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2004.01.27

幻想のクルディスタン、クルド人

 クルド人問題に触れる。非常に難しい問題だし、極東ブログの姿勢などに政治的な一貫性を期待しているむきもたぶんないだろうが、イラク・シーア統治を述べたところで、ポロっと「シーア派を使ってクルド人を抑制するほうがいい」という趣旨の本音を言ってしまった手前、補足しておきたい。「本音」というが、心情としては本音でもない。クルド人の歴史を見ると胸が熱くなる。クルド人が望むように支持してあげたい、そのほうがいいではないかという思いも強い。だが、なのに先のポロが出る背景を書いておきたい。
 クルド人問題について、ネットではどんな情報が飛び交っているのか見ると、「クルド人問題研究」(参照)という良質なサイトがあった。内容を見るまえに参考文献とあるので、それを見たほうが見識がわかると思って見ると、国内文献が多くしかも新しいので、研究者ではないのかと多少落胆した。非難しているわけではない。専門家のサイトを期待しすぎた。

cover
トルコのもう一つの顔
 プロフィールを見ると運営者は1972年生まれとのこと。そのことを非難するわけではないが、そういえばと思って、参考文献を見ると、トルコ関連の資料がないことに気が付く。ノー天気な大島直政などに言及する必要などないが、このトルコ関連の手薄さは少し気になる。また、奇書「トルコのもう一つの顔」(小島剛一著、中央公論社 1991年)が参考文献に含まれているが、この本の影響はどのくらいなのだろうか。
 同サイトに「クルド人問題とは」という総括があり、概ね正しいのだが、が、と躊躇するのは、すでにここに私の認識とは大きな乖離があるのだ。

 クルド人は、中東のトルコ、イラン、イラクにまたがる一体の地域(「クルディスタン」:クルド人の土地)に居住するインド・ヨーロッパ系の民族である。人口は推定2000万~3000万人で、アラブ、ペルシャ、トルコに次ぐ中東で4番目に多い人口を持つ大規模な民族である。しかし、現在の世界地図上に「クルド」もしくは「クルディスタン」という名の国は存在しない。クルディスタンは現在、トルコ、イラン、イラク、シリア等の国家に分断されている。数千万の人口規模があり、一定の領域に居住しながら、独自の国家を持たない民族は他に存在しない。

 間違っているとは言わない。そういう見解のほうが主流かもしれない。だが、私は本質的にこの認識は間違っていると思う。理由は、クルディスタンは排他的な領域ではないのだ。クルディスタンとされる地域にザザ人を筆頭として、多民族が存在している。また、「現状の世界地図」の現状の時刻は、現代ではなく、セーブル条約の時代だろうとみなす。
 セーブル条約は、第1次世界大戦後を終えた1920年フランス、セーブルで連合国側とトルコとの間に結ばれた講和条約である。講和とはいうが、ようするに、オスマントルコを列強が分割することだ。この条約が実現すれば、現在のトルコ南東部にクルド自治区ができることになっていた。これは狭義の国家としてのクルディスタンの原形と言えないでもないが、この時代の広義のクルド人居住域としてのクルディスタンの南部であるモスール州は、イギリスの手前勝手でイラクに編入ということになった。すでに国家としてのクルディスタンの原形の段階で分裂させられていたのである。しかも、イギリスの勝手。恣意である。ご都合である。こうした歴史を持つイギリスは熱心にイラク戦に参戦する素地がある。
 しかし、ご存じのようにと言っていいのか、日本をモデルにしてできた近代国家トルコ共和国は、列強とローザンヌ条約を1923年に締結し、トルコ領土を確立。ということで、モスール州を除くクルディスタンはトルコに編入させられた。かくして、クルディスタンという国家樹立の夢は消えた。
 この歴史に消えたクルド自治区とモスール州を加えると、幻想のクルディタンができる。「クルド人問題研究」でなんの限定もなく、クルディタンとされているのがこれである。極東ブログはこれを幻想のクルディスタンとするのである。もっとも、「クルド人問題研究」の「クルディスタンとは」(参照)では、アルメニア虐殺問題を含め、かなりきちんと状況認識が書かれているが、結論は読みづらいだろう、と思う。
 問題は、この幻想のクルディスタンに、一つの民族としてクルド人が住んでいるのだろうかということだ。もちろん、クルド人は住んでいる。だから、つい「一定の領域に居住しながら、独自の国家を持たない民族」と言ってしまいたくなる。
 おまけに、トルコはひどい。建前としては、トルコ共和国に住んでいるのがトルコ人=トルコ民族、よって、トルコにはクルド民族はいない。ということになる。だが、これを笑う資格は日本人にはない。まったくない。ゼロだ。クルド問題に関わる日本人ならまず日本の状況から関わってもらいたいとすら思う。目を遠くに向けるのは偽善だ。
 しかし、こうしたトルコの言い分は、時代とともに緩和されてくる。世界に散ったクルド人やその支援を受けて、トルコも建前だけでは通らない時代になってきた。そこで、現状のトルコ共和国では、それを構成する多民族の一つとしてクルド人を認めるものの、クルド人もトルコ共和国という国民国家の構成員としてトルコ人なのだから独立の必要はない、ということになってきているようだ。
 こうしたトルコについて、なお、クルド人は非難するし、独立を求めている、というふうに、欧米ジャーナリズムは時折あおり立てる。日本でも同じだ。私も、その口に乗せられていた、10年前、イスタンブルを見るまでは。
 イスタンブルの郊外をドライブしていると、やけにスラムが多い。先日イランで地震のあったバルではないが、泥煉瓦でできたような速成のスラム街である。しかも、そのスラムの形状が、なんというか、無秩序に増殖しているとしか見えない。なにが起きているのかとトルコ人に訊くと、クルド人だという。「東部から一族でやってくる」と言う。「やつらはすごい、子供を10人産む」と言う。どこまでが本当なのかわからない。それから、その人口の流れについて、簡単に説明してくれたが、その数値を忘れた。公式統計などないだろう。
 その後、トルコはますます下層民からイスラム原理主義が強くなっていったが、トルコのイスラム原理主義というのは民衆の互助組織である。つまり、国家の福祉が及ばないのだ。なぜこんな事態になるかというと、中国の盲流と同じ現象が起きていると考えるのが妥当であり、クルド人ばかりとはいえないせよ、クルド人などが都市スラムにかなりの量流れ込んでいるのは間違いない。
 そして、イスタンブルの町を見ながら、クルド人について考えた。まるでわからなくなった。夕暮れにホテルにつくと、人なつっこくよってくる靴磨きの少年がいて、同行のトルコ人は追い払おうとしたが、ま、ホテルに着いたことだしと別れ、少年に靴を磨いてもらった。翌日、トルコ人は、あれがクルド人だよ言った。
 以上、大局的な話と個人的な話を奇妙にくっつけたので「と」のような珍妙な話に聞こえたことだろう。私もこの体験と観察を公的に言う確信はない。だが、事態の総合的な意味での認識に間違いはないと思うようになった。クルド人の少なからぬ人口がすでにトルコの都市スラムに流動し、その住民になっているのだ。幻想のクルディスタンに残されたのがクルド人の全てではないし、そこにクルディスタンという国ができても、もはや、クルド人が帰れるわけもないのだ。
 小島剛一によれば、クルド人同士もすでに言葉が通じるわけでもないようだ。まして、イラク北部のクルド人たちと、トルコのクルド人と言語が通じるのだろうか。この点もはっきりとはわからないが、通じないのではないか。少なくとも、トルコで都市民化したクルド人は、クルド語を捨てているのではないか。
 こうした状況下で、イラクにクルド人の自治区ができるとすれば、それはどんな意味を持つだろうか? クルド人がクルディスタンの幻想を持つのはしかたないし、そこが幻想の拠点になるだろう。そして、トルコは猛反発を始め、トルコで都市民化したクルド人は取り残されていく。
 EUの勝手な思惑でトルコはEUに編入されるかもしれない。いずれにせよ、トルコ側にクルド人の自治区ができる可能性は少ない。結局、イラク北部だけが残されるだろう。クエートのように石油に依存した小さな国家を作ることはできるが、そのようにしてできた国家は拡大と統合の幻想を放棄することはないだろうから、つねに火種を持ち続けるだろう。
 なんという悲劇だとは思う。だが、現状では、クルドが新しい火種になることを避けて、歴史の時間の進み方を遅くするしかないのではないか。

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