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2004.02.04

ガストン・ジュリア

 昨日はガストン・ジュリア(Gaston Maurice Julia)の誕生日ということで、Googleのトップのロゴは、ジュリア集合のフラクタル画像を模したものだった(参照)。いかにもGoogle的というべきか、私などには、ある種の時代性を感じた。
 ジュリア自身は1893年2月3日生まれ(1978年3月23日死去)。元号でいうなら明治26年生まれ。古い人だなである(参照)。日本人数学者岡潔(参照)がジュリアのもとで学んでいる。
 「時代性」というのは、ちょうどMacintosh IIが出たころ、という意味だ。確か、1988年だったか。カラーデプスは8bitなので今にしてみると、ちょっとなぁであるが、あの画面を見たときはその美しさに驚いたものだ。CPUも68020で扱いやすい、というか、コンパイラ向き、というか、いかにもMacintoshらしいPascal向きなものだった。
 私は自宅ではSE/30を使っていたので、それにカラーボードを入れて、アメリカからユーザーグループのソフトなどを取り寄せたりしたものだが、この時代、よくジュリア・セットのフラクタル画像を見かけた。
 記憶が曖昧になるが、マンデルブロが話題になったきっかけはなんだっただろうか。ぐぐってみると、エール大のフェローとなったのが1987年とある。その時代かなと思う。ところで、ネットをうろついてめっけた「マンデルブロ集合計算・描画プログラム 」は面白い(参照)。ジュリアではなくマンデルブロなのだが、ただの画像描画ではなく、部分を拡大・再描画できるので、微細部分のフラクタルな様子がよくわかる。こういうのが、中学生くらいで見られるっていうのは、ちょっとうらやましいぞ。
 広中平祐がフィールズ賞を取ったのはぐるってみると1970年。そんなだっただろうか。もうちょっと後だったような気もする。私が高校生のころは、広中の啓蒙書のようなものを読んだものだった。コッホ曲線とかの解説もあった。マイコンが世界に登場するちょっと前だったと思う。
 フラクタルという概念自体はBASICでもモデルにできないことはないので、いろいろ記事が出ていたかな、と思い起こすが、さすがに美と思えたのはMacintosh IIでプログラムしたジュリアだった。
 あの時代、Google技術のコアの人々がおそらく高校生から大学生のころだろう。とするに、私より10歳くらい年下の人たちなのだろうか。日本ではどうだろう。ジュリア・セットとか見て、現在35歳くらいの層は、あの時代だなと、思いあたるのだろうか。
 コッホ曲線で思い出したが、そういえば、あの頃、LOGOやシモア・パパートが話題になったことがあった。LOGOについては、最近とんと話題を聞かない。APLがJになったように(参照)、どっかでこそっと生きているのだろうかと気になってぐぐると、なんというか昔のままのようでもある。安価で高性能なフリーソフトがあるかと探すと、あるにはあるが、どうも時代遅れだなという印象だ。代わりに、学習ソフトとしてけっこうな金額で販売されているのを知って、ちょっととほほな感じがした。
 LOGOやパパートについて解説もしないで、それが学習に向いているか、と話を進めるのもなんだが、いつのまにかまるで状況は変わってしまったなと思う。パパートの連想でケイ(アラン)を連想するのだが、こちらは現在もう少しましなSQUEAKを出している、が、これってむしろオブジェクト志向の思考のためか。Small-talk80などはどうなったのか、調べるのもうっとおしい。余談だが、思考ツールに向いた気の利いたコンピュータ・システムはないだろうか。テキスト処理も以前のDOS時代よりもやりづらくなっている。AWKとLISPをまぜたようなシステムがあれば便利だと思うのだが、どうだろう。
 昔の話が好きな歳になっていけないなと思うが、そういえば、SMC-777にはLOGOが付属しいたと思うが、あれが思い出になって大成した技術者はいるのだろうか。ヘンテコなシンボリック・アセンブラもあったっけな。
 と、ぐぐると、懐かしいものがある(参照)。SMC-777のアイドルだったが聖子だが、すでに娘の歳のほうが上だろうか。1983年。懐かしいなと思う。20年前か。

追記
 日本のWebページにはジュリアについての基礎情報がないようなので、お子様たちのために以下を追記しておく。

ガストン・モーリス・ジュリア(1893-1978) (参照)

 フランスの数学者ガストン・ジュリアは、1980年代以降、カラーグラフィックがパソコンで実現できるようになると、彼が考えたジュリア集合という数学的なアイディアもコンピューター画像として見ることができるようになった。
 ちなみに、ジュリア集合は、

zn+1 = zn2 + c

において、定数c=a+bi に対して|zn|が∞へ発散しないような初期値z0の集合。
 ジュリア集合の画像は、ちょっと見ただけでも植物のような動物のような不思議な印象を与える。全体の姿が細部の姿と同じという特徴をもっているフラクタル画像とよばれるものだ。似たものにマンデルブロー集合というのがある。それとジュリア集合はほとんど同じと言っていい。フラクタル画像が生命体の構造に似てしまうのは、もともと生命というのが、フラクタルに近い構造を持っているからだ。人間は一つの細胞から生まれたものだし、その内部に全ての情報を持っているという点でもフラクタルに近い。
 ジュリア集合は有名だが、ジュリアいう数学者については、Googleをひいてみてもあまり情報はでてこないようだ。もちろん、専門以外ではあまり関心をひかないのかもしれない。
 ジュリアは1983年(明治26年)、フランスの植民地だったアルジェリアの、北西部地中海近い都市シディベルアベスで生まれる。第一次大戦に従軍して負傷。鼻を失う。22歳くらいのことか。後年のジュリアの写真に、鼻を黒く覆った小さな皮のマスクがあるのは、この時の負傷によるものだ。
 25歳ですでに有理関数の研究で著名な数学者となる。この時期の研究ですでにジュリア集合の考えを発表している。もっとも、その後の研究には目立ったものはないとされているが、どうだろう。日本人数学者岡潔はジュリアに学ぶためにフランスに留学した。
 ジュリアは1978年、85歳でパリで死んだ。

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