イラン選挙の落胆
今朝の大きな話題といえば、イラン選挙なのだが、これは前もってわかっていたように保守派の勝利に終わった。圧勝という感じだ。やりきれない思いがするが、なによりこれが現実だ。間違った連想かもしれないが、天安門事件の中国の民主化要求も歴史のかなたに消えた。イランの民主化も同じように消えていくのかもしれないと思う。それは悲観なのか。あるいは、それはそういうものなのか。つまり、民主化が正しいように思うことが幻影なのか。
朝日新聞社説「イラン選挙――民主化の熱気はどこへ」が皮肉な意味でがっかりさせる内容だった。がっかりというのは、反米を書き立てることをちょっと期待した。というのもイランを保守主義に追いつめたのは米国ではないか、と思うのだ。しかし、そうした記述はなく、イランの内政に終始していた。逆になぜだろうと考えるのだがよくわからない。ちょっと狐につままれたような感じがする。
朝日は実は今回の結果を良しとしているのだろうか。指導者ハメネイは、今回の選挙で敗者は米国だと言ってる(参照)。朝日新聞系のニュースをひく。
イランの総選挙(定数290)は22日も開票が続き、すでに圧勝が確実となっている保守派は首都テヘラン(定数30)でも議席を独占する見通しとなり、改革派の惨敗が一層明確となった。最高指導者ハメネイ師は21日夜、国民向けに声明を出し「選挙の敗者は米国とシオニストだ」と述べた。
そういう単純な反米路線に朝日が乗るとまでは受け取れないのだが。なお、毎日新聞社説もとくに言及するべき内容はない。
イランという国をどう考えたらよいのか、難しいと思う。話を難しくしているのは、もちろん核問題であり、それに必然的に関係する米国の問題だ。先日の地震の際にも思ったのだが、イランを国際的に孤立させてイランの民衆を苦しませるだけの意味があるのか私にはよくわからない。もっと援助を広げるべきなのではないかとも思う。
今回の選挙では投票率は50%を越えたものの、イランという国の国民の信頼を勝ち得たものではない。まして、選挙自体がこれは不当と言っていいのではないか。
現実的には、これでさらにイスラム保守回帰するかというえば、私はそうなりえるはずがないと思う。冒頭で天安門事件の連想を書いたが、中国人も利口な者は世界に出ている。イランでも同じだ。残りの若者が国内に残る。中国はそれでも若者にチャンスのような幻影を見せているが、イランにはない。文化的な背景はあるにせよ麻薬なども広がるだろう。
どうもしまりがないが、個々のイラン人は、実際にはこうした国家の動向とは別だし、特に対外的に見えるイラン人は違うだろう。そのあたり、民間の有効を深めるくらいしか日本にはできないのではないか。と言いつつ、ニューズウィーク日本版に言われるまでもなく、まさにそこがなぁという状況でもある。
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