aとtheの話
英語の冠詞(article)、aとtheについて書く。といっても、あまり正当な説明ではない。雑談だ。その程度の話として受け取ってほしい。
で、のっけから余談。私は一応高校英語の教師の資格を持っている。が、専門学校で初等数学の講師はしたことはあっても、バイトの家庭教師を除けば、英語なんか教えたことはない。英語はからっきし苦手。だがイェスペルセン(Otto Jespersen)の文法はよく勉強したほうだろう。高校で学んだ英文法がどうも嘘なんじゃないかと思っていたからだ。イェスペルセンの文法はその点、なかなか独創的なしろもので、いろいろ腑に落ちた。初期生成文法のネタもイェスペルセン文法の焼き直しのようだった。
テーマのaとtheの使い分けだが、これは、OOP(Object Oriented Programming)で言うと、aがクラス(class)でtheがインスタンス(instance)だ。Flashだと、aがシンボル(symbol)。説明になってない? ちょっと違う面もある。が、とりあえず冠詞なしのdogがクラスに近い。
このdogクラスからできたa dogや複数形のdogsがインスタンスともいえるのだが、インスタンスはID(identification)管理するから、できるのはa dogとかじゃなくて、「ハチ公」とか「ポチ」とかだ。名前が付いている。こいつらがthe dogである。theが付くのがインスタンスだ。
HTMLだと、クラスからの継承(inheritance)という関係ではないのだが、aはclass指定、theはid指定に近い感じ。また、余談だが、HTML要素の属性であるclassやidはCSS(Cascading Style Sheet)のためにあるのではなく、あくまでHTMLの論理構造指定の補足のため。よく「論理構造はHTMLで指定し、見栄えはCSSで指定せよ」と言われる。が、CSSのためにclass指定やid指定するのは本来なら邪道じゃないか? でも、そういう指摘はあまり見かけない。もっとも論理構造とか言うならHTMLではなく最初からXMLとCSSを使えばいい。が、歴史的な背景からHTMLやHTMLからできたXHTMLを使っている。理想なんかより、歴史的な理由があるのというのが現実というものだ。
話を戻す。aとtheの違いは、aはクラス的なものを示すのに対して、theはIDに対応している。っていうことは、「theが付く名詞には固有名が付くのだけど、それがわかんないから、仮にtheを付けておくよ~ん」という含みがある。
Essentials of English Grammar |
以上でaとtheの説明終わり。で、いいのかぁ? 雑談だからね。でも、前振りのイェスペルセンはなんと言っているか(Essentials)。
The chief use of the article is to indicate the person or thing that at the moment is uppermost in the mind of the speaker and presumably in that of the hearer too. Thus it recalls what has just been mentioned.
と、既知情報の有無という点で、フィルモア(Charles Fillmore)みたいなことを先に言っていたわけだ。が、イェスペルセンの場合は、もっとコミュニケーション・モデルだ。つまり、二者間で共有される情報としてリファーされる対象がtheというわけだ。文章語だと、「読者もご存じ(as you know)」という感じか。もっと単純にこうも言っている。
The may be considered a weakened that.
このあたりは、イェスペルセンお得意の歴史考察があるかな。単純というより、ちょっと曖昧な言い方でもある。ソーシュール以前の言語学の雰囲気がある。つまり、説明に経時の概念が混在してしまっているのだ。ソーシュール言語学の偉大さはこんなところにもある。
イェスペルセンという人はけっこう面白い人で、母語はデンマーク語だ。エスペラントみたいな人造言語も作っている。デンマーク語はおそらく英語の祖語に近いせいもあり、その分、いろいろなインサイト(直感)も働くのだろう。この感じは沖縄語と大和古語の関係に近いかもしれない。そんな感じを伺わせる記述もある。
The article is used more sparingly in English than in may other languages; it is used chiefly when the word without it would not be easily understood as sufficiently specialized. There is therefore a strong tendency to do without. Example are father, mother, baby uncle, nurse, cook and other names of persons in familiar intercourse; further, names of meals:Breakfast is at eight.
He came immediately after lunch.
I am afraid we shall be late for dinner.But the article is necessary in speaking of the quality of a specified meal;
The dinner last Sunday was very frugal one.
改めて読み返して、ほぉとか思ってしまった。他の西洋の言語に比べて定冠詞が省略されやすいのかぁ、である。ネイティブと話していて、aとtheの使い分けに、どうも変なイレギュラーな感じがするのもそのあたりの、省略の感じなのかもしれない。研究社の辞書などには単純なものだ。
U[修飾語を伴い種類をいう時にはC]
とあるのだが、イェスペルセンの説明のほうが面白い。そういえば、「クラウン英和」を作った河村重治郎先生は、CountableだのUncountableというのを嫌っていたなと思い出す。立派な先生でした。ああいう人は現代にはいないだろうな。
ってな話をしていると不用意にだらだらするのだが、たらっとイェスペルセンの説明を読み直していて、も一つ、ほぉだったのは、New Yorkにtheは付かないが、Dover Roadにはthe Dover Roadとtheが付くのは、固有名というよりDover行きの道という意味合いが強いのだろうとの説明だ。なるほどねである。Dover Roadはクラスでthe Dover Roadはインスタンスなのだろうな。英語ってのは、冠詞の面で、ちょっと変な言語でもあるな。
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