韓国の大相撲興行にふれて
今朝は社説ネタで気になる話題はほとんどなかった。朝日新聞社説が「大相撲訪韓――じかに触れ合う面白さ」と韓国で興行中の大相撲について触れているが、せせら笑いを誘うようなものだ。
日本の衛星放送が韓国でも映るようになった90年ごろには、相撲中継がやり玉にあげられ、文化侵略論が高まった。「シルム(韓国相撲)があるのに、子供たちが日本の相撲のまねをするようになった。親日的な人間になってしまう」といわれた。
韓国中央日報記事「<取材日記>わだかまり残る『シルムと相撲』」(参照)も戦後世代の記者なのだろうなと思う。
まず、文化交流の韓国側当事者である民俗シルム関係者が、誰一人招待されなかった。 「行事の参加の是非を問うファックスが1枚届いただけ」と、シルム連盟関係幹部は不快さを隠せずにいる。 相撲の本流であるシルムへの待遇がなってないという思いがある。 植民期に相撲から受けた弾圧も、忘れていないようだった。
一方、ある日本の新聞が最近のコラムで、シルムを「スポーツ刈りにパンツ姿」と書いた。伝統と体系が弱いという彼らの理由からシルムを相撲と同格に扱うことを敬遠する日本人の本音が見え隠れする。
そうしたわだかまりと視点の違いを残したままかけられた、文化交流の最初のボタン。 なにぶんにも、重く冷たい印象だった。
んなこと言われてもよー、みたいな話だ。むしろこの手の制度的な発想を今回の興行は破ったとも言えるのだろう。が、今さら相撲かねとも思う。
関連で面白いなと思ったのは、朝鮮日報記事「【記者手帳】隠された歴史“韓国人横綱”」(参照)だった。
1971年、日本で力士1人が若くして亡くなった。シルム(韓国相撲)の天下壮士にあたる「横綱」玉の海が、急性肝炎で27歳の生涯に幕を閉じた。彼が相撲界を制して1年8カ月目のことだった。
彼の故郷、愛知県には記念館と銅像が建立されたが、彼が「ユン・イギ」という名前を持つ韓国人だったという事実を知っている日本人はほとんどいない。
1979年、57代横綱に昇進した三重の海も、李五郎(イ・オラン)という韓国人だ。相撲界入門直後に帰化した彼は、日本人、石山五郎になった。日本のメディアはこのような事実を一切取り上げなかった。日本の国技の頂点に韓国人が上り詰めたことを認めたくなかったのかもしれない。
というわけで、高信太郎は日本人ではないということになった。「おもろい韓国人―愛があるから、ここまで言える」を韓国人に読ませたいなと思う。キョッポは都合のいいとき名誉ある韓国人なのだ。また、日本に帰化したら日本人だよ。それ以上にメディアが私生活に立ち入るべきなのか。
話は変わる。沖縄には伝統的な「沖縄角力」というものがある。「沖縄角力」のホームページ(参照)に写真と簡単な説明がある。ついでにもう一つ池澤夏樹がさらっと書いた「沖縄角力(おきなわすもう)」(参照)の話もある。現地では現在子供も祭りではシマ(沖縄角力)をやる。戦前からやっていたようだ。よく見かけた。
モンゴル相撲との関連では「ブフ(相撲)文化から見るモンゴル世界」が示唆深い(参照)。読めば、あれこれ思うことがあるのではないか。
なんか脱力してまとまったことを書く気にならないが、日本人も韓国人ももっと沖縄の文化のことをきちんと考えるべきではないか。沖縄=琉球をパラメーターに入れることで、日韓の各種の問題が違った様相になる。
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コメント
喬胞は都合のいい時だけ名誉韓国人...ズバリです。
帰化したら日本人だよ。(織○○二もw)
渡来したら、日本人さ。
高野新笠だって渡来何代目ですかネ
沖縄なんですけど、「昭和34年5月に法務省入国管理局が公刊した最初の入管白書(『出入国管理とその実態』)」というのを読んでいたら、第二節占領下の出入国管理一、引揚に「二十一年三月に、総司令部は帰国希望者の実態を把握するために、朝鮮人、中国人、台湾人、琉球人の登録を行った。」と書いてあるようですね。
ここでなぜ「琉球人」と出てくるのでしょうかしらん。
投稿: shibu | 2004.02.18 17:25
shibuさん、ども。当時、琉球人は日本人じゃない、ということだったみたいですよ。72年まで、本土行きにパスポートが必要でした。
投稿: finalvent | 2004.02.18 17:48