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2004.01.04

なぜフランスはスカーフを禁止するのか

 昨年、フランスのライシテ(非宗教性)について書き忘れていた。フランスでは日本同様信教は自由であるが、同時に憲法で「非宗教性」が明記されている。端的に言えば、フランス国家はまったく諸宗教から独立していなくてはならない、ということであり、そのことから公共病院や公教育において、宗教性が厳格に排除される。そこで、昨今の問題となっているのが、イスラム教徒の女子学生のヘッドスカーフだ。単純な話では、学校ではスカーフをしてはいけないということで、それに反対する生徒が退学処分にされたりした。この問題はイスラム教徒から猛反発を受け、社会問題になったのだが、年末シラク大統領は法制化を決断した。
 ニュースは、仏国家功労章を受章した山口昌子を抱える産経のニュース「公立校のスカーフを禁止 宗教色排除で仏大統領」が、国家寄りではあるものの、適切だろう(参照)。


 フランスのシラク大統領は17日、大統領府で国民向けに演説し、公立校でイスラム教徒の女子生徒がスカーフを着用することを法律で禁止するよう求めると発表した。
 11日の諮問委員会の答申などに沿った決定で、宗教色を排除し「共和国の価値」を再び強調して国民に結束を訴えるのが狙い。17日付のフランス紙パリジャンが掲載した世論調査結果では、スカーフ禁止の法制化に国民の69%が賛成、反対の29%を大きく上回った。イスラム団体をはじめ、宗教団体や与野党の反応もおおむね肯定的だ。

 記事からはイスラム団体が肯定的だとしているが、それは一面事実なのだが、別の側面では国際的な反発も強い。そのあたりは、ロイターの「フランス、スカーフ着用禁止に数千人が抗議デモ」(参照)などのニュースから伺えるが、この件でイラクなどもフランスに激怒していたと聞く。
 この問題について、日本のおフランスな哲学者はどう考えているのか意見を聞いてみたいものだが、実はこの問題はすでに湾岸戦争の時にある程度色分けはできている。ちなみに今回はジュリア・クリステヴァは断固非宗教性支持に回った。また、おフランスではないが、エドワード・サイードを担いでいた日本の知識人はなんというだろうか。サイードの世俗性とフランス国家の非宗教性を混乱するという珍妙な絵が期待できたら愉快だ。それでも、なんとなくだが、日本の知識人は宗教の自由の観点からイスラム女性学生のスカーフを認可しろとでも言うのではないだろうか。フェミニストはスカーフは性差別だとか言うのだろうか。イラクに行って言ってきな、であるのだが。冗談はこのくらい。
 シラク大統領の発言のニュースでは、ロイターなども含めて、目立たない程度の宗教的な象徴の着用はよしという点が強調された。先の産経のニュースでもそうだ。

 大統領は「イスラム教のスカーフやユダヤ教の帽子ヤムルカ、キリスト教の大きな十字架は公立校では受け入れられない」としたが「目立たない小さな十字架やバッジ、(ユダヤ民族の象徴)ダビデの星などは認められる」と述べた。

 じゃ、イスラム教徒女子学生だってミニコーラン(というものがある)をアクセサリーに付ければいいじゃないか、という頓珍漢な議論が出てきそうだ。似たような誤解は、現地で暮らしている日本人にもあるようだ。なにも非難しているわけではなく、よくまとまった記事で情報を提供してくれているのは評価するのだが、メールマガジン「フランスの片隅から」2003.8の「イスラムのスカーフ」(参照)を例にしよう。やや引用は長くする。

 フランスに来たばかりの頃(1997年)、私の頭にあったのは政教分離=公の場ではいかなる宗教的シンボルも着用してはいけない、でした。だから、大学図書館の窓口業務をしていたお姉さんが、タートルネックのセーターからわざわざ十字架を出して身に付けているのを見たときは、本当に驚いたものです。
 語学クラスで一度この話題になった時、ライシテ(非宗教性)がすべての宗教を否定するのでなく、すべての宗教を尊重する考え方なのだとしたら、宗教的シンボルを隠してしまうフランスのやり方は変じゃないか、という意見が多数を占めていました。私もそう思いました。それに、キリスト教の十字架がOKで、イスラムのスカーフがNGなのは変だとも思いました。
 でも、その後、学校に皆がそれぞれの宗教性を身につけて登校した場合の不都合を考えてみて、特に自分の意見がまだ定まっていない小学生などの場合、親が「あの子は**教だから一緒に遊んではいけない」などと介入したら、相手の宗教の尊重どころではなくなるだろうというところあたりまで話が進んできて、感情では割り切れない部分が残る問題だからこそ、理屈で線を引いておいた方がいいのだな、と思うようになりました。

 日本人はそう発想するのだなということと、別にこうした発想は日本人にも限らないのだとも取れる。だが、問題の本質はまるで違うのである。それはなぜイスラムがここまで女子学生のスカーフにこだわり、フランスの非宗教性に反発するかを考えてみるとある程度理解しやすいかもしれない。と、もったいを付けた書き方をしたが、ヘッドスカーフ着用はイスラムの法なのである。日本やキリスト教圏では、信仰とは個人の内面の問題に還元されているが、イスラムにおいて信仰とは法の遵守であり、スカーフの着用は法で決められているのだ。そしてこの法は、本質的に国家を凌駕する。イスラム教であるということは、イスラムの法が国家を支配することになる。これはフランスと限らず、近代国家には許し難いことになる。だから、スカーフが問題なのだ。
 と、書いたものの、反論はあるだろう。トルコはどうか。ドイツはどうか。マレーシアはどうか。この問題について、それぞれの国の状況は説明できるが、今日は省略する。だが、それでも端的に言えるのは、そうした折衷的な解決法が真の解決になるのかということ自体問われなくてはならないし、フランスの非宗教性がこの問題の本質を描いていることは間違いないということだ。
 フランスの非宗教性の直接的な典拠は、1958年フランス第5共和制憲法第2条「フランスは不可分の非宗教的、民主的かつ社会的な共和国である」なのだが、フランスと非宗教性の関わりはさらに1946年第四共和国憲法以前に遡る。重要なのは、「教会と国家の分離に関する法律 (1905)」だ。こうした問題の詳細は、フランス大使館の社会の項目の非宗教(参照)に詳しい。この文書は非常に面白い。読んでいてはっとさせらたのは、特に次の点だ。

以上のように非宗教性とは、単なる法的システムではなく、文化であり、エトス(倫理的規範)であり、また、論議を拒否する既成の言説によって精神を支配するような「聖職者至上主義」からの開放の動きなのである。クロード・ニコレ教授は、非宗教性のこの本質的な(そして体系化できない)側面を次のような言葉でみごとに明らかにしてみせた。聖職者至上主義による支配の試みに対して非宗教性が歴史的に成し遂げた勝利を、今度は、人間一人一人、市民一人一人が『自らの心において、絶えず実践していかなければならないのだ。人は誰しも、他人や自分自身に対して強制的態度を取りたがる小さな「帝王」や小さな「聖職者」、小さな「重要人物」、小さな「専門家」に、いつでもなりうるのだ。それは強制されてかもしれないし、誤った理論からかもしれないし、単に怠惰や愚かさによってかもしれないが』。しかるに、非宗教性は『そのことから身を防ごうとする、困難ではあるが日常的な努力なのである。(中略)非宗教性とは、知性と倫理の厳密さを最大限に高めることで最大限の自由をめざすことであり(中略)、非宗教性には、自由な思想が必要である。

 つまり、非宗教性の本質は法によって体系化できるものではなく、自由を求める市民の義務とせよするエートスなのだ。フランス革命は続くよ、どこまでもである。
 なお、この正月、靖国問題をうざったく語ったついでの文脈で言えば、そうはいっても、フランスはパンテオンや凱旋門を舞台に国家儀礼を行うし、戦死者を国家の儀礼で弔う(この点は日本でも先日の外交官の死で目にした儀礼に似ている)。その意味で、国民国家であることは不可分に宗教的な共同性を発生させてしまうのだが、そこがまさに理性の限界でもある。ただ、ではそこから靖国の理論が生まれるかというと、私は違うと思う。その背景にはフラタニティ(現代フランスでいうならソリダリテ)が問われるからだ。フラタニティはソサエティでもあり、資本論的なアソシエーションでもあるのだが、この問題を系統的に議論したものを私は読んだことがない。

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コメント

最近はフランスがカルト(セクト)対策をしていて、「新しいライシテ」という概念が宣伝されたようですね。
考えの基本は、宗教的の自由よりも人権の方が大事なのではないか。
宗教の自由を盾に人権侵害や犯罪に手を染めたり洗脳したりする団体に政府が対処するのはライシテの原則に反しない。
という感じのようです。
バチカン公認のキリスト系団体までセクトとして取り扱われましたし。
小泉洋一教授はこの辺を学問的に研究してきたようです。

フランスの反イスラムはどっちかというと宗教というより移民問題で、イスラムに国をのっとられるのではという国民レベルでの恐怖もあるようですね。
差別的な表現になるので良くない例えですが、気づいたら日本が韓国人の国になっていたらという感じでしょうか。

規模が小さく問題行動の多いセクト問題とは全然違う。

投稿: s | 2007.04.05 12:49

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