遅れて紹介したにとどめたのだが、18日のWorldTribune.comの記事では、ご覧のとおりさらに踏み出して、書いている。
 問題は、WorldTribune.comの記事は産経系のニュースを又聞きした伝言ゲームの情報なのか、ということだが、"U.S. officials confirmed a report in a Japanese daily newspaper "ということから、別ソースからの確認のようだ。つまり、米国側からだと言える。ミサイルと明確に書いたのも米側の情報なのだろう。また、化学兵器の搭載はなかったとも指摘している。
 それでも、初報は産経新聞であることには違いないので、このあたりの産経系の情報収集が気になる。
 WorldTribune.comの情報が確かなら、竜川駅爆破の原因として言われてきた「硝酸アンモニウム肥料を積載した列車と石油タンク車を入れ替える作業中に不注意で電線に接触したのが原因」という説は疑わしい。というか、この説は、専門家から被害規模から推定して無理があることは指摘されてはいた。また、金正日暗殺説もとりあえず却下されることにもなる。
 関連して、当然の連想だが、先日の米国によるシリア制裁も、北朝鮮関連という線も浮かんでくる。が、この点についての情報はない。
 以上の話は、ガセなのか?
 North Korea Zoneでは、気の利いた皮肉も書いている。

NKzone wonders where the mainstream media is on this story. Too busy fighting over who gets on the charter plane with Koizumi to Pyongyang?? Or is the Ryongchon explosion story too "old" to revisit at this point?

 確かになぜこの問題は注目されないのだろう? しかも、反面で、小泉再訪朝でメディアは浮きたっている。
 米国支持のように取られるかもしれないが、シリア関与が確実なら、イラク問題と北朝鮮問題は、直結してしまうのに、日本は自衛隊だけがイラク問題であるかのような風潮でいいのだろうか。
 余談めくが、今日の韓国各紙が米軍の縮退に強い危機感を表したことも関連して触れておきたい。朝鮮日報「これが韓米同盟の質的変化なのか」(参照)がなかでも鋭い指摘をしていた。

 在韓米軍1個旅団4000人余の撤退は兵力の数だけを持って対北抑止力に及ぼす影響を論じる問題ではない。在韓米軍の実質的戦力は兵力規模に劣らずその情報力と火力に土台を置いていおり、韓国軍の対米情報依存度は映像情報98%、信号情報90%に達する。とりわけ在韓米軍の存在はそのことが米国本土の絶大な情報力及び火力とつながっているという点で威力的なものであり、そのつながりの密接さは韓米同盟の質がどれだけ高度化しているかにかかっている。

 現在の軍事とは、いいことか悪いことかわからないが、ITを駆使した情報戦でもある。その点で韓国が抜け落ちる危険性がある。もしかすると、これは米国による韓国への制裁なのではないかとも勘ぐりたくなる。が、常識的に見るなら、すでに北朝鮮の脅威は地上勢力としては問題ないということなのだろう(直接米軍人を半島の前線に置くこと避けたのかもしれないのだが)。
 北朝鮮から日本へのミサイルの脅威は、依然変わらないどころか、竜川駅爆破は不気味な暗示なのかもしれない。日本海にはイージス艦が出ずっぱりになる。「日本海にイージス艦 米、9月から常駐配備」(参照)をひく。

 【ワシントン22日共同】米国防総省は、ミサイル防衛の一環として、9月に高性能レーダーを備えたイージス艦1隻を日本海に常駐配備する方針を決定した。イングランド海軍長官が22日の講演で明らかにした。海上配備型の迎撃システムで、具体的な配備先が公表されたのは初めて。

 危機感を高めたいわけではないが、北朝鮮という国はそういう国なのだ。拉致問題解決は日本人の悲願であり、核兵器開発抑制は国際的な世論だが、その隙間に、ミサイルの脅威は依然残る。「北のミサイル開発情報相次ぐ 米韓が監視態勢」(参照)をひく。

北朝鮮が今年三月以降、長距離弾道ミサイルのエンジン燃焼テストを準備しており、米韓両国はこのエンジンが米本土の一部に届く射程六千キロの「テポドン2号」に搭載されるとみて監視態勢を取っていることがわかった。韓国紙、中央日報(六日付)が外交消息筋の話として伝えたもので、在ソウルの外交筋も産経新聞にこの事実を認めた。

 あるいは、こうした危機の構図をあえて米国が描かせているのかもしれない。だが、全体の構図に日本人が無知であっていいわけはないだろう。

追記(04.05.26)
 朝鮮日報に24日重要なニュースが掲載されていた。事件を暗殺未遂とする見る新しい証言だ。「North Korean Security Believes Ryongchon Explosion an Assassination Attempt 」(参照)。


According to a source, North Korea's State Safety & Security Agency concluded that the massive explosion that occurred in the North Korean city of Ryongchon on April 22 had been conspired by anti-North Korean government forces to harm North Korean leader Kim Jong-il.
 A North Korean official who was recently on his business trip to China said, “The North Korean National Security Agency has investigated the incident since it took place and concluded that rebellious forces had plotted the explosions targeting the exclusive train of Kim Jong-il. The security agency, in particular, gained evidence that cell phones had been used in triggering the explosion and reported to the North Korean leader that the use of cell phones should be banned for the sake of the leader’s safety, the official said.

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2004.05.18

イラクに主権は委譲されてもお金はダメ

 イラク情勢について、目につきやすい戦闘の状況に加えて、このところどうも主権委譲に関連して、米軍と国連の間で香ばしいやりとりが進んでいるようだ。ただ、この国連が旧来の意味での国連だけではなく、ケリー支持やその他の反ブッシュ勢力(ソロスとか)も噛んでいるようなので複雑。というか、複雑極まりない。
 しかし、ある意味では単純とも言える。要するに主権委譲後に誰が石油の利権を握るかということだ。国連か米国か。もっとも、そう言うと単純すぎるし、よくある陰謀論のように聞こえるかもしれない。そこが難しいところだ。極東ブログでは、できるだけ、難しい面を扱いたいと思うのだが、単純な反米論者などに誤解されやすい(っていうか理解されないのだろう)。
 話の切り出しにSalon.comの"Raiding Iraq's piggy bank"(参照・要登録)を借りる。問題提起はこうだ。


As the occupation of Iraq dissolves further into bloody chaos, the colonial overseers in Baghdad are keeping their eyes fixed on what is really important: Iraq's money and how to keep it. Whatever apology for a "sovereign" Iraqi government is permitted to take office after June 30 -- and U.N. envoy Lakhdar Brahimi admits in private that he "has to do" whatever the Americans tell him to do -- the United States is making sure that the Iraqis do not get their hands on their country's oil revenues.

 つまり、"hands on their country's oil revenues"ということであり、米国はその手を離す気はないよということだ。主権はイラク国民に返すが、石油収入益は渡さないよ、と。しかし、それって主権委譲になるのか?と考えれば、日本人の感覚からすれば、なるわけないでしょと言いたい。が、日本国の立場はと再考すれば、暗澹たる結論を言わなくてなるまい。
 もともとこの戦争は石油利権だという言い方もある。が、とりあえずそれは今回は扱わない。「世界を動かす石油戦略」も理解していない初歩的な誤解が含まれている可能性が高いからだ。
 話を続ける。

We are talking about big money here: Iraq's oil exports are slated to top $16 billion this year alone. U.N. Security Resolution 1483, rammed through by the United States a year ago, gives total control of the money from oil sales -- currently the only source of revenue in Iraq -- to the occupying power, i.e., the United States. The actual repository for the money is an entity called the Development Fund for Iraq, which in effect functions as a private piggy bank for Paul Bremer's Coalition Provisional Authority. The DFI is directed by a Program Review Board of 11 members, just one of whom is Iraqi.

 問題は、DFI(the Development Fund for Iraq)のありかただとも言える。本来なら、石油収入益は国連管理下であるはずだ。しかし、そう簡単に話が進まないのは、国連が善なのに、アメリカが力でごり押しというだけではない。やっかいなのは、これが、極東ブログ「石油・食糧交換プログラム不正疑惑における仏露」(参照)でも触れた国連疑惑に関連していることだ。

The development fund is not solely dependent on oil money -- of which it had collected $6.9 billion by March. Under the terms of 1483 the DFI also took over all funds -- $8.1 billion so far -- in the U.N.'s oil-for-food program accounts (Russian and Chinese support for the resolution was bought by agreeing to keep the oil-for-food racket running for a few more months); various caches of Saddam Hussein's frozen assets around the world, amounting to $2.5 billion; and further cash left behind by Saddam inside Iraq, estimated at about $1.3 billion. The money is kept in an account at the Federal Reserve Bank in New York.

 アナンがヴォルカーを選んだのは現状では最善かとも言えるが、アナン自身がいつ吹っ飛ぶとも限らないし、疑惑のリストにはシラクも載っているので、どこまで火がつくかもわからない。
 Salon.comの"Raiding Iraq's piggy bank"ではこの先、Halliburton社への支出について議会の歯止めがないことも問題にしている。このあたりは、明白過ぎるのだが、だからHalliburtonが悪玉だと簡単に陰謀論にして済むことでもない。むしろ、この金を制御せよ、が当面の課題であるべきだ。
 ソロス(George Soros)は、早々にこの問題に首を突っ込み、"Iraq Revenue Watch"(参照)で、この金の制御が米国に回らないように活動を始めている。ソロスの真意がどこにあるか、どう評価していいのか正直なところわからない。気になるのは、むしろ、わかりやすい図式が広まりつつあることだ。日経系「イラク泥沼化、それでも ブッシュ大統領再選へ」(参照)ではソロスの最近の活動についてこう図式化している。

 ブッシュ再選に待ったをかける動きはある。選挙資金集めではブッシュ陣営が民主党の諸候補を圧倒しているが、最近になって投機王のジョージ・ソロス氏が500万ドル以上の巨額の資金を集めて反ブッシュ、民主党候補支持のキャンペーンを始める、と宣言した。ソロス氏は、共和党新保守派(いわゆるネオコン)を自身に従わないものを淘汰する「至上主義」として決めつけている。ソロス氏が出身国ハンガリーでナチス・ドイツに占領された当時の体験を引き合いに出しながら、ネオコンのイデオロギーの影響を強く受けているブッシュ大統領の対外強硬策を厳しく批判している。ユダヤ系ハンガリー移民であるソロス氏が、同じくユダヤ系政治専門家が占めるネオコンに対抗することの政治的意味は興味深い。というのは、ブッシュ政権は親イスラエル路線をとり、アメリカ政治に大きな影響力をもつユダヤ系の支持を広範にとりつけていた。ソロス氏のような動きがユダヤ系社会に広がると、民主党候補には大きなプラスになる。経済トレンドと同じように今後はこうしたイスラエル・ユダヤ系社会の支持動向も見逃せない。

 こうした、ある意味で日本人にわかりやすい図式は緻密に論駁しなくてはいけないのだろうと思うが、率直なところ今の私には難しい。
 いずれにせよ、"Iraq Revenue Watch"で公開されている文書は、この問題を考えるうえで重要であるはずだ。できることなら、左翼といった旧来のバイアスがかっていない視点で、これらのソースを精緻に読み解いている論者はいないのだろうかと思う。
 余談めくが、「アラブ政治の今を読む(池内恵)」で啓発されたことでもあるが、イラクという国のアイデンティティは結局のところ、この石油という利権の配分権の意識とも言い換えていいようだ。冗談みたいだが、主権とはこの石油収入益の権利を実質指しかねない。

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2004.05.17

最近のイラク情勢について

 米国での報道から見ていると、イラクの戦闘ではかなりの動きがあるのだが、あまり日本国内では報道されていないようだ。特に、新聞社系のニュースが弱い。朝日新聞はほとんど沈黙しているようにすら見える。朝日は、れいの虐待がラムズフェルドの承認だったか、というニューヨーカーの記事"THE GRAY ZONE"(参照)を早々にネタにして「収容者への威圧、『国防長官が承認』米誌報道」(参照)という記事を書き飛ばしているが、これもどうやらAP経由臭い(参照)。朝日に報道能力がなくなっているようにすら見える。
 他紙も似たようなものだが、読売はやや奇妙だ。カイロ特派員からのニュースがあるのだが、これが米ソースやアラブ系のニュースの伝聞を書いているだけだ。例えば、「イラク各地でサドル派と交戦続く、爆弾テロも」(参照)にはこうある。


中部カルバラでも16日、米軍と交戦したマフディ軍兵1人が死亡。南部バスラでは16日、英軍駐屯地近くの住宅に迫撃砲が着弾、2歳の双子女児と母親、祖母の4人が死亡した。

 というのだが、ニュースのトーンが感情的であり、ソースが不明だ。非難する意味ではないが、他も参考がてらに示しておこう。「モスルに迫撃砲攻撃、イラク人4人死亡・17人負傷」(参照)より。

【カイロ=柳沢亨之】ロイター通信によると、イラク北部モスルのイラク軍関連施設に15日午前、迫撃砲による攻撃があり、イラク軍への志願手続きのため施設入り口で並んでいたイラク人4人が死亡、17人が負傷した。

 また、同記事ではこうある。

 AP通信によると、バグダッド北東部にあるサドル師派の拠点「サドルシティー」で14日夜から15日未明にかけ、米軍と交戦したマフディ軍兵2人が死亡した。

 皮肉に聞こえるかもしれないが、ロイターとAPをまとめるなら、カイロで書く必要はない。
 以上、ちょっとしつこい感じだが、日本でのイラク報道がどうも奇妙なことになりつつある。
 事態について話を移す。共同系ニュース「イラク聖地などで衝突続く 米兵死者、776人に」をひく。

 【バグダッド16日共同】イラク中部のイスラム教シーア派聖地カルバラなどで15日から16日にかけ、米軍と反米武装勢力の衝突が続き、バグダッドでは15日夜、道路に仕掛けられた爆弾が爆発し米兵1人が死亡、1人が負傷した。

 詳細は日本時間で14日時点だが、New York Times "Battles in Najaf and Karbala Near Shiites' Religious Sites"(参照)がわかりやすい。

BAGHDAD, Iraq, May 14 - Fighting erupted Friday in Najaf when American tank troops and soldiers battled militiamen loyal to the rebel Shiite cleric Moktada al-Sadr in a centuries-old cemetery near the revered Shrine of Imam Ali.
 Amid plumes of smoke and explosions that echoed around the narrow streets, the shrine itself was reportedly hit by gunfire, pitting its golden dome with four small holes.
 The damage, however slight, marked a moment that the American military has been straining to avoid in its five-week standoff with Mr. Sadr: any violation of the holy sites of Najaf and Karbala, held sacred by Shiites around the world, that could inflame Shiites here into a broader uprising against American forces.
 But many moderate Shiites have called for Mr. Sadr and his militia to leave Najaf, and there were no signs of wider unrest on Friday. Despite the damage, the United States military said it was taking extraordinary pains to convince Shiites that it was doing everything to keep the violence away from the shrines.

 米軍によるサドル潰しが進行していると言っていいのだろうと思う。戦闘は続いているがファルージャ掃討とはかなり違うようだ。
 事態はどうなっているのか。考察の一例として、神浦元彰軍事アナリストでは、日本ソースだけから、次のように印象を書いている(参照)。

サドル師が提示した停戦協定を米軍は拒否をした。あくまでサドル師の殺害か拘束を目指すという。またサドル師も徹底的に占領軍と戦うことを宣言した。そこで比較的安全と言われてきたサマワにも戦火が飛び火した。アメリカとしてはサドル師の抵抗勢力を徹底して鎮圧し、反米に傾くシーア派に見せつけたい狙いもあるようだ。そのため本丸のサドル師は当分は生かしておいて、その間に各地のサドル派の武装勢力(マファディ軍)を、一人でも多く殺害する作戦のようである。
 米軍はそのようなやり方しかできないが、果たしてそれでイラクは安定した国になるのだろうか。私はイラクの治安がさらに悪化していき、駐留米軍を苦しめることになると思う。

 この見解は軍事的というより、日本人にとって一般的な見解ではないだろうか。いずれにせよ、イラクの米軍は混迷を深めているというあたりだろう。
 そうなのだろうか?
 少し古いが、4月6日のWashington Post "A Necessary Fight"(参照)では、この時点で、明確にサドル側との妥協を否定し、サドル側を徹底的に壊滅するように示唆している。恐らく、現時点では、この視点は米軍のそれを代弁していると見ていいだろう。

U.S. officials wouldn't say when they might seek to arrest the cleric, who reportedly has taken refuge in a mosque surrounded by his heavily armed militiamen. But now that the conflict with the Mahdi Army has begun, U.S. commanders should not hesitate to act quickly and with overwhelming force.

 the clericはサドルを意味する。ご覧のとおり、早急に殲滅するように主張されている。むしろ、このアクションが、れいの虐待関連のごたごたで1か月近く延期されたのではないだろうか。つまり、軍はけっこうシナリオ通り動いているようにも見える。

The Marine action represents a return to more aggressive tactics against an enemy that appears not to have weakened as much as U.S. commanders believed. Such offensive operations have a cost, in Iraqi and American lives, and in new televised images of violence from Iraq. Yet the alternative -- to step back from confrontation with Iraq's extremists -- would invite even worse trouble.

 ここでサドルを徹底的に叩くことが、むしろ被害を食い止めるというのだ。
 この問題は、このWashington Postの記事が書かれた事態から変化し、すでに国連委譲が背景になっていることだ。ファルージャについては、どうやら旧フセイン派との妥協はできたようでもある。そこにシーア派の焦りもあるのかもしれない。ただ、シーア派とはいえ、サドルはシーア派を代表しているわけでもない。
 それでも、マファディ軍のような安易な武装勢力はいずれつんでおかないと内乱の芽にはなるだろう。
 以上、米軍を擁護したいわけではないが、米軍がなんとなく言われているほどアノマリーな状態ではないようには思える。

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2004.05.16

ジェンキンスさん問題は難しい

 小泉首相の北朝鮮再訪がよくわからない。国内では拉致被害者家族8人全員の帰国がこれで実現できるような空気が流れている。小泉政権としては、この花火で参院選を押さえ込む腹づもりだ。逆に言えば、これがコケれば参院選も危うい。かなり裏を取って勝負に出たというところだろう。が、くどいが、そんなものなのだろうか。今回の再訪は、どう見ても山拓の仕込みだろうし、そう考えると、当初は小泉再訪ではなく、福田が飛ばされるスジだったのではないか。今となってはそれはどうでもいいことなのかもしれないが。
 小泉首相の北朝鮮再訪については、私としても、なんとなく拉致被害者家族8人全員が帰国するような気分でいた。が、15日付のNorth Korea Zone "Dealing with Jenkins"(参照)を読みながら、少なくとも、ジェンキンスさん(Charles Robert Jenkins)についてはそう簡単にはいかないのだろうと思った。国内でもこの問題にある程度注目が集まっている。くせ球だが、朝日新聞系「8人の帰国どう実現 首相再訪朝、ジェンキンスさん焦点」(参照)をひく。


 小泉首相は22日の再訪朝で、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記に拉致被害者の家族8人の無条件の帰国・来日を最優先課題として要求する。だが、8人のうち脱走米兵だった曽我ひとみさんの夫ジェンキンスさん(64)は来日した場合、米国に身柄の引き渡しを求められ訴追される可能性がある。さらに北朝鮮が「死亡した」などとした10人の安否の真相究明の方法や、横田めぐみさんの娘キム・ヘギョンさん(16)の来日をどう実現するかなど、調整が必要な課題は多い。
 在韓米軍から北朝鮮に脱走したジェンキンスさんは、米国にとって現在も訴追対象だ。ベーカー米駐日大使は13日の記者団との懇談で「米国の拘束下に置かれれば、通常の手続きにのっとって罪に問われるだろう」と述べ、軍法会議にかける方針を示した。

 ただし、小泉側は米国を抑えることができると踏んでいるようだ。さらに同記事より。

 自民党の安倍晋三幹事長は14日、曽我ひとみさんに電話し、首相の訪朝を説明。曽我さんは「夫は米国人なので心配している」と話したという。
 日本政府は米国に「配慮」を求めており、来日した場合も「米側の特例措置は期待できる」(首相官邸筋)とみている。
 米国との調整以上に微妙なのが本人の意思だ。政府関係者によると、ジェンキンスさんは「北朝鮮を出たくない、という意向のようだ」という。北朝鮮側も「ジェンキンスさんは拉致被害者ではない」(日朝交渉筋)として他の家族と一線を画す認識だとされる。

 この朝日新聞系の報道だが、どうも話が変だという感じがする。
 まず、先の引用で前置きもなく「脱走米兵だった曽我ひとみさんの夫ジェンキンスさん」ということになっている。つまり、脱走米兵は事実認定されているかのようだ。が、事実についての日本側の判断を考慮せず、しれっとそう書いてしまっていいのだろうか。この点については、事実認定という点に絞っても、ジェンキンスの親族が特設サイト"In Support of Charles Robert Jenkins"(参照)でいくつか疑問を投げかけている。
 後半の引用にあるようにジェンキンスさんに北朝鮮出国の意志がないということもあるうる。というのは彼自身も、脱走容疑に怯えている可能性もある。当たり前のことだが、脱走というのは国家への反抗に等しく罪も重い。自身がそう認識しているとも考えられはする。
 だが、北朝鮮側が彼を他の家族と一線を画す認識という点を、だらっと垂れ流しにしている朝日新聞系のニュースも奇っ怪なものだ。というのは、ここで「一線を画す」としないと、単に米人を拉致したことになるからだ。日本という国は防衛力しか戦力を持ち得ないので、主権を構成する国民のすら積極的に守ることは難しいが、米国の場合、これが明白に拉致となれば、軍事力を使っても保護に乗り出す。つまり、米国にそうさせないための北朝鮮側の意図に過ぎないとも言える。
 もっとも、米国側でも一応脱走の認識ではいたようで、だからこそ、救助の試みはなかったのかもしれない。そのわりには認定が曖昧だ。1965年の失跡から17年後の1982年に認定されたものの、生存の確認もできていない。確認されたのは、1996年、北朝鮮の宣伝映画「Nameless Heroes」に米諜報機関幹部役で出演したためだ。なお、この脱走問題を極めて悪化させてくれたのは「週刊金曜日」とJNNでもあるのだが、ここでは触れない。あらためてこんな胸くそ悪いものに言及したくもない。
 小泉側でもある程度この問題は詰めているのだろう。日本にとにかく連れてきて、脱走とは違う面での証言が本人から出れば、ブッシュも恩赦が出させる。しかし、それってすごい離れ業だなとも思う、というか、なんかシュール過ぎな気もする。
 この問題、つまり、ジェンキンスさんを含めての帰国は、理性的に考えると迷路のように思える。なのに、気分だけは、日本人のせいか、どうも先走ってしまう。
 余談だが、私の親族にもJenkins姓があるが、通常、ジェンキン「ズ」と濁音の「ズ」呼んでいる。なんでメディアはそろってジェンキン「ス」なのだろうか。

追記04.05.23
 朝日新聞系ニュース「ジェンキンス氏は軍事裁判の対象 米国防総省が声明」(参照)では以下のように、罪を問うことを確認した。これで事実上、日本に連れてくることは不可能になった。


 米国防総省報道官は22日、日朝首脳会談を受けて、拉致被害者の曽我ひとみさんの夫で元米兵のチャールズ・ジェンキンス氏が「極めて深刻な罪」に問われていることを強調する声明を改めて発表。「近い将来、変更することは想定されていない」とも指摘し、米国政府としてジェンキンス氏を訴追する姿勢を変えるつもりのないことを明らかにした。

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2004.05.15

残業100時間で身体壊すなよってな話

 民主党やら北朝鮮を巡る話にはあまり関心が向かない。一定の思考を強いられているような感じがして、いやだ。たるい話を書きたい。というか、人によってはたるいどころではないのだろう。残業100時間についてだ。
 コメント欄で残業100時間を見て、心にひっかかる。現場はそうなんだろうなと思う。世相の覗き穴らしいニュースをざっと見ると、サービス残業が多少問題になっている程度で(参照)、それほど社会問題化はしてない。「過労」がキーワードかとも思ったが、それほどニュースはひっかからない。ネットからは、よくわからないなと思う。
 が、私印象では、残業100時間的な勤労の状況はかなり深刻ではないだろうか。実態がわからないし、社会学的な統計として出てくるかもよくわからないが。
 私は昔(といって下手すりゃ20年近くも前なんで時代が違い過ぎるが)、流しのプログラマみたいなことをして大手の電気会社を数社渡ったことがある。大手だと系列を含めてちゃんと労組があって、残業がそれほどできないようになっていた。私のような流しのほうも、それに連動してそれほどの残業はできない。なるほどなとは思った。
 その後、知人と仕事を興したりなんだり、小さなオフィス経営などを覗き見るに、まず私生活と仕事の区別はなくなる、ものだ。そうなると、換算すると確かに残業100時間は軽く、いく。
 恐らく今でもそういう世界では変わりないだろう。つまり、いわゆる資本家との関係の労働者っていうのはそれほど仕事をしないが(と言うと語弊があるが)、ある程度自分のジョブに責任を持つなり、シビアな仕事をしている人にとっては、潜在的に残業なんてもんじゃないよの状況になる。
 自分が、あれっという間に40代半ばを過ぎてみると、そういう残業100時間みたいなことができるのは、40代ちょいまでではないかと思う。人にもよるのだろうが、「40歳になってしもうたぁ」みたいな感慨はあっても、まだなんとかできるような気がするものだ。が、さすがに厄年とは言ったもので(男の厄年だが)、42歳になると、だめぽの世界が来る。あ、俺ってダメじゃん、である。ふと気が付くと、最近朝立ちもしてねーんじゃん、みたいなトホホである。が、トホホのうちはいい。見渡しても、かなりの人がガクっと、ものすごいものが来る。経験で言うと、腰痛、歯痛(っていうか洒落にならない歯科系の病気)、慢性疾患(この年代ならがんも慢性疾患と言っていいだろう)、アル中…廃人っていうのもあるな。洒落にならないが。
 身体が元手だよみたいな説教をこいてみたいが、これっていうのは、経験してみないと通じる世界でもないので、それ以上は言わない。ただ、こうして書いてみると、下手な言い方だが、心の問題はあるなと思う。大きいのではないかというか。
 心の問題というのは、「なにかもっとできる」という感じと、実はこっそりなにかを避けているうっすらした感じだ。センター試験以降の世代だと、どうやらティーンエージの段階で序列意識を持たされるようだし、残念ながら、その頃の知的な能力はどうやらその後も概ね変わらないようだ。が、能力っていうのはいわゆる学力的な知的能力だけではない。また、感性っていうのも、けっこう30歳くらいから、出てくるものもある。そうした、なんか、俺ってなんかできるかも(女性もだが)、という感じが、自分を支えてくるようになるのだが、裏には、なにか避けているなとうっすら感はあるのではないか。
 42歳くらいっていうのは、そのうっすらした影のようなものが、あれ、その影って俺そのものじゃないかという、そうだな、英語のovercome、overwhelmっていう感じではないか。多分にユンク心理学の「影」的でもあるし、ゲド戦記の「影」的でもある。
 思わせぶりに書いてもなんなので切り上げるが、っていうか、何言ってんのかわかんねー感漂いまくりだと思うので一つだけ補助線を引くと、仕事をガンガンやっている時ほど、そして、俺が欠けたらこの仕事は実際にこける、というときでも、実は、その「俺」なり「私」がいなくても、世界は動くだろうなみたいな、感じは拭えないものだ。今朝みたいな空を見上げて、ああ、俺がいなくてもこの空はこんなふうだろう、みたいな感じは誰も持っている。公園に座って、遠くの団地に布団でも干してあると、俺がいてもいなくても、あの布団は干さなくてはいけないな、みたいな。
 自分で選んだ仕事ならある程度しかたないが、小児科医のように気が付いたら自分の責務だけがしっかりあるような、そんな苛酷な勤務とか見ていると頭が下がる思いがする。あまり社会的な負荷をかけないような社会にしなくてはいけないなとも思う。
 支離滅裂な話になったが。おしまい。

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2004.05.14

石油高騰で米国を責める朝日新聞のジョーク

 日本には気の利いた知的なジョークが少ないと言われることもあるが、心配ご無用。朝日新聞社説がある。今朝の「石油高騰――世界を脅かす中東不安」はなかなか秀逸なシロモノだ。


 うなぎ登りの石油価格が、世界の経済に暗い影を投げかけている。
 昨秋、1バレル=30ドルを超えた原油価格はその後も上がり続け、NY市場で40ドルを突破した。イラク軍がクウェートに侵攻した後の90年秋以来の高値だ。
 石油の高騰で各国の株式市場や為替相場なども不安定になっている。
 このままの水準が続けば、ガソリンや重油、石油化学製品の原材料となるナフサの値上がりで、各国の成長にブレーキがかかるだろう。

 おお、そりゃ大変だ。社説を高校生レベルの頭脳に書かせてしまうのも大変だ、の部類だが、さて、なぜ石油価格高騰という大変なことになったのだろうか? というと、きっと悪いヤツがいるのだ。誰だぁ?

 ところが、中国をはじめアジアでの消費が急増し、需給に構造的な変化が生まれた。そんななかで、石油に再び政治と結びついた「戦略商品」という色合いを濃くさせているのがイラク戦争だ。
 ワシントン・ポスト紙のウッドワード記者は新著『攻撃計画』で、イラクのフセイン政権を打倒する見返りに、サウジアラビアが米大統領選の前に石油価格を下げるとの密約があったと暴露した。

 ふむふむ。なるほどなるほど(わくわくとオチを期待する)。

 鍵を握るのはやはり米国である。

 やっぱりそうか!
 イラク戦争をやったのも米国だし、裏でサウジと石油で密通していたのも米国だし、なにかと諸悪の根源は米国じゃないか…!

 イラク政策の転換は、世界経済を安定させる観点からも必要だ。力まかせの占領は、イラク国内だけでなく、アラブ全体の反米感情を強め、石油市場が嫌うテロへの懸念を高めるからだ。
 石油を確保するためにサウジの非民主的な政治を黙認する「二重基準」や、イスラエルへの過度の肩入れも改めなければならない。米国は中東政策の手詰まりが自国だけでなく、世界に跳ね返っている現実を直視すべきである。

 そうだそうだ! だから、石油市場の安定のために、米軍はイラクの力任せの占領をやめて撤退せよ! 米軍がイラクの石油施設に関わらなければ、テロの懸念だって根本的になくなるのだ! イスラム原理主義者たちが非難するように圧政を敷くサウジ専制への支援を米国はやめるべきだ! イスラエルの肩入れもやめて、テロリストの言い分も聞いてやれ! そうすれば、米国の中東政策の手詰まりが打開できるぞぉ!
 …というわけだ。阿呆か(余談だが、!マーク付の文は反語ですからね)。
 朝日新聞も、石油がもやは市場で自由に買える「普通の商品」になっているということをお勉強したのだから、変な妄想してないで、ちゃんと経済の原則や歴史の動向で考えればいいじゃないか。社説執筆者のなかには、Financial Timesなんかも読んでいる人がいるのだから、こういうお馬鹿な社説を書く同僚がいたら、諫めろよ、と思う。
 Financial Timesでは、4月29日にこの石油高騰の問題について、"No panic on oil"で扱っている。

The run-up in oil prices is causing worry. Last weekend finance ministers of the Group of Seven industrialised countries warned that rising energy costs posed a danger to their economies' recovery prospects. Yet the Opec cartel of oil producers seems blithely unbothered. Indeed, as the basket of Opec crude oils - which sell at a discount to the Brent and West Texas benchmark crudes traded in London and New York - yesterday rose to $33.20 a barrel, their highest level for nearly four years, the cartel's Indonesian president has suggested moving Opec's target price range upward to reflect market reality. But in the absence of any further spike in oil prices or serious volatility in their level, the concern is overdone.

 重要なのは最後の一文だ。the concern is overdone、である。つまり、考えすぎ。
 なぜか?

But higher energy prices may be no bad thing, though they pose a severe problem for the world's poorest economies that are often least able to switch away from fossil fuels. For the track record is that price has been the most powerful instrument for energy efficiency, and that as the impact of the 1970s oil price shocks has waned, so has energy saving.

 石油が高騰すれば、石油を見限って別のエネルギー源への構造変化が起こる。なにより、石油の無駄遣いが減るのはいいことじゃないか。歴史を見れば、そういうインセンティブが働く。というか、そういうインセンティブを与えるにはむしろ都合がいい。
 もっとも、そこまで行かなくても、マーケットメカニズムが先行して動き出す。

The oil price is still far short of its 1980 record which, in 2003 money, was $78.40 a barrel. Long before prices ever regained this level, corrective mechanisms would kick in, with Opec members cheating more on their quotas, supply rising, demand falling and development of alternative fuels increasing. As Mr Greenspan rightly warned Opec, the history of the oil price is as much one of the power of markets as the power over markets.

 つまり、石油は出てくるよということだ。
 ただ、多少、日本の状況からすると、補足は必要かもしれない。Financial Timesの場合、イギリスのエネルギー事情が念頭にあるのかもしれない。イギリスで国内の庶民生活ではガソリン高騰をくらってひーひーしているが、一次エネルギー構成からみると、石油が34%であるのに対して天然ガス38.3%とすでに天然ガスに移行している。フランスは、石油が37.4%だが原子力が37%と別のシフトを目指している。ドイツは困ったことに石炭があるのでそれと天然ガスでバランスできる。
 問題は日本で、石油に48%も依存している。
 もっとも、これも困ったことかいうと、そうとも言えない。すでに石油高騰で韓国経済などはひーこらしているが、もともと日本の庶民生活でのガソリン価格は最初から、なんだかんだと流通で高値過ぎるのでこれが逆にバッファになっている。この機会に、無意味なバッファを除いて流通を正常にしたほうがいい。(追記・同日:ここでは「流通」としたが、まず、税を強調すべきだった。)
 さらに、日本は、これからハイテクでどんどん省エネルギーは可能だし、なにより国が縮退しているのだから、石油エネルギーを消費過多に向ける必要はない。石油を燃やしてつくっている電力ですら、配分にはロスが多すぎる。

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2004.05.13

若者の労働状況に思う

 昨日のNHKクローズアップ現代「働く意味は何ですか」は、たるい内容だった。問題は、現在新卒者の5人に1人が就職できないということとだが、これについて、次の視点を立てていた。


学生達の就職に対する意識も変わってきているのだ。自分のやりたいことがわからないなど、就職活動の入り口から悩み、つまずいて就職から身を遠ざけてしまっている学生が増えつつあり、大学でもカウンセリングや個人指導などの対策を始めている。

 番組中キャスターの国谷裕子も、自分たちも若い頃、何をやりたいかわかってませんでしたが…というようにコメントを挟み、顔のシンメトリーを崩して微笑していたが、若い人の労働意識が現代において変わったわけでもない。番組でも、一応、そのあたりは含めてはいた。むしろ、会社が若者に就労意識を求めるようになったという線を強調していた。確かに会社側としても就職しても3人に1人は短期で辞めてしまうのだから、しかたがない面はある。
 しかし、この状況をもたらした大きな要因は、番組でも紹介していたが、「親が積極的に就職をすすめない54%」だろう。親が子供に働けとは言わない、あるいは、子供も親から自立したいと希望しない、しなければいけないという理由もない、ということだ。
 考えようによっては困ったことでもない。もともと先進諸国における大学の社会的な意味など、余剰な雇用を隠蔽する装置でもある。それがさらに家庭に延長されても、どうというわけでもない。実際のところ、日本社会は明確に、若い人の労働を必要としていないとうメッセージすら出しているに等しい。雇用問題でも、オヤジたちや老人の雇用維持が優先課題になっている。それは当然ながら、彼らが子供もだらっと養えよな、という意味でしかない。
 30代になって未婚の人口が増えているのも、これとまったく同じ構造だ。30代の未婚女性が多いというが、小倉千加子が解いたように、親が結婚を引き留めているのだ。端的に言えば、これだけ手間をかけた娘をそんな若造にやれるか、である。まさに、雇用も同じで、親がフォローできるのに、低賃金のバイトやパシリなどしなくてもいいだろうということだ。
 この問題はどっかで構造的にカタストロフして、いわゆる3K的な労働力の社会ニーズから海外労働者の導入になるようにも思える。若者や女性の労働力と対外労働力の、比較優位論のような状態になるわけだ。恐らく、日本の潜在的な生産力からすれば、このバランスが内部の労働力を活かす方向には向かないだろう。つまり、現状の延長に3Kを外人に任せる、日本の若者は仕事しない、という未来になるのだろう。
 話は少し逸れるのだが、今朝のVOAの"Child Labor Still a Concern in Industrialized Countries"(参照)が興味深かった。テーマは児童労働なのだが、これが北米でも問題だというのだ。私など、児童労働というとすぐ第三世界問題、搾取、じゃ左翼さんにお任せ、みたいに思うのだが、どうもそれだけではない。

Child labor is mostly identified with the developing world. However, an international congress on child labor heard this week industrialized countries, including the United States and Canada, are not immune to the problem, which affects sectors of the economy as varied as agriculture and the sex industry.

 VOAの英文はやさしいのでその先も読んでいただくといいのだが、ようは、米国の性産業にどっと海外の児童が「労働者」と流し込まれているということだ。つまり、貧困、帝国主義的搾取、世界システムってな気の利いた左翼の洒落で済む問題ではない。メディアや高度資本主義の世界システムが、どうやらまさにシステム的にこの問題を起こしているようだ。
 もう一点、VOAのニュースでほほぉと思ったのだが、北米の児童労働は農業分野にも顕著だ。考えてみれば、米国は農業国である。

Ms. Adkins said that agriculture is also a sector in which abuses are taking place. “Agriculture is one of the most dangerous industries in the United States and we have as many as 800,000 children under the age of 18 who are actively working, harvesting fruit and vegetables,” she said. “These children are dropping out of school at very young ages to assist their families.”

 まいったな、そうかと蒙を啓かされる思いだ。
 ただ、VOAでは触れていないが、英国でも状況はやや似ていて、親が子供を学校にやらずに労働させている。が、これは階級的な意識から来ているようだ。このため、英国では親を処罰する法律も作って規制を始めた。おそらく、英国だけはなく、広く欧州の社会構造だと言ってもいいのだろう。
 違う2つの話を洒落でミックスしたみたいなことになったが、日本の若い世代の労働の状況が、まさに、国際的にはハイパーな状況にあるとはいえるだろう。このハイパーな状況からとんでもない人たちがボランティアとして海外に出て行くのか、と言いたくもなるが、ま、言わないでおく。

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2004.05.12

シリア制裁発動

 アメリカという国がどういう国策で動いているのか、私にはわからないことが多い。多くの人にとってもミステリアスなのだろう。つい陰謀論的に考えたくもなる。困ったことに、アメリカはマジで陰謀をやることもある。と、前フリはその程度にしたい。
 昨日から気になっているのは、米国のシリア制裁発動の意味だ。朝日新聞系のニュース「米、シリア制裁を発動 中東諸国を刺激のおそれ 」(参照)ではこう触れている。


ブッシュ米大統領は11日、テロ支援を続けているとして、シリアに対し、米国からの輸出禁止措置などを柱とする「シリア制裁法」を発動した。イラク人虐待事件で米国への信頼感が問われるなか、イスラエルと敵対するシリアへの強硬措置に踏みきったことで中東諸国から反発が強まることは確実だ。

 この記事には簡単にしか言及がないが、シリア制裁は突然ではない。昨年10月8日米下院外交委員会で可決している。日経系のニュース「米下院外交委、対シリア制裁法を可決」(参照)をひく。

米下院外交委員会は8日、テロリストを支援していることなどを理由に、シリアに対して外交的、経済的制裁を科す法案を圧倒的多数で可決した。同法案を巡っては政府当局が難色を示していたため議会側は採決を留保していたが、イスラエルのシリア空爆を受けて政府が議会側に容認姿勢を伝達したため、急きょ採決の運びとなった。

 イスラエルが米政府の背中を押した感じだ。同法は12月に米大統領署名で成立。その間、さらに、もうワンクッションがある。同じく日経系「米、シリア制裁発動へ――月内にも軍民両用製品の販売禁止」(参照)をひく。

 シリアを巡っては昨年12月、イランに救援物資を届けた貨物機が、帰りの便に小銃、機関銃や爆発物を満載、レバノンを拠点に活動するイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラなどに引き渡した疑いが浮上している。米国務省当局者は「情報は正確だ。失望すると同時に極めて重要視している」と語っている。

 もともとヒズボラの結成にはイラン革命後のイランの援助があったのでそれほど不思議なことではない。イスラエルのシャロンは、ヒズボラを裏で操っているのはシリアだとしている。読売新聞2002.04.05「イスラエル、レバノンを報復攻撃も」をひく。

 イスラエルのシャロン首相は四日、「シリアが(ヒズボラの攻撃を)承認、支援していることは間違いない」と指摘。イスラエル政府は三日夜、治安閣議でレバノン問題を協議しており、さらに攻撃を受けた場合、レバノン駐留シリア軍などへ報復攻撃をすることが決まった可能性がある。
 ヒズボラは昨年九月の米同時テロ後、対イスラエル攻撃を控えてきた。シリアが米国から「対テロ戦争」の標的にされることを恐れヒズボラを抑えた、との見方が強かった。ヒズボラの攻撃再開は、シリアが米国の反発を覚悟の上で、パレスチナの抵抗に呼応して対イスラエル姿勢を転じたことを意味する。

 日本の外務省もヒズボラだけを特定していないがこの見解に立っている(参照)。

 イスラエルは、シリアがいわゆるパレスチナ過激派等テロ組織を支援しているとしており、今回はイスラエル・ハイファで発生した自爆テロに対する報復としてテロ組織の訓練施設を攻撃したものとしています。一方、シリアは、国内にパレスチナ組織の訓練施設は存在せず、攻撃されたのは民間施設であり、シリア領内への敵対行為であるとして、これを強く非難しています。
 シリアは、1967年以来、イスラエルのゴラン高原の占領を巡り対峙しているところですが、イスラエル・パレスチナ情勢、今回の事案に対するシリア・イスラエル・米国の対応如何によっては、イスラエルの更なる攻撃、シリア国内におけるデモ・抗議行動の発生等、国内における情勢が緊迫化する可能性があります。

 話を戻すと、今回の、米国によるシリア制裁には、以前のように、ヒズボラの抑制が期待されてるのだろう。
 先の朝日新聞系のニュースでは、シリア制裁発動をイスラエルのロビーの成果であり、大統領選を睨んでのものだと皮肉っている。

制裁法は、イスラエル寄りのロビー団体などの圧力で昨年11月に可決され、制裁の適用権限を大統領に委ねていた。発動は秋の大統領選を前にした選挙対策の側面が強い。

 この見方は浅薄かもしれない。
 最近のイラク情勢では、サドル率いるマフディ軍の活動が重要な意味を持つようになっているが、サドルがシーア派組織ヒズボラ系のマナール・テレビに出演し、反米扇動を行っていることからも、この活動とヒズボラには関係はあるだろう。つまり、シリアの締め上げは、玉突きのように、サドル側の弱体につながるとの米国の読みはあるのだろう。
 ただ、制裁法案に当初米政府側が渋っていたことが暗示的だが、米国とシリアの協調はアルカイダの抑制にもなっていた。Salon.comの"White House to impose sanctions on Syria"では、次のように指摘している。

Syria provided the United States with intelligence on al-Qaida after the Sept. 1, 2001, attacks. Though some U.S. officials have played down the importance of that, the cooperation probably discouraged the administration from imposing sanctions that would have reduced diplomatic contacts.

 このあたりの事情を含めれば、イラクの次はシリアだという単純な戦線の拡大はないだろうと推測される。
 余談がてらに気になることが2点ある。まず、4月27日ダマスカスで起きた武装グループと治安部隊の銃撃戦についてだ。事件については、産経系のニュース「シリア銃撃戦 アルカーイダ系が関与? 『米に協力 警告』指摘も」(参照)をひく。

 情報は錯綜(さくそう)しているものの、言論統制が厳しいシリアではこうした民間人の論評やリーク情報は政府の意向を反映しているとみるのが普通で、シリア政府はイスラム過激派の仕業とする方向で事態の説明を図ろうとしているようにみえる。米政府はシリアがテロ組織を支援していると非難しているが、シリアは米中枢同時テロ後、アルカーイダに関しては水面下の情報提供や容疑者尋問などで米国に協力してきた。シリアの支配体制がイスラム教スンニ派からは異端扱いされるシーア派少数派のアラウィー派であることも、アルカーイダの潜在的標的になり得る要素ではある。

 この事件と今回の制裁の動向には関係が出てくるだろう。
 もう1点、先日の日本人人質事件についてだが、読売新聞2004.04.09「イラクで3邦人人質 同時誘拐作戦か 他国の民間人も被害」の記事が気になる。

一連の誘拐事件は、一九八〇年代に、レバノンのイスラム教シーア派組織「ヒズボラ」が反イスラエル占領闘争の一環として採用した欧米人人質作戦をほうふつとさせる。ただ、ヒズボラは多くの場合、シリアなどの政治圧力もあって、米国人記者テリー・アンダーソン氏のように長期拘束の末に、結局は人質を解放した。これはヒズボラが組織としての一体性を保ちつつ、武装闘争の進展と中東政治舞台での政治的駆け引きをにらみながら、人質の取り扱いに慎重を期した結果でもある。

 この記事では、今回の日本人人質事件はヒズボラの人質事件とは違うという流れになっていくのだが、現時点で顧みると、むしろ類似点が多いように思える。
 今回の人質事件では、週刊文春は執拗に犯人グループをサドル側としていた。ガセだなと思って読み飛ばしていたが、なにか文春側ではもう少し突っ込んだ裏を持っているのかもしれない。

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2004.05.11

47氏が見たラジカルな世界

 話は、昨日のテーマ「Winny開発者逮捕は時代錯誤」(参照)の続きのようだが、私自身の思いとしてはそうでもない。率直なところを言えば、47氏が、「逮捕はしかたがないでしょう」と確信していることに、少し衝撃を受けた。
 「少し衝撃を受けた」というのは矛盾した言い方だ。率直に「衝撃を受けた」と言うべきなのだろうが、「少し」の部分に少なからぬ思いがある。私なりにある程度背景的な知識をもっていたからまったく新しい事態ではないということもあるが、問題の深みに自分が鈍感すぎたことへの悔やみがある。
 大げさな表現になるが、47氏の逮捕によって表明された「逮捕はしかたがないでしょう」というのは、現在の日本社会への本質的な、もっともラディカルな批判なのではないか。それに比べれば、ま、比べなくても、私の考えなど、ぬるすぎ、だ。「少し衝撃を受けた」というのは、ぬるい私だから、少ししか衝撃が感じられなかったということだ。
 たるい言辞を弄せず、現状思うことを書きとどめておきたい。自分の考えがよくまとまっていないのだが、これほどまでに、思想的な挑戦を受けたのは久しぶりに思える。
 47氏の言動は、明白なラジカリズムなのだ。これは、現代において、アナクロニズムでもなく、カリカチャライズされなくても、ラジカリズムが可能であることを明白に示している。このラジカリズムによって日本国家の限界がくっきりと対象化されてしまった。
 拙い言い方だが、自由に生きたいという根源的な欲望に対して、日本の国家は今回の京都府警のように抑圧者として立ち現れてきた。「著作権違反は悪い、だから、むしろ権力で取り締まるのことが自由を保障する」とは言える。だが、昨日からゲロっとWinnyの利用者が減った状況に、俺のキンタマ縮こまってんじゃん、と率直に思わないわけにはいかない。それどころか、「おや? おれのキンタマどこ?」的恐怖を意識の対象とせざるを得なくなった(Winnyウイルスのことじゃないが)。問題はだから、Winnyをがんがんやれ、ということではない。こういうキンタマ縮こまりが意識のなかで対象化し、それが国家の相貌を持っているということだ。その相貌に私の自由への欲望は、むかつく。
 そのむかつく状況への裏付け説明というわけではないのだが、デジタルコンテンツに対する著作権というものが国家的な恐怖の相貌を持つことは、技術の理想論から言えば、テッテ的に間違っている。
 昨日NHKの報道番組を見ていたらWinny問題と著作権についてどっかの弁護士がぬぼっと出てきて「デジタルコンテンツを守る技術が必要です」みたいな阿呆なことを言って脱力したのだが、デジタルコンテンツの著作権を守る技術、というのは、レトリックに過ぎない。このあたり少し粗雑な議論になるのだが、「著作権」を変更しなければいけないのだ。
 もちろん、そうした著作権を考え直すという思索は試みられている。例えば、スタンフォード学ローレンス・レッシグが提唱するクリエイティブ・コモンズライセンスなどだ。あるいは、ストールマンのコピーレフトとなどもそうだろう。ま、フツーの学者さんなどは、そのあたりをしれっとまとめて偉そうに言えばいいのだろうが、はて、と、考えると、それは依然、オリジネーターという個人と国家的な権力を結合する(マーケットメカニズムではない)という意味で、根本的な錯誤を含んでいないか?
 47氏は、おそらく、Winnyを作り上げてから、そこに気が付いたのだと思う。そこというのは、デジタルコンテンツの持つの本質、というか、その真理についてだ。そして、真理が見えてしまった以上、現状、つまり国家と癒着した著作権のマーケットは虚偽にしか見えなくなったのだろう。
 すでにネット上では消えているが、47氏は「Winnyの将来展望について(2003/10/10)」(参照)には次のように、思索の過程を残している。


1.はじめに
 ここのところバージョンアップ無しですいません。いろいろ首突っ込んでいるので忙しいのと、ここのところ疲れ気味なのと、別に考えているのがあるのと、現状のWinnyであまりやりたいネタが無いということでWinnyの方は放置になってます。

 まず、言えることは、47氏は現状のWinny自体にはそれほど関心を持っているわけでもないということだ。問題は次だ。

4. コンテンツ提供者側の集金問題
 話変わりますが、最近私の方ではコンテンツ流通側とは逆側のコンテンツ提供者側に関するシステムについて考えてることが多いです(コンテンツ提供者向けのシステムであって、よくあるようなコンテンツの保護技術に興味があるわけではないので注意)
 そもそも私がファイル共有ソフトに興味を持ったのは、当時ファイル共有ソフト使用ユーザーから逮捕者が出たということ(これは明らかに変だと思った)というのもありましたが、どうやったらコンテンツ作成側にちゃんとお金が集まるのか?ということに、もともと興味があったからです。
 インターネットの一般への普及の結果、従来のパッケージベースのデジタルコンテンツビジネスモデルはすでに時代遅れであって、インターネットそのものを使用禁止にでもしない限りユーザー間の自由な情報のやりとりを保護する技術の方が最終的に勝利してしまうだろうと前々から思ってました。そしてFreenetを知って、もはやこの流れは止められないだろうと。

 これは当たり前のことを言っているのだ。これが当たり前ということは、恐ろしい意味を持つ。恐ろしいというのは、先に触れた国家との衝突だ。
 47氏の逮捕にあたって、私はこれは不当な逮捕であり、それがいかに不当かということにまず思いを巡らした。それが昨日の「Winny開発者逮捕は時代錯誤」だ。しかし、実は、そんなことはまるで本質的な問題ではないことを、47氏の確信犯的な言動から思い起こした。「話は変わりますが」とさらっと書いているので余談のように思い、ふんふん、そーだよねで、読み過ごしていたが、ここに問題の本質があった。
 「インターネットそのものを使用禁止にでもしない限り…」というのはなんと正確な歴史認識なのだろうか。なにもARPAの歴史からひもとくことはしないが、インターネットを以前私たちは「土管」と呼んでいた。なにを通すか? そんなことはご自由にということだ。それはコミュニケーションのための土管なのだ。しかも、本質的に超国家的な土管だ。その後、HTTPがインターネットのプロトコルの主流のような時代になぜかなった。そのHTTPのブラウザ表示のせいか、ブロードキャストのようにも理解されるようになったが、それはプロトコルの可変性というか、インターネットの本質のちょっとした現れに過ぎない。インターネットという土管はプロトコルの合意があれば、なんでもいいのであって、通じたいなら守ればいいというだけだ。国家的な支配のルールとは違う。守らなくてもいい、でも、それなら通じないかも、というだけだ。駄言が多くなったが、Freenetこそ、インターネットの本質を露わにする本命なのだ。
 47氏は明確に考えていたのだ。というか、これこそラジカリズムだ。

 まぁそう考えて2ちゃんの某スレで書いたは良いが、冷静に考えるとJavaで書かれているFreenetそれ自体はどうやっても実用的でなく、一般に広まらないだろうということで、衝動的に設計部分から煮詰めなおしてWinny作ってしまいましたが(私はJava信じない派)
 ここで私はこういうFreenet的なP2P技術が本質的にインターネットの世界では排除不可能と考えていますし、その事実が認知されていけば必ず自然に別のビジネスモデルが立ち上がってデジタルコンテンツ流通のパラダイムシフトが起こるだろうと考えていました。もしこの問題がクリアできなければインターネットそのものを学者などだけへの許可制にして一般では使用禁止にするしかないだろうとも。よってこれが将来インターネットでキーになる技術であろうと。

 Freenetこそ本質なら、それが歴史の地上に生み出してしまえというのは、哲学と実践のもっともまともな結合である。Freenetの意味がわからないなら、目の前に見せてやればいい、というわけだ。そして、私たちはそれを見たのだ。
 問題は、逮捕なんてことではない。それが「その事実が認知されていけば」という事実を認識したか、ということだ。私たちに思想的にきつい課題になったのは、それが事実なのに、事実として認識できないという、ぬるさなのだ。
 47氏が「逮捕はしかたないでしょ」としたのは、すでに彼の真理の知覚では、現状のほうが歴史の過去になっていたからだろう。それで、世間の処遇がどうなろうと、くだらないことでもあったのだろう。
 私は…とここで私を想起する。私は、47氏を賞賛しているのか? もちろん。心酔しているのか。そこは、むずかしい。
 私は、47氏はラジカリズムであると考える。私が47氏と、ある一線を引くとすれば、ラジカリズムということだ(才能不足は抜きとしてだが)。
 ちょっとたるい余談のような話になるが、日本の歴史は浄土教を徹底的に解明しないかぎり見えない(だが解明されていない)。特に、浄土教は多数のラジカリズムを生んだ。死=浄土という真理が知覚されたとき、ラジカリズムは「とく死なばや(さあ、死のうではないか)」という運動を生み出した。こうした日本史のラジカリズムは皮肉な形かもしれないが欣求浄土という形での安定体制を生み出したが、思想はむしろ、残された。浄土教の中心の親鸞は、「とく死なばや」を無化した。
 ラジカリズムには、独自の本質的な欠陥があることを私は思想的なものに関わってきたから防衛的に知っている。小賢しい言い方をすれば、破壊を先行させたとき、大衆はその破壊の線上にはついて来れない。それは、共産主義国家を批判したハイエクの思想などにしつこく描かれている。
 47氏についていえば、新しいFreenetの現実から、新しい著作権を歴史に強引に受胎させようとした。彼は、その先に「デジタル証券システム」(参照)という、著作権に変わる構想もあった。
 が、ラジカリズムらしいのは、その構想、つまり、希望の種を荒野に撒いたことだろう。新しい荒野が現実となっても、そこに種を撒くには、荒野を荒野と認識した上で開墾が必要になる。その機能はWinnyにはまだ組み込まれていなかった。
 地域通貨のような仕組みと、デジタル証券システムのような仕組みを、Winnyに追加する天才が出るとき、47氏は「無罪」となるのだろう。
 残念ながら、歴史は、47氏に続く天才を必要としているようにも見える。

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2004.05.10

Winny開発者逮捕は時代錯誤

 Winny開発者を京都府警が著作権法違反(公衆送信権の侵害)の幇助容疑で逮捕した。また、京都府警かよだ。が、それについては、とりあえず今回は触れない。読売系のニュース「共有ソフト「Winny」開発の東大助手を逮捕」(参照)をひく。


 発信源などの特定が困難なファイル共有ソフト「Winny」を開発し、インターネットを通じて映画やゲームソフトを違法コピーするのを容易にしたとして、京都府警ハイテク犯罪対策室は10日、東京都在住の30歳代の東京大助手を著作権法違反(ほう助)の疑いで逮捕した。

 このニュースは逮捕前から早々に流れていた。最初にその話を聞いたとき気になったのは、いったい罪状は何?であった。ご覧の通り、答えは、「著作権法違反(公衆送信権の侵害)の幇助容疑」である。で、答えかよ。朝日新聞系のニュース「Winny開発の東大助手を逮捕 著作権法違反幇助容疑」(参照)にはこう補足されている。

 高速で通信するブロードバンド化が進むなか、ファイル交換ソフトによる著作権侵害は深刻化している。府警は、助手がWinnyが悪用される危険性を認識していたとして、立件は可能だと判断した。
 国際的に著作権侵害をめぐるプログラム開発者の刑事責任についての判断は分かれており、今後、議論を呼びそうだ。

 まず私が困惑するのは、前段の著作権法違反についてだ。単純な話、これは民事なので、著作権を侵害された人からの訴えが必要になる。日本では依然ソフトの違法コピーが盛んなようだが、以前、この問題に対してたしか米国系の業界団体が、ちくれば報奨金を出すというキャンペーンをしていた。ちくって実態がわからなくては訴訟にできないからだと私は理解した。つまり、著作権の侵害は親告罪でだから、著作権者からの告訴があって初めて成立する。そのあたりの関係が未だによくわからない。
 そして今回ある意味で多少びっくりしたのは、著作権法違反幇助容疑っていう奇っ怪な罪状だ。先の文脈で言えば、一般的に幇助罪はその前提の罪状、この場合は著作権侵害罪が成立していることが前提になる。朝日新聞系の先のニュースではこのあたりを配慮してか、次のような説明が入っている。

 府警ハイテク犯罪対策室などの調べでは、助手は02年5月からWinnyをホームページで無料配布し、群馬県高崎市の風俗店従業員(41)=同法違反罪で公判中=らが昨年9月、このソフトを使って米映画「ビューティフル・マインド」などの映画やゲームソフトを送信できるようにし、著作権を侵害するのを手助けした疑いが持たれている。

 とりあえず、問題は、「著作権を侵害するのを手助けした疑い」の意図が立証できるかというフェーズに移行していると見ていいのだろう。つまり、「助手がWinnyが悪用される危険性を認識していた」ということだ。
 この点、読売系でも朝日新聞系のニュースでも作者の次の発言をひいてさも、その意図があったかのように誘導している。朝日新聞系のニュースをひく。

 助手はインターネット上の掲示板「2ちゃんねる」上で「47氏」と呼ばれ、「そろそろ匿名性を実現できるファイル共有ソフトが出てきて現在の著作権に関する概念を変えざるを得なくなるはず。自分でその流れを後押ししてみようってところでしょうか」などと開発意図について説明していた。

 これは2チャンネルの発言を拾ってきているように思われるのだが、私が見た範囲では原文が見あたらなかった。もしかすると次の発言をねじ曲げているのだろうか。

89 名前: 47 投稿日: 02/04/11 00:26 ID:TuaSESIN
個人的な意見ですけど、P2P技術が出てきたことで著作権などの
従来の概念が既に崩れはじめている時代に突入しているのだと思います。

お上の圧力で規制するというのも一つの手ですが、技術的に可能であれば
誰かがこの壁に穴あけてしまって後ろに戻れなくなるはず。
最終的には崩れるだけで、将来的には今とは別の著作権の概念が
必要になると思います。

どうせ戻れないのなら押してしまってもいいかっなって所もありますね。


 この発言が対応しているなら、新聞のトーンとはかなり違うことがわかる。
 Winnyについては、それがこのような形で社会問題になったからには、社会問題の視点でどのような技術なのかという理解が必要になる。共同系のニュース「Winny」開発者、著作権法違反ほう助で逮捕へ」(参照)を参考にひく。

 Winnyはネット上で無料公開されている。特定のサーバーを使わず、暗号化されたファイルが自動的に複数の利用者間でリレーされていく方式のため、ファイルがどこから送受信されているのか特定しづらく、極めて匿名性が高いため、「ソフト違法コピーの温床」とされる。

 間違いではないのだが、このような新聞での解説では、47氏によって、あたかも著作権を侵害する独自技術が開発されたかのような印象を受けるのではないだろうか。しかし、Winny自体はそれほど独自技術を持ってできているわけではない。ただ、このあたり、開発過程で2chの応援で独自性が追加されたと見ることもできないこともないのだが、大筋の理論には独創性はない。
 もともと、Winnyは同種のWinMXの次世代版として2チャンネルで期待されていた話題の流れで出てきた。この話題を見ながら、たまたま47氏は、技術的な関心から米国で開発されたFreenetをWindowsに移植しようと試みた。しかもその動機は、FreenetのソースがJava(支持者が多いわりには基本的には非効率な言語。非支持者も多い)というプログラミング言語で書かれているから別の言語(C言語)に移植してみようというものだった。しかも、ニュースで騒ぐほど、匿名性にはそれほど関心は置いていなかった。

586 名前: 47 投稿日: 02/04/06 18:13 ID:tI2XpLS7
(略)
そもそもFreenetのアーキテクチャは匿名性ばかり重視して
しまっていて無駄が多いと思うんでFreenetプロトコルには準じない
(Freenetクライアントにはしない)で全部自分でやるって方針です。

 だからこそ、匿名性に関する技術は既存の、処理効率の高い暗号技術をとって付けたような形になっている。その意味で、ネットエージェント社(ネットワークセキュリティ専門)が暗号解読をした時点で、Winnyの匿名性など技術的にはなくなっていた。余談のようだが、この暗号化解読が比較的容易だったのも、暗号化に既存アルゴリズムを援用していたからだ。くどいが、こうしたことからも、Winnyの開発意図には匿名性はそれほど重視されていたわけではないことがわかる。
 さらに、こうした開発意図についての発言は、2002年4月の時点だという点も注意を促したい。ざっくばらんな話、高速回線が普及し、社会問題が深刻になったから、過去に遡って、しょっ引いてやれというわけだ。
 いずれにせよ、新聞に引用されたかのような、著作権概念への挑戦のようなコメントは、47氏にとっては余談の部類であり、すでにFreenetによって破られているからという時代意識のうえでなされているものだ。
 当然ながら、47氏を奇妙な罪状でしょっ引いても、Freenetやそれの類縁の技術が海外から押し寄せてくれば、京都府警の対応は無意味になる。というか、たぶんに今回の逮捕は見せしめだろう。
 さて、社会としてこの問題にどう対応したらいいのか。
 その糸口は、私は今回の報道を見ながら、もう一点些細だが、奇妙なことに気が付いたこと、にありそうだ。話を原点に戻して、いったい何の著作権侵害かというと、「映画や音楽などのソフトウエア」と3点上がっているものの、群馬県高崎市の風俗店従業員逮捕では、「米映画『ビューティフル・マインド』などの映画やゲームソフト」となって、なぜか音楽は抜けている。
 ここで米国の状況を知っていただきたいのだが、米国でもファイル共有ソフトで音楽がばらまかれた。が、このことに対して、音楽業界は訴訟で挑み、広範囲に脅しをかけたが、その反面で、妥当な価格でのダウンロード販売を推進した。つまり、利用者は、訴訟リスクの高いコピーを使うか、妥当な価格のコピーを購入するかが選択できる。これによって、事実上、音楽の著作権問題は解決した。
 すると問題は、映像とソフトウエア(ゲーム)だが、映像については、現状の回線速度では、およそ映像といったクオリティのコピーはできない。勇み足な言い方だが、そんなもののコピーは目をつぶってもたいした問題ではない。もともと配布に便利なセルDVDの価格を下げれば問題は解決する。
 ソフトウエアはどうするかだが、ゲームは映像性が高ければ、現状では配布にやや難がある。すると、残るは通常ソフトウエアなのだが、これも、現状パッケージ売りがほぼ全滅し、オンライン販売に移行しているのだから、適正価格にすればいいだけのことだ。
 つまり、今回のWinny事件は、日本の警察と業界の時代錯誤ということだ。

追記(同日)
朝日新聞系「『著作権法への挑発的態度』が逮捕理由 京都府警」(参照)によると以下のように供述しているとのこと。


 金子容疑者はこれまでの調べなどに「現行のデジタルコンテンツのビジネススタイルに疑問を感じていた。警察に著作権法違反を取り締まらせて現体制を維持させているのはおかしい。体制を崩壊させるには、著作権侵害を蔓延(まんえん)させるしかない」と供述。

 これが本当なら、確信犯というか、根本的なところで京都府警に逆らう気でいるとみられる。いわば、危険を冒してまでの思想の実践ということだ。そうであるなら、この問題については、さらに深い考察が必要になるだろう。「逮捕するのは時代錯誤だ」、あるいは、「ソフト開発だけなのに逮捕は許せない」といった次元ではなくなくなる。
 ざっくりとした印象を言えば、前段は私も同意する。後段の体制崩壊うんぬんについては、単純には同意できない。

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2004.05.09

なぜ米軍の虐待はお変態写真で出てくるのか?

 続々と米軍による捕虜(民間人も含む)虐待のニュースが続く。過去の戦闘を想起すれば、これまで騒がなかっただけで当たり前のことではないかとも言える。が、言ったからといってこんな非道は擁護にもならない。それは前提事項だ。
 なんでこの機に出てくるのかというのも、やや疑問だが、その後の報道を見るかぎり、現状それほど政治的な裏があってのことでもないようだ。
 また、現状では、この事態を引き起こしたかなりの部分が、またしても正規軍ではなく、米傭兵のようだ。組織的に見るなら、今回の戦争では米傭兵のコントロールががかなりまずい。率直に言えば、米軍は自分の手を汚さず、汚れ役を傭兵と分担しているだろう。いずれにせよ、最終的には米軍に責任があるのは確かなのだが、組織がテロ戦争には対応していないということでもあるのだろう。
 それにしても、出てきたのは、なぜ、こうも、お変態写真なのか? もちろん、続々と出てくるものや証言からは、お変態ではすまないものも多い。というか、いわゆる暴力的な虐待が出てくるのは、先にも触れたが過去の戦闘などから考えれば、言い方は悪いが、普通だろう。そういうわけで、日本社会では、「虐待」という一括でくくってニュースとしているのだが、その割には、あのお変態写真をマスメディアはばらまいている。ちょっと言い過ぎなのだが、マスメディアのコードからすればそれほどの虐待でもなく、「おいこれって変態じゃん」ということで、逆に猥褻のコードで検討して出しているのではないか。
 同じことは多分、米国でもそうだろう。9.11の時は早々に、事件の映像を流すまいという動きがあったが、今回はどちらかという垂れ流しだ。米国のメディアの常識からすれば、レーティングがかかりそうなものだが、出ている。そのあたりがわからない。私の感じからすると、米国南部の福音派クリスチャンは、こうしたものを嫌悪するだろうと思うし、ブッシュなどまさにその南部オヤジなので、かなりむかついているだろうと察する。
 話を戻す。なぜ、お変態写真なのか? 答えがあるわけではないが、そのあたりの言及というのが、当然ながらマスメディアにはないようだ。言わずもがなというのもあるのかもしれない、つまり「あいつら、根が変態だからな」といった印象かもしれない。確かに、ネットを見ると、この手のお変態映像は山ほどある。虐待映像に紛らわしいポルノが混じったりもする。「なんだ、こいつら」という感じもするが、逆に米国でうけている日本のヘンタイアニメや少女モノなどは、あいつらから見れば、「なんだこいつら」なのだろう。中国人などもけっこうポルノを見るのだが、そうして見られているのは大半が日本人なんで、日本人って…という印象を持っているに違いない。ま、言い悪いは抜きにして、本音の部分はそんなところだ。品のいい話ではないが、しかたがない面はある。こうした愚行が、どうやら我々の自由の本質的な一部でもあるのだろうから。と、話がそれてしまい、かつ、変態ならいいんじゃないのと誤解されそうだ。そうではない。
 7日のワシントンポストにこの問題に関連するコラム"Abu Ghraib as Symbol"が掲載された(参照・要登録)。率直にいうと何が言いたいのかわからないし、コラムニストも文中に"Let's be clear"とか洒落を書いているように、曖昧なこと書いちまったなという意識はあるのだろう。たしかに、ちょっとこのテーマはあからさまには書けない。ただ、問題の切り口としては重要であるだろう。


On Sept. 11, 2001, America awoke to the great jihad, wondering: What is this about? We have come to agree on the obvious answers: religion, ideology, political power and territory. But there is one fundamental issue at stake that dares not speak its name. This war is also about -- deeply about -- sex.

 つまり、西洋社会からのテロ戦争のテーマの一つは「性」だというのだ。

For the jihadists, at stake in the war against the infidels is the control of women. Western freedom means the end of women's mastery by men, and the end of dictatorial clerical control over all aspects of sexuality -- in dress, behavior, education, the arts.

 つまり、西洋文明の自由とは、アラブ社会における女性の従属の終わりを意味するというわけだ。それはそうだ。で、今回のお変態写真がそのためのドカンと一発になったろうという悪い洒落にするという話ではない。コラムは曖昧に書いてあるのだが、ようするに、今回のお変態写真こそ、イスラム原理主義者にとってまさに戦うべき悪の象徴として見えるだろう、ということだ。2ch用語でいうところの燃料投下であるって、2ch用語でいう必要はないのだが。
 ちょっと補足すると、「虐待」が問題だというより、そういうふうに相手の文化から見えるのだよという指摘をこのコラムがしている。たぶん、その含みには、「虐待」という点でなら、アラブ社会の民衆は慣れっこかもということがあるのかもしれない。
 余談めくが、コラムの途中にはヘンテコなエピソードが入っている。

The most famous example occurred in the late 1990s, when Egyptian newspapers claimed that chewing gum Israel was selling in Egypt was laced with sexual hormones that aroused insatiable lust in young Arab women. Palestinian officials later followed with charges that Israeli chewing gum was a Zionist plot for turning Palestinian women into prostitutes, and "completely destroying the genetic system of young boys" to boot.

 コラム中にこんな変なエピソードを挟むのもなんだかなだが、話としては、え?マジかよ?っぽい。日本も含めて西洋化された社会から見れば、洒落でしかないのだが、どうやら、現地では洒落ではないようだ。つまり、イスラエル製のガムには女性を扇情的にさせるホルモンが含まれており、これはシオニストがパレスチナ女性を売春婦にさせるための陰謀だというのだ。
 「アラブ政治の今を読む(池内恵)」でも思ったのだが、主にエジプトが中心ということかもしれないが、こうしたしょーもないデマがデマというより、ある種の世界の意味としてアラブ圏に広がっているというのは、確かと見ていいのだろう。今回のお変態写真もそういう文脈で理解されるに違いない。
 日本も含めて西洋化された社会から見れば、この手の変態エピソードは、笑い事ととりあえず言えるのだが、それは真偽判定の手順を社会に原理的に組み込んでいるからで、逆にいえば、だから、今回のお変態写真は、場所がそこではなく、出演者にペイが出ているなら、ただのありがちなお変態写真になる。が、アラブ社会なり文化圏にはそうした真偽判定の手順は組み込めない。
 悪い冗談を書いているようだが、今回の虐待写真が示す事実は断じて許せるものではないが、そして、私も曖昧に言うのだが、あの変態性というのは我々の社会のある本質的な部分でもあるのだろう。

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2004.05.08

ご苦労様、福田康夫さん

 福田康夫(参照)が官房長官を退いた。感慨深い。嫌なやつだなと思っていたがやっていることは政治家として、真っ当だったと思う。もともと政治家なんて毀誉褒貶があってしかるべきだが、問題はなにをやったかということだ。よく仕事をしたと思う。ふとオヤジ福田赳夫の年表(参照)を見ると、さらに感慨深いものがある。今回の辞任も考えてみれば、オヤジの気性と似ているのではないか。上州人気質と言いたいところだが、それではくくれない醜悪な老害もいる。
 社説では、朝日新聞社説「重し失う小泉政権」がよかった。朝日的な部分が強調されているが、こうしてみると、福田には信念というより原則があったのだろう。


 イラク問題では、日米関係を重視する首相や与党に表立って反対はしなかった。しかし、自衛隊の派遣には慎重な姿勢をにじませることもあった。米軍を支援するために自衛隊の活動範囲や内容を広げることにも批判的だった。
 ふんばりを見せたこともある。昨年末の予算編成で、石破防衛庁長官がミサイル防衛システム導入のため防衛庁の予算の増額を求めたときだ。福田氏が石破長官を厳しく批判し、逆に戦車や護衛艦などの正面装備を削減する結果になった。

 確かにそうだと思う。もう一点引きたい。

 首相の靖国神社参拝のあと首脳外交が途絶えた中国へ、自ら出かけて行った。異例のことである。国立の追悼施設建設に意欲を見せていたのも福田氏だが、実現の見通しは立っていない。

 これも無念な感じがする。先の防衛システムについても、この国立追悼施設建設についても、批判は多いだろう。朝日は好意的だが、それでも制度化した左翼陣営は福田の信念を理解しているわけでもない。そういえば、2chでも、福田はある意味、ヒーローだったが、印象で言うだけなのだが、福田は大人だったからだろう。社会は大人を必要としている。
 福田の辞任の理由については、メディアでは表向きの説明で終始しているように思う。なにか裏があるようにも思うが、とりわけ裏を真相として強調することでもないのだろう。週刊文春の記事も読んだが、福田の言葉の含みのほうが重く、記事自体はトンチンカンなものに思えた。ちょっと勇み足でいうなら、福田は仕掛けられたというところだろう。防戦もできただろうが、嫌になったのではないか。率直にいうとニヒリズムも感じる。
 福田康夫の履歴を見ながら、ちょっとうかつだったなと思ったのは、この人は東大卒ではないのだな。いわゆる、古き時代のおぼちゃん育ちのようだが、ある意味、若いころは挫折と実務の人だったのではないだろうか。20代での米国暮らしも強い影響を与えているだろう。実務をきちんとこなすという感覚というか実力のある人というのが経歴から伺える。
 これで自民党の屋台骨が崩れるのかと思うが、代わりの民主党が情けないこと限りない。私は政策をもって政党を評価するので、依然、民主党を支持するのだが、あまりに阿呆臭いどたばたをよくやってくれる。もちろん、そのどたばたが重要なのかもしれない。さっさと菅のようなぬるい首をすげ替える機運を盛り上げるのは正しい手順なのかもしない。
 余談のように世相に触れたい。福田康夫官房長官辞任に表向き関わる年金問題だが、唖然とする展開を見せていて、正直唖然としている。極東ブログでは匙を投げて5五年後に蒸し返せとしたが、それが2年前倒しになるのだろうか。年金問題は基本的に一元化しか解決はない。その障害の理由が自営者の所得把握というのだから、なにか根幹が間違っている。筋道がまるで違う。サラリーマンも申告制にするべきなのだ。つまり、所得把握全体を個人ベースの一元化にすべきだ。そのためにITがあるのだが、まるでそういう議論の展開はない。ま、ないのだ。
 以上の話と関係ないが、米軍のイラク捕虜虐待もさらにトホホな展開まっしぐらである。このまま趨勢に押されてラムズフェルドの首を切るということになるのだろうか。そんなことが可能なのだろうか。
 三菱ふそうの件でもそうだが、議論以前のこのトホホな状態はなんなのだろう。言葉に詰まるというか、言葉が不要にすら思える。
 ただ、陰謀論めきたいわけではないが、閣僚の年金暴露や米軍捕虜虐待暴露も問題の浮上の仕方がきな臭い感じはする。

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2004.05.07

鉄人28号

 リメークの鉄人28号(参照)を毎週見ている。5回が終わった。前回あたりから話がちとたるくなってきたかなというのと、今回に顕著なのだが、見え見えのオチをひっぱるひっぱるの脚本はなんだろと思う。だが、ふと考えてみると、このプロットのノリも、作画と同じでレトロのパロディなんだろう。アレだ、黄金バットを思い出してもらいたい、って、思い出せるやつなんか、いねーって。かく言う私もその世代ではない、が、その雰囲気はわかるぞ、ローンブロゾー!
 そういえば、ショタコンという言葉の元になった正太郎だが、今回の作画はかなり正太郎にリキが入っている感じだ。基本的にオリジナルを踏襲しているわけだが、この作画の美観っていうのは、アレだ^2、赤胴鈴之助を思い出してもらいたい、って、思い出せるやつなんか、いねーって。かく言う私もその世代ではない、が、その雰囲気はわかるぞ、剣を取ったらニッポンイチ…そういえば、トリビアの泉の日本刀とピストル勝負ネタは不覚にも感動してしまった。物理屋的に考えればわかりきった結果ではあるが、技術屋的に言えば、個別の日本刀の構造が理論どうりであるとは限らない。タモリも不覚にも熱くなっていたあたりが、笑えた。日本刀の精度について、も一度考え直してみたくはなった。と、余談ついでに言えば、日本刀っていうのは、魚包丁が原型で、あれは和冦の武器なのではないかと思うが…と話、それまくり。
 今回の鉄人28号を見ていると、なーんでもないシーンで、自分が熱くなり、そして泣けてしまうことがある。なんつうか、戦前の科学っていうあたりだろうか。死んだ父の兄、私の叔父伯父は、二十二、三歳くらいでインパールで殺されたのだが、彼は無線技士だった。私の父もエンジニア志向の青年だった。そうしたせいか、なにか、ああいう戦前の科学を想起させるものは無意識にズンとくる。
 このリメークの鉄人28号がどういうふうに今の日本社会に受け止められているか気になる。そうだ、はてなダイアリーには言及が多いだろうと思って、みると、うーむ、多いといえば多い(参照)んだけど、なんつうか、アニメ世界にヲタ過ぎ。かく言う私だって、元版の鉄人28号を見ていた口で、つい、グリコグリコグリコーとか口をつくくらいだから、ヲタ話もできねーわけじゃないけど、モンスターを緑色にすんなよとか、っていうか、なんというのか、この系譜学的な考察とか、映画評論ばりに監督がどうのだかいう説明言説って、なんなのだろう。なにも単純に批判しているわけじゃないんだけど(だからウンコ飛ばしはナシ)、橋本治とか昔、少女漫画対象に評論をやっていたころは学問的なパロディだったけど、現在では…、うーむ、よくわからん。ただ、今回の鉄人28号を見ていて、歴史感覚というのはかなり大きなポイントだなとは思う。というわけで、なんことはない、私も勝手に私なりのヲタ話になる。
 今回の鉄人28号では早々に不乱拳博士を殺してしまうのだが、不乱拳博士の懊悩は、多分に731部隊(参照)のパロディでもあるのだろう。ただ、この731部隊は遠藤周作の「海と毒薬」的な文学的な反照であり、現実の731部隊は、内藤良一がミドリ十字創立し、そして…という展開を辿る。そのほうが、戦争という不気味なものが現代まで覆っている姿なのだが、今回の鉄人28号はそこまでの物語あるいは脱物語的な射程を持った象徴でもないだろう。ただ、731部隊の多数は、その後の日本の医学界の中心を担っていくという意味で、広義に今回の不乱拳博士的な部分はあるのかもしれない。
 不乱拳博士が金田博士とライバルだったということや、敷島博士という名称にも特に過剰な読みは必要ないのだろうとは思う。不乱拳博士は漫画らしいネーミングというわけだ。が、それでも、金田姓ときいてなにもピンとこないわけにはいかない。まして、その弟子が「敷島」というのも暗示的過ぎる。あまりこの話はツッコミたくはないが、金田、新井、井川といった姓にピンとこない日本社会というのは、まさに戦後ではあるのだろう、が…と少し口ごもる。うまく言えない。そのうまく言えない暗さの部分は、今回の鉄人28号とかなり基本的なところで、重なる。敷島博士が「しかたがないとしか言えない」というのだが、そのあたりの屈曲した感じだ。
 物語はこれから冷戦の世界の枠を重ねていくのか、単に漫画的な世界を洗練していくのかわからない。奇妙なノスタルジーだし、意外に、ノスタルジーというのは、昭和32年生まれの私など、こういうふうに暗く想起すべきなのかもしれない。今でも思い出せるが、幼稚園児の私は帰りのバスを待ちながら、地面に鉄人28号の絵を描いていた。あの幼稚園は、たぶん、兵舎の払い下げだったのだろうと思う。

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2004.05.06

キプロス問題雑感

 キプロス問題について詳しいことはわからないので、上っ面を滑るような話になるかとは思うが、簡単に触れておきたい。
 まず、ベースとなるキプロス問題だが、知らない方がいるなら、これは、Wikipediaに簡素によくまとまっているので参照しておくといいだろう(参照)。
 今回の事態については、朝日系「キプロス国民投票、統合を否決 分断固定化へ」(参照)がわかりすくまとまっている。


 24日に行われたキプロス統合の賛否を問う国民投票の開票結果は、ギリシャ系のキプロス共和国(南キプロス)が賛成24%、反対76%、トルコだけが承認するトルコ系の北キプロス・トルコ共和国は賛成65%、反対35%だった。双方で賛成が上回った場合に限って可決となるため、統合案は否決された。改めて統合案が示される可能性は低く、30年続く分断状況がほぼ固定化されることになった。
 国民投票は、連邦制による統合を打ち出した国連案への賛否を問う形で行われた。賛成が過半数に達した北キプロスは今後、国際社会の承認を求めていくとみられる。北キプロスの後ろ盾のトルコは、この結果をテコに、欧州連合(EU)加盟への動きを強めそうだ。一方、南キプロスは5月1日、単独でEUに加盟する。

 今回の国民投票は、あとでもう一度触れるが、やる前から結果は分かり切っていたので、実際にはまるで意味がなかった。むしろ、事後の確認のほうが重要になる。それは、これで分断は固定化したということと、逆に国際世論に憐れみを買った北キプロスを対EUの関係でトルコが利用するということだ。国際政治というのは実に香ばしい。
 トルコ側はこの機に、北キプロス・トルコ共和国が同案を可決したことを盾に、外交勝利を宣言した。ロイター「キプロス再統合案否決、EU加盟目指すトルコに有利な展開か
」(参照)をひく。

 キプロス共和国が国際的に批判されるなか、トルコは25日、欧州連合(EU)加盟に向けて外交的勝利を収めたとの認識を示した。
 住民投票の結果に基づき、キプロス共和国のみが来週EUに加盟し、北キプロス・トルコ共和国は孤立を余儀なくされることになったが、国際社会の信用を得たのはむしろ北キプロス側とされる。

 EUもすぐに対応せざるを得なくなった。産経系「キプロス再統合 否決にEU「遺憾」 2億5900万ユーロ支援勧告」(参照)をひく。

欧州連合(EU)は二十六日、二日間の日程でルクセンブルクで開幕した外相理事会で共同声明を発表、キプロス再統合が住民投票で否決された結果、「北キプロス・トルコ共和国」(トルコ系)がEU加盟から取り残されることに対し「遺憾」を表明すると同時に、二億五千九百万ユーロの支援を勧告した。

 EU、ざまー見ろ、自業自得だと言いたいところだ。もともと、今回の投票をおじゃんにしてくれた戦犯はEUである。南キプロスがEUに単独加盟を申請した時点で、その加盟の前提として、統合を提示しておけば、キプロス問題は大枠で解決していたのだ。なのに、早々に南キプロスの単独EU加盟を是認している。もとから南北で貧富の差が4倍もある。民族的にも宥和する下地はない。これじゃ統合するメリットなどなにもない。
 EU、汚ねーな。だから支援金は自業自得だと言いたいところだが、これでEUがトルコ除けできるなら、高くもないかというのがEUの腹づもりだろう。ますます、黒いなEUという感じだ。EUがそこまでトルコを嫌う理由については、クルド問題とかもあるが、端的に言えば、「イヤなものはイヤ」ということではないのか。
 今回の件でロシアも香ばしかった。共同・日経系「国連安保理、キプロス決議案否決」(参照)のように、ロシアが早々にキプロス再統合を後押しするための決議案を拒否権行使でつぶしてくれた。表向きの理由は、「再統合が決まった段階で採択すべきで、住民投票直前の駆け込み的な決議は結果に影響を与える」というわけで、EUを制しているようにも理解できるが、私は、これは、ギリシア側へのエールではないかと思う。ちょっとやばい発言になるかもしれないが、私は現代ギリシア人というのはスラブ人なのではないかという印象を持っている。もちろん、学問的にそう言えないのでヤバイ発言の域内なのだが、それでも、正教の親和感は強いとは言えるだろう。
 キプロス問題を、EUとトルコを巡る駆け引きのなかで解消するのではなく、実際にキプロスの問題としてみると、アナンの悲願でもあると思うのだが、北キプロスの関税緩和、通商制裁解除、民間航路再開など事実上の国際社会への復帰を促すべきだろう。だが、そう行かないのだろう。ギリシアが障害になってくるからだ。
 ここは、なんとかアテネ・オリンピックを成功させ、ギリシアの大国欲を適当に満たして、ずるっと実質上北キプロスを緩和させることができればと思うが、それを采配する気のある大国はない。日本ならできるのだが、やる気もないだろうし、国益からすると、こっそりトルコと通じていたほうがいいのだろう。日本もまた黒く立ち回るしかないわけだ。

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2004.05.05

子供の日雑感

 子供の日だからどうという思いもないが、吉例で、総務省が15歳未満の子供の推計人口を発表するので見る。といって、それにはどうという意味もない。昨年までの22年連続の減少が今年もということで、23年連続の減少になるだけのことだ。そのうち、こうしたカウントも意味がなくなるだろう。
 今年の統計値では、昨年より20万人少ない1781万人。総人口に占める子供の割合も同0.2ポイント減の13.9%。年齢別でみると、統計上限の12-14歳が367万人と最多。年齢が低いほど少なくなり、0-2歳は344万人。じり貧、尻つぼみということだ。
 男女比は男子は913万人で、女子は868万人、と、一般的な人口統計の男女比に近いのだが、私はちょっとこの数値に違和感がある。統計値には見えてこないのだが、比較的所得の安定した地域の小学校低学年では女子のほうが多いように思えるからだ。たぶん、これは、地域差なのだろうと思うが、気にはなる。
 昨年の統計値だが、都道府県別で見ると、子どもの人口比が最も高いのは沖縄の19.0%。これに滋賀15.7%、佐賀15.5%と続く。低い順から見ると、東京12.0%、秋田12.7%、高知13.1%。だが、東京や神奈川は前年と変わらない。都市部への人口シフトが関係しているのだろう。滋賀県についてもベッドタウン化による同様の現象だろうと思うがどうだろう。なお、国際的な比率で見ると、アメリカが21.0%、フランスやイギリス18%台ということで日本より子供が多いが、この三国は先進国では特例なのかもしれない。
 国内の地域別の統計を見ると、沖縄は子だくさんであるかのような印象を受ける。たしかに、沖縄の19%と東京の12%では社会的にも違いが見えてくる。つまり、ああ、沖縄って子供が多いなという感じである。が、実際に沖縄で暮らした印象でいえば、子供が目につくのは、基本的に南国のせいか、子供が家にいつかないということがあるようだ。沖縄県民用語でいうところの深夜徘徊も多い。また、沖縄は自然が多いかのようだが、子供の居住している地域は、伝統社会的な地域ではない。適当に都市化された地域になっている。なにが言いたいかというと、こうした子供の人口統計を見て、沖縄っていいなと安易に思わないように、ということ。
 それでも、子供の多い社会として沖縄でいいなと思うことは、主観もあるが少女たちがやさしいことだ。古くさいフェミニズムの人は怒るだろうが、少女たちは日常小さい子供の面倒を見せられているせいか、子供の扱いに手慣れている。特に、コンビニや食堂などの店員に顕著だ。もちろん、そうでない子もいる。なにも少女と限らないのだが、子供のいる社会は、それだけで、伝統社会的な人間らしさは生まれてくる。
 逆に東京では子供やティーンエージャーのもつ印象がだいぶ違う。東京に暮らしている人間にはわかりづらいかもしれないが、沖縄などからたまに来てみると、けっこう違和感がある。単純に言うと、子供が子供らしくない。私の実感からいうと、叱られ慣れていない。私はあちこちで、子供を叱る。基本は子供の安全と、子供が引き起こす他の安全、それからごく基本的なマナーが気になるからだ。しかし、東京暮らしが長くなるにつれ、私もこうしたことに無関心になってくる。子供の少ない社会については、いろいろ騒がれるが、どうなるものでもない。どうにもならない。
 今の日本の子供は6ポケッツと言われるように、一人の子が親と祖父母の6人から援助してもらえる。これは市場的にはおいしい、というわけで、子供のために金を使わせる社会になってくる。当然ながら、この体制はさらに子供の経済環境の差を拡大するのだから、子供にしてみると、やってらんねーなというくらい階級的な世界に見えることだろう。子供の感性はそういう社会を息苦しく感じるのではないか。
 人質事件のせいか、海外ボランティアにメディアの関心が向いたようだが、なんとか子供を直接世界に開かせ、息をつかせるということはできないものかと思う。三十半ばの独身女性が自分が出向いて外国のストリートチルドレンを援助するのもいいのかもしれない。が、むしろ、そういう子供たちと日本の子供たちをどう交流させるかということのほうが、重要なようにも思える。端的に言えば、移民の子供たちを日本の社会にどう開かせるかということが、むしろ当面の課題のように私は思う。

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2004.05.04

UNO・ページワン・エイト

 連休中だし社会も大きな話題もない。ネットのトラフィックも減っているのかもしれない。退屈といえば退屈だし、いつもとは違う行動を強いられる時期でもある。というわけで、たるい話。
 昨日私は子供にまじってウノをやった。トランプみたいなカードゲームのあれである。トレーディングカード全盛のご時世、今の子供にはうけないかと思ったが、そうでもなかった。ちょっとほっとした。子供にまじめくさった話などしたくないではないか。たまたま、玩具屋で見かけて買ったものだ。遊べるかな、と懸念もした。ついでに、ウノ専用のカードディスペンサー(ウノアタック)も買おうかと思ったが、それはやめた(子供に危ないかもしれない)。が、結果として、それもあったらもっとうけたかもしれないな。山札からカードを引く代わりに、しゅっしゅっとカードが出てくるしかけだ。
 子供とウノでも、と思ったのはちょっとわけがある。沖縄にいた頃、なにかとよく人の集まりがあるが、大人の会合なのに、なぜか子供も一緒についてくる。10年近くも前になるが、そうして子供たちが集まると、ウノをやっているのをよく見かけた。へぇー、ウノかと思ったものだ。その後、ゲームマシンの普及につれ、沖縄でもウノをする機会はあまり見かけなくなった。が、うちなーんちゅにきくと、子供の頃、台風のときはよくトランプをしたそうだ。沖縄の台風は速度が遅く、下手すると1週間近く停滞する。しかも、停電になる。なるほどトランプかと思った。
 そういえば、中国近代史に関連する資料や小説を読んでいると、なぜか中国人がよくトランプをやっているシーンが多い。なぜなのだろう? 共産党とかも、ダンスパーティだのトランプだのよくやっていた。そういえば、鄧小平の最後の肩書きは中国ブリッジ協会の名誉会長かなんかだった。彼はいかにもブリッジに強そうだ。というか、ブリッジが彼の人生を救い、その精神を陶冶したのかもしれない…ってことはないな。
 ウノを外人とやったことはない。UNOは英語だと「ユーノー」だから、You know?の洒落だと思うが、確認したこともない。あるいは、ラテン語風に「ウーノウ」とか言うのだろうか。私がウノをやったのは、もう20年近くも前になるがネットの会合だった。面子も日本人だ。モノポリーとかもよくやった。なんでそんなのしていたのかよくわからないが。
 15年ぶりくらいのウノで、こんなものは誰でもできると思いつつ、ルールを忘れたので、ちょっと説明書を読む。いまいちわかりづらい。こんなカード昔はあったかなと疑問すら出てくる。が、所詮単純なゲームなので、なんとかできた。子供たちもすぐにルールを覚えた。
 私にとっては、たるいゲームではある。ぼんやり他のことを考えていたのだが、その一つは、なぜ子供たちはウノというゲームのルールを守ろうとするのだろう、という疑問だ。もし、私が、嘘をついて、他者をごまかしても、この面子なら見破られることはない。そして、そのメリットは短期にはある。しかし、長期にはあるだろうか? また、子供でなければ、というか、数学的には、嘘は見破られる可能性を持つ。その場合のリスクはどのくらい大きいのだろうか。というか、そのリスクとはなんだろう? そういえば、総じて、トランプ・ゲームというのは、ルールについてこういう問題を抱えていることがある。なぜなのだろう。考えたがよくわからなかった。
 もう一つは、ウノってトランプのページワンなのだが、さて、元のページワンはどうだっただろう? というのは、ウノをやりながら、あれ?と思ったのは、逆順というカードがある。トランプ・ゲームはトランプ用語でいうところの、一巡を意味する「トリック・テイキング」という基本概念があるのだが、それがウノでは破られている。なぜだ?というあたりで、書庫のような自室に戻ってから、書架の一角のトランプの本を読み直したり、ネットを引くと、いろいろわかったような謎が深まるような思いがした。
 まず気になったのは、「ページワン」である。これは英語ではないはずだ。松田道弘の本には原型は「ゴー・ブーム」とある。"Alphabetical Index of Card Games"(参照)にはない。Go Fishのミスか? しかし、松田がこの手のことでミスをするわけがないと確信して調べていくと、あった。"Children's Card Games"(参照)。


Go Boom
This game is of the same family as Crazy Eights (see p. 281). Both games are favorites for children as well as grownups.

 というわけで、原型は、Crazy Eights、つまり、「エイト」なのだが、それにしても、Go Boomはどういうふうに日本に入ったのだろうか。疑問がいろいろ浮かぶ。なぜ「ページワン」なのだろうか。占領下との関係があるのだろうか。松田はなぜ、エイトの派生としなかったのだろうか、というか、たまたま手にした松田の本がそうだったからか。あるいは、松田の考えがあってことか。Go Boomの解説を読むと、「エイト」系というわりには、8のカードの特徴はない。それにしても、トリック・テイキングであることは確かだ。
 さらにネットを引くと、Wikipediaの日本語に、なぜかウノの解説がある。「ウノ」(参照)。

 ウノ (UNO) は、トランプゲーム「エイト」を遊びやすく改良したカードゲーム。手札を早く 0 枚にした者が勝者となるゲームで、対戦相手を妨害する役札が存在することと、残り手札が 1 枚となった時に“Uno”と宣言しなければならないことが特徴。イタリア語で数字の 1 を意味する「ウーノ (uno)」が名前の由来である。
 1971年にアメリカのオハイオ州で理髪店を営むマール・ロビンス (Merle Robbins) により考案され、1979年に広く発売されて人気となった。世界 80 ヶ国でこれまでに 1 億 5000 万個が販売されており、年間 800 万個(日本では年間 70 万個)販売されている。日本では、バンダイから発売されている。

 英語の説明と比較すると、かなり違う。誰が書いたのだろうか? バンダイの説明のコピペっぽい感じもする。「日本では、バンダイから発売されている。」も正確な情報だろうか?
 Wikipediaの日本語版には「エイト」の解説はない。代わりに、「ページワン」(参照)がある。

ページワンはトランプで遊ぶカードゲームのひとつ。ほぼ同一な内容のものとして芋掘りが存在する。アメリカンページワンを指している場合もあるが、こちらは全く別のゲームである。

 「芋掘り」について少し調べたがわからない。日本のゲームなのだろうか。それにしても、トランプゲームは名称や派生がわかりづらい。研究書を買うか、とも思うが、さてさて。
 説明中の「アメリカンページワン」は、次のように説明されている。

アメリカンページワンはトランプで遊ぶカードゲームのひとつ。ルールはウノに近い。

 内容を読むと、Crazy Eightのようだが、その関連説明はない。なんだか、もう、どうでもいいやという感じがしてくる。が、とりあえず、まとめると、Crazy Eightからウノができてくるということなのだろう。
 松田の「トランプの楽しみ」(絶版)のエイト(Eight)の説明を読んでみると、どうやら、EightからCrazy Eightへの変化は、パーティゲーム化に関係しているようだ。人数が多いので2デッキ(2組)を使うというわけだ。なるほど、それで、トリック・テイキングの原則も消えてしまうわけだ。
 トランプについては、私はまだ書きたいことがあるのだが、またの機会にしよう。それにしても、松田道弘の本をアマゾンで検索したら、トリック(奇術)ものしか売れてないようだ。なってこった。
 余談だが、今のうちに"Iraqi 'Most-Wanted' Deck of Playing Cards"(参照)を洒落として買っておくかな。

追記(同日)
 Unoの発音は、英語でも「ウノゥ」でいいようだ。Merrian-Webster Online Dictionary(参照)。

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2004.05.03

[書評]戦争を知るための平和入門(高柳先男)

 筑摩ライブラリーのごく一般向けの平和学の本ということもあり、読みやすい。私はこれを偶然買ったのだが、おもしろかった。

cover
戦争を知るための
平和入門
 それでもやや批判的な言い方をすると、平和学が新しい世界を課題にする矢先の一歩のところで終わっているのが惜しまれる。しかも、著者はこの書籍を言わば遺書のように残していったことも悔やまれる。存命であれば、現在世界の状況について、この著者に是非見解を伺いたいものだと思う。
 平和学というと、平和主義のような理念が先行するようなイメージがある。学派の主導者によって主張の相違もあるのだろうが、概ね、一種マクロ経済学のようにクールな学問領域のようだ。が、著者は、わかりやすく、自身の立場をあえてこう言っている。

 ぼくは平和研究者であって平和主義者ではありませんから、人間というものは戦うものだと思っています。いかに戦わせないようにシステムを作っていくかということが大切なのであって、戦いそのものをなくすことはできないと思っています。

 平和学とは、この「戦わせないようなシステム」のための冷徹な学問だと言っていいようだ。平和の希求だけでは平和が実現できないというのは、ごく当たり前のことだが、日本ではなかなかその当たり前をきちんと認識しづらい空気がある。
 この当たり前から導かれることは、さらに、日本人には当たり前ではないのではないのかもしれない。コソボの戦略爆撃を念頭において、著者はこう言っている。

人間の尊厳のために戦わざるを得ない場合があります。平和の問題、国際社会の問題を考える場合に大切なことは、そういう羽目におちいった人間と、おとしいれた側が同じ地平で、同じ痛みを記憶することです。ところが、戦略爆撃というのは非対称的です。

 少し抽象的なの言い方なので、別の文脈を補足する。

リアリストの国際政治学者、ハンス・J・モーゲンソーが原爆(核兵器)を非常に厳しく批判しているのは、人間は戦争によって死ぬかもしれないけど、自分はなぜ死ぬのか、なぜ殺されるのか意識できる、そういう戦争はいい、しかし、戦略爆撃(その頂点に核攻撃があるわけですが)では、自分が何のために死ぬのかわからない。死んだという意識すらないうちに死んでしまう。戦略爆撃というのは、人間の尊厳を一瞬にして奪ってしまうのです。

 解説しないほうが大人らしい態度かもしれないけど、解説すると、戦争をするなら、武器を持って向き合って、ドンパチやれ、ということだ。双方に死者を出す戦いはよいのだ、ということだ。それが人間の尊厳でもあるのだ、というのだ。
 著者は今日のテロとの戦いの時代にまで生きていないのだが、生きていたら、今日のテロリストとの戦いにも同じように言うだろうと信じる。非戦闘員を政治的な主張のために殺すことは、人間の尊厳に対する冒涜である、と。双方に死者がでる戦争のほうがよいのだ、と。
 これが、ある意味で、平和学の原理なのだと知ることは、私には少し驚きだったし、世界というものがすっきり見えるように思えた。
 先の、よくない戦争の原理性である「非対称性」については、さらに、こう主張が続く。

そして、地球上の一方でたらふく食っている人間が、チャリティでお金を出すというのも、非対称的すぎるわけです。そのような非対称的な世界を、「人道的」とか「地球市民」とか、きれいごとの言葉で覆い隠していることが多いのです。そういう非対照的な世界を覆い隠すような、きれい事の学問を作ってはだめなのです。

 現代日本の状況で言うなら、安全な日本の場で「平和を希求する」というだけの主張も、そうした非対称性に含まれるだろう。おそらく、その平和の貢献に対する対称的な痛みというものが必要になるのだろう。私たちはそこを事実上逃げているのだが。
 さらに私に決定的だったのは、次の主張だった。

 人道とか人権をふりまわすと、そのうち手垢がつく。そうすると政治の道具でしかなくなり、人道の名のもと、無告(ママ)の民が犠牲になるということがおこってくる。第三者が大義名分を振りかざして犠牲者を増やすよりも、当事者同士を消耗するまで戦わせる、というリアリズムが必要です。

 基本的に民族紛争というのは、非対称的な世界の枠をはめなければ、当事者同士が死ぬまで戦ってもいいし、それが彼らの尊厳でもある、というわけだ。なるほど、そうとしか言えないと私は考えるようになった。
 問題は、現在世界のそうした戦争をどうとらえ直すかでもある。端的に言えば、非対称的世界の大枠として米国の強大な力が問題だとも言えるだろう。
 残念ながら、本書でいう平和学は、基本的には、冷戦までの世界構造しか対象にしていない(内戦への考察はあるのだが)。別の言い方をすれば、それは、核の脅威との対応と言ってもいいだろう。その限界については、著者が率直に述べている。

 平和学は、核時代の紛争をいかに回避するかということについては蓄積があります。しかし、核時代ではない時代の戦争について平和学はそれほど知識を蓄積してきたわけではありません。平和学に限らず内戦に関する研究は、国家間の戦争に関する研究ほど多くなされてきているわけではありません。しかも、今日のように国境を越えてさまざまなアクター(行為主体)が交錯するグローバリゼーションのような、世界を一体化してしまうような構造ができつつある中での内戦というものは、新しい問題を生みだしています。そういう意味で、これは平和学にとって非常に大きな課題です。

 そして世界はその後、9.11を契機に、グローバルなテロとの戦いというまったく新しい危機に直面するようになった。こうした状況に、現代の平和学がどのように取り組んでいるのかは、この本からはわからない。
 具体的にイラク戦争という状況で見ると、「アラブ政治の今を読む」などからは、テロとの戦いを新しい戦争とみる視点なども紹介されているものの、まとまった学説とはなっていないようすがうかがえる。
 軍事の側も、実は、まだグローバルなテロとの戦いにシフトしていない。特に米国での不備が今回のイラクの惨事を招いているようにも見える。大量の余剰の兵力を駐屯させつつ、実際の治安に使えない。しかも、実際の治安には傭兵を使っているという最悪の状況だ。
 本書は、こうした限界がありながらも、平和学というものを考えさせる素晴らしい契機になると思う。特に、先の非対称性の指摘や内戦の原則などの延長として、戦争を生み出す構造として、貧困といった古くさいマルクス主義的な説明を越える枠組みも暗示している。日本の左派の「平和勢力」とやらがこの十年理論的に沈滞している状況のなかで、もっとプラクティカルな平和学が若い世代に根付くといいとも思う。
 いずれにせよ、広く読まれるべき本だ。

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2004.05.02

映像ニュースは苦手だ

 このところ、イラク情勢を知るのに、VOAがわかりやすいなと思うことが多い。VOAは、いわば、アメリカの大本営だから、戦時の情報として偏向しまくりだろうから意味ないや、と思っていたのだが、なかなかそうでもないと思うことが最近多い。
 以前にも書いたが、私は国外の大災害のニュースはまずVOAにあたる。それが阪神大震災のときは、国外どころではない国内のニュースとしてもVOAが優れていて驚いた。あのおり、香港の記者が早々に神戸入りして状況を伝えていたが、日本は報道規制されていた。
 今回イラク人捕虜虐待映像についても、最初、VOAで知った。VOAはある意味、古くさい良識なので、衝撃的な写真は掲載しない。そのせいか、私は、一瞥してこれってギャグ(英語でhoaxという)ではないかと思った。アメリカ人はこの手の、しょーもないギャグをよくやる。が、VOAのニュースではブッシュのコメントも掲載しているので、ギャグではないなと理解した。他にも映像があるようだが、おぞましいので見る気もなかった。
 その後、コメントで通知していただいたのを機に、スチルを何枚か見た。おぞましくて見たいもんじゃないが、率直なところ、なんだかよくわからないという印象を持った。出所を洗うべく米ソースを調べていくと、昨年の"TIDES Iraq Reconstruction Report"(参照)らしい。それほど最近のニュースでもない。


Subjec:t Iraq: 'Saddam Husayn's Defense Committee' Issues Statement Calling for Saddam's Release
Date: 23 Jan 2004
Sender: FBIS
Iraq: FBIS Report in Arabic 23 Jan 04
On 18 January, the pro-Saddam Al-Basrah website at www.albasrah.net posted an item entitled "A Statement from Saddam Husayn's Defense Committee in Tunis." The statement was originally posted on the committee's website at ctdsaddam.i8.com.

 この段階では真偽はよくわかっていなかったのではないだろうか。しかし、洒落にしては面が割れているし、具体的な建物も特定できる。と、その先を調べると、米軍内ではすでに処罰も終わっているようだ。そのあたりの報道は日本はどうなのだろうと思っていたら、共同系で、米報道をひく形で出てきた(参照)。米軍もよく調べているなと思うと同時に、うまくいけば穏便に済まそうとしたかったのだろう。
 事件の問題は、ブッシュが早々に出てくるように、アラブ諸国にこの映像が流れたことへの苦慮でもあるのだろう。
 ところで、当初この映像が発覚したctdsaddam.i8.com関連を追っていくと、さらにおぞましいレイプ写真などが出てくるのだが、どうも、これも洒落臭い。まいったなと思いつつ、もうちょっと掘ると、これはただのポルノ映像であることがわかった。こちらは食わせ物(hoax)である。
 その後、英国側からも虐待映像が出てくる。よく出てくるなと思いつつ、こちらも早々にブレアが声明を出したところを見ると、食わせ物ではないようだ。裏については、Independence"Are these pictures a hoax or proof that we tortured Iraqis?"(参照)が詳しい。追記だが、こちらの映像の信憑性への疑いはより強まってきている。参考:VOA"Britain Investigates Iraqi Prisoner Abuse Claims"(参照
 私としては、率直なところ、映像を見ただけでは、なにが食わせ物で、なにがそうではないか、は、わからない。種明かしをすれば、なるほどとは思うのだが、そうでなければ、よくわからないままだ。
 こうした経験は別に今回に限ったことでもない。私は基本的に映像を判定する能力はないのだから、むしろ、映像をできるだけ避けたほうがバイアスを受けないだろうと思うようになった。もう少し言うと、意図のある映像はできるだけ避けたいと思う。自分の実経験とメディアを媒介した映像との違いの峻別が難しいということもある。

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2004.05.01

人質会見に私は落胆した

 昨日のイラク邦人人質事件被害者の会見を見るためにテレビを付けた。見て、落胆した。この人たちは、テロリストのシンパなのだと思ったからだ。テロという人間の尊厳に対するもっとも卑劣な行為を憎むことができないのだ。それが心的障害による譫言だと信じたい。が、たぶん、そうでもないのだろう。他にも報道番組を見たが、私のように落胆している人の姿はなかった。むしろ、この会見を好ましくみているかのようだった。こうしたテロリストのシンパが私の同胞であり、このテロリストのお友達とともに、日本国はテロとの戦いというこれからの世界に向かうことになる。内憂外患というにはすまされないものを感じた。
 会見ではこうあった(参照)。


 --彼らについて
 レジスタンスだと思う。ファルージャの町を自分たちで守ろうという自警団。彼らは外国人を拘束しメッセージをああいう形で発信することしかできない不器用な人たちだった。まとまりはなかった。よくけんかしてましたから。

 人質だった人だった三人も日本に帰国して日が経つのだから、この間、同じような状況で殺害されたイタリア人のこと知っているはずだ。どう思うのだろうか。イタリア人人質を捕らえたグループはテロリストだが、日本人人質を捕らえたグループはレジスタンスということなのだろうか。そこまで詭弁はできないだろう。日本政府が尽力したから、日本人の命が守られたとのだと私は思う。
 いや、これには反論があるのか、曰く、自衛隊撤退のデモ行進が彼らの命を救ったのだ、と。それは、詭弁でも冗談ではない。それは、テロに屈するということだ。
 北朝鮮は、日本人を数多く誘拐した。下校途中の13歳の少女も誘拐した。テロである。これに「彼らは外国人を拘束しメッセージをああいう形で発信することしかできない不器用な人たちだった」と言うのだろうか。そんなふうにテロに屈していいのだろうか。冗談ではないと思う。テロリストは擁護することはできない。人間の尊厳に対するもっとも卑劣な行為だからだ。
 テロリストの認識が難しというなら、近代戦では、民間人を巻き込んではいけないという原則くらいは知っておくべきだ。
 事件の真相は会見からではわからなかった。人質たちの知らない真相というのもあるかもしれない。狭義に見れば、部分的には、狂言であることは明らかになった。日本国民は、人質の命を心配していた。が、会見からわかった事件の様相では、最初から人命は保護されいた。これが狂言でなくしてなんだというのだ。広辞苑を引くに、狂言の意味はこうだ。「うそのことを仕組んで人をだます行為」。用例に「狂言強盗」。

 --自作自演とか演出ともいわれているが
 あのビデオは、演出というより命令。あのような状況で否定できますか、みなさん。命の保証はされてましたが、いうこときくしかない。

 そう問われたら、私とても、「イタリア人の死に様を見せてやる」というほど腹が据わっているわけではない。なるほど、演出してくれと言えば、そうしたかもしれない、とは思う。が、私はこれは不自然な言い訳だと思う。私なら、「あの状況ではしかたがなかったし、映像が日本に報道されているとも知らなかったが、あの演出で日本国に心配をかけることになったのは恥ずかしい」と言うだろう。ついでに私の感想だが、撮影の前には饗応があったようだが、それも不自然だと思う。演出などせず、そのまま脅して撮影し、それが終わってから、実はこういうことだった、すまない(ソーリーソーリー)というのなら、わかる。
 ただ、演出して作ったものだから、日本国政府側は見破りやすかったのだろう。テロリストの要求である自衛隊撤退を早々に拒絶したのは、原則を貫いたというより、テロリスト側より日本国政府のほうが一枚上手という知恵比べだったわけだ。しかし、今後はそんな呑気な事態ではすまくなるだろう。
 警察側としては、ある程度満足のいく事情聴取はすでに完了しているだろう。そう見れば、認定された事件としてはすでに終了している。だから、事件の真相を自作自演とするのは、無理がある。私の言い方では、事件の全貌を狂言だというには無理がある。が、私は依然疑いを持つ。
 事件の全貌が、「自作自演」かどうかはわからない。が、今回の事件で、とくに2ちゃんねる系の意見は「自作自演」という言葉に自縄自縛になっていたように思う。その言葉を踏み絵にすれば、「自作自演」という説を押し通すのは難しくなるだろう。
 言葉による自縄自縛といえば、「自己責任」も似たような始末となったように思えた。「死ぬ覚悟でイラクに行きましたか」と問えば済むだけのことにしか私には思えない。彼らがまたイラクに行くというなら、日本国と日本人に迷惑のかからない計画を立てて貰いたい。

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