ゲームのこと
ちょっとゲームの話を書く。またも古い話ばかりになりそうなのでできるだけ簡単に切り上げるようにしたい。
今後日本も韓国ばりにオンラインゲームの時代になりそうなので、それに対して、オヤジ界から「ゲーム脳」だの、引き籠もりを増長するだの、しょーもないゲーム批判を見かけることが多くなった。それに合わせて、きまじめな若い世代の反論もよく見かける。どっちが正しいかといえば、反論のほうが正しいのだが、オヤジ界のニーズには合ってないので、同じような議論は繰り返される。そして、早晩、オンラインゲーム中毒の病人が社会問題に浮かび上がり、さらにしょーもない事態になるのだろう。
私はそういう傾向や今後の予想に対してどう考えているかと、なーんも考えていない。テレビが出てきたとき大宅壮一は一億層白痴化などと批判したものだが、実際一億白痴化になってみたが、どうかというと、ただ、そうなっているだけ、ということだ。ゲームでも同じようなものでだろう。
しいて言えば、私はほとんどテレビは見ない。ゲームもしない。本もろくに読まない。別段さして困らない(本については昔の本を読んでいるだけでよいということになるかもしれない)。そういう分衆が各種出現するだろうし、その分衆に社会的にまとまった意識があるわけでもない。ただ、そういう分衆の世界で、より親密な人間への希求は始まるだろうなとは思う。すでにネットやブログの世界にそういう傾向が見えてきている。はてなの顔出しとかもそうかな。ブログの多くは基本的にはそういう分衆の世界に閉じていくだろう。それが悪いことでもなんでもない。ただ、そーゆーこと、というだけだ。
私は二十代の後半(80年代)だが、パソコン・ゲームを中心とした交友を持っていた。ゲーマー? インベーダーゲームからの世代で、そのままパソコンでもゲームをやっていた(BASICゲームの話は省略する)。流しのプログラマとしては86をメインにしていたので、仕事の面では早々にDOSに近い環境に移行していたが、自宅で遊ぶマシンはほぼ最後までPC-88にこだわった(FM音源なので「イース」の音楽がきれいだった)。それからX68000だのMacに移った。PC-98というのは自分の専用マシンとしてはつまらないしろものだった。DOS/VもWindowsもそんな感じはするが、しかたない。
あのころのゲームだが、ハイドライドの解説冊子に、たしか、こういうのを邪道と言う人もいるでしょうが、といった記述があったのを覚えている。批判しているわけではないが、その後の日本のゲームはその「邪道」の上に乗っていたのではないだろうか。他は、ロードランナー風の条件反射的ものか。たまに、倉庫番風なパズルもの。格闘物では、Apple用のアラビアンナイトみたいのが原点のように思うが、名前を忘れた(アラジン?)。シューティング系は3Dが面白い。フライトシミュレーターもそれなりにはまる。
現状のゲームはよくわからない。身近の子供たちがやるのを見てもなにが面白いのかまるでわからない。自分はどうしちまったのかとは、ときたま思う。
MacではCYAN兄弟の初期の作品(HyperCardベース)は楽しかった。"the Manhole"、"Cosmic Osmo"、そして、"Spelunx"。彼らのウィットというかユーモアというかセンスは良かった。ついでなんで、MYSTもほぼ完了までやった。これは絵がきれいだったからだ。ああいう絵だけでも評価できる世界というのは、今でもいいなと思う。他に、それ自体がアートたりうるようなゲームというのもあるのだろうか。"Uru: Ages Beyond Myst"? 気になる。日本語版が出るのか?
パソコン・ゲームをよくやっているのと同じころ、ゲーセンにもよく通った。すでにヴィデオゲームの時代だったが、私は、ピンボールがやりたったのである。あの時代、探すとなかなかシックなピンボールゲームがあって楽しかったものだ。村上春樹の「1973年のピンボール」のような世界である。ちなみに、アマゾンのこの小説の読者評を見たのだが、ピンボールやってみないとこの小説の面白さはわからんと思うよ。
ピンボールの面白さはいろいろあるのだが、その一つはTILTだ。TILTは違反ではない。体重をかけて、腰を入れて、タイミングを見て、台をずんと押す。これってFU*Kっていうやつだろうな。ああいう熱狂が楽しめるゲームというのを私は他に知らない。スポーツだとなんか健全過ぎて萎える。
沖縄から東京に戻ったろ、渋谷とかのゲーセンを覗いて回ったのだが、萎えた。ヴィデオゲームとお子様ばかりだ。沖縄にも北谷などにゲーセンは多いが、東京ならなんとかあると思っていた。ネットで調べるとピンポール台はまだいくつかはあるようだが、ほぼ、ない。一種の骨董品にもなっているようだ。詳しくはわからないのだが、米国の老舗のメーカーもなくなりつつあり、しかも、メンテナンスもできないようだ。
大金持ちになって、広いフロアにお気に入りのピンボールマシンを4台くらいおけたらいいなとも思う。米国人にとって夢というのはそういうものなのだろう。しかし、私は、過ぎたものは過ぎたものだと諦めることにしている。
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コメント
こんばんは
ぼくは(元)ゲーマーなのでコメントさせてもらいますが、
近頃の傾向として、
やはり、ライトユーザー(一般層)向けのゲームが増えたな、と思います
「ゲーム」というか・・プリクラとか、音ゲーですね(ex.「Beat Mania」、「太鼓の達人」)
そういうライトユーザー層を狙ったものが増えたな、と
(でも、ぼくは太鼓の達人好きなんですが..)
でもでも、
極東さんから言わせると、ぼくぐらいの世代のゲームというものが分からないのかもしれませんが..
ぼくらの世代というのはアーケードにおいて「格闘ゲーム」というのが一つのジャンルとして定着した頃だったので..(「ストリートファイターⅡ」なんかが分岐点だと思います)
それ以降は格ゲーの時代がやってきたんですが..
でも、いまはどれみてもたいした進歩が感じられません・・。
全部、シミュラークルって感じ..
21世紀を迎える以前、
ぼくは、「・・次のゲームは3Dバーチャルものかも!(五感を全てバーチャルリアリティに変換するタイプの、コクピット入室型ゲーム)」、とひそかに期待したのですが・・。
日本では最有力な感じだったセガがこけてしまったし..
ほかのメーカーではそういうタイプのゲームは作らないだろうし..
・・ちょっと、悲観的になっています
「ゲームの純粋な楽しさ」みたいなものでは任天堂のそれに最も期待をしているのですが..
(ちなみに、ぼくのゲームの原風景はスーパーマリオブラザーズです (^^;))
投稿: m_um_u | 2004.03.02 21:37
> Apple用のアラビアンナイトみたいの
プリンスオブペルシャ?
投稿: i | 2004.03.02 22:04
私の住んでいるのは大阪ですが、いまだに場末のゲーセンに行くと見かけますねえ。ピンボール。
大阪人はああいうものに惹かれるようで結構見かけますよ。
投稿: F.Nakajima | 2004.03.02 22:10
私はauの携帯電話を使っています。Brewアプリで、ゼビウスやらインベーダーやらダウンロードできます。30歳を超えると、最新のゲームに対する欲求がなくなって、なんだか昔、お世話になったゲームばかりプレイしてしまいます。
投稿: Asanao | 2004.03.03 01:29
でもです。パソコン通信用語マトコメになってしまいますが、ご容赦。
m_um_uさんのコメントは示唆されるところがいろいろありました。基本的には自分は下の世代のある感覚を共有していないその欠落部分のイヴァリュエーション(ってかたかな書くなよですが「評価」と語感が違うので)に役立ちます。m_um_uさんの期待感は米国のゲーム市場に近いかもしれません。あいつら、大人でもよくゲームやってます。
iさん、ども。そーです。プリンス・オブ・ペルシャです。格ゲーの起点だと思うのですが、あまりそういう話を聞きません。あれは、もいちどやりたいですね。
Nakajimaさん、実は、Nakajimaはなるほど大阪か、と思った(予想が当たった。あるいは広島かとも)のですが、それはさておき、大阪にピンボールがあるというのは朗報です。言われてみるとありそうですね。ちょっと小旅に行きたくなりました、というか、天王寺参りでもしたいです。
Asanoさん、どもです。過去ゲーは確かにオヤジ世代の魅力ですね。昔アニメとかコンビニで売ってる昔コミックとか、やめてくれよなとか思うのですが、ゲームのほうはそれほど違和感ない、のですが、こっちがついてけなくて泣けます。グラディウスなんかモアイ面まで出せないんじゃないか、それに疲れる。あー、こんなとき歳は取りたくねーよって思いますね。俺の歳ぐらいで20歳の女をひっかけるやつがいるのも、リヴェンジでなければ、歳は取りたくねーっつう思いでしょう。しっかし、そーゆーのって本気で醜悪だと思いますね。自分のなかに醜悪が溜まるってのも歳です。ブログに回顧録書いているのもなんだかなですが、とドツボる。
投稿: finalvent | 2004.03.03 09:21
ゲームの話題なので、ついつ投稿しちゃいます。
私は対したゲーマーではないのですが最近のオフゲーのウィット感の
なさには、寂しさをかんじます。とくにRPG系はガンダムとかエヴァ
の流れをひいてるのか青臭いストーリーが主流なとこが、いただけません。
(個人的にですが)
ただネットゲーの進化には凄いものを感じます。
クローズアップ現代での特集が一時話題になり2chなどでも
面白い意見が多くあったのですが、実際みのまわりに会社を辞めたひとだの、
留年しそうな学生などが出現しはじめてきました。
社会現象化以前の問題に、やはり廃人という定義についてはこれからも
注目してみたいです。
投稿: twilight_star (moved) | 2004.03.03 11:14
I/Oとかベーマガの時代を想い起こしました。"硬派"極東ブログで、まさかY'sやMISTの話題が出るとは… うれしなつかしいです。
>早晩、オンラインゲーム中毒の病人が社会問題に
>浮かび上がり、さらにしょーもない事態になるのだろう
彼の国ではもうなってますね(リンク先参照)。
http://japanese.joins.com/html/2003/1219/20031219201424400.html
ひとのふりみて、わがふりなおせ… と言いたいけれど、此の国でもそうなるのだろうな…もうそうなってるのかも。
--
投稿: Dain | 2004.03.03 12:04
twilight_starさん、ども。ネットゲーは、たぶん面白いのだろうなと思います。そっちの世界のほうが自分にしっくりくるという世界かも。で、ふと思ったけど、そういう世界でサービス業とかしてそれなりにお金を得るみたいなことができてもいいのかもしれません、って話がそれました。
投稿: finalvent | 2004.03.03 13:11
Dainさん、ゲーマー?だった自分っていうのはありますね。こういう話はほんとは恥ずかしいかもです。URUはちょっと期待してます。難しいだろうなと。
投稿: finalvent | 2004.03.03 13:12
finalventさんの
> そういう世界でそれなりにお金を得るみたいなこと
UO(Ultima Online)であったみたいですね。
今だとYahooオークションサイトにもたくさんありそう…
http://www.exn.ca/Stories/1999/03/11/04.asp
URUであれ、GADGETであれ、ゲームには(一応の)エンディングがあります。オンラインゲームにはそれが無いことが「社会問題」の原因なのかも。ギャンブルですらタネ銭が尽きるという「エンディング」があるのに。
追記:PCのスペックがアレなのでURUは移植待ちです。PS3?
--
投稿: Dain | 2004.03.03 13:50
…などと書いていたら、
切込隊長BLOGでバッサリと。
http://kiri.jblog.org/archives/000518.html
バッサリされた人。
http://www.mainichi.co.jp/life/kokoro/century/2004/0219.html
finalventさんは首の皮一枚残す斬り口だけど、切込隊長さんはコマ切れになるまでタタキにしてます。
脱線気味ごめんなさい。
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投稿: Dain | 2004.03.03 14:04
Dainさん、ども。切込隊長さんは舌鋒鋭いですね。今週のSPAでは、しかし小倉昌夫は切れなかった。芸者遊びあたりをからかってもしかたないでしょうし。
投稿: finalvent | 2004.03.03 17:19