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2004.02.27

網野善彦の死

 肺癌、享年76歳(参照)。もうそんなお歳だったかと思う。訃報を聞いたとき、心のなかでなにやら、「しまった、しくじった」という思いが湧いた。なにを俺はしくじったのか、と心に問うてみてもよくわからない。奇妙な喪失感がある。
 私は網野史観から影響を、当然、受けた。が、畏れ多いが、ライバル視っていう感じか。父親に対する思いのようなものか。

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異形の王権(新書)
 網野史観が1986年「異形の王権」で論壇に可視になったとき、俺はその歴史の光景は知っているぜ。俺だって山野を歩いて自力でその世界をこじ開けてきたぜと思った。幼い嫉妬心のようなものでもあるが、この世界をこじ開けることが、どのように精神に負担をかけるかはそれなりにわかっていた。世人は網野の結果を受け取ったが、私は網野の見えない努力を信じることができた。なお、できれば「異形の王権」は新書版でないほうを薦めたい。絵に意味があるからだ。
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異形の王権(お薦め)

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日本とは何か
日本の歴史
 「しまった」というこの一つに、網野の最終的な著作がなんだかよくわからないというのがある。論壇的には「異形の王権」ということになるのだろうか。あるいは、概論的にはシリーズの巻頭たる「日本とは何か 日本の歴史」なのか、とも思うが、この本は存外に軽い。軽いという点では三巻にする必要もない岩波新書「日本社会の歴史」も同じだ。網野のこうした概論的な本は金太郎飴的でもある。
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日本の歴史を
よみなおす
 存外に読みやすく面白いのは正続「日本の歴史をよみなおす」だろう。女性論など、今から読めばどってことはないのだろうが、90年代前半には物議を起こしかねた。むしろ、その後の歴史学の女性論や性の問題は、現代思想に引きずられるせいか、糞面白くもない。更級日記すら文献として読むような、感性の枯渇した研究者が小賢しいことをほざいて新書にしてどうするんだ、という感じか。その点、網野は良かった。網野は糞な現代思想などに一度も媚びなかった。網野は古色蒼然たるマルクキストでもあった。遺体は故人の遺志で献体された。
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日本王権論
 死なれてみて、網野著作から一冊だけ選べというなら、対談集というのもなんなのかもしれないが、宮田登と上野千鶴子を交えた「日本王権論」がいいと思う。こんなものがイチオシか言われると網野ファンとしては恥ずかしいのかもしれないが、この対談で網野はいまでもブルーフラッグを振るんだと言っていたのが、泣けるじゃないか。泣けよと思う。この爺にそう言われて泣かないやつに歴史がわかるかよと思う。
 ひどい言い方だがテーマたる天皇制など、どうでもいいと思う。今じゃ魔法使いのお婆さんみたいに干上がった上野千鶴子だが、父親同伴だと、かわいげがあるじゃねーか、ってなこともどうでもいい。網野は宮田登との対談が楽しくて、つい心情を解いたのだ。そういえば、宮田登は早々に死んでしまった。享年63歳。2000年2月のことだ。
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もののけ姫
 二人の対談には「神と資本と女性」「歴史の中で語られてこなかったこと」がある。後者は宮崎駿「もののけ姫」の参考にもなるだろうが、とちとタルイ感はある。余談だが、「もののけ姫」は南方熊楠と熊野の世界がある。
 網野は甲州人である。中沢新一と家系のつながりがあったかと記憶しているのだが、ぐぐってみてもわからない。ま、そんなものぐぐるなってことか。同じく甲州人、林真理子とも関係があったはずだ。甲州人というのは深沢七郎的世界でもある。信州人に近い面も多い。
 かく追悼の思いを書きながら、近年は私は網野自身より、彼が晩年プロデュースした宮本常一のほうに思いが流れて行った。網野がなぜ宮本常一を強調したのかは、私にはわかる。これも恥ずかしい言い方だが、私は網野が見てきたものを見てきたから網野に会えたように、網野が見ようとしたものを見続けたいと思った。
 ふと気になって宮本常一の享年を調べると、73歳(1981)、胃癌。網野より若く死んでいたのかと思う。宮本常一は網野より格段の巨人だった。そう言っても網野は怒るまいと思う。本物のマルキストだけが持つ、強くやさしい笑みを返すのではないか。

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コメント

とても残念です。
彼の本をまともに読んだのは比較的最近のことだったので、大学時代にひょっとして授業を受けるなり知り合いになるチャンスがあったのではなかったかということだけでも残念に思っていたのですが。今後彼のような視点を(いろんなバリエーションで)継ぐ人が続々とあらわれてくれることを期待しています。
ご冥福を祈ります。

投稿: fanannan | 2004.02.28 00:51

fanannanさん、こんにちは。網野は後進をよく育てています。ちょっと行きすぎくらいかも。ある意味、網野史観から網野の感性が抜けていく危機の時代になるような気がします。

投稿: finalvent | 2004.02.28 09:36

奇妙な「喪失感」、確かにそう思います。15年ほど前、朝日新聞社の「日本の歴史」という図鑑型の雑誌(ヘンな表現ですね)の編集委員に彼が加わっていました。網野氏が監修したページは、独特の世界観がビジュアルでわかり、ビギナーにはおすすめだと思います。すでに絶版になっているかも。

投稿: Asanao | 2004.02.28 10:07

Asanaoさん、こんにちは。朝日新聞社の「日本の歴史」は覚えています。あのタイプ以前はよく見かけましたが、最近はどうなのでしょう。考えてみると、日本史にイコロジーというか図像学のような関心を引きつけたのも網野さんの功績というか、宣伝のような気がします。研究自体は網野さん以前にもいろいろあったのですが。

投稿: finalvent | 2004.02.28 10:52

はじめまして、「Silent Majority」というサイトを運営している戸石と申します。
「中沢新一と家系のつながりがあったか」ということでしたが、こちらに叔父甥であったと書かれています。
http://d.hatena.ne.jp/d-sakamata/20040227
また、手違いでトラックバックを二度も送ってしまって申し訳ありません。お手数ですが何かのついでに削除していただけると幸いです。
では、失礼します。

投稿: 戸石 | 2004.02.29 22:27

戸田さん、こんにちは。中沢の指摘ありがとうございました。手元に資料がなくて確認できませんでした。確か、中沢と林真理子は同級生かなんかだとも思うのですが、それも確認できませんでした。

網野の一家の傾向は、甲州、八王子、横浜という日本近代化の線と関係があるようにも思えます。

投稿: finalvent | 2004.03.01 09:32

たびたびすみません、戸石です。
記事を編集した際にこちらの不手際によってトラックバックが再送信されてしまいました。
誠に申し訳ありませんが、お手すきの時にでも削除していただけたら幸いです。
重ね重ねお詫び申し上げます。

>中沢と林真理子は同級生かなんか
意外でした。林真理子は自叙伝風に農村と都会の関係を書いた「葡萄が目にしみる」が印象深かったです。

では、失礼いたします。

投稿: 戸石 | 2004.03.06 18:54

戸石さん、ども。トラックバックは一つ削除しました。林真理子との関係はなんかあったと記憶しているのですが、不確かな情報です。

投稿: finalvent | 2004.03.06 18:59

お邪魔します。あまり語られていないようなので。
岩波から出ていた絵本「河原にできた中世の町」に滲み出ていた網野氏の世界観がとても好きです。

投稿: 眼谷猪三郎 | 2004.04.06 23:40

眼谷さん、こんにちは。「河原にできた中世の町」は絶版のようです。図書館などにはあるだろうと思います。こうした図書サイクルがちょっとうらめしいです。話はちょっと逸れますが、以前、ぶくぶく茶の歴史に関心をもって調べたとき、日本中世のまさに河原に外食のスタンドみたいな機能があるのを知って、ちょっと中世日本のイメージを変えました。

投稿: finalvent | 2004.04.07 08:28

「熱海の海底遺跡保存会」の國次と申します。最近になり網野先生の本にやっと辿り着く事が出来、網野先生の古代から中世における鋭い視点に共感を覚えたばかりでした。太平洋における海洋の交易通行史に一石を投じる大きな湊跡発見を網野先生に報告をと思っている矢先、網野先生の訃報を知りました。この発見がどれ程の重要性を持っていたかを網野先生の口や筆によって紐解いて頂きたかったと、とても残念です。私自身、伊豆は走湯山の力と交易関係を調べている上で、網野先生を失った事は非常に惜しまれます。ご冥福をお祈り致します。

投稿: 國次 秀紀 | 2005.04.26 16:16

久しぶり、網野さんの著書を読んでついぐぐってここにたどりつきました。

あなたの「俺だって山野を歩いて自力でその世界をこじ開けてきたぜと思った。幼い嫉妬心のようなものでもあるが、この世界をこじ開けることが、どのように精神に負担をかけるかはそれなりにわかっていた。」という気持ちに感銘して思わずコメントしています。

最近では、なぜ、俺じゃなく「中沢新一」が網野さんの甥なんだとわけのわからない嫉妬をしています。

投稿: 元祖 | 2008.09.27 15:22

十代の「不登校」と呼ばれたころ、家庭教師の方にすすめられて網野さんの「無縁・公界・楽」を読みました。
たいへん興味深く、また趣味のよいものを味わわせていただいたのと同時に、違和感も残りました。
網野さんが自由というとき、放縦との区別はどうなっているのか。
法に基づかないものを自由と呼んでしまってもよいものか。
金持ちのお坊ちゃんが、貧しい排除されるものにうるわしいファンタジーを夢想した側面もあります。
中世を単調な暗いイメージから脱却させた功績、
日本というものの恣意的な語られ方等を広く知らしめたことには感謝と敬意を表します。
また葬儀を行わなかったこと、古文書を返す旅を新書にして読者にアピールしたことにも、およそ人文学者らしくもない誠実さを感じます。

投稿: ワタリ | 2010.04.20 03:23

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