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2004.03.13

ジーザズ・クライスト・ムービー・スター

 先日、極東ブログ「時代で変わるイエス・キリスト」(参照)を書いたのは、この映画とニューズウィークの評について、新約聖書学と日本人の視点を含めてコメントしておいたほうがいいだろうと思ったからだ。単純な話、ニューズウィークの評が歴史ベースにギブソンの映画を論じている割には、共観福音書もQにも言及していないヘンテコなシロモノ。困ったものだ、ということだった。ニューズウィークとしては特集並の扱いでもあり、また、翻訳にもちと疑問も残るなど、あまりたいした記事ではないなとも思った。
 が、その後、端的に映画として見た評がニューズウィークに掲載された。日本版だと「加熱する『パッション』大論争」(3.10)である。原文もネットで参照できる。オリジナルタイトルは、"Jesus Christ Movie Star"(参照)と洒落ているのに日本版では捨てられたので、私がブログ記事のタイトルとして拾うことにした。洒落の解説は、全回の私の記事を当たってほしい。
 デービット・ゲーツ(David Gates)が書いたこちらの記事はよく出来ていた。記事としては満点というところか。なので、特に口を挟むこともないのだが、いくつか自分なりのメモを書いてもみたい。
 映画「パッション」ではイエスがアラム語を話し、その部分は英語字幕になっているらしい。この点は、アラム語を若い日に研究しようかとも思ったことのある私などはうらやましいと思う。脚本が新約聖書との関係でどのようにアラム語を再構成しているかは気になるところだ。イェレミアスの研究なども参考にされているとしたら、すごいと思う。そこまでいかなくても、この映画で、イエス自身の母語がアラム語であることが英米圏に広まってよかったとは思う。CNNのニュースだったが、アラム語研究の補助金みたいな話もあったかと記憶している。
 R指定の問題は、暴力にナーバスな米社会にはやはり重要な意味をもったようだ。イエスの受難と苦しみについては、神学的にややこしい問題もあるのだが、いずれにせよ受難とは、ブルトマンをひくまでもなく、象徴として見るべきものだ。が、映画では、というか、映像化すれば、残虐シーンになる。まさに、そのことが現在的でもあるわけだ。
 同様に、この映画の存在が、「キリスト教徒である」ということの主張になっているというゲーツの指摘はなかなか鋭い(なお指摘自体はJonathan Bockのコメントから)。
 近代キリスト教徒にとって、キリスト教とは、他宗教との対比で置かれる宗教ではなかった。基本的に他宗教とはエスニックな異教に過ぎない。彼らにとって宗教的な問題とは、デノミネーションズ(denominations)や、国民(国家)宗教としてのキリスト教、あるいは昔ながらの異端との対立ということにすぎなかった。が、9.11によって、世界のキリスト教は結果的にイスラム教との対比に自己相対化を起こしたと言っていいのだろう。ただ、この点については、西洋のキリスト教というのは、近代の始まりにすでにそういうものでもあった。パスカルの「パンセ」など、日本では気の利いた箴言集のように見られているが、あれは、本来は、イスラム神学への対抗を期した組織的な思索となるはずのものだった。
 ゲーツの評のなかで、特にこれはいいなと思ったのは、ジョン・ウェスト神父(Father John West)のコメントを掲載した点だ。


 「神学者の立場で評価するなら、あの映画はあくまで『メル・ギブソン版の受難劇』だ。見るなとは言わないが、注意深く冷静な見方をしてほしい」と、デトロイト大司教の顧問を務めるジョン・ウェスト神父は語る。

 "Speaking as a theologian, well ... what Mel Gibson does is give us the Passion according to Mel Gibson," says Father John West, an adviser to the Archbishop of Detroit and a pastor in suburban Farmington. "I would never tell anybody not to see the movie. But I would caution anyone to watch it carefully and critically."


 日本語では「冷静な」としているが、原語の"critically"に重点を置いてほしい。これは、まさに、そのとおりなのだ。神学を多少なりとも勉強した人間にとっては(余談だが私はキリスト教神学を少し学んだ)、それがカトリックの神学であれ、プロテスタントのそれであれ、ギブソンの映画は「見るなとは言わないが」程度のものだ。奇妙な信仰の地点から、先の私のブログ記事などに反感を持たれても困惑してしまう。と言いつつ、視野の狭い福音派から攻撃も予想されるので、もう少しこの記事から補足しておきたい。誤訳とは言えないが、この翻訳はちとまいった感はあるのだが。

 キリスト教徒は社会グループとして自己主張を開始したのだと、ボックは言う。「キリスト教徒がポップカルチャーの重要な担い手になったのは、ここ数十年間で初めてかもしれない」
 もちろん、リベラルなプロテスタント主流派や、第2バチカン公会議の結論を受け入れるカトリック教徒の多くは、必ずしもギブソンの映画を「自分たちの」信仰の望ましい表現とはみていない。ボックも認めるように、「保守派のキリスト教徒以外の人々にとっては、(『パッション』は)ただの血なまぐさい映画」だ。

Bock, of course, is talking about a certain group of Christians - not liberal mainline Protestants and post-Vatican II Catholics, many of whom may have their doubts about whether "The Passion" is an ideal, or even a desirable, expression of their Christian faith. And, as Bock admits, "if you don't have a relationship with Jesus, I think you just look at it as a gore-fest."


 概ねそのとおりだ。端的に言えば、この映画は、現代キリスト教の信仰などはまるで関係がない。という意味で、こんな映画に信仰の意味づけなどしないでほしいと言いたいくらいなのだ。
 ところで、読み落としていたのだが、以下の和文と英文を比較して欲しい。特に説明しないが、この編集の意図はなんだ?

 だが、キリスト教徒向けの広告会社グレースヒル・メディアのジョナサン・ボックは、ギブソンが先鞭をつけた『パッション』現象はこの先「何度も繰り返される」可能性があると指摘する。
 キリスト教徒は社会グループとして自己主張を開始したのだと、ボックは言う。「キリスト教徒がポップカルチャーの重要な担い手になったのは、ここ数十年間で初めてかもしれない」

But Jonathan Bock, head of Grace Hill Media, a PR firm that markets to Christians, thinks the "Passion" phenomenon can repeat "again and again" now that Gibson's opened the door. Bock calls "The Passion" an "Ellen moment" - Ellen DeGeneres, he means - in which a group of outsiders is embraced by Hollywood. "Christian is the new gay," he says, laughing. "Maybe for the first time since Billy Graham started his Crusades, Christians are involved in something significant in pop culture."


 さて、ゲーツの記事の締めはふるっている。私のブログと同じセンスじゃないか。共感者ここにあり、といったところだ。

 「私は平和ではなく、剣(つるぎ)をもたらすために(地上へ)来たのだ」と、イエス・キリストは言った。その点に関するかぎり、メル・ギブソンは主の言葉に忠実だった。

 Jesus said he came to bring not peace, but a sword; in this if in nothing else, Mel Gibson has proved his disciple.


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アカデミー賞を席巻した「ブレイブハート」の監督、俳優メル・ギブソ\ン。彼が12年もの構\想歳月を費やし、約30億円という私財を投じて完成させた渾身の衝撃作。 [続きを読む]

受信: 2004.03.18 02:34

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