アドベント(待降節)になった
教会暦を見れば昨日は待降節第1主日だった。子供用にアドベントカレンダーをいくつか買い込んだ。ノエルとは書いてないが、輸入食品屋カルディのはフランス製が多かった。昨日はチャペルによっては五本の蝋燭が点っていたことだろう。あるいは、四本だったのか。教会にも行かなくなったのでわからない。10年前までは世俗のクリスマスが辛かったのでこっそりイブの礼拝に座っていた。今日の話は私事である。
キリスト教も宗派によって歌う讃美歌が違うようだし、現在の讃美歌はもしかすると口語なっているかもしれない。私が歌えるのは文語だ。たいていは歌える。キャロリングのメンバーですらあったのだから。
94 降臨ひさしく待ちにし 主よ、とく来たりて
み民のなわめを ときはなちたまえ
主よ、主よ、み民を 救わせたまえやあしたの星なる 主よ、とく来たりて
おぐらきこの世に み光をたまえ
主よ、主よ、み民を 救わせたまえやダビデのすえなる 主よ、とく来たりて
平和の花咲く 国をたてたまえ
主よ、主よ、み民を 救わせたまえやちからの君なる 主よ、とく来たりて
輝くみくらに とわにつきたまえ
主よ、主よ、み民を 救わせたまえや
13世紀に出来たらしいこのメロディ(*1)は美しいが、詞は率直に言うと変な感じがする。「ダビデのすえなる」とあるので出典は詩編ではなく、これも12世紀のものだが、ラテン語の詩とはけっこう違うようだ。
讃美歌は私は文語を好むが、それでも「また合う日まで」を「またおーおーひまで」とは歌わなかったように思う。高島俊男先生の話はごもっともだが「こいすちょう流」は時の流れだ。それでもメロディは変わらない。手元のiMacのiTuneにはBGM用にしこたまクリスマスソングが入れてある。わざとノー天気なものも多いが、明るく聞こえてもカレン・カーペンターの声は辛い。好きなのは、モノラルから起こしたマリアン・アンダーソン(Marian Anderson)の讃美歌だ。崇高なものを感じる。
日キ(日本キリスト教団)の教会では聖書も今では共同訳なのだろうか。あの聖書は私にはなじめない。戦後の口語訳のほうがいい。口語訳は随分非難を浴びたものだ。大正訳を好む人からはイエスの威厳が感じられないだの、暗唱しづらいだの言われた。私は聖書ギリシア語を学んでいたので、ひそかに大正訳はあまり正確ではないなと思っていたし、口語訳は意外に直訳に近いと思っていた。しかし、今度は口語訳が非難を浴びる順序になった。福音派(エヴァンジェリック)の系統のクリスチャンは新改訳に移行していた。エキュメニズムの影響もあって、プロテスタントとカトリックが協調して共同訳が着手され出した。
初期の共同訳試訳では折衷で「イエスス」だった。主格だからそれでいいのかもしれない。この問題はカトリックが折れたのだったのか。小川国夫なども入ったせいか、共同訳はこなれた文章になったが、反面こなれ過ぎて解釈が入った。
聖書の言葉はすぐにわかるほうが良い面もあるが、すぐにわからなくてもいいのではないと歳を取ると思う。口語訳では「心の貧しい人は幸いである」だった。共同訳ではたしか「ただ神により頼む人」になったか。昨今の事情はよくわからないのだが、また、「心の貧しい人」に戻るようでもある。「心の貧しい人」なんていう日本語はない。あっても、意味は、知的でない人や芸術がわからない人、教養のない人のような含みになるだろう。原語では「霊において欠乏のある人」だ。皮肉を言う。世のクリスチャンのように霊的に充足した人は幸いではないのである。
日本では国益の関係からかニュースでしかたがないのかイスラムのラマダンの季節の話はよく出てくるが、世界のキリスト教国のアドベントはあまり聞かない。クリスマスセールの時期と同じなのだから、それはそれでいいのかもしれない。それでもスペインを含めキリスト教国ではアドベントのこの季節に国の仕事で死んだ兵士を迎えている。韓国も金大中を挙げるまでもなくキリスト教徒が多い。記憶では30%だったが、最近はもっと多いとも聞く。すでに多くの兵士をイラクに送っている。そこでも苦渋に満ちたアドベントがある。
日本のクリスチャン人口はプロテスタントとカトリックを合わせて1%に満たない。統計を見たことはないが、多くは世襲だろう。日本人口の1%というと沖縄人と同じくらいだ。マイノリティと言っていいのかはよくわからない。以前、なにかのおりで仏壇のカタログを見ていたら、キリスト教用のがあった。冗談のようだが、それはそれでいいのかもしれないとまじめに思う。
話が散漫になったのでおしまい。そういえば、仏教では「臘八会」(禅宗の臘八接心)である。
注記
*1:MIDIはこちら → http://www.ylw.mmtr.or.jp/~johnkoji/hymn/xmas/Veniemma.mid
| 固定リンク
「生活」カテゴリの記事
- 一人暮らしのキッチン用具(2018.03.15)
- 電子レンジでお茶とか(2018.03.12)
- 最近の文房具屋さんのこと(2016.02.05)
- Chromebookを買って変わったこと(2016.01.22)
- アベノミクスでミートソース缶が減量したのか?(2015.04.09)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
カトリックでは、なんかラテン語ミサが復活するとかしないとか。
「また、司祭のために」がイヤで、一人で「また、あなたのために」と言い続けています。
投稿: marco11 | 2006.12.20 15:29
はじめまして。
12月になるとかつて25年くらい前まで教会に行ってた日々を思い出します。新改訳聖書を使用したホーリネス系の単立教会に居ましたが、やはり共同訳には馴染めなかったです(笑)。
投稿: tattaka | 2008.12.02 08:31