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2004.03.11

「酒鬼薔薇聖斗」事件に思う

 今朝の社説は産経を除いて神戸連続児童殺傷事件を扱っていた。どれもまるで読み応えはない。それを書くことになっていたスペースを無難に埋めた程度だ。執筆者も別に書きたいという思いなどないのだろう。私もこの事件について書きたいかというと、もうなんとなく避けておきたい気もする。そして、心のなかにある種のどんよりとした感じが漂う。やはり少し書いておく。
 社説はどれも、「酒鬼薔薇聖斗」が罪の意識を忘れず甦生されることを願うという展開である。それ以上、新聞の社説に望めるものはないだろう。庶民感覚からすれば、率直に言うのだが、キモイ、じゃすまされねーだろう、といったところか。ただ、日本人大衆の知的レベルは上がっているので、「腫れ物に触らず」「私の身近にいないといいな」くらいものだろう。もっと知的レベルが下がったときに見られるある種の宗教的な大衆の包容力が彼を受け入れるということはないのだろう。もう少し言えば、今の日本の現状では、彼にRFIDでも付けておけみたいなのが社会の本音というところだろう。そこで、この本音と社説的なきれい事の乖離をわれわれはどう抱えていくのかも、気にはなる。
 私は以前、極東ブログ「世界のデジタル・バイドなど:少年事件とは日本社会の崩壊の跫音なのだ」(参照)でこの事件についてこう書いた。


少年事件とは日本社会の崩壊の跫音なのだ
 少年事件と呼ばれる少年の問題は、この10年間さまざまに議論された。私は全然その議論は的を得ていないと思う。そう思うのは、酒鬼薔薇事件が十分に問われていないと思うからだ。私は彼の書いた神曲を引用する脅迫宣言は天才の筆になると読んだ。その文学的な闇がなぜ問われないのかと思う。大人は左右陣営とも、はなから彼を子供として見ているが、君たちより優れた文学者がそこにいたのだ。文学とはそこまで狂気と暴力を内包していることを社会は忘れていると、というか、現代に悪霊が書けるほど強い文学者がいないのだ。

 今でもこの意識は変わらない。そこにネチャーエフがいるのにドストエフスキーがいないのだ。もちろん、酒鬼薔薇聖斗はネチャーエフのような「理想」が悪霊化したものではない。だが、「悪霊」に変わりはない。われわれの時代は、悪霊に渾身の力を込めて向かい合う文学、そう、本来の意味でのヒューマニティーズの力を失っている。
 もちろん、精神医学的はいろいろ言いうる。統合失調症はほぼ確かではあるだろう。そして、われわれの社会は、「医療」への信頼を介してそれに依存することは正しい。だが、精神医学と称するもののアウトプットは、ひどい言い方をすれば、三流の文学なのだ。
 と、くだを巻いたようなことを言っても、私自身の文学的な力量がなければこれ以上は進めない。
 その後の日本の歴史を見るに、ある意味、酒鬼薔薇聖斗のシミラクルは出現したようでもあり、そうでもないようでもある。「オタク」への非難のようなものも、いつの間にか消費社会のなかに融合された。
 オタクたちは変だとは思わないのだろうか、自分らが知を模倣してその感性を失っていることに。そう私などはいぶかしく思う。だが、今や知がオタクを論じるのである。それは、酒鬼薔薇聖斗の持つ文学的なインパクトを消費社会のなかに緩和し、また、論じるものの知性とやらの階級を作り出している。ああ、醜悪だぜ、と思う。
 私は酒鬼薔薇聖斗の行ったことを擁護する気はない。それを社会に還元したくもない。異常を野放しにした社会をシステム的になんとかしろと小賢しいことをいう気もない。
 私は、本当は、ちょっと言いたいことがある。だが、あえて書かない。もったいぶるわけではない。信仰の領域に入るような気がするからだ。私は私で、彼が甦生してくれと祈るというのではなく、信仰なき私が言うのも変な話だが、神のなされる業を見ていきたいと思う。私は自身の悲痛の叫びに変えて、静かに神に問いかけてもみたいと思う。

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コメント

あ・すみません
ちょっと、ヒヨっちゃった話題です..σ(^^;

でも、意識としてはの大部分は極東さんと共通するところなので、ちょっとだけコメントさせてもらおうと思います

(とういうか、以下のことを書くとちょっと怒られそうな気もするんですが....)

いっそのこと仏門に入れるとかそういうルートとかを用意しといてもいいんじゃないか、ってちょっと思いまして...

いや、というのも、なにも「汚いものは全て隔離すればいい」とかそういう論理ではなくて、本人や関係者一同もそのほうが楽なのでは..と思いまして..

(・・この辺りは推測に過ぎないのでどうともいえないのですが)

心理学的分析でいろいろに削って、親族に説明してもけっきょくのところ「ほんとに改心したか分からない」という疑念はずっとついてくるわけで...(それは社会的視線からもですが)

それだったらまだ、どこぞの寺なりに入って、「一生賭けて償う」という姿勢を貫いたほうが両者のためのような気がして...ぼんやり思ったわけですが..

でも、そこまでいかなくて何らかの救済という意味での信仰は必要なような気がしました(それは両者にとってですが)

投稿: m_um_u | 2004.03.11 12:31

m_um_uさん、ども。m_um_uさんのそういう感性はいいんじゃないかと思いますよ。社説なんかより、よほど普通の感覚だと。ただ、そういう信仰が近代社会には機能しづらいのだろうなとは思います。

投稿: finalvent | 2004.03.11 13:42

瑣末な事ですが、今現在そういう風に(世俗との隔離、一生修行)機能しうる「お寺」ってあるんですかね。

投稿: hatene | 2004.03.11 20:33

hateneさん、ども。永平寺や延暦寺などはいちおうそうかもしれないなとは思います。ただ、ちょっとイメージは違うでしょうね。

あと、宗教的な機能としては、四国遍路などが現在でもそうしたものとしてあるようです。ご参考までに。

「四国遍路」(辰濃和男・岩波新書)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4004307279/fareasetblog-22

この本、朝日新聞臭があるものの、なかなかよい本でした。

投稿: finalvent | 2004.03.12 09:05

少年Aこと東君は無罪だよ。
[神戸少年惨殺事件への疑問 特殊な切断方法はなぜ問われないか]
http://w3sa.netlaputa.com/~gitani/toda2c/shakaiundo.htm
宮崎勤死刑囚も無罪
因みに彼の父は潜水艦の電気技師。潜水艦発射対艦ミサイル·ハープーンの秘密を知るとかなんとか··某右翼雑誌
淳君殺害実行犯疑惑のアジア系外国人2人は新神戸駅裏手山林で首を吊って自殺 ?
2人はアメリカDIA·ソ連KGBの工作員で友人同士。俗に言う二重スパイ
両国を牛耳るロスチャイルドは忠実でない工作員は使い捨て。

投稿: | 2009.08.02 19:26

まさに、そこなんですよね。現在、「精神医学と言うアウトプット」を通して、わざと「3流の文学」にしないと、売れないか異端の目で見られるようになっている。・・・例えば、そうしたバージョンでレマルクの「凱旋門」を現代日本TVドラマ風に書き直すとすると、ケイト・ヘグシュトレームが、ラヴィックを「あなたは悪くない!生き延びるためにやった事だわ!」と力づけて、ACの(?)ジョアンは死んで、ラヴィックは復讐と言う殺人をしたから(!)収容所に行き、ケイト1人が癌に打ち勝ってアメリカへ行く、とかいうストーリーになりそうです。(@_@。・・・どこも分かっちゃいないよお前さん、と私だったらこういう作家(どこの作家?)に言うと思うけど、こうすれば多分売れるよ、って思う。

そういえば、以前ネットで出会った馬鹿に、「ゴッホを認知療法にかけて、ボーダーから救いたかった。・・・そしたら、社会に迷惑をかけない人格になって、さらに立派な絵画を製作していただろう」という人がいたです。・・・んな事したら、ゴッホはただのペンキ屋になっていたと考えるんですが、私は。

投稿: ジュリア | 2009.12.30 12:26

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