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2004.01.31

企業内特許の対価は企業経営の一部

 今朝は日亜化学工業と、その特許の対価を巡る元社員中村修二(現米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授)の訴訟を避けるわけにはいかない。結果は中村の勝訴で二百億円の請求が認められた。金額面がいわゆる庶民感覚から飛び抜けているという点で意外感はあるが、ことの成り行きやこの発明の評価という点では、ある程度予想された判決で、逆にいえば、適当な減額でとほほ感を狙ってもしかたのないことだ。下手すりゃ、中村にノーベル賞がやってきて日本がコケにされるのがオチになる。
 新聞社説の受け取り方には、意外に陰影がある。理由はおそらく、端的に言って、執筆者たちがジャーナリストというよりは大企業のサラリーマンであり、彼らもそうした巨額の報酬を得てみたいなと思っているからだろう。朝日新聞社説「200億円判決――優れた発明に手厚く」の出だしが笑える。


 サラリーマン研究者でも、能力次第でベンチャー企業の創業者やスポーツのスター選手のような巨額の報酬を得られる時代が始まったのかもしれない。

 朝日の作文は書き飛ばしで出来ているので、この先読む価値もないが、概ね、肯定的に捕らえられている。というか、そうしないと頭脳流出(死語か)になるというくらいなものだ。
 読売新聞社説「発明の対価 『報酬』巨額化の時代に備えよう」は中村という異能な発明者への理解があるものの、むしろ企業よりの発言である。が、結論は朝日新聞と同じだ。
 毎日新聞社説「200億円判決 発明補償は経営リスクだ」は鮮明に企業に立っている。ある意味で小気味よいほどだ。

 米国の高額発明補償のシステムは、契約にたずさわる濃密な法務サービスに支えられている。日本にはそうした法務サービスが発達していない。だから米国流の高額発明補償の社会に移行するのは難しいと考えられてきた。
 ところが、特許制度の変更なしに、米国にも例がないような超高額補償の判決が出た。日本の企業社会は、司法からの爆弾をどう受け止めるか迫られている。

 「司法からの爆弾」という表現が面白い。それにしても、他紙がいまだにサヨクという線で論を対峙している間に、毎日新聞はなんか奇妙な次元に突入している。読者層が他紙と違うのだろうか。論の傾向としては、産経新聞社説「特許の対価 日本社会になじまぬ判決」も似たようなものだが、こちらはいわゆるポチ保守トーンで覆われていて面白くはない。
 社説としては日経がまともと言えるかもしれない。今回の訴訟について、経営に携わったことのある人間なら日経新聞社説「社員への巨額発明報酬判決の衝撃」のこのくだりに共感を覚えるだろう。

 青色LEDは世界的発明にもかかわらず、会社側が合計2万円の報奨金しか払わないなど対応のまずさもあった。企業内の研究者の独創力をきわめて高く評価するプロパテント(知財重視)の判決で、研究者の士気は上がるだろうが、企業の研究開発強化、技術立国にプラスになるかどうかは意見が分かれる。

 率直なところ、私の意見はこの日経に近い。
 私は、今回の訴訟は、研究者対企業という一般論の構図で捕らえるのは勘違いではないかと思う。というのは、もともとも独創的な研究に支えられる企業というのはそれによって特徴づけられる企業であり、そのような企業の健全な経営のありかたに、今回の事態への対応も必然的に含まれると考えるからだ。これも率直に言うのだが、私のこの感覚のほうが一般的なものだと思うがどうだろう。新聞執筆者たちの骨の髄からサラリーマンな態度のほうがおかしいと感じる。
 話は少しそれる。気になることがあるのだ。ちょっと物騒な話題かもしれないのだが、メバロチンなどスタチンの発見をした東京農工大学の遠藤章名誉教授(現バイオファーム研究所長)についてだ。秋田県のサイトにある「カビから夢の特効薬を発見」(参照)が参考になる。

大学を卒業して会社に就職し、食品製造に用いるカビとキノコの酵素の研究を8年間続け、その後、32歳のときにアメリカに留学しました。そこで、血中コレステロール値を下げる良い薬があれば、心臓病で苦しむ1億人以上の人々の命を救うことができることを学び、カビとキノコからコレステロールを下げる薬を探す研究をしようと心に決めました。
 帰国後の1971年からカビ、キノコなどを6,000株集めて、一株ずつ調べ、2年後に青カビの一株から強力なコレステロール低下剤(スタチン)を、世界で初めて発見しました。この発見から更に10数年の歳月と100億円以上の費用をかけて、スタチンの薬効と安全性が徹底的に研究されました。この間幾度も困難に遭遇しましたがすべて克服し、ついに夢の特効薬が実現しました。スタチンは1987年の欧米を皮切りに、100ヶ国以上の国で商品化され、現在約2千万人の患者に投与されています。

 スタチン剤が生み出した富を巡り、遠藤章と当時所属の三共発酵研究所の関係については、当人と会社間に問題もないのだろう。その後の経緯にも相応の配慮がされていると思われる。だから、今回の問題とは違うのかもしれないが、こうしたケーススタディが知りたいと思う。あと、「この間幾度も困難に遭遇」についてで、そこでコレステロール低下剤の特許が国際的にどう扱われているのかが気になる。一時期調べてみたのだが、よくわからなかった。ちょっと裏がありそうな印象は持った。

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コメント

昔話に、よく仁義礼智忠信孝悌がもりこまれているように、日本は義理に根付いている社会だと思う。だからそんな意識の強い人は、会社の中で発明されたものは、会社に属するモノと考えている。(たぶん文書にもあるのではなかろうか)研究費だって、会社が出しているのだし、商品としての責任も会社が負うのだし・・・。
でも、「2万円はあんまりだよな」は誰もが思う。発明したばっかりでは、対価はわからないのかも?ぐらいの考えしか及びませんが。対価は600億円ほどでしたが、それでも、会社自体も大きくなって、事業も拡大して、いろいろ投資もしているのだろうし、判決の200億円は痛いだろうなあ。
今は、言いたいことを言う時代になりつつあって、集団の中の一個人というよりも、一個人が表にでてくる。
企業が求めているのも、部品的な人間ではなく、アッセンブリーなイチカラジュウまでやるタイプの人間のよう。
(本当に必要かどうかは別問題。私としては、実際の現場では、企業が選んだそんな人間も部品的存在に位置づけられるのだと思う。だって、不在となった場合には、業務に支障があって危険なのでは?まぁ、部品的人間から抜けられない者の意見ととってくれてもいいですが・・・、それでも入社試験で重視するのは部品的人間ではないでしょうね。)
個人の能力が問われる時代ですが、まだまだ、個人の能力に対価をつけられない体制といえましょうか?社会に受け入れ態勢がない状態といえましょうか?結局はどんな人間も部品的な位置づけでしかない感じなまま?
(よそから、新しいことをとりいれているまねごとをしているだけだ。あれはだめ、これはだめ、常識ではないと言う。考えをとりいれたというだけで、他は、昔のまんまだよ→上司!)
と、結局のところ、自分の会社への不平不満、愚痴にたどりついてしまいました。(進歩がないね→自分)
企業と、教育(学力)、男女平等など、いろいろ話題はありますが、なんとなく自分にとっては、共通的な要素が含まれているような気がする。家庭の経済力への影響?息子の将来?能力と対価?もやもやっとしていてよくわからないのですが。

投稿: やまざる | 2004.02.02 02:07

やまざるさん、ども。企業の内部にいると、今回の裁判は理不尽に見えるかなというのはわかります。特に開発の現場にいると、特許の申請がノルマなんですよね。こうした実態を知らずに、日本は特許件数で米国を抜くって言うエコノミストがいるけど、ばかみたいです。これからの企業はどうなるのか。個人の能力かというのは、一般的には言えないかもしれません。ただ、能力と対価というのをあまり安易に結びつけてはいけないとは思います。歳を取って、ますますそう思うようになりました。

投稿: finalvent | 2004.02.02 13:36

このたび、日本国際賞を受賞したとのことでググっていましたら、こんな対談を見つけました。
http://www.jhf.or.jp/shinzo/mth/images/History-37-8.pdf
叔父は退職にあたり特許を持って行きたがったのを父が説得したと聞いています。
「譲渡した」と書かれておりますが、金額は父も「知らない」と言っていました。
上の対談を読んでいましたら、会社の対応に不満を持っていたことが良く理解できました。
確か、研究成果については個人に、製造・販売に関しては会社に帰属すると言う合意だったと、かすかに聞いたような気がします。
その後も、叔父の口から会社に対する不満を聞いたことも感じたこともありません。
詳しいことは知らないので、お役に立てなくてすみません。

投稿: 聞きかじり | 2006.01.14 15:21

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