[書評]男の人って、どうしてこうなの?(スティーヴ・ビダルフ)
![]() 男の人って、 どうしてこうなの? |
自分でもいつ読んだものか、まだ書架にあったのかすら忘れていたのだが、翻訳は2003年3月とあるのでそんな昔でもないのか。原作"Manhood"は1994年が初版。オーストリアの本だ。米国でも売れたと聞くが、どの程度だったのだろう。原作と翻訳との差がきつそうなので、原書も読んでみたいと思いつつ忘れた。訳本は日本で売れただろうか。自分では面白い本だなと思ったが、書評などをみかけたことはない。
もともと、この本は、「男の子って、どうしてこうなの?―まっとうに育つ九つのポイント」(参照)の、二匹目のドジョウといった感じだ。こちらの本は、男の子を持つお母さんがたに売れただろうと思う。
「男の人って、どうしてこうなの?」はこんな構成だ。これを見ると、男の人は読まないのではないか。うざい感じがするからな。
- 父親との関係を修復する
- セックスに神聖さを見出す
- パートナーと対等に向きあう
- 子どもと積極的にかかわる
- 同性の親友をもつ
- 自分の仕事に愛情をもつ
- 野性のスピリッツを解放する
【男が大人になるための7つのステップ】
しかし、これはどれもけっこう重要な問題だ。が、なるほどと実感できるのは40歳過ぎてからだろう。この構成からはわからないが、男の40歳のというのは、この本の大きなキーワードになっている。それは後でふれよう。
私がこの本を読んで、記憶に残ったのは3点ある。1つは、この本が別の本から引用している部分でもあるのだが…これだ。
(前略)多くの男性にとって、射精はいっさいのクライマックスの感覚がなくて起こることが多い。
このことを理解しないかぎり、女性は男性の性の肝心な部分がわからないだろう。多くの男性もそうだ。(後略)
言葉の定義にもよるのだろうが、射精は生理的な反応でもあるので、当然、その反応の感覚はあり、その強度の感覚は通常男性にとって快感であるとされている。が、本当か、というと男ならちょっとためらうものがあるだろう。性欲が刺激され勃起し、射精するというプロセスは、どうも、それほどには精神的なプロセスでもない。起点の、性欲が刺激され勃起しというのは、ある程度、そういう部分に自我を追い込まなくはならないか、あるいは追い込むようなオカズが必要だったりする。これは意外にうざいというか、そういう存在に追い込まれているのは自我にけっこう負担がある。20代ではまだそうでもないか。
また、その性欲の対象は、通常は女の身体に連結されるのだが、女の身体といってもそこには、男の側から見た「心」の幻想を必要とするので、こういう言い方は偏見かもしれないが、20代前半の女性にはなかなか、そういう幻想を満たしてくれる部分が少ないだろう。もっともその年代の女性にしてみれば、そんなこと言われてもなぁであろうし、そのあたりの男の幻想の制御ができて、不細工でもなければ、それだけで金も儲けられる。
と、うだうだ書いたが、射精にまつわるやっかいな問題は依然やっかな問題であり、率直なところこの本の解決案は、なんか方向違うようにも思える。それでも、問題の指摘としてはよくできていると思う。
2つめは、ローンだ。え? 話の次元が違うのではないかと思えるかもしれないが、これもうまく書いている。ちょっと長いが痛烈なので引用する。
わたしたちは大人の生活をはじめるときに家をもち、一生かかってその負債を支払ってもいいという抵当システムをもっている。(中略)銀行に借り入れの相談に(言うまでもなくネクタイを着用して)行ったあなたは、十万ドルを手にして戻ってくるのだ。それは軌跡としか言いようがない!
だが、彼らがあなたに告げない何かが起こる。あなたが睾丸を置いてくるということだ! 銀行の経営者は、それをほかの人のものと一緒に、つぼに入れて金庫に保管する! もしあなたが人生で何か冒険をしたい、エキサイティングなことやリスクのあること、あるいは一風変わったことをしたいという思いにかられても、そのチャンスはない。なぜなら、そうするための金玉をもっていないからだ!
ともかく、自由な人間であるためには、この罠から逃れなくてはならない。(中略)子供たちを私立の学校に通わせるかわりに、自分の時間をもっとさいて子どもたちに教えることもできる。(後略)
ま、そういうことだ。金玉の比喩は宦官のイメージだろう。たいしたことではないようだが、30過ぎて金玉を抜かれると男はかなりきつい。日本ではパラサイトが問題だが、このあたりのことも関係しているように思う。むしろ、貧乏な男やフリーターのほうが、ローンなんか組めないから、30半ばくらいまで金玉をぶらさげていられる。その先は? わからない。まだ日本はその先まで展開していない。40歳負け犬女と同様に、その30歳かろうじて金玉フリーター男がどうなるのか、まるでわからない。
3点目は、男の灰の時代についてだ。大人の男になるためには、一度、灰になる必要があるのだと著者はいう。ユング心理学あたりの援用でもあるのだが、それはある意味、真理でもあると思う。40歳くらいでそれが訪れる。
本書にはその解決はない。灰になるのだ。しいていえば、灰になり大人になった男同士の助け合いが必要だというのは、確かだろう(灰についての表現はヨブ記かもしれない)。
男が灰になるということを、女はどう捕らえるのだろうかと思うことがある。わからない。だが、その時、実は初めて男は女を愛するようになる、だろうとは思う。
| 固定リンク
「書評」カテゴリの記事
- [書評] ポリアモリー 恋愛革命(デボラ・アナポール)(2018.04.02)
- [書評] フランス人 この奇妙な人たち(ポリー・プラット)(2018.03.29)
- [書評] ストーリー式記憶法(山口真由)(2018.03.26)
- [書評] ポリアモリー 複数の愛を生きる(深海菊絵)(2018.03.28)
- [書評] 回避性愛着障害(岡田尊司)(2018.03.27)
コメント
う~みゅ、思い当ること多々あり。深いっすw
でも、灰カグラになって吹き飛ばされたら、どうしょ。
投稿: shibu | 2004.02.12 08:46
shibuさん、どもです。吹き飛ばされるっていうのもありですよね、と顧みて思います。
投稿: finalvent | 2004.02.12 17:32