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2003.12.07

日本人の姓というもの

 新聞社説関連ではとくに目新しい主張はないようだ。テレビで外交官追悼は見ない。痛ましい事件だが、この美談をもってして外務省の評価を変える気はない。そう思いながら、なにか重要な問題を見落としているなと思う。イラク派兵問題や道路公団問題など構図が単純すぎる。こうしたことでなにかが隠蔽されているという直感があるが、よくわからない。足利銀行の破綻についても、当初、「ふーん」という感じだったが、根は深そうだ。週刊誌は北朝鮮絡みにひっかけるがそういうことでもあるまい。「あすを読む」ではこの問題について、突然なぜ?という疑問を投げかけていたが、修辞に過ぎない。ただ、この問題はテクニカルな要素が強すぎて簡単には書けそうにはない。そうそうイラクについてだが、これまで書き落としてきたが、派遣予定地サマワはかなり安全だと見てよさそうだ。もちろん、これにも異論があるだろうが、逆に1000人気規模の友好団を送るのは悪くなさそうだし、オランダ軍とも連携できそうだ。自衛官がマリファナでも楽しんでくるかもしれないという不謹慎な冗談はさておき、派兵を選んでも、実は大きな差がないとも言えそうだ。
 いきおい雑談になる。日本人の「姓」についてだ。「性」の誤記ではない。以前、たまたまmsnジャーナルだったかで見たと思うのだが、日本から中国に留学している学生が教室で中国の少数民族の子に「ねぇねぇあなたどこの民族?」と問われたという話だ。そうだろうなと思う。中国人の場合、姓はたいてい一文字だ。二文字のこともあるが、それはたいてい少数民族か本来なら中国に内包されるべきではない異文化の地域の民族だ。日本人が好きな諸葛孔明こと諸葛亮の姓は二文字だ。異民族の含みがある。さらに異民族性が高まるのだが「愛新覚羅」のように二文字以上のこともある。
 日本人の姓の大半は二文字以上でもあるし、地理的にもは中国からは中原につながらない。だから異民族鬼子として「東洋鬼」になる。日本人はあまり知らないようだが、「東洋」という言葉は中国では日本を指す。ちと広辞苑を引いてみたら、ちゃんとその意味が載っていたので、教養人なら常識だよと言っていいだろう。いずれにせよ、日本人の名前はその名前からして、中国ではない異民族に見える。その点、朝鮮は早々に中華化してしまった。彼らは日本の奈良朝くらいまでは別の姓を持っていたようだし、金春秋の例のようにすでに中国的な姓を持っていた人もいる。
 実は日本人の姓というのは「姓」ではない。このことが痛切にわかる例は沖縄(琉球)だ。沖縄の場合、久米姓などはちゃんと姓をもっているが、その姓が現在につながるのは尚家くらいのもので、たいていは家系図には姓を記載しても、「氏」を姓名としている。もっとも、琉球の場合島津の政策の影響なのか、擬似的な氏銘に変更されている。我如古は金子ではないだろうか。また、明治にかなり氏名を日本化した。私の知人に嘉納さんという人がいるが、嘉納治五郎のような嘉納ではなく、「嘉手納」の「手」を抜いたのだ。池宮さんは池宮城だったりする。読みだけの変化もあるエッセイストの与那原恵(よなはらけい)の氏名は沖縄では「よなばる」である。歴史をもっと深くみていくと、こうした明治期の姓名の変成は日本本土にも見られる。だが、私の知る限り、この問題はあまり日本史で扱われていないようだ。代わりに韓国の改姓が話題になり、日本の侵略といったイデオロギーの問題に変換される。挙げ句は日本という実体が韓国や沖縄という実体と向き合うような近代史像を造り出し、文献を整理して歴史書のようなものを分厚く書き上げる。
 先に金春秋の例を挙げたが、こうしたことは日本でも奈良朝から平安時代に見られる。日本の教育では教えていないだろうが、紀貫之など「きのつらゆき」と読ませるから日本風なのだが、はっきりとした読みはわからないが、東アジアの文脈では姓が「紀」の「キカンシ」のように読んでいいはずだ。いずれにせよ、中国文化の姓名なのである。
 このことを愕然と思い知らされたのは光明子のことを調べていたおり、正倉院宝物にある彼女の自筆署名に「藤三娘」としてあるのを見たときだ。これは「とうさんじょう」と読む。「三娘」は名前ではなく、「藤」家の三娘だろう。インドネシアのワヤンさんのようなものだ。いずれにせよ、彼女は姓を明確に意識しており、それが「藤原」ではなく「藤」であった。しかも、皇后位についてもこの姓を維持していたことは、婚姻の制度が中華的であったことを示している。こんなことあたりまえ過ぎる話なので書くも恥ずかしいことかもしれない。
 啓蒙は嫌いだが、もともと藤原と佐藤、伊藤、加藤などはすべて同じだ。元になる「藤原」はおそらく「藤」の「原」という氏名(うじめい)だろう。姓は「藤」である。そして、西行の名である佐藤義清の佐藤は、異説も多いが、平安中期藤原北家秀郷流の公清が左衛門尉を名乗ったことによる役職名に由来するのだろう。いずれにせよ、姓として「藤」であることは間違いない。荻生徂徠など、自らを物徂徠と称するほどだ。さすがにこれは日本人として恥ずかしいなとは思う。
 いずれにせよ。日本人でも姓はある程度意識されているのに、日本では同姓の結婚が許されている、どころか日本人はまるでその禁忌の意識はない。「本貫」はないのだ。この話を知らない人もいると思うので、すこし解説したほうがいいのかもしれないが、割愛する。いずれにせよ、現実の日本社会の実態上は姓の意識はない。中華世界から見れば乱交の異族に見えてもしかがたない。
 些細な、つまらない話のようだが、こうした事は陰画的に中国には恋愛から婚姻という経路が原理的に存在しないことを示すし、日本には血統意識がないことも示している。文化人類学的に見るなら、ファミリーシステムが中国とはまったく異なるので、日本人は中国人とはまったく異なると文化(または文明)と結論してもいいだろう。日本を中国とは分離した文明としてみるハンチントンがまるで見当違いをしているわけではない。
 特に話のオチはない。知識をひけらかしたいわけではない。それどころか、こうした記述のディテールに間違いも多いだろう。ただ、私としてはこうしたことは日本人の常識でなくてはならないとは思う。

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「歴史」カテゴリの記事

コメント

たいへん興味深く読みました。いろいろな国での「名前」に関心を持っています。

投稿: ビアンカ | 2005.04.18 19:01

屋上屋を重ねるかもしれませんが、ちと判りにくいエントリーなので少々解説を入れます。
日本の苗字には二種類あります。一つは「氏(うじ)」、もう一つは「姓(かばね)」。氏というのは大王から豪族に与えた苗字のことで、物部とか蘇我とか中臣とかがそれにあたります。そしてその豪族の中での序列だとか出身地を現すために出てくるのが「姓」です。例えば足利尊氏は足利荘出身の源氏ですから氏は源、姓は足利となります。そして日本人が現在使っている苗字はほとんどが「姓」であり、「氏」ではありません。それに対し、中国では苗字は大体「氏」ばかりであり、朝鮮半島に至っては100%苗字は「氏」であり、「姓」はまったくありません。

ちなみに、藤原氏の祖は言うまでもなく、中臣鎌足です。中臣から藤原への「氏」の変更は天智天皇からの下賜によるもので、「藤原京」より由来します。

あと紀貫之の呼び方ですか。これをカンシと呼べば確かに中国風にはなりますが、その前にこのツラユキという呼び方が「訓読み」であることに注意すべきです。つまりツラユキという呼び名が最初にあってその当て字として貫之という漢字が与えられているのです。

ちなみに日本のクラン(氏族)を重要視しない家族制度は東南アジアに由来すると現在考えられています。

投稿: F.Nakajima | 2006.05.05 20:43

諸葛氏は、もともと葛という姓だったが、移り住んだ地にすでに葛氏が存在し、移り住む前の地名の「諸」をつけたという節もあり、この節では異民族は関係ないです。

投稿: | 2007.11.26 01:47

この記事を書かれた方にお聞きしたいのは、何故中国読みにこだわるのか?例えば藤原と言う姓ばかりが増えると「えっどの藤原?」となる為、治めていた地域や役職を藤原に併せた形で(記事に少し書いてありましたが)佐藤、伊藤、加藤等の姓が発展したのであり、これこそ日本の文化なのでは?
確かに中国から見れば異民族でしょう。文化も考えも違う、大陸と島国の違いもある。
ただ私はもし歴史上昔から独自の文化を持っていて、中国に支配されるなりして、感化されたとしましょう。そして今に至る…。これの方が嫌ですね。日本の文化ではなく、そりゃあ中国の文化だ。そう思いますが。
昔読んだ本にこう書いてありました。中国は異民族に昔から何度となく中原を支配されてきた。だが漢民族の文化に異民族達は感化し独自の文化を忘れ漢化された。漢民族からすれば戦で破れ屈するとも異民族を漢化すればそれが勝利だ。しかし異民族でありながら感化しながらも最後まで漢化されない民族がいた…それが日本人達だ。
つまり日本人は独自の文化を持ってるのですよ。言葉も名前も。

投稿: | 2009.01.19 22:37

中国の文化とは違うので、それが日本が発展させた文化なのでは?

投稿: | 2009.01.19 22:44

因みにコメントがあがってなかったので、これもあがらないかもしれないが、とりあえず。
これを書かれたあなたは二文字以上の姓を可笑しいと言われるのか?同じ姓の結婚は確かに多少の抵抗はあるが、血縁同士結婚しても(法律では禁止されてるけど)何の問題もない(化学的には問題有とは証明されてないがこれは昔の王達の特権で庶民には禁止されていた。でも人としては…)し、まして姓が同じぐらいは何人でもいるでしょう。中国の方がもっと多いんじゃないですか?同じ姓だと先祖一緒の確率も多いし、中国の宮廷は皇帝一人二千人も妃がいたり子供が数十人いたり、あと敗れた国のやつらには身を隠す為姓名変えるやつもいるし。日本の戦国時代以降もそうでしたよね。例えば毛利(一部の武将)が野瀬に変えてるし、じゃあ毛利の変えてない子孫と変えた野瀬の子孫の結婚は許せるのでしょうか?
まあ私は姓は一字、同姓の結婚も縁はないのですが。前のコメントがあがっていると嬉しいのですが。

投稿: | 2009.01.19 23:25

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