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2004.03.28

回転ドア事故雑感

 大手では毎日新聞だけが社説「回転ドア事故 弱者の目線で安全を見直そう」で六本木ヒルズで起きた6歳児の事故を扱っていた。社説の展開はごく常識的なもので、特に異論もない。が、この事件について、私はなにかもやっとした感じがしている。主張というわけでもない。が、その感じを書いてみたい。
 どちらかというと速報のようにこの事件を聞いたとき、安全基準があるだろうから、事件の背景にはなにかディテールがありそうだなと思った。一番気になったのは、子供の行動だった。
 先日、私もひょんなことで、その年代の子供を引率して都心に出かけることがあったのだが、なんどもその子を叱った。その子は、親でもない人に叱られるというのが了解できないような顔をしているのだが、やがて私が本気だということがわかった。それでも、叱る回数は減らない。エスカレーターの乗り方もなっていないわ、地下鉄で電車を待つにもラインを出る。歩道はさっさと歩かない。親はどういうしつけをしているのかと思った。ある意味で、都市部で住んでいても、都市を生きるという生活習慣ができていないのだろう。そんなこともあって、この事件でも子供の行動の問題が背景にあるのでは、と思ったわけだ。
 しかし、後続の情報を知るに、回転ドアに安全基準はないどころか、センサーや動作について安全性の面で欠陥商品であることがわかった。六本木ヒルズなんてリッチかましているが、貧乏臭いシロモノだった。さらに、警察ではこの回転ドアの危険性を知っていたとしか思えないこともわかってきた(この判断は妥当ではなかった。3.30追記参照)。目も当てられないふざけた話だ。さらに、またまた社会ヒステリーのように、回転ドアへの危険視が始まってきているようだ。
 人づての話だが、アメリカの大都市のビルは回転ドアが多いと聞いている。とすれば、それに潜在的な危険があれば、なんらかのトピックになっているに違いない。そう思って、少しサーチしてみたが、重要な安全情報は見つからない。足こぎのスクーターやローラ付きの靴などの危険性などきちんと指摘されているのに、この回転ドアの問題は見あたらなかった。事故は少ないのだろうか。あるいは、自動式ではないのかもしれないのだが。
 自分の経験を思い起こしながらぼんやり考えてみる。なんとなく思うことが3点ほどある。1点目は、日本はなぜこんなに自動ドアが多いのだろうか、ということだ。
 といっても、あまり先進国での経験はないのだが、自動ドアの多さというのは日本特有の文化ではないだろうか。例外は大半のセブンイレブンだが。
 自分の感性はこのあたりもずれているのだが、ドアがあるのに、アクセス権を問わないのは変だという感じがする。日本でも「アクセス」という言葉が定着してきたが、この基本的な意味には、認可ということが含まれている。単純なイメージでいえば、ノックだ。あるいは、May I come in? とかWho's it!という言葉に相当する日本語を聞いたことはないように思う。
 ついでに言えば、私という人間の独自行動かもしれないが、私は開いているドアと閉まっているドアを同じに扱う。多くの人が開いている入り口から入るときでも、私は私の基準で閉じているドアを押すなり引っ張るなりする。ロックされている確率は半分くらいだ。開いているドアということ自体にもやや違和感もある。余談だが、自動改札で切符やカードにエラーがあると、自動的に扉が閉まるが、私はこれは踏み越えていこうかなといつも思う。
 2点目は、なぜ日本人は閉まるドアに駆け込むのだろうか?ということ。これは、正直なところ、私もそれに近いことはするので、あまり違和感ないといえば違和感ない。しかし、他人を見ているに、電車の乗り降りが典型だが、明らかに閉まり出したドアに突進していくケースをよく見る。あの神経はわからない。アジアなどで、よく車に乗りきれない人がなんとかへばりついているのを見かけるが、ああいう感じなのだろうか。
 3点目は、若いころ米国的なカルチャーにいたせいか、ドアで後ろから人が来るときは、私はかならず、その人が来るまで手でドアを押さえる。これは米人なら誰でもすることだ。ほとんど無意識にしている。私も無意識にしている。が、日本人でこれをしている人をあまり見かけない。ただの習慣の違いなのかもしれないので、自分が偉いとも思わない。
 と、つらつら文章を書きながら、ドアというものが元来西洋の文化そのものであるのに、その文化性は日本に定着していないのだな、と思う。良い悪いの問題ではないのだが、日本社会は一見西洋化したように見えて、根幹において西洋化していない。その奇妙なひずみがあちこちで出てくるように思う。今回事故に巻き込まれた子供は痛ましいが、どうやら頭から突っ込んだようだ。英語でいうと、Head firstだ。これには別の意味もあるが、あえて書かない。子供を非難したいわけではないからだ。

追記(同日)
 死んだ子供のことを思うともう一つ強く書けなかったのだが、どうもこの記事は誤読されることになりそうだ。なので、あえてもう少し踏み出した点を追記しておこう。
 この事件は、安全基準がない面を考慮しても、明らかに安全面で施工側や警察に非がある(警察については、この判断は妥当ではなかった。3.30追記参照)。しかし、こうした事件の再発を防ぐという問題で見るなら、こうした企業側・警察側の安全対策では解決されはしない。もし、そう考えるならそれは間違った安全神話を信仰していることになる。一義的には、子供の安全は、親や付き添いの大人が考えなくてはならない。(そしてそれにはセンスが必要になるのだ。)

追記(2003.3.30)
 その後のニュースを点検してみるに、警察がこのドアの危険性を理解していたとまでは断言するのは妥当ではないようだ。ただ、過去に10回も救急車が出動している。また、ビル側も警察が知っているはずだとしている。現状の判断としては、警察がまったく知らないことだったと断定するのもあまり常識的ではないように思える。

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コメント

単純な「安全軽視」であって、ドア文化の問題ではないでしょう。
30件以上の事故があって10回以上も救急車を呼んで、根本改良に着手せず。安全教育を無視した故意のサボタージュです。

森ビルはドア業者からの改善提案を無視したそうです。

出光とかブリジストンとかの工場で信じられない火災が起きたり、今回の六本木ヒルズといい、わが国は基本的な安全思想のない劣等国になったのでしょう。きっと。

「安全」「精密」「不良品ゼロ」、こうしたものを土台に成り立っていたわが国の産業経済も地に落ちたものです。・・・株と円はまた下落するでしょう。少なくとも為政者はそのように自覚すべきです。

投稿: late_mhk | 2004.03.28 12:15

late_mhkさん、こんにちは。私もドア文化の違いがこの事件を起こしたのだと短絡的に言いたいわけでもないのです。また、日本の産業界のたるみだけが問題だとも思わないのです。しいていうと、あるわかりやすい主張に躊躇いを感じるのです。

投稿: finalvent | 2004.03.28 12:30

あ・やっぱぼくも「安全軽視」っていうか「システムへの依存」ってのを感じます

まず、一番気になるのが
「横断歩道などで、明らかに赤になってからわたる人が多い」ということです

あとは、歩道を歩いているときに、人のすれすれの位置を通過していく自転車とか・・

こういうのは「倫理」うんぬんでいっているんじゃないです。
ただ・・「..コイツラ大丈夫なのかな?」と思うことが多いので...

最後は、制度的・法律的に解決するとしても、その時点での安全性軽視の代償は自分に降りかかってくるのに...

なんか・・これはやっぱ謎です

あと、西洋文化ってことに関して言うと、
日本人はエレベータとかあいたときに相手と目が合っても笑いませんよね

投稿: m_um_u | 2004.03.28 13:11

m_um_uさん、ども。これも誤解されやすんだけど、それって「センス」の問題だと思うんですよ。ただ、「センス」っていうとカッコつけたみたいで恥ずかしいんですが。なんつーか、街中で「オメーら、センスないよ、危険」っていう感じですね。

投稿: finalvent | 2004.03.28 15:13

finalvent さん
> しいていうと、あるわかりやすい主張に躊躇いを感じるのです。

森ビルの専務さんも、既に何度も事故が発生したときに、あなたとは違った意味で、「わかりやすい主張」にとまどいを感じてきたのですね。その結果、

「事故がおきたのだから大事故にならないうちにナントカする」

という「わかりやすさ」を拒否したのです。

「事故」と「安全」についての「ヒヤリハットの法則」・・・「ヒヤリハット」どころか、救急車を出動させているにも拘わらず。
http://www.asahi.com/national/update/0327/030.html

これから「再発防止」に努めよう、という問題ではないと思います。「事故が起きたら根本からナントカする」を行うことが出来たのです。にも拘わらず、「事故が起きても責任が回避できるように」の配慮だけがなされていました。
・・・これももしかすると、文明の転換による帰結なのかもしれません。

年功序列終身雇用の企業社会のリストラによって、「企業の名誉にかけて事故を起こさない」という努力目標がなくなってしまったのでしょう?

技術問題として解決できることを、あえて回避するのは何故か?
三菱ふそーの過失と、この六本木ヒルズの過失を、どなたか比較論考してくださらないでしょうか。

(付記)
自分自身と家族の命を守るセンスとは、
次のような文章を読んだら、歯を浮かせ、眉に唾をつけて、グッと子供の手を握って離さない、という人格を養うことでしょうか?

『東京は、ニューヨークやロンドン、パリと肩を並べる国際都市であるにもかかわらず、都市文化の成熟度においては、大きく遅れをとっていると言わざるを得ません。
東京に「文化」の核をつくり、日本を代表する「文化都心」を創出するために計画されたのが「六本木ヒルズ」です。』

投稿: late_mhk | 2004.03.28 17:02

late_mhkさん、ども。
>三菱ふそーの過失と、この六本木ヒルズの過失を、
>どなたか比較論考してくださらないでしょうか。
私はその任ではないのかもしれませんが、私はの考えを述べるなら、過失という点では同じです。しかし、その過失がもたらしうる事故への対処は異なると考えます。
 私の考え過ぎかもしれませんが、late_mhkさんは、私に、あるいは私の考えにある種の敵意を持っておられるように思います。そうなのでしょうか。
 あるいは、端的に私の考えを批判されているのでしょうか。しかし、その批判点が、私にはよく理解できていません。私が理解できる範囲で言うなら、次の問いかけです。
>技術問題として解決できることを、あえて回避するのは
>何故か?
 当の問題が、今回の事故であるとしましょう。すると、この事故は技術的に解決できる問題だと割り切るかですね。私は、そう割り切って考えることはできません。つまり、この回の事故は技術によってのみ解決しうる問題だとは考えていません。
 そう考える理由は、子供が成長する上での全ての潜在的な危険を回避するのは、不可能であり、また、その追及は安全神話に過ぎないと考えます。子供の安全は、第一義に、その子供に責任を持つ大人であるが負うものです。

投稿: finalvent | 2004.03.28 19:54

ちょいと、finalventさんと、late_mhkさんの間に割り込みますよ。
結論からいえば、もし、森ビルと今回の被害者の間で裁判になり、しかもこれまで事故がなかったとしてもこのケースでは製造物責任法(PL法)の規定に従い、メーカー及び森ビルに非があることになり、finalventさんの論は成り立たないと思います。
もし今回の件でメーカー側が、
>子供が成長する上での全ての潜在的な危険を回避するのは、不可能であり、また、その追及は安全神話に過ぎないと考えます。子供の安全は、第一義に、その子供に責任を持つ大人であるが負うものです。
と言う主張を成したとしてもこれは受け入れられないでしょう。
なぜなら、子供がそこを通るのは予め予見できたことであり、それなら、子供が通る場合を予め想定してエレベータやエスカレータ程度の安全装備をつけるのはPL法として当然のことです。ところが今回の場合、その安全システムに欠陥があったのですから、前記の主張は通りません。

もちろんfinalventさんの言うことはわかります。但し、相手はこれは「機械式の回転ドア」です。もしこれが普通のドアでしたら「手を挟んだ」といってもそれはPL法上は利用者の不注意、ですみます。しかし、機械式でしかも重さ1.5tの代物だとそれ以上の設計上の注意が必要とされるはずです。

投稿: F.Nakajima | 2004.03.28 20:56

Nakajimaさん、どもです。も一個、記事書いたのでそっちのも読んでみてください。基本的に、Nakajimaさんのご指摘は了解しているつもりです。

投稿: finalvent | 2004.03.28 21:07

finalvent さん
敵意もなにもありませんよ(笑)。

あなたの筋は、今回の事故がはじめてのものだとすればわかりますが、そうではないということが、昨日あたりからハッキリしているのに、その点を敢えて迂回されているのが、私にはもどかしいだけです。

命を守るのは義務は、子供といえども一義的には子供自身にあります。社会には子供自身が動物的に危険を感じ取れないものがありますから、二義的には親の責任が本人よりも重くなります。finalvent さんの意見となんら相違はありません。

しかし、今回の事故でこの自明の論理を振りかざしても無意味ではないでしょうか?

finalvent さんが例にあげている
電車のホーム、エスカレータなどでは、どう振舞って、落下を避けたり、手足を挟まないようにしたりするかを、子供に教え込みます。

しかし、ビルの入り口が「命を落とすかも知れない危険物である」ことを、親は予見し得たでしょうか?子供にそれを予見させるように躾ることができたでしょうか?
(涼君の死を知った今なら、それをしなくてはなりませんが)

ところがところが、自動回転ドアの危険は誰も予見できなかったのかというと、ビル管理者は既に起こった事故で十分予見できたことが明らかになりました。

finalvent さん
なぜあなたが、その「分かりやすいポイント」から迂回しようとするのか。なにか、逆に意図を感じるのは、うがちすぎでしょうか?
誤解でしたらお許しください。

私自身が親として教訓にしなくてはならないのは、「六本木ヒルズ」的なるものの胡散臭さと危険性について、実に甘い認識であったことを反省すべき、ということに尽きます。

あなたの立論だと、親御さんは涼くんをあそこに連れて行ったこと、ドアが危険であったことを知らずにいたことを、悔いるしかありませんね。


私が子供であったときの私の親は、何処へ行っても「危険」を前提として振舞いました。決して手を離すことを許しませんでした。
私が親となったときには、「安全」を前提として手を離しても良いところを選んで連れて行きました。それだけ、世の中の安心が増大したのです。

手を離しても良い遊園地として、私にはディズニーランドは画期的に映りました。そうした私には、六本木ヒルズの安全性がディズニーランド以下だとは絶対に想像できなかったでしょう。

私もきっと。たのしそうな回転ドアに駆け寄りたい息子の手を、思いっきり離したでしょう。

そうした、暗黙の信頼感を裏切ったことを問題にする以外に、私には方法がありません。

投稿: late_mhk | 2004.03.28 23:22

部分的に共感するところありましたのでトラックバックさせていただきました。

投稿: sa10 | 2004.04.01 19:25

sa10さん、こんにちは。トラックバックから記事を読みました。ドアのもつ文化性とセンスというのは、私の記事では気楽に書いてしまったのですが、なかなか伝わりづらい面はあります。発端となった事件とは別のこととして考えたほうがよかったかもしれないなとも思いつつあります。

投稿: finalvent | 2004.04.01 21:24

回転ドアの事故について、思うところがあり、上のみなさんのご意見、興味深く読ませていただきました。ドアが西洋のものであること、動作の主体が回転を主軸としていて、日本のそれは直線的であることなど、私個人としては感じていたので、同じ意見を拝見できて、心強く思いました。

親の責任を問う意見をお持ちの方も、このサイトに限らず、少しはいらっしゃるようなのですが、死亡事故であることを考えると、それを問うのはあまりにも酷い事、と感じています。

投稿: なおこ | 2004.04.08 18:12

 今更すいません。
他所のリンクから今日来て、ここを初めて拝見いたしましたので、
少し書かせてもらいます。

>電車のホーム、エスカレータなどでは、どう振舞って、落下を避
>けたり、手足を挟まないようにしたりするかを、子供に教え込み
>ます。
>しかし、ビルの入り口が「命を落とすかも知れない危険物であ
>る」ことを、親は予見し得たでしょうか?子供にそれを予見させ
>るように躾ることができたでしょうか?

>親の責任を問う意見をお持ちの方も、このサイトに限らず、少し
>はいらっしゃるようなのですが、死亡事故であることを考える
>と、それを問うのはあまりにも酷い事、と感じています。

 上記引用文のような考えで、親の責任があまりないという意見の方は、どちらかというと感情論というか『亡くなった子供と親御さんが可哀相』的な考え方と、そういう風潮になっている世論的な考えに押された同情的な方が大多数のように見受けられます。
 確かに責任の一旦は確実にあるとはいえ、それ以上の責任(要はほとんど全て)を押し付けられている、森ビルや三和シャッターに対しては、同情はされないのでしょうか?
 だって、大きなドアや扉が危険なのは解りきっていることでしょう?
それが解らなかったというのであれば、その人の危機意識、危険予知ががあまりにも低すぎると言わざるをえないと思います。
 小さな子供が亡くなることは確かに悲しい出来事ですが、こんな言い方も良くないのは解りますが、世界中では一日に何人も死んでいます。今回のも、その大勢の中の一人でしかないのでは…?
『今回のは気をつけたら何とかなった』というのも、その世界サイズにまで拡大したら、言い訳としても通用しませんよね?何故なら、私達がそのことについて日々気にしていたら、世界中で死んでいく人数は少なくとも、もっと少なくなるはずですから。募金しかり、選挙しかり、皆がやれることを最大限にやれば良くなるはずです。ですが、そうなってないという事は私を含めたほとんどの皆がやってないと…。
そうなったら、運が悪かったとしか言い様が無いのでは?
 勘違いする方が絶対でると思いますが、私は森ビルや三和シャッターに全く責任が無かったとは言ってませんし言う気はありません。この2社とも勿論あります。ですが、それと同等に親にも責任があるはずです。
 この亡くなった子供の親御さんや親類縁者、友達やその親などの関係者が恨み、つるし上げようと行動するのはわかります。
ですが全く関係の無い第三者が、それに便乗するのが解らないんです。親にはたいした責任が無いという方、感情論以外での筋道の通った理由や理屈を、誰か教えていただけません?いや、マジで…。

投稿: 大木大 | 2004.04.14 05:00

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