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2003.08.16

北朝鮮をめぐる6か国協議

 北朝鮮をめぐる6か国協議が8月27日から北京で開催されることになった。素朴な疑問を投げかけてみたいのだが、なんのための協議か? 選択肢は、(1)拉致問題解決、(2)北朝鮮の核開発放棄、だ。その両方だろうか?
 答えは、(2)北朝鮮の核開発放棄だが、(1)拉致問題解決もこの場に提起される。とすれば、6か国の圧力で北朝鮮に拉致問題の解決を迫ると考えたいところだが、今朝の朝日新聞の社説だと「日本政府の意向としては具体的な協議は日朝の2者で行いたい」、とのことらしい。確かに、「具体的な協議」は日朝で行うしかないのだが、そこに強調点を持ってくるあたりがいかにも朝日新聞らしい。笑える。
 朝日新聞が、北朝鮮の核開発放棄とバーターになる不可侵条約を既決のように扱っているのも笑える。
北朝鮮が核放棄の見返りとして米国に求めている不可侵条約の締結や、経済支援などへの対応は日米韓の間でさえ乱れがある。
 国家間の対等をいうなら、日韓米の相互不可侵条約として北朝鮮が侵略することも禁止するべきなのではないか。
 余談のようだが、国家というのは領土概念だけではなく国民も含まれるのだから、日本国民が拉致されるというのは国家への侵略以外のなにものでもない。
 とはいえ、実際、今回の協議で国際的な意味で問題なのは上の2点ではなく、中国とロシアのプレザンスなのだ。中ロは米国を牽制するダシにどこまで北朝鮮が「使えるか」ということが関心だし、米国としても本音では同様にこの中ロにちょっかいを出すためのネタである北朝鮮を捨てるはずもない。

[コメント]
# shibu 『そそ、あそこいつも片手落ちなんですよね。だからチョーニチとか言われるw 要するにおまえはあっち側なんでしょってことですね。はい!そうですっていっちまえばすっきりするのに、えらそに能書き垂れるから子供の教育に悪いんですね。朝鮮大学校のせんせでしたっけ、密航>徴用のことを「強制連行」とか書いたのわ。内地の日本人は徴兵されて外地の戦場に行ってたのにね。これってぬくぬく一番安全飯付き獄中10何年wにも言えるんですから、識者ははっきり言っていたっだかないと、戦後おバカ教育どっぷりの私達おぢさんはおろおろしてしまいますです。同じく人道とか甘い単語を使う前に、はっきり「国家侵略行為であ~る!」と宣言してもらいたいものです。そこから初めて、んじゃどーする?という考えも具体的に出てくるような気がします。』

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2003.08.15

終戦記念日の誤解

 ほぼ日刊イトイ新聞で8月15日。この日ついてとんちんかんなことを言って笑えた。


でも、いま生きている人にとって、いちばん大きな意味を持つ1日というのは、8月15日なんじゃないのかなぁ、と、ぼくは思います。国の憲法に、「戦争を放棄」したことをはっきり記している国は、日本しかないはずです。(もしかすると、法に詳しい方が、解釈によっては他の国の例もある、というようなことを教えてくれるかもしれませんが。ぼくは知らないので)戦争をしないと決めたことが、ぼくら日本人の考え方のみなもとに、大きく関わっています。

 国際紛争を解決する手段としての戦争放棄している国は日本以外に、イタリア、ハンガリー、アゼルバイジャン、エクアドルがある。勉強しろよ、井の中のイトイ、っていう感じだが、 実は国際的な戦争放棄に関心がなくて、関心があるのは日本だけっていうことなんだろう。ま、そんなくさしはどうでもいいのだが、いまだに8月15日が終戦記念日になっていると信じているというのは、恥ずかしことだと思う。
 沖縄の組織的な戦闘が終結したのは6月23日ということになっているが、沖縄を含めた日本の最終的な講和は9月7日だ(参照)。日本の戦争が終わったというなら、この日こそ終戦記念日なのだが、そうなっていないところにいまだに沖縄は日本に復帰していないということなのか、戦争がいまも続いているということなのか。
 また、この日がアジアでどのように記念日とされているかも、諸国民の信頼を得るためにも知っておくべきだと思うのだがね。

[コメント]
# shibu 『え~と、すみません。8月15日は、降伏勧告ポツダム宣言を受諾したこちを国家元首がレコードでラジオを通して国民に知らせた日で、9月2日はそれに基づいて全権重光葵と梅津美治郎が降伏文書に調印した日。だから45年9月2日からサンフランシスコ講和条約発効の52年4月28日までが国家主権の無い占領期間であったと理解しております。』

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2003.08.14

平和教育の残酷さ

 読売新聞の社説「平和教育、理念と方法の見直しが必要だ」で現状の平和教育の問題点の一例として、「沖縄では、残虐な写真によって子供が人間不信に陥る恐れもある、とする平和教育の手引を県教委がまとめた。」とあり、共感した。
 沖縄と限らないが、平和教育として展示される写真の大半が猟奇的な印象を与える。はっきりいって、ある程度社会が理解できる高校生以上ならこうした展示も意味があるが、中学生以下の子供に見せるようなものではない。主催側としては真実を直視せよということなのだろうが、実際には心理的な恐怖を根付かせようとしているだけだ。恐怖によって人の心を支配しようとする目論見は独裁者のそれと同じだ。米国同時多発テロでも良識ある米国民はビル崩壊の映像をテレビで垂れ流すことに違和感を覚えていた。
 もう一点、時代というものなのか、「写真=事実」という前提があるように思われる。しかし、写真は事実ではない。編集可能な偽物だ。現代のように高度な画像処理ができる時代でなくても、コラージュで思い通りの写真ができた。仏新聞ルモンドもさすがに写真を掲載しているが、それでも写真というのが事実を捕らえる思考に害をもたらす危険性は知識人には理解されている。
 ヴァーチャルリアリティが現実感を奪うといった単純な議論が多いが、およそ擬似的に見えるものは事実ではない。なにより、平和というのは生活者の実感からうまれなくてはならないのだから、残虐な展示などは控えるべきだろう。

[コメント]
# shibu 『論旨明解!主張明確。仰る通り。戦場売春婦はカットされました。どこから見ても馬賊つらの「朝鮮義兵」もいなくなるでしょう。「恐怖によって人の心を支配しようとする目論見は独裁者のそれと同じだ。」ですぐ毎日見てるCCTVでの死体映像に被疑者取調べ自白シーンを思い浮かべました。一罰百戒もあるでしょうが、あれはまさにお説どんぴしゃの「現在の」実例でありましょう。』

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