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2004.01.08

円高、防戦あるのみ

 毎日新聞社説「ドル安円高 介入は愚策 米に注文付けよ」を取り上げる。問題の背景はドル安円高だ。問題は、この原因をどう認識し、どう対処するかだ。単純であることが悪いわけではない。毎日新聞社説の結論は単純だ。つまり、原因はドルの威信が低下していることであり、対処としては日銀の介入は誤りだから日本国政府は米国の財政に文句を付けるべきだ、というのだ。
 私は毎日新聞の認識は間違っていると思う。私の認識がそれほど正しいという感じもしないのだが、最初にそれを書いておく。まず、原因はドル安は米国の財政戦略そのものである。そして対処なのだが、原則論ではなく、臨戦体制を維持せよ、つまり介入せよである。円高、防戦あるのみ。
 奇妙な言い方になり、失笑を買うかもしれないのだが、マクロな経済問題というのは原因が的確に認識されれば対処が的確になるものではなく、皮肉にも原因の推量が違っていても対処が的確になることがありうる。本質的な複合性を持っているからだろう。と、逃げのようだが、そうとしか思えない。余談ついでに少し暴言を吐くと、マクロ経済というのは学問の方法論上本質的な倒錯なのではないか。というのは、最大のパラメーターである人間の欲望を常に疑似化する(方法論上当然でもあるが)。
 以下、さらに失笑を買いそうなことをあえて書いていきたい。まず、毎日の次の筆法が私には理解できない。


 しかし、このドル安は手放しで喜べるものではない。景気回復の裏側で財政収支、貿易収支が5000億ドルもの大赤字となっているからだ。

 私は単純に思うのだが、米国はその赤字解消に政策的にドル安としている、でいいのではないか。毎日新聞にはなにが不満なのか、よくわからない。日本経済への杞憂のつもりなのか。
 関連して、誰もが気になるのだが、ドルの威信が揺らぎ暴落するのだろうか。私は、そのストーリーはなさそうな気がする。こうした私ようなぼんやした安心感自体がドルの魔力かもしれないのだが、私はドルの存在自体が、対アジアと対EUの経済兵器になっていると思う。というのは米国の国民の実体経済はNTFTAで保護されているし、あの国はもともと貧富の差といような国民の統合意識に乏しい。逆に言えば、その愛国心から国民の平等な統合意識に、この大統領選に関連してぶれるかどうかという点が、米国の大きな揺らぎをもたらすという意味で、潜在的な地雷なのではないか。またカーターが出ては目もあてられない。もともとゴアじゃなくてブッシュというあたりに米国のとんでもない田舎っぺ性がある。
 対処側として、毎日新聞のいうように、米国財政に口出しせよといっても、そもそも無意味じゃないのか。小林よしのりがいきまくようなお笑い漫画を繰り広げてもまさにその場しのぎの慰撫にしかならない。米国に注文を付けるならそれなりの脅しを使わないといけないのだが、日本は腹をすえているわけでもない。ちょっと気持ちの悪い言い方だが、田中角栄くらいの玉がいたら、中国を操ってできるかもしれない。が、それは夢想だ。
 私が是とする介入の臨戦態勢維持だが、正直言うとこれは、けっこう日本にきつい選択になるのか、よくわからない。無知をさらけ出すことになるかもしれないが、あえて言うのだが、日銀の大規模介入というのはマクロ的にインタゲと同様のエフェクトをもたらすのではないのか? 単純に言えば、無駄なペーパーマネーをじゃぶじゃぶと垂れ流せ、と。ただ、このあたり、デフレの根幹自体が円高かも、というのと多いに矛盾して大笑いかもしれない。
 冗談はさておき、現状、円高でびびる日本を狙って、投機筋から大規模な戦闘が起きるのから、それにはまいどまいど本気で水をかけたほうがいい、と思う。先日の「毎日新聞曰わく、溝口財務官は狂気の沙汰」(参照)では、私もそーかなとも思った。年末だったか年始だったか、塩爺も出てきて2003年の為替を議論する番組を見ながら若干考えを変えた。
 番組を見ながら気になっていたのは、溝口財務官の大規模介入の評価だ。番組は、どうも私のような素人では、エコノミストのヒドンコードによるメッセージが読み取れないのだが、概ね、「しかたないか、しかし、効かなかったな」ということのようだ。つまり、「効かせるようんするしかねーだろ」だ。という背景に塩爺がうまく説得を持たせる風でもあったが、あれっと思ったのだが、塩爺たちは円安ドスンの状態を誰が起こしたか犯人捜しをけっこうやっていたようだ。なにも私もその線で話に載るわけではないのだが、ようは、日銀自体も覆面介入なのだが、為替に意図をもって介入するタマは誰かが決定的な要因になりそうであり、そういうタマのアタマがなければ、小タマは国家的な介入でけちらすべし、でしかなさそうだ。
 この点はちょうど毎日新聞の視点と逆になる。毎日は日銀介入を批判する理由の筆頭を次のように言う。

第一に、介入で相場の転換を図ることは、プラザ合意などの例外を除けば不可能だからだ。大規模であるとはいえ一国で達成できると考えているのか。この先も巨額の介入を続けることは、むしろ、投機筋にドル売り安心感を与え、ドル安を加速しかねない。その結果として、同特会の含み損が増えることになる。

 違うだろうと思う。当面の問題は安定的な相場ではないからだ。ただ、問題は投機筋の規模にどこまで日銀が対抗できるかということだし、この日銀のボロボロな姿がどこまで各国にどのようにアピールされるかということでもある。そして、必然的な円安はそもそも阻止できないのだし、それに乗じた投機というのは、正当なものだ。
 気になるのは、そうした投機筋の規模なのだが、それらが小国を越えるのは当然だが、どのレベルになるのだろう。さらに変なことを言うのだが、その規模が日本を越えて、日本が撃沈されるということになるとすれば、それはそれで正しい帝国主義の進展なのではないか。それは、私は、100%ブラックジョークではないなと考えている。EUというのもそういう意味では通貨戦争の保護だし、オーストラリアやニュージーランドなどいずれ雌雄を付けなくてはならないし、なによりアジア諸国だ。と思うと、中国に下るわけにもいかないのだから、ニッポンは期待の星であるべきなのだろうな。

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「時事」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。
毎日の経済記事は相変わらず無茶苦茶ですね。浅学な僕でも容易に突っ込めるところが沢山あります。

まず、円高の今、外為特会の含み損を心配するのは、日銀のバランスシート毀損を心配するのと同じくらいナンセンスです。
外為特会というのは政府の日銀に対する借金ですが、そもそも政府と日銀は一体なので分けて考える必要はありません。日銀のバランスシート云々も同様です。
また含み損と言うことで、まるで政府+日銀が損しているように見えますが、そもそもただ同然で用意できる円で買っているドルなので、本当に損となるのはドルの価値がマイナスにならない限りあり得ない話です。
もちろん円安を心配している場合はいくらでも円を用意することはできないわけですが、今は円高を心配しているわけですから何の問題もありません。そういう意味で介入額の上限引き上げを今どうこう言うこともナンセンスです。まあいずれ円安になった際にはこの上限値が規律を示すものとして働くんでしょうが(その際は当然上限値を引き下げる必要があるでしょう)、それは今心配することではありません。

上記と同じロジックで、投機筋うんぬんを心配するのもナンセンスなのは前にも書きました。投機筋を心配しなくてはいけないのは、円安を防ぐために円を買い支える、つまり有限の外貨準備であるドルを放出しなければいけない時だけです。
つまり、いくらでも円を発行できる現在の状況において(その覚悟が日銀に全然無いのが問題なわけですが)、投機筋なんか心配する必要は全くありません。そもそも今の為替の動きが投機筋によるものかどうかも非常に怪しい。勝ち目のない勝負をする馬鹿はいません。

それにアルゼンチンを例にひいているのは何をかいわんやです。ドルペッグによる固定相場制の問題(それも当初のインフレ退治では十分有効だった)と日本の状況を比べるのはナンセンスを通り越して絶句の一言です。経済の話をするのであれば一度はまともな教科書を読むべきでしょう。

結局毎日新聞は米国に対しとりあえず何か文句を言いたいだけのように見えます。

話変わって、現在の円高の背景を展望するのに面白い論説があるのでご紹介します。先日お薦めした本の共著者のひとりが書かれているレポートです。この「円高の足枷」と言うテーマはその本でも触れられていたと記憶しています。

「円高の足枷」は克服可能か?
http://www.csfb.co.jp/client_entrance/research/economic/eco031128.pdf

他にもここのレポートには興味深いものが多くありますので(大恐慌時と現在の経済論戦の比較など)参照されると面白いと思います。
http://www.csfb.co.jp/client_entrance/research/economic/jec_week.htm

コメント長すぎですね・・・。失礼しました。

投稿: svnseeds | 2004.01.08 13:43

svnseedsさん、どうもです。自分の無知さ加減を思い知るのですが、それはそれで些細なブログの芸かぐらいの厚顔です。ただ、こうして追跡しつつ考えてみたいとは思っています。少し話変わって、「平成大停滞と昭和恐慌 プラクティカル経済学入門」「エコノミスト・ミシュラン」を読みました。昭和恐慌の分析には、驚きました。私も当然というかあれは財政出動だと思っていましたし、あの状況が戦時経済そのものと考えていたので、思考を切り替えるのは正直なところまだまだ困難を覚えます。総じて、テクニカルな部分は素養がないので十分にわからないのですが、論旨の読み取りはできるし、それはしかも了解可能です。自分のなかにある躊躇をどう考えるかが、私的なことかもしれませんが、大きな課題です。余談ですが、bk1の書評子子母原心という人はすごいですね。

投稿: finalvent | 2004.01.09 11:03

ご丁寧にどうもです。
僕もシロウトなんで日々自分の無知さ加減を晒して恥をかきつつ勉強しています。片手間なんで全然捗らないんですが。これからもよろしくお願いします。

さて、本の紹介ばっかりで恐縮ですが、次の2冊はどちらもfinalventさん好みで面白いと思いますのでまたお薦めさせてください。

「大恐慌の教訓」ピーター・テミン、東洋経済新報社、1994
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4492370749/
大恐慌期の米国、英国、ドイツを主に分析対象としています。「平成大停滞と昭和恐慌」でも参照されていたかと思いますが、現在の経済学の大恐慌分析のスタンダードとも言えるものです。
巷間言われる「大不況脱出のために戦争を起こした」と言う理解が如何に浅薄なものかがわかる良書です。また、現在の経済論壇のおかしな議論のほとんどが、未だに金本位制の思考の枠組みから逃れられていないがためのものだと言うことも良くわかります。
finalventさんの好みにばっちりはまる本だと思いますが如何でしょうか。入手が難しそうですみません。

「経済学思考の技術 ― 論理・経済理論・データを使って考える」、飯田泰之、ダイヤモンド社、2003
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4478210489/
(立ち読み)http://book.diamond.co.jp/cgi-bin/d3olp114cg?isbn=%34%2D%34%37%38%2D%32%31%30%34%38%2D%39
そもそも議論とは何か、論理的思考とは何か、と言うところから始まって、「例題として」現実の経済問題を考えてみる、と言うちょっと変った入門書です。恐らく「自分のなかにある躊躇」を考える際のヒントになるのではないかと思います。
詳しくは上記アマゾンのリンクから、ケインズ氏、ブー太郎氏の書評をご覧になることをお薦めします。余談になりますが彼らの書評も子母原心氏のそれと同じくらい楽しめると思います。

投稿: (svnseeds) | 2004.01.09 15:13

コメントを編集してsvnseedsさんのお名前を補足しました。お薦めの本、少し先のことになるかもしれませんが、読んでみたいと思います。ご指摘のとおり、この問題は私にとってかなりの再考が必要です。私は時代背景もあり、マル経/近経という枠のなかでしか見てません(サミュエルソンの分厚いヤツは教科書でしたが…)。マル経における恐慌論はかなり重要なのですがあのあたり、私の考えでは、マル経が時事上放棄しているように見えました。資本主義は必然的に恐慌になる、が、現象としてならない。その命題自体も疑わしいのですが、おそらくそれは国家の政治機能です。ケインズも結局その国家機能と経済機能の機能分析だったのでは。とま、古くさい話です。

投稿: finalvent | 2004.01.10 08:54

ありゃ、名無しになってしまってすみません。

うーん、マル経ですか・・・。正直、あんまり筋が良くないと思います。まあ僕はマル経良く知らないんですが。
ただ、マル経を源流とした考え方や概念は広く流通しているみたいですね。「反経済学」的な考え方などその最たるもののようです。稲葉振一郎氏のHotWiredでの連載をちらっと読んだ限りですがそう思いました。
http://www.hotwired.co.jp/altbiz/inaba/020122/textonly.html
この連載、大幅に加筆された上で最近単行本化したようなので興味がおありでしたらどうぞ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4492394230/
僕はまだ読んでませんがそのうち読むと思います。ってまた本薦めちゃいましたね。すみません。

また、経済を語るのに必要以上に政治を持ち込むことも、僕には筋が悪いことのように思えます。これについてはちょっと時間をかけて考えたいと思っています。いずれ日記で書ければと思ってますが、大きいテーマなので時間がかかりそうです。ライフワークになるかもしれません。そんなものライフワークにしてどうすんだと思うんですが。

ではでは。

投稿: svnseeds | 2004.01.12 22:02

どもです。「経済を語るのに必要以上に政治を持ち込むことも、僕には筋が悪いことのように思えます。」という感覚はわかる気がします。というのは、それは一種、安易な罠になりがちです。このブログで茶化してばかりで悪いにですが、田中宇とかですね、この人、まるっきり基礎のない人ではないのですが、ああなってしまうのでしょう。それだけ思考の誘惑です。
 ただ、それでも私なども政治の機能に考えがぶれるというか、むしろ経済側からみると「政治」とは機能なのだというふうに見えてくる面があります。このブログでもその線が続く面があるのですが、あまり酷いときはご笑覧ください、と逃げているわけではなく、率直な思いを書いていきたいと思っています。気になっているのは、当面はユーロ対ドルです。
 お薦めの本、これも読書To Doに入れておきます。マル経は、ある意味、歴史に接続しやすいのですよ。森嶋などの数理モデルはそれほどっていう感じなのですが。

投稿: finalvent | 2004.01.13 08:58

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