雛祭り余話
今日は三月三日、雛祭りである、と言いたいところだが、これも本来は旧暦で祝う行事。旧暦でなくても不都合がなければいいじゃないかということだろう。桃の節句とも呼ばれるが、新暦では桃の花は咲かない。それよりも気になることがある。この三月三日に行われる祭りの起源に関係した話だ。
旧暦の三月三日は、沖縄では「浜降り(はまうり)」が行われる。今年は四月二十一日になる。浜降りは、菓子やよもぎ餅などを重に詰め最初仏壇に供えた後、浜辺で遊ぶという行事だ。基本的には女の行事である。行事の名称としては那覇などでは「サングゥチサンニチィ(三月三日)」と言う。八重山では「サニジ」と言う。「三の日」だろう。
![]() 失われた海への挽歌 |
以下、表記は私が適当にした。囃子は抜いた。
海ぬちんぼうらぐぁ 逆なやいた立ぃば
足(ひさ)先々 危なやさ海ぬさし草や あん清らさなびく
我身ん里前に 打ち靡く海ぬちんぼうらぐぁ 恋する夜や
辻ぬ姐ぐゎたん 恋すらど辻やいんどー豆 中島や豆腐豆
恋し渡地いふく豆辻ぬいんどー豆 噛でぃんちゃんな兄様達
噛でぃやんちゃしが 味やうびらん
意味は解説しない。私もよくわからないということにしておく(そこのうちなーんちゅ、爆笑しないように!)。滑稽に変えたテルリン・バージョンもある。
このチンボウラを油で炒めて味噌にしたアンダンスーが絶妙にうまい。マチヤグァなんかで売っている三枚肉のアンダンスーとは違う。うちなーんちゅでも食べたことない人も多いようではある(おばぁに作ってもらいなさい)。
話がそれてきたが、浜降りは沖縄の行事だと、うちなーんちゅも思っているので、うちなーびけんな話も出てくる。たとえば、「宮古島ダイビング事件と水産振興」の「沖縄の海面利用と漁業権」にこうある(参照)。
沖縄が他府県と違った海面利用の状況がみられるというのは、事実と思う。身近に感じるのは、旧暦の3月3日に行われる「浜うり」の行事であろう。全県的に行われる様子は、まさに「海はみんなのもの」という県民感情を裏付けている。本土では、このような行為はみられず、地元の漁業者に遠慮する姿勢が一般的である。このような違いはどこからきているのか、これまでの歴史的な背景も踏まえて説明を加えてみたい。
違うのだ。これは、本土にもある。「磯遊び」と呼ばれている。同じく旧暦三月三日の行事だ。浮き世の題材にもなっているようなので、江戸でも盛んだったのだろう。これが現在の、潮干狩りに結びついている。
マイペディアでは「浜降り(はまおり)」の項にこうある。
海辺で禊をすること。全国的に祭の際に見られ,神輿を水中でもむのをこのように呼ぶ所もある。沖縄では特に厳格で,海辺で3日2晩潔斎謹慎したり,親類縁者が集まって浜辺で酒宴を開き,深夜まで歌い踊って遊ぶ等の習俗が見られた。⇒磯遊び
というわけで、「磯遊び」はこうだ。
3月3日に海や山に遊びに出る風習で,もと雛を送ったり祓に水辺に出たりした行事の変化である。雛壇の前でするままごとを磯遊びというところもある。九州西側の沿海地方では雛祭の日に海岸に出て一日遊び暮らし,山口県大島郡などでも同じ日に磯遊びをする。磯祭と称して乙女たちが浜で草餅を食べる風習もある。
類似の民俗は川辺のバージョンとして韓国にもあるようだ。儒教=道教的な行事なのか、海洋民の民俗なのかよくわからない。女が主体になるところも、いま一つわからない。本土の磯遊びと沖縄の浜降りの関係もよくわからない。
重要なのはいずれも旧暦の三月三日とする点で、この日は旧暦の朔日に近いこともあり、大潮に近い。だから、貝が取れる。その意味で、この行事も旧暦でないと本来の意味はない。
中国の行事との関係でいえば、五節句の一つ、旧暦三月初めの巳みの日を祝う上巳(ジョウシ)との関連はある。日本書紀で言えば、顕宗天皇元年三月上巳に曲水の宴が開かれたとある。これが現在に定着するのは、江戸時代に整備された五節句(五節供)による。単純に考えれば、江戸のナショナルホリデーなので、浜辺に遊んだというところだろうか。
私事だが、午前中にぶらっと近所の和菓子屋に行くと、いつもより混んでいた。菓子の種類も多い。「引千切り」もあった。「左近の桜」「右近の橘」という名の菓子もあり、同行の物に知っているかと訊くが知らないらしい。今の高校生は内裏を参観したことはないだろうか。
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