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2004.02.15

朱子学は道教

 朱子学なんていうものは、道教できまりと思っていたが、ネットをちょっとぐぐってみたら、まだ定説にもなっていないのかと、ちょっと唖然とした。そしてちょっと反省した。こりゃちょっくら世間様にすり寄るべきだったか、なと。
 そう思ったのは、ryoさんの次のコメントだった。


それに朱子学が道教だというのはいったいどっから来てるのですか.超越性の内在という点で禅と似てるというのならまだしも(もちろん朱子は道教も仏教も批判しますけど,一面では相当継承している箇所があるわけです).それこそ(やな言い方ですが)「と」じゃないですか(笑)極言なんていうけど,単に不用意だと思います.

 とご指摘いただいて、あれ、と思ったのだ。
 ただ、ryoさんは、極東ブログのレトリックをお楽しみにならないようなので、ちょっと残念。というのは、次の指摘は、ちょっと、トホホ。

以上の話は実はどうでもよくて,僕は単に読みながら冷笑的に傍観していただけですが,ちょっと今回の話はひっかかる.漢字が表音文字だと強弁されるのはまぁいいとして,だからといって四書五経が無内容だというのはあまりにひどい妄想(笑).そりゃあなたのように音声によって担保されてなければ意味がない,とまでおっしゃるのならば,四書五経が無内容ということになりますが,意味はべつに音声だけで決定されるもんじゃない(まぁソシュールのラングをむちゃくちゃに解釈されてるんだから仕方ないけど.もちろん「正しい」解釈に訓詁学的にこだわるのもくだらないわけですが).

 ありゃま。私は四書五経の評価については、すでに述べていた。以下のように考えているのである。

「極東ブログ: 教養について」参照
 こうした自由七学芸に相当するのは東洋では四書五経である。四書「大学」「中庸」「論語」「孟子」、五経とは「書経」「易経」「詩経」「春秋」「礼記」。大学生になったら、いちおうイントロダクトリーな部分くらいは読んでおけよなとも思うが。そういうと、日本の文脈では「論語」「孟子」がメインになる。だが、重要なのは、「易経」「詩経」なのだ。と言っても空しいが、が、それより重要なのは、「三字経」や「千字文」なのである。

 というわけで、四書五経なんて無内容でもいいのだよというのはレトリックで、日本の大学生はこのくらい教養として読んでおけよと思う。
cover
大学・中庸
 で、その四書五経なのだが、四書「大学」「中庸」「論語」「孟子」だが、こういうセットはもろに朱子学のイデオロギーによるものだ。大学と中庸は、もとは「礼記」にあったものだが、朱子、つまり、朱熹が独立的に抜き出して四書として並べた。並べただけならいいのだが、これに念入りの注を加えた。というか、その注が四書五経の四書の正体なので、この古典を現代注で読んだのでは、四書五経の理解にはならない。というか、四書の理解っていったいなんなのだということになる。この問題は、朝鮮史の理解に波及する。
 この話は、実際に岩波文庫になっている特に「大学・中庸」を読むと面白い。またしても、金谷治先生なのがいいのか軟弱なのかわからないが、先生の訳・解は読みやすい。何より、先生の解釈はよいのである。大学と中庸について。

この両書を朱子学の「四書」の枠の中に置いて読むのは、近世以降の正統的な読み方である。

 そうなのだね。が、この先がふるっている。

 ただ、朱子の解釈に従って忠実に読むというのは、十二世紀の朱子の哲学を学ぶことに他ならない。もちろん、それもそれとして意味のあることではあるが、それでは原典との間で大きな隔たりができる。厳密にいって『大学』と『中庸』とをそれとして正しく読んだことにはならない。

 ということなのだ。この先、金谷治先生は仁斎にふれる。が、それはさておき、「朱子が定めた四書の大学、中庸を朱子の注で読むと、読んだことにならない」と喝破される点が需要だ。そのくらいまでは言っても「と」でもあるまい。
 で、朱子学だ。一般的にはこう言われている。広辞苑を引く。

宋の朱熹によって大成された儒学説。禅学の影響に対抗しつつ、周敦頤に始まり程コウ・程頤などのあとをうけて旧来の儒教経典に大胆な形而上学的新解釈を加えて成立。理気説による宇宙論・存在論、格物致知を基とした実践論を説く。日本には鎌倉時代に伝えられ、江戸時代に普及して、官学として封建社会の中心思想となった。朱学。宋学。道学。

 というのを真に受けると、ryoさんのように「超越性の内在という点で禅と似てるというのならまだしも(もちろん朱子は道教も仏教も批判しますけど,一面では相当継承している箇所があるわけです)」という評価になるし、ふーむ、世間ではそういうことか、となる。茶化しているわけではない。悪意はない。ああ、世間はそうなんだなと当方ちと反省しているのである。
 で、朱子学は道教だという主張を反省するかといえば、しない。するわけない。道教だもの。
 朱熹の「大学章句」が先の岩波文庫に訳文だけ掲載されているのだが、その注がよい。読んでミソっていうくらい。気と質について金谷先生はこう解説する。

朱子の哲学では、あらゆる存在は理と気によって成り立っている。人間はみな理による本性をわりつけられていて(『中庸』の「天命の性」)、それは倫理的には絶対善としての「本然の性」でだれもが共有しているとさるが、他面では気というガス状の流動するものによって人間としての物質性が与えられ、その気と気の凝縮した質とによってもたらされる「気質の性」というものができる。(後略)

cover
世界史の誕生
 冗談?と思うだろう。冗談ではない。金谷先生も真面目だし、むしろ、きちんとまとめてくださって大いに助かる。って、なにに助かるか? つまり、それって、道教じゃん、である。
 朱子学って道教じゃないか。「ガス状の流動するもの」なんて禅にもないし、相当継承しているってなものでもなく、ずばり、道教そのものではないか。
 岡田英弘「世界史の誕生」ではこの状況を史学者として端的に説明している。

道教は、仏教と儒教の教義を総合して、大きな体系を作り上げたが、それをそっくり借りて、術語だけを儒教の教典の熟語で置き換えたものが、宋代に興った新儒学、いわゆる宋学である。宋学を大成したのが南宋時代に生きた朱熹(1130-1200)であった。

 朱子学は道教というわけだ。この珍妙なものがなぜ国家に採用されたかというと、それはその国家が元、つまりモンゴル王朝だったからだ。漢人の宗教に寛容だったからであり、明朝や李朝朝鮮もだらっと引き継いだ。ご存じのとおり、日本人は、そんなものは受け付けなかったのである。

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「歴史」カテゴリの記事

コメント

ふーむ.いいかげんなこと書いてますね.あ,僕の書き込みのことですが.すみません.書き飛ばしました.

アイロニーだというのもよくわかってましたが,そこはなんていうかな,あえてconstativeに読んだというか,つまりアイロニーで書く必要なんてないんちゃうの?と思ったわけです.四書五経が無内容だといって一体どうしたかったのか(笑)単に疑問でした.アイロニーがラディカルなときも当然あるけど,少なくとも僕はこの箇所のあなたの書き方に生理的になじめなかったということ.だからこそベタに読んだわけですが,今から考えると単なるいやがらせっぽいですね.すみません.

ソシュールはあんまり書くとどんどん僕の無知があらわになっていくのでスルーします(笑)ただ,何で音声にそんなにこだわってはるのかは僕にはいまだに謎ですけどね.そこまで重要な話だろうか.

あと,今回の朱子学の件.朱子学に道教が入ってるのは常識でしょう.べつにそれは否定しませんよ.でもだからといって朱子学=道教ということにはならない.それだったら,日本語は漢字を使ってるから中国語だ,というのとたいして変わらないでしょう.道教の語彙が入ってることは事実ですが,それを禅やそれまでの儒教の教義と組み合わせて体系的に整理したのが朱子学なんだから,朱子学=道教というのは安易だと言いたかっただけです.とくに僕が禅にこだわったのは,最近,西田幾多郎や鈴木大拙と朱子学のつながり(あるのかしりませんが)を漠然と考えていたという至極個人的な理由によります.あと,岡田さんは僕も面白いと思いますが,この件に関してはちょっと無理があるんじゃないか.朱子学と道教とどっちが体系的かと言えば,僕は圧倒的に朱子学のほうだと思います.

まぁ岡田さんの見解を鵜呑みにする前に,朱子のテクストを(べつに原文じゃなくとも)直接読むのが一番いいんじゃないですかね.と,かくいう僕も非常にいいかげんですが...

なんか,こういう話はどーも生理的にしんどいし(つまりものを考える喜びがない.事実の確認ばかりで.もちろん教養は重要ですけど),結局今日も軽薄に書き飛ばして終わってしまったので,そろそろ撤退しますね~.

投稿: ryo | 2004.02.15 22:51

ryoさん、どうもです。テクニカルな部分はテクニカルな部分だし、あと、岡田英弘の問題はわからないではないです。ある意味、あれは毒ですね。見解の違いはあってもいいと思いますし、私の書き方のスタイルもよくないなと思う面はあります。反省もするのですが、うまくいかない面もあります(「偉くなるな」っていうヤクザな心情が強いです)。今後ともよろしく。

投稿: finalvent | 2004.02.16 10:37

朱子学は道教か?といったら、「周易本義」のはじめに河図と洛書が掲載されてますから、道教なのだと思います。

出発点を作った周とんい 先生の宇宙論と形而上学なんて、ほとんど道教そのもののようです。

でも、朱子学は道教、といってしまったら、陽明学は禅、ともいってしまえるわけで、すこしむりがあるかなとも思います。

道教というのは、本当に何でもありみたいなもので、陰陽道とも言い換え可能と思いますが、朱子は知的ですから、道教からの借用をきちんと整理したくらいなものなのだろうと思います。

でも、朱子学が多分に道教だからこそ、山崎闇斎が朱子学を利用して、神道の洗練と体系化に応用できたのだろうとは思います。

投稿: 朱子学は道教か? | 2008.12.10 12:46

道教って半分以上が呪術と運命学で構成されていると思うんです。
朱子学は基本的には政治学と倫理学ですから、道教と朱子学は味噌としょうゆくらいには違うと思います。

禅仏教は、基本的には仏陀の悟りを追体験するのが主目的だと思いますが、陽明学は、政治と社会にすごく関心を持っています。陽明学は、単なる修養法ではないはずです。

神道は、神様の名前は日本語ですけど、神道の教理体系の設計図は、どう考えても中国製だと思います。現在の神道の中にウラルアルタイ系のシャーマニズムやポリネシア系のアニミズムの露骨な表現を探し当てるのはひどく難しいような気がします。

キリスト教も、本来のイスラエルのキリスト教は、イスラムに近いのではないでしょうか。ヨーロッパのキリスト教は、ローマカトリックはケルト民族やラテン民族の原始宗教の、プロテスタントはゲルマン民族の原始宗教の面影を色濃く残しているような気がするんです。

そういう言い方をすると、仏教って、はたして宗教なんでしょうか。ヒンドゥー教が本来のインドの宗教で、仏教とかジャイナ教というのは、ギリシャの自然哲学やソフィストの弁論術やソクラテスとその後継者たちの哲学みたいなものが宗教と誤解されているだけのような気もします。そう考えると、仏教というのは、基本的に、信仰すべきものではなく、学習し、研究するのが本来のあり方なのかもしれません。そして、そのほうが、仏教文化圏の社会にとっても仏教はすわりがよいのかもしれません。

投稿: 朱子学は道教か?? | 2008.12.10 13:45

湯島聖堂を外から眺めたり、中に入って参拝したりすると、これは孔子廟ではなく、神道の神社であると説明されてもあまり違和感がないように思われます。

中国の方で、湯島聖堂を、あれは孔子廟ではなく、神道の神社であるといって、非難し、苦情と不服を表明された方がいるという話は、寡聞にして聞いたことがありません。いることはいるのだろうけれど、大きな声になっているのではなかろうと思われます。

神道は、福永光司先生が指摘されたように多分に道教の影響を受けているようですから、朱子学にはすわりがよいのだろうと思われます。

湯島聖堂が神道の神社とよく似ていても、孔子と神農と孟子の祭祀をしていても少しも不自然ではないのだから、やはり、朱子学の本質はどうも道教なのでしょう。

すこし困った話題を取り上げると、じつは、福永先生は、弘法大師についても道教の強い影響を指摘されているのです。真言密教は道教、ともいえなくもないらしいんです。朱子学も華厳仏教の影響を強く受けているのだけれど、弘法大師も華厳仏教の基礎の上に密教を構築しているので、真言宗は、ある意味で、儒教的要素を希薄にしたままで、朱子学を先取りしているみたいです。

真言宗は道教か????という話題には深入りしません。阿含宗は道教か?????と言う話題にはまったく関心がありません。

投稿: 朱子学は道教か??? | 2008.12.11 09:33

中国で、息長く幅広くうけいれられるものの考え方は、間違いなく、道教に立脚しているか、道教から派生しているかです。外来思想の影響はあまり関係ないみたいです。

そんなわけで、毛沢東思想だって、一種の道教でしょう。

中国の人は否定したいと思うけれど、中国が今の中国でいられるのは、間違いなく、インドと日本の影響を受けたから。インドと日本の影響を受けたから、道教も体裁を高級化していけたようなものだと思っています。

これまで、中国にもっとも大きな影響を与えた外部からの影響は、モンゴル人の支配ではなく、宋代にベトナムから導入したチャンパ米の恩恵で、長江下流域で水稲の二期作が可能になったことだと思います。この影響は、まず間違いなく、インドと日本からの影響よりはるかに大きい。

インドと日本の影響を受けなかったら、中国だって、きっと、ロシアとイギリスに分割統治されていたはず。アフリカの分割のように中国も西欧列強に分割されていたと思われます。

そういう言い方をすれば、ヨーロッパ世界だって、イギリスとロシアがあったから、ヨーロッパ世界が今のヨーロッパ世界になれたともいえなくもないと思います。ほとんどのヨーロッパ人は否定したがると思うけれど。

ヨーロッパ人にとっての道教というと、ケルト人のドルイド信仰なんかがそうかな。ドゥンス・スコトゥスのマリア信仰なんていうのは、キリスト教というよりも、スコットランドのケルト人の地母神信仰みたいなものだと思います。

投稿: 毛沢東思想は道教か? | 2008.12.11 13:21

たとえてみれば、朱子学は清酒、道教はどぶろくみたいなものでしょう。神霊もspiritで、アルコール飲料もspiritです。

原始社会には、酒は、世界中どこでも、どぶろくしかなかったはずです。しかもすっぱくなったやつ。
原始社会には、神様は、祖先神と自然神しかなかったはずです。そして、なぜ拝まないといけないのかわからないまま、だれもが親のしていたこととおなじことをしていたと思います。

そのうち、文明と文化が進歩すると、酒は、蒸留酒になったり、麹と酵母で二段発酵させて、あとで酒粕を漉し取るようになったり、ビールも、すっぱくならないうちに発酵を止めて、そのうえ、炭酸をつめて飲みやすくするようになったりしてくる。
神様も、どんどん洗練されて、高級化していく。内容が洗練されていく。ご利益もインフレになっていく。

酒も、夾雑物の多いどぶろくを飲んでるとてきめんに悪酔いをするし、高級酒を飲んでも、飲みすぎれば悪酔いするし、過度に常習すれば、心身の健康をひどく損なう。
宗教も、狸や狐の霊のような動物霊信仰みたいなことをしていると生活に狂いが生じるし、高等宗教だって、狂信者になれば、そいつは世の中にひどく迷惑なやつである。

極左とか、オウム真理教なんていうのはもう、メチルアルコールを水で割ったバクダンみたいなものです。確実に失明して、即座に楽に死ねたらむしろ運がいい、といった代物でしょう。

清酒とどぶろくのたとえのほうが、しょうゆと味噌の比較より、神霊もアルコール飲料もspiritであることから適切だと思いました。

私はビールとワインは好きなんですけれど、finalvent先生はお酒は好きですか?キリスト教には、表向きは、お酒を飲んではいけない戒律はないはずですけれど。

投稿: 清酒とどぶろく(spirit) | 2008.12.11 15:43

古神道というのは、19世紀以降の産物のはずです。平田篤胤とその後継者たちとそれらの人たちに影響を受けた人たちが人為的に構築したもののはず。使っている素材は、平田篤胤が生まれるよりずっと前に現れたのが明らかなものがいくつも入っていても、出来上がったものは近代の産物。そんなわけで、古神道は朱子学的道教的色彩が顕著であると思われます。

一方、修験道は、仏教由来の素材や道具がたくさん使われているけれど、基本構造は、おそらく、漢字伝来、仏教伝来以前の日本土着の山岳信仰の色彩が強いはず。そんなわけで、修験道は仏教から派生したのではなく、日本固有の宗教の色彩が強く、日本土着の山岳信仰が仏教を換骨奪胎して取り込んだものと思われます。

こんなこというと問題があるのだろうけれど、純粋な神道のように思われている教派神道は、朱子学的道教的で、伝統ある禅門である曹洞宗のほうが、道元禅師がはりつけた箔の下にある地金は白山系修験道(永平寺は、もともとは白山系修験道の道場だったものです)なわけだから、日本土着の山岳信仰の色彩が濃厚であろうと推測されます。巣鴨のとげぬき地蔵さんが大勢の老人たちの信仰を強く集めているのも、そういう背景があるからだと思っています。

古神道の本質が朱子学や道教で、むしろ、元来の日本固有の信仰のあり方を素直に反映しているのは、信者さんをたくさん集めている曹洞宗系の名刹のほうだ、そしてその根拠は背景を形成した白山系修験道だ、などというといろいろな方面から嫌がられると思うけれど、そういう考えを出させていただきます。

たとえば、船井幸雄先生の信奉者のかたがたのなかに、「いや、古神道こそ日本神道本来のあり方を具現するものである」と、説得力ある反論を行ってくださる方がいらっしゃってくだされば、こちらもすごく勉強になるので大変ありがたいと思います。

投稿: 古神道と修験道 | 2008.12.21 10:13

むかしは、日本では、女性が穀類を噛んで、その噛み終えた穀類を自然発酵させて、酒を作ったそうです。

それで、夫人はオカミサンなそうで、酒は、醸(かも)してできたものなのだと思います。

噛むと神が関係あるのなら、日本でも、神霊は、spirit(アルコール飲料)だったのでしょう。

そして、カビも、醸すとも神とも関係があったとする考えもあったようです。ウマシアシカビヒコジノカミと言う御神名が古事記に記載されているそうです。発酵とカビの関係も、直感的に理解されていたのだろうと思います。噛むとカビの関係を洞察するのは、こう考えれば、それほど困難ではないと思います。

女性を昔は刀自(とじ)といって、醸造業者の杜氏(とうじ)の語源だそうです。

語源を考えると、いろいろ無縁に思えたことが、いろいろつながってきて、わからなかったことがわかるようになります。

たとえば、現在の韓国語では、山は、「サン」ですが、いのししを「メッテジ」といって、「メッテジ」とは「ヤマブタ」という意味で、「メッ」というのが韓国語の古語の山のことだということがわかります。

私に言わせれば、本当の言霊の研究というのは、こういうことをいうのであって、「ついてる、ありがとう、感謝します」などと、のべつ幕なし口にして、開運を図ることとは無縁のことです。

言霊に関するどちらの考え方が説得力があるかは、それぞれの人の個性に従って決定することであると思われます。

投稿: 噛む | 2008.12.24 10:41

私は、基本的に小林よしのり先生の支持者で、小林先生は社会的に優れた仕事をいくつもしてくださっていると感謝している者なのだけれど、天皇と皇室と神道については、すこし反証らしき話も紹介したほうがよいかなと思われたのでコメントします。

式年遷宮と万葉集に収録された御製の話は疑うべくもありません。また、私自身は、皇后陛下や皇太子殿下に対して「さま」という敬称を用いる連中は不届きなやつらだと考える者です。

でも、普通の日本人が天皇(と皇室)をひどく畏敬するようになったのは、江戸時代の尊王家でもない限りは、日清戦争の勝利の後のはずです。その江戸時代の尊王家たちのイデオロギーも神道ではなく、朱子学のはずです。明治の初めには、天皇陛下のことを犬の狆(チン)になぞらえた落書きをしたものまであったそうです。外国の外交官や軍人には、ここまで自国の君主を見下す国民も珍しいと言う者もあったそうです。江戸の庶民にとっては、えらいのは、皇室ではなく、どこまでもご公儀だったようなのです。

神道についても、教義を持った、宗教らしい神道というと、最初は鎌倉時代の伊勢神道だと思うけれど、これは、神道五部書という出典に問題のある書物に基づいて成立したもので、儒教や道教や陰陽道を入り混ぜながら本地垂迹説を逆転させて、神を主、仏を従としたといったものだそうです。

日本書紀の本格的な研究が始まるのが室町時代で、江戸時代には朱子学者の山崎闇斎も神道研究をして、それまでさまざまに習合していた仏教と神道を明確に分離する運動を起こしたのは、復古神道を唱えた江戸時代の平田篤胤であったと、高校の日本史では、普通はこう習うはずです。

皇室のありかたも、日本固有の信仰も、悠久の昔からあったと考えたくなるのが日本人の常ですが、日本人が今みたいな情念のあり方をするようになったのは、江戸時代に朱子学が普及してから顕著になったと考えるほうが歴史的には自然のようです。この考え方を補強する書物は、とりあえず、イザヤ・ベンダサン(山本七平)氏の「日本人と中国人」です。この書物はもちろん反論できる点はたくさんあると思われます。でも、小林先生のメンタリティーは、神道的であるより朱子学的だ、と指摘すると、納得する人も多いかと思われます。

お隣の中国についても、中国の歴史は統一帝国としては秦漢の時代から始まるわけだけれど、現在中国に残っている文物は、ほとんど明代以降のものばかりだそうです。現代の日本人の風俗習慣も江戸時代に顕著になったものが多いらしくて、自国の歴史を考えるとき、悠久の昔から、と考えたくなるのが人の常ですが、底をさらってみると、それほど遠くない昔に現れたものをはるか昔からそうだったと勘違いしていることが多いものです。

例を挙げれば、コンテンツ産業に従事しているかたがたは、著作物の再販制度というのは、自然の法則とは言わないまでも自明の理であると考えていると思うけれど、独占禁止法が制定されたのが戦後で、独占禁止法の例外規定である著作物の再販売価格維持契約制度も、調べてみれば、戦後にできた百年の歴史も持たない決まりなのです。

投稿: 天皇と神道 | 2009.01.05 13:20

少し調べてみたのですけれど、古事記と日本書紀が成立したのが8世紀はじめで、万葉集の成立が8世紀後半だそうです。

このころがどういう時代かというと、7世紀後半から8世紀初めというのは、中国の唐帝国の最盛期で、当然、古事記も日本書紀も万葉集も、その内容と編集は、当時の唐帝国の文化のあり方の影響を強く受けていると考えるのが自然です。唐朝がひいきしていたのが道教だったから、古事記も日本書紀も万葉集も、7世紀後半の唐の道教のイデオロギーの影響を強く受けていたと考えるのが自然と思われます。

万葉集や日本書紀を公家たちが熱心に研究し始めたのが室町時代からだけれど、鎌倉幕府を転覆させた後醍醐天皇と後醍醐天皇の忠臣の楠正成公を支えたイデオロギーが朱子学です。室町時代の学習熱心な公家たちを突き動かしていたのも朱子学のイデオロギーと考えるのは困難ではないと思います。

少し考えてみれば、日本固有の精神のあり方と考えたくなるものも、中国のある特殊な時代の精神の形態の模倣を、その後の中国の官製イデオロギーで特殊な解読をしていた、といってもよい状況に遭遇する、と考えることもそんなに困難ではないと思います。

もちろんこの議論はきわめて乱暴なので、すぐにいくつものほころびが出てくるとは思いますが。

投稿: 古典の成立 | 2009.01.07 10:25

人相なんていうのは、道教の管轄分野だと思います。

船井幸雄先生が人相をよくしろ、とよくおっしゃっていますが、古代中国の人相論を紹介します。「荘子」にも人相の話がありますが、「荀子」に人相論があります。

そこで「荀子」第五 非相篇、現代訳は澤田多喜男、小野四平両先生(中公クラシックス)。

「人相見については、むかしの人はそのようなことがあったとはいわないし、学問にたずさわる者もそれに言及しない。」
「姿で人の運勢を占うよりは、心ばえを考量したほうがまさっているし、心ばえを考量するよりは、行為の拠りどころによって判断したほうがまさっている。」
「たとえ姿や顔かたちがみにくくとも、心ばえや行為の拠りどころがりっぱならば、君子であるのになんのさまたげにもならない。たとえ姿や顔かたちがりっぱでも、心ばえや行為の拠りどころがよくないならば、小人であるのになんのさまたげにもならない。」
「学問する者は、人の心ばえを論じて、それを書かれたものと比べあわせてよしあしを判断すべきであろうか。それとも身長の長短や顔の美醜などのちがいを区別して、それにもとづいて互いに自慢しあうべきであろうか。」
「むかし、夏(か)のけつ(正しくは傑の人偏のない字)王と殷のちゅう(糸偏に寸)王とは、全世界で万人に一人というほどの長身の美男で、腕力はきわめて強く百人を敵にするほどであった。それにもかかわらず、自分は殺され国は亡ぼされて天下の大罪人となり、後世の人が悪人について語るときには、必ず彼らを引きあいに出す。これは、容貌のことで生じた災難ではない。知識が乏しく、まともな議論ができなかったというだけのためなのである。」
「学問する者は、人の姿や顔かたちと心ばえとのうち、どちらを考慮するのがよいと考えるのか。後者であることは、もとより明白であろう。」

人相の話に戻るけど、船井幸雄先生より荀子の議論が優れていると思う人は、船井先生より荀子に人相が似てくるように努力すべきです。荀子みたいになるより船井先生みたいになりたい方々は、船井先生のような人相になるように努力すべきです。どっちのほうが善良そうな人相かは比較するまでもないことですけれど。

投稿: enneagram | 2009.02.04 14:53

日本の白山信仰なのだけれど、これは、生前、さすらの会の金井南龍先生が、日本では白山は「エッタの神様」と扱われて卑しめられているとか、白山と宇佐八幡が主従関係とかおっしゃってらしたのだけれど、浄土真宗の次に多くの信者を抱える曹洞宗の本山永平寺が白山信仰に立脚しているということだから、日本の白山信仰は頑強なのでは?と疑問を持っています。

中国では朱子学が道教をのっとったのだけれど、日本で曹洞宗(道元禅師)が白山信仰にのっかったのもアナログなのかなあ?とおもっています。どちらも権力者の庇護の下に可能になったことだし。また、のっとられたり、のっかられたりしたことで、もともとのどろくさい信仰は洗練されたわけだし。

投稿: enneagram | 2009.02.26 09:36

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