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2003.10.25

国民の貯蓄率低下は見せかけの現象かもね

 今朝の新聞各紙が日本道路公団藤井治芳総裁の解任を扱うのはしかがたがないが、どれも読み応えのないものだった。元祖アイドルできちゃった婚の本名林寛子こと扇千景婆さんの責任を問うかのような姿勢も今頃なんだかなである。読売新聞に至ってはなんだこれの社説だ。


 完全決着とは言えないが、一応の区切りはついた。民営化に向けてすべての関係者が、心機一転、仕事を始める時だ。

 あのなぁ、全然区切りはついてないよ。ここで膿をきちんと出して、Aの青木を政界から引きづり降ろすことが改革の前提。とはいえ毎日を除けば、他紙も早急に後任を決めなくてはいけない、みたいな阿呆なことを言っている。決まるわけないし、形だけ決めても機能しない。

 今朝の話題は日経新聞社説の「貯蓄率低下が発する警告」についてだ。といっても、このテーマもさして自分なりの知見があるわけではない。すでに夏の初めのこの手の話題が湧いていたので、なんでいまさら感はあるが、自分のためにも再考しておきたい。この次第はこうだ。


 内閣府が24日発表した今年の年次経済財政報告(経済財政白書)は家計貯蓄率(可処分所得のうち貯蓄に回した割合)の低下について分析している。国民経済計算ベースの家計貯蓄率は1990年代の初めに14%程度と先進国の中でも最高レベルだったが、2001年には独仏を下回る6.9%となり2002年はさらに下がったもようという。

 日経の文体なのでちと読みづらいが、ようはこの十年で国民の貯蓄率は激減したということだ。貯蓄率とは消費の動向とも関連するから、端的に言えば、消費のモラルが変化したとも言えると私は思うが、日経の着眼は、この10年は不況だったから消費のスタンスは変わらず取り崩したと見ているようだ。
 気になるのは、この手の統計というのは、あくまである手法による統計値であって、生活の実感を反映したものにはなりにくい、ということ。単純に「平均」といっても中学高校で学ぶように(学んでいるんだろうな?)、分析のありかたでいくつか選択がありうる。国民経済でいえば、富が偏っている場合は単純な統計には意味がなくなる。今回の貯蓄率については、詳しくみていないが、日経は、高齢者の貯蓄の取り崩しとしているところをみると、富裕層である高齢者の問題であるとも言えるだろう。ただ、これも日経が指摘していることだが、全世帯に占める高齢無職者世帯の割合が上昇していることが背景にある。
 この先の日経の話は、真面目腐ったジョークのようだ。

 この動向が進めば、法人貯蓄の動向もかかわるので、全体の貯蓄率の低下の度合いは予測しにくいが、国債金利など長期金利を押し上げて、国の利払い費や企業の投資コスト負担を増やす可能性がある。それは経済の活力をそぐ。経常収支が赤字に転じ海外の資金に頼らざるを得なくなるかもしれない。基軸通貨国ではないので、米国のように赤字を垂れ流しつつ好景気をおう歌することはできない。

 たしかに、国債の大量発行を支えているのは国民の貯蓄だからこういうストリーになるのかもしれないが、それでも日経の結語「財政赤字を減らせ」というのは論理の飛躍だ。日経なんだから、もうちょっとマシな話を書いてもらいたい。マクロ的には法人貯蓄は増加するのではないのか?
 と、書きながら、なーんだという思いがした。高齢者の貯蓄取り崩しは、実は財産分与ではないのか。世間を見渡しても、けっこう30代そこそこで4000千万代のマンションがほいほい売れている。これって親が頭金を出しているとしか思えない。そのあたりの統計はどうなっているのか?
 平均の結婚年齢は上昇している。都市部での実感だと、女性28歳、男性32歳というあたりが平均くらいだ。20代前半の結婚というのはある意味いつの時代でも減らないだろうが、社会の動向としては、たぶん、女性は30歳、男性34歳という線にまで上がるだろう。そして、20代で結婚というのの大半は離婚して、再婚でこの線にキャッチアップするに違いない。
 やや妄想のようだがその線で考えると、女性が子供を産むのは32歳。男性は36歳。現状でも子供を産む夫婦は二子まで産むことが多いから、次が女性35歳、男性39歳。それで子供は終わりとなる。これを孫とする世代は定年の65歳。で、老後に入る。というわけで、ファミリー全体の資産構成を変える必要が出てくる。
 財産分与みたいに大げさな話でなくても、こうした動向が現在先取りされているというのが、貯蓄率低下の背景にあるように思える。だとすると、この状況は10年以上続くだろう。
 以上が、私の「なーんだ」のストーリーだ。類似の意見を見かけたことがないなと思っていたら、必ずしもそうでもないようなので(*1)、それほど間違いでもないのだろう。

注記
*1:「少子化に伴う影響(持家の相続・贈与の機会の増加等による影響)」を参照。ただし、ここの論では、大都市圏で住宅の新規需要は減少していくと見ているがこれは違うだろう。都市集中はさらに高まるはずだ。

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2003.10.24

代理出産問題はまるでわからない

 今朝の各紙社説の話題は中曽根辞めろコールである。常識的に言って、さっさと辞めろよと思うが、産経新聞社説が面白かった。


中曽根氏の拒否の理由は、「憲法と教育基本法改正が政治日程に上る重要な段階で議員を辞めることはできない」との信念に発している。この決意は大政治家と呼ぶにふさわしい中曽根氏らしく筋の通ったものである。

 ほめ殺しでわはっははといった感じだ。個人的には中曽根にがんばってもらって自民党政権リセットへの効果としてもらいたい。くどいようだが、首相経験者という話題のタガをはめるのはわかるが、こんなどうでもいいご老体より、元気な山中貞則をどうにかせーよ。国の税制に枢密院を作ってる悪玉だぜ。

 今日の話題で、うかつにもへぇ~68点だったのは、読売新聞社説「米国代理出産 『母子』認定めぐる法の穴埋めよ」だ。まさに我ながら無知っていうやつだった。事態はこうだ。


 不妊治療の急速な拡大に、社会や法律がついていけない。それが深刻な問題であることを実感させるトラブルが起きた。
 不妊に悩む五十代の日本人夫婦が米国に渡り、米国人女性に代理出産を依頼して昨年、双子の男児を得た。日本国籍を得るため、「実子」として在米日本総領事館に出生届を出したが、一年以上も棚上げになっている。
 総領事館が、出産の事実確認に手間取った。今夏やっと、代理出産とわかったが、法務省は、「出産した女性が母」という判例を盾に受理を渋っている。

 さらに、へぇ~を叩いてしまうのだが、こうした件について、法務省は通達で、出生届の受理に際し50歳を超えた母については事実を確認する、つまり事実認定は法務省が行ってくださる、としているとのことだ。あちゃ、またやっているぜという感じだ。人の人生に関わることを通達という名の無法で処理してやがんの。
 いずれにせよ、今回は妻が50歳を越えていたので問題化したらしい。じゃ、50歳以下はどうなってんのとも思うが社説には書いてない。推測するに50歳以下なら事実上問題はなさそうだ。というのも、問題化しないケースは100組を超えるとも言われているし、毎日新聞の報道では50人もすでに代理出産で生まれているらしい。この子供たちは事実上認められているようなのだ。
 とすると、この問題は、法務省は50過ぎて女が子供産むなよとしていることになる(*1)。で、今回のこの問題をどう読売が考えているかというと、結語はこうだ。

 その間にも、不妊治療で多くの子供が生まれている。代理出産に限らず、卵子の提供を求めて海外に渡る例も多いという。そうした子供たちの福祉を放置しておいていいのか。時代に対応した制度作りを急がねばならない。

 あれ? これで問題の回答になっているのか? デスクがいじり回したのか。とはいえ、概ね「今回の代理出産を認めよ」と理解してもよさそうだ。ただ、問題化するのは妻が50歳以上というケースに限定されるのに、この回答はあまり一般的過ぎる。
 とはいうものの代理出産という問題をどう考えたらいいのか? まず、私自身についてはまるでテメーの問題ではないなと思うだけ。一日本国民として若い同胞をどう考えるか、というと、率直なところよくわからない。
 もっと率直なことを言うと、恥知らずと誹られそうだが思ったことを言うとだ、米国で出産したら、とにかく米国国籍になるので、米国民にしたらどうか。代理出産がどうたらということも、法的に養子とすればいい…と考えて、あっ、親は米国民になる気はないのか、とテメーのトンマかげんに自嘲する。いずれにせよ、私という人間はそんなことをオートマティックに考えてしまった。
 そういえば我ながらこの手のことに無関心なのに呆れるが、代理出産とかで女性週刊誌を騒がしていたタレントがいたよなと記憶をたどり、ネットを覗く。向井亜紀38歳だ。子細はわからないが、生まれてくるのはこれからのようだ。とすると、向井になさぬ仲ならぬ子が生まれたとき、世間はどっと盛り上がるのだろうか。とほほ。
 すでに過去になりつつあるが、「諏訪マタニティークリニック」根津八紘医師が日本産科婦人科学会の規定に違反して夫婦以外の第三者との間の体外受精を実施した問題のおりは、除名させた学会より根津のほうが意見が通っているとも思った。根津は実質代理出産体制を進めているはずだが、と調べてみたら、あちゃ、すでに実施済みでした。この件について、もうちょっと首をつっこむと、法制審議会部会は今年の7月、出産した女性を法律上の実母とする民法特例試案をまとめている。なんだ、それ?
 どうも我ながらこの問題に対する感性はピントがずれまくっている。結論もなく終わりにしよう。このブログは書いてもボロボロになるだけだ。ふと思い出したが、若い頃、知人がユダヤ人であること知り、ぜんぜんそうは思っていなかったせいもあるが不届きにも「なぜユダヤ人なの?」と訊いたことがあった。答えは「母親がユダヤ人だったから」だった。それから彼は母親とはやっていけなかったという話をした。話に浮かぶ女性はシルビア・プラスみたいな人だった。シルビア・プラスってユダヤ人だったっけ(違いますよ)。ユダヤ人には代理出産というのはないのだろう。しかし、ハガルを祝福した神は、代理出産の子も祝福するに違いない。

追記(11.11記)
 NHKのニュースより。


代理出産の子 日本国籍認める
日本人の夫婦が、アメリカ人女性による代理出産で生まれた子どもを自分たちの子どもとして出生届を出した問題について、法務省は、夫と子どもの間には親子関係が存在するとして、子どもの日本国籍を認めることを決めました。
(11/11 15:10)

 ほぉー、そりゃ良かった、というか、法務省、及び腰ってやつだろうな。騒ぎを立てたくないってことだ。


注記
*1:余談だが、昔懐かしい平岩弓枝脚本「肝っ玉母さん」で京塚昌子演じるところの「大正五三子(いさこ)」ってのは、母親が53歳の時の子っていう意味だった。なかなか洒落た名前だ。ついでに沢田雅美が演じたのは三三子(みみこ)。

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2003.10.23

ハンガリー動乱と大池文雄

 見出しだけは書いたものの、きちんと書く気力がない。このブログを関心を持って読んでいるかたには申し訳ない。
 とりあえず、意図を簡単に言えば、日本共産党史におけるハンガリー事件の意味と、それを先駆的に問題視した大池文雄という人間について考えたい、ということだ。
 見出しだけのこんなみっともないブログを残すのもなんだが、ブログ「余丁町散人の隠居小屋」10/23 Today ハンガリー動乱勃発 (1956.10.23)を読んで、「あちゃー!、これで終わりじゃ、困るぜよ」と思ったのだ。


 首都ブダペストで知識人、学生、労働者による大規模な反体制デモが実施されソ連軍戦車が出動。市民達は絶望的な市街戦を繰り広げたが最後は踏みにじられてしまう。
 ナポレオン三世に始まるヨーロッパの首都での街路整備と戦車の発明で古典的な民衆蜂起は物理的に不可能となっていたのである。誰もソ連軍はやってこないだろうと思っていたのだが戦車が出てくるとひとたまりもなかった。

 散人先生のブログはこの軽さがいいのかもしれないが、この事件が持つ日本史の意味をパスするには、痛過ぎる。とはいえ、散人先生にはご関心はないのかもしれないので、書いてくれよと懇願する意図ではない。
 ちなみに、大池文雄についてゴルフ経営関係以外でgoogleってみたら、案の定、たいした情報はない。そのなかでもましな部類だが「共産党の理論・政策・歴史」討論欄(参照)というページが出てきた。どうやら名前まで抹殺されているわけではないが、たいした内容はない。ここでの言及もくだらない。「新左翼(トロッキズム)の潮流発生」という項目の下に「3月頃には東大細胞による機関誌「マルクス・レーニン主義」、大池文雄を中心に少数の同志たちで「批評」が発行された。」とあるだけだ。トロッキズムかよ、なのだが、ま、そんなところだろうか。

こうして、この時期日本共産党批判の潮流がこぞってトロッキズムの開封へと向かうことになった。このような動きの発生の前後は整理されていないが、対馬忠行を中心として「反スターリン的マルクス・レーニン主義誌」の表題をつけた「先駆者」が刊行された。太田竜(栗原登一)が「トロッキー主義によるレーニン主義の継承と発展をめざす」理論研究運動を開始していった。思想の広場同人の編集になる「現代思潮」、東大自然弁証法研究会「科学と方法」、福本らの「農民懇話会」、京都の現代史研究会の「現代史研究」、愛知の「人民」等々の清新な理論研究が相次いで生まれた。

 ちなみに、この太田竜とは、トンデモ本でおなじみの同名のかただ。同一人物なのである。へぇ~とか言わないでほしいのだが。

追記

cover
ハンガリー事件と日本
 うかつだった。絶版かと思っていた「ハンガリー事件と日本―一九五六年・思想史的考察」は復刻されていた。手元にないので再度購入して読むに、私なんぞが付け加えることは、ない。本書には一点だけ関連して私の秘密にも属する逸話があるが、たいした話でもないのでそれは内緒。

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東電OL殺害事件被告は冤罪である

 今朝の新聞各紙社説ではイラン核疑惑を扱うテーマが多かったが、あまり要領を得なかった。パキスタンの核について言及がなく、表向きの正義の立場に立つ新聞のあり方が不快にすら思える。そして、ある程度予想はしていたが、今朝の新聞各紙社説では東電OL殺害事件のネパール人被告の無期確定についてはテーマとして取り上げられていなかった。日本社会にとって些末な問題だと思っているのだろうか。あるいは、1997年は随分昔の話なのかもしれない。
 昨日はこの問題が気になって、ネットの情報を調べなおしてみたが、事実上ベタ記事扱いになっていた。たいした問題ではないという印象すら受ける。こんなとき、自分の社会の感性と報道のズレに奇妙な違和感を覚える。自分の感性のほうが正しいと素直に確信できるときも多い。今回のこの問題については、率直なところよくわからない。22日毎日新聞のコメントで『東電OL殺人事件』を書いた佐野眞一は次のように言っているが、編集のせいもあるのだろうが(担当者は小林直、渡辺暖、清水健二)、あまり熱意のようなものは感じられない。


1審で無罪になった時点で強制送還するべきだったのに、裁判所が不当に拘置を続けた末に出された決定で、まったく理不尽。まともに証拠を評価すれば無罪は間違いないと思っていたのに

 私はこの裁判は冤罪であると思う。その理由は、佐野の書籍に依存するもので、特に自分の視点があるわけではない。ので、それをここに縷説する意味はないだろう。裁判争点の観点から簡単にまとめればこうだ。

  1. 殺害現場に残された被告の体液と体毛の鑑定評価
  2. 現場アパートの鍵を被告が持っていたことの重要性
  3. 交遊関係を詳細に記した女性社員の手帳の信用性

 1については被告を特定していない。2についてはその事実認定自体が疑わしい。もしそうだとするなら、いくら外国人だからといって犯罪者なら間抜け極まる。3については信憑性が高い。つまり被告は客になっていないと見ていい。その他、被害者の財布が被告の土地感のない場所から発見されたことも検察の議論はおかしい。
 話を戻して、佐野の熱意が失せているという私の印象が正しければ、多分に佐野には実名問題があるのかもしれない。佐野が責められるべき筆頭となってしまった感はある。彼の関心事が冤罪事件というより、東電OLの生き様に向いていたせいもあるだろう。いずれにせよこの事件では被害者がスキャンダラスに取り上げられてしまった。そのことは当然良いことではないが、しかし、被害者のありようを見つめないかぎりこの事件の真相はわからず、そしてその見つめる過程に事実上実名が織り込まざるを得ないのではないかとも思う。
 ネットを眺めると、ゴビンダ・プラサド・マイナリ被告への支援運動が見られないわけではない。だが、印象では活発だという印象はうけない。事件そのものの呼称自体が報道各社で定まっていない。「東電OL」という佐野著の名称は、支援運動などの展開の過程から次第に避けられ、「電力会社OL」といったナンセンスな言い換えもある。OLという言い方すら適切ではないと言うこともできる。「東電女性社員殺害事件」とも言われる。だが、些末な問題だ。
 いったいどうしたことなのだろうと私は思う。私たちの社会が罪なき者を罪に定めているのだ。私はあきらかに加害者なのだ。そして私たちの社会に正義がないことに恥じていないのだ。と、パセッティックに言ってもしかたがないが、昨日は心の深いところで動揺しつづけた。
 いちおう裁判の経過からすれば、明日24日までに被告側の異議申し立てがなければ、逆転有罪判決が確定する。当然ながら、異議は出る。だから本当の展開はこれからなのだ、と言えないこともない。だが、すでに日本のジャーナリズムの熱は冷めている。確かに、この事件に関して、新しい事実の展開はない。検察側の状況証拠という、与えられた文書だけをもとに、実体のない議論だけが展開する中世の神学のような様相を呈している。あるのは解釈だけ。ジャーナリズムとしても書けば書くだけ空転してしまうことは予想される。
 今回の裁判に関連して、22日の読売新聞に気になる記載があった。

今回の最高裁決定によって刑が確定した後、服役態度が良好として一定期間後に仮釈放された場合は、入管当局が強制退去させることになる。

 たった1行なのだが、これはどういう意味なのだろう? 私の理解では「文句言わずに無期懲役を受けておとなしくムショに入っていたら3年くらいで国に帰してやるぜ」ということだ。そうなのか? 一種の司法取引と言えないこともないが、そんなのアリなのか。馬鹿にされるのを覚悟で素直に問いたい。正義というものは日本にないのか?

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2003.10.22

紙巻き煙草は個人的な意見だが不味い

 日経新聞の社説「“官僚統制教育”脱却の方向が見えない」を読んで、民主党が「学力低下」を懸念し学校週5日制の見直しを提言していることを知った。今回の選挙は民主党を支持たいと思うが、この提言はくだらないと思う。学校なんか学力とは関係ない。学校に拘束される時間は少なければ少ないほどいい。他、読売新聞社説「ガリレオ計画 弾みをつける欧州版GPS」が興味深かった。当然、米国GPSへの対抗になる。社説では日本もこっそり独自代替システムを開発していることへの言及がある。が、この社説は米国GPSの問題については触れていない。あんこのない鯛焼きのような社説だった。今朝の大問題としては、東電OL殺人事件の逆転無期懲役が確定したことだが、どの社説も触れていない。明日あたり扱うのだろうか。ここでさらっと扱うには重すぎる問題なので、ひとまず、パス。

 今朝の話題はまたくだらない話だ。朝日新聞社社説「たばこ判決 ― 怖さが伝わらない」に関連してだ。肺がん患者ら6名(3名死去)が、日本たばこ産業と国を相手に、煙草の有害性を認識しながら適切な喫煙規制対策を怠ったとして、損害賠償を求めていたが、昨日東京地裁で判決が出た。判決はごく常識的なもので、喫煙以外の要因がないことについて検討がなされていないとして訴えを退けた。もともとくだらないデモンストレーションの裁判なのだから、このニュースだけでももとがとれたようなものだ。民主主義というのはこの手のノイズが必然的につきまとうのだが、それはそれで悪いことでもない。
 朝日新聞がトンマなこと言ってくれるのではないかと期待して社説を読んだが、概ねつまらない。
 たしかに、有害と知られているたばこを長い間吸っていたのだから、病気になったからといって製造元を訴えることに違和感を持つ人も多いだろう。しかし、それにしても、今回の判決はたばこの害や怖さについて認識があまりにも足りない。
 早々に論点をすり替えた。でないと話にはならない。そしてこの先の話はお説教である。煙草の警告文は曖昧であり、これでは「吸い過ぎなければ害はないと言っているようなものだ」と言う。このあたりはただのお笑い。依存症という言葉を巧妙に避けて「依存性」についてはこう言う。
 だが、世界銀行の報告では、禁煙を個人的に試みても成功率は低く、成功しても大半の人が1年以内に再びたばこを手にするとされている。日本で禁煙指導に熱心な医師たちも「意思と努力で禁煙できるという思い込みは間違い」と口をそろえる。
 確かにそれは事実には違いないが、裁判で持ち出す話では毛頭無い。とはいえ、この朝日の社説に私は悪い気分はしない。煙草の害については、もっと社会に周知させなくてはいけないと考えるからだ。なぜ医者や教師が現在でも人前でぷかぷかやっているのか理解に苦しむ(こっそり吸えよ)。次の朝日の指摘は重要だ。
日本の喫煙率は全体として減少傾向にあるが、20代の男性はほとんどの世代と同じく5割を上回る。女性は20代の増加が目立ち、この年代の2割がたばこを吸う。
 高校生の調査では、男子の半数以上、女子の4割が喫煙経験ありと答えている。
 若い女性に煙草を吸うなとは私も言わない。だが、2割はさすがに目立つ。都市部ではこの倍ではないか。マクドナルドなどファーストフード店を覗けば若い女性が多数ぷかぷかやっている。電車の中で化粧をするのは恥知らずで済むことだが、このぷかぷかの光景は私には異様だ。我ながら偏見になってしまうが、総じて若い女性の多くが煙草臭い(受動も多いのだろうが)。そうでなければ、シャンプーなのか化学物質臭がきつい。笑いを取るような言い方だが、私は電車や人混みではできるだけ若い女性の近くを避けることにしている。エレベーターなどでも若い女性が乗っているなと見れば見送る。
 なんてこったと思う。もちろん、公平に見れば、社会に溢れる煙草の煙は昔に比べて数段に減った。だから私のような煙草嫌いなど社会的にどうでもいいことで、全体としてはよい方向に向かっていると言えるだろう。ただ、なにかが違うように思う。
 朝日新聞は科学に無知なことが多いので、ことさらに批判するまでもないが、医学的には煙草の害については病理学的には確立されていないし、過去の経緯を見ても、およそ確立しそうにもない。疫学的には関係は明白だし、依存性についてもほぼ立証されていると見てもよさそうだ。だが、こららについても統計的な世界として導出されるもので、我々の社会の指針としてよいのかは判断が難しい。
 私が個人的にひっかかるのは、煙草が不味いことだ。私はもともと煙草が体質に合わないようだが、それでも若い頃2、3年吸っていたことがある。やめたのは不味いからだ。まず、紙巻きが不味過ぎて、煙草の味がしない。かろうじて吸えたゲルベゾルテがディスコンになった。まさかと思ったが、そうなのだ。この煙草が市場から消えるなんて信じられない思いがした。
 オリエント種ブレンドとはいえキャメルみたいないい加減な味はいやだ。黒煙草(*1)もそれほど好きではない。ヴォネガットの小説は好きだがペルメル(*2)は口に合わない。マルボロも赤玉(*)3も合わない。米国物の紙巻きではウィンストン(*4)がかろうじていけたが、やはり紙巻きは不味い(*5)。バーレイ種なんか煙草の味がしない。こんなものなら、ビディー*6のほうがまだまし。
 国産はピースを除いて概ね不味かった(*7)。とはいえ、パイプ煙草(*8)や刻み(*9)の品質を見るに日本たばこの技術力は意外なほど高い(*10)。やる気になればいくらでもうまい煙草ができる潜在力があるとしか思えないのだが、今でもあの手の不味いものを作り続けている。いや、公平にいうなら、日本人好みカップラーメンのではないが、市場に合う味を作り出しているだけなのだ。キャビンやパーラメントみたいな煙草もマーケットをよく見ながら調整して出荷しているようだ。メインのマイルドセブン(*11)系はアジア人向けの味としてよく出来ているのかもしれない。
 さてあの頃の私はといえば、しばらく刻みを自分で巻いたり(*12)、葉巻やパイプも併用したが、大仰なのでしだいにやめた。最後まで吸っていたのは手軽なウィッフスというシガリロだった(*13)。日本には葉巻やパイプが吸える場所なんてありゃしない。若い人間が吸っても様にならない。いずれにせよ、自分が吸える煙草はなくなった。こんな煙草を吸っているやつには嗅覚も味覚もないんじゃないかと思った。が、ソムリエ世界一の田崎真也は、日本の紙巻き煙草をぷかぷかやるし、それでいて料理の鉄人も負かす味覚の持ち主でもある。だから私の言い分は暴論だ。それに、みなさん、煙草がうまいからという理由で吸っているわけでもない。病むに病まれなくて吸うなら、病むことなど気にするなって。

注記
*1:ゴーロワーズとかね。こいつのフィルター付きは論外。
*2:Pallmall。読み間違えないように。
*3:日の丸とも言う。
*4:注を付けるまでもないが、赤いソフトパッケージのやつだ。白い箱にWinstonって書いてあるやつじゃない。
*5:意外にバージニアスリムのメンソールじゃないのが悪くない。
*6:吸い方にコツが要る。
*7:缶ピがうまいという人がいるが、缶ピよりも新鮮で湿度管理のいい箱入りのほうがうまいのだ。
*8:「飛鳥」「シルクロード」「桃山」が好みだった。洋物ではイギリスのやつ。Half&Halfは論外。
*9:「小粋」は上質だが、ちと辛い。
*10:花作りもよい。
*11:こいつの香りはトンカ豆。ちなみにHopeは蜂蜜。甘ったるいよね。
*12:巻紙を選ぶと燃焼速度が調整できる。
*13:こいつはお薦めしたい(参照)。

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2003.10.21

企業の社会貢献は新しい世界システムに圧殺される

 ブッシュが北朝鮮に「安全の保証」を文書化するといった話題を、朝日新聞社説は肯定的に扱い、産経新聞社説は否定的に扱っていた。毎日は朝日寄りで、読売と産経は産経寄りといったところか。ま、そんなところという退屈な話なのだが、ブッシュの「安全の保証」についてもう少し食い込んだ話が欲しいところだ。国内報道を見ていると小泉がAPECの場で北朝鮮の拉致問題を取り上げるよう努力しているが…みたいな雰囲気だけあるが、ようは表向き鼻にも引っけられていない。問題ですらないというのが実態だろう。国際的には問題は北朝鮮の核開発だし、この件について国内のジャーナリズムはゲロ甘いのだが、すでに北朝鮮など信頼できなことは実証済みだ。田中宇ばりに裏読みをするのもなんだが、中ロを主軸に別の動きがあってそれがブッシュ発言へと出ていることは間違いない。そのあたりの筋がイマイチはっきり読めない。日本のジャーナリズムってなんなのだろう。

 今朝の話題は、毎日新聞社説の「企業と社会 リーバイスの苦い教訓」だ。知らなかったのだが、ジーンズで有名なリーバイスが、来年3月末までに北米の工場を閉鎖し、従業員も2000人ほど解雇することになった。それだけ聞いても背景がなければどってことない話だが、リーバイスはこれまで、企業の社会的責任(CSR)を優等生的に実践する会社と見られていた。先頃までCSRを基に据えて投資するという社会的責任投資(SRI)が、新しい資本主義の倫理のように言われてきた。リーバイスの例は、それが破綻した象徴になる、ということだ。なお、CSRは参照、SRIは参照
 毎日新聞社説はこの事態について、話題は振ったものの提起すべきことがるわけでもない。洒落でお茶を濁しているだけだ。


 CSRやSRIは、労働条件などが同じ水準の市場経済を前提にした思想だったのかもしれない。それでも、企業社会が社会的責任を放棄してはならない。CSRやSRIはさらに推し進められるべきだ。そのためには、より強固な経営基盤が求められる。
 チャンドラーの台詞(せりふ)ではないが「タフでなければ生きていけない。そして優しくなければ生きている資格がない」。先進国の企業は、そんな時代を生きている。

 ちょっと飛躍が過ぎるかもしれないが、フェアトレードと言った考えも同様に無効な発想だろうと思う。
 日本の知識人の場合、どうしても左翼の思考の圏内から抜けられないし、知識人と見なされる代表が柄谷行人のNAMのような阿呆なこと言う始末だ。彼らはCSRやSRIなどせせら笑ってしまうのだろうが、現実逃避でしかない。日本の知識人は現実の企業活動から乖離しすぎている。
 話を戻して、CSRやSRI、フェアトレードといった事が無効ならどうするべきなのか? 恥ずかしい話だが、私もよくわからない。ただ、この問いについては、エキセントリックな回答しか出てこないのではないかと思う。むしろ、問いの建て方を変えるべきなのかもしれない。
 古典的に資本主義自体を敵視したり、修正したりというのではなく、別の可能性をどう開いていくかと考えるべきではないか。もともと、資本主義という概念自体が、私には間違っているように思われる。マルクスの資本論は経済モデルとしては国内経済でしかない。そのモデルにどうトレードと金融を組み込むかということの多国間モデルが、あまりにも短兵急に帝国主義論に結びついてしまった。しかも、よりましなカウツキーモデルが一層され、阿呆なレーニンの論に結実した。喜劇的な悲劇だ。とはいえ、そうした過去の間違いを補正するより、現在のトレードとお化けのような金融の本質をもう一度、恥ずかしい言い方だがエエ恰好しいのシステム論ではなく、もっと個人ベースの人間主義的な見地から問い直していくべきではないだろうか。
 ピーター・ドラッカーは日本ではほとんど誤読されているとしか思えないし、世界的には無視されているとしか思えないが、彼は、もともと、歴史の実際としては「資本主義」として覆われている状態を共産主義とナチズムという全体主義への危機として捕らえ、それに対して、個々の人間の保護従属として企業活動を考えた思想家だった(死んではいないが)。だから、経営こそが、諸問題の解決となると考えた。日本に着目したのは、それが、一見官僚と合体して国家的な福祉システムのように見えたからだ。左翼はドラッカーなど無視するが、ドラッカーがそこに着目したのは正統な思想のありかたでもあった。
 その日本は破綻してしまった。だが、そう考えてみると、破綻した日本こそ、ゼロからの出発として、もっとも新しいモデルが生まれる可能性もあるかもしれない。我々の主体の側からなにか資本主義として覆われている内実を組み替えることはできないものか。だが、その時、最大の敵となって現れるのは、皮肉にも左翼的なヒューマニズムなのだろう。

追記
 社説の結語をしょっちゅうくさしているわりに、このブログの結語は我ながらボロボロ。構造主義者のなれの果てに焼きが回っていやがるなと己を顧みて思うだが、あえて、このままにしておく。人生後半に入ってきて、「死」の問題より「テメーの死」が問題になってきた。かつての世界との関わりは「テメーの死」を考えるとまったく異質になる。テメーが死んじゃうのに、システム論だの構造主義だの言ってられっかというところか。フーコーも人間の終焉とか言っておきながら、しょっちゅうアメリカに行ってはご乱行だった(日本ではなぜかそれが話題にならないようだが)。ドゥルーズはシステム論者ではないが、結局、主体的に自殺しちまった。なんか、わからないでもないなと思う。

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2003.10.20

私はIP電話なんて使わない

 やや旧聞とも思えるが、14日に中国共産党第16期中央委員会第3次全体会議(第16期3中全会)は閉幕した。で、なんだったのか? というのが毎度のことながらわからない。れいの有人衛星と関連があるのは間違いない。またぞろ人民解放軍が絡んでいるだろうとは思うのだが、わからない。今朝になって読売新聞が「中国共産党 この変化は『民主化』なのか」 という社説を出した。話には今回の公開は趙紫陽時代を思い出させるとして趙紫陽というキーワードを出してくるのは面白いが、とくに結論もない。こんな社説はまったく意味がない。それにしても胡錦濤ってやつは不気味だな。他、APECについても論じるほどの現代意味はなさそうだ。雑ニュースだが、宇多田ヒカルが半年ぶりに日記を再開とあるので、ちょっくら見に行った。2日続けていてこのノリだ。


ヒッキー、投稿拒否??
 10月19日(日)01時44分
メールからパクらせていただきました!やっぱり日本語のダジャレはすばらしい文化だにゃあ。ってそれじゃ拒否ってたみたいじゃん!ちゃいまんがなー。

 「歳は20だから、こんな文章なのかね」と思うほど残念ながら当方歳を食ってないようだ。駄洒落が入っているからというわけではないが、ぜんぜん若者っぽい文章ではないな。これ以降もオヤジに伝達する文体だ。彼女もまた、私の主観だが、嘘の多い人なので、オモテの明るさの裏に成熟した、なんともどよ~としたものを感じる。ま、そんなこと言われたかねーよでしょうが。そういえば、Deep Riverについて評論というのを見たことがない。詩も曲もたいした作品ではないということなのだろうか。間違いなく遠藤周作の影響だし、あそこに描かれたテレーズ・デスケルーとヒッキーには重なるものを感じるのだが…。

 さて今朝の話題は日経社説から。「健全なIP電話の導入策を」が興味深かった。日経は関連に日経BPがあるから、他紙のような惨いIT記事は少ない。知らなかったのだが、こうなるらしい。


 IP電話はインターネット技術で通話する仕組みで、電話交換システムに比べコストが格段に安い。IP電話間なら基本料金だけ、固定電話へかける場合も通常の市内料金より安い3分7―8円が相場だ。ところがNTTの料金は3分6円と安くした半面、固定からIP電話への通話は3分10円台と逆に高くした。

 日経社説はこのNTTのあり方を問題にしているのかというと、デスクが絡みすぎたのか、文章が濁っていてよくわからない面もある。それでも「しかしNTTが定めた通話料金はIP電話の利用価値を損なう恐れもありそうだ。」というのは主張でもあるだろう。
 私はというと、いいじゃん、というのが意見だ。理由は2つある。1つ目は今でも電話料金は安いと思う。昔にくらべりゃNTTはよくやっている。2つ目はNTTを保護したほうがいいからだ。電話網というのはインターネットなんか比較にならないほどの生活の基幹だと考えている。
 日経社説絡みで言えば話はそれで終わりなのだが、気になる指摘もあった。

IP電話は現在、約500万回線が利用され、2年後には2000万回線に増える見通しだ。特に一般家庭に人気だが、導入メリットは企業の方が大きい。

 別にどってことない指摘のようだが、そうか? 私はその見通しを疑っている。意外だったのが「一般家庭に人気」という話だ。嘘でもないだろう。そのうち、「すてきな奥さん」にもIP電話でお得、ってな話が掲載されるかもしれない。で、なぜ人気なのかというと、もちろん安いからということもかもしれないが、私は、けっこう悪どいマーケティングや営業の結果なのではないかと、これも疑っている。IT社会というのは、一種の呪術で人を騙し込む社会なのではないか。
 関連して、旧聞になるが日経BPの「NTT電話を解約する勇気ありますか」(参照)という記事が面白かった。記者はそっちの業界なので、結論がこうなるのはしかたがない。

IP電話を使い始めてから半年,節約できた電話代は約1万5000円だった。音質や使い勝手で苦労したことはほとんどなかったし,一応,IP電話の利用は正解だったと考えている。

 だが、標題のようにそんな勇気を持っている人は少ないのではないか。私はNTT寄りの意見を持っているからでないが、同記事にもあるように「呼制御サーバーの負荷は大丈夫?」は、全然大丈夫ではないと考えている。NTTのトラフィック制御技術を甘くみてはいけないとまで思う。むしろ、IP電話の技術は問題山積だと思われる。詳細は「遙かなりIP電話時代」(参照)がよくまとめているので参照してもらいたい)。
 現代はケータイしかもってない若者もいる時代だ。電話が家に付属すると考えのは古くさいのかもしれない。私はパーソナルなIT利用こそ、パーソナルなITセンターが必要だし、その生活の基幹部分は電話網からまだまだ離脱できないと考えている。
 私の頭は古くさい。20年前に描かれたテレマティークの理想は、現在のインターネットより優れていたのではないかとすら思っている。だが、時代はこのように進んだ。そして進んでしまった技術はその必然の上に未来を作るしかない。たとえその未来がカタストロフを必然的に含んでいてもだ。余談だが、googleってみたがテレマティークは死語のようだ。ITU-TのTシリーズのTだよ!

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2003.10.19

アゼルバイジャン大統領選挙は問題にもならない

 朝日新聞と産経新聞が同じテーマを扱うことがあっても、同じ論調になることは少ない。だが、アゼルバイジャン大統領選挙については産経と朝日の社説を入れ替えても大丈夫といった趣だった。このこと自体が問題だと思うので書いてみたい。
 朝日の社説は文章が下手くそなので、ことの次第は産経をまず引用しよう。


 アゼルバイジャン共和国の大統領選挙で旧ソ連共産党政治局員だった現アリエフ大統領(八〇)の長男、イルハム首相(四一)が約80%もの得票率で当選した。旧ソ連圏では初めての権力世襲だ。首都バクーでは世襲体制と「選挙操作」に反発する野党支持勢力の数千人が投石などで警官隊と激しく衝突、死者を出す流血騒ぎとなった。
 選挙監視に当たった欧州安保協力機構(OSCE)も「選挙は国際基準に合致していなかった」との非難声明を出した。

 産経のこの先の言い分はこうだろう。今回の大統領選は民主化に逆行する。この状態では、日本がアゼルバイジャンの石油開発に資本を投入しても無駄になる。
 朝日の言い分は、民主化を進めよということだろう。が、毎度のことながら、よくわからない。朝日新聞は大学受験によく利用されると誇ったようなことを言っているが、逆じゃないか。大学受験にしか利用できない文章なのだ。くさしはさておき、結語として、アゼルバイジャンを含めこの地域について、こう言う。

いずれもイスラムの国だ。貧富の差が縮まらず、不満を強権で抑えつけたままでは、原理主義の脅威にもさらされるかもしれない。時間はかかっても統治の民主化を進める。アゼルバイジャンにはむしろ、その先例になってもらいたい。

 馬鹿げたことを言うようだが、さて何が問題なのか? 選挙監視にあたった欧州安保協力機構のコメントである「公正さは国際基準に達していない」を朝日も引用しているのだが、さて、欧州安保協力機構はこの選挙は無効だと言っているか?
 右寄りと思われている世界日報だが、その記事「EUがアゼルバイジャン大統領選挙の結果を承認」(参照)では次のようにある。報道事実としては正しいのではないか。

【モスクワ18日大川佳宏】ブリュッセルからの報道によると、欧州連合(EU)は十八日、現職ヘイダル・アリエフ大統領の長男であるイルハム・アリエフ大統領が当選した十五日のアゼルバイジャン大統領選挙について、「いくつかの欠点がある」と指摘しながらも、「前回の選挙と比べて進歩があり、選挙を国際基準に合致させるための努力が行われた」と評価、選挙結果を承認する意向を明かにした。

 つまり、EUは今回の大統領選を承認しているとのことだ。だとすると、くどいようだが、なにが問題なのか。関連して朝日は次のように問題の背景についてコメントしている。

 これらの国々はイラクやイラン、アフガニスタンに近い。だから米国もロシアも、内政面の安定を重視し、強権的な支配には目をつむってきた経緯がある。とくに9・11事件後、アゼルバイジャンや中央アジア諸国が反テロ戦争に協力したことがその傾向を一層強め、世襲にも有利な条件をつくった。
 ロシアのほか、石油開発に巨額の投資をしてきた欧州や日本も、アゼルバイジャンでの世襲を容認している。

 米国の動向が今ひとつわからないが、それでも現実的には日ロ米欧州が今回の世襲を承認している。アゼルバイジャンは1000万人を満たない小国家だし、歴史的な背景もあるのだから、「今回の大統領選挙は民主的とは言えない」といった単純に内政干渉的な意見を社説で述べても意味がないのではないか。
 ようは世襲制の問題ではないのだ。世襲制ならジョークのような北朝鮮もある。朝日も産経も、問題は石油というところに関心を持たせたいというのが本音だろう。であれば、純粋にそう論じればいい。だが、おそらくそうした石油への色目は、石油を戦略物資のように見る誤解の上に成り立っているのではないか。
 世界は安定供給される石油を必要としているし、それをアラブ世界にのみ依存することは好ましくない。ロシアの息の及ぶ石油が近未来的に有望視されるなら、それも悪いことではない。石油が流動性の高い商品であるかぎり、ロシアやアメリカといった国家は問題ではない。むしろアゼルバイジャンの石油について潜在的な問題は、パイプラインの出口のトルコなのではないか。
 アゼルバイジャンの石油問題について、船橋洋一の「中央アジア国際石油政治、台風の目はアゼルバイジャン」(参照)が参考になる。米ロの緊張が解消した現在、解説の大半は古くさいが、トルコやイランとの関係など基礎知識を得るには好都合だ。特に、イランとの関係の指摘には注目したい。

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