遠藤周作「沈黙」の自筆草稿発見に想う
先日遠藤周作の「沈黙」の自筆草稿が発見されたというニュースがあった。それがニュースなんだろうかとも思いつつ。しばし、物思いにふけった。私は、若い頃、遠藤周作のファンだった。
![]() 沈黙 |
ニュース「遠藤周作氏代表作の『沈黙』、幻の自筆草稿を発見」(参照)では、研究者の藤田尚子は、現行の「沈黙」とキリスト像の違いを強調している。
自筆草稿をゲラ刷りや初版本などと比較した藤田さんによれば、最も大きな変化は、ロドリゴが思い浮かべるキリストの顔の描写だったという。
確かに遠藤文学ではそこがよく話題になるのだが、私自身はあまり関心はない。むしろ、設定変更に関心を持った。ZAKZAK「遠藤周作氏代表作『沈黙』の自筆草稿を発見」(参照)にはこうある。
日記には、当初は主人公として、キリスト教弾圧下の宣教師を研究する現代人を考えたことも記されている。最終的に宣教師を主人公にした理由は書かれておらず、同館は「時代設定をなぜ変えたのかは今後のテーマ」としている。
同館というのは、先の藤田尚子の見解だろうか。こう言うと僭越かもしれないが、私はその話を聞いたとき、なにも不思議には思わなかった。というのは、この作品は、「アデンまで」「黄色い人・白い人」「わたしが・棄てた・女」のテーマを継いでいるからだ。それと、私は詳しく知るわけではないが、ヘルツォーク神父の問題もあるのだろう。いずれにせよこの系列からは現代人が問われている。また、「沈黙」を継いだ「死海のほとり」で、キリスト教に挫折したキリスト教研究者を描いていることも、「沈黙」の原形が関係しているのだろうと思う。
![]() 黄色い人・白い人 アデンまで |
「アデンまで」では、印象的な描写がある。女は白人(フランス人)だ。
女と俺との躰がもつれ合う二つの色には一片の美、一つの調和もなかった。むしろ、それは醜悪だった。俺はそこに真白な葩にしがみついた黄土色の地虫を連想した。その色自体も胆汁やその他の人間の分泌物を思いうかばせた。手で顔も躰も覆いたかった。卑怯にも俺はその時、部屋の灯を消して闇のなかに自分の肉体を失おうとした。
少しためらうのだが、遠藤文学もかなり距離を置いて研究されていい時代になったと思うので、敢えて言うのだが、この体験は、遠藤の実体験だったろうと私は思う。遠藤はその体験がおそらく一生離れなかったに違いない。そして、そのいわば失恋(その女の魂を捨てた)と性の身体のおぞましさから、ぬぐい去りがたい独自の罪の意識ができたのだと思う。最晩年の「深い河」も、結局のところ、その問題に終始しているという印象を受ける。呑気な言い方だが、それは確かに苦悩の人生だったのだろうと思う。類似の印象は、森有正の罪の意識からも受ける。山本夏彦もある意味、類似の経験をしている。もっとも、彼の場合は、「無想庵物語」(絶版か?)にある武林イヴォンヌ(人種的には日本人)の存在が、そこに入ることを押しとどめたのだろう。いずれも、性の問題が奇妙な陰影で罪を際だたせている。
私はこんなところで何を書こうとしているのか? 率直に言うと、白人女性との恋愛というもののなにかかもしれない。国際結婚も増え、白人女性と結婚する日本人男性も珍しということもない。私は白人の女性と恋に落ちたことはないが、恥ずかしいようだが、数度ドアの前というか、その崖の淵に立ったことはある。あれはなんなのかいまだによくわからないのだが、彼女たちの目には、魂を宗教的に射すくめられるような力があった。西洋において、恋というものは、こういうものなのか。頭をコンクリにぶつけたような感じがした。身体も魂もすべてを要求されているという感触でもある。もちろん、人にもよるのだろう。日本人間の恋愛なら、その恋愛がある種、自然の風景のなかにとけ込めるなにかがある。が、白人女性との恋愛はそういかない。あの起立した大聖堂の前に立っているような感じすらする。私はびびった。私は逃げた。遠藤はその先に入り込んだなというふうに思う。頓珍漢ついで言えば、遠藤周作は長身だったことが幸いでもあり災いでもあったのだろう。
遠藤文学のなかで、キリストは、たぶん、そうした白人の、しかも彼が捨てた女性というものの象徴として、その生涯に立ち現れてきたのだろうと私は思う。表向きは、というか、あたかも大衆文学のように、弱い者の同伴者の像として彼は描くのだが、今の私からすれば、それは、血を吐いてでも許しを請いたい像の裏返しのように思える。
ふと気になって、アマゾンで現在でも読み継がれている遠藤の作品はなんだろうとひいてみて、少し驚いた。正確に読まれているものだなというのが率直な感想だ。さっとめぼしいものだけ一巡してこの話をおしまいにしたい。
「死海のほとり」は現代と古代が較差する。古代の側で描かれているイエスは現代の新約聖書学から見れば、ほぼ虚構だと言っていい。遠藤文学上は重要な作品ではあるが、文学としてはあまり意味のある作品でもないように思う。が、この古代へのノートから「イエスの生涯」と「キリストの誕生」ができる。やはり、修辞が重いので大衆的な感銘は受けやすいのだが、歴史学的にも重要ではないし、神学・文学的にも、それほどの重要性はないと私は思う。
「深い河」は私は、リヨンの描写など美しく、筆致はすばらしいのだが、総合的に見れば失敗作だと思う。人生を総括する作品がこのように出現したことに、泣きたいような皮肉を感じる。「『深い河』創作日記」に背景が描かれている。当然ながら、遠藤文学上は重要な作品ではある。宇多田ヒカルの同題の歌はこの作品の影響だろう。おまけに「『深い河』をさぐる」という本もある。うへぇ。
「おバカさん」は今読み直したらどういう印象を私は持つのだろうか。面白く感動的な作品ではある。「聖書のなかの女性たち」や「私のイエス―日本人のための聖書入門」は今でもクリスチャンに読み継がれているのではないだろうか。つまりそういう作品だ。悪くはないが、今の私は避けたい本だ。遠藤訳の「テレーズ・デスケルウ」もある。遠藤文学の重要なカギになる。そういえば、彼の勧める「ぽるとがるぶみ」も入手可能なようだ。これは読み直したい。ところで、トリュフォー「アデルの恋の物語」の原作「アデル・ユーゴーの日記」って翻訳ないの?
「侍」は、形式的には「沈黙」を継ぐのかもしれない。私は史実に関心が向くので、この作品の評価はわからなくなってきている。「愛情セミナー」は私の青春にとって大切な本だ。現代人の若い人が読んでも無意味だろうし、むしろ害があるかもしれない。
![]() 彼の生きかた |
話は逸れるが、遠藤周作の兄は電電公社につとめたお偉いさんだった。死んだ父を通して個人的な話もきいている。が、書くこともあるまい。
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コメント
どうして自分がこんなことをコメント欄に書くのかはわからないが、私は外国の女の子と付き合っていたことがある。二年間ちょっと。イタリア系のアメリカ人だった。
最初は、その子がとてもかわいかったので、珍しいのと、親切心で遊んでいるうちに付き合うことになった。この記事で書かれているように、彼女もじっと私の目を見て、しばし決断というか、断言を迫ることがよくあった。付き合うきっかけも、「あなたは、わたしのことをどう思っているのか?好きなのか?」と、それまでに経験したことのないほどの真剣さで、私の目をじっと見ながら質問してきた。私は、怒られたように感じて、なんとなく目を伏せながら、うまい言い方を探した。すると彼女は、「自分の気持ちをはっきり言うだけでいいのに、早くどっちか教えてくれ」と言い、私は非常にびっくりした。そして、自分の未熟さと、適当にごまかしている生き方を叱られた気がした。付き合っている間中、もうすこし大人になれ、自分の気持ちに正直になれ、自分を信じろと言い聞かされた。彼女にとって私は、とても子どもっぽく映っていた。
今思い出すと、もっと色々なことにうまく対処できたような気もするが、正直、向き合うには大変な事ばっかりだったので、別れてからは忘れたつもりになっていた。
あなたの文章を読んで、思い出すことができた。それを伝えたかったので、読み取りづらい文章ですが、コメントとしてそうしんすることにします。
ありがとう。
投稿: あざけり先制 | 2004.04.18 23:44
あざけり先制さん、ども。いい言葉はでませんが、わかる気がします。
投稿: finalvent | 2004.04.19 11:13
こんにちは、はじめまして!!私は遠藤周作の本を片っ端から読んでいるような状況でして、読んだ本に関して自分のブログでちょっとした感想を書いています。今まだ遠藤作品の半分も読んでいないので、この記事はすごくボリュームがあって参考になりました!私も今まで読んだ遠藤作品の中では「彼の生きかた」が一番好きです。その点も共感しました。素晴らしい記事だと思ったのでトラックバックさせて頂きました!また訪問させていただく事があるかと思いますがよろしくお願い致します!!
投稿: mondogrosso11 | 2005.03.06 09:19
私も遠藤周作の作品では「彼の生きかた」が一番好きです。
内容はもうだいぶ忘れてしまったのですが、幼い頃遠藤の著作を色々読んで、結局「沈黙」や「海と毒薬」ではなくこの作品に一番涙したのを覚えています。
投稿: mass | 2006.08.05 11:46