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2004.01.13

RFIDはマトリックスの社会を作るか

 このところ、文化系ブログっていう感じの極東ブログだが、で、それで別にいいのだが、ちと、RFIDの話を書いて、墓穴でも掘ってみよう。RFIDなど、ネットではすでに話題でもなんでもなくなっているのではないか。
 RFIDとはなにかついて簡単な説明をするのがめんどくさい。定訳語すらないのはなぜなのだろうかとも思う。RFID技術が世間に出回るときは、ICカード、ICタグ、IDタグ、などいろいろなものになる。が、ようは、非接触型の認識装置だ。海外旅行の際、現状では、バッグに紙のタグを付けるが、これにICタグにすれば、いちいち紙を取って読み取る必要はなくなる。手荷物検査のトンネル通過中に、誰の持ち物でどこ行きなのか自動的に識別ができる。他に、本に埋め込んでおけば、万引きされそうになっとき、出入り口で未購入品の所持者がわかる。本の流通でいえば、誰がグロスで中古市場に流しているかといった物流の闇が可視になるといったさまざまの「メリット」がある。
 反面、そんなのプライバシー侵害だという問題提起がある。この手の問題提起にありがちなのだが、とても「危険視」される。そうした類型として話題になった例には「固定IDは"デジタル化された顔"――プライバシー問題の勘所」(参照)がある。まあ、読んでミソっていう感じだ。それにつられて湧いてきた話題の一連リンクもすでにある。「RFID反応リンク集」(参考)だ。けっこうある。おなかいっぱいです。ご苦労様です。どの意見が重要かとグレーディングしていないところがいいのかもしれない。
 ざっと各意見をザップすると、「RFID技術が危険だとかいうのは技術がわかってないんじゃないのぉ」というのが目立つ、ような気がする。この手の問題すべてに言えることだが、そう言われると素人は黙る。あるいは、いや技術的にこう問題だという展開になって、どっちも、見上げてごらん夜の星をといったことになる。すでにそうなっているみたいだ。
 極東ブログがこれに加えることはあるのか。巻き込まれたいのか。うーむ、といった感じだ。白黒つけろっていうなら、私は、RFIDは潜在的に危険だ、である。で、どうしたらいいかだが、どうしようもない、である。問題になってから騒ぐしかないんじゃないか。技術っていうのはそういうものだ。やってミソ、である。
 と、のんきなトーンが漂うのは、RFIDタグ(と仮に呼ぶ)は、検知器が電波を出して、それに反射した電波の情報を読み取るというしかけなので、いずれ電波に晒さられる。しかも、1m以内の至近でだ。最初に言っておくが、電波が危険だとかいう「と」はここでは論外にする。それだけ至近で、周波数が限定された電波など、ちょっとした、アクセサリで検出できる。できなきゃRFIDなんか実用にならない。というわけで、社会でRFIDが少し問題が健在化されたら、「プライバシー守護神」といったダサイ名前の携帯電話のストラップとか根付けとかが出回るようになる。面白いぞぉ。あっちこっちでぴぴぴとなる。おや、こんなところでなんの情報を検出しているのでしょう、ちびっ子のみんな、探してみよう、っていうことになる。プライバシー問題以前に笑うっきゃない世界になるだろう。
 と笑いつつ、先のリンク集を舐めながら、もう一点、気になったことがある。RFIDとか非接触とか言いつつ、私の読みがザップすぎるのか、書き込み系と読み出し専用のRFIDを分けて考えていないのでは?ということだ。RFIDとしてみれば、書き込みもできるが、プライバシー問題で典型的に「見えないところで情報が漏れる!」と話題になるμチップのようなヤツは読み出しだけだ。読み出しても128ビットくらいしか情報が書かれていないというか、基本的にバーコードのタグとたいして変わらない。産業レベルでみるなら、バーコードのほうがまだまだ重要だ。そう、バーコードのほうが重要です。そのあたりの産業の現場の感覚がRFID議論に抜けているなぁ、みなさん、雲上人やなである。
 でだ、SUICAやEDYのようなソニーFelica系の書き込み可能なICカードってどうよ、なのだが、当然、じゃ、ハックしよう、と思うじゃないですかぁ。パソリとか使うと、ばっちし中が読めるのだから、書き込みしてみたいな、と。電子マネーにも使えるなら、自分で金銭書き込めば、日銀がなくても大衆ベースでリフレ政策ができるという万々歳なシロモノです、か。
 だけど、どうも誰もトライしていないというかうまくいっていない。理由は簡単で、末端のカードの情報はただ参照しているだけのもので、実際の情報はセンター側で蓄積管理されているからだ。ICカードは無くしても安心とか言われているのはそのせいだが、なーにが安心だよと思う。というあたりで、それなら、別にカードに記録できなくても情報はセンター側で一元管理すればいいじゃないかと思うのだが、なぜなのだろう。
 というあたりで、RFIDのプライバシー問題というのは、非接触型で、知らないうちに情報が盗まれるというのなら、まぁ、お好きなかたはがんがん議論してくださいなのだが、極東ブログとしては、問題はそういう情報管理化社会のあり方だろう。そういう一般論に逃げ込むのはひどいよと言われそうだが、問題の本質はそっちだ。
 国民背番号制についてもあれこれ議論され、私にも、「どう思いますか」と訊かれたことがあるのだが、問題はあれがリレーションのキーになることですよ、と答えても通じない。誰も通じねーのかと思ったら、宮台真司が同じようなことを言っていた。誰が仕込んだのだろう。私の意見が回っていたった?まさか。そんなの誰でもわかると思う。
 情報がかくして完全にリレーション化されるとどうなるか。まさにマトリックス的な世界の恐怖とか、そう話を展開したいかたはどうぞ。
 私はといえば、もちろん、恐怖もある。いずれ「生活習慣病」として、「病気なのはおまえの生活習慣だから国は知ったことか」という政策が行き詰まり、やっぱ遺伝でしょ、デブは、ハゲは、チビは、ブスは、高血圧は、糖尿病は、ということになる。もちろん、遺伝的傾向なのだが、その傾向は数値化される。ぞっとするしかないのだが、その問題はさておく。
 私は、当面、先のリレーションからできあがる世界は、やはりお笑いだと思う。すでにその兆候が見えている。アマゾンのお薦め本だ。どうしてこんなくだらない本ばかり薦めるのだろうかと思って、少し私の好みの情報を入れてトレーニングしてみたら、らだ、ますます阿呆になった。技術的には、お薦めプログラムのアルゴリズムが阿呆だな、あるいは書籍の属性が足りないな、というお笑いなのだが、いや、そうじゃねーぞと思うに至った。
 あのですね。私たち社会に生きている人間っていうのは他人と向き合っているわけで、で、それほど向き合っても他人というものはわからない。わかるかのようにやっていけるのは、同じ世間に暮らすのだから、そのくら妥協するとか幻想持っているからだ。
 私はなにが言いたいのか。アマゾンのお薦めアルゴリズムさんは、私を理解できないのだ。それは誰だって私を理解しないというのと本質的に同じ。それだけのことなのだ。
 話が錯綜して見えるかもしれないので、まとめる。RFIDなどでどれだけ情報が収集されても、そのシステムの他者である私をシステムは理解しないだろう。いや、理解するということ自体が妥協と幻想のアルゴリズムを含まざるを得ないのに、そのレベルが低すぎるということでもある。
 もちろん、人間個人というのは類型化できる。情報からある類型が描けるし、それらをマーケット動向に活かすことはできるだ。問題は、その度合いなのだとも言える。これを他者理解の妥当性の度合いとしよう。
 だが、私が言いたいのは、それを認めるとしても、システムが理解した他者としての私の象に私が不満なのだ。欲情しないのだと言っていい。私は、本当は、システムに理解されたいのだ。アマゾンさん、私の読みたい本を出して!なのだ。だが、システムは理解してくれない。という、幻想の度合いなのだ。
 技術的にはその幻想の度合いもアルゴリズム化できるようにも思う。だが、私は本質的にできないと思う。というのは、私たち社会の構成員が他者を本当は理解していないし、理解はつねに必要に迫られての近似でしかない。どんなシステムでもその近似性を真似るしかない。なのに「私」が求めているのは私の欲情の鏡象なのだ。私が理解されたい欲望はシステムからするっと抜けるか、本質的に抜けていくしかないものなのだ。
 って、書くから文系ブログなんでしょうかね。

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