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2004.04.20

自衛隊はイラクから撤退すべきか?

 こういうネタもどうかなとは思うが、人質事件もひとまず息をつき、スペインの撤退も決まったこともあるので、少しこの件について、あまり深く考えたわけでもないが、一人の日本人として今の感想を書いておきたい。
 結論から先にいうと、私は、段階的に撤退したほうがいいのではないかという考えに傾いている。もともと派遣もどうでもいいじゃんと思っていた私だ。撤退したらぁ、の、一番の理由は、現状のサマワ支援のあり方を見直したいいだろうという、先の「自衛隊が汗を流すのではなく、現地の雇用を増やせ」(参照)の延長だ。イラクが戦闘地域だうんぬんという話ではない。
 前提となるイラク情勢の認識だが、この点、私の認識が間違っているかもしれないのだが、イラクの現状はそれほど泥沼でもないと見ている。停戦前のファルージャでの米軍の虐殺行為は明らかに責められるべきだが、基本的には戦闘は局所化している。もともと、米軍がイラクの武装勢力を舐めてかかったのがいけなかったと私は思う。しかし、米軍としてみれば、実は、莫大な余剰ともいえる軍事力をイラクにずるーっと駐留させているので、まるで相手を軍事的な対象と見ていなかったのだろう。この点は、米軍が未だに、吹聴しているわりには対テロ戦にシフトしていないという構造的な欠陥があるようだ。
 日本ではあまり報道されていないようだが、特に、米国は自国各軍の福利を非常にケアしている。この手厚い福利の体制も、こいつらの戦闘能力のためであり、これは基本的に冷戦構造のままというか、案外ノルマンディ上陸作戦時代のままなのではないか。
 話がたるいが、日本のマスコミや、案外軍事専門家と言われる人も、米軍の軍事力を過小評価しているような印象を私は受ける。問題は、現状のイラクに必要な、特定の軍事・警察力をどう基本的なところで采配するかということだろう。率直なところ、その潜在力を活かしていない米国は、方針を転換すべきだろう。
 そして、だ、その方針を変えるなら、各国の軍の駐留も当然シフトさせたほうがいい。もちろん、米軍としては圧倒的な潜在的な軍事力のプレザンスをイラクから撤退させるわけはないのだが、それはある種、お飾りでしかないのだから、実動できる新しい配置を作り直し、すでに国連主導ということも決まっているので、日本を含めて各国もその新しい配置のなかで、今後のイラクを考え直すべきだろう。
 ちょっと、おっちょこちょい的な意見を言うのだが、私は南部シーア派の動乱は多分にタメではないかと思う。本気なら石油ラインを狙うだろう。それだけの武装もない。サドルも実際には民衆から浮いているのではないか。皮肉な言い方をすれば、彼らの最大の武器は彼らの人命だ。はっきりとした情報ではないのだが、サマワのシーア派は実はサドルらをメンドクセーやつと見ているのではないだろうか。もしそうなら、本音は、お金だし、復興だろう。もっと早急な課題は雇用という名目の富の再配分だろう。
 今朝の新聞各紙社説では、読売と産経が、自衛隊撤退に反対しているが、私の素朴な印象だが、安全地域から偉そうなこと言うなよ、だ。顧客と上司に挟まれた現場みたいな現状の自衛隊をなんとかするには、上司(国)がきちんとせーよだよ。精神論、こくなよと思う。
 話は散漫だが、スペインの撤退で功を奏したテログループは次はオーストラリアを狙うかだが、その目はあんまりないのではないか。ほっておいても米国がどじれば、与野党は逆転するだろう。また、日本はどうかというと、参院選は毎度の楽しいお祭りになるくらいで政治的な意味もないように思う。私の感覚がぼけているのかもしれないが、自衛隊は英語にするとForceで通常の軍隊に誤解されるが、軍事力も行使できないし、サマワに局所化しているので、イラクの人にしてみれば、日本が米軍の子分かというだけが関心だろう。テロリストにしてみても、あまりうまみのない標的のようにも思う。
 今回の人質事件でテロリスト側はなぜか、よく日本のメディアをワッチしていたようだが、本当にそれが外国の勢力なら、「日本っていう国はなんだか、さっぱりわからん」と思っているのではないか。

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「時事」カテゴリの記事

コメント

>顧客と上司に挟まれた現場みたいな現状の自衛隊

見事な状況認識、ストンと腑に落ちる比喩、感服しました。

投稿: ごまめ | 2004.04.20 12:20

たとえばサラリーマンが、こんな命令を受けたらどう思うでしょうか。
「君、悪いけど出向してくれるか」
「え?出向ってどこへいくんですか」
「I社だよ」
「えーっ、あそこは問題大ありの会社じゃないですか」
「いや、とにかく各社ともI社に人を出しているので、この際、わが社からも人を出さなければならんのだ」
「命令とあれば仕方ありませんが、それで私は出向先で何をすればいいんですか」
「うーん、実はあんまりよく分からないんだが、とにかく人を出すことに意義があるっていう感じかなあ。まあ、他所の出向者と同じ程度に頑張ってくれればいいんだよ。ただしくれぐれも問題だけは起こさないでほしいけど」
「張り合いがないなあ。それで私はいつ本社に返していただけるんでしょうか」
「それも今後のご相談ということで」
「ちょっと待ってくださいよ。本当にそれがわが社の方針なんですか」
「実をいうと社長は決裁しているんだが、経営会議では半数近くが反対していてなあ・・・」
http://tameike.net/diary/dec03.htm

当初、賛成意見の多くの人間が描いていた派遣の姿は、主権委譲を機にイラクを去る、半年もあれば、水道と病院の再建位はできるだろう、形になる仕事ができれば、それでOK、だったと思います。
私はそういう意見で各地の争論を眺めてきました。
6/30まで、というのが問わず語らずのお約束じゃなかった?とか今でも思っています。でも、おバカ三人組のおかけで、なんか逆に抜けにくくなってしまいましたねぇ・・・。

各国の抜けたイラクって、どうなるのかなぁ、と思うと、
いつも殺し合い続けている殺伐とした町と、平和な町のマダラ模様のような気がします。

手榴弾が炸裂し、銃弾が飛び交う北*州から
(そのうち、日本国は撤退しろ-うちのシマやど-、と言い出す輩だってでるかもね^^;)

投稿: goka | 2004.04.20 12:52

gokaさん

私も今回の件で抜けにくくなったと思います。元々小泉政権にはそういう思考回路はない。結局今回の自衛隊派遣はアメリカへの恩売りと、改憲への布石にするある種の「既成事実化」を狙ったものでしょうから、おいそれとは引けない。もちろん彼らにとっての「改憲」は、日米安全保障上の軍事提携の強化に向けた流れの一環としてのもので、ここには当然大きな利権があると思われます。それが今回の件でより一層撤退しない方向性が世論の上で固まってしまったのではないでしょうか。

それはさておき、自己責任論支持者の方にお聞きしたいことがある。今回人質になった3名(または5名)をバカにする発言がよく見られる。gokaさんの以下の書き込みのように。

>おバカ三人組

しかし、憲法的な側面から考えても私にはその論拠がよくわからない。彼らを軽蔑の対象とするその理由をお聞きしたい。

投稿: ざっくばらん | 2004.04.20 14:55

>ざっくばらんさん

 横から失礼します。

 この3人が国民からこうも罵倒される理由は簡単です。それはルール違反をしたからです。どんなルール違反をしたのか、それはどんなルールなのか? そう思われますよね。これは単純に考えればわかります。

 今、イラクは危険な場所です。これは政府がどう言っているとか、自衛隊派遣の根拠とかいう以前に、単純な事実です。人が死んでるんですから危険な場所です。危険な所には足を踏み入れるな、というのは基本的な社会のルールです。普通の人はそう教育されています。それを破ったから、人間の単純な「反応」として「なにをやっているのだ」となっている訳です。

 外国人の記者が「日本は自由な発言ができない国なのか」と言ったそうですが、これは日本を理解していない発言だと思います。平和的活動であるとか、使命感であるとかの話の前に、この国では社会のルールが、暗黙の了解が第一義なのです。そして、このルールを少しでも逸脱した者は排除され、いじめられるのです。今回はこういった島国根性的な感情の発露であると、単にそういうことだと思います。

ついでに言いますと僕もこのズッコケ三人組は大いに気に入りません。

投稿: たまごん | 2004.04.20 17:05

たまごん さん

早速のコメント有難うございます。

要は「感情論」だということですね。日本の社会では大きな感情論が論理を超え、物事を正当化してしまうというご意見はとても興味深い。共同体論や道徳論、さらにはナショナリズム論にも結びついていくでしょうか。

「論理より感情」という現象は国を問わず見られるものですが、次にこの国民的感情(≒世論)はどのように惹起されたものか、ご意見をお伺いしたい。今の時代はネットなどで個人が情報の発信主体となることもできるため、市民レベルから自然発火したのか。それとも、政府が何らかの目的を持って世論操作を画策した可能性はないか。またはメディアが視聴率などの得点稼ぎに奔走した結果か。

もう一つ、このような「島国根性的な感情の発露」に迎合するようなコメントを、小泉首相、福田官房長官、冬柴公明党幹事長などが出していますが、このような感情論によって政治が動くことをどのように捉えるべきか。市民レベルだけでなく、それによって法案が作成され政府が動いてしまう現状をどう考えるべきか。やはり「多数決的議会制民主主義」として容認するべきか、それとも他の論理や理念を考慮するべきか。

あと、もしよろしければたまごんさん自身が「僕もこのズッコケ三人組は大いに気に入りません」とお考えになるその理由もお伺いできればと思います。

投稿: ざっくばらん | 2004.04.20 18:46

>ざっくばらんさん

私も横から失礼します。

拉致事件当初は十分、拉致被害者家族に配慮されたものだったと思います。しかし、家族の振る舞いが酷い、というか傲慢すぎたのでは? その結果が転じて「馬鹿三人組」でしょう。「馬鹿三人組」という言い方は私もどうかと思いますが、それよりも、あなたが拉致被害者側の振る舞いにまったく言及されないのが、とても不思議です。感情論ではなく陰謀論ですね。

投稿: nhk | 2004.04.20 22:25

>しかし、憲法的な側面から考えても私にはその論拠がよくわからない。彼らを軽蔑の対象とするその理由をお聞きしたい。

うーん、日本国は憲法に約した通り(コケにされても蔑まれても)、自国民の保護を今回努力したことは誰の目にも明らかでしょうから、どうして憲法という文言を持ち出されるのか、私には理解不明ですが、通常の生活観や法感覚をもてば、「バカじゃないこの人たち」という感想か、「やっぱグルじゃない?」という勘ぐり(ということにしておきましょうかとりあえず)が出てくるのは、納税している市民の自然な発想だと思いますけど。

第一、「危ないからいくな」と言われてるところへ出かけていって
自分の尻もふけず、大嫌いで多分軽蔑しているだろう「国」におんぶにだっこで尻を拭いてもらうなんて、明らかにみっともない話だと思いますが・・・。

投稿: goka | 2004.04.20 22:27

ざっくばらんさん、良識ある人ならば他人のブログのコメント欄で特定者を指名しての討論会は開かないものです。他所に誘導するか、個別に行っては?掲示板じゃないのですから(^_^;

今回の三人については道徳的な問題だと思いますよ。道徳も感情論の一種ですが、大義名分のためなら手段を問わない姿勢が良しとされるのか悪しきとされるのか。彼らにも主張する権利があれば民衆にも主張する権利があって、すべてが同じ意見の訳がないのですから、色々な意見が出て当然だと思います。それを論じてどちらかに傾倒させなければいけないいわれもないわけで…。宗教裁判のように何かの論法に矛盾したものを淘汰する時代に戻りたい人は多いみたいですけれども。

投稿: バカぽん | 2004.04.20 22:34

いろいろコメントありがとうございます。また、不愉快に感じられたのでしたら、謝罪致します。特定の方を攻撃する意図は毛頭なく、開かれた議論をするための問題提起のつもりでした。

コメントを読ませていただきましたところ、

「家族の振る舞いが酷い、というか傲慢すぎたのでは」

「自分の尻もふけず、大嫌いで多分軽蔑しているだろう「国」におんぶにだっこで尻を拭いてもらうなんて、明らかにみっともない話だと思いますが・・・」

「今回の三人については道徳的な問題だと思いますよ」

ということですので、やはり彼らが皆さんの感情を逆なでした、それが許せない、という反応をされているわけですね。実は私もそのお気持ちはよくわかります。

ただ私がここでお聞きしたかったのは、それを踏まえた上でのお話なんです。つまり、その「彼ら人質及びそのご家族憎し」といった感情はよくわかったが、その感情論が実際の政治及び国際関係に対して及ぼす影響についてはどうなのか、を論じたかったのです。

実は私は海外に住んでいるのですが、日本国内の政治の動き、マスメディアやネットで論じられていること、世論、国民感情等の情報は、当然のことながら海外にも流れています。私の友人にこれらのことを話すと、まずなかなか理解してもらえません。その理由を「島国根性的な感情」だから、という具合に日本国内の自閉性に根拠を求めるのは簡単ですが、それでは国際情勢に戦略的に関わっていくことが出来ないはずです。

彼らが人質に取られたとき、イラクでは同時多発的に多くの誘拐事件が起きました。人質に取られたのは彼らだけではないので、日本の外にいれば、日本人の人質の反応やそのご家族の反応などは全く取るに足らないことのように思える。にもかかわらず、日本国内の世論を見てみると、ご家族の感情的な反応に対する反発だの、自作自演説だの、自己責任論だのといったことのみがフレームアップされている。だから、そういう大きな流れとなった感情論が日本政府の判断に影響を与えているのではないか、または政府が自らの方針に有利な展開に持っていくためにこの「感情論」を利用しているのではないか、ということを私としては提起してみたかったまでなのです。決して皆さんの意見に異を唱えたかったわけではありません。

誤解を招く書き込みをしましたこと、深くお詫び申し上げます。これからも活発な議論を期待しております。

投稿: ざっくばらん | 2004.04.21 01:24

>ざっくばらんさん

 私もバカぽんさんと同意見で、基本的にはここでは討論は控えておきたいと思います。元はといえば私がいらない横レスしたからいけないのですが。なんか妙な流れになってしまって申し訳ないです。

 あと、これもなんだか自己弁護なのですが、私の言っていることも事実の一側面ですし、否定の材料は沢山あります。単純に考えろとか書きましたが、現実は単純では無いですし。参考意見の一つとして受け取っていただけるとありがたいです。こちらも、読み手のことをもうちょっと考えて書くべきでした。

 あと、これは私感ですが、現時点では国民はこの3人に対しては関心を失って来つつあると思います。どうせ真相は闇の中だろうと。今、大騒ぎをしているのは解放されたことによって自粛が解けたマスコミだけなんじゃないかと思います。もちろんこれも私の個人的見解ですが。

投稿: たまごん | 2004.04.21 04:03

例えば、今回の3人がJICAのようなある程度体制の整った団体からの派遣だったら、ここまでは叩かれなかっただろうなとは思います。
そういう「組織」での行動でなかった、にも関わらず明らかに危険度が高まったタイミングで「のこのこ」イラク入りした、という2点が、叩かれる要因になったのかなと。

投稿: 電化。 | 2004.04.21 10:38

 私はこのイラク人質事件からここを知ることになり、いくつか書かせていただいたが、finalventさんのコメントを見て少し考えてみると、覚悟でしかない、という表現に全てが凝縮されているような感覚を得た。(勝手な思い込みかもしれませんが)
 国家は人質を救出する責務がある、という大前提の中で、政府は本気で救出に動くか、全力を尽くしているフリをするかである。(もちろん公式に了承されていることではないでしょうけど)本件は、政治的な問題であったため本気で助けに行った特例である。とすると、
 「いろんな人に迷惑がかかるのに・・」と福田氏はコメントしたそうだが、政府の事情からすれば、政治的問題だから本気で救出に動いたわけで、変なとこ足踏み入れやがったために救出に動いたわけではない。ただ、仮に本件が狂言であったとすると、氏のコメントは名実ともなうことになるだろうが。
 何が言いたいかというと、狂言でないとすれば、ここで自己責任は全く関係ないと言ってもいいだろうということ。だから、まっとうな目的で危険地域に出向く人には、覚悟して行けとしかいいようがないのだろうと、私はこのように感じた。
 一方で、一般納税者の事情からすると、政治的問題が絡んでいようが何だろうが、一民間人が危険とわかりきった地域にわざわざ渡航したおかげで大事な税金が使われることになったことには変わりない。これに怒りを感じることが単なる感情論というのもどうかと思う。ただ上述のように政治的意図が大きいことは確かだろう。
 こう考えていくと、彼らの責任どうのこうのとあまりやってもな、と思えてくる。ただ、狂言であったならそうはいかないが。
 最後に、ナショナリズム論だの、政府の方針に影響を与えているだのという突飛な発想がどうしても理解できない。ワイドショー的に狂言を騒ぐもの、不審な点を詳細に追求するもの、それに反対する者、感情的に三人が可愛そうだと思うもの、自衛隊派遣反対、憲法改正反対をやたら騒ぐ者、ごった煮なのが現状ではないのか。わたくしがこの件に不審をいだく一つの理由に、やたら極論を持ち出して三人を擁護する意見が散見されることがある。狂言論者=サヨみたいなものもいくつか見られたが、そういう反論こそが胡散臭さを増大させていく。これこそがウヨの回し者の発言だと言われるのであろうか。。。

投稿: いちげんさん | 2004.04.21 16:15

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受信: 2004.04.20 18:09

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