「三位一体の改革」というアポリア
朝日新聞と日経新聞の社説が「三位一体の改革」の緒戦である補助金削減案を論じていた。問題提起は非常に明確だ。日経の言葉を借りると、「数字のつじつま合わせにしても、少しひどすぎないか」。確かに、ひどいもんだと思うが、予想外のことではなかった。この問題については、11月27日極東ブログ「1兆円論議はなあなあで終わり、三位一体改革は失敗するだろう」で予想した通りだ。もちろん、この手の議論は金子勝のように悪いほうに賭けたほうが勝つので無意味なゲームになりがちだ。
朝日は「首相は早急に国と地方の役割分担を明確にし、それにふさわしい税源のあり方を示すべきだ」というが、こうした大義のレベルでは問題はすでに解決している。問題は、ようするに地方だ。朝日は次のようにまとめているが、すでに問題が内包されている。
1兆円削減論が迷走するいま、首相は三位一体の改革の原点を見つめ直す必要がある。厚労省などの事業官庁は補助金で自治体を指図する。総務省は交付金を操る。財務省は税源を握っている。その3者の「三方一両損」が出発点だ。さらに主役の自治体が身を削る「四方一両損」によって改革は初めて動き出す。
現実的な意味では話は逆になる。つまり地方の自治体が身を削ることが可能かという問題なのだ。もっと明確に言えば、大都市以外の地方の問題なのだ。旧極東ブログで書いたが、大都市を除く地方は高い地方公務員の給料や地方単独の公共事業を温存していたいのが本音だ。地方公務員は地方のエリート層だし、地方単独の公共事業がなくなれば、地方の産業が崩壊する。それ避けられるのはある規模を持つ自治体に限られる。とすれば、問題は地方の合併問題になる。そこがうまく論じられないのは、政治家の利益や地方報道社は実は現存の体制のほうがうまみがある。
微妙なのは大手新聞社や大手のTV局だ。本音で言えば、地方を切り捨ててもいいし、切り捨てたいという欲望が潜んでいる。だから、そのあたりから、都市民の怨嗟のような正義が沸騰してもおかしくはない。
いずれ是非を決せざるを得なくなるなら、合併を進めて、多くのインテリジェンスを地方に戻すことだ。私は田中康夫が好きではないが、あの長野県のモデルを実施するしかないだろうと思う。
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