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2004.01.07

社会の男女差別は問題だが…

 朝日新聞社説「男女差別――和解は大きな前進だ」を読んで複雑な気持ちになった。極東ブログ毎度のくさしをするつもりはない。この手の問題は無視するほうがいいのかもしれないとも思う。ただ、自分の心のなかのもやっとした気持ちに向き合ってみたい。またしても私的な話かよと、言われるかもしれない。そうなのだ。ごめんな。
 社会問題としては表面的にはそれほど難しくはない。朝日社説のきっかけも単純といえば単純だ。


 「女性であることを理由に、昇進や昇給で不当な差別を受けた」。住友電気工業の女性社員2人がこう訴えて、同社と国を相手に損害賠償を求めていた8年越しの裁判が、大阪高裁で和解した。
 会社は50代の原告2人をそれぞれ課長級と係長級に昇格させ、500万円ずつの解決金を支払う。国は実質的な性別による雇用管理をなくす施策を進める。そんな内容だ。一審判決を覆す事実上の勝訴である。働く女性たちは、大いに励まされるだろう。画期的な裁判所の判断を評価したい。

 裁判としては当然の結末ではないかと思う。朝日は後続段で昇級に踏み込んだ点を評価しているが、今回の裁判のポイントはそこだろう。国への施策にも踏み込んでいるように、会社内での女性差別の問題は金銭の問題ではなく組織の問題とせよということだ。当たり前のことだ。
 この判決の影響で住友電気工業は他に4人の女性を昇級させたという。それも当たり前といえば当たり前のことだ。だが、と口ごもるのだが、庶民の感覚としては、朝日のように威勢のいい正義のラッパを吹いて済むことでもない、と苦笑話になるのではないか。些細なことだが長年の差別に500万円の解決金が見合うのかわからないし、そうして昇級した人がやっていける人事を持てる大会社っていいな、呑気だな、と大衆の標準は思うのではないか。私のようなスネ者でも、娑婆ってそうじゃないよということくらい知っている。
 娑婆の会社は女性にさらに厳しいかというと、そうとばかりも言えない。というのは会社の競争生存の原理がキツイから、有能な女性をタメておくことなどできない。大会社を呑気だと思うのはそんなところだ。社会学的に補強できるかわからないが、私の世間知からすれば、能力のある女性はその能力に腹をくくれば30半ばで社会にきっちり生きる。日本にはそういう能力主義がある。馬鹿なと非難するやつがいたら、少しばかり中年男のドスを効かせて「そういうもんだよ」と言ってみたい。
 もちろん、そんなことが本質的な解決になるわけでもない。なにより、女性の一生でそんな腹のくくらせを迫るというのはどういう意味なのか、実はよくわらかない。男はといえば、ある意味もっと苛酷な状況に10代くらいから腹をくくっているものだ(ああ、俺の人生なんてこんなものだなぁ、いい天気だな今日も、という感じである)が、問題は、そういう内側の腹のくくりではなく、イヴァン・イリーチのいうシャドーワーク的なもの、なんて気取ることもあるまい。端的に、中年に至る時期の家事育児の問題だ。
 中年までフェアに男が生きてみれば、社会の仕事のきつさというのは家事育児のきつさと同じくらいものだ。若いころの「恋愛」のなかで密かに誓った思いというのは、端的に家事育児のきつさにも耐えようという決意であるものだ。昨今、恋愛難民だの恋愛なんかいらないと吹聴するヤカラがいるが、ふざけんなよ、男の純情なくして家事育児の修羅場は耐えねーよ、と思う。
 だが、それに耐えようとしても、男は無力なものだし、また、その無力を覆うように日本の会社社会ができていた。と、甘えんじゃねーと言われるかもしれないが、率直言うのだが、男はたいていそんなに強かぁねーよ。
 日本は絶対的には貧しい社会ではなかったが、相対的に貧しい社会だったので、家庭の収入が家庭の運営の一義的なモチベーションになっていた。だが、それはあくまで相対的な貧困であって、絶対的な貧困ではない。その分、家庭はフィクションにならざるを得ない。稼ぐ旦那と主婦というフィクションで、それにがんばる子供を加えてもいいかもしれないし、少しエコや市民運動的なフレーバーを付けてもいいかもしれない。消費を増すことで相対的貧困のスレショルドを高めてもいいかもしれない。いずれ、フィクションだから意味がないのではなく、フィクションだからフィクシャスにその姿は変わるというだけだ。現代の離婚などもそういう普通のフィクションの変奏でしかない。今その相対的な貧困をパラメーターとするフィクションは、多様ではあっても、すでに男を守らない形態になっている、と思う。
 話が曖昧になってきたが、現在大手の呑気な会社や公務員はさておき、女性の社会評価を根本で狂わしている、男のその無力感の回避メカニズムはもう機能しなくなった。以前も十分に機能していたわけではないが、隠蔽するだけの相対的な貧困があった。今は男の無力はうまくサポートされない。もっとも、それでも、女のように腹をくくるかという切羽詰まったものもないから、甘チャンであるとは言える。
 と書きながら、そんな濃い世界自体、若い人間なら、男も女もパスしてしまいたくなるだろうなと思う。私としては、パスするなよと言いたいが言えるほどでもない。ついでにに、今朝の朝日新聞社説「ちょっと元気に――京の町家に住む新鮮さ」では若い世代が古い町に生きるみたいなことを美談仕立てにしているが、30代前半の子供のない夫婦二人だけの生き様など、あえて言うが、どうでもいいことだ。
 話が重くなったので、先の朝日の社説の結語でも笑い飛ばして締めよう。

 どの企業も労組も今回の和解の意味をかみしめてほしい。日本では、まもなく労働力が不足する。年齢や男女を問わず、一人ひとりの意欲と力を生かす。そういう職場にしなければ、会社は生き残れない。

 けっ、朝日の労組さんたち、ご勝手に。

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コメント

わわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわっ世の中にはひどいことも有まっするねーーーーーー
(-o-)

投稿: 楫良介 | 2004.01.23 12:03

楫さん、ども。アメリカだと女性の上司も多い時代になりました。男女がというより、実力が、という時代でしょうね。

投稿: finalvent | 2004.01.23 12:42

なんだか、住友生命も昔、裁判で争ってたような・・・。昇給・昇格なしのほか、同じ会社なら夫まで遠くへ転勤にさせたりとか。女性側によほどの欠点でもない限り、負けは確実ではない?それでも、裁判に至るまでの行動をする女性は働いている総数からすると、微々たるもので、会社にとっては捨て金のようなものなのかもと考えてしまう。多くの女性はそのままでも甘んじているでしょう。(私の場合、会社のトップは住友からやってくるノダ。うげェ)
 体力を使う仕事で差がつくならまだしも、机上の仕事でそれほど差がつくとは理不尽だ。別格の人を除けば、あとは男も女も似たりよったりで、その似たりよったりの間で差が生まれるのはあんまりではないの?と私は常に不満を抱いているのですが・・・単なる愚痴といえないこともない。私は甘チャン(←20年間近くの似たりよったりから早く抜け出せ)。
(昔、英語の授業で、アメリカでは黒人は白人の3倍できないと一人前とは認められなかったという話がありました。女も男の3倍ぐらいできないと・・・なんて考えながら今に至りますが、今ではもうやる気ぜーんぜんなし状態でーす。やめたいけど、子供の通信講座などのお金が・・・、悲しすぎ。)
 不況(私はこれのせいだと思っている)で、年功序列廃止の能力給導入。評価基準はというと公開されているわけではないし、昔ながらの研修なんかがあっても、能力向上の具体的な策とはいえない。(あいまいで汎用的なへんな点数表はあるけど)きっちり評価できる人もいないし、いろいろ提出物が次から次へでてきて、よけいに時間が削られてしまっている。直談判したけど意味なかったね。うんざり。
民間企業は利益あってのものだから、利益が少なければ、削っていくしかないということですねー。(しみじみ。)うけざらの会社はつらいっす。
(抜け出せるか、不況!?)抜け出せても、年功序列には戻らないって。
 能力給は当然男も対象だから、何年か後には「評価は不当だ裁判」もありえそう。でも、妻子を養うという意味で生活がかかっているとおもわれる男性は裁判沙汰はきつそうなので、女よりかわいそうかも。

  
 

投稿: やまざる | 2004.01.24 00:49

どもです。ちょっと絵が浮かびます。現実的な職場の場面では、日本の男は未だに猿並の群れを作るので、仕事ができる女性かなり孤立するだろうと思います、が、ある程度それが伝統なのでしょうし、伝統っていうのは現実ですね、と循環。少子化という側面もですが、実際面では日本の家庭は変質しているので、そういう家庭のパパ、というのもなくなり、仕事はただ仕事(男も女も)ということになるでしょう。と、言いつつ、これからは友達サークルのノリの職場が増えるのかなとも思いました。現実は甘くないよというのもあるけど、かなり有能な仲間内ならけっこういけるかもです。女性のほうがそういうの先行するんじゃないでしょうか。

投稿: finalvent | 2004.01.24 09:45

   
男はなんて生きもんなんだ。
ヒドスぎる
女の気持ちも考えろよな!!

投稿: 両津 | 2004.02.03 11:35

両津さん、はじめまして。男はなんて生き物なんだとか、思いますよね。そして、女の気持ちを考えるのというのは難しいものだとも。ただ、そういう「男」なり「女」として抽象化できる世界が、最近は個人をあまり覆っていないような感じがするのは、多少なりともいい世界になっているのかもしれません。

投稿: finalvent | 2004.02.03 14:08

男が損することはありますか?

投稿: 学校 | 2004.02.09 11:34

学校さん、初めまして。「男が損することはありますか?」についてですが、条件を付けないと雑談になってしまうかと思います。おそらく必要な条件は、「日本社会において」でしょう。すると、日本社会は、事実上、企業社会であり、「男社会」ですから、その条件下で、「男が損をすることはない」となると思います。

ただ、それは、率直なところ、社会システム的な問題ですし、今回の裁判のように是正可能です。もちろん、まだまだ問題を抱えていることはわかります。

ただ、日常生活を見渡してみると、この問題をそうした、いわばすでに建前化した条件下の様相でみるのはあまり面白くないようには思います。

そうしたことは抜きに、自分が男として、女に比べて損だなと思うことは…、各種の日常や社会の場面で、確固たる男を演じなくてはいけないという負担ですね。見栄といえば見栄ですが、それがないと、男は心的に崩壊しますよ。

ちょっと、お下劣みたいですが、セックスのときの男の勃起というのは、若いときは、ある種、脊髄反応でしょうが、40歳以降は、多分に自意識の問題です。変な言い方ですが、勃ってこそオノコナリ、といううざったい問題です。このうざったい問題を引き受けるのは損なのかとか、ふと思いますね。おそらく、これは、「わたしってぜんぜん感じない」というオトメの問題と似ているかもしれませんが。

投稿: finalvent | 2004.02.09 11:54

本来、男女にとって、お互いの評価がセックスなのだと思います。でも、富の生産を目指し、男女が一体でなく一丸となるべき会社の中では、それはあっちゃならない尺度なわけで、難儀ですね。男性にとっては、「なんで会社に女がいるんだよー」って感じでしょうか、女がいるところでは、男でいないとならないですものね。男捨てないとダメですかね。

投稿: のっち | 2004.02.09 18:39

のっちさん、こんにちは。私はある種全共闘世代の尻尾のように吉本隆明の影響を強く受けたのですが、それに「対幻想」という概念があります。世の中は、国家幻想、対幻想、個人幻想という3つの独立した幻想の領域に分かれるというのです。めんどくさい話はさておき、対幻想というのは男女の性の問題です。

昔はそれと国家との独立性が問題だったのですが、この3領域には「会社社会」、端的に「利益集団」みたいなものが分類できないのです。原理的には延長された家族幻想なので対幻想の派生とも言えるし、国家幻想的(「資本主義的だ」とか、阿呆臭)である。でも、曖昧です。全共闘世代はある意味、その曖昧さのなかに埋没したともいえるでしょう。

率直なところ、わかんなよというところで私は立ち止まります。

そういう会社社会を前提に、「女は差別されている」と言われれば、確かに、この社会の構造的な差別があると思います。

で、そこで、ですね、「女を差別する社会構造を是正せよ」と言えるか?です。

これがよくわかんないのです。原理的には是正は可能なわけですが、問題は、経験的にはいつもそうではない。「女は差別されている」という糾弾が、えてして、男社会=社会を対象とせず、なぜか、その場の議論のプレーヤーの男への非難になります。

もしかすると、ブログの本文もそうした文脈で読まれているかもしれません。

これについて「俺を非難するっていうのは方法論的に倒錯だよ」と言っても、経験的にはすまされないのです。「なんで俺にからむんだよ。俺は知らねーよ、そんなこと」というのが内心あっても言えません。

結局、その議論の場の特定の男(俺かよ)がその女の前で「ぎゃふん」と言わないとこの糾弾は終わらないのです。

私もけっこう歳をとったので、そういう場になれば「ぎゃふん」くらいは言いますよ。議論にもならないのだし、「ぎゃふん」というまで糾弾されるのですよ。疲れますよ。お手上げです。ま、そうやって負けるのは男の甲斐性かなとは思いますが。

なんだか、変な話になってすみません。どうも、私は内心、女に痛めつけられているのかもしれません。

投稿: finalvent | 2004.02.09 20:23

ええと・・・・・・・・・・・・。すみません、言葉が浮かばない。確かに、女が独身だったら、この仮説なりたちます。しかし、普通の働いてる女性と言うのは、結婚してるんです。(それか✕1。)そすると、当然負担は男の2倍になります。(男が、全く家事を負担しない場合ですが。)

なんて、「男」として育てられた(お前は、頭がいいから医者か弁護士か公認会計士・・・勝間かよ・・・になれ!と言われて勉強ばかりしていた)自分が言っても、ただただ空しいだけですが・・・。40過ぎて、家事にトライして、「お前の飯はまずい!」って女が言われるのってのも、かなりのダメージなんですけどぉ~。(って、特殊例過ぎかも。)

投稿: ジュリア | 2009.12.29 21:05

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ここ数日、産経新聞が法律上の男女規定が差別であるのかどうかを問いかける記事を連発しているので、今日はそのご紹介と個人的なコメントなりを書いてみます。まず私なりの... [続きを読む]

受信: 2005.03.06 16:56

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