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2004.02.18

数学とは何か

 迷宮旅行社「数学とは何か(というほどのこと)」(参照)を読みながら、よく書けたエッセイなのだが、ちょこちょこと部分部分には苦笑した。今の若い者は困ったもんだみたいな感じである。が、それ自体はたいしたことではない。むしろ、大学で学ぶべきことを逸したら、大学出てから学んでもいい。先日、池澤夏樹のなんかのエッセイを読んでいたら、彼がごく最近グロタンディエクを知ったという話があり、ずっこけた。それでも、知らないよりはいいことなのだ。
 迷宮旅行社エッセイでは、数学とはなにかということを次の二点にまとめていた。


  • 1つは「数学は現実世界の法則を表わしたものではない」ということ。
  • もう1つ。現代数学が開花するなかで、無限の扱い方も飛躍的に進展したというが、そこにも想像を超えた話があった。

 二点目は無限の濃度(cardinality)のことだ。大学で教わっていないのかと思ったが、ふと、吉本隆明も大学出てフリーターしているころ、遠山啓のもとでこの集合論の基礎を知って驚いたってなことを書いていた。かくいう自分もブルバギ流の数学史の関連でカントールを学んだとき、おもろいやっちゃとか思ったものだ。対角線論法など、中学生でもわかるのだからもっと初等教育で学んでおいてもいいかもしれない。
 だが、そうした細かいテクニカルな問題は実はどうでもいいのだ。ちょっと自分のブログで書いてみたいなと思ったのは、迷宮旅行社エッセイのような数学というのもののイメージについてだ。なお、迷宮旅行社エッセイの批判ではまるでない。誤解されないように。
 日本では、「ゲーデル、エッシャー、バッハ」だの柄谷行人あたりがゲーデルだのと言い出すあたりから、ニューアカの雰囲気のなかで、数学がなんだか、文系的な世界で小洒落たアイテムみたいになってきた。が、どうも私は馴染めないのだ。ゲーデルの不完全性定理とか哲学めかした文脈で持ち出す輩は、元になる自然数論がわかってない。ゲーデルを持ち上げるわりに、その後彼がライプニッツに傾倒する心情もわかっていない。ま、でも、そんなこともどうでもいい。
 重要なのは、数学というのは、我々の社会にとって、まず工学の補助だということだ。私にとっても、数学はまず工学の補助だった。工学を学ぶために数学があった。自慢話のようになるのを恐れるが、私は初等数学を父親から学んだ。父はエンジニアだった。三角関数から微積分の基礎くらいまで小学生の時に理解した。早熟だったわけではない、アマチュア無線の免許が欲しかったからだ。まだ筆記試験の時代だ。共振回路やアンテナの特性など計算しなくてはいけないのである。工学的なニーズがあるから、数学を学んだのだ。
 数学とは、そういう技術屋の道具なのである。そのあたりが、哲学めかした輩も、教育を論じる輩も、とんちんかんなことをよく言うぜ、と思うことが多い。「分数の割り算もできない」とか言うなよと思う。分数に割り算は不要。数学的にもそんな演算は無意味だし、なにより技術屋の数学は合理的でないといけない。
 そこで自分にとって、なにより便利な数学の本の紹介でも書こうかと思って、書架を見ると数学書が少ないのに呆れた。直に学んだこともある野崎昭弘先生の本も、今じゃ一般向けのエッセイがあるくらいだ。と、書架を見ていくと、これだよ、大切な本がちゃんとあるじゃないか。
 矢野健太郎訳補「現代数学百科」である。数学といったら一も二もなくこの本だろ。と思って、ふと、よもや絶版?か。アマゾンをひくと絶版。ああ。
 さすがに古すぎるのか。昭和43年だものな。しかし、こんなに便利な本はねーぞと思う。付録に公式集に加えて数表も載っている。電卓がなくても三角関数や対数がわかる便利なものなのに!というのは今では洒落にしかならない。父親に数学を教わったときの電気磁気の本にもこの数表はあった。こういうのはもう今の時代にはたしかに不要かなとは思う。そういえば、計算尺は現代ではどうなっているのだろう。技術屋が手放すわけもないと思うが。
 現状で絶版であれ、この本の価値は、変わらず矢野健太郎の序のとおりだと思う。

教師は自分自身のみならず学生たちのために、この本の出たことを喜ぶだろう。父兄もまた同様。学窓で学んだ数学への興味がまだまだ残っている人にもうれしい本であろう。私が若かったらとびついて欲しがるだろうし、今でも、書だなに入れておきたい本にはちがいない。

 そのとおりだ。2004年でもそうだ。と言っても、回顧と洒落になってきたが、それにしてもこの本の価値が薄れるわけもない。原典の状況が気になるので見ると、"The Universal Encyclopedia of Mathematics"は、まだちゃんとある。古典だ。
 しかし、「現代数学百科」はできれば訳本のほうがいい。数学の訳語がよくわかるからだ。数学など工学は、できれば、英語で学び直したほうがなにかと便利なものだ。余談だが、技術翻訳の監修で糊口をしのいただときも、辞書用語の関連を知るのに、単純な技術用語辞典より、「現代数学百科」は便利だった。なお、同じく矢野健太郎で共立から「数学小辞典」も出ているが、概要を見るに類書のようだが、こちらの本は私は知らない。
 そういえば、「ヘロンの公式」は載っていたはずだと、「現代数学百科」を見ると、ちゃんとある。私が高校生の時だったが、父は線路設計・監督をしていた。ある日、雑談のおり父が、「直線で囲まれた不定形な土地の面積計算に簡便な方法はないか」というので、私が「ヘロンの公式」を使えばいいと話したことがあった。簡素な式を見せると、これで面積が出るのか、と怪訝そうだったので、私は余弦定理から証明をさらさらと書いた(今の自分はできるだろうか)。それを見て、父は納得した。後日、父は、あれは便利な公式だなと言った。
 そうだ。数学とは、なにより、便利なものでなくてはいけない。

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コメント

こんにちわ。
ノーベル工学賞あったら、日本人ほとんど取っちゃうってな話ですネ。

投稿: shibu | 2004.02.18 16:35

 数学で証明された事は、いつでもどこでも誰でも成り立ちます。ピタゴラスの定理は千年前でも

千年後でも誰が使っても成り立ちます。平行線の公理の成り立つところならばです。数学の定理は

この様に時空を超えた普遍性を持つのです。
 さらに物をアトムまで細かく見ると、同種の原子は正確に同じです。同じ周波数の光も正確に同

じです。同種の分子も正確に同じです。物を細かく見ると、この様に自然数の様に同じ物の数え上

げが成り立つ世界が、基底にあるのです。それゆえ数量や数学が、科学の多様な世界で用いられ、

高精度に成り立つのです。
 また数学自身も論理学に分解してみますと、シェーファーの公準から正確に組み上げられます。

量子論理の速度を除いては、二値論理に還元できます。NORセレクタによって明確に情報に分解

されるのです。離散で有限な範囲では数学は完全であると証明されているのです。

投稿: 地下水 | 2014.01.12 19:00

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