九州新幹線開業を巡る雑談
九州新幹線開業について少し雑談のような話を書く。社説としては今朝の毎日新聞「九州新幹線開業 ブレーキなき整備新幹線」がよく書けている。ようは、このまま採算を度外視して新幹線を作っていっていいのかということだ。理詰めで問われれば、いいわけもなかろう。だが、先にも少し触れたが私はこの問題はまるでピントが外れている。日本全土に新幹線が走るのが嬉しくてしかたない。阿呆だなと思う。
「おめめの超特急」こと新幹線が東京大阪間を走ったのは1964年。あの時の興奮は人生何物にも換えられない。私が小学校一年生の時だ。記憶では、幼稚園児の私はブリキでできた新幹線の玩具で遊んでいたのだから、実際の運行開始以前に玩具は出ていたのだろう。後に0系と呼ばれるあれだ。今でもあれが好きだ。100系はちょっと性格が悪そうじゃないか。最近のは、アヒルだか靴だかわからないようなデザインで嫌いだ。工学的には意味があるのだろうし、それなりに美しいと思う人もいるのだろうが、私には関心ない。かくして私も歴史の彼方に追いやられ、消えていくのだ。
新幹線は広軌である。満鉄だ。私の父は朝鮮で満鉄の学校を出て、引き上げ、逓信省に勤めた。国鉄に勤めたかったのだろうが、そうもいかなかった。彼のハイティーン時代のエンジニアリングは満鉄のブレーキ技術だった。そう語った父には、今思うと、今の私より若いのかと泣けるものがあるが、そこには夢があった。新幹線は満鉄の夢だった。プロジェクトXでももちろんテーマになっていたが、偏った話だなとも思った。
新幹線が、自強号となって台湾を横断するのもいいなと夢見る。中国人が理解できるなら、華南の地を行くのもいいだろう。彼らに新幹線の夢が理解できるかな。と、政治だか思想に傾きすぎる歴史語りからすれば、こんな夢は批判の対象だろう。なにかとごちゃごちゃしたこともあるのだろう。
話は少し飛ぶ。私は人生ひょんなことで長く沖縄で暮らすことになり、うちなーんちゅの鉄道の夢のような一端を知ることがあった。沖縄には鉄道はない。戦前は小さい規模だがあった。それを老人たちは懐かしく語る。島が焦土になったこともあるが、米軍統治が長すぎて、もう鉄道に戻ることはなくなった。ある意味、復帰の成功が鉄道の夢を終わりにした。余談の余談のようなものだが、大東島にも鉄道はあったのである。
不況下の今となっては、国鉄債務問題も昔話のようだが、なぜこの債務が関係ない沖縄県民にも課せられているか疑問に思い、過去の本土側の新聞を調べたことがある。意外なことに、当時の国鉄上層部は、この負債を沖縄県民に課すわけにもいかないと認識していたようだ。が、いつのまにかそんな話は消えた。ある種の責任感というのも歴史の産物であり、それを担える人々はそれを担う前に死んでいくのだ。
昨年那覇にモノレールが開通した。沖縄県民の多くは単純に嬉しく思ったものだ。が、ちょっと理性的に考えれば、とんでもないシロモノであることはわかる。本土の人間なら呆気にとられるだろうが、こいつは二両編成なのだ。江ノ電以下と言ってもいいだろう。また、その経路と他の交通網を見たら、どこの馬鹿がこんな路線を考えたのかと呪いたくなるようなものだ。維持するだけでも赤字になる。
が、それでも、鉄道は夢なのだ。国家とは鉄道だと誰か言っていたな。国家は鉄道を敷かなくてはならない、ということはない。それは過ぎ去った歴史の夢だ。
だが、私のような人間はその歴史の微睡みの中に生きている。あまりごりごりと経営的な観点で論じるのではなく、歴史の夢を活かすように、鉄道を活かすことはできないものかと思う。
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コメント
いちおう標準規と広軌は分けるのではないでしょうか。それと、ゲームcivilizationにも、何というか鉄道の夢が込められていましたね。
投稿: a watcher | 2004.03.16 19:41
a watcherさん、ども(新幹線はご同輩かな)。標準軌と広軌は分けるみたいですね。気が付かなかったです。
こんな話がwikiに詳しいとは!
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%99%E6%BA%96%E8%BB%8C
投稿: finalvent | 2004.03.16 19:48