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2003.12.11

シュレディンガーの猫を巡る愚考

 れいの儀礼的無関心という話題の派生なのだろうが、「圏外からのひとこと」の「波動関数的な欲望」(参考)にシュレディンガーの猫の話が出てきて、些細なことなのだけど、あれ?とか思って、ドツボってしまった。こういう話だ。


「見せたい」と「見せたくない」という矛盾する二つの状態が同時に両立する、という問題も現代物理学に似たような問題があって、シュレーディンガーの猫と言います。これは、空想の話ではなくて、まさにこの世界の話、この物質の話です。この猫は、生きてると同時に死んでいる、両方の可能性がこの世に同時に存在しています。
(中略)
 シュレーディンガーがそういうことを言っても信じない人がいて、サイクロトロンという直径何キロメートルもあるでかいメガネを使って見てきたそうですが、物質というものは矛盾する複数の状態が重ねあわされて存在していて、「観測」するとそのうちのひとつに心を決めるわけです。リンクされないサイトも「見せたい」と「見せたくない」が両方重なった波動関数的な欲望の元に存在していて、ヲチスレからのリンク等の「観測」という事象によって、その欲望の形が決定されるわけです。その結果、一定の確率でサイトが閉鎖されます。

 シュレディンガーの猫はあくまで話の例えとして出てくるので、「波動関数的な欲望」という話題の論旨とは関係ない。なんというか、山形浩生が浅田彰のクラインの壺にツッコミ入れるような話なのだが、私の場合はさらに、批判的な意図などまるでないです。
 シュレディンガーの猫がなにかと説明するのは面倒くさいので割愛なのだが、この話、つまり、量子力学の観測問題っていうのは、観測というイベントで波動関数が収束するっていう話だったっけかな、あれれ? つまり、観測者が収束の原因になるのか? もちろん、その手の理解はあるけど、それって、けっこう初歩的な誤解じゃなかったか。つまりつまり、観測によって波動関数が収束が起こったという話は典型的な誤解だったように思うのだが。つうか、波動関数がいつ収束するかではなく、観測は常に収束の状態ということではなかったか。つまりつまりつまり、「波動関数がいつかの時点で収束する」っていうことのパラドックスだったのでは?
 と、あれれの心持ちでぐぐっみると、なんだか観測原因説みたいのもぞろぞろ出てきて、ちょっと泡吹いちゃいました。ぶくぶくぶくぅ。書架を一別するとそんなときに限って町田茂の「量子力学の反乱」があって、めくったけど、確か町田茂は並木美喜雄の一派で、なんだかなぁの人たちだったのだっけか。
 ぐぐったついでに、けっこう多世界解釈がネットで幅をきかせる時代になっているのを発見して、驚き(参考)。多世界解釈というと、ほとんどバシャールの世界で、なんか冗談とユーモアの心の広さが必要になるような気がするが、ま、いいや。
 で、結局最初のあれ?はどうなったかというとどうにもならない。じゃ、話にもなんにもならないので、「圏外からのひとこと」の「波動関数的な欲望」について考えてみたが、これも、わからん。
 私の欲望は確率的に存在しているのか。たとえば、お茶碗が欲しいな(私はお茶が趣味なのである)と思ってヤフオクを見ている。おお、いろいろ茶碗がある。どれでも所定金額以内なら選べるぞぉ=波動関数的な欲望。で、粉引茶碗1000円を落とす、というところで、私の波動関数的な欲望は収束したのか? つうか、結果からみれば、それが欲しかったことになるから、よって、それを決める前には欲望があったということか。うーむ。なんだか違うような気がするなぁ。って、反論ではないが。欲望とその指向性はそういうのじゃないような気がする。
 と気がするばかりで、まるでわからん。例えば、私はある種の粉引茶碗が欲しい。だから、ヤフオクのチョイスをその欲望の系列で見ていく。その系列に散在する個々の欲望はどれでも、むしろ、欲望を確率にした存在だ。この茶碗2000円なら40%の満足っていう感じだ。そういう多数の系が、波動関数的に存在する、ということはありうる。で、実際になにかを買う、というのは、収束なのか? 単なる最適化じゃないのかな。物理学的なモデルではなく、経済学的なモデルのほうが、欲望には合いそうだな。

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» ■シュレジンガーの猫の話は面白い [it1127の日記 ]
 僕は人に観られているかどうかで行動・態度が違う。人が観ていたらタバコのポイ捨てはできない。もっとも、人が観ていなくても、皇居前広場ではさすがにタバコのポイ捨て... [続きを読む]

受信: 2003.12.13 16:51

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