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2004.03.30

The high ideals controlling human relationship

 どうせそう簡単に答えはでないだろうと思いつつ、日本国憲法前文の"the high ideals controlling human relationship"という表現が気になってしかたない(「試訳憲法前文、ただし直訳風」参照)。少し愚考したので書いておく。
 一番の疑問は、なぜ"control"という妙ちくりんな言葉が使われているのかだ。
 それと、the high idealsという表現も少し気になる。こちらは、ちょっと考えると、theの語感から、単に文脈を受けているだけなのだろうが、複数形になっているidealsは列挙するなら、なんなのだろうか? "a universal principle of mankind"は単数形なので、これを直接受けているわけではない。そして、これが相当しないとなると、それ以前の部分がidealsに含まれるわけにもいかない。端的に言えば、"a universal principle of mankind"は「主権在民("sovereign power resides with the people")」ということだろう。
 このidealsは、"human relationship"をcontrolする機能を持つのだから、その側面の意味の反映を受けるわけだ。すると、"human relationship"とはということに、少し話を持ち越す。
 "human relationship"は難しいと言えば難しいが、人間というのは利害が対立するから司法があると考えれば、それほど難しい概念でもない。刑事的な場合は正義だが、民事的には利害と言っていい。どちらかといえば、ここでは、「利害」の意味を帯びているはずだ。
 が、文脈上は、"the Japanese people desire peace for all time"に関連するから、基本的に、人間の関係というのは、日本人と他民族との争いという意味合いがあるのだろう。
 つまり、各種の理想というツールで、日本人と他の民族間の利害をコントロールする、ということだが、このコントロールは、制御、というより、「抑制」だろう。
 というのは、ふとCDC(米国疾病対策センター)の略語を思い出した。これは、"Centers for Disease Control and Prevention"である。歴史的には別の略語だったようだが、いずれにせよ、日本国憲法のcontrolの含みは、マラリアなどのdisease controlのcontrolに近そうだ。birth controlもこれに近いだろう。時代の語感も近そうだ。
 こうした考えで当時の状況はなにかとぼんやり考えていて、もしかしたら、ウィーナー(Norbert Wiener,1894~1964)じゃないのかと思い至った。サイバネティックスだよな、これって。
 しかし、その主著"Cybernetics or Control and Communication in the Animal and the Machine"が出版されたのは1948年。概念的には1947年と考えてもいいが、完成したサイバネティックス理論が直接日本国憲法に影響したとは考えにくい。
 それでも、ウィーナーは、第二次大戦のために、自動照準器を研究し、そこから、計算機理論・情報理論を開拓して、さらに、動物制御と通信技術を統合していたたので、この時代の知的ヒーローでもあったし、ポリティカルにフリーだったとは到底思えない。
 関連するcivilian controlという言葉のの歴史状況はどうかと言えば、"Civilian Control Agencies"は朝鮮戦争時の"Federal Defense History Program"の一環のようなので、やはりGHQ的な雰囲気のなかにはありそうだ。
 ぼんやりとだが、やはり、ウィーナー的な世界観から、controlling human relationshipという考えができてのであり、それは、ざっくばらんに言えば、人間という動物の制御として国家間平和を考えていたのだろう。
 なんか屁理屈をこいているようだが、Controlの語感としては、そんな時代を反映しているのではないかと思われる。
 問題は、これが我々日本人の憲法であるというとき、"We are deeply conscious of the high ideals controlling human relationship."というのは、どういう意味合いを持つのだろう?
 ちょっとやけっぱちな言い方だが、これは、「オメーら危険なジャプは理想というのを心得て他民族へのちょっかいは自制せいよ」っていうことじゃないだろうか。というのは、高い各種の理想っていうのを他民族に持ち出しても、へぇ、みたいなものだ。朝日新聞がいくら平和と理想を説いても金正日は聞く耳を持たない。
 日本国憲法のスキームでは、太平洋戦争(大東亜戦争だがね)をおっぱじめたのは、政府であって、日本国国民ではない。だが、米国様がこの悪い政府を転覆して、国民が政府を立てられるようにした。だから、今度の政府を使ってまた隣国に悪さをしちゃだめよーん、というのが、"We are deeply conscious of the high ideals controlling human relationship."の含みとしていいように思う。
 これって、正直屈辱感あるよね。っていうか、先日、イラクの民衆意識調査でイラクの人が少なからずアメリカに屈辱感を持っていることが表現されていたが、これは日本とも同じ面があるな。
 日本人は、この屈辱感をどうしても、忌避するから、排除したり、そんなことはないのだぁみたいなオブセッションとしての平和主義になるのだろう。
 ま、でも、それって、やっぱ、屈辱だよね。でも、日本民衆はあの戦争阻止できもしなったんだしねと考えると、しかたないっか、っていう気にはなる。英語の日本国憲法のこの部分は、要するに諸外国には、「ごめんねぇ」というニュアンスに聞こえるのだろう。しかたなよね。

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コメント

2chの若者なんかには、負けちゃったんだからやむを得ないね、みたいなことをさらっと言う香具師がけっこういますね。それとセットで、卑屈にねじくれたじじいどもをなんとか汁!ですか。

まあ分かるというか、あっさりとして何か気持ちいいです。

投稿: a watcher | 2004.03.30 13:53

a watcherさん、ども。「あっさり」というのは、なんとなくわかる気もします。と、同時に、それはけっこう知識化してもいるのだろうな、と。だから、歴史に対する身体的な感性っていうのかはないのでしょうね。それをどうせい、とは単純には言えないけど、少なくとも、戦争を体験した人間から学ぶというのは欠けているというか、あるいは、そこが別のサヨの言説になっちゃっているわけです。

投稿: finalvent | 2004.03.30 16:36

こんばんわ。
「...少なくとも、戦争を体験した人間から学ぶというのは欠けているというか、あるいは、そこが別のサヨの言説になっちゃってるわけです。」
このコメントには唸っちゃいましたです。

戦争の話題に対して、隣の親父は極めて意気軒昂、近くの伯父は辛そうでした。ずうっと後で分ったのは、隣の親父は大陸で伯父は南方でした。勝ち戦と負け戦の差はここいらにも出てますですね。ま、双方下っ端兵隊でしたから、来歴とかの話は決して出ないので若造が分りようがないのですが。伯父は死ぬまで定期的なマラリアの発作に苦しんでましたです。受取るこっちは無知の、教室で朝日ジャーナル回し読みの状況wでして、戦争は「悪い」ことだだけの教育・書籍・新聞から情報のみでイッパ一絡げの聞く耳もたない状況でしたですからね。双方辛かったでしょう。

最近の傾向は「右傾化」なんかじゃ決してないでしょう。具体的なイメージで身近な人達の経験を感じとろうとしてるんだと思うのですネ。ただ若い時に仕込まれたというか感じたことを覆すのは結構努力が必要でしてですね。

そういう意味でも、早く世代交代した方がよさそうですw。

投稿: shibu | 2004.04.01 20:19

こんばんは! とっても興味を持って拝読させていただきました。

突然割り込みまして申し訳ないのですが、憲法の深い議論を展開されている皆さんの中で、小熊英二さんの「〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性」を読まれた方はいらっしゃいますでしょうか? 今の日本を憂慮されている皆さんに、ぜひこの非常に評判の高い本のご感想をお伺いしたいのですが。

投稿: kyoko-m | 2004.04.01 20:54

shibuさん、どもです。だいたい私(S32)が戦争体験を聞かされた最後の世代かもしれません。これは、今思うと歴史を刻まれたっていうことなんですよね。本当に戦地にあった人間のある感覚っていうのが、あるわけです。もちろん、両義的です。
 話は違いますが、昨日NHKの歴史物で沖縄戦の話があって、悲惨は悲惨です。ただ、あのストーリーから漏れた話も現地で暮らしていろいろ知っているんですよ。歴史はむずかしいです。まとまりませんが。

投稿: finalvent | 2004.04.01 21:27

kyoko-mさん、はじめまして。小熊英二のその本は私は読んでいないのです。が、他は読みました。で、あまり高い評価してないんですよ。過去ログでfinalventってやつは、というのをめっけておこらないでくださいね。
 沖縄の歴史について限定すれば、小熊の仕事はわるくないです。ただ、文献だけで構成された、つるんとひんやりした歴史っていう感じがしています。
 このあたりの対比として、過去ログで私が沖縄への、ごつごつと熱いことを書いていたりします。なんか、愚かしいですが。

投稿: finalvent | 2004.04.01 21:30

お返事ありがとうございます!

そうなんですかぁ・・・。私の周りの子はみんな読んでて、すごく評判いいんですけどねえ・・・。

投稿: kyoko-m | 2004.04.01 21:54

kyoko-mさん、こんにちは。えっと、そっちの本、「愛国」はけっこう軽い本では。ある意味、わかりやすいのかもとも思います。

「単一民族神話の起源―〈日本人〉の自画像の系譜」は修論っぽいなと思いました。

「〈日本人〉の境界―沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮植民地支配から復帰運動まで」では、沖縄部分については、自分の知らない話もなく、ふーんという感じで読み飛ばしてしまいました。

沖縄は、現地調査をすると、もっと国粋主義的な運動の機能がわかるので、非出版物なども含めてほしいなとも。手元にもなく、記憶が曖昧だけど、鳥越憲三郎とかに触れていましたっけ。

投稿: finalvent | 2004.04.02 09:11

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