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2004.04.22

カルカッタの思い出

 とりとめもない旅の感想である。「人質高遠の崇高なるボランティア遍歴」(参照)というページを見ながら、その表に滞在先としてカルカッタが多く掲載されているのを見て、私もカルカッタに行ったときのことを少し思い返していた。
 「シティ・オブ・ジョイ」(1992)が公開された時期だったこともあり、カルカッタの人たちは、「こんなしょうもない映画でインドが後進国と見なされるのは困る」というようなことを口々に言っていた。そういえば、原作「歓喜の街カルカッタ」も私はカルカッタに持って行って読んだのだったか。小説のほうは面白いと言えば面白かった。が、ありがちなエキゾチシズムとヒューマニズムの作品という感じだろうか。

cover
歓喜の街カルカッタ
 私が滞在していたのは、ちょうど今頃の季節だった。乾期から雨期に変わるころだった。雨の量ははんぱではない。道が川のようになり、ノラ牛たちも歩きにくそうだった。エアコンの効かない車の窓を少し開けたら、とたんに痩せた子供の手がその隙間から伸びてきて面食らった。物乞いである。あれから、10年近く経つ。今はどうなっているのだろうか。
 昼間は50度近い気温になる。路上では、中央分離帯よろしく生ゴミが整然と捨てられるのだが、見る間に乾燥していく。そうなる前にどっかから白と黒の混じった烏(だと思う)がせわしなくやってきて餌を探していた。
 街を歩きながら、私は喉が渇いたなと思って、サトウキビ絞り汁の屋台に近づいたら、同行のインド人がやめなさいといって、どっから熱いミルクティを買ってきた。ミルクティはあちこちでよく飲んだ。インド人は猫舌が多そうなのに、熱いものしか飲まなかったように思えた。が、衛生の配慮だろう。そういえば、中国人は冷めたお茶は飲まないというのがかつての常識だったが、変わった。
 「人質高遠の崇高なるボランティア遍歴」の表では「マザーハウス手伝い」が多い。私もマザーのことは気になっていた。街中ではマザーの会のシスターたちをよく見かけた。「死を待つ人の家」に行って見学したいと思い、世話をしてくれる人に話すと、最初はいいでしょと言って車を出してくれたものの、近くなってから、やめましょうということになった。理由はよくわからない。それなりに現地の人の配慮というものがあるのだろう。そういえば、エジプトのカイロでも、一度コプト教会を見たいと言ったら、門前までにしましょうと諭された。外国人狙いのテロなどもあり、観光保護に軍が動くという話まであった時期なのだから、現地の人に従うが吉だろう。
 カルカッタでは、マザーの施設の近くまで来ながら、結局そこには立ち寄らず、近くのヒンズー寺院に寄った。案の定、身体障害者の物乞いが何名かいた。こう言うのは偏見になるのかもしれないのだが、外国人の行きそうなところに物乞いが多い。そして、貧困と悲惨という感じの光景もそこにある。
 が、カルカッタには中産階級の住宅街などもあり、清楚できちんとした感じがする。社会主義政策で都市化を進めているという雰囲気の地域もある。サリーをモダンにアレンジした制服の女子高校生の集団なども見かけた。カルカッタは、むしろそういう地域のほうが多いという印象を受けた。私は、インドの文化がそれほど好きでもないし、その宗教に関心があるわけでもない、ましてヒッピー的な旅をしているわけでもない。
 絹製品のお土産でも買いに行きたいと、また世話をしてくれるインドの方を煩わすと、イスラム教徒の商人のいる地域がいいでしょうということで、案内してもらった。オウム真理教のあの体育着みたいのではないおしゃれな絹製のクルタを2つ買った。値段は忘れたが、そう高くもない。もっと買いたい気もしたが、やめた。
 一通り商店街を回って疲れたので、日陰を求めて、近くにあるモスクで休息した。大理石でできているのだろうか、ひんやりとして気持ちよかったことを思い出す。イスラム教徒だろう人たちがあちこちでくつろいでいるようだった。キリスト教のドームの中にいると私は緊張するがモスクだとなにか心安らぐ感じがする。イスタンブルだったが、朝晩に流れるコーランの朗唱も心にじーんとしみるものがあった。なぜかよくわからないし、それ以上にイスラム教に関心があるわけでもない。
 カルカッタの大通りにはチャンドラ・ボーズの立像があった。インドの人は、彼こそ英雄だと言ったていた。そしてガンジーはダメだとも言っていた。その機微は私もある程度知っていたので驚きもしなかったが、インド人から直接言われると奇妙な感じもした。もちろん、インドといっても、カルカッタを含むベンガルは特殊な地域もあるのだろう。日本でも西洋でもガンジーは聖人のごとく語られる反面、ボーズのほうは悪評すら多い。歴史を忘却しているのだ。そして、日本人のインド観は、けっこう奇妙なイメージだけでできている。そのイメージのなかのインドを求める人も多い。マザーハウスもそうしたイメージではないのだろうかと疑う。
 カルカッタ(コルカタ)は東洋のパリと言われたこともある。ハウラ橋で夕日を浴びながら見る街の光景には、そんな雰囲気が残っていた。今でも、変わらないではないだろうか。

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コメント

finalventさん、「人質高遠」ってなってます(^_^;
内部の部分も…

カルカッタは私も10年程前に取材で訪れたことがありますが、丁度その頃はソフトウェア産業が最盛期になっていて、そういった関連の建設中のビルが多かった事を思い出します。
インド文化は部分的に好きにはなれませんでしたが、インド音楽というか伝統楽器のコンサート(これがまた曲が長い(苦笑))は、結構楽しめました。音楽を聴くというよりもは、音楽を楽しむという感じで、コンサートなのに本を読んでくつろぐ人達や、横になっている人、お弁当を広げている人などが居て、国民性があっていいな~と思いましたよ。忙しくしている時とスローに生きる時間との切り替えがうまくできているなと感じました。ただ、その取材って反政府ゲリラの取材だったので、後半は佳境を極めましたが…(汗)

投稿: バカぽん | 2004.04.22 17:51

バカぽんさん、ども。表記ですが、リンク先タイトルを尊重してのことです、って、リンクが間違っていたので直しました。そういえば、建設中のビルが多かったですね。地下鉄乗るのも忘れてました。

投稿: finalvent | 2004.04.22 18:04

finalventさん、こんばんわ、

東長崎機関へのリンクがはられてますね、(参照)先のページから。なんか...東長崎機関のサイトを見ているとこういう世界があったんだぁ!って感じがしますね。ちょっと背中が寒くなるような、元気づけられるような微妙な感覚です。

投稿: ひでき | 2004.04.22 21:07

ひできさん、ども。その先から、もうちょっと探ると面白い構図がうっすら浮かんできてきて、もっと寒くなりますよ。もちろん、現段階ではあまりに不確かな陰謀論にしかないので書くべきことではありませんが。

投稿: finalvent | 2004.04.22 23:24

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