私はよい書評家ではない。駄文を書く。よい読書家でもない。私は若い頃は自分を読書家だと思っていた(渡辺一夫全集とか読んでいたし)が、歳を取るにつれ、そう思わなくなった。実際、たいして本は読んでいない。恥じる。それでも、本を読むことは生きる上でなんとも、のっぴきならぬことにはなった。このあたりの思いは、人それぞれ多様だろうが、それでも本に取り憑かれた人生というものがあり、私もその一人のはしくれではあるのだろう。
くだらない話だが、本に憑かれた人間は人口の1%くらいだろうか。日本人1億2千万人だから、1%でも100万人を越える。そんなにいるわけはない。まともな本の出版部数は3千程度である。資本主義の天国と地獄のアマルガムで出版人の魂を塩梅よく苦悶させる数値だ。山本夏彦が言うように本というものには困ったことにいくばくか魂が籠もる。魂が強く籠もれば読まれて千人。その千人が数分野生息して、日本の読書人の多層的なコアになっている。このコアは強い。李登輝が日本には読書人がいることに羨望していたが、わかる。このコアの層の支持に図書館と大学の買い上げが底上げして、なんとか日本の出版界のまともな部分が支えられている。底上げには副作用がある。岩波と朝日新聞だ。緩和な副作用が三省堂や紀伊国屋か。ここで苦笑するあなたも、本に人生が狂った人かもしれない。
そうした魂を持つ本なかでも、さらに磨きがかった本がマレにある。古典と言うには偽善臭いのだが読み継がれる本だ。本書「芸者」はそうした珍しい一冊だ。
本の説明としては芸がないが、アマゾンの説明を引くとこうだ。もっともこれを引くにはわけがある。この評はつまらないのである。本書の面白さはそこにはない。
「芸者」増田小夜
幼くして芸者に売られ、戦中戦後の混乱期を生きた女性の数奇な半生。一見華やかな芸者という職業の陰に隠された近代民衆の苛酷な生と、そこに息づく力強い魂の姿を描く。1957年刊の増補改訂。
これで間違いはないし、そう読まれてもきた。「数奇な」という表現に逃げがあるが、従来は悲惨な女性の自伝として読まれていたようだ。
初版は1957年、平凡社。その後の詳しい出版の歴史はわからないが、2版は1973年らしい。その後、1980年にほるぷ自伝選集/女性の自画像18で出ている。1995年に現在の平凡社ライブラリー版がでる。
この事実自体が私の人生に符丁するところが多い。作者増田小夜は1926年、つまり大正14年生まれだ。私の死んだ父は大正15年生まれなので、増田の人生の時代風景は、私にしてれみば、父を回想するに等しい。そして私は本書が出た1957年に生まれた。本書の自体、私の人生の想起に等しい面がある。
1957年、つまり昭和32年に本書が出ると、ベストセラーと言えるのかわからないが、強く社会に受容されたようで、昭和34年には増田の半生の自伝である本書をネタに映画「からたち日記」ができる。この映画の詳細情報はgooでわかる(
参考)。あらすじもgooに掲載されているのだが、話は物語風に脚色されている。漫画の「ブラックジャックによろしく」とテレビ版ほどの違いではない、と言えないのかもしれないが、芸者は悲惨、恋いに生きるは良し、でも女は自立する、というわかりやすい仕立てになっているようだ。私はこの映画は見ていない。他にもテレビドラマ化されているようだ。
私がこの本「芸者」を知ったのは、中学生時代だったか、たまたまテレビの高校通信講座現代国語でこれを扱っているのを見たためだ(私は教養番組を片っ端から見ていた)。テレビでは、直接「芸者」を取り上げていたのではなく、臼井吉見が薦める三冊の本というようなエッセイだった。後の二冊は忘れたが、「芸者」だけはなぜか心に残った。
テレビで紹介されていたのは、「芸者」の子守の部分だ。主人公の増田は物心ついたとき、長野県塩尻に近い村の地主の家で子守をしていたのだが、その陰惨な描写だった。子守をしながら素足が凍えるので片足ずつ交代している様子から彼女は「つる」と呼ばれるという話だ。描写力もすごいものがあった。
臼井吉見の話では増田が文盲であったことが強調されていた。言葉が書き下せなくても、強い心を持てば真実の文章が書ける、といったような内容である。中学生の私のことである。それを鵜呑みにした。
高校生時代の私は「芸者」という本が読んでみたかった。もともと臼井が高校生に薦めた本でもある。探したが無かった。臼井としては1973年の2版の出版状況を見てエッセイにしたという面もあったのだろうが、私が知ったのはちと遅かった。確か、浪人のときだったと思うが、私は国会図書館に行き、自分と同じだけの年数を重ねたその初版本を手にして、読んだ。といっても読んだのは始めの部分だけだったので、なるほどこれは悲惨な、しかし感動的な物語だと思った。また、いつか国会図書館で読もうと思ったものの、時を経て私は30代も過ぎた。
少し脱線する。私は「おしん」は「芸者」のパクリではないかと思う。もちろん、昨今はやりの剽窃といったものではまるでない。「芸者」の大衆受けの部分をその時代にアレンジしたのだという意味だ。おしんの放映は1983年である。ほるぷ自伝選集の「芸者」1980年と妙に合う。話のうち、貧家に生まれ、親から離され、金持ちの家の守りとなり、盗みの疑いを着せされる、という点はまったく同じだ。もちろん、パクリでもないのかもしれない。それはそれでたいしたことではないのだが、おしんと「芸者」では決定的な違いがある。おしんでは親がおしんを愛しつつも奉公に出すのだが、「芸者」ではただ売られただけでその親には親心のかけらもないのだ。虐待も「芸者」では極めて性的もので、これでPTSDにならないとすれば、現代のPTSD問題の解決のヒントはこの本にあるかもしれないという悪い冗談を言いたくなるほどだ。
おしんの話は、生長の家の信者にしてヤオハンの和田一夫の母カツ(ちなみに生長の家の信者はこの母ゆずり、つまりおしんは生長の家信仰なのである)がモデルなので、時代的には増田より一世代上になる。私の考えからすれば、親子の情なんてものがその時代にあったのか疑わしく、「芸者」のほうにに歴史を感じる。さらに余談だが、海外で「おしん」が受けるのは少女編だけ放送しているからだ。あの物語が受けるアジアと開発途上の状況には一定の条件があるのだろう。
話を戻す。私は1995年版で始めて「芸者」を読み通した。すばらしい人間の書であると思った。そして、この正月読み直した。まったく感想が変わるというわけではないが、印象はだいぶ変わった。むちゃくちゃ面白く、痛快だった。
この本の愛読者に石を投げられるかもしれないが、私はこの本は、ピカレスクであり、エロッティックな書物だ思う。なにも本のタイトルが芸者だからエロティックというのではない。内容が、とても、よいのだ。カウパー腺液にじみ系ではないし、もともとその手の直裁なエロ話は私は好みではないのだが、よいのである。これに比べれば、団鬼六なんかふざけたレトリックである、というくらい、ぐっとくる。もっとも、そっち系の人だとねっちり感が足りないだろうが、私はそんなのいらんわい。
こう言っては人非人だが、とにかく痛快なのだ。この面白さはなんだろうと思う。主人公は、身請けの老人に向かい、自身を「底意地の悪い人間」だと認識するのだが、そうなのだ。この人はいい意味で本当に底意地が悪い。そして、46歳の男として思うのだが、そういう19歳の女とはなんと魅力的なことだろう。
本書の増田の大活劇は、ハイティーンから20代の話なのだ。若い女とはこういう存在だったのかと驚く。かつて自分が若く、同年代と思っていた女たちにも、この本性がひそんでいたのかと思うと、打ちのめされて立ち上がれない。
極め付きのシーンは、木登りの上からの放尿だ。おっと、これは増田ではないのだが、そのあたりは読むかたの楽しみに。それにしても、こんな爽快な映像はないんじゃないか。なぜ、この本から爽快なピカレスクな映画ができないのか、と思う。崔洋一なら出来るか。ちっと重たいか。
「芸者」では、歴史の微細な話も、めっぽう面白い。彼女と戦争の関わりの薄さということ自体も面白い。同時代書だけが告げる面白さでもある。そして戦後の朝鮮人コミュニティの生き生きした様もいい。初の女性参政権の選挙の「やまむらしんじろう」も胸につまる。男、山村新治郎、は、1992年に娘に刺殺されてしまったな。
「芸者」を読みながら、最後に追加のようについている彼女の童話が、彼女の半生と日本の女の歴史の無意識を奇妙につないでいる。なんとも不思議なものだ。
芸者世界についても、本書だけでもいろいろ重要なことがわかる。これを丹念に読めば、小谷野敦のような恥はかかずにすむだろうなどいう軽口はいけない。彼もこの本は読んでいるのだし。
本書の舞台諏訪は、芸者の世界では本流ではないのだろうが、もともと芸者の歴史は江戸吉原が中心というわけではない。むしろ、續近世畸人傳に描かれている三國の哥川のような像のほうが重要ではないかとも思うが、本書「芸者」の世界も芸者についての一つ重要な歴史モデルにはなる。それにしても、「玉(ぎょく)」「お茶を引挽く」「左褄」といった言葉がこの本「芸者」ではなんの注もなく書かれているが、現代では多少注を付けたほうがいいのかもしれないと思う。
正月にこれを読みながら、以前にも増して、増田が信州人であることがわかった。私には、会話のなかの信州方言がまるでナマのトーンで耳に迫る。なんてこったと思う。が、ふと、ああそうか、臼井がこの本に惚れた理由もわかった。臼井もまた信州人であったのだった。