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2004.02.16

西行忌

 あちゃー。と、呟いてしまった。書けば非難に聞こえるかもしれん。とも思うが、しかし、この話は言及しておいたほうがよさそうだ。最初におことわりしておくが、以下の話、非難の意図はまるでない。ご了解願いたい。
 ネタ元は、余丁町散人先生の今日の話題だ(参照)。


2/16 Today 西行忌 (1190)
西行が死にました。73歳でした。生前望んでいたとおりの時期でした。

   願はくは
   花のしたにて
   春死なん
   そのきさらぎの
   望月の頃 

以来、これにあこがれる人が続出。だから、梶井基次郎は「桜の樹の下には屍体がいっぱい」と喝破したのだと思う。


 今日が西行忌とされることは、間違いとは言えないご時世なので、それはそれでいいのかなと思うが、それに併せて、この歌がくると、ちょっと、困る。冒頭、あちゃーと呟いたのはそれだ。
 エレメンタリーな話を書く。「望月の頃」というのは、「満月の頃」という意味だ。そして、「きさらぎの望月」といえば、これは、如月が二月、そして、満月は十五夜ともいうように、十五日のことだ。だから、「そのきさらぎの望月の頃」と言えば、二月十五日を中心に、せいぜい二月の十三日から十七日くらいのことを指す(ところで現代では十三夜は死語であろうか)。
 新暦になってしまった現代人にはわかりづらいのかもしれないが、旧暦で生きる人間(私がそうだ)にしてみると、旧暦でその月の十五日はかならず満月なのである。旧暦とは月の満ち欠けでできているムーンカレンダーであり、日本人と限らず、アジア人はこの月を見ながら歴史を刻んで生きてきた。
 その意味で、「そのきさらぎの望月の頃」が、新暦の今日であるわけはないのだ。今日は、旧暦の一月二十六日、これから新月に向かうのである。余談だが、新月は朔日、つまり旧暦の一日で、太陽と月と地球の位置関係を想起していただきたいのだが、この日には、日食が起こる可能性がある。そういうわけで、朔日には古代の人は太陽の満ち欠けを気にする。なぜか、太陽は皇帝の運命に関わるからだ。
 話を戻す。新暦の今日の日では、西行の死の情感は薄いのである。また、旧暦を考えれば、「花のしたにて」もわかりやすい今年を例にすれば、旧暦の閏二月十五日は、新暦の四月四日。その日、日本は桜が満開になっているだろう。なお、散人先生に計算していただいたところ、西行が死んだ1190年の旧暦二月十六日は新暦では三月二十三日になる。桜が咲くのである。
 この歌にはもうひとつ背景がある。なぜこの日に死にたかったのかというと、この日が釈迦入滅の涅槃会だからだ。余談だが、涅槃とはニルヴァーナのことだ。知らない人が多くて泣ける。西行は釈迦の涅槃になぞらえて死にたいと思ったのだ。
 実際に西行が死んだのは、旧暦の二月十六日(1190)。というわけで、一日違いはあるものの予言どおりの死に近代人は驚嘆し、西行忌も十五日とするのだが、あの時代に、彼のような僧の人生を考えれば、これは、自殺だろう。といって、服毒などではなく、餓死であったと思われる。
 餓死説は山折哲雄も言っていたが、彼の場合は最近の彼の趣味のようなものだが、私は、西行ゆかりの歌枕である「壺の碑(つぼのいしぶみ)」を想起してそう思う。歌枕がなんであるかは、さすがに面倒臭いの解説しない(高校で教えるのではないか)。
 私は大伴家持の人生に関心を持ち、多賀城へ旅したことがある。そこに、歌枕「壺の碑」があるのだが、これは、近世以降の誤解。壺の碑は、坂上田村麻呂が蝦夷征討を記念して建たと言われ、伝承では青森県上北郡天間林村らしい。これが後世、芭蕉の奥の細道を読めばわかるが、江戸時代には宮城県の多賀城の碑と混同された。
 話の順をとちったが、健脚西行は青森まで旅をしているのである。当然、その風土を見ただろう。風土とは、藤原三代を想起してもいいが、ミイラの文化だ。私は西行はここで、ミイラとしての即身成仏を見ていたのだと思う。

追記(2004.3.3)
 今年は2月が閏月になること、及び散人先生のご提言を合わせて、本文を修正しました。

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コメント

あはは、さっき暦のページで旧暦・新暦換算をやってみました。西行は死んだ1190年2月16日とは新暦では3月23日になるとのことでした。桜が咲いていて当然ですね。小生、むしろ梶井基次郎がどうして「桜の樹の下には屍体がある」といったのかに興味があります。いわれているような「桜の花の妖しいまでの美しさ……」なんかよりも、絶対に西行のことが頭にあったのだと思う。いかが。

投稿: 余丁町散人 | 2004.02.16 20:32

散人先生にまた無粋な話をふっかけたような形になって申し訳ありません。梶井基次郎のそのイメージの由来はわからないのですが、私思うのは、世阿弥の「西行桜」です(辻井喬ではなく)。桜の古木の霊が翁として現れるのですが、これを死者に見立てる感覚ではないかと。坂口安吾の「桜の森の満開の下」も似た仕立てに思います。

投稿: finalvent | 2004.02.16 21:14

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