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2004.01.26

確かに大量破壊兵器は見つからない

 今朝の朝日新聞社説「イラク戦争――脅威が幻だったのなら」を読みながら、重苦しい感じがした。ようは、朝日は、イラク戦争の大義はないだろう、脅威は幻だったのではないか、というのだ。もちろん、この当の問題については極東ブログとしては少し距離を置いていた。この戦争の是非については、このブログを開始する以前にごく小グループのなかでしか発言していない。しかし、それでも、どちらかと言えばそこで私はイラク開戦を支持していた。朝日新聞が言うように、今となれば、大量破壊兵器の認識において私は欧米に乗せられ、間違っていた、とも思う。
 が、2点、フセインがイスラエルを突く可能性と、それと、独仏露がイラクに対して兵器輸出や裏の石油取引していた状態は放置しておくべきではないと考えていた。結局のところどうかと言えば、その2点の理由で、今でもあの戦争を肯定している。
 だが、それゆえに、朝日新聞がことさらに「脅威は幻だったのではないか」として米国の非を責めることを、排除できるものでもない。
 むしろ、問題はイラク戦後統治の問題だったという点で、実は、今日の朝日新聞社説の見解は、新しい幻想を語っているに過ぎないと考えている。もし、フセイン体制を支えていた勢力、主にスンニ派を支持していたら、今日のイラクの混乱はなかっただろう。朝日がこんな時期にサヨの気炎を上げる目はなかっただろう。
 不味かったなと思うのは、米国は、あの時点で、亡命勢力を国家中心に据えようとぶれたのではないか、という点だ。もともと、この戦争の条件は、フセインの亡命だったように、戦争の大義はフセイン本人に絞られていた。詭弁のように聞こえるかもしれないが、開戦の条件という点では、大量破壊兵器(これをWMDと略す朝日新聞のセンスを疑う)は副次的な問題だった。もちろん、それは米国流のレトリックに過ぎないとも言えるだろうし、現状のリビアの折れ方を見ればあながちレトリックでもないとも言える。いずれにせよ、あの時点で、戦後体制は、暗黙の内に、現状を維持しスンニ派を温存することが想定されていた。そして、戦後の混乱は、マスメディアではフセイン派と想定したが、すでにシーア派の権力闘争の構図があった。米国の統治には大きなミスがあった。
 もう一点、朝日の論調で気になることがある。


 しかし、国際秩序の土台である国連憲章は、明らかに自衛の場合か、安保理が承認した場合にしか戦争を認めていない。大義を後付けして、あの戦争が正しかったか否かをあいまいにすることは、国際社会のためにも米国のためにもならない。

 率直に言って、こんなことをしゃーしゃー言うやつは偽善者であると思う。「国際秩序の土台である国連憲章」と言われて、鼻の穴がむずかゆくならない神経はどうかしている。問題は国連が機能できなかったことであり、国連憲章が国際秩序の土台たり得ていないことが問題なのだ。朝日のこの前提は、一見正しいように見えて、果てしない倒錯でしかない。
 だが、私も国連を機能させるべきだと思う。極東ブログはその視点からそれたことはない。国連をどうやったら機能させることができるのか。有志連合構想を破綻させ、日本を国連に組み入れる、という点で、小沢の常接軍構想を支持した。いずれせよ、国連をどう機能させるというのか。現実的な課題が残るだけだ。
 繰り返すが、朝日新聞の、大量破壊兵器をダシにした米国非難は、大きく的が外れているともに、極めて非現実的な幻想を日本国民に撒いている。日本は長いこと国連史上主義の平和の歌を歌っているだけでよかった。今でもその歌が歌えると思っているのなら、馬鹿では済まない。危険だ。

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