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2004.02.12

漢字は表意文字という話

 たまたま先週週刊現代を読んでいて、京大教授阿辻哲次「漢字道楽」というエッセイが面白かった。話は、数年前まで「阿辻哲次」の「辻」という字を中国人によく問われたというのだ。


数年前まで、初対面の中国人と名刺を交換する時には必ず、貴殿の苗字には奇妙な文字があるが、この「辻」とはいったいどういう意味か、まともな漢字なのか、それとも日本で作られた記号のごときものか、漢字であるとすれば、中国語ではどう発音すればいいのか、などとあれこれとたずねられたものだった。

 この話でまず五分は盛り上がったのだそうだ。ま、中国人としても承知の上の洒落である。「辻」は国字といって日本でできた漢字なので中国にはない。それ自体は別にどうっていう話でもないのだが、中国人が気になるのは、「どう発音すればいいのか」である。
 そうはいっても、国字に中国音などありようがない。が、実際には困らない。どう見ても、これは、「十」で音をとるしかない。このエッセイにもあるように、中国の最近の辞書「現代漢語詞典」には"shi"と記載され、意味も日本の国字であり云々の意味が記されている。
 いずれにせよ、漢字であるかぎり、中国では音価が与えられているし、音価は1つに決まっている。これは朝鮮でも同じなので、中国人や韓国人からすると日本の漢字の状況が理解しづらい。
 中国では、音価が同じなら別の漢字を当てることもある、というか、それが慣例化すると、漢字は入れ替わりが固定する。この現象は仮借という。歴史的に見ると、漢字のかなりの部分が仮借から成り立っているので、漢字の語源を考える場合は、仮借をまず考慮する必要がある。仮借については、山田勝美を引くだけだが、清朝朱駿声「説文通訓定声」がほぼ原典となる。
 私の言い方にすれば、漢字というのはまず音価ありき、である。音価が同じなら、どのような面を使おうがそれほど問題にはならない、というのも、音価が意味を担っているからだ。
 山田勝美は「漢字の語源」でこう説明している。

 たとえば「馬」という文字を問題にするばあい、この字の出現しない以前から、あの動物を「バ」という音で呼んでいたのである。であるから、「馬」の字は「象形字」で、ある動物の形をかたどったにすぎないが、字がまだ作られておらず、あるいはすでに作られていても、「バ」という音でこれを呼んでいた時には、なぜこの動物を「バ」と呼んだのか、その理由を考えてみることが必要となってくる。

 「馬」の意味は、「馬」という字面が担っているのではなく、「バ」なりという音価が担っているのである。さらに引く。

さらにもう一例あげると、「鼻」という字を考えるばあい、この字は字形としては「自」(鼻の象形)と「(鼻の下の部分で、音価はビ)」(音符)からなる「形声字」であるといえば、これで一応の字形は説明されたことになる。しかし、この字の作られる以前から「自」あるいは「(鼻の下の部分)」の音で「鼻」のことを呼んでいた。すなわち、「音」は文字の作られる以前から存在していたのである。すると、「鼻」を「自」あるいは「(鼻の下の部分)」の音で呼んだのはなぜか。その「音」はいかなる意味であったのか。鼻のいかなる特徴を捉えて、この「音」で呼んだものであろうか。

 仮借と音義で考えると、例えば、「商」という漢字は、女性の生殖器の形象だが、その形象の意味はなくなっている。「商売」の商は仮借で、本字は「唱」。呼び売りの意味だ。あれを買え、これを買えと呼ぶ。「商量」の商も仮借で、本字は「称」。つまり、「称量」。
 このように、漢字は基本的に、表音的な性格を持ち、表意ではない。では、なぜ、それが表意文字とされるのか?
 このブログの記事を書こうと思ったのはその点の補足だ。漢字は、表音文字ではない、という強調だ。2つ理由がある。
 一つは、漢字はそれぞれ古代の音価によって意味を担っているが、その古代の言語の音声を写し取ることができない。恐らく、日本語で言う「てにをは」に相当する格は含まれていない。つまり、漢字という音価をもつ記号をどうならべても、文章は構成できない。これは、かなり現代に至るまでの中国語の特徴で、たとえば、論語など、中国人はすらすらと音価を与えて読み出せるが、まるで、意味をもたない。その音価の羅列が中国語にならないからだ。彼らも漢籍は現代注釈書を使って読んでいる。
 もう一つは、漢字の本質的な利用法は、異言語・異民族への通知の機能を担わされてきた。漢字は音価を持つが、その音価は、意味が均質に伝達できる集団から逸れれば、音価と漢字の意味を分離して、別の音価を与えることができる。一番顕著な例はまさに日本の漢字だ。
 「日月盈昃」とあっても、「ひ・つきは、みち・かく」と読み下してしまう。そして、同様に、「ほしのやどりはつならなりはる」とつぶやいて「辰宿列張」と書くことができる。他の民族でも同じことができる。なにより、中国大陸の多数の言語間でこの便宜によって意思疎通ができる。
 もともと、漢字が中国に必要になったのは、むしろ、こうした便宜、つまり、多民族を支配するためだ(同時にいつでもいかなる民族でも王朝を打ち立てることができる)。
 その意味で、漢字は、表意文字として利用される。多民族でない中国世界すら想起しづらい。
 私の考えをまとめておこう。「漢字は表音文字的に発生したが、表意文字として利用される」ということだ。漢字の起源や原義を考察するには、音価が一義になる。しかし、漢字が多言語間で利用されるときは、表意文字となる。
 別の言い方をすれば、中国語に、会話や思いを表現するための表音文字は存在しない、ともなる。
 そんな馬鹿な。現に現代中国語は漢字で書けるではないか、と。あれは、歴史的に見ると近代日本語の影響なのだ。

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コメント

うーむ,しかし音価を離れて「漢字が表意文字として利用された」例は,日本以外にあるんですかね。

部分的・一時的にはともかく,最終的にはいわゆる中国語に吸収されるような。
そして,その範囲での「表意文字としての」利用は,別に漢字である必要もなく,ラテン語でも可能なわけで。

北京語と広東語の関係がそれにあたるのかな?
でも,あれは文章語じゃないしなあ。

いや,よく知りませんが。

投稿: (annoymous) | 2004.02.12 21:55

えっと、お名前がおちていたので、吉例、annonymousとして補いました。

基本的には音価を離れての利用は中国内です。たしかに、日本は極めて特例かもしれません。

投稿: finalvent | 2004.02.12 22:22

ご返答ありがとうございました。
なるほど,そういうことですか。

とは言え,漢字のそういう特性に,政治単位内において文章語が公用語として統一されるという普遍的な傾向以上の意味があるのか,なお疑問ではありますが。

投稿: annoymous | 2004.02.12 22:33

いつも多分野・多方面の、それもそれぞれ深いご論考を感心しあっけにとられ、しかしつまみ食いしかできませんが読ませていただいております。大連の大学生院生社会人40名ほどに閑をみつけてビジネス日本語なんてな勝手な喋くりしておりますが、このご論考を読んであげてもよろしいでしょうか。今回は特に最後の「あれは、歴史的に見ると近代日本語の影響なのだ。」に興味あります。これは大陸の国名は日本人訳だという話を聞いたことがあるのですが、そのことですか。人民と共和国のことです。民国が中国人訳だとか。このテーマに関する素人向けの本(手に入れにくいですが)とかサイトをご紹介いただければ大変有難いのですが...

投稿: shibu | 2004.02.13 05:37

shibuさん、どうも。漢字うんぬんの話は理解される分だけ、というか同意される分だけ、適当にご利用ください。今日、もう一点、どんでん返しを書きますから、それを待ってくださるといいかもしれません。

投稿: finalvent | 2004.02.13 08:56

URLを入れたサイトの「国字の定義」に書いているように単に国字と言うと多種の意味を包含します。
 和製漢字の意味で使っていることが明らかな場合も出来れば、国字(和製漢字)などと書いた方が明確になります。
 この定義は、Wikipediaに書いたものを訂正したものですが、あくまで素人向けで、厳密さにかけるきらいがありますので、『和製漢字の辞典』出版の際には、もう少し厳密なものに書き換えるつもりです。

 ウェブサイトにしてもブログにしても漢字系のものにたいしたものがない。もちろん私のものを含めての事である。もう少し、情報発信性のあるものはないのかと思っている。「漢字 ブログ」・「漢字雑学」・「漢字 掲示板」などで検索してみて、いずれの検索エンジンでも私のいずれかのサイトかブログがトップにくるようでは、期待薄である。

投稿: ジテンフェチ | 2005.06.04 14:02

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