サンタクロース雑談
今朝の新聞各紙社説はあらためて見るべきことはなにもなかった。本当にこれが今朝の社説なのかとも思うが、新聞社も年末進行で社説に手間をかけていられないか、新聞社のサラリーマン諸君は年末で押せ押せになっているのだろう。
社説系のネタはない。時事・社会問題はなんとなく気が重い。奥菜恵の結婚話も関心ないし、ネット系のネタに振ると極東ブログらしくなくなる(冗談)。ので、歴史の雑談を書く。さしてまとまった話でもない。サンタクロース雑談である。
サンタクロースことセント・ニコラスは、ご存じのとおり、と念を押すが、トルコの生まれだ。出生地主義でいうなら、サンタクロースはトルコ人なのである。といっても古代の話なのでトルコ人というのもなんだかなというのが常識だろうが、朝鮮史に檀君建国や日本史に卑弥呼が登場するようでは、お笑いとも言えない。ようするに、古代史というのは近代国家が作り出したものにすぎない。
サンタクロースの話の起源や近代都市神話の話は、インターネットに五万とある。本当に5万かもしれない。そうでなくても、ネットの情報はコピペでダブリばかりなので、極東ブログで書くことはないだろう。と言って以下の話もさして新味があるわけでもない。サンタクロースについてのおおざっぱな情報は英語版のWikiPediaを読むといいだろう(参照)。なお、日本語版はゴミなので読む意味はない。
ニコラスの生没年は諸説があるが、概ね4世紀の人と見てよい。出生と活躍した地域は現在のトルコのミラ(Myra)である。と言ったが、間違ったかもしれない。ミラは古代の都市名で現代のトルコではデムレだろうか。地図を見るとMyraは掲載されているので、その辺りだろうとは思う。ちなみに、イズミル近くの古代遺跡エペソまたは聖書でいうエペソスは、現代ではエフェスである。現地のようすは高橋のぶ子「エフェソス白恋」に詳しい、というか、つまらん小説ではあるが、当地の光景が子細に描かれていて懐かしい思いにかられる。トルコの地名は難しい。もともと日本人の知識人は西欧化された世界史観でしかトルコに関心がないので、とりあえずアナトリアと呼び直す(「小アジア」は下の下)が、そうすることで現代のトルコとのつながりを見失って架空の世界に漂うことになる。
ミラは地中海沿いだが、エジプトに向き合った側にある。近辺のダルヤナーズ(アンドリアス)もリゾート地ではあるが、日本人のお上りさんとしては都市アンタルヤのリゾート地がいいだろう。のんびりと滞在して、ついでタルソまで足を伸ばしてみたいとも思うが、また旅に出られる日はいつになるだろうか。
ミラは古代にはリュキア文明が栄えたところだ。ちなみに、リュキアは英語ではLyciaと綴る。リュキアの研究は多分に漏れずイギリス人考古学者であったことから、リュキアについての基礎文献はこの英語のキーワードで英文献を辿ることになる。遺跡の現状だが、たしか世界遺産になっていると思うのだが、誰か確認してくれ。なお、リュキアについての話は「リュキア建築紀行」(参照)が面白い。
リュキア文明は古代文明ということでヒッタイトに通じる紀元前というイメージがある。だが、リュキア王国が栄えたのは紀元前4世紀あたりであり、いわば古典ギリシアの世界と通底する。その後、ヘレニズム時代を迎えるのだが、多様性を残すヘレニズムはリュキアの土俗的な文化も残していたようだ。その文化はニコラスの時代を覆い、6世紀くらいにまで及んでいたらしい。
西欧化された日本の知識人はキリスト教を西欧の文脈で捕らえがちだが、イスラム圏が拡大し、カトリック教皇が西欧に力を及ぼす以前は、キリスト教というのは極めてアジア的な宗教である。というか、ヘレニズムそのものであり、つまり、ペルシャ的な宗教なのであるが、と雑駁に書くとスキだらけだが、いずれにせよ、ニコラス時代、リュキア文明と当時キリスト教とは多少の反目あっても、ある種の調和を見せていただろうと考えてよい。
その調和のイメージに私は感心を持つのだが、奇妙なことにふと気が付く。そういえばと思ってギリシア神話をぐぐってみて思い出す。アポロはレトの息子(レトイデス:Letoides)ということから母名を継いでいる。福音書のイエスや当時のユダヤ人(あるいはスラブ人)のように父名を継いでいるわけではない。母系である。リュキア人も母系だったようでもあるし、アポロン信仰はリュキアで興隆していた(参考)。
私は何を言いたいのか。そう、ニコラスの伝説は多分にリュキア人のアポロ信仰の焼き直しではないかと思うのだ。ただ、アポロ信仰自体は、地中海を通じて西欧世界へ伝搬されるのだが、カトリック地域ではローマとナポリの中間に5世紀モンテ・カッシーノにアポロ神殿があった。これを聖ベネディクトは異教として打ち壊すのだが、文化現象としては事態は逆で、ベネディクトにアポロ信仰が継承されたのだろう。もっとも、そんな説はこの聖者の名前を引く団体からは嫌がられるだろうが。
聖ベネディクトに比べれば、ニコラスの伝承は遅れた。骨マニアのカトリックのことだ、その遺骨は1087年にイタリアのバーリに移した。ここが西欧でのニコラス信仰の伝搬拠点となる。聖人の日としては12月6日である。これがおそらく海洋の守護神としてオランダに伝承され、そこからアメリカへ移り、現代の伝説ができあがるのだろうが、6日から冬至の祭りであるクリスマスへの習合はルター派によってなされたようだ。福を授ける者をイエスに集約したいのだろう。だが、そのわりに、現代ドイツでも依然、ニコラスの日として子供にプレゼントを与える日は6日のままであり(現代ドイツではクリスマスにも与えるようだ)、その意味でもドイツというのは土俗信仰の強いところだということがわかる。
ところで、クリスマスを冬至の祭りと書いたが、その起源はミトラ教のようだ。いずれにせよ異教である。西欧のキリスト教というのはとてもローカルな宗教なのである。
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コメント
キュリアは世界遺産でした(どもぉ)。
http://d.hatena.ne.jp/sasada/20031222#1072073254
投稿: finalvent | 2003.12.25 09:38