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2004.03.29

自動ドアを敵視するセンス

 コメントとトラックバックへのレスも兼ねてもう一文起こしたい。が、それがこの記事の一番の目的でもない。もう一度、極東ブログ「回転ドア事故雑感」(参照)を書いたときの自分の心情に戻ってみたい。私はこう書いた。


社説の展開はごく常識的なもので、特に異論もない。が、この事件について、私はなにかもやっとした感じがしている。主張というわけでもない。が、その感じを書いてみたい。

 もやっとたした点については、明確には書かなかったが、子供を事故で亡くされた親の気持ちが自分にはとてもつらかった。Nakajimaさんからコメントもいただいたが、私もPL法に少し関わったことがあるので、その観点と他の状況から見て、過失は六本木ヒルズ側にあり、親御さんにはないと判断した。裁判でもそうなるだろう。現在の世相から判断して、まさか自動回転ドアにあれほど恐ろしい罠が潜んでいるとは普通考えづらい。そこは親御さんを責められるわけもない。また、自動回転ドアの危険性は技術的には緩和できるはずだ。問題は、あくまで欠陥した自動回転ドアの問題であり、どちらかといえば特殊なケースだと考えた。
 そのことと、同様の状況における子供の安全について、ただ六本木ヒルズを責める世論の流れに違和感を感じた。それじゃ子供が守り切れない。親たちしっかりしてくれよ、と。
 もちろん、六本木ヒルズみたいな糞を弁護する気なぞさらさらない。余談だが、私が極東ブログの筆者であることを知るわずかな人の一人に、なぜ、俺は批判されているのだろう?と訊いたら、「六本木ヒルズの弁護側に見えるからじゃないの」と言われた。そうなのだろうか。私は六本木ヒルズや三菱ふそうの事件には確かにあまり関心ない。もはやバックレも効かない古典的な悪としてお陀仏しているからだ。
 私は47歳にもなる。子供たちを守りたいと思う。親たちしっかりしてくれ、国家も企業も「正義」すらも、あてになんかならないんだぞと言いたい。「事故というものには本質的に責任は取りきれるものではない」なんて言う頭でっかちさんでは、なにがなんでも子供を守るという気概は持てやしないよ。みなさん、都市内で就学前の子供を引率してごらんなさいな、と思う。人の命を守るっていう場に立ってご覧なさい。理論も糞ない。必死だよ。子供を都市から守る経験をしてみなさい、っていうか、それを親たる年齢の人は学びなさいと思う。そんなことは当たり前だろうと言われるなら、それでもいいのだが。
 しかし、そう言ってしまえば、結局、回り回って、事故の親御さんを傷つけることになるなと思った。どう言ったらいいだろうか。黙るのもなんだしな。ああ、これはセンスの問題として考えてもらえたらいいのかな、と。それであの記事を書いた。
 実は、私も同年代の子供を引率して、大きな自動回転ドアを通した経験がある。その時のことを思い出した。私のセンスはこう働いていた。
 まず、そいつ(自動回転ドア)を見て糞っと思った(この時の俺の眼はたぶん野獣と同じだろう)。私は自動ドアが大嫌いだ。自動ドアというもの自体を敵視している。そして、ある意味、無視している。私のセンスからすれば、自動ドアというのは本質的に糞なシロモノだ。イマージェンシー(緊急時)に開閉困難になる可能性がある。自分のセンスではいつでもコイツは叩き割る気でいる。が、次に、だから、必ずバイパスがあるはずだと瞬間に見回す。私のセンスでは、ドアというのものは自力でこじ開けるものだ。そして、私のセンスでは、ドアというのは本質的に危険なものだ。だから、後続の人の安全を配慮せねばならない。
 しかし、この時、私は、敢えて、子供を引率しつつ、自動回転ドアを通させた。慣れさせるためだ。ここだけでこっそり言うが、私は子供を引率しつつ、安全を配慮しつつ、立ち入り禁止の柵を越えさせることもある。それも慣れさせるためだ。私は柵を壊し、自動ドアをたたき割る意志というものも、それとなく子供たちに伝えたいのだ。暴言だが、盗むことも教えたいくらいだ。
 私のセンスがあれば、おそらく六本木ヒルズでも安全だろう、と思った。今こう書いていて白々しいのだが、そう書くのはためらわれた。だから、センスだけの部分を書いた。通じなかったな。通じるもんじゃないのかもしれないなと思う。通じない責は俺にあるだろうなとも思う。
 前回の暴言部分についてだが、これも通じづらいことだったかなと思う。甘かったなと思うのは、吉本隆明の共同幻想論自体、もはや読まれていない時代なのかもしれない。あるいは、国家幻想と対幻想の違いが「国家」に「家」という字面やその幻想性を漂わせることから、国家との連続性を考えてしまいがちなのだろう。しかし、吉本はこの機序には配慮して説明してはいる。しかし、吉本読めよ、という時代でもない。この点は、俺が時代錯誤だったかな、と思う。
 話が少し逸れる。私は、この事件の詳細が気になる。今朝になって、位置センサーの設定が子供を排除したようになっていたことを知った。それを知って、少し納得する。私の技術屋的な感じでは、この事件は、ちょっとありえないという感じもあり、そのありえないはずがあるのは、かなり特殊なケースのように思えるからだ。くどいが、東海村事故じゃないが、たいていの場合、「ありえない」ことが起きるのは、技術的な非常識が背後にあることが多い。なにがあったのかが知りたい。この点でいうと、敢えて書かなかったし、ここで言っても矛盾になるのだが、自動回転ドアの死角をゼロにするにはかなりの技術が必要で、その技術は飽和していないかなとも思う。
 詳細に関連して、私は子供の行動パターンに関心を持つほうなので、今回の状況にその点からも疑問点がある。なぜ、頭が事故部位なのか。もちろん、子供は頭から突っ込むことはあるのだが、それでも、子供も動物的な勘として、頭だけが通れる動的な隙間に身体まで突っ込むとは私には考えにくい。身長と事故位置が10センチ違うので、転んだでもないのだろうが、率直なところ状況にはもう一つ因子があるように疑っている。
 話がおちゃらけるが、蛇足で私流の子供のしかり方を書く。原則は2つ。1、できるだけ叱らない。叱ることで自己充足してない。できるだけ、子供に危険のフィードバックが効くように学習させるためには、ぎりぎりまで叱らない。もう1つは、叱るときは、本気で叱る。理性的に叱らない。本気が通じれば、子供は安心感を持つ。
 もう一つ蛇足。世の中子供と関わらない人が増えてきた。それも生き方だということで是認するのが前提だみたいな表向きの言説だけがふらふらしている。確かに、子供を持つ、育てるというのは、運命もあり、なしたくともなしえない人すらいる。だが、子供の関わることはできる。子供と関わることは、そこに危ねー命があるのだから、こんな難儀なことはない。しかし、それを大人はもっとすべきだと思う。やってみなくちゃわからんことがいろいろあることの重要な一つだ。っていうか、それをすることで、大人になる。もっと、大人語なんか読んでないで、動物的な大人が増えろよと思う。

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コメント

finalvent さん。

私は「世の中100%安全なものなんて無いのだ」といった妙な物分りのよさを引き出しかねないことを、いちばん恐れたのでした。そういう物分りのよさを皆が持ったとたんに、労働安全、職場や街の安全の根本が失われます。
「基本が安全」を獲得すること自体は、「安全科学」の励行で可能なのです。すくなくとも、日本は欧米に遅れまいとして、努力してきました。その努力の集積(モノとココロ)が吹き飛ばされて行くことに、私は堪えられないのでした。

今日の一文で、finalvent さんの仰りたいこと、よく分かりました。乱暴な物言いをしたことを深くお詫びします。

投稿: late_mhk | 2004.03.29 11:25

late_mhkさん、ども。いえ、自分の言い方がまずいんだなとは常思うのですよ。至らないです。今後ともご示唆ください。

投稿: finalvent | 2004.03.29 11:42

え~と、「世の中100%安全なものなんて無い」という考えかたから、「事故が起こってもそれは仕方ないことだ」という結論を導き出すこともできますし、「常に用心する心構えが必要だ」という風に考えることもできると思います。

あきらめのための言い訳ではなく、常にそういう危機感を持っていることが、大切なんじゃないかな、とそういう風に思うのですが。

投稿: らした | 2004.03.29 18:30

>「世の中100%安全なものなんて無い」という考えかたから、「事故が起こってもそれは仕方ないことだ」という結論を導き出すこともできます

私はこっちのほうを採用したいです。

「だからこそ親は注意しなければならない」、というのはもちろんなんですが、finalventさんも書いているとおりそれを強く言うと被害者の親を間接的ではあっても責めてしまうことになります。このような親へのプレッシャーは、これはこれで大きな問題です。

> 世の中子供と関わらない人が増えてきた。それも生き方だということで是認するのが前提だみたいな表向きの言説だけがふらふらしている。

子供を育てるということは社会全体としてコミットすべき大前提であるべきだと思います。だからこそ、親だけに過度なプレッシャーをかけるべきではないのではないか、と思うのです。

親にとって自分の子供が死ぬことはもちろん悲しいことでしょう。でもそもそも子供が死ぬなんてことは、自分ががんに罹るのと同じくらい十分起こりうる事象なんじゃないでしょうか。
極論ですが、3人産んだら1人死んでも仕方がない、くらいの諦観が昔の人にはあったんじゃないかと思います。今の親は、自分の子供があらゆる危険を避けてちゃんと大人になる、ということについて高すぎる期待値を見込んでいないでしょうか。また周りの大人も、親が子供をきちんと成人させることを、あまりに当たり前のこととして捉えていないでしょうか。

「動物的な大人が増えろよ」という台詞の一方には、「子供が死ぬのなんてあたりまえじゃん」という開き直りが必要である気がしています。
といっても、そういう方向に社会が進むことはあまり考えにくいとは思うのですが。

投稿: yuno | 2004.03.31 00:03

yunoさん、ども。この問題のコメントは錯綜するので、あえて控えている面があります。一点気になるのは、「子供が死ぬのなんてあたりまえじゃん」というのは確かに両義的です。自分の祖父母の世代はかならず子供を死なせています。そしてそのことがどういう意味を持つのか、子供・青年ながらに彼らの思いを探ろうとしたことがあります。これは、ある種不思議なものでした。あまり短絡にいうといけないのですが、この事実はある種の神話・信仰的思想を必然させるようです。その意味で、神話・信仰がどういう意味をかつての歴史空間に持っていたのか、思いを新たにします。

投稿: finalvent | 2004.03.31 08:22

関係ない話で恐縮ですが、小学生を小学生たちだけで歩いて通学させるのはどうかと常々思ってます。自分の子だけ自分で送り迎えするというのも手ですが、いじめの元ですし本人も嫌がるでしょう。
米国ではバスで通学です。バスに乗るところまでは親と行きます。子供に大人の目が届いていない瞬間をできるだけ排除するような仕組みです。
ちなみに、十二歳以下の子供をたとえ自宅でも置き去りにしてはいけないという法律もあったりします。大人の目が常に必要ということです。
そういうところに住んでいるからか、日本の親は暢気だなぁ、などと思ってます。自分には関係がないと思っている人が多いんでしょうかね。
システム側で全ての危険を完全に排除することは無理ですし、そのためのコストもバカになりませんが、利便性を捨てるだけで結構安く危険を排除することって、結構あると思います。

投稿: nh | 2004.04.02 17:18

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