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2004.01.10

乙支文徳

 中国が高句麗史を中国史に位置づけようとしていることに対する韓国の反発が激しい。日本人にしてみると、当面は関係のない騒ぎではある。韓国の民族主義は怖いものだなというのが私などの率直な感想だ。そうした中、韓国で象徴的に取り上げられるのが乙支文徳(ウルチ・ムンドク)である。
 中央日報「高句麗歴史歪曲糾弾集会」のニュース(参照)では民族史観高校の生徒と中国歴史歪曲対策民族連帯会員らが、ソウル孝子洞の中国大使観前で、乙支文徳に扮して、中国の高句麗歴史歪曲を糾弾する集会を開いている。
 現代日本人にはちょっとなぁではあるが、確かに、乙支文徳を英雄と評価したい気持ちはわからないでもない。それにしても、なぁという思いが私のような歴史家(毎度ながら嘘です)にはあるので、ちと書いてみたい。あまり偉そうなことを言うつもりはないが、日本人は乙支文徳のことを知らないのではないか。テコンドーの型名として知っている人もいるだろうか。少しGoogleを引いてみたが、韓国政府発表の垂れ流し情報ばっかりで、がっくりしたので、少し書いておきたいのだ。
 背景となる話は隋と高句麗の対立がある。一応日本人なら、遣隋使ということで隋については知っていることだろう。だが、日本人の中国史の知識は正史に阻まれて中国のバイアスが入りがちだ。煬帝を「ようだい」と訓じるのも呆れたものだ。
 隋を起こした文帝は同時に、その前の時代の南北朝対立に終止符をうち中国を統一した、というのは史実なのだが、ちと裏がある。文帝こと楊堅はその名が中国名なのだが、この楊氏初代は燕に仕えていた。燕は鮮卑慕容部族が打ち立てた国で、中原からの亡命民なども受容していたったので楊氏もそうした部類かもかもしれないのだが、彼が太平太守(軍事司令官)となっていたことを考えに入れると、軍才に長けた鮮卑であったと考えるほうが妥当だろう。岡田英弘の「世界史の誕生」を参照すると、楊堅の父楊忠は普六茹という鮮卑名があるとのことだ。隋は北魏同様、鮮卑の王朝と見ていい。ちなみに、唐も鮮卑である。
 この文帝は、中国統一の勢いをかって、598年に第一次の高句麗侵攻を開始した。もののだ、準備も整わず天候や疾病なのでほぼ戦わずして敗退。当時の高句麗平原王も、侵攻が現実となるや、びびって表向き謝罪でことを収めた。隋の侵攻の理由はもともと拡大の意図もあったのだが、高句麗側も防戦準備から隋を刺激し続けたこともある。
 ここで重要なのだが、現在の韓国の歴史は、しゃーしゃーと韓国対中国の図を描いているのだが、この時代の朝鮮半島は全然統一されていない。どころか、百済は元から北魏重視政策から高句麗を攻勢することが国是でもあり、この第一次侵攻でも高句麗攻めの先頭を隋に申し出ている。これが高句麗の怒りを買うことにもなるという香ばしい関係が半島内にあった。日本の古代史もこの香ばしさに包まれているのだが、その話は避けよう。
 煬帝の時代になると、親父の意図を継いで、高句麗侵攻の夢がもたげてくる。それに併せて、半島内でも高句麗に対立する百済や新羅が隋にすり寄りといった事態にもなる。詳細な話は省くが、隋は、前回の反省からロジステックスとしての運河ができるのを待って、612年に第二次高句麗侵攻を開始した。200万という大軍なのだが、高句麗に近づくやロジステックスに不備。隋内部でも山東半島などで反乱勃発。
 かくして、第二次の高句麗侵攻の軍も疫病で大軍が自滅していくことになる。もっとも、韓国の歴史ではこの大軍を小勢で打ち破ったのが乙支文徳であるということになっているのだ。そういう見方が成立しないでもない。
 乙支文徳に着目すると、戦時当初は、さっさと隋軍に降伏しているのである。が、隋軍の惨状を見るや降伏を自主撤回。逃げる逃げる。高句麗軍に戻り、「がんばれるかもぉ!」ということになった。不屈と評価するか、私のように下品な評価を我慢するかは意見が分かれる。そして、隋軍が平壌近くまで侵攻してくると、乙支文徳はまた停戦を申し出て、平原王とともに隋に謝罪しようと提案。ごめんねで済むなら謝っちまえ主義である。
 が、これもまた嘘。乙支文徳、あっぱれにも、引き上げる隋軍を後ろから打つ打つ。よって隋軍壊滅。いやぁ、これこそ武術ってやつです。乙支文徳、さすが。こうした歴史は韓国で知られているのだろうか。
 煬帝は怒る。613年第三次高句麗侵略開始。でも、隋だってもうぼろぼろ。内乱が起きて、途中で引き返す。くそぉである。が、煬帝不屈の精神である。プロジェクトX(ばつ)こと、翌年第四次侵略開始。
 しかし、隋軍の兵士だって逃げる逃げる。それでも平壌近くに攻め込むや、またしても高句麗はやってくれるぜ。当時の嬰陽王は降伏を願い出る。以後、きちんと朝貢しますと泣き落とし。なんぼ頭を下げても減るもんじゃない! この時、乙支文徳が何をしていたのかわからない。
 かくして、煬帝も怒りを静めて兵を引いたものの、高句麗嬰陽王は隋軍が帰還すれば、ばっくれ。朝貢なんて知らんぷり。煬帝、怒る。が、理性を失ううちに、突厥が反乱。さらに反乱はつづき、618年煬帝は家臣に暗殺。かくして隋一巻の終わりとなる。
 歴史は鏡である。乙支文徳に模して中国に楯突く現代の韓国が、もし本当に中国の怒りを買えばどうなるか。私はだいたい予想が付くのである。

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コメント

代わりと言ってはなんですが・・
ちょっと聞きたいことがあって・・・

お肉屋さんのことなんですが・・・

(ここから少しヤバくなるかもしれません↓)

ぼくの認識では、
肉屋とか解体業って確か・・

「社会的地位が低い」とされる職業だったと思うんですが・・
その経緯は「カムイ伝」とかにも出てたんですけど・・


で、
質問です


日本にいる朝鮮の方ってよく、焼肉やさんしてますよね?

あれって・・

そういうのと関係あるんですか?
それとも
ただ単に、スキルとかルート的に肉に精通しているから・・ですか?


・・どうなんでしょう??


投稿: m_um_u | 2004.01.10 14:33

あ、面倒だったら流していただいてもいいし・・

長くなりそうだったら
blog記事のほうで上げていただいていもいいです

(すみません、面倒ごとばっかで・・)

投稿: m_um_u | 2004.01.10 14:48

ども。直接的には、ない、というのが答えになるはずです。一般的には食肉文化に慣れているからというはあるでしょうね。この問題はもう少し奥が深いですが、この程度で、ご勘弁。ちなみに、「コリアン世界の旅」(野村進)は読みましたか? 今では講談社プラスアルファ文庫になってます。

投稿: finalvent | 2004.01.10 14:52


あ、読んでないです>「コリアン世界の旅」。

じゃあ、それもこんどあたってみます


ありがとうございました m(_ _)m

投稿: m_um_u | 2004.01.10 15:18

管理人の朝鮮嫌い、中国びいきはよくわかりました。

投稿: | 2010.11.05 17:22

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