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2004.01.25

韓国フリーペーパーの話など

 先日ラジオ深夜便で韓国在住日本人による大衆文化の話があって、面白かった。まず、れいの日本文化解禁のようすなのだが、ごくフツーに受け止められているらしい。反発もなく熱狂もない。視聴率の面でも韓国ドラマとどっこいどっこいといった程度らしい。解禁はケーブルテレビに限定されているせいもあるのかもしれない。放映されているのは、ちと古い作品のようだ。実際に見た韓国の若い女性の話では、登場人物が少ないとのこと。そうした話を聞いて、あ、そうかもねと思う。そういえば、NHKの大河ドラマを見なくなって久しいが、昔は、けっこう登場人物がいた。歴史ドラマのせいもあるのだが。
 現状、韓国では日本のドラマは熱狂的に受けているわけではないが、ある種新鮮な感じはあるらしい。どのあたりかというと、家族が出てこない、ということらしい。それもわかるなと思う。私は韓国には疎いが、沖縄には長く暮らしていたのでああいう家族はわかる。ある意味、「渡る世間に鬼は鬼ばかり」も、そうした時代の名残りであるかもしれない。ついでだが、韓国ドラマは、大企業の御曹司と貧乏な娘の恋愛というのがパターンらしい。すごく、つまんなさそうである。
 私はあんまりドラマを見ない。最近のものでは、って最近でもないか、沖縄にいたので「ちゅらさん」は見た。もちろん、いろいろ思うことはある。その続編は、しょっぱな挫折した。今度パート3ができるらしい。どーでもいいよと思う。あんな番組本土で受けているのだろうか。昨年だが、テレビガイドを見ていて「幸福の王子」というドラマのシノプシスにちと関心があって、最終回だけ、ザップしつつ見た。最終回だけ見たというせいかもしれないけど、ひどいシロモノだった。みなさん、青春の残骸をどう始末して生きているのか気になるが、あんなお笑いなのか。
 このところ、ちょいとした偶然で「ちょっと待って、神様」を見ている。といって、HDに自然に溜まるのを見るだけだが、原作大島弓子「秋日子かく語りき」じゃ、見るっきゃないじゃないか。マンションを買った金策もあってなのか、角川ベースになってから数年の大島弓子の作品は、ものすごいクオリティだった。あれはいったいなんなのだろう。その後、なんだかサバの話ばっかで、大島弓子の作品は追っていないが、井の頭公園でぼーっとしていると、大島さん何を考えているのだろうと思う。
 話を戻す。韓国での日本ドラマは字幕らしい。吹き替えじゃない。大衆ものは吹き替えがいいのだがなと思うが。台湾で見た日本のトレンディ・ドラマみたいな感じなのだろう。今韓国でどのくらいの人が日本語の口語を聞いてわかるのだろうか。60歳より上なら、聞いてわかるだろうが、衛星放送で入ってくる日本の放送を定期的に見ていた層はどのくらいなのだろう。そう少なくもないはずだ。私の歳、40歳半ばくらいになると韓国人は漢字がどのくらい読めるのだろう、と、同級生の朝鮮人留学生を思い起こすが、ま、たいしたことないな。漢字がわかれば、日本語の印刷物はたいていわかる。わからなくなるのは、カタカナ語が増えるあたりだろうが、それにしても英語の基礎があれば、発音してみればカタカナ語もわかるだろう。印刷メディアの間では、ハングルでべた書きしなければ、日韓にあまり隔たりはない。
 現状、韓国では日本ドラマを見る世代にとって日本語は外国語だろう。たぶん、でいうのだが、日本に遊びに来ている層も多くなっているのではないだろうか。ネットで阿呆なこと書いている韓国人はダサイやつらなんだろう。
 話が少しずれるのだが、韓国ではフリーペーパーが盛んらしい。部数から言えば、主要紙を抜くようだ。ほほぉである。極東ブログもネットから韓国主要紙をちらちら覗くのだが、注意しないといけないのは、主要紙といっても日本の新聞事情とは異なることだ。韓国でも基本は地方紙。地方から発言される、か、というと、やはり都市集中はさけられない。が、その都市部がフリーペーパー志向らしい。
 韓国のフリーペーパーは地下鉄ベースで配布されていて、内容はというと、けこうベタなニュースと広告だけらしい。エディトリアル、つまり、社説みたいのはないようだ。広告取りの関係から、主張などはうざったいのだろう。
 日本ではなぜフリーペーパーがいまいちなのだろうか。逆にチープな雑誌が盛んだ。チープといってもその英語の語感とは逆に雑誌の作りとしてはクオリティが高い。基本的に日本の雑誌なんか、フリーで配布してもよさそうなものだが、そうもなっていない。年明け早々、またまた各種雑誌が統廃合される気配だが、なんとも経営面で踏ん切れないのだろうか、という感じはする。
 日刊ゲンダイや夕刊フジなど、フリーペーパーにしてしまえばいいと思うのだが、経営的に無理なのだろうか。そんなわけないと思う。一番構造改革が遅れているのが出版界だしな。
 関連して気になるのだが、特に日刊ゲンダイなのだが、なぜああもサヨくずれなのだろう。あれ読んでいるとサラリーマンの知性が摩滅していくような気がする、が、ま、そういうものでもないのか。ニュース性はなんもない。ジャーナリスト魂などフォーカスの100分の1もないように思うが。
 日本になぜフリーペーパーがないかというと、ようは、出版界でいうところの棚の問題だろう。キオスクに置けるかということだ。韓国だと無人の台に置いてあるだけだが、日本ではそれができない。昔、レディコングというタブロイドの試みがあったが、早々にずっこけた。後続は無理だろう。
 じゃ、コンビニで撒けばと思うし、実際ある程度撒かれているが、どれもサブカルというかポップカルチャー系ばかりだ。TVブロスあたりが価格といいビミョーな線だが、サイゾーといい、日本のサブカルっていうのは、なぜ、ぐだぐだ物が言いたいのだろう、って、なんて言えば、極東ブログがせせら笑われるようではあるが。
 そういえば、昔、六本木レオパードキャットがつぶれたころだったか、Tokyo Journalが面白かった。港区でナイトライフに飢えた流しの米人とかがけっこう情報交換に使っていた。私も暇になるというか、適当にまざったりした。FENも地域コミュニティ情報が多い。あの時代、そうした話からつるんでいると、六本木で金がなくても遊べた、といって、「六本木で遊ぶ」という現代の表現ではない。
 話にオチはない。私にはサブカルの関心もない。おわり。

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