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2004.02.14

仏教入門その2

 密教には随分と心惹かれた。が、今はほぼその興味を失ってしまった。そんなことを書くのもどうかと思うが、なにしかしら書いてみたい気だけはする。
 日本人として密教といえば、空海ということになる。空海は非常に難しい。原典もなんどか挑戦したが歯が立たないという感じがする。この恐ろしい知識人は本当に古代人なのか。人間離れしている。道元も恐ろしいほどの知識人だが、それでもまだ人間という感じがするが、空海に至ってはほぼ人間とは思えない。空海、つまり弘法大師はそれ自身が伝説のようでもあり、その伝説からもアプローチしたが、よくわからなかった。
 日本人はなぜこうも御大師様に惹かれるのだろうか。10年以上も前だが高野山密厳院に泊まった小雨の深夜、人っ子一人いない奥の院を詣でたことがある。四方墓ばかりの暗く湿った参道を歩きながら、そうして行けば、生きていらっしゃる大師に会いできそうな気がした。神秘的な体験はなかったが、不思議な体験だったような気もする。

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空海の風景
 空海についてアマゾンをひくと、そんなものかという本が出てくる。司馬遼太郎の「空海の風景」これはほとんど小説というよりエッセイだ。つまらないと言えばつまらないが、漫画のように読める本だ。司馬遼太郎の育った風土だと御大師様には一度向き合うしかないのだろう。
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曼陀羅の人
 陳舜臣の「曼陀羅の人―空海求法伝」も漫画仕立てだが、入唐の中国の風土の描き方が美しい。日本ではなぜか司馬遼太郎をありがたがる読者が多いのだが、司馬の作品はどれも明日のジョーと力石徹かよという感じで辟易することが多い。歴史物は陳舜臣のほうがうまいように思う。余談だが、陳舜臣は「耶律楚材」が面白いといえば面白いが、薄いといえば薄い。
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空海の思想について
 アマゾンの売れ筋は、梅原猛の「空海の思想について」も上位に出てきた。ペラっとした本だが、著作面から宗教家・思想家空海を知る入門書としてはこれがいいのだろうと思う。梅原猛の本は私などがいうとお笑いだが、どうも濃すぎて、中年以降に読むにはつらいものがある。
 空海についてお薦めできる本は他に知らない。新書できちんと整理したものがあってもよさそうなものだが、あるのだろうか。松岡正剛関連は「極める」をやっただけあって物を見ている感じは伺えるが、私は嫌いだ。
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般若心経
 私の勘違いでなければ、般若心経の原典は空海が日本にもたらしたサンスクリットのものがもっとも権威があるはずだ。空海の思想・宗教はある意味、般若心経に極まると言ってもいいのかもしれないが、そう言うにためらう。よくわからないが、なぜ多くの人は般若心経なんぞに心惹かれるのだろう。短くて暗誦しやすいからだろうか。私もたまたま高校生のとき暗記して、それなりに重宝した。密教のサマリーになっているともいえるし、寺参りに唱えれば信心者を装うことができる。般若心経の解説は最近の研究は反映されていないが、金岡秀友のものが一番よいと思う。あるいは、「般若心経 講談社学術文庫」だが、とくに薦めない。しかし、こう言うのもなんだが、金岡秀友の研究は妥当なのだが、根幹を見落としていると思う。この点については、佐保田鶴治「般若心経の真実」が面白い。面白すぎる面がもあるが、確かに般若心経の密教的な側面がわかる。幸い絶版のようだが、紀伊国屋の各地店舗在庫を見ると、数冊は残っているようだ。本として面白いかといえば文句なく面白い。奇書とも言える。
 空海は自身をその師匠恵果の師匠不空三蔵の生まれ変わりだと思っていたようだ。いずれにせよ、恵果は中国において義明、また扶桑(日本)にあっては空海を密教の正嫡と決めていた。義明の法統は廃れているので、密教の本流はこの日本となると言ってもいいのかもしれない。日本はそれほどの伝統を負った国なのだろうか。しかし、空海以後の歴史を追っていく皮肉な出来事も知るようになる。特に覚鑁について少し学ぼうとしたが、彼も空海ほどではないが歯が立たないほどの知識人だった。現代の真言宗は空海をシンボリックに扱うがもし覚鑁がなければ新義と限らず古義も存在しえただろうか。余談だが、小林よしのりの父は密教系の僧であるらしく密教文化に入れ込んでいるふうもあるが、そうした面ではひどく浅薄な印象も受ける。
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悪魔祓い
 不空三蔵(不空金剛:Amoghavajra)とはなに者だろうか、私は随分と不空三蔵のことを考え続けたことがある。北インドの出身だという。720年、長安で金剛智三蔵に師事。余談だが、金剛とはダイヤモンドのことである。不空三蔵は金剛智の死後、「金剛頂経」など密教典を求めてセイロンに渡り、龍智からさらに密教を学んでいる。そして、教典を持って746年長安に戻る。セイロンといえば、今も仏教国なので、その8世紀以前からの伝統だと誤解しやすい。しかし、それは間違いで、現代セイロンの仏教は西洋神智学から近代に発生したものだ。この歴史を端的に記した書籍はあるだろうか。記憶を辿るのだが、上田紀行「悪魔祓い」でも多少ふれていたはずだ。同書は、スリランカの民俗を知るのに面白い。その呪術のほうに竜智時代の密教の残存があるのかもしれない。この本は、難しいこと抜きに読書家にとっても面白い本である。上田紀行のその他の著作はお薦めしない。
 密教の正嫡は逆に辿るとこうなる、空海→恵果→不空→金剛智→龍智→龍猛→金剛薩タ→大日如来。これが付法八祖と呼ばれる。が、金剛薩タと大日如来は明かに実在の人間ではない。また、龍猛は大乗仏教の祖龍樹と解されているが、時代が合わない。それでも、龍智の師匠は存在したのだからそれを龍樹と別に龍猛を想定してもいいようには思う。が、こう言ってはなんだが、不空のセイロン求道の旅の話自体は間違いないだろうが、その伝承は虚構ではないかとも私は思う。もちろん、そこにある種の密教は存在しただろう。
 高野山に行けばでかでかと、付法八祖ではなく、伝持八祖の絵を見ることもできる。伝持八祖は、金剛薩タと大日如来を抜いて、善無畏三蔵と一行禅師が不空の次に追加されている。こうなっている理由は密教の初歩でもあるのだが、金剛界と胎蔵界の二系の融合(金胎不二)のためで、この二者は胎蔵界の系譜の必要性からだ。
 話が少しそれるが、日本人のイメージだと通称シルクロード経由とされる北伝仏教と異なる南伝は上座部仏教(旧称小乗)というイメージが強い。タイなどではそうだからだ。だが、アンコールワットやボロブドゥールは密教であろう。私はバリ島のウブドに二週間ほどぶらぶらしていたことがあるが、近在のゴアガジャなどもヒンズー教というより密教遺跡のようであった。6世紀から8世紀にかけてのセイロンからバリ島に至るまでの密教文明とはなんだったのか今でも気になるのだが、それを俯瞰する書物を知らない。
 私の密教関心は、不空三蔵を契機にインド系の唯識瑜伽行との関わりからチベット仏教に移ったった。偶然か知らず私が影響を受けたのか、80年代中沢新一だの暴走前のオウム真理教だのと近い関心域にあった。が、ヤッベーなこいつらと思い、できるだけ避けた。欧米でもこの時期、チベットを追われた僧たちの活動が盛んになってきた。
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タントラ叡智の曙光
 ダライラマについては私はよくわからない。彼自身の説法として書籍になっているものは俗人向けなので、物足りない感じがする。書籍では、初心者向けなのだろうが、チュギャム・トゥルンパとハーバート・ギュンターの講義録「タントラ叡智の曙光」から深く啓発を受けた。ある意味、これほど仏教についてわかりやすく解説した講義はないと思う。とくに、ギュンターの解説が優れている。
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チベットに生まれて
 トゥルンパはトゥルンパ・リンポチェ(活仏)とも言われる。私は彼に関心をもち、邦訳はすべて読んだ。本としては「チベットに生まれて」が面白い。彼は西洋世界に教えを広めたのだが、僧を捨て結婚し、そして酒に溺れて死んだ。48歳だった。その事実を知れば、彼の仏教は彼を救えなかったのかとも思うが、難しい。アリョーシャ・カラマゾフも恐らく暗殺者となったことだろう。世界には簡単に解けない問題があると私は思う。
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チベット旅行記
 チベット密教関連や立川武蔵の著作なども面白いには面白いが、お薦めしたくない。チベットと言えば、河口慧海の「チベット旅行記」が読書家には面白いだろう。私は国立博物館が所蔵している、彼が持ってきた仏像を見たことがある。美術品に耽溺する悪弊のある私は素晴らしいものに思えた。河口慧海については、その晩年の思想について、もう少し考えてみたいと思うのだが、いい書籍がない。

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「歴史」カテゴリの記事

コメント

大変貴重な体験をシェアさせていただきありがとうございます。密教系のお寺の町で育ち、学校に通いながらなかなか密教について学ぶ機会がありませんでした。finalventさんが読書され、体験されたことに触れることができたのは、ありがたいことです。

いま、私個人としてはとても道元に、そして座禅にこころ惹かれています。

投稿: ひでき | 2004.02.15 01:54

ひできさん、こんにちは。私も自称道元の徒です。道元については、なにかいずれ書きたいと思っています。ブログ拝見しました。充実していますね。

投稿: finalvent | 2004.02.15 07:44

コメントありがとうございます。恐縮です。なんか最近とても書くことが楽しいので、調子にのって筆の向くまま書き連ねています。ちなみに、私も仮面ライダーを子供といっしょにときどき見ていました。結構好きです。私のPHSの着信も仮面ライダーのテーマです。なんか聞くと元気がでる曲ですよね。

...と書いてから仮面ライダー555についての記事を読みました。ああ、深いですね。とても種とか進化について共通のものを感じてしまうのでは、私の読みが浅いからでしょうか?

投稿: ひでき | 2004.02.15 21:01

ひできさん、どうもです。「とても書くことが楽しい」のはいいですね。私は、なんかよくわからないです。仏教関連はこんなもの書いても人をウンザリさせるだけだろうと思っているのですが、自分と仏教との関わりの整理みたいなものです。

話変わって、今のブレード、脱落。話についてけませんでした。龍騎も最初そうだったので、途中から見るかもしれません。

投稿: finalvent | 2004.02.16 10:35

不空三蔵は、中国に、多くの真言陀羅尼をもたらし、漢字音写して紹介した重要な密教の師ですが、どうも、舎利禮文も不空三蔵の創作であるという説があるそうです。既存の母国の言霊を持ち込むだけでなく、異国の地で異国の言葉で優れた言霊を創出する。真の密教の師であると思います。舎利禮文は、ご存知と思いますが、四言十八句の優れた韻文です。こういうまねができないから、私は、いわゆる密教には深入りしません。

大翻訳家天竺三蔵鳩摩羅什大師の時代には密教などインドでも成立していないはずですが、鳩摩羅什漢訳仏典のガータ(gatha)などは、美しい韻文で、漢訳仏典は、鳩摩羅什の出現の時点から、中国人にとってはある種の神秘思想の源泉だったのではないかと思われます。かつての日本人は、きっと、鳩摩羅什漢訳仏典を非常に強力な言霊の源泉であると考えていただろうと推測します。

袴谷憲昭先生は、禅宗というのは、まるっきり仏教などではなく、中国の土着思想が仏教の装いをしたものであると断定しておられるみたいですが、私にとっては、禅宗がゴータマ・ブッダの仏教か、中国の土着思想の変形に過ぎないのかはあまり重要な問題ではなく、ようは、自分の生活に導きの光を与えてくれるかどうかが重要というところです。

自分の生活に役に立たず、かえって、日常、不便をこうむるような知識しかなければ、ブッダの直説でも採用しないし、中国の土着思想が仏教の振りをしているだけであっても、生きることにも死ぬことにも意味を与えてくれるのであれば、禅宗の教えに耳を傾けます。

なお、ゴータマ・ブッダは、真理を、「真理とは用いることができるものである」と定義されたそうです。歴史上のブッダが説法されなかったことでも、用いることができるものであれば、ブッダの真理ということなのだろうと思われます。

投稿: 密教の師 | 2008.10.30 10:01

前のコメント、不空と善無畏を勘違いしていました。すいません。不空は西域出身の人、善無畏はインド出身者。ともに、真言陀羅尼を紹介、漢字音写しています。密教の経典も訳経しています。訂正します。

投稿: 密教の師 | 2008.10.30 11:10

紛らわしいことをいってすみません。少し付け加えます。

舎利禮文の創作者とされているのは不空です。この方は西域出身。長安で金剛智に師事しているはずです。

インド出身で、自身訳経家であった密教の師が善無畏。この人が漢詩の才能があったかどうかは知りません。

投稿: 密教の師 | 2008.11.01 08:17

これは、finalvent先生も近似体験されたかどうかわからないですけれど、禅には魔境があると思います。

わたしなんかは最近、大悲心陀羅尼とか本尊略回向とか唱えているのだけれど、大悲心陀羅尼を唱えると、そんなことがないのに自分が超感覚的知覚能力の開発に向けて、ものすごく進歩しているような錯覚を覚えるし、本尊略回向みたいに唐宋音で読誦するお経読んでいると、ルビ振っているお経を意味もわからず唱えているだけなのに、自分がすごく頭がよくなったように錯覚してしまうことがあったんです。

密教の場合は、依頼者のために護摩札を焚いて加持祈祷してあげるわけだから、自分の祈祷がクライアントの要望に応えられたかどうかで成果を判定できるわけだけれど、自分で、試験もされずに非日常的な言語使用をしていると、魔境に入るということがあるなと感じます。

道元禅師の「正法眼蔵」だって、ほとんどの頭のいい人たちは、わかった気になっていて、それで道元禅師に共感しているのだと思うのだけれど、その中の特定の人は、ある日突然、「実は何もわかってなかったのではないか」と思ってうろたえるのだと思うのです。でも、判った気になっている人たちのほうが実は禅の魔境に入っている人たちで、「何もわかっていなかったのではないか」と自問する機会を持てた人たちこそ道元禅師に愛されている人たちなのではないかと。そのようにも思うのです。

投稿: 禅の魔境 | 2008.11.01 08:32

「不吉な言葉は口にしてはいけない」という、安易な言霊思想と日本史・日本文化の関係を解説してくださるのが井沢元彦先生です。

「のべつ幕なしよい言葉を口にしていれば開運する」という、安易な言霊思想で商売に精を出すのが斉藤一人社長や五日市剛博士です。

文学・論理学・音声学・工学・医学の知識をを駆使して本当の言霊のことを考え抜いたのが、古代インドのバラモンたちです。インドの言霊の精華が、数多くのマントラ(真言)とダラニ(総持)です。

そのインドのすぐれた数多くの言霊を生命を賭して日本に持ち帰ってくださったのが弘法大師空海上人と伝教大師最澄上人くわえて最澄上人の入唐した後継者たちです。

日本でもはるか昔から、上層階級は、本当の言霊とは、不吉なことを言わず縁起のいいことばかり口にする、といった安易で知的水準の低い次元の迷信とはまったく異質であることをよく知っていたことであろうと思います。そういう、まともな言霊の知識が失われて、低次元な迷信じみた話ばかりはびこるというのは、文化水準が低下しているということなのだろうと思います。

でも、本当の言霊の何たるかをよく知っていて、大悲心陀羅尼や妙法蓮華経の如来寿量品を唱えている人たちも、案外多いことだろうと思っています。上流階級は保身したがりますから、真の知識の奥義を中流下流には教えないものです。

優れた言霊を知りたかったら、まず古今和歌集をひもとくことです。古今和歌集こそ、その後のすべての優れた日本語のシンタックスの源泉といっても過言でないからです。あとは、「大学」、「中庸」、「論語」、「孟子」の四書でも読んでみることです。四書も優れた日本の先達たちの偉大な知的源泉です。

投稿: 安易な言霊、真の言霊 | 2009.02.02 08:35

銀座まるかんの斉藤一人社長が、
「やってできないことはない、やらずにできるわけがない」
がすぐれた言霊だとおっしゃるんです。

米沢藩の名君、上杉鷹山公は、

なせばなる なさねばならぬ なにごとも
ならぬはひとの なさぬなりけり

という歌を詠まれたんです。

日本一の大金持ちのプロの商人の斉藤社長のおっしゃることと儒教精神の体現者である名君上杉鷹山公の歌とどっちが優れた言霊を提供しているか、誰でも判別できるはずですね。

そんなわけで、すぐれた言霊とご縁を結びたい方は、鷹山公の歌を三回唱えてそらんじられるようにしてください。それでは、

なせばなる なさねばならぬ なにごとも
ならぬはひとの なさぬなりけり

投稿: enneagram | 2009.02.08 12:44

漢訳仏典の真読と訓読ですが、これは、ぜひ真読すべきだと思います。

仏典を漢訳された鳩摩羅什、真諦、玄奘、不空といった高僧たちは、内明(経典の知識)、因明(論理学の知識)、声明(音声学の知識)、医方明(医学の知識)、工芸明(工学の知識)をすべて駆使して仏典を漢訳されているはずです。仏典を和文に訓読されては、精緻に組み立てた韻律も、考え抜いて決定した語順もすべて狂ってしまう。訓読しても骨格はわかるけれど、訓読すると、真読とは血と肉は別のものになってしまう。仏典の翻訳家がもし仏典を直接和訳するときには、漢訳とはまったく異質の和文に翻訳して原点の趣旨が理解できるように努力するだろうと思われます。

声明(音声学)への言及があるとおり、仏典は、基本的には発声して音読すべきものであるはずです。黙読して意味だけどれだけ深くわかっても、それでは、仏典をわかったことにはならないはずです。発声して、口で唱え、耳で聞くことが仏典理解の前提だと思われます。

私は、妙智会の宮本ミツ会主様を心から畏敬するものですが、残念ながら、宮本会主様は、後継者の方々たちに、適切な時期がきたら、信者さんたちの経典の訓読を真読に改めるようには指示しておいてはくださらなかったようなのです。いまさら、教団も、宗教指導の路線変更は困難でしょうから、今後も守旧的に会主様の指導方針を形態ごと継承されるであろうかと思っています。

この点は、論難されるべきは、宮本会主様だけではなく、若いころの会主様を指導した仏立講や霊友会の指導者たちも不明な点があったのではないかと考えています。天台大師がいかに優れていても、北三南七の先師たちの教相判釈が稚拙で強引なものであれば、天台大師の問題意識もそこに引きずられるほかないのです。

まあ、仏典は、考えるものである以前に声に出して読むものであり、音読するなら漢文真読すべきであり、できれば、サンスクリット原典を音読できるのにこしたことはなかろう、という話です。

仏教というのは、思想であるよりは、実践により人間の心意的能力を変化させるテクノロジーであろうというのが私の立場です。仏典は音読すべきもの、というのが密教にいたる仏教の基本だろうと思っています。すべての仏教の経典は原則的に、論理学、音声学、医学の知識に基づいて構築されているはずなのです。

そういう意味では、仏典を声を出して音読しているだけで、密教に足の先が触れているといってよいのだろう、という話です。

投稿: enneagram | 2009.02.11 08:45

音声の話をして、聾唖のかたがたへの配慮を欠いてしまったのですけれど、東アジアの文化はこの点ではすばらしくて、中国仏教(ということは日本仏教)では、仏典の読誦より、写経の方が功徳が大きいということになっております。聴覚や発声に障害のある方もこの点ではハンディキャップがありません。点字のお経も、読経の功徳はあるはずです。もしないとするならば、仏教など信仰しなければよいのです。

インドでは、言語は音声に強く力点が置かれていますので、聴覚や発声にハンデのある人はきっと宗教的に不利な立場にあっただろうと思います。

インドでは、仏教はひどく歪曲されてヒンドゥー教に吸収され、一方でイスラームに駆逐されてしまったのだけれど、きっと、インドの人たちにとっても仏教よりイスラームのほうが訴えるものがあったのだろうと思います。インドの地では、イスラームのほうが仏教より明確で公正だと思われたのでしょう。

中国で仏教が生き残れたのは、仏教は、中国ではどんどん老荘思想の文脈で誤読されていって、元のインド仏教とは似ても似つかぬものとなっていったからだろうと思います。

キリスト教にしても、アラビアの宗教らしくなくなるように、カトリック世界でネオプラトニズムの文脈でどんどん誤読されていったから、西ヨーロッパの宗教になれたのだろうと推測しています。

密教というと、教義であるというよりは、技法なのではないかと思うんです。金剛頂経とか理趣経とか密教の代表経典がありますけれど、そんなにすごい功徳があるのなら、仏教文化圏全体で、みんなのべつ幕なし金剛頂経や理趣経を唱えていたと思うのだけれど、そんなこともないんです。
あんまりきわもの好みにならないで、般若心経の読誦や写経をしたり、せいぜい、消災妙吉祥陀羅尼を唱えたりするほうがカルト的にならないで安全であろうと思われます。

投稿: enneagram | 2009.02.12 12:50

天台大師の時代には、まだ、インドにも体系的な密教と呼びうるものがなかったそうで、天台大師ご自身は密教を知りませんでした。

弘法大師は、密教を天台や華厳より上位に据えています。

でも、日本の密教は、インドやチベットの密教とは違い、道教や日本の山岳信仰起源の修行法や記号法がたくさん混じっているはずです。

密教のほうが後から開発されたのだから、密教のほうが、天台や禅宗より霊験や効能が絶対に優れている、と思いたい人たちは、仕方ないから、阿含宗の桐山先生のところにでも、炎の行者の池口恵観先生のところにでも、寄進にいかれるとよいと思います。
ただ、野狐や野狸や蛇や毒蟲の類の低級な邪霊に取り付かれないように用心してくださいね、と申し上げるだけです。

チベットの密教で一番霊験あらたかな神様がダーキニーで、これが、日本では豊川稲荷のダキニ天さんです。
豊川稲荷は、禅宗の曹洞宗のお寺だけれど、曹洞宗の第四祖常済大師けいざん禅師(「けい」の漢字を表記できないのでしかたなくひらがな表記します)様は、比叡山で天台密教を習得された方です。ダキニ天は、比叡山の天台密教でも重要な神様だそうです。

豊川稲荷さんと桐山先生や池口先生とどっちが効果が大きいのか、私はわからないけれど、狂信者にならなければ、絶対、豊川稲荷さんのほうが安全です。まあ、赤坂の近くに行く用事があったら、チベットでもっとも霊能の大きな神様をお祀りしているお寺さんをお参りされるとよいと思います。

投稿: 洛書 | 2009.03.16 11:00

自分なんかが霊界の仕組みとか信仰の徳分や果報の話をするのは気が引けるし、ブログの管理人様がコメントを承認してくださるかどうかわからないけれど、密教の話だから、これも一応しておきます。

きちっとした宗門の名のあるお寺や神社のまともな神様は、それぞれの信者の徳分に応じた果報を、常々適切に配分して信者を加護してくださいます。大きな目だった効果もない代わりに、困ったときも絶望的状況にはならないようにたくわえや保険も考えに入れて、信者にいつも適度な果報を授けてくださっているわけです。納得できる話だと思っていただけると思います。

一方、おかしな霊能者の導師の、なにかしら霊障をかかえた信者たちの集会というのは、どうしても、野狐や野狸やまだら蛇や毒蟲の霊の類の邪霊の巣になります。そういうところでは、詐欺まがいのトリックが常々行われるのです。

おかしな霊能者まがいの導師が呪術的な手法を使って、誰かに、にわかに幸運ごとを短期的に起こせることがあるのですが、実はそれは、その人の未来の果報の徳分を一時的に大盤振る舞いすることだったりするわけです。身内のいろいろな人の徳分を特定の一人にかき集めて大きな効果が一時的に出ることもあるだろうし、本来は、自分の子供や孫や兄弟やおじおばいとこに配分されるはずの先祖の陰徳が一時的に自分の果報になったりする。まともな神様は絶対にそういうことはしないけれど、詐欺師や高利貸しまがいの低級な邪霊はそういうことをするわけですね。

だから、短期的に喜びごとが起きた後には、自分や周囲の人たちに次々に信じられないほど悪いことが起こるようになる。そうなって、その教団やその導師にますます頼ると、これは、借金を返すために借金を重ね、麻薬の禁断症状に耐えるために麻薬の服用量を増やしていくことになる。そうなれば、いつかは必ず破滅してしまう。

まあ、そんなわけで、ついてるの斉藤一人さんでも、桐山先生や池口先生でも、あまり安易に開運やご利益の話から始める大きな宣伝を打つ人たちには用心したほうがよい、ということです。消費者金融から安易に金を借りるべきでないのと似たような道理です。そういう人たちのところに集まる悩み事を抱えた人たちには、霊障のある人が少なくないはずだし、そういう人たちの集まるところは低級な動物霊の邪霊の巣になりやすい傾向があります。気学の吉方位もとりすぎないほうが無難という話です。

本当は、一番、ご利益があるのは、湯島天神に梅を見に行くとか、亀戸天神に藤を見に行くとか、根津神社につつじを見に行くとか、白山神社にあじさいを見に行くことなのだろうと思うのだけれど、そういうのは、ゆとりのある人でないとできないわけで、信心で人を救うというのも困った人ほど安易な話ではすまない、みたいな話です。でも、他人の不幸は本人の問題、では済ませられないことが多いのはわかりますが、不幸な本人が多少は勤勉になってくれないとまわりも救いようがないのも確かなのです。

投稿: enneagram | 2009.03.16 12:20

動物霊の話をしてしまったので、補足させていただいたほうがよいかな、と思いました。これも、少しまがまがしい話なので、ブログの管理人様の表示の承認が得られなかったら仕方なかろうと思っています。

動物でも、盲導犬も競馬馬も伝書鳩もいて、訓練され、調教をされて、人様のお役に立っている動物がたくさんいます。かつては、役畜と農耕に従事するのが当たり前な時代が長かったのです。

同様、野良犬や土鳩や病原菌の媒体みたいな野鼠の類の困った迷惑な動物霊も多いわけですが、伏見稲荷さんのご眷属の辰狐さんとか、弁才天様のご眷属の白蛇霊とか、熊野権現のご眷属の三本足のおカラスさんたちとか、立派な神様に調教されて優れた能力が鍛錬された、私みたいなそこいらの凡人なんかが「自分は人間だ」などと威張るのが恥ずかしくなるような立派な動物霊さんたちもいるわけです。

神様にしても、いわゆるアストラル体の全機能がすべて優れているというものではなくて、ご自身の経綸をうまく進行させるために、アストラル体の特定機能が極めて発達した動物霊をご眷属にして飼いならして訓練していろいろな場面で起用するわけです。

たぶん、幕末維新のころなどは、英雄豪傑たちに、いろいろな神様が優れた霊能を持ったご眷属の動物霊を貸与されたのだろうと思っています。それで、西郷隆盛とか坂本龍馬とか伊藤博文とかいった方々は超人的な働きができたのだろうと推測しております。

そうすると、神様のご眷属の動物霊に憑依してもらって、超人的な能力を発揮できるといいなあ、と漫然と考えると思うのですけれど、そうは参りません。英雄豪傑が歴史的使命を終えたら、ご眷属は神様にお返ししないといけません。人間離れしたやつが何人も、役目も終わったのに地上でいつまでも威張ったり暴れたりしていたら、この世もあの世も困るからです。ただ、動物霊は動物的かつ本能的に、苦労をともにした優れた豪傑英雄に強烈な愛情と愛着を持ちますから、引き離すのは大変です。そこで、英雄豪傑に凄惨な死に方をさせないといけなくなる。ご眷属の動物霊をびっくりさせて引き離して神様のもとに引き戻して神様がご眷属を取り戻すわけです。

坂本さんや伊藤さん程度なら、激しい暗殺をすれば、ご眷属も容易に離れたのだろうけれど、西郷さんの場合は、たくさんの神様のたくさんのご眷属がまるっきり西郷さんになついてしまって、西南の役くらいとんでもないことをしないと、西郷さんの御霊から離れようとしなかったのだろうと思います。勝海舟の場合は、神様のご眷属が憑依しなかったか、勝海舟にくれてやっても惜しくない程度の動物霊があてがわれたのだろうと思います。世の中のためになる仕事をするために必死に苦しみながら働き抜いた挙句、これ以上はないというほど凄惨な死に方をする覚悟がない限り、立派な神様のご眷属に憑依していただいて超人的な先見性と能力を発揮したいなどとはゆめゆめ考えるべきではありません。

これが上級な動物霊の話のさわりです。動物霊だから全部低級な邪霊でもないのだけれど、動物霊に憑依されるというのは、低級霊でも、高級霊でもとんでもない話だということです。

植物霊というのもあるはずで、カルロス・カスタネダのメキシコのペヨーテサボテンとチョウセンアサガオとシビレタケの話なんていうのは、植物霊の話だと思います。でも、世界中で麻薬が問題になり、日本でも大麻事件がいくつも起こっている現今、植物霊の興味本位な話をするのがよいこととは思えません。

漢方薬のまともな解説書の記載は、植物霊についての表面的な知識を提供してくれると思います。いずれ、アーバスキュラー菌根菌という、さまざまな植物の根と共生している菌類の知識が充実し、褐藻や珪藻のような緑色植物以外の体制や生活環の発達した植物についての知識がもっと増加していけば、適切なときに適切な形で適切な人が適切な植物霊の知識を提供してくれると思いますが、現時点では、私ごときでは、この程度で動物霊の話を終わらせておいたほうがよいと思います。

ひどく長いコメントを入れてすみませんでした。最後まで読んでくださった方々、まことにありがとうございます。

投稿: enneagram | 2009.03.18 15:54

すみませんが、この話は付け加えたほうがよいと思います。

信心するなら、まずは先祖供養からだと思います。多くの宗教家や霊能者がそうおっしゃっているので、いまさら私が話を付け加えるのもなんですが。

その人の時間と能力と経済力の能う限りのことでよいはずです。大げさなことをしなくても、それしかできなければ、故人の位牌や写真のまえにコップに水を入れて、毎朝水を取り替えて、念仏なり題目なりをとなえたり、キリスト教徒なら福音書の主の祈りを朗読するなりするだけでもよいはずです。

どんな人でも、その人のことを親身にわがこととして一番気にかけてくださっているのは、立派な偉い神様や仏様よりも、その人の祖先霊たちであろうと思います。また、祖先霊たちのほうでも、どんな立派な神官や僧侶や神父さんや牧師さんに供養してもらうよりも、つたなくても、場合によってはみすぼらしくしか供養してもらえなくても、自分の子孫に直接供養してもらえるのが一番うれしいはずだと思います。

そして、先祖供養が習慣化して板についてきて、自分が日本人に生まれたことに感謝できるのなら、これは、どの宗教に属しているかの別なく、天照皇太神様を敬うべきだと思います。伊勢神宮でなくても皇太神さまの神社に参拝してもよいし、自宅でおまつりしてもよいし、毎朝お日様に手を合わせるだけでもよいと思います。そして、やはり、日本国全体の大宮司であり、日々神様に国家と国民の安泰をお祈りしてくださっている天皇陛下を敬愛すべきです。べつに、一部の極端な言論人たちのように、皇室のために命を落としてもよいとまで思いつめる必要はまったくありません。むしろ、そういう人たちのほうが皇室にとってはしごく迷惑な人たちであるはずです。

はっきりいって、機能集団中心に成り立っているグローバル化した多元社会で、運命と利害の一致した共同体を復活再生できる方法があるのかどうか皆目わかりませんが、人間が生きていくうえで最低限必要な連帯感を維持し続けていく手がかりはほしいものであると常々考えています。

投稿: enneagram | 2009.03.18 17:56

古田島洋介・湯城吉信著『漢文訓読入門』(明治書院)という本が出版されたので見てみてください。これまでの句法の解説ばかりの本と違い、訓読法そのものについて解説しているのでおもしろいと思います。

投稿: ちゃ | 2011.07.10 22:37

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