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2004.03.09

洪思翊

 韓国ネタはしばし書くまいと思っていたが、書く。頭に血が上りすぎかとも思うし、ディテールを書くほどの知識もないので簡単にする。
 中央日報「【噴水台】親日派『洪思翊』」(参照)で次の文章を読んだとき、脳内血管がぶちっと切れたような感じがした。


 洪思翊が、自らの死の前で詩篇を聞こうとしたのは、戦争犯罪によるものではなかった。彼の内面を苦しめた親日行為を贖罪するためだった。洪思翊にとって、親日は出生の時に持って出た、原罪のようなものだった。

 「親日行為を贖罪するため」と、そこまで言うかよ、と。「日本帝国の将軍だったが、創氏改名は最後まで拒否した」というのなら、ただの歴史の無知だが。
 しかし、その先を読み続けながら、筆者全栄基(チョン・ヨンギ)政治部次長とやらは、なんとか洪思翊の名誉を守ろうとしているのかもしれないとも思った。少なくとも、全は洪への敬意を持っていて、なんとか親日反民族行為の真相調査対象者から洪を守りたいと思ったのだろう。
 百歩譲って「親日行為を贖罪するため」だとしてその歴史を生きた人間としてなにがあり得たのか、全はそのことをわかって書いているのだろうとも思う。
 そう思えば、なんか、涙が出てくる。
 先日、「韓国反日法に唖然とする」(参照)を書いたおり、自分の文章の稚拙さもあったから、単なる反韓感情に取られてしまってもしかたがないとは思った。が、懸念していたのは、むしろ、洪思翊のことだった。そのことはあえて書かなかった。
 洪思翊については、事実上の復刻である、山本七平ライブラリー「洪思翊中将の処刑」に詳しい。とアマゾンを見ると、こちらも絶版か。しかし、この絶版は希望だ。当初の刷りはすべて捌けたのだから。日本の読書人の層の厚みを李登輝は驚嘆を持って語ったが、この書物をきちんと読み通す日本人が少なくはない。と書きつつ、私自身、洪思翊について、山本が書き残したこと以上のことは知らない。
 だが、その書物によって、洪に罪なきことが歴史に刻まれたと信じている。山本七平は、関連するイザヤ・ベンダサン著で本多勝一を批判したことや、鈴木明を支持したことから、徹底的に左翼に極度に嫌われた人間だが、歴史が過ぎていけば、左翼の醜悪をよそに山本の真価が際立つ。しかし、そんな表層的なことはどうでもいい。「洪思翊中将の処刑」という書物の持つ意味だ。もちろん、多様な意味はある。また、読みやすい書物でもない。
 私にとって決定的な意味は、この書物は、洪の無罪を証した書物だということだ。山本は明言していないが、恐らく洪はクリスチャンだったのだろう。そして戦争という罪は罪としてキリストを真似て死んでいったのだろう。神がその無実をいつか明らかにするという希望もあったのに違いない。その願いを山本はきちんと聞き届けていた。山本自身、折に触れ、執拗なほどヨセフスの話を語ったものだが、まさにヨセフスのように神に生かされるという苦難の経験をしたからこそ、罪なきものが世に裁かれていく様を否定してみせたのだろう。
 先の中央日報の全は、次のように牧師の名を明らかにしていない。

 1946年9月26日、フィリピンの刑務所の絞首台。大日本帝国南方軍総司令部の洪思翊(ホン・サイック)中将(当時57歳)は、立ち会った牧師に対し、聖書の詩篇、第51篇を読んでくれと頼んだ。彼は、第2次世界大戦のA級戦犯として判決を受けた。

 片山師である。当時はまだ牧師ではなかったようだ。彼の証言によれば、この詩を読んだのち、心配する片山師にこう言ったという(「洪思翊中将の処刑」より)。

 片山君、何も心配するな。私は悪いことはしなかった。死んだら真直ぐ神様のところに行くよ。僕には自信がある。だから何も心配するな。

 すでに神のもとある者を地に引きずり降ろそうすることはやめよ、と願う。

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コメント

2006-10-12、筑摩から復刊されるらしいです。

c0195 洪思翊中将の処刑 上 下
http://www.chikumashobo.co.jp/kinkan.html

投稿: ペペロンチーノ | 2006.09.05 12:50

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