地球温暖化防止会議は政治に使うっきゃないでしょ
ひどい話をのっけから書く。地球温暖化防止会議に本来の機能推進の意味はもうない。だったら、これって政治的に使うっきゃないでしょ、と。さあ、貧乏諸国のみなさん、日本の音頭で、アメリカ、ロシア、中国にいっせいにうんこをなげませう!という道具にするのだ。
私は、環境問題を愚弄しているのか。だが、日経新聞社説「後戻りできない温暖化対策」はすでにあっちの側に飛んでいる。
世界中の科学者が集まった気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の3次にわたる報告で、科学的な根拠に疑問の余地はもはやない。競争力についても、排出削減の努力をした企業が、むしろ市場での競争力を増すとされる。1990年比で6%という日本の削減義務は、森林の吸収分を差し引けば実質2.1%。欧州に比べ過大とは言い難い。
日経がそんなことを言っているようじゃ、日本経済の未来はねーなとも思う。が、「排出削減の努力をした企業」のくだりは、そういうストーリーでみなければ、別の意味で真実も含まれている。ニューズウィークでも扱っていたが、それができる企業は優良だし、また、全体コストからみれば、おそらくペイするような状況に変化してきている、と思われるからだ。
その意味で、私は、テメーのどす黒い裏腹を隠せば、地球温暖化防止推進!、排出削減の努力をした企業頑張れである。まったく人の裏腹なんてものはこんなものだ。
その意味で、日経のような旗を振るのも、うふふって微笑む。
気になるのは、発効への足踏み状態を見て、京都議定書そのものを反故(ほご)にしてしまおうという日本国内での動きである。論旨は6年前の京都会議で、さんざん聞かされたのと全く変わっていない。地球温暖化の科学的根拠への疑問、排出削減義務による国際競争力の低下、そして国家間での不平等性などだ。
だからさぁ、山形浩生はインテリやくざにしとかなちゃっなである、と書いてセンター試験以降の世代にはこうしたビミョーな皮肉が通じないかもしれないな。
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