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2004.02.06

死者たちよ、正月である

 干刈あがたがまだ作家として世に出ていないころに自費出版した「島唄」に、こういう唄がある。


後生じ札渡ち
戻らんでとしやしが
後生のあんだ王が
戻しならむ

cover
樹下の家族/島唄
  島唄といっても、沖縄ではない。奄美だ。彼女が現地で採集した唄だ。
 はてなのキーワードに干刈あがた(参照)が掲載されているのはいいが、奄美についての言及がない。ちょっと情けないなと思う。自分で追記しておくべきか。どう追記しようか、少し悩む。干刈あがたについては、干刈あがた資料館(参照)が詳しい。彼女の文学がこうして生き続けていることが不思議なような、それでいてあたりまえのような気がする。彼女に芥川賞が授与されなかっのは、芥川賞がくだらないからに他ならない。
 干刈あがた資料館の年譜を見る。1943年(昭和18年)0歳にこうある。

1月25日、父柳納富(明37生・青梅警察署勤務・警部補)、母アイ(明45生)の長女として東京府西多摩郡青梅町勝沼(現青梅市東青梅1丁目)に生まれた。本名和枝。長兄茂樹(昭14生)・次兄哲夫(昭15生、幼児の頃病死)・妹伸枝(昭22生)。
両親は鹿児島県沖永良部島和泊町の出身。

 両親が奄美の人だ。この青梅時代のようすは「真ん中迷子」に詳しい。私と彼女では歳が15年近く違うが、そこに描かれている立川の雰囲気は思い出せる。
 「島唄」には、昭和28年、彼女が10歳の12月25日に、奄美が本土復帰したときの光景も描かれている。大森海岸近くの会場で沖永良部島出身の人たちが集まりあでやかに復帰の祝いをした。「いったいあの貧しげな人々が、どこからあんなに美しい衣装や楽器を次々に持ち出してくるのかが、不思議でたまらなかった」と彼女は書く。ある意味、そこで奄美に強く出会ったのだと言っていいだろう。
 年表によれば、1975年(昭和50年)彼女が32歳とき、「島尾敏雄の呼び掛けでつくられた『奄美郷土研究会』の会員になった。奄美・沖永良部の島唄に惹かれ、島唄を採集し始めた」とある。彼女にとって、島の言葉はどう響いていただろう。初めて奄美に行ったのは20歳。その後、34歳で再訪するとき、言葉の消失を感じている。
 彼女にどのくらい島の言葉は息づいていただろうか。私は東京で生まれ東京育ちだが、生まれてから毎年盆暮れ、親の帰省で長野県に行った。その言葉の深い響きは私の存在の芯にある。沖縄で8年暮らしたが、芯には届かなかった。

後生じ札渡ち
戻らんでとしやしが
後生のあんだ王が
戻しならむ

 干刈あがたはこうルビを振っている。

ぐしょじさつわたち
むどらんでとしやしが
ぐしょのあんだおうが
むどしならむ

 彼女の訳はこうだ。

冥土で金渡し
帰ろうとしたが
冥土のあんだ王(えんま大王)が
帰してくれぬ

 意味は間違っていない。しかし、こう訳すことで大きなものが抜け落ちてしまう。そこを干刈あがたはどう考えていたことだろう。
 「札渡ち」の札は、紙銭である。中華世界に馴染み深いものだ。沖縄の「かびじん」である。かびじんはスーパーマーケットでも売っている。どんなものか見たければ、スーパーの店員に「かびじんはありますか」と聞けばいい。300円もしない。死者のために燃やす。死者はこれを受け取って、「札渡ち」となるのである。
 「後生」は沖縄でいう「ぐそー」である。表記は沖縄でも「後生」とされることが多い。音から考えると「後生」かもしれないし、本土の「後生」が伝搬したのかもしれないが、意味的には「世」が近いと思われる。「世」、つまり「ゆ」は、英語のregimeに近い意味がある。そこは、あんだ王の統治なのである。
 今日は、旧暦の1月16日。グソーの正月である(参照)。沖縄では「16日祭」「ジュールクニチー」とも言う。奄美では先祖正月とも言う。あの世の死者たちのための正月である。 今日、沖縄の各地では、酒と重箱を携え親族(門中)が墓を訪れ、後生正月(グソーショーガチ)を祝う。
 後生正月は中華圏では旧暦15日のランタンフェスティバル(花燈會)になる。籠燈(花燈)、つまり提灯を飾り、それ熱気球のように空に舞い上がらせる。このランタンフェスティバルを春節と勘違いする馬鹿者も多いが、さっさと今生に別れを告げたいのだろうか。
 干刈あがたが収集した先の唄は、グソーショーガチの唄だと私は思う。札を渡すこともだし、これが会合で歌われたものだろうということもだが、もう一つ符丁がある。あんだ王だ。
 「あんだ王」は干刈が解しているように閻魔大王だろう。「あんだ」は「えんま」の音変化だろうとは思うが、「あんだ」とだけ聞くと、ウチナーグチでは「てぃーあんだ」「あんだぐち」を連想させる。多分、違うのだろうが。
 本土の人間でも知らない人が多くなったし、しかたがないとはいえ、恥ずかしい勘違いも多くなったのだが、旧暦の1月16日は初閻魔(はつえんま)である。薮入りと言った方が通りがいいかもしれない。本土では旧暦が、戦後のGHQと社会党政権下のなごりか、撤廃されたため、新暦の1月16日に初閻魔(藪入り)ということになっている。「恥ずかしい勘違い」とはそういうことだ。
 本土でも正月と七月の16日閻魔堂に参る。閻魔参り、閻魔詣とも言う。大辞林を引くと、「俗にこの日は閻魔の斎日といわれ、地獄の釜のふたがあいて、亡者も責め苦を免れるという」とある(広辞苑もほぼ同じ)が、死者たちの正月だからであろうか、正月と解したのはウチナーンチュであろうか。藪入りについても、平凡社のマイペディアを見ると、使用は「元禄のころからで、もとは単なる休み日というだけでなく、大切な先祖祭の日で、他郷に出た者、嫁にいった娘などが実家に帰る日であったと思われる。」と呑気なことを書いている。日本の歴史を知るのには、沖縄や中華圏のことも知らなくてはいけないのに。
 さて、かく考えるに、この島唄は今日の日のものだろう。死者たちも、現世に帰りたいのだが、帰ることができないというのだ。
 干刈はこの後にもう一点、後生の唄を収録している。

後生の里主や ( ぐしょのさとぬしや )
如何る里主や ( いきゃるさとぬしや )
我が愛し子 ( あがかなしぐわ )
戻しならむ ( むどしならむ )

 彼女の訳はこうだ。

冥土の里主よ
どんな里主よ
私のいとし子
返してくれぬ

 干刈が先の唄と同じコーダ部分の「戻しならむ」を訳し分けている点に注意したい。後生(グソー)については先と同じだ。今度は、幼い子を失った母側の思いで切ない。「愛し」を「かなし」と読ませるのは、万葉集に馴染んだ人には不思議でもないだろう。

多摩川にさらす手づくり
さらさらに
何ぞこの子のここだ愛しき


父母を見れば貴し
妻子見ればめぐし愛し
世間はかくぞことわり…

 沖縄ではウチナーグチでは今でも使っている言葉だ。というか、民謡に多い。「かなさんどー(愛さんどー)」である。「みーあもーれ」である。
 愛がなぜ本土で切ないの意味になるかは古典の先生たちはきちんと教えているのだろうか。まあ、いい。「愛し」は室町時代ころまで本土では生きている。
 愛し(愛しゃる)と奄美と言えば、先頃結婚した元ちとせのラブソング「サンゴ十五夜」が連想される。この唄では「拝むいぶしゃた」が耳に残る。干刈の島唄にもこのフレーズは出てくる。現代の沖縄では聞かない言い回しだが。

アメリカ世暮らち ( あめりかゆくらち )
御頑丈見せる ( うがんじゅみせる )
御年寄ぬ姿 ( うとしゅいぬしがた )
拝みぶしや ( うがみぶしや )

 彼女の訳はこうだ。

アメリカ統治時代を経て
なお身心の毅然とした
お年寄りの姿
尊いことです

 沖縄なら、「うちなんかおじぃ、しにガンジューやっさ」である(ここで笑)。「拝みぶしや」は「尊い」でもあるだろうが、元ちとせの唄のように、「お目にかかりたい」という含みがあるのだろうなと思う。そして、私は亡き干刈にそう思う。

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コメント

事情があり停止していたWEBサイト「干刈あがた資料館」は下記URLで復活しました。

http://agata.asablo.jp/blog/

投稿: 丹沢山人 | 2008.07.21 23:30

丹沢山人さん、情報ありがとうございます。URLを修正しました。

投稿: finalvent | 2008.07.22 07:49

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