西武鉄道が総会屋と癒着、で?
今朝の新聞各紙社説の話題は、西武鉄道が総会屋と癒着していたという話題だ。私はあまり関心ないので簡単に触れるだけにする。
各紙ともに「まだ総会屋と癒着していたとは」と呆れてみせるのが、なんか白々しいなという感じがする。このニュースを聞いたとき、私はほとんどなんの驚きもなかった。堤康次郎(つつみやすじろう)の息子じゃないか、なにを世間は驚いているのだ、という感じである。ちょっと面白い歴史の小話でもまた聞けるかなくらいに思った。そのうち、週刊新潮あたりが書いてくれるかなと期待している。
各紙社説を読んでみたが、そういう私のような印象をほのめかしている記述はなかった。なんだか、隔世の感がある。というわけで、あとは全部余談みたいな話だ。
私は堤康次郎についてさして好悪の感は抱かいていない。西武園遊園地の前に立っている銅像を指して、周りに身近のものがいれば、「あれなんだか知ってる?」ととりあえず聞くだけだ。たいていは知らない、という時代になった。あの銅像は悪くないないなとも思う。息子(弟)似てるしな。
柴田翔の「されどわれらが日々」は文庫で古典のようなものだから、絶版にはなってないと思うが、と調べてみると、大丈夫。どころか、けっこう柴田翔の作品が残っていて不思議な感じを受ける。この本は、およそ読書人たるものの必読書だが、六全協など解説を付けたほうがいいのではないか。古い時代の青春小説を読みたいなら石坂洋次郎でも読めばいいのだから。で、「されどわれらが日々」には箱根の国土開発の話が挿話のように入っているのだが、考えてみると、これも「国土開発」という歴史もつ陰影が失われて読まれているのかもしれない。
私事めくが私の父の実家は軽井沢なので、住民であった祖父母などから、国土開発の裏話を聞いて育った。ディテールは忘れたが、子供ながらに爆笑ものの話が多かった。
強盗(五島)慶太みたいな話も、もう歴史の向こうなのだろう。ああいうワイルドな世界は、実は我々の今の世界の裏に貼り付いた歴史でもあるのだ。今回のような西武の事件でも、そういう歴史がときたま、でこぼこフレンズのオーガーラのように戸を開けて覗き込むこともあるだろう。
そういえば、堤康次郎は近江の人だったなと思い出して、ぐぐるとそのようだ。「堤康次郎の略歴-<日本成功研究所>」(参照)というサイトに略歴があった。29歳のときに、「長野県沓掛の開発に着手」とある。そういうことかという感じだ。ところで、このサイト、「偉大な起業家に学ぶ事業創造の理論と哲学」というのが理念らしい。確かに、堤康次郎は偉大な起業家と言っていいのだけど、「学ぶ」のはやめといたほうがいいと思うよ。
追記
猪瀬直樹の「ミカドの肖像」に言及するのを忘れた。が、ま、良く読まれた本なので、追記程度でいいだろう。
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コメント
今日の読売編集手帳が堤康次郎の「武勇伝」を引いていますよ。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20040301ig15.htm
投稿: ts_nito | 2004.03.02 11:43
ts_nitoさん、ども。堤の話、ありますね。「なにがしかの潤色はあるとしても」がよいですね。
投稿: finalvent | 2004.03.02 12:55