セルビアはどこに行くのか
朝日新聞社説「セルビア――極右を躍進させたのは」はつまらぬ話だった。理由は簡単で、またまたサヨク・反米というマシンの出力というだけ。啓蒙にして意図が韜晦なまいどの朝日さんが言いたいことは、「極右を躍進させたのは米国」というトリビアの泉みたいなネタだ。へぇ~、マイナス50点だな。
国際社会も考え直す時ではないか。北大西洋条約機構軍の空爆で大きな打撃を受けたセルビアには、国際的な支援が欠かせない。だが、米政府は国際法廷への戦犯引き渡しを支援の条件としている。それが国民の民族的な誇りを傷つけ、結果的に極右への共感を広げさせている。民主派を支えるには柔軟で手厚い支援が要る。
だからなんだというのをぼかしているのだが、この話は、ようするに「米政府が国際法廷への戦犯引き渡しを支援の条件とするのをやめろ」としか読めない。それが「民主派を支えるには柔軟で手厚い支援が要る」となるのか論理は不明。どうせ朝日新聞のことだ。結語もひどい。
数十万という人々が命を失ったユーゴ紛争は「軍事力による人道的な介入」の必要性を国際社会に問いかけた。国の再建や民主化は容易な課題ではないが、それをやり遂げないことには、介入の正当性も揺らぐ。セルビアでの失敗は許されない。
朝日新聞は皮肉書いているのか。つまり、人道的介入は無意味だったから、それをやり遂げる意味などない、よって「国の再建や民主化」なんてほっておけ、と。ブラックですな。
朝日はなにが言いたいのだろうかと再び考えて、さして考察なく書いた文章なのだろうなと思う。ふと、「国の再建や民主化」というけど、その「国」ってなんだと疑問に思って、思い当たるのはチトーだ。懐メロなのだな。
朝日の酔筆を素面で追うこともあるまいが、とうの問題であるミロシェビッチ支持、極右躍進をどう考えるべきか。朝日は「紛争で疲弊した経済」と「大セルビア主義」と言う。脱力するなぁ。経済の疲弊には紛争が原因ということもあるが、そもそも紛争の根幹にもあったのだ。そのあたりの歴史を書くのもうっとおしいし、大セルビア主義を解説する気力もない。というか、ちとセルビア史のサマリーを書いてみたのだが、さすがにボツにした。極東ブログは読者数など気にしないが、歴史マニアも多いネットの情報をかき集めればわかることをまとめても意味ない。基本事項は多岐にわたるし、きちんとその歴史を追うことも基本だ。大セルビア主義は簡単には解説できっこない。
が、大セルビア主義がわからなくてはとうの問題はわからないのか。80%はそうだろうなと思うが、よくわからないなと思うこともある。ちと批判を喰らう覚悟をして言ってみるかな。まず朝日にほざかせるとこうだ。
クロアチアにあるセルビア人居住地区をセルビアに組み入れる。国連の暫定統治の下にあるコソボ自治州にセルビアの軍や警察を戻す。国際法廷への協力をやめる。急進党はそう主張する。
ほぼ10年におよんだユーゴ紛争は、コソボを最後にやっと落ち着いた。急進党の主張は、これまで積み上げられてきた和平努力を根底から覆しかねないものだ。
私は小声で言ってみよう、「それがどうした」。もっとピアニッシモを効かせて言ってみよう、「それが悪いのか?」 セルビア人の立場に立ってみろよ、当然のことじゃないか。それ以外にセルビア人に選択があるのか。それを実現することが平和努力とやらを覆すことになるのか。少し声を高めれば、それを選択しても民主派の生きる道はあるんじゃないか。
ことの発端をどう見るかは難しい。チトー後、ミロシェヴィッチはセルビア民族主義を煽り、1989年コソボ自治州で多数派のアルバニア系住民の自治権を奪う。ろくでもねぇなとは言える。が、もともとコソボはセルビア共和国の自治州だった。歴史を振り返れば、12世紀にセルビア王国がここで成立した。
事件としては、1991年6月のクロアチアとスロヴェニアの独立宣言だ。この時点のクロアチア内にいたセルビア人に身を置いてみるといい。えれーことになってしまった。市民を社会から守るのは国家だが、社会が国家化したようなものなので、国家たるべき連邦が動かざるをえない。理の当然である。
91年11月マケドニア独立宣言。翌年3月ボスニア・ヘルツェゴビナが独立宣言。そこで、セルビア共和国がボスニア・ヘルツェゴビナ共和国を侵略開始、なのか? というのはボスニアに進行したのは連邦軍だ。連邦軍を事実的に組織していのがセルビア人だったとは言えるが、建前としてはユーゴスラビアといいう国の内部の問題であり、そもそも連邦軍が存在すること自体、こうした内戦に備えるものだった。連邦軍自体も連邦軍の論理で動いていた、とまで言い切ることもできないが、大筋で逸するものではない。
何が歯車を狂わせたか。もちろん、難しいのだが、外国が勝手に独立を認可するというどたばたも良くないのは確かだが、それに加えて、大セルビア主義という歴史物語があるせいかセルビアという単一の悪玉をユーゴスラビア連邦から純化した要因も大きい。悪玉ができれば話は早い。さあ、みんなでセルビアをやっつけろ。
と書くといかにもセルビアを援護しているかのようだが、そういう意図はない。その後の展開は明らかにセルビアは責められるべきだと思う。
私の結論はない。ここで朝日を道化にして叩いてもしかたがないが、問題は朝日新聞が考えているほどのんきなものでもない。そういえば、コソボ紛争のおりもチョムスキーは空爆反対だったが、日本では注目されなかった。私も表明のメールをもらったけど無くした。私信でもないので、どっかに掲載されているのだろう。
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