命一つ、娘一人、骨壷一つ
陳水扁が勝った。一昨日「陳水扁が勝つと信じる」(参照)を書いたとき、理性的な判断ではなく、「精神」として、そう確信した。昨晩は欧米のメディアが陳の勝利を伝えるのが異様なほど遅かった。今朝の新聞各紙の社説は産経ですら、腰砕けの内容だった。日本人は政治を遠いものと見るようになった気がする。政治とは人間が作り出すものだ。李登輝がまざまざと見せてくれたのに、見えなくなっていくのだろう。
陳の勝利を聞いたとき、私の心に浮かんだのは「命一つ、娘一人、骨壷一つ」という言葉だった。葉菊蘭(ようきくらん)本人の言葉だと言われているが、本当にそうなのか調べたことはない。彼女はそういうパセッティックな言葉を使うのか少し疑問もある。Googleを引くと民主党大出彰のHPが出てきたが、それだけだった。
葉菊蘭は台湾の活動家鄭南榕(ていなんよう)の妻だ。鄭南榕は宜蘭生まれの外省人二世と紹介されるが、その父は国民党とともにやってきたのではない。日本統治下のことなので、「日本人」だった。鄭は、1980年代当時の国民党政権を批判する言論誌「自由時代」を主宰していた。それは当然毎号、発禁になっていった。出版ということが直接政治活動に結びつく時代でもあった。日本国憲法に明記される「出版の自由」はそういう歴史の臭いを残すものとしてプレス(報道)の訳語として選ばれた。作家池澤夏樹は、芥川賞作品を初めてワープロで書いた作家だが、彼が翻訳業として初めてワープロを持ったとき、これで出版が可能になると喜んだと聞く。
![]() 台湾 |
1989年1月、許世楷津田塾大学政治学教授が起こした「台湾共和国憲法草案」を「自由時代」に掲載したことを理由に、台湾高等検察庁は鄭を反乱罪容疑で、多数の警官を動員して、強行連行しようとしたが、鄭はこれを拒否。自宅の椅子に座ったまま静かに焼身自殺を遂げた。関連する民主化の話は伊藤潔「台湾」に詳しい。
鄭の妻、葉菊蘭は夫の意志を継ぐかたちで、政治運動に関わるようになる。葉は苗栗県郊外の農家に客家人として生まれた。自宅では当然客家語を使うものの、学校では北京語(国語)を流暢に使いこなした。秀才でもあった。政治家になる前は広告やメディアの仕事に就いたこともあり、その経験を活かして客家テレビ創設にも関わった。
葉は1989年、台湾史上初の野党が加わった国政選挙となる立法委員選挙で民進党から立候補し、当選した。選挙の際、彼女は民衆の前に当時8歳の娘とともに現れ、母親としての政治を訴え、夫の鄭のことは持ち出さなかったという。
私は、率直なところ、鄭のような激烈な運動家を理解できない。そして、葉や陳水扁や李登輝のような忍耐強さも自分の遙かに及ばないところだと思う。
私は1998年、台南師範出の沖縄のかたと台南旅行をしたおり、2.28が残す傷跡を当時を経験するかたから聞いた。想像に絶する歴史だった。本来なら教育界の重鎮にあってもおかしくない人たちが生涯冷や飯を食わされた。その一人は「日本人には日本精神がない」と熱弁された。恥ずかしく思った。が、こうして台湾が本当に自立する姿を見ると、それは日本精神ではない、台湾精神なのだと思う。われわれ日本人が静かにその姿を学ぶ時代になったのだ。
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コメント
こんにちは。ハラハラドキドキの一週間でした。19日午前中は僅差で野党連宋かと思ってました。前回は39%対59%ですものね。李登輝さんが注意してた大陸との関り方で小三通なんて密輸公認のような中途半端な方法とっちゃいましたし、背に腹はとの目先利益(中台直行)の攻撃はきつかったと思います。しかし一国二制度の港人治港が「愛国者の香港人」なんてなことになると、こら待てよ踏ん張りところだと思うようになったのかもしれませんです。天秤に載せるもの(馬英九の日帰り出張)が違い過ぎると思うわけですネ。所詮チープレイバー頼みの使い捨て大陸大企業に発展の目はないかも知れないと大企業人は感じるようになったのか、最期まで態度保留でした。しかし1300万票弱の50.1%対49.9%で3万弱差ですか。クビの皮一枚ですネ。次期は経験豊かなおぢいちゃんの言うことよく聞いて、経済の舵取りうまくやって欲しいですね。
国民投票は不成立でしたが、それを阻止しようと中共が自ら日・米・仏捲き込んで逆に国内問題じゃなくしてしまったから、これは大成果でしょう。銃撃事件は黒道炙り出しそうですし、日本でも蛇の頭だか尻尾だかが逮捕されました(1年に1000人平均ってのも凄いですw)し、お互いに極めて良い方向に向かってるのではないでしょうか。直航だってちょいと那覇から上海ホイホイ行けますしね。しかし(家族込みで)100万人も既に大陸で商売やってましたか、台湾人ってタフですね。仰るとおり既に「台湾精神」です。感服仕りました。
投稿: shibu | 2004.03.21 15:35
shibuさん、どもです。なんかお久しぶり。さすがに狙撃については、ちょっと台湾を知っている人間なら陳側近の陰謀とは思えないですよね。しかし、あまり書かなかったのですが、日本や欧米の冷ややかなこと。日本人はやがて中共に土下座してシーレーンを通してもらうのでしょう、って、それまで中共本体はもつか? 金があれば、もつっていう面がありますね。とほほですが。
投稿: finalvent | 2004.03.21 15:59
許世楷教授について、知っている方にちょっと聞いてみたので、少しだけ・・m(_ _)m
(以下そのまま貼り付けます)
許教授は、日本に留学中、院生時代から台湾の独立運動
にかかわり、同志数名とともに日本の警察に逮捕され、起訴
されたことがあります。留学生が政治運動にかかわったという
かどでしたが、津田塾が大胆な人事をやって教員に採用、
大学でも有力教授のお一人でしたが、その後、台湾の大統領
選挙に立候補するために退職されました。大変にすぐれた
先生で、台湾民主共和国という表題の大著を書いておられます。
ただ、許氏が指導された運動は、台湾の国家的独立そのもの
を追求する性格のものですから、中華人民共和国との折り合い
は難しく、あまり票は伸びませんでした。
投稿: m_um_u | 2004.03.21 16:31
m_um_uさん、ども。いいお知り合いがあると見ました。台独も随分性格が変わったように思います。今では正名運動でしょうか。台湾の内実は、実際にはわかりづらい面も多いなと思っています。
投稿: finalvent | 2004.03.21 17:07
今ごろのコメントです。
事情には到底疎いですし政治的な話は得意ではありませんが台湾の総統選挙は非常に気になり書き込んでしまいました。少し前に台湾映画ばかりをみていた時期があったせいかもしれません。僕自身は経済的なことよりもアイデンティティだなんだという子供っぽいことばかり気にしてしまうので陳水扁氏にどうも肩入れしてしまいます。これも子供っぽい感想ですが経済界の圧力に政治が翻弄される姿はあまり美しく見えないのです。
教科書的ですが侯孝賢監督の映画「悲情城市」で本省人の彼らが論じていたのはマルクスだったと記憶してます。国民党政権による弾圧に対する苦しみから大陸の共産主義政権に希望を見出したわけで脱植民化、脱帝国化からきた流れとしては自然に発生したものでしょう。しかし国民党による白色テロルにつながっていきます。だから今の国民党と大陸の距離はなにか不自然な感じです。
あるテレビで台湾では外省人の2世、3世が生まれており彼らの中には台湾人としてもアイデンティティが生まれていて民進党、国民党うんぬんなんてことは薄れてきているみたいなコメントがありました。たしかそのような面はあるでしょうが、陳水扁氏にしても連戦氏にしてもそんな世代ではないと思います。国民は一時休戦で、国際的な孤立や経済の低迷が現在のバランスを生んでいるような気がします。ほんの10数年前まで戒厳令がしかれていた場所でそういう変化を論じてしまうのは僕のスケールでは早すぎますし何故か一度きちんと台湾を主張できる時をみたい気がします。そうしないと2.28はなんだったのかという気がします。
投稿: Tornos | 2004.03.23 19:47
Tornosさん、ども。その感覚わかる気がします。というか、実際にちょっと日本を出ると、ある種の空気を感じるというか。台湾の2.28、済州島の4.3など、どう理解したらいいのか? いきなりイデオロギーに持ち込むつもりはないのだけど、その点、日本の左翼は呑気過ぎたと思うのです。どこかに正しい歴史観なり政治的な立場があると考えすぎたのだ、と。
2.28については、やはり風化は避けられない感じはします。そして、それは良い面もあるのだろうとも思いますね。しかし、北京オリンピックを一つの標準として、この地域の激動は止まらないでしょう。日本にはその覚悟はないように見えます。
投稿: finalvent | 2004.03.24 13:24