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2004.03.07

教育委員会は本質的に地域教育の点では欠陥組織

 社説からは読売新聞の「教育委員会 役割と責任を明確にしよう」が気になったので、少し関連した雑談でも書こうかと思うが、その前に、ひと言だけ。日経新聞社説「巨額介入の次の一手が大切だ」が今朝になってグリーンスパン発言を取り上げていた。あれ?なんで今さらという感じがした。内容は特にない。
 読売新聞社説「教育委員会 役割と責任を明確にしよう」だが、まず冒頭が面白かった。


 新しい土地に人が集まり、町が出来ると、まず学校と教会を建てる。学校の運営には、住民の代表が当たる。アメリカの開拓史を彩る伝統である。
 教育委員会は、教育に対する住民自治の伝統を持つアメリカの制度が戦後、日本に移植されたものだ。

 これは以前PTAの歴史関連で調べて、「あ、そうなのか」と思ったことがある。ただ、アメリカ開拓史というのであれば、教会は宗教、学校は教育という別範疇ではなく、どちらも宗教範疇のようだ。むしろ、教会は、コミュニティセンターというか、まさに行政の場でもある。そういえば、テレビ版の「大草原の小さな家」は今でも再放送されているようだが、若い人たちは見ているのだろうか。歴史を学ぶ点でも面白いのだが、現代アメリカが奇妙に混入してもいて、ちょっと困った点もあるにはある。
 地方の教育委員会に関わったことのない人間は、あれは学校組織の一環だから文科省管轄かと思うのではないか。私も実際にとある交渉をするまで組織がよくわかっていなかった。今でもよくわかっていないのだが、教育委員会とその実質サポートの部分も分かれているようで、後者は市町村と一体化している。いったい、これはなんなのだろうと思う。
 原理的に考えると教育委員会のほうは、市町村から独立しているはずだと思って調べると、あれれだった。このあたりは自分の無知で恥ずかしい。私は高校の英語教師の資格を持っているので採用に関する教育委員会の決定権については知ったつもりでいたのが、逆にいけないかったようだ。で、教育委員会という組織なのだが、特に教育長だが、これって考えてみたら、公選ではない。たいてい校長の天下り先であり、しかも、なにかと市町村レベルの香ばしい政争が関係する。なんだコレである。
 ちょっと基本に戻って字引レベルの話をする。大辞林ではこうだ。

地方の教育行政を処理する機関。都道府県および市(特別区を含む)町村などに設置。大学・私立学校を除いた学校その他の教育機関の管理、学校の組織編制、教材の取り扱い、教育課程、社会教育などに関する事務を扱う。

 なんとなくそう思っているというあたりがぼよーんと書かれている。広辞苑はもう少し面白い。

地方教育行政を担当する機関。都道府県委員会と市町村(特別区・組合)委員会がある。1948年教育委員会法に基づいて成立。初めは公選制であったが、56年任命制となる。

 なるほどねである。やっぱしGHQの名残りらしく、最初は公選であったようだ。56年に任命制となるというわけで、骨抜きになっていったわけだ。というわけで、現状では、読売新聞社説がちょっと基本事項をわざと暈かしている。
 読売の主張はこうだ。

 国と自治体、教委と首長部局の役割と責任は何か。明確な区分けをする論議が中教審には求められる。

 その背景には、現状が違うというのがある。

 本来、地方分権そのものの制度だ。それなのに、地方分権時代の到来を理由として、文部科学省が中央教育審議会に、教委の在り方の見直しを諮問した。歴史の皮肉である。
 教育改革に熱心な自治体に、現行システムへの不満が少なくない。文科省→都道府県教委→市町村教委という“上位下達”の指示系統ができ上がり、独自の施策を実施できないとの不満だ。趣旨と実態の食い違いが、諮問の背景にある。

 しかし、実際には、読売の基本的な認識の間違いと言っていいだろう。確かに、市町村というレベルでは地方分権と言えばいえる。が、すでに公選を廃した段階で地方の民主主義からは迂回し、地方行政下に一元的に組み入れられている。
 話がくどくなるが、発足時には、地方分権、一般行政からの独立、民主公選制という3原則があった。しかし、1956年「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」により教育委員会の委員は地方の首長による任命制に変わった。この時点で、「本来の教育委員会」ではない。しかも、会議は非公開が原則である。歯止めは唯一、任命時の議会承認だが、いかされているとは言えないというか、制度的に非承認はせいぜい不祥事暴露時くらいではないか。
 というわけで、なにもGHQ様が正しいというわけではないが、教育委員会という制度そのものが欠陥というか、あるいは改革不可能というべきか、いずれにせよ、本来の独立した機能は原理的になさない。もっとも、読売の主張のように市町村下という限定でなら、地域の独立性がまったく出せないわけではないのが、そういうものなのだろうか。
 ついで、PTAも同じようで、率直にいえば、こちらは実際には法的な根拠性がないだけ(厳密にはゼロではないようでもあるが)、突っ込むとけっこう醜悪なのだが、この話はまた別の機会にしよう。

追記
 ブログ本文は少し原則論に傾き過ぎたかもしれない。というのは、単純に公選にせよと言いたいわけではない。公選を目指して、準公選とした自治体でも、実際には機能していないようだ。
 中野区の例については「どないなっとんねん(2)」(参照)が興味深かった。

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コメント

こんにちは。
『教育委員会法』で公選制が取り入れられ、その後
『地方教育行政の組織及び運営に関する法律』(昭和31年)
では、
「第4条 委員は、当該地方公共団体の被選挙権を有する
者で、人格が高潔で、教育、学術及び文化(以下
単に「教育」という)に関し識見を有する者のうちから、
地方公共団体の長が、議会の同意を得て、任命する。」と
ありますね。
 あ、話は教育長か。『地教行』第十六条で「都道府県に
置かれる教育委員会は、文部大臣の承認を得て、教育長を
任命する」となっています。うちの田舎の県では、県立の
高校がトップをきっていますので、そこの校長が双六の
「あがり」みたいな感じで教育長になっているようです。
見づらい改行すみません。

投稿: mori | 2004.03.07 12:11

それで、参考にした『解説教育六法』三省堂1999だと、
「(前略)選ばれることになった教育委員ではあったが、
教育行政に対する能力の不足と不慣れ、教育行政の中立に
対する選挙民の注意不足による政党その他の政治的
グループの不当な介入、教育を中央集権的に支配しようと
する中央政府などの意図などがあって、それらが、この
公選による教育委員会制度の廃止を促すこととなって
いった(後略)」とありまして、政治的な綱引きに政府が
勝利したということかとも思いますが。

 西部劇みたいにミスクレメンタインが開拓村でプラプラ
していると、町長が「あんたに、うちの子供達の先生に
なってもらいたいんじゃ」とかいってバッヂを渡し……
たら保安官ですね。ええと、お教室をつくっちゃう、なん
てことが日本にはありえるのか、というか教育者が民間に
職ももたずプラプラしているものなのでしょうか。

投稿: mori | 2004.03.07 12:21

moriさん、詳しいインフォありがとうございます。最後のご指摘のところ、「教育者が民間に職ももたずプラプラしているものなのでしょうか。」について、そうだよなと思いつつ、少し買い物をしていると、ふと、いや、いるんじゃないか、と思うようになりました。

ちょっと暴論めきますが、いわゆる教育者ではなく、ちゃんとした大人が必要なんですよね、今の日本の教育の場では。

と、この先は、現場で苦しんでいるかたに無益な石を投げかけることにもなりかねないので、注意して言わないと言えないので、曖昧に言うのですが、フツーの、実社会の大人の声を響かせるシステムは必要でしょう。現状、その方向にもあるとも言えるかもですが…。

投稿: finalvent | 2004.03.07 17:39

教育委員会が公選制だった時代にどのような問題がありどのような組織(GHQとか政府の省庁とか議員や首長個人と とか)と、どのような争いを繰り返し、なぜ任命制に移行したのかは、客観的に語ってくれる人がいないようですね。

投稿: (anonymous) | 2005.06.13 23:27

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