[書評]博士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話(サイモン・ウィンチェスター)
「博士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話(The Professor and the Madman: A Tale of Murder, Insanity, and the Making of the Oxford English Dictionary)」(サイモン・ウィンチェスター:Simon Winchester)を今頃読んだ。手にしたとたん、魔力のように吸い込まれて、あっという間に読み終えた。読書トリップっていうやつだ。この感じは久しぶりだった。この手の読書の後は、なんだか通常の意識と変わってしまう。
![]() 博士と狂人 |
私はこの話をなんとなく知っていたものの、この本はうかつにも知らなかった。うかつにもという感じがする。まさに私こそこの本を読むべき読者なのだからと内心思うからだ。若い頃、OEDに取り憑かれていたこともあるし、この本の英文評で気が付いた言葉だが、私もlexicophiliaである。
lexicophilia? そんな言葉はない? あるいは本書の言葉なのか。今となっては手元にOEDがないので、この言葉がOEDに掲載されているかわからないが、意味は端的にわかる。辞書愛好家だ(あるいは言葉愛好家)。ailurophiliaからすぐ連想できる。世の中には、lexicophiliaとしか呼べない一群の知性がある。そして、それはある意味、時代の知性かもしれない。ミシェル・フーコーだったが、古典主義時代の知、エピステーメーを分類学(タクシノミア)と数学(マテシス)として捕らえていた。この物語はそういう時代でもある。
lexicophiliaはこの言葉の語感にあるように、辞書愛好家というだけには留まらず、ある種偏執的な愛情がある。その面で、狂気に通じるものがある。本書の「博士と狂人」という標題を見たとき、その狂人には、lexicophiliaのある精神的な側面を描いているのかと期待した。が、あまりそういう側面の話はない。狂気はあくまで狂気であって、マイナーのlexicophilia的な側面はどちらかといえば知識人の属性として描かれている。
私にとって面白かったのは、やはり歴史のディテールである。マレーの貧しい生い立ちから立身する過程も面白いが、さらに面白いのは、マイナーの境遇だった。スリランカに生まれ、南北戦争を経験する。この過程のディテールがたまらなく面白い。本書ではスリランカのエキゾチシズムと南北戦争のPTSDの経験が彼の狂気を導いたのだろうと、ごく常識的に指摘し、さらに家系的な素因の示唆も含めている。確かに、その扱いは妥当なものではあるのだろう。が、マイナーの後年の事件を思うに、ここには、フロイトのシュレイバー症例に似たなにかを連想する。そのあたりにある種の時代精神も関係しているのだろう。
本書のエポックは1896年の晩秋である。マイナーが収容されている施設をマレーが訪ねていくシーンだ。そのシーン自体には小説に描けるような資料はないのだろう。が、よく推察されている。その後のマレーとマイナーの精神の交流はさらに美しい物語になっている。なにより、博士マレーにとって、狂人マイナーとはどんな人物だったのだろうか、その人間理解にとても関心が引き寄せられる。滑稽とも言えるのだろうが、二人の老人はまるでユダヤ教のラビのごときであったようだ。それもなんとなくわかる。私も老いたらそうなるような気がする。
二人を巡る交流にはもっと深いなにかがあると思い、ふっと、R.D.レインのことを私は思い出した。彼のおそらく予期しない晩年の思想でもあるのだが、統合失調症の患者にごく普通に接触するという話があった。この普通という感覚をレインはなんとか伝えようとしていた。
書評に相応しい言い方ではないが、私は47年生きてみて、私の精神にはなにかしらある種の狂気のようなものが潜んでいると思う。が、それが本当に狂気であるかどうかはわからない。私はおそらく社会的にはなんら奇矯なところはないようだ。実生活やビジネスでの私を知る人はごく普通のオヤジだと思うようだ。しかし、内心のこの狂気のようななにかは、レインが最晩年にほのめかしたように、そこに暗示された超越的な何かなのだろう。こうした話に関心あるかたには、「レインわが半生―精神医学への道(岩波現代文庫学術)」も勧めたい。ただし、翻訳は中村保男のわりにこなれていない。
神秘と呼ぶには粗忽すぎる何かがある。著者サイモン・ウィンチェスターは、マイナーの症例を見ながら、辞書編纂の知的作業が精神を維持するのに貢献していただろうと推測する。そして、現代なら、普通の生活ができたのだろうとも推測しつつ、しかし、そうであるなら、我々人類がこのOEDを受け取れないという歴史の皮肉に、ある種不思議の感に打たれている。
本書はどちらかというと、OEDの外側のエピソードに触れた書籍であり、少し知的な高校生なら読んでおくべきかとも思う。が、シェークスピアはいいとして、スペンサー(Edmund Spenser)って誰?みたいに、まだ歴史の感覚ができていないと、本書の醍醐味は十分には味わえないかもしれない。ある程度英文学を学んだ人間には別の面白みがあるはずだ。
本書には未翻訳の続編ともいうべき"The Meaning of Everything: The Story of the Oxford English Dictionary"があるようだ。英語で読むのはしんどいし、訳が出そうなので待とうかなと私は思う。
最後に、やまざるさん、ありがとう。極東ブログをやっていて幸せと感じるのはこういことがあるからなのだ。
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コメント
finalventさん。読むの速いっすね。私は通勤電車の中で読んでるので、まだ半分を少し越えたところで、感想を書くのも次期早々。読んだ範囲内では、マイナーは、大半はほぼ監禁されての人生だったが、おおざっぱにいえば時代と犯罪者という身分からすれば、恵まれていたようにも思える。理解のあるいい看守に当たった。この作家のThe Map that Changed the Worldもいい本っぽいけど、この本もまだ翻訳はでていない。
投稿: やまざる | 2004.04.03 09:33
やまざるさん、ども。あ、なんか読了、先になってしまいました。面白かったです。"The Map that Changed the World"も面白そうですね。訳本出ないのかな。
投稿: finalvent | 2004.04.03 14:16
やっと、読んだよ。感動!後半部、マイナーとマレーの対面の頃、マイナーの定期購読していた雑誌の中に 『ノーツ・アンド・クィアリーズ』誌がありました。ひょっとして、南方熊楠の投稿も読んだことあるのかしらん?とわくわくしたりもしました。
ちょっと時間のかかる知的な意見交換の場として、当時の人(研究者)が利用していたらしい雑誌ですが、現代はその役目はインターネットの掲示板やメーリングリストが大きく担ってくれるようになりましたね。誰でも参加できる反面、ごみやかす、とるに足らないものも増えつつありますが、誰にでも開放されているということはうれしいことです。それらを吸収できるかどうかは、個人の問題。(少しでも吸収したいっす)
投稿: やまざる | 2004.04.06 12:55
やまざるさん、ども。そういう意味では、O.E.D.もオープンソースっぽいですね(オンライン版がもっと安いといいんだけど)。郵便といえば、以前バートランド・ラッセルの自伝でも思ったけど、一日二回くらい往復していることがあるようですね。意外と現在のeメール並に便利だったのかも。
投稿: finalvent | 2004.04.06 13:46
サイモン・ウィンチェスター:世界を変えた地図(早川書房)から訳本出たよ。今朝、出勤途中、偶然、本屋で見かけて買っちゃいました。
最近、コンピュータの不正利用がうるさくなって、会社からの利用ができなくなって、うんざりです。
(外部への添付つきメールなんて査閲対象なのだ。で、目的やら理由を報告しなければならなくなっている。当然、WEBの閲覧も誰がどこを見ているかのチェックはされている。)
業務以外の使用は禁止といわれても、境界がよくわからん。
でも、名指しで自分の名前があがるのもなんだし、そのへん、他の会社はどうなのだろうと、ふと思う。(一応、コンピュータ業界なのに、頭が固いねぇ)
大海を目の前にして、船に乗るのを禁じられた気分・・・。
投稿: やまざる | 2004.07.30 20:55
やまざるさん、ども。これも面白そうですね。読むと思います。
それにしても、会社によってネットの規制が変だなという感じは最近他でも聞きます。
投稿: finalvent | 2004.07.31 07:08
はじめまして。私stzzもlogophileです。(【名】 言語愛好家、言葉おたく、言葉を愛する人、単語の虫)
この本の話のころ(19世紀末)に Oxfordまたは Cambridgeの教授による殺人事件があったそうなので、
その話と混同してたせいもあって、この本を読み始めた当初は、ジキル博士・レクター博士の現物と出会えるようなゾクゾクするような予感があった。
でも、急いで斜め読みしたから、結局、(関連人物でなく)英語辞書の歴史、OEDの歴史しか頭に残らなかったかもしれない。
最近、自分は Logos(言葉・言語)と Sophia(哲学・思想)のどちらが好きなのだろうと考えることがある。
また、ニーチェなんかもやってたらしい Philologyはなぜ衰退したのか? と考えてみた。
Philology は直訳すると「語学」「言語学」かな。 定訳が「文献学」なのは的を射てる。
philology は古典・歴史重視、書き言葉重視だったから、「現在の話し言葉」に焦点が移る際に(ソシュール)名前も新しくなったわけだ。
この本の題名に関しては、純粋に日本語の本の題名としてみても、直訳「教授と狂人」より 「博士と狂人」の方が良い題名だとは思えない。
加えて、狂人(Dr. Minor)の方もM.D.だったから本物の博士だし、教授の方は晩年近くになって名誉博士号を得ただけだから、「博士と狂人」という題名は不正確だ。
Simon Winchester の文章はなかなか面白い言い回しが多く、赤ペンで印を付けつつ読み進んだ。
そのうち特に珍しい表現に関しては、思わず巻末の余白に自分のIndexを作ってしまった。
本の中の事柄についてこのようなミニ索引はよく作るが、表現そのものについて索引を作るのは珍しい。
自分のやっていることが、まさしく狂人博士(Dr. Minor)の索引と同じと気が付いて苦笑した。
「stzz BBS: 翻訳 英語 書籍 文化 その他」
http://jbbs.shitaraba.com/study/4383/stzz.html
の主に「検索 Google 辞書・・・」というスレッド等で
関連した雑談をしています。
投稿: stzz | 2004.08.05 06:13